閑話34 世界が変わっても、婚活であり得ない条件を出す人はいる(その5)

「バウマイスター辺境伯、このシルヴィアを見て可哀想だとは思わないのか? ここでシルヴィアを正妻に迎え入れることで、貴殿の度量を世間に対し示すべくだと思う。そうすることで、貴殿の評判は大きく上がるはずだ」


「……(えっ? どうしてそうなるの? 娘が迷惑をかけた件を俺に謝って、彼女を引き取るのが普通だよね?)」




 みんな、こんな娘がいるロッテンマイヤー公爵に対しては同情的だったんだが、屋敷にやって来た彼の発言を聞いた瞬間、それはすべて吹き飛んだ。

 七十歳を超えているであろうロッテンマイヤー公爵は、シルヴィア嬢が可哀想だから、俺が正妻に迎え入れた方がいいとドヤ顔で言い始めたのだ。

 彼とシルヴィア嬢以外は呆れ果て……というか、ロッテンマイヤー公爵に同行している家臣たちですら、『それは無理です!』といった表情を浮かべていた。

 彼らはロッテンマイヤー公爵の後ろにいるから、その表情が彼には伝わらないのだけど。


「(この親にして、この子ありだな)ロッテンマイヤー公爵、あなたは王家にも近い、王国を支える大貴族なのですから、そのような不見識な発言はなさらない方がよろしいと思います」


 もしロッテンマイヤー公爵がこのような発言をしたと世間に知られたら、ロッテンマイヤー公爵家の評判はガタ落ちどころではないからだ。

  爵位が低い貴族の当主に、その当主の母親と同じような年齢の娘を正妻として押し付ける。

 下手をしたら王国貴族たちが王国に対する忠誠心を失いかねず、これがもし戦乱期なら、バウマイスター辺境伯家とロッテンマイヤー公爵家との争いにもなりかねないのだから。


「若造が、公爵であるワシに意見するのか?」


「意見ではありませんよ。そんなことをすると、あなたにも、ロッテンマイヤー公爵家にも不幸が襲うという話です」


 ロッテンマイヤー公爵は年を取ったせいで判断力が鈍ったせいか、それとも加齢により気が短くなったせいか、俺がシルヴィア嬢を正妻にすることをキッパリと断ったらいきなり怒鳴られてしまった。

 同じ貴族を怒鳴りつけるなんて、常識がないにも程がある。

 彼の背後で、同行している家臣たちが『あちゃぁーーー』といった表情をしているが、残念ながら彼を止めることはできないだろう。

 なぜなら、もし年を取って気が短くなり激高しやすい主人に意見しようものなら、自分がクビになってしまうかもしれないからだ。


「(サラリーマンも、貴族の家臣も同じか……。勤め人は辛いものよ。だが……)」


 小さなことならともかく、今回の件は家の存続に関わるので、誰か一人ぐらいクビになる覚悟で主人を諫める家臣が……無理だろうな。

 現代日本だって、自分が所属している組織や会社のトップが不正を働いていたり、おかしなことをしたとしても、自分がクビになるリスクを犯してまで諌める人なんて滅多にいないのだから。

 人間というのは誰しも、自分が一番可愛いものだからだ。


「王族の血を引くこのワシを脅かすのか? バウマイスター辺境伯、貴殿の今の言葉を不敬なものとして、陛下にお伝えしてもよろしいのかな?」


「ご自由にどうぞ」


「なっ!」


 年を取って判断力が落ちたのか、 それとも元々こういう性格なのか。

 ロッテンマイヤー公爵が『陛下に言いつけるぞ!』と、まるで小学生のようなことを言い始めたが、俺は好きにしてくれと答えた。

  万が一にも陛下が俺を咎めるようなことがあれば、いつでもアーカート神聖帝国に逃げ込むつもりだし、間違いなく陛下は、ロッテンマイヤー公爵の常識のなさを注意するだろうな。


「( 娘可愛さで判断が鈍っていると思いたいが……)とにかくこちらからとしては、屋敷の中で暴れるお嬢さんを連れ帰ってほしいのですよ。そして、二度とここに来ないようにしてください」


「むむむっ……ワシの娘のシルヴィアは昔は美人だと評判で、多くの男性が嫁に欲しいと言ってきたほどなんだぞ!」


「だからなんなんです? 我ら貴族の結婚とは、そんなに軽いものではないでしょうに。公爵であるあなたがそれをわからないはずがない」


「……」


 確かに美人な貴族令嬢は結婚を申し込まれやすいが、家同士の都合が合わなければ結婚は成立しない。

 だからシルヴィア嬢は未婚のままで、なにより昔は美人だったかもしれないが、今は……口にするとコンプライアンスに引っかかりそうな……服装と化粧が派手なオバさんにしか見えなかった。

 

「(時の流れとは残酷なものだな。でも、彼女の言動を見るに昔から性格に問題があったんだろうな)」


「そう! 貴族の結婚とは、平民たちのような惚れた腫れただけの問題ではないのだ。我がロッテンマイヤー公爵家とバウマイスター辺境伯家が縁を結べば、王国でもっとも力のある貴族になれるぞ。どうだ?」


 どうだと言われても、俺は王国一の貴族になることに興味なんてなかった。

 さらに、ロッテンマイヤー公爵家には大した力なんてない。

 元々王国の公爵には領地が与えられず、役職だって名誉的なものにしか就けない。

 特に軍部の重職や大臣職に任命すると反乱を起こす危険があるので、よほど特別な事情がなければ任命されなかった。

 帝国と戦争をしていた時、軍事的才能に優れた公爵が王国軍最高司令官に任命されるケースがあったそうだが、残念ながらこの娘可愛さのあまり俺に無茶を言うロッテンマイヤー公爵にそんな才能があるとは到底思えない。

 今さら俺が、血筋がいいだけで大した財力と力がないロッテンマイヤー公爵と組んでも意味がないどころか、なにか悲しくて正妻を、若くて美人で、気が利いて、優しくて、おっぱいが大きくてスタイルもいいエリーゼから、元美人の、服装が痛々しいほど派手で、厚化粧で香水の匂いをプンプンさせ、バカみたいなことを言っている性格が悪いオバさんに交代しなければいけないのだ。


 そんな罰ゲーム。

 俺はゴメンである。


「(それに、エリーゼの実家はホーエンハイム子爵家じゃないか。そんなことしたら教会を敵に回すわ!)」


 本当、王国の公爵にはろくな奴がいないな。

 だから領地も与えられず、飼い殺しにされているんだろうけど。


「まったく興味がないので、お引き取り願えませんか?」


「うぬぬ……貴様! ロッテンマイヤー公爵であるこのワシの願いを断ると言うのか?」


「ええ、お断りします。もしあなたが俺だったとして、こんなにいい女であるエリーゼの代わりに、シルヴィア嬢を正妻にしますか?  ちょっと考えればわかることでしょうに」


 俺はエリーゼを胸元に引き寄せながら、ロッテンマイヤー公爵に対し本音を語った。

 なぜならこの人もバカなので、回りくどい言い方を続けるとなかなか理解してもらえず、時間の無駄だからだ。


「王族の血を引き、王都にいる多くの貴族たちと関係が深いワシを敵に回すというのだな?」


「俺は別に敵対する気はないですが、そちらが敵視するというのであれば対抗するまでです」


「王城に二度と来れなくしてやるぞ! 王城はワシの縄張りだからな」


「えっ?  本当に二度と王城に行かなくていいんですか? いやあ、助かったなぁ」


「えっ?」


 俺の予想外の返答にロッテンマイヤー公爵が驚いているが、俺が王城に呼び寄せられるということは、なにか面倒な仕事を陛下や大貴族たちから命じられることを意味する。

 それがなくなり、領地に引っ込んで暮らすことができるんだから、逆にロッテンマイヤー公爵に感謝したいくらいだ。

 王都には好きな飲食店も多いが、俺が好きなお店にロッテンマイヤー公爵は興味ないだろうから、お休みの日に通えば済む話だ。


「そうですか。王城に二度と入れてもらえないんですか。さすがは王族の血を引くロッテンマイヤー公爵。それほどの力をお持ちとは」


 俺は本当に彼がそんな力を持っているとは思っていないが、曲がりなりにも公爵様が俺を王城に二度と入れないと言っているんだ。

 信じるフリをしてもおかしくはない。 

 

「今後陛下に呼び出されても、ロッテンマイヤー公爵の命令で王城に入れませんと言い訳しておきますので」


「いや、それは……」


 俺がそう宣言したら、ロッテンマイヤー公爵の顔色が面白いぐらい青くなってきた。 

 やはり彼には、そんな力はないんだろうな。

 実は、陛下とヴァルド殿下が頼りにしている公爵なんて数えるほどしか存在せず、大半が飼い殺し状態だと聞いていたからだ。

 

「じゃあそういうことで。お嬢さんを連れてお帰りください」


「「「「「「「「「「プッ!」」」」」」」」」」


 ロッテンマイヤー公爵に対する俺の塩対応ぶりに、屋敷内の家臣たちや警備兵、エルたち。

 そして、ロッテンマイヤー公爵家の家臣たちや、エリーゼですら顔を隠しながら静かに笑っていた。

 勿論俺は、常識的な貴族をこんなにバカにすることは絶対にしない。

 それだけロッテンマイヤー公爵が酷いということだ。


「よくも、王族に連なるロッテンマイヤー公爵であるワシをバカにしてくれたな! 貴族のプライドがどういうものか見せてやる!」


「プライドですか。俺は貴族になって日が浅いので、是非貴族の中の貴族であるロッテンマイヤー公爵に、プライドのお手本を見せていただきたいですね」


「あとで吠え面かくなよ! ロッテンマイヤー公爵家の力を、成り上りのバウマイスター辺境伯家に対し見せつけてやる!」


 そう言うと、ロッテンマイヤー公爵は俺に対し両家が紛争状態に入ったことを宣言した。


「王都と王城を縄張りとし、数多の貴族たちとつき合いがあるワシが一度声をかければ、この屋敷など簡単に貴族たちの軍勢で包囲されるはず。その時になって吠え面かくなよ」


「(王都の縄張りなのか。増えたな……)バウマイスター辺境伯家とロッテンマイヤー公爵家が紛争状態に入ったのは理解できました。では、こちらも色々と準備があるので、オバさん……じゃなかった。お嬢さんを連れて屋敷にお引き取り下さい」


「ワシの可愛いシルヴィアをオバさん扱いとは生意気な若造め! 必ずやバウマイスター辺境伯家を全面降伏に追い込み、貴様の家を乗ってくれるぞ!」


「頑張ってくださいね」


「口の減らぬ奴よ!」


「パパ、 必ず勝利してバウマイスター辺境伯家を乗っ取ってしまいましょうね。そうしたら私が正妻に入って、周囲に若いイケメンたちを侍らせるの」

 

  元々酷いと思っていたが、さらに本性を現したシルヴィア…… こんな性格の悪いオバさん、 もう呼び捨てでいいな。

 まさかこの親子、これほどまでにバカだとは想像もできなかった。

 上手く挑発に乗ってくれて紛争状態に申し込むことに成功したので…… 本当は一騎討ちがよかったんだが、老人であるロッテンマイヤー公爵はヘルター元公爵ほど無謀ではなかったか。

 

「帰るぞ! シルヴィア!」


「そうね、パパ。あーーーあ、 私を素直に正妻にしておけばよかったのにパパを怒らせちゃって。もう私がバウマイスター辺境伯家の正妻になっても、あなたを愛してあげないから。じゃあね」


 去り際にやはり頭の悪い発言を言い残し、屋敷を出て行くロッテンマイヤー公爵親子と家臣たち。

 ロッテンマイヤー公爵たちの姿が見えなくなると同時に、精神的に疲れた俺たちは一斉にため息をついた。


「バカって凄いな」


「本当にな」


「あなた、確かにロッテンマイヤー公爵には問題があると思いますが、これほどまでに挑発して大丈夫なのですか?」


 エリーゼとしては、バウマイスター辺境伯である俺が、安易に他の貴族たちに対し紛争を仕掛けるのはよくないと思ったのだろう。

 若干注意を込めた質問をされてしまったか、俺の考えは少し違った。


「紛争を仕掛けてきたのは向こうだし、ここで変に向こうに気を使ってこの場を収めたとしても、あの親子の性格が変わるとは到底思えない。またすぐに、今度はもっと強気で無茶な要求をしてくるだろうな」


「だから貴族らしく、一気に叩きのめしてしまうわけか。二度と今みたいにくだらない無駄な時間を使わずに済むように」


「そういうこと」


 向こうは家柄しか誇るものがない公爵なので、一度穏便に追い返したところで、前回よりも過激な要求と共に屋敷に押しかけるに決まっている。

 まだどうにか追い返したところで、向こうは暇なのだから何度でもこの屋敷にやって来るはずだ。


「(モンスタークレーマーみたいなもんだからな。まともに話を聞くこと自体が時間の無駄なんだから)とにかく、紛争を仕掛けてきたのは向こうなんだから、俺たちはそれに勝利すればいいんだよ」


「ですが、公爵を相手に簡単に勝利できるものなのでしょうか? 向こうは王族に連なり、知己の貴族も多いです。ロッテンマイヤー公爵家に力を貸す貴族が多数現れるのではないでしょうか?」


「その可能性はゼロではないから、紛争になった以上、一秒でも早くこちらが先制する必要がある。早速準備を始めようか」


「あなた、なんの準備ですか?」


「それは勿論、ロッテンマイヤー公爵家との紛争に勝利するための準備さ」


 俺が挑発したとはいえ、先に紛争を仕掛けてきたのはロッテンマイヤー公爵家の方だ。

 ならばバウマイスター辺境伯家は、紛争に負けないように急ぎ動かなければ。

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