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木曜日。絵梨と神戸まで買いに行った白のワンピースとライムグリーンのカーディガンを着て、髪もふんわりと巻いてから家を出た。彼女にそそのかされて、ネイルも新しく買った淡い水色で塗っている。今日の私は、自分でもちょっと可愛いと思う。
十三で神戸線に乗り換えて、いつもの特急に揺られながら大学へ向かう。今日はなんだかすっきりしない天気で、暗い雲が頭上を覆っていた。夜に少し降るかもしれないと予報が出ていたけど、まあ降られたら萱島くんの家に泊まればいいかなんて考えていた。一人暮らしの彼の家は大学のすぐそばにあって、男の人の部屋のわりには綺麗にしてある。前に泊まったときに、私の着替えも少しだけ置かせてもらっているのだ。
特急は武庫川の橋を渡って西宮北口で停車すた。たくさんの人が乗り込んでくるその中に、帽子さんの姿があった。彼は今日も扉の脇にすっと立って、扉が閉まり電車が発車すると、ぐるりと車内を見渡した。絵のモデルを誰にするか、選んでいるのだろう。私は彼と目が合わないように、吊革広告を眺めているふりをした。
帽子さんは懐からあの小さなメモ帳と鉛筆を取り出して、もう一度周囲を見渡してから何かを描きはじめた。彼の近くに立っている人は、みんな携帯電話を操作していて、彼の行動には全く注意を払わないでいる。彼は少し描いては手を止めて、目線をちらりと動かしてはまた鉛筆を走らせる。
どうやら今日のモデルは私ではないようだった。せっかくお洒落しているのだからと、なかば期待していたのだがこればかりは仕方がない。帽子さんは別に私のファンというわけではないのだから。
じゃあ今日はいったい何を描いているのか気になって、彼の視線を追ってみた。素早く動くその視線は、どうやら二人掛けのシートに座っている人を見ているようだが、私の立っているところからはよく分からなかった。だから私は扉の上の路線図を見るふりをして、帽子さんの隣に移動した。そうして彼に悟られないように、彼の左手に隠された手元のメモ帳を横から盗み見た。
女の人だった。
その人は一番手前のシートの通路側に座っていて、文庫本を読んでいる。長い髪を束ねて、白いブラウスの胸元におろしたその姿は、女の私が見てもため息が漏れるくらい綺麗だった。
彼はその女の人の美しさを、恐ろしいほど正確に描き出していた。長くカールした睫毛、小さくて少しとがったくちびる。ブラウスから覗く鎖骨と、文庫本を持つ細い指先。少し目にかかったさらさらとした黒い髪も、小さなシルバーのピアスが光る整った耳の形も、帽子さんが鉛筆を動かす度に鮮明に浮かび上がった。背景はシートの背もたれのみ、それも適当な線でざっとアタリをつけただけで、あくまで彼は彼女の美しさだけを丁寧に、それでいて素早く描き上げた。
一通り書き終わると、帽子さんはページをめくって、また同じ構図で彼女を描き出した。今度は線のタッチを変えているらしい。細く薄い線で、さっきよりもゆっくりと鉛筆を動かしている。
帽子さんの視線が、女の人の方に向けられる度に、私はなぜだか息苦しく感じた。同時に、彼のことを盗み見ているのが申し訳ないような気持ちになって、それ以上彼を覗くことができなかった。そうしている内に、大学の最寄り駅に着いてしまった。扉が開いて私が降りようとしたとき、帽子さんはメモ帳を自分の身体の陰に隠して、降りる客の邪魔にならぬようにそっと身を壁に寄せた。私はそのすぐそばを、彼の方を見ないようにして通り抜けた。
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