第37話
「よろしいのですか、姫様」
「いいのよ。むしろそうすべきだわ」
アール伯エニィ・ウェアは門の村のアーク代官と会っていた。
門の村に限らず、西村、東北村、道村も同様だ。
エニィが直接足を運ぶ。本音を言えばすべての場所で自身が指揮を執りたいが、そうはいかないため、連絡を密にすることで補完するのだ。
全部任せられる人材はまだアークとワートくらいしかおらず、他の者には逐次指示を出したり相談を受けたい。
そしてエニィに相談するほど判断に迷う時は手を離せないことが多い。
また、エニィもアークやワートに相談したい案件もある。
中村に集めて全員で協議することも考えたが、指揮するものが丸一日以上離れることになるのはよろしくない。
その点エニィは移動用の車を持っており、各村の往復にさしたる時間はかからない。
エニィと護衛を運ぶだけなら一台ですむことを考えても、やはりエニィが動く方が都合がよいのである。
今日はラビットの輸送車を見送るついでにアーク代官と話をしに来たのだ。
話題のひとつは冒険者、いや、領民に支給する食糧について。
この度、冒険者たちからの要望があった。
もっと美味いものを食べたいと。
食材の種類を増やしてくれと。
「あまり甘やかすのはどうでしょう」
「休暇で中村を訪れていた冒険者がすべて一揆して上訴してきたのよ? 今の主力である冒険者の要望を無碍にすることはできないわよ」
現状、アール伯配下の騎士団よりも冒険者の方が質も数も上である。
活動の重要性もあり、決して軽んずることができない。
その冒険者が集まって要望を出してくるというのなら、重く見ないわけにはいかないだろう。
一方でアーク代官の懸念は、甘い対処に味を占めて要求が激しくなる可能性である。
冒険者の方が戦力が上であるからこそ、際限ない要求に応え続けるはめになるのではないか、最終的には冒険者にアール伯領を乗っ取られてしまうのでは、と。
「今のアール伯領を乗っ取ってもうれしくないでしょう? 魔物の脅威は対策できてないし生産力もろくにない。あるのは不相応な規模の建設中の神殿と、ラビットの窓口だけ。どちらも人員が撤収すれば何の価値もない」
「ご自身の領をそこまで言わずとも」
「事実だもの。今は少しでもこの領を魅力的に見る要素を増やさなければ。冒険者が居ついてくれないと当面をしのぐこともできなくなるわ。冒険者だけを優遇するのもよくないでしょうし、全体に支給する食糧の質をあげざるを得ない」
冒険者の食事を作っているのは領民だ。
冒険者だけ食事をよくしたら、領民が不満に思うだろう。
冒険者は一時的な雇用関係だが、領民はずっと関わることになる相手だ。短期的には冒険者が重要だが、長期的には領民の方が重要になる。
「農地が機能し始めれば輸入量は減るわ。温室栽培というのがうまくいけば輸出もできるようになるかもしれない」
「輸送車の費用も考えるとなかなか難しいように思いますが」
温室栽培というのは、季節を問わず植物を栽培する方法で、近年試用され始めた技術だ。
高価な資材をつかう設備投資が必要で、運用費用も結構な額が必要になる。
しかし、決まった時期しか採れず、長期保存ができない作物を供給できればどうだろう。
アール伯領から王都まで、輸送車であれば片道一日。十分に新鮮な作物を届けることができる。
新しい技術の掛け合わせで生まれる新たな可能性だ。後は費用と売値が釣り合うかどうか。
豊穣神官を酷使しなければできないような贅沢を可能とする手法。
うまくいけば特別な産物がないアール伯領が生き残る道になる。
このような様々な企画を、エニィは役人時代にいくつも見てきた。
冒険的なものが多く、実行までたどり着かなかったものも多くあった。
土地の確保のめどがつき、王都に戻った際、そういった企画を挙げてきた者たちに声をかけて回っていたのだ。おかげで忙しかった。
王都では土地の都合で試せなかったものであれば、アール伯領なら。
うまくいけば大きな利益を生む。かもしれない。
更にここにきてラビットの実験も採用した。
手が足りないのは、なんとか頑張ってもらう。
そのためにも士気を上げる要素は少しでも採用したかった。
「ラビットもだけれど、一つでも多くの実験が成功すれば。成功したところにさらに投資して我が領の売りにする。そうやって生き残る路を作り出すのよ」
「もし、どれもうまくいかなければ」
「その時は何もしなかった時と同じ末路になるだけのこと」
既存のものだけでは足りない。ジュローシャ王国は魔物領域に圧迫され、効率されて小さくまとまっている。新しいなにかによって現状を打ち破らなければ、新しい立ち位置は手に入らないのだ。
「それよりも、うさみから提案があった魔法教室はどう思う? 私はいっそ全領民を魔法使い化するのはどうかと思うのだけど」
エニィがやや強引に話題を変えると、アークは困った顔をしつつも、こちらの話題も必要なことなのでしぶしぶ付き合ってくれた。
「それは姫様が一番ご存知でしょうから……。魔法使い系のギルドや国の権益にぶつかりかねないことがまずひとつ。そして、取り締まりをどうするかという点がひとつ、でしょうかな」
ジューロシャ王国内では、魔法を教えるために必要な要件がいくつかあるが、予備役魔導師であるエニィはこれを満たしている。
魔法の強力さ、利便性を鑑み、好き勝手されると治安上困るので制限があるわけだ。
王国が認めるいくつかの組織と資格の持ち主しか魔法を教えることは許されていないのだ。
魔導師というのは王国が定めた資格で、一定の魔法能力を持っている証明と弟子を取る権利があることを認めるものだ。ただし、弟子の行動についても責任を持たなければならない。
騎士の任命と同じようなもので、魔導師の弟子が魔法で何かやらかした場合、師である魔導師が責任を取ることになる。
これは弟子が魔導師の資格を取らない限りずっとである。
魔法を教えることは一つの利権だ。
魔法使いギルドなどはそれで利益を得ているし、家庭教師として働く魔導師も多い。
つまり、エニィがアール伯領で魔法を教えることはできる。
しかし、大勢に教えると、既存の組織の利権を侵すことになるかもしれず、また、何かあった時の責任をエニィが負うことになる。
得られる利益にこの危険と対処の費用が釣り合うかどうか。
「魔力増強法を教えるだけでも領内の収益は大きく増えると思うのよね。魔動石生成リングのおかげで」
「それは確かに」
「魔力を増やす訓練のためにも魔法の一つ二つは覚えさせた方が楽なのよ。私も大した腕ではないから、教えられる魔法も限られているし」
「ですが大勢いれば思わぬことをしでかす者も出るでしょう。事故もあるでしょうし」
「信用する、というのは無理な相談ね」
「ですな」
領民を信じるというのは聞こえがいい言葉だが施政者のやることではない。
「それに姫様の時間にも限りがありましょう」
「時間は、開拓者協会が来れば今より自由になるはずなのだけどね。それでもまだまだ山積みか」
「こうして各村に足をは困れずとも回る体制が理想なのですが」
「うぅん、一旦保留ね。どちらにしても取り締まり体制が用意できないわ」
「人手が足りませんからな」
エニィはひとまず取り下げ独自に検討を続けることにした。
身内に専門家が自身しかいないのだ。
近く、開拓者協会の支部ができ、前線の管理を任せられるようになって時間を作ることができれば。
具体的に使える時間が見えれば実際的な考えを勧めることもできるだろう。
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