閑話37 ドーナン準男爵領とヴェンデリン(その1)
「奥様、今回の収穫は例年どおりでした」
「ご苦労様、これもみんなが頑張ってくれたおかげですね」
「いえ、今回こそは収穫量を増やそうと、肥料を増やしたり、水のあげ方を工夫してみたりしたのですが、成果が出なくて申し訳ないです」
「凶作になったわけではなくて、みんなどうにか食べられるのですから、謝る必要はありません。また来年頑張れはいいのですから」
「次も色々と試して、収穫量を上げられるようにしたいですね。ですがやはり、円形山に囲まれたドーナン準男爵領では劇的な収穫量の増加は難しいです。この領地の大半を占める、円形山をどかさない限りは」
「そうですね。でも山をどかすなんて、それこそ神の所業ですよ」
「円形山に囲まれた僅かな土地での農業では農地も増やせませんし、そういえばアルトのところの三男が領地を出るので、来週、奥様に最後のご挨拶に伺いたいそうです」
「農地を用意できないばかりに、また若者がこの領地を出てしまうのですね。私が不甲斐ないばかりに……」
「奥様はまだ幼いレクター様の名代として、立派に領主代理としての大役を果たしておいでではありませんか。それに農地不足は、代々のお館様たちでも解決できませんでした。亡くなられたロバート様もです」
「そうですね……。このドーナン準男爵領を囲む円形山は、まるで牢獄のよう……」
今回の収穫について、執事のキーナンが報告にやってきました。
豊作ではないけど、凶作でもない。
色々と試して収穫量の上昇を目指したのですが、残念ながら成果はありませんでした。
私が領主代理を勤めるドーナン準男爵領はその大半を石混じりの円形山が占め、その真ん中にある狭い土地で農業をし、どうにか生計を立てています。
ですがこれ以上の農地拡大は難しく、執事のキーナンが領民たちと創意工夫しているもののなかなか収穫量は上がらす、近年では農地を貰えない若者が領地を出て行くことが増えました。
領民が増えなければ領地の発展も難しく、それならばと、農地を拡げるために円形山を崩すことを過去の領主は試したようですが、そのせいで山崩れか発生して領民に死者も出たそうで。
さらに普段の農作業の合間に山を切り崩すことは難しく、なにより今のドーナン準男爵領で新しいことをするのは難しいのです。
「レクター様が成人なされば、きっとこのドーナン準男爵領も……」
「そうですね」
ドーナン準男爵領の一番の問題は、女性である私はあくまでも領主代理でしかなく、本当の領主である一人息子のレクターがまだ三歳でしかないことでした。
いくら私がレクターの母親でも、大胆に新しいことを始めるのは難しいのです。
レクターが成人してからでいい、と思う家臣や領民も一定数いて、これも長年内に籠ってきた領地の弊害かもしれません。
「奥様、お疲れのようですね。ああ、ハンス様が生きておられたら……」
「(旦那様……)」
まだ三歳でしかないレクターがドーナン準男爵領の領主になってしまったのは、私の夫であるハンス様が、レクターが生まれたばかりの頃、落馬事故で呆気なく亡くなってしまったから。
私は夫を亡くした悲しみに耽る暇すら与えられず、生まれたばかりのレクターの育児をしながら夫の葬儀を取り仕切り、遠路はるばる王都へとまだ赤子であるレクターを抱きながら向かい、爵位と領地の継承を行いました。
当然新しい当主はレクターなのですが、生まれたばかりの赤子が儀式などできるはずもなく、レクターを抱いた私が陛下からお言葉をいただきました。
「過去にこのようなことがなかったわけではないが……。ドーナン準男爵家が末長く続かんことを。イレーネと言ったな、大義である。そなたを、レクターが成人するまで領主代理として認めよう」
陛下はお忙しい身ですし、王国にいる騎士爵と準男爵の数を考えたら、継承の儀式で名指してお言葉をかけられるなど滅多にあることではないそうで、それだけ私の状況が特殊な証拠でしょう。
どうにか無事にレクターへの爵位と領地の継承が終わりましたが、生まれたばかりの赤ん坊に領主の仕事ができるわけがなく、陛下は私を領主代理に任命してくれました。
当然ですが私には領主としての経験などなく、本当は誰かに任せたかったのですが、そうも言っていられませんでした。
「イレーネ、ドーナン準男爵領だがな。俺に任せろよ」
ドーナン準男爵領からさほど離れていない、私の実家ルペン騎士爵家の次期当主にして私の実の兄であるボルクが、私の代わりにドーナン準男爵領を取り仕切ると言い出したのです。
「お前は女だからな。ルペン騎士爵家の次期当主である俺に、ドーナン準男爵領のことは任せておけ」
「……」
実の兄ながら、いえ実の兄だからこそ、ボルクにドーナン準男爵領のことを任せることはできないと私は思いました。
彼は酷薄な性格をしており、さらに浪費家でもあって、度々父がボルクが作った借金の清算をしているような状態だったからです。
もし彼にドーナン準男爵領のことを任せたら、大喜びで無駄な浪費を重ね、重税をかけるようになるでしょう。
かといって、両親にも頼れません。
両親は兄ボルクに甘く、浪費で借金を作ってもすぐに補てんしてしまい、ルペン騎士爵家はかなりの借金を抱えていたのですから。
ルペン騎士爵家の跡取りである兄ボルクが、ドーナン準男爵を取り仕切ると言っても両親がなにも言わないのは、これ以上彼の浪費で借金を増やしたくないからでしょう。
兄ボルクが、ドーナン準騎士爵家の財布に手を出すのは構わないと思っている。
「(旦那様が残してくれたドーナン準男爵家に手は出させません!)兄さんは、ルペン騎士爵領の統治で忙しいでしょうから、ドーナン準男爵領のことは私がなんとかします。ご安心を」
「なっ! いや、お前は女なんだから、俺に任せろって!」
ドーナン準男爵家から遊興費を抜けると思っていた兄ボルクは、私が自分で領地を治めると宣言したら、あきらかに動揺した表情を浮かべました。
また両親に隠れて、新しい借金を作ったのでしょう。
だから、私の代わりにドーナン準男爵家を統治するフリをしてお金を抜きたい。
私の実の兄ながら、見下げ果てた男です。
「(旦那様、私をお守りください)私は陛下より直々に、レクターが成人するまでドーナン準男爵領の統治を任されたのです。他人に任せるわけにはいきません」
本当は、兄に任せたらろくでもないことになるからですが、今はなるべく波風立てないように……。
しかしながら、お金を抜けるかどうかの瀬戸際なので、兄は食い下がってきます。
「まあ、そう杓子定規に考えずに。イレーネが領主代理なのは変わらないさ。俺に領地の統治を任せてくれたらいい。世の中には、いるだけの領主や領主代理も珍しくないじゃないか」
確かに兄の言うとおり、いるだけの領主は存在しますし、ましてやリリーフである領主代理なんて、大半が亡くなった貴族の妻か娘なので、親族や家臣にお任せな人か大半だったのですから。
ですが、私はここで引くわけにはいきません。
確かに旦那様とは政略結婚でしたが夫婦仲はよく、短い結婚生活でしたが私は実家にいた時よりも幸せだったのですから。
次期領主だからといって、バカな兄がなにをしても庇ってお金を出し、結納金目当てで私と旦那様を結婚させた両親も同じくらい信用できません。
「いえ、ドーナン準男爵家の新当主は私の息子レクターなので、彼が成人するまではその母親である私が領主代行として領主を治めます」
「なあ、そう言わずにボルクに任せたらどうかな?」
「ボルクが次期ルペン騎士爵領を上手く治めるため、経験が必要だと思うのよ。私たちは家族じゃないの」
「……」
父も母も、そうやって兄を甘やかすから駄目なのに。
なにより、跡取りである兄ばかり可愛がって、私を政略結婚の駒としか思っていなかったくせに、今さら家族だからなんて……。
この人たちは、本当に自分のことしか考えていないことがよくわかりました。
「(兄のくだらない浪費のために、そうでなくてもギリギリの生活をしている領民たちを犠牲にできない)いえ、ドーナン準男爵家の統治は私が行いますので」
「人が優しく言っているうちに首を縦に降るんだな! ドーナン準男爵領の支配権を寄越せ!」
「兄さん、ついに本性を現しましたね。またどこかで内緒の借金でも作ったのですか? 父上、母上、いい加減兄さんに厳しく言った方がいいですよ」
「……なあ、ドーナン準男爵領なんて、所詮は他所の領地じゃないか。少しくらい、ボルクがいい思いをしても……」
「私たち、家族じゃない」
もううんざりした。
やっぱり両親は、ルペン騎士爵家の跡取りである兄のことしか考えていない。
それでいて兄の不行状を止めることをせず、そのせいでルペン騎士爵家の借金が嵩んだら、私に対し殊更家族の絆を強調して、ドーナン準男爵家からお金を抜くことを容認させようとする。
これまでは兄だけが悪いと思っていたけど、両親も同罪だとよく理解できました。
「(レクターのためにも、私は強くならないと!)ルペン卿、私はドーナン準男爵家の領主代理イレーネ・ヘルガ・フォン・ドーナンです。あなた方の要求はうけいれられません。それでは失礼します」
「イレーネ! 妹が! 女が! 兄である俺に逆らうのか!」
「イレーネ、なんのためにお前をドーナン準男爵家に嫁がせたと思っているんだ! 死んだロバートの野郎! こっちが借金を申し込んでも断りやがって!」
「イレーネ! あんなケチ臭い男に操を立てる必要なんてないじゃないの! あんたは見た目だけはいいんだから、大貴族の後妻に押し込めて、仕送りさせようと思ってたのに!」
元家族が愚にもつかないことを捲し立てているけど、私はそれを無視してルペン騎士爵領を出た。
呼び出されたから来てみたけど、はっきり言って時間の無駄だったわ。
あんな家族でも、家族だからと来てみればこの様。
私の家族はもうレクターしかいないのだと覚悟を決め、ルペン騎士爵領にはもう二度と戻らないことを決意します。
悲しくなんて微塵もないと思っていたけど、ルペン騎士爵領を出たら涙が溢れてきた。
でもイレーネ、もうあなたは泣いてはいけないのよ。
レクターのため、ドーナン準男爵領のため、強く生きていかなければいけないのだから。
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