閑話37 ドーナン準男爵領とヴェンデリン(その2)

「キーナン、やっぱり私では旦那様のようにはできないみたい」


「奥様……」



 夫の急死から三年。

 私はドーナン準男爵家の当主代理として頑張ってきたけど、領地の状態は現状維持が精一杯だった。

 農地はまったく拡げられず、今年も領地を出て行く若者が多い。

 農地を与えられなければ、主要な産業が農業しかないドーナン準男爵領では生きていけないから仕方がなかった。

 領地の大半を占める、円形山からの産物にも期待できない。

 石混じりの痩せた土なので薪とわずかな山菜、キノコ、小動物が少し採れるくらいだから。

 円形山を削って農地を拡げるという案は昔から出ているけど、円形山は脆いから、少し大雨が降ると土砂が崩れて畑に被害が出てしまい、その復旧に時間がかかってしまう。

 領民たちも手が空いてるわけではないので、農地を拡げるなんて不可能に近かった。


「旦那様ならどうしたのかしら?」


「奥様、残念ですが、ロバート様が領主のまでも、それほど状況は変わらなかったと思いますよ」


「そうなのですか?」


「ええ、私は三代前、ロバート様のお祖父様の代からドーナン準男爵家にお仕えしておりますが、すべてのお館様の共通した悩みだったのです。そして、どなたも解決できませんでした」


「そう……」


 どうにか円形山を切り崩して農地を拡げるという夢を持ちながらそれを達成できず、農法の改良で収穫量を増やそうとした。

 だけどその成果はほとんど出ず。

 私も同じですけど……。


「奥様、こうなったら外の力を借りるしかありません」


「外……寄親のブライヒレーダー辺境伯様ですか?」


 小領主混合領域にあるドーナン準男爵家の寄親は、ブライヒレーダー辺境伯様だと聞いています。

 ですが、旦那様の葬儀に名代の方が出席したのみで、ほとんど縁がありません。

 どのような方なのでしょうか?


「よく知らないブライヒレーダー辺境伯様に支援を要請して、本当に助けてくれるのでしょうか?」


 残念ですが、ブライヒレーダー辺境伯様は現在お忙しい身です。

 支援要請の手紙を送ったところで、同じような手紙を出している貴族たちに紛れて気がつかれないかもしれません。

 現在のブライヒレーダー辺境伯様は、あの竜殺しの英雄バウマイスター辺境伯様と組んで、領地が劇的に発展しているとか。

 その分お忙しいはずなので、もし私たちことが目に留まっても、支援要請が受け入れられるかどうか……。


「同じ待つにしても、イレーネ様はレクター様の継承の儀で陛下から名前で呼ばれ、ドーナン準男爵家の苦境を覚えていらっしゃるはず。王国に訴えかけた方がいいかもしれません」


「そんなこともありましたね。陛下は私のことを覚えておいででしょうか?」


「ドーナン準男爵家は特殊な事情を抱えた家です。他の記憶に残っているはず。なあにもし駄目なら、ブライヒレーダー辺境伯様に直訴するという手もありますから」


「そのような不義理をして大丈夫なのでしょうか?」


 どちらにも支援を要請した事実が知られたら、ドーナン準男爵家は不義理だと思われないでしょうか?


「こちらの訴えを無視した王家が、わざわざブライヒレーダー辺境伯家にドーナン準男爵家の不義理を報告するはずがありません。それに、ロバート様や代々のお館様の願いは無視され続けていましたから、気にしても仕方がありません」


「そうですね……。もはや自力では、この領地の状態を変えることは難しいでしょう。手紙を書いてみます」


「それがよろしいかと」


 私は、レクターのためならどんなことでもすると決意したはずです。

 領地支援の手紙を王家に書くくらいの手間を惜しんでは駄目ですね。

 急ぎ、王家に手紙を書いてみましょう。





「ドーナン準男爵家ですか? 王国貴族はあまりにも多く、なかなか覚えられません」


「無理して覚える必要もないし、余も覚えてはおらん。ただ、ドーナン準男爵家は、ちと同情する境遇での。継承の儀のことをよく覚えていたのだ」


「どのような貴族なのです?」


「ドーナン準男爵家はのぅ……」


 突然陛下に呼び出された。

 何事かと思って王城に駆けつけると、とある貴族を助けてほしいそうだ。

 ドーナン準男爵家というらしいが、忙しい陛下が一準男爵家を気にするのは珍しいことである。

 その詳細を聞くが、確かにちょっと気になるというか、同情してしまう。

 前当主が落馬事故で急死してしまい、生まれたばかりの赤ん坊が次期当主となった。

 勿論赤ん坊に領地の統治なんてできないから、赤ん坊の母親、前当主の奥さんが代理の領主として領地の統治に当たっているそうだ。


「大変そうですね」


「領地自体もよくないようだな」


「ええ」


 王国が調べたドーナン準男爵領に関する報告書に目を通してみるが、領地の大半が石混じりの痩せた土で構成された山で占められ、囲まれており、中央のわずかな盆地で主に農業をして暮らしているかぁ。

 山を切り崩して農地を拡げようにも、大雨が降るとすぐに山が土砂崩れを起こして農地が埋まってしまうから、その復旧をしないといけない。

 農地が少ないから領地を出ていく若者も多く、余計に人手を確保するのが困難なのか。


「しかしながら、ドーナン準男爵家はブライヒレーダー辺境伯家の寄子です。陛下が手を貸して大丈夫ですか?」


 たとえ王家でも、寄子に手を出されると大貴族は嫌がる傾向にあるからなぁ。

 貴族のプライドって本当に厄介なんだよなぁ。


「それも考えたので、バウマイスター辺境伯に頼みたいことがあっての」


「はあ……」


「ドーナン準男爵家のことはそなたが気がついたことにして、あとでブライヒレーダー辺境伯に報告してほしいのだ。報告のタイミングは任せよう」


「了解しました!」


 なんか、陛下からスゲエ無茶振りされてるような気が……。

 しかしながら、俺はヘルムート王国の貴族。

 上司の無茶振りには、前世の会社でも慣れている。

 ドーナン準男爵家の現状にも同情してしまうから、パパっと解決してしまおう。




「(……陛下が、ドーナン準男爵家のことをよく覚えていた理由が判明したぁーーー!)」


「バウマイスター辺境伯様、この度のご支援、感謝の言葉もありません」


 ドーナン準男爵家の代理領主であるイレーネさんは、ビックリするくらい綺麗だった。

 俺は陛下も男性なんだなって、ある意味納得してしまうのであった。






「しかしまぁ、これは俺でも少し時間がかかるかも」


 陛下の依頼を受け、俺はドーナン準男爵領を囲むように存在する、円形山を上空から見下ろしていた。

 これのせいで、ドーナン準男爵領は他の領地とのアクセスが悪く、ブライヒレーダー辺境伯がこの現状に気がつかなかったのは、ドーナン準男爵領が陸の孤島だからであろう。


「バウマイスター辺境伯様、いかがでしょうか?」


「ええと、円形山を内側から崩すと、土砂崩れが発生した時に畑を巻き込んでしまうので、これを復旧させるためにさらに労力がかかるというジレンマが発生します。そこで、円形山の外側から土砂を削っていきます


 円形山の外側から山を削っても土砂崩れのリスクは変わらないけど、円形山の内側の農地に被害が出ない。

 じゃあ、ドーナン準男爵家は最初からそうすればいいじゃないかという話になると思うが、円形山は標高数百メートルもあり、幅も広い。

 円形山の内部にある家や畑から、円形山を超えて外縁部まで移動して、山の土砂を削っていく。

 それも人力で。

 普段の仕事もあるし、ドーナン準男爵領は人口も少ない。

 どう計算しても、そんなことは不可能だという結論しか出なかった。


「円形山を魔法で崩して、これを魔法の袋に回収します。ドーナン準男爵領がまっ平らになるのに何日かかるかな?」


「ドーナン準男爵領のために、お忙しいバウマイスター辺境伯様にお手間を取らせてしまって申し訳ありません。本当は、ドーナン準男爵領が魔法使いに報酬を支払ってお願いするのが筋なのでしょうが……」


 イレーネさんが大変申し訳なさそうに言うが、美人は謝っても美人なんだなと、俺は改めて気がついた。

 陛下からの情報によると、ドーナン準男爵家に借金はないけど、あまり裕福とは言えない状態らしい。

 優れた魔法使いに支払う報酬は出せず…… たとえ報酬が払えたとしても、この手の仕事を引き受ける魔法使いはとても少ない。

 俺は毎日のようにローデリヒに扱き使われて慣れているが、そんな魔法使いは珍しいのだから。

 そりゃあ優れた魔法使いほど。派手に攻撃魔法をぶっ放したがるものさ。

 気持ちいいからな。


「あっそうだ。この仕事なんですけど、俺がやることを内緒にしておいてほしいのです。流れの魔法使いに、たまたま仕事を頼めたことにしてほしいんです」


「バウマイスター辺境伯様がそう仰るのなら、言われた通りにいたしますが……」


 イレーネさんが、どうして俺がその功績を隠すのだろうと、不思議そうな表情を浮かべているけど、もしドーナン準男爵領の開発を俺が手伝ってことが表沙汰になると、俺の仕事が増えてしまう可能性があるからだ。

 ドーナン準男爵領にはやむにやまれぬ事情があるが、世の中には自分はろくに努力もしないくせに、人になにかをしてもらって当たり前だと考える駄目な人間がいる。

 それは貴族にもいて、そんな駄目貴族たちの依頼をすべて受けていたらキリがなくなってしまう。

 今回は陛下の命令だから受けたんだけど……イレーネさんの美人ぶりを見ていると、もしや陛下はイレーネさんに?

 ……これは君子危うきに近寄らずだな。

 俺は陛下の命令に従い、ドーナン準男爵領の円形山をまっ平にすればいい。

 名前を隠すのも、本来ドーナン準男爵領の支援要請を受け入れる資格があるのは寄親であるブライヒレーダー辺境伯家なんだけど、ブライヒレーダー辺境伯もそう簡単に無料奉仕で円形山を削ってはくれないわけで……でも頭ごなしにやられたら気分もよくないだろうから、在野の魔法使いヴェンデリンがこの仕事を引き受けた形にしたわけだ。

 どうせすぐにバレるけど、ブライヒレーダー辺境伯もイレーネさんの美人ぶりを見たら、どうして陛下がドーナン準男爵領のことに介入してきたのか理解してくれるはず…… しかしながら陛下とイレーネさんって……本当のところはどうなんだ?


「(いやいや、そういう危険に極力関わらない平和主義なのがが俺のいいところだ。俺ただ、円形山を切り崩せばいいんだ)」


 ドーナン準男爵領で開拓可能な土地が広がれば、それで俺の仕事は終わりなんだから。

 というわけで、早速円形山を外側から崩して魔法の袋に入れていく。

 あっ、そうそう。

 俺が普段ローデリヒから頼まれている、バウマイスター辺境伯領内の土木工事だけど、事情を説明したら、しばらくこちらに集中して構わないと言われた。

 あのローデリヒをして、陛下からの命令という事実には逆らえなかったようだな。


「ふう……大分、山の掘削と土砂の回収は進んだな」


 この仕事、色々と事情があって報酬は出ないけど、土砂は自由にして構わないとイレーネさんから許可を貰った。

 残念ながら円形山を構成している土や石からはなにか資源が採れるわけでもなく、ほとんど価値がないのでバウマイスター辺境伯領内の埋め立てに使わせてもらおうと思う。


「魔力をほぼ使い切ったな」


 ローデリヒからはしばらく領内の土木工事をしなくていいと言われているし、一日でも早く終わらせるに限る。

 そこで魔力を使い切るまで作業を行い、夜はドーナン準男爵家邸に泊まることになった。


「(美人と一晩……ってもなぁ……)」


 もしイレーネさんが陛下のお気に入りなら、 そんな関係になった時点で俺は処刑か、追放フラグが立ってしまう。

 それに、こう言うと怒られてしまうかもしれないけど、俺はバウマイスター辺境伯だ。

 美人と知り合う機会なんてそう珍しくもない……。


「今日はお疲れ様でした。夕食をどうぞ」


 ドーナン準男爵家邸はやはりそこまで立派ではないが、昔のバウマイスター騎士爵家邸よりは大きかった。

 食堂もあり、そこではイレーネさんが作ってくれた食事が提供されるのだが、揃えられる食材に限度があるにも関わらず、エリーゼが作る食事にも負けない美味しさだった。


「大したものはお出しできませんが、遠慮なく召し上がってくださいね」


「はい」


 ドーナン準男爵家はそれほど裕福ではないうえに、日々しっかりと節約に励んでいるようだ。

 使用人の姿もなく、給仕もイレーネさんだったが、非常に手際もよかった。


「私は貧しい騎士爵家の出ですし、ドーナン準男爵領はずっとこの状況ですから、なかなか豊かになりません。レクターにも貴族だからという理由で贅沢に溺れないよう、しっかりと教育をしています。今日はバウマイスター辺境伯様がいらっしゃるので、少し豪勢にしていますけど」


「本当に豪勢だ。昔の実家の食事は、それは酷いものでしたから」


 俺は、イレーネさんが作った食事を食べながら昔の話をした。

 別にそんなことをする必要はないのだけど、美人相手だとつい口が軽くなるというのは非モテ男子あるあるだと思います!


「そのような境遇から、バウマイスター辺境伯様になられたのですね。レクターも、バウマイスター辺境伯様のように強く育ってほしいものです」


 さっき挨拶をしたけど、イレーネさんの教育がいいのだろう。

 わずか三歳にしてドーナン準男爵家を継いだレクター君はとてもいい子だった。

 彼ならきっと、素晴らしいドーナン準男爵になってくれるはずだ。

 などと思っていたら、食堂のドアの方から視線を感じる。

 視線を向けると、レクター君が俺を興味深そうに見ていた。


「レクター、はしたないですよ。すみません、あの子には父親の記憶がないので、同じような年齢の男性が気になるのだと思います」


「そう言われると、うちの子供たちとあまり年齢が違わないんだよなぁ。ご馳走様、ようし絵本を読んであげよう」


 フリードリヒたちには俺がいるけど、レクターは生まれてすぐに父親を亡くしてしまった。

 どうせこのあと寝るまですることもないから、俺はリビングでレクターに魔法の袋から取り出した絵本を読んであげた。


「漁師が砂浜を通りかかると、子供たちが亀を虐めていました。『駄目だよ。亀を虐めては』。漁師が子供たちから亀を助けて海に帰してあげました。それから三日後、再び同じ砂浜を通ると、そこには先日助けた亀の姿が。『先日は助けていただきありがとうございました。お礼に竜宮城へと案内しましょう』。漁師が亀の背中に乗って海の底にある龍宮城へと向かうと、そこには乙姫様がいて、亀を助けてくれたお礼に、漁師を歓待してくれたのです。毎日飲めや歌えやの大宴会で楽しかった漁師ですが、さすがに家族のことが心配になって地上に戻ることにしました。その時に乙姫様は、漁師に玉得箱を渡します。『決して、この玉手箱の中身を開けてはいけませんよ』。漁師は再び亀の背中に乗って砂浜に戻るのですが、家に戻っても家族もいなくなっており、知り合いにも一人も会うことが出来ませんでした。なんと、漁師が竜宮城で楽しく遊んでいるうちに、地上では七百年もの月日が流れていたのです。知り合いも家族もすべて死んでしまい、自分一人になってしまった漁師は絶望し、乙姫様が決して開けるなと言われた玉手箱を開けてしまいます。すると玉手箱中から白い煙が吹き出し、それを浴びた漁師はお爺さんになってしまったのでした」


「……」


 すべて前世で聞いたおとぎ話のパクリだが、フリードリヒたちのみならず、レクターにも好評だった。

 そして、やはり彼はとても賢いと思う。

 顔立ちも非常に整っており、これはきっと母親の遺伝なんだろう。

 将来はイケメンになるはずだ。


「本当にすみません」


「気にしないでください。普段は自分の子供たちに読んで聞かせているので、少しは慣れているんですよ」


「とてもお上手でしたし、初めて聞くおとぎ話ですね」


「世界は広いので、こんなおとぎ話もあるんですよ。それを絵本にしました」


 本当は前世地球のおとぎ話をパクって絵本にしただけなんだが、これがバカにできない売上を誇っていた。

 リンガイア大陸は人口が急激に増えているので、子供向けの商品がよく売れるからだ。

 少子高齢化で悩む現代日本とは真逆だな。


「お茶をどうぞ」


 イレーネさんが食後のマテ茶を淹れてくれたが、こちらもエリーゼと遜色ない美味しさだ。

 美人で、料理ができて、しっかりしている。

 恋人にするにも、 奥さんにするにも理想の女性だと思う。

 だから陛下が……おっと、これ以上の詮索は危険だな。


「あっそうだ。レクター、クッキーを食べるかい?」


「はい」


「いい返事だ。はいどうぞ」


「ヴェル小父さん、とっても美味しいです」


 レクターは、笑顔でクッキーを食べている。

 やはり子供は、笑っていた方がいいな。


「ヴェル小父さん、おやすみなさい」


「おやすみ、レクター」


 今の俺は、ドーナン準男爵家に雇われた謎多き魔法使いという設定なので、レクターには『ヴェル小父さん』と呼ばせていた。

 まだ二十歳そこそこの俺が『小父さん』ってのもどうかと思うのだけど、この世界だと若くに子供を持つ人が多いので、そのぐらいの年齢でも小父さんと呼ばれている人は多いから特に気にならない。

 クッキーを食べ終えたレクターは、歯を磨いてから就寝した。

 子供はちゃんと寝ないと育たないから、早く寝るに限る。


「レクターによくしてもらってありがとうございます。あの子は父親を知らないので……」


「前のドーナン準男爵、ロバート殿ですか……」


「ええ、レオンが生まれたばかりの頃に、不運な落馬事故でした。あの人は乗馬がとても上手で評判だったのですが……」


 この世界の貴族はよく馬に乗るので、 若くして急死する原因の多くが、この落馬事故であった。

 いくら馬に乗るのが上手でも、時にミスをするのが人間という生き物だからだ。

 俺もたまに馬に乗るけど、そんなに上手ではないことを自覚しているので、基本的に無理はしないようにしている。

 いざ落馬した時も、魔法で……これは反応できればいいな。

 だから俺は、あまり馬に乗らないのだろう。


「それから三年、イレーネさんは当主代理としてこの領地を治めてきたのですか」


「はい、この三年間必死だったことだけはよく覚えています。ですが、ドーナン準男爵領は貧しいままです。このところ自信がなくなってきました。私がこれ以上この領地に関わっていいものかと。このところ自信がなくなってきまのです……」


 気持ちはわからなくない。

 俺とそんなに年齢が違わない女性が、少なくとも息子が成人するまで准男爵領を統治していかなければいけないのだから、不安になって当然だろう。

 そして、憂いを帯びたイレーネさんはやはり美しい。

 きっと陛下も、不安げな表情で継承の義を受けた彼女が記憶に強く残ったんだろうな。


「(だから陛下は、自分の側室にしようとしているのか? いや、そうと決まったわけではないよな)正直に言えば、イレーネさんに領主としての才能があるのか、俺にはちょっとわかりません。ですが、イレーネさんはこのドーナン準男爵領の統治者に相応しいと思っています」


「どうしてそう思われるのですか?」


 イレーネさんが俺の言葉を聞き逃すまいと顔を近づけてきたが、これはクラクラくるな。

 彼女はもの凄い美人だから、中には勘違いする男性もいそうだ。


「領主の仕事というのは、時間が経てば誰にでも覚えられることですから。それよりも、領民たちに好かれる方が大切なんです」


 基本的に領主は統治能力に長けていた方がいいが、それを持っていても領民たちのウケが悪い貴族というのは存在する。

 逆にイレーネさんみたいに、領主としての実力は未知数でも、領民たちに人気がある貴族というものも存在した。

 これがいわゆる、カリスマというものなのかもしれない。

 確かにドーナン準男爵領は貧しいのだけど、イレーネさんの人気は高かった。

 彼女が領主代理であることに不満を持つ領民はおらず、それは彼女がとても美しいからだという理由もあるが、性格も穏やかで、重税を取らずに慎ましやかに暮らしており、領民たちの話にもよく耳を傾けているからだと思う。


「だからイレーネさんは、今のままでいいと思いますよ」


「バウマイスター辺境伯様からそう言っていただけて心が落ち着きました。このドーナン準男爵領の将来を考えると、時おり不安で堪らなかったのです」


「その将来のために俺はいるのですから。さあて、明日も早いからもう寝ようかな」


「おやすみなさいませ、バウマイスター辺境伯様」


「おやすみなさい」


 今気がついたが、夜着姿のイレーネさんはやはり美しい。

 多数の騎士爵、準男爵家の中で陛下の印象に残ったのもよくわかるというか。

 ただ俺も、昔に比べると美人にそこまでトキメかなくなったというか。

 ドキドキはするけど執着みたいなものはなく、これも奥さんの数が多いせいだろうか?

 とにかく明日に備えて早く就寝し、魔力の回復をはからないと。

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