第13話 口論

雪化粧が始まった国境の山脈を背景にガラス製品がならんでいる。

お皿にワイングラス、ティーカップをはじめとした食器から、テーブルを彩る花が生けられた花瓶、果ては使用人を呼ぶためのハンドベルまでガラスである。

形にも創意工夫があり、花弁を模したものや、底に波紋があるものなど、どれも王室にある物として申し分ない程芸術的だ。

そして、その全て共通してが紫色のグラデーションでできている。

すべて子爵が今回の視察に際し、お土産として用意してくださったものだ。

早速使ってみたくなり、ティータイムとしてみたのですが…。

「なんて素晴らしい光景でしょう。ここまで贅沢なティータイムを経験した事はありません」

うっとりと見入り、思わずこぼれた言葉に対してアランが素早く反応する。

「お褒めに預かり光栄です。こちら全て我々の商会の一番の職人に作らせましたので。そうだよね、レン」

レン子爵が疲れた様にぼやく。

「その一番の職人は恐らく、すぐに一番じゃなくなりますよ。もう半年後、ドワーフの大将に勝てる未来がまるで見えない」

軽く溜息を吐いたあと、少しかしこまった様な口調になった。

「お気に召した様で光栄です。予定ではこれを最初に見ていただく手筈だったのですがね」

…中身は前の彼と変わらない様ですが。

「ちょっと、あんた、王家の方に対して失礼な物言いしてるんじゃないわよ」

エリザベートと名乗っていたレン子爵の副官が子爵を嗜めるが、彼は何処吹く風だ。

その態度がさらに気に入らなかったのだろう、エリザベートは子爵を睨みつけている。

しかし、吸血鬼特有の童顔と彼女の整った顔立ちのおかげで、睨みつけてもまるで迫力がない。

それどころか小柄な彼女のそれは、子供が拗ねた様な愛らしさがある。

…その容姿に不釣り合いなほど大きい部分もありますが。

自分のものと比べて嫉妬しないと言えば嘘になってしまう。

そんな彼女に対して鬱陶しそうに言葉を投げる。

「うるせぇな…。これで良いんだよ、王女様との距離感は」

確かに今更子爵に恭しく話されても正直、気持ちが悪い。

それに、『レン子爵』ではなく『レン・フジイ』として話をしてくれる彼を気に入っているのだから無礼は気持ちがいい物だ。

が、それを知らないレン子爵の付き人たちは凄まじい剣幕で怒っている。

リードリッヒも小刻みに手を震わせている。

相当気に入らない様だ。

それに対して、子爵はそしらぬ顔で紅茶を啜って、ポケットからタバコまで取り出し始めた。

彼がタバコを吸うと言う話を聞いたことが無い。

法律でこそ禁止されていないが、ならず物のイメージが強く普通貴族は吸う物では無い。

この姿をご令嬢たちが見れば卒倒していまうでしょう。

自由なことこの上ない、本当に気の知れた仲の様な振る舞いに少し…いや、かなり嬉しくなっていると、限界だったのだろう、リードリッヒが目にも止まらぬ速さで、火をつけようとしている子爵のタバコを口から奪い取った。

子爵が珍しく目を丸めて驚いている。

…珍しく、と自信を持って言えるほど彼と頻繁に会っている訳ではありませんが。

リードリッヒは座る子爵をまるでゴミを見るかの様な視線で見下ろしている。

「噂とは随分違う様だな。レン・フジイ」

「腕にはそこそこ自信があったんだがな。はぁ…こうも易々と取られるとは、師匠に殺される。エリザベート、アラン、チクるなよ」

強張った表情から一転、軽く息を吐きやれやれと言わんばかりのいつもの口調で子爵が答える。

「どこの、どんな噂か俺は知らない、勝手に幻想を抱かれても困る」

「貴族達の噂だ。社交界では紳士の手本とまで言われているだろう。だが実際は王女様に無礼を働く二枚舌野郎だな」

「二枚舌…ねぇ。勝手に他の奴らが勝手にそう言っているだけだがな。それに、だ。王領内の文官の頂点たる宰相の息子の君が勉強をせずに、武芸を嗜んでいるのも二枚舌じゃないか?フォン・リードリッヒ卿」

怒りに燃えていたリードリッヒの顔が一気に冷めていく。

「な、なぜそれを!お前には名乗ってなかったはずだ!」

「は、簡単な話だ。俺はお前の顔を知っている。それこそ、社交界で見たからな、それとさっきの動きとその感情の制御の出来なさ。貴族のドロドロをまともに体験していればそんな態度は普通取らないな。そこから…カマをかけただけだ。ものの見事に引っかかってくれてありがとう」

そう言うと軽く欠伸をした後、新たなタバコを取り出しておもむろに吸い始めた。

…レン子爵、リードリッヒが怒っている原因を分かってやっていますね?

案の定、リードリッヒが今度はライターの方を奪い取り食い下がる。

「…確かにお前は頭が切れる人間かもしれないな。だが、イザベラ様の前でこの様な物を口にするとは何事だ!!それに先ほどからの態度。紳士に振る舞えるなら偽りでも何故そうしない!この無礼物!」

「罵倒のバリエーションが少なすぎる上まるで腹が立たないな。吸血女t——」

「エリザベートって言いなさいよ!」

すかさずエリザベートが割って入る。

名前で呼んで欲しいと言う少女の可愛らしい好意に対して子爵はめんどくさそうに対応する。

あれは演技ではないので、今のところ吸血鬼の少女の想いはまるで伝わっていない様だ。

何故かスッとしたのは気のせいでしょう。

「…はぁ、エリザベート・ツェペシュ副官殿と比べるとまるで子供だな。…自分で考えたらどうだ?お前の方が王女様と付き合いが長いはずだろ」

それは一体———

「それは一体どう言う事だ?煙に巻いて無礼を詫びないつもりか?ふん、腐った異世界人だ。こんなのを養子にするエステル侯爵の気も知れんな」

…リードリッヒ、貴方今、エステル侯爵を侮辱しましたね。

北方の英雄であり、王家の忠臣であり、私の数少ない理解者であり、初恋の方であるエステル侯爵を侮辱しましたね?

このことは絶対に忘れませんからね?

王都に帰ったら覚えておいてください。

「レン、ちゃんと説明してよ!王女殿下から黒いオーラが出てるから。すごく出てるから!!僕、こんなことのせいで打ち首はごめんだよ!!」

「守銭奴の首一つで済めば良いがな」

「だったら尚のことだよ!早く、説明と謝罪!!」

ち、違います!これはリードリッヒに対する物で…

そこまで言いかけて言葉を飲み込む。

義理ではあるとは言え父親に初恋した女、などと距離を置かれてはとても寂しい。

せっかく王女の私に取り繕わない方と友人に成れたのですから…。

疲れた瞳の持ち主は億劫な様子で説明し始めた。

「はじめてした会話の始めが『貴族でも臣下でもない貴方とお話をしたいと考えています』。俺が紳士じゃないことが既にバレてる。会話をしたことがないのに、だ。22年以上生きてるが演技がバレたことは肉親以外ないな。…王女殿下は相当、人を見る目があるだろうな。そんな方に取り繕うのは逆に不愉快にさせるだけだろ」

なんてことのない事かの様に話をした後、するりとライターを取り返しタバコを吸い始めた。

リードリッヒがまた食ってかかっていたが、私には聞き取れない。

顔を伏せて、こぼれそうな涙を抑えるので精一杯だったからだ。


本当に、本当にこの人は私をわかってくれている。

ほんの少しの会話で、誰もが察してくれない悩みをわかってくれた。

嘘を嘘と見抜けてることは嬉しいことばかりじゃない。

特に王族ならば、醜く擦り寄ってくる者が不忠であるとわかってしまう、誰もが『王女』と話していて『イザベラ』と話してくれないことをわかってしまう。

子爵がどこまで私の悩みに気付いてくれているかはわからない。

それでも、ほとんどが理解してくれない一部をこの人はわかってくれている。

だから私は『イザベラ』としてこの人を信じよう。


そう思い顔を上げるとリードリッヒはまだ子爵を問い詰めていた。

せっかく気分が良かったのに台無しだ。

どちらも悪気がないだけになおのこと嫌な話だ。

二人を仲良くすると言う視察の服なる目標は失敗の様です。

そろそろ、この不毛な言い合いを止めましょう。

「リードリッヒ、そのくらいに。貴方ではレン子爵に口喧嘩では勝てませんよ。彼に口喧嘩で勝てる方はおそらく王国にいませんから。そんなことよりも、」

手を軽く叩いてパンと音を鳴らす。

空気を変えるときにはこれが一番だ。

「レン子爵、素敵なお土産ありがとうございます。それも、わざわざ子爵自らお造りになった物を。返礼をしたいと思いますが、何かご希望はございますか?」

静かにカップを置くと少し真面目な顔つきで話し始めた。

「お土産ですので返礼は不要ですよ。ただ、お願いしたい事はあります」

「レン子爵、それでは返礼と変わりませんよ」

茶化してみたが子爵は表情一つ変わらず続けた。

「いくら無礼者と言っても、土産にお返しを求めるほどの堕ちるのは嫌なので。…そうですね、無断でこちらに早くいらっしゃった事を国王陛下に言わないと約束しましょう。これで取引にはなります」

「う…。わ、わかりました…。言わないでくださいね。それでお願いとは?」


その質問の直後だった。

背筋にぞくりと悪寒が走った。

信用できない南方貴族たちと話している時の感覚と似ている。

なにか不吉なことが起きたわけでは無いし、欲が丸見えの視線を当てられた訳でも無い。

ただ、私は初めて子爵の素の笑顔を見ただけだった。

なんの演技もない、作り物ではない彼の本物の笑い方。

それは、ほんの少しだけ目を細めて、左頬がわずかに上がっている、そんな笑顔。

———不敵、その言葉を体現した様な笑みだった。

「ある業種の商人を2名ほど紹介願えませんでしょうか」

首を縦に振りながら迷う。

この人は果たして『王族』の私は『貴族』として信じて良い人なのでしょうか。

二人の商人に何をさせるのか、事の顛末を見た後に帰りましょう。

この視察は長引きそうですね。

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