第7話 貴族の日常

さて皆様は「貴族」と聞くと何を思いつくでしょうかねぇ。

華やかな舞踏会、豪華な屋敷、裕福な暮らし。

はたまた禁断の恋と、そこに渦巻く権力闘争。

全て正解だし、実際に見たり聞いたりもしている。

王族との面会が初めてだっただけで、領地に居たときも客人とは会っているし、社交界にもそれなりに出て居た。

そんなわけで人並み…貴族自体が人並みの存在でないが、人並みには噂は知っている。

「レン様」

その中でも、やはり王族にまつわる話は多い。何せ、貴族の力が年々強くなっているとは言え、一応この国の最高権力者だ。ちょっとしたことが様々な憶測を生み出し、憶測が憶測を生み出し、まぁ大変なことになる。

そんな噂によると、イザベラ王女に焦がれる御曹司は多い様だ。何せ美人でいらっしゃる。

「あの」

そこに権力のおまけ付きだ、まぁ、それなりの地位がある貴族は是非ともお近付きになりたいだろう。今は亡き王妃の代理も勤められており、ひょっとしたら後を継ぐかもしれない。

「あの…」

対して弟の王子陛下の方は浮いた話が非常に多い。直情的で、短慮な傾向があるそうだ。やんわりと男性を断っている王女とは真逆だな。男女の問題である内はいいが…。

…相続で揉めるなんて目も当てられない。

「……あの」

さりとて、自分はどうかと言うと正直、モテる。現子爵にしてエステル侯爵の養子。立場、万歳。義父上様々だな。

「…」

まぁ、現状は婚約もする気もないし、正直面倒な話———

バシィン!!

気持ち良い平手打ちの音と同時に左頬が一気に熱くなった。

「なに現実逃避しているのよ!腰抜け子爵!!はい、ソフィーが新しい書類を持ってきてくれたわよ。ソフィー。次、現実逃避して居たら同じ様にすると良いわ。」

「あ、あの…エリザベート様…。それは余りにも…」

少し背が高めな秘書が、深い赤色の目の瞳を泳がせて困っている。

そりゃそうだ。領主をビンタしろとか、ただのお付きの補佐にできるわけがない。

ましてや、儚さすら感じるほど大人しいこの女性にやれるはずがないのだ。

ソフィーから資料を受け取り、椅子に深く座り直す。


そして最初の質問に戻るわけだ。

さて皆様は「貴族」と聞くと何を思いつくでしょうかねぇ。

華やかな舞踏会、豪華な屋敷、裕福な暮らし。

はたまた禁断の恋と、そこに渦巻く権力闘争。

全て正解だし、実際に見たり聞いたりもしている。

が、本当の貴族とは所詮は政治家である。

つまりは…。目の前の書類の山を処理することが本来の役割である。

よく漫画やアニメで出てくる校長室の机程度に広い机に書類が溢れ、床にも山が数個ある。

こんなものをやれと言うのか。


軽く目を閉じ、ため息を吐く。

まぁ、現状は婚約もする気もないし、正直面倒な話では———

「あんた、また現実逃避しようとしているわね?」

伊達に付き合いが長くないな。この吸血女にはすぐにバレる。

「…こんな物どうしろって言うんだ。やってもやっっても終わらんだろ。勝てない戦はしないで逃げるのが一番だ」

「アホなこと言ってないってるんじゃないわよ。やなきゃ終わらないでしょ。あんたお得意の…釣り野伏だっけ?でも何でも使って勝つのよ」

「書類仕事に戦術もクソも…なるほど、『釣り野伏』ねぇ」

たった今、非常に良い考えが浮かんだ。この書類の山を3倍の速度で片付ける妙案をくれたエリザベートには感謝しないと。穏やかな微笑みを彼女に向ける。

その様子にエリザベートだけでなくソフィーまで困惑している。失礼な話だ。俺だって作り笑いの一つや二つ作れる。

「レン様が笑顔に…?初めてみました」

「な、何よ、滅多に笑わないあんたが何でそんな良い顔を…は!」

俺の企みに一早く気が付いたエルザベートが素早く部屋おから出ようとする、がもう遅い。

机から身を乗り出し、彼女の首元を素早く掴むべく手を伸ばす。残念ながら師匠にしごかれているこの身体は彼女程度に遅れを取らない。

「ひゃ!!」

俺の掌がエリザベートの首筋に触れると、いつもの彼女からは全く想像もできない様な色っぽい声を上げている。

美女の色声だが今はそんなことはどうでもいい。書類の山が優先だ。

「あぁ、悪いな。確か、あまり体を触られるのは得意では無かったな。…さて、エリザベート・ツェペシュ副官。釣り野伏は成功した様だ。大人しく投降したまえ」

「この…変態!!」

「普段から罵詈雑言を浴びせているのが仇になったな。まるでダメージが無い」

もう一度笑顔作り直し、ゆっくりとソフィーを見る。

「しばらくは追加の書類をを取りに行かなくて良い。さ、そこの椅子に座ってくれ」

「はい…」

ほんのりと赤みがかった髪の毛が悲しそうに揺れた。


二人の協力、もとい強要を得て書類の山と向き合っても、中々時間のかかる物だった。

昼から始めたのにも関わらす、終わる頃には間も無く日が落ちようとして居た。

休憩なしのぶっ続けで作業をしたため、二人とも完全に疲れ果てている。可哀想に。

残り少ない書類にサインをしながら、エリザベートが力なく呟く。なんか最近こんなこと多いな。

「あんた…何でそんなに平気な様子なのよ」

「前の世界ではガキの頃から毎日数時間座って書き物なんて当たり前なんだよ」

学校の授業も真面目に受けて居たし、受験勉強だって二回経験した。

生憎、異世界転生装置のおかげ様で一度しか受験できなかったが。

このくらいの時間書き物を続けること自体は問題がない。

「じゃあ、あんた一人でもどうにかなったじゃない!」

「できるかどうかと、やりたいかどうかは別の話だ」

「あんた…覚えて居なさいよ…」

「レン様…ひどいです…」

そんな風に項垂れる二人の前に静かにワイングラスを置く。

「…なによ、これ。」

「見ての通り、ワイングラスだが?」

「あんたにそれを作る時間なんて無かったじゃない」

「鍛冶屋の大将の自信作だそうだ。いらないのなら、俺が使うとするか」

手を伸ばそうとすると、エリザベートが素早く奪い去った。大切そうに胸に抱えている。

「まだ一週間そこらじゃない。もう売り出しても良いんじゃない?」

「色々準備があるんだよ。まだもう少し時間がかかる。今は俺の屋敷用の食器を作ってもらっている」

他の職人を雇う件とか、他の商会との兼ね合いとか問題は山ほどあるが、まぁ、アランに任せておけば大丈夫だろう。


今日最後の書類だ。

新領地の予想歳入と予定歳出、まぁ、所謂予算案だ。

予想収入は琥珀硬貨500枚。その殆どが農民から穀物で納めさせる税だ。

そして歳出が琥珀硬貨487枚。

残りは貯蓄として俺の懐に入る。すごく悪いことをしている気分になるが、そもそもの話としてここの収入は全て俺の私財だ。

さて、最も多くを占める歳出が軍事費。何と180枚も当てている。

王領をわざわざ分割してまで作った、ここの役割は北方の抑えだ。軍事優先になることは仕方がない。

本音を言えば、もっと資金を割いて軍事拡張をしたい。

しかし、お陰様でびっくりするほど社会福祉がない。夜警国家と揶揄をされても仕方がない有様だ。と言うか、この時代は、どの程度社会福祉が進んでいるのかさっぱりわからん。

それに、元の世界とは全く違う社会システムかもしれない。全くもって手探りの状態だ。


それでも…あの不愉快な山はどうにかしたい。その程度の社会福祉は確立したい。

別に正義感も英雄志望も無い。目の前に現れた者だけを救うと言うならば、不公平だし偽善だという批判もあるだろう。

知ったことか。ただ純粋に鼻に付く。クソ商人共も地獄と思える景色も。

それだけだ。俺自身のワガママだ。

そっとグラスを持ち上げる。この透明な美しさが、どこまで俺に力を金を与えてくれるだろうか。

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