第9話 酒場での政治談話

『カーン』

グラスとグラスの当たる音が気持ち良く響く。

透明なロックグラスに用意されたウイスキーが茶色に光を反射して美しい。

「しかし、よく考えたわね。ガラスを酒場に無料で渡して使わせる、なんて」

ここは都市の中でも、特に人気のある酒場。

先日アランから考えろと言われたプロモーションは至ってシンプルである。

人気のある酒場に食器を一式無料で譲渡し、領主の権力と権威を使って使う様に契約させる。

ついでに商会の場所も店内の掲示板に貼らせた。

我ながら、かなりの職権濫用だが意外にも相手は快く受け入れてくれた。

まぁ、領主が目の前にいたのでは嫌な顔は出来ないだろうが…。

職人の練習のために作ったガラスの食器が掃けて、広告にもなる。一石二鳥だ。

その契約の後、城下の視察のついでに契約通りに使用されているかの確認にきた。

来たのだが…。

「全くだよ。おかげさまでガラスの知名度と売上がうなぎ上りだよ。ひょっとしたら、すぐにでも大商会と呼べるだけの商会になるかもしれないよ!」

「レンには商才はないと思っていたのに案外あるじゃない。しかし、ガラスのワイングラスに入った赤ワインは本当に美しいわねぇ」

…お前ら、ただ酒が飲めると勘違いしているだろ。

俺の私財とはいえ公費、つまり税金だぞ。領民からとった血税だぞ!

そんな無言の訴えは二人に届く様子は全くない。コイツらときたら。

「お気に召して何よりですよ、エリザベート・ツェペシュ副官殿。…おい、守銭奴。目がまた『金』の文字になってるぞ。…ったく、横領だけはするなよ」

「安心しなよ。お給料としてたくさん頂くだけさ」

全く安心できない。この男には警戒しておこう。


しかし、実際の話、酒場で使わせてから約1ヶ月で売上は非常に伸びている。

これから冬が来るにあたって、すぐに冷たくなる金属製の食器よりも、いくらかマシなガラスが好まれていることもあるだろう。

そして、安い。善良なる市民の味方として非常に流行しているらしい。

市民にはやることは非常に良いことだ。

短期的には神聖同盟が絶賛侵攻計画中。

長期的には人気のある姉である王女と短慮でトラブルの尽きない弟王子。加えてその王家は力が弱い。破滅の種は無限に転がっている。

誰がどこで躓くかわかったものではない。

金持ちの顧客ばかり持っていると、相手が何かの拍子で巻き添いを喰らう。

一般大衆に売れるならば大虐殺でもされない限りどうとでもなる。

ついでに浮いた市民のお金は他の商品に消費されそこから税金が取れる。

景気の好循環が起こって一番潤うのは領主。

ダイヤモンドの杯ともおさらばでき、一石二鳥だ。


「で、具体的な売り上げは?」

「今月、レンの懐に入る額は琥珀硬貨二枚ってところかな?設立して二ヶ月の商会とは思えない売上だね。フヒヒィ…。200万人全員がガラス商品を使い始めたら幾らになるだろう…!」

「もう突っ込まないぞ、守銭奴」

「いや、ツッコミ入れてるじゃない…」

久しぶりに三人で酒を飲めたからだろう。

視察中だというのに、全員がなんとなく気が抜け、かなり酒が進んでいる。

「ところでレン、かなりの大金が懐に入った訳だけど何かしないのかい?美食とか美女とか?あぁ、エリザベートがいるから美女はないね」

特にアランは完全に出来上がっている。わざわざ虎の尾を踏むような真似をしてくれるな。

酒と苛立ちで顔を真っ赤にしたエリザベートがアランに食って掛かる。

「な、何言ってるのよ!なんでコイツと、その…そんな関係みたいな話になってるのよ」

「そんな関係って、どんな関係なのかなぁ」

「あんたねぇ!」

「はぁ…。お前らは静かに酒も飲めないのか?それに、金の使い道は決まってる」

こんなところでベラベラ喋るわけにはいかない用途だが。

あえて黙っていると調子に乗った酔っぱらいが捲し立てる。

「やっぱり美女か。エステル侯爵が喜ぶよ。孫ができるって。残念だったね、エリザベート」

「うるさいわね!…じゃなくて、何が残念なのよ!!」

店内に二人の絶叫が響いている。お前ら、まだ昼過ぎだぞ。


「お前らうるせぇ。…師匠からの課題だ」

そう言った瞬間、二人の雰囲気が一瞬で変わった。

目つきが真剣になり、神妙な面持ちになった。

アランが声を殺して聞いてくる。

「師匠からの課題…だね。あてはあるのかい?」

「こちとら、相手のことを色々調べてんだよ。敵がなんで腹を空かせていないかの理由もわかったし、俺が独自に考えていることもある。お前の愛しのレイもよくやってくてた」

「それで、敵はどうやっていたんだい?」

茶化してみたがまるで効かない。コイツらなんで軍事になるとこうも真剣になる?

そこまで戦争が好きか、戦争狂め。

「簡単だ。食料貯蔵庫が山の中に大量にあった。それも、わざわざ斜面を平坦に切り出して、だ」

昨日、レイから報告があった。一週間と言ったのに半月以上掛かってしまった事は悪と思っている。何か特別な報酬を用意しないとな。

「なんだ、そんな事だったんだね。戦の前に兵糧庫を作るなんてよくある話じゃ無いか」

楽観的なアランとは対照的に、苦虫を噛み潰した様な表情でエリザベートが呟く。せっかくの美人が台無しだな。


「…あんた風に言うなら、『最高ね』」

「あぁ、最高だ」

エリザベートと二人で絶望に打ちひしがれているとアランが困った顔で聞いて来た。

「ごめん、僕には話が見えないよ?兵糧庫があるなんてよくある話じゃないか」

戦いや商才はあるのに政治の話は点でダメだな。

目の前の敵を倒すのは得意でも戦争全体をどうやって勝つか、とかは考えられんタイプだな。

「良いか?平地に食料庫を作るのとは訳が違う。わざわざ斜面をぶった切って食料庫を作るなんて人手も金も馬鹿みたにかかる。切り出した土砂は運び出さなきゃならんし、周りで土砂崩れが起きない様に舗装も必要だ。そんなの一朝一夜でできるものではないだろ」

ここまで説明しても、まだ要領を得ない様子のアランにエリザベートが付け加える。

「それに、山中で兵糧庫から離れないために侵攻ルートも綿密に立てる必要があるの。山の中で道を間違えたら、山に適応しやすいエルフでも無い限り即刻餓死よ。そんな大層な事、神聖同盟でも楽には出来ないわ。…揺さぶりを掛けるとか、軽く小突いて見るとかにしては、あまりにも計画的すぎるのよ。つまり、『ちょっとした国境紛争』で相手は済ませる気はないのよ。はぁ…。あったら便利な場所、程度に思ってくれていればよかったのに…」


アランが軽くため息を吐きエリザベートに質問をする。

「『ちょっとした国境紛争』って…。それは元々分かっていたからレンがここに来たんじゃないの?」

この男は恐らく、神聖同盟とニタの国力の差を理解していない。

世界二大大国と呼ばれる国の一つとニタでは、天と地ほどの開きがある。

奴らに取っては『ちょっとした国境紛争』でもこちらに取っては国難なのだ。

未だに釈然としない様子のエリザベートが明らかに呆れた様子で言葉を続けた。

「その『ちょっとした国境紛争』でもニタに取っては、水源の重要性も含めて国難なのよ。…もうひとつの大国、北方連合との戦いの時は総力3000万人だったらしいわよ。せいぜいニタ王国は貴族連中も含めて500万が限界ね。20万なんて様子見に来ただけよ、奴らにしてみれば…ね。」

アランの顔が一気に凍りつく。

つまりは、神聖同盟がどれだけこちらに興味を示しているかで国難の規模が変わってくる。

そんな奴らが、様子見で苦戦したニタに対して全力で準備をしていた。

恐らく、冬が明けた春には、おそらく前回よりも多い軍がこちらにくる。

…まぁ、果てしなく続く国境の山を突破するには、1000万でも兵が多すぎる。

そこまでは来る事はできない。おそらくできないと思う。…思いたい。


それにしても、忘れがちだがこの世界はスケール感が頭がおかしい。

中世風味なこの世界で、弱小では無いが大国とは呼べないニタ王国ですら人口が日本の倍以上ある。

北方連合と神聖同盟が全力で絶滅戦争しようものなら兵士が合わせて1億人出て来ても不思議では無い。

と言うか、ニタの500万人でも十分におかしい。

地球上、恐らく最も多くの兵士が参加したであろうドイツ・ソビエト戦争でもそんなに動員されていないんじゃ無いか?


「あはは…。…それで3000万人をどうにかするために、お金を師匠の課題に使うんだね」

「あぁ、まぁ、そう言うことだ」

兵糧庫をこちらも作る。冬場に無理をして作れば、春までには完成できるはずだ。

師匠の提案した細い道で戦う方法であれば、敵に幾ら軍が居ても数の利がほとんど活かせない。

なにせあの道は100人も横一列に並べない。いくら数がいても同時に戦えるのは数十人程度だ。

つまりは、長く戦うための食料庫を作る金さえあれば何とでもなるのだ。

それに、だ。ちょっと試して見たい事がある。

あの時に見たアレを使えば、もっと汎用性の高い別の方法でいけるはずだ。

上手くいけば…。逆に領地を分捕れる。


そっとウィスキーに口をつける。他のグラスより形が良く、縁は丸みを帯びている。

中には気泡が一切なく、鉄の棒との付け根のあとは綺麗に消えている。

誰が作ったのかは直ぐに分かる。

(この職人芸が我々を、ニタ王国を救うかもしれないな)

口に広がった樽の香りは、確信に似た味をしていた。

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