閑話29 謎の女店主と、新しい商売(その1)
「うーーーん、新しいお店のケーキはイマイチだったなぁ。来週は、ヴィルマから教えてもらったお店だから期待しよう。あれ? あそこにいるのはヴェルじゃないかな?」
空いている時間に魔闘流の道場に顔を出し、帰りにカタリーナから教えてもらったお店のケーキを試してみたけど、味はもう少しって感じかな。
オヤツを食べたのでバウルブルクのお屋敷に戻ろうと、人通りが多いメインストリートを歩いていると、通りを行き交う多数の人の中に、なんとヴェルの姿を見つけた。
フードを深く被っているから周囲の人たちは気がつかないけど、ボクには簡単にわかってしまう。
魔力の気配が、ヴェルそのものなんだよね。
『魔力の気配ってなんだよ?』ってよく聞かれるけど、言葉で説明するのは難しい。
ブランタークさんも似たようなことができるけど、他の魔法使いに教える時には苦労しているし、なかなかできるようになる人がいないみたい。
「とにかく、ヴェルはボクから逃れることができないのさ」
フードを深く被って顔を隠しているということは、これはお忍びということなのかな?
夫に理解のある妻として、ヴェルのプライベートを重視してあげようという気持ちがなくもないけど、他の女性のところに向かっている可能性を考慮すると、ここはエリーゼたちのためにも確認はしておいた方がいいと思うんだ。
「追跡開始だね」
ボクは屋敷に戻らず、ヴェルの追跡を開始する。
ヴェルはしばらく大通りを歩いていたけど、狭い脇道から一本奧の通りへと入った。
気配を消しての尾行なら、そう簡単にヴェルには見つからないってね。
これでもボクは魔闘流の師範だし、これまでの経験を生かして極力体の外に魔力を出さないように行動することも可能になった。
えらく神経を使うから長時間は難しいけど、ヴェルを尾行する間くらいなら大丈夫。
戦闘をするわけでもないし。
ヴェルは、バウルブルクの平均的な領民たちが住む住宅が立ち並ぶ通りを歩いて行く。
数分後、庶民的な飲食店が多数軒を連ねるエリアへと到着した。
「(ヴェルってば、こういうお店が好きだよね)」
導師もだけど、お忍びで庶民的な味を楽しむってやつだね。
「ボクの心配しすぎだったかな。今度はどんな料理に興味を持ったのかな? あっ! お店に入った!」
ヴェルは、古びた飲食店だと思われるお店へと入っていく。
バウルブルクは新しい町だけど、常に住宅と店舗が不足しているから、レンブラント男爵が余所からいらない家屋を『移築』した家や店舗も多い。
ヴェルが入ったお店はそういう建物で、新築よりも安く買えたり借りられるから、移民してきたばかりの平民が利用するケースが多かった。
「食堂かな? あっ!」
「ヴェンデリン様、いらっしゃいませ」
「やあ、ヒルダ。お店は繁盛しているのかな?」
「はい。おかげさまで、私たち家族もちゃんと食べていけています。これも、ヴェンデリン様のおかげです」
「あっ! ヴェンデリン様だ! いらっしゃいませ」
「ハイジはお母さんのお手伝いか。えらいぞ。はい、お土産」
「わーーーい! クッキーだぁーーー! ヴェンデリン様、ありがとうございます」
お店に入ろうとしたヴェルを、店主らしき母親とその娘らしき女の子が出迎えた。
母親は二十代半ばで、もの凄く美人というわけではないけど、少し儚げな雰囲気が男性にはウケそうな感じ。
なんか、男性が放っておけないみたいな?
娘さんらしき幼女の方はとても可愛らしく、感心なことにお店を手伝っているみたいだ。
ヴェルからお土産をもらってとても喜んでいる。
お土産を持って来たってことは、ヴェルはこのお店の常連さんなのかな?
この母娘と親しくなければ、普通はお土産なんて持参しないよね。
それにしても、この母娘は何者なのかな?
「(ヴェルはこのお店の料理を気に入ったから通っている? いや、 ヴェルはあの母親にお店の経営状態について聞いたから、もしかしたらまた経営に手を貸しているのかな?)」
これまでにいくつものお店の経営に手を貸してきた、貴族とは思えないヴェルだ。
また、たまたまこの通りで見つけたお店の経営状態を心配して……若いお母さんと幼い娘さんだから……そういえば、若い女性の夫、娘さんの父親らしき人物が姿を見せないね。
もしかしたらすでに亡くなっていて、母親と幼い娘が二人で一生懸命に新天地であるバウルブルクでお店をやっているから、その境遇に同情したヴェルが手を貸してしまったとか?
「(ヴェルは優しいから、そういうお話を聞くとすぐに手伝ってしまいそう)」
たまたまこのお店にお忍びで入って実情を知り、店主である母親の相談に乗ったのかな?
ヴェルが母娘のお店の経営に手を貸した結果、 ちゃんと生活出来るようになれば、それは長い目で見てバウマイスター辺境伯領のためにもなる……。
「(あれ? でも、辺境伯様が一店舗の経営に手を……ちょっと変だよね?)」
ボクの脳裏に、デジャブというか、ある考えが浮かんでくる。
アマーリエさんの件を考えるに、ヴェルは年上の女性が好き。
儚げな母親に好意を持ち、困ってる母娘のお店の経営に手を貸すと見せかけ、実は母親の方と……。
『ヴェンデリン様のおかげさまで、このお店の経営も安定してきました。私にできるお礼といえば、この私の身をあなた様の好きにしていただくことのみです。すでに娘がいる年増の私でよろしければいくらでも……』
お店の経営を立て直してもらったお礼に、ヴェルにその身を差し出す年上の女性……。
アマーリエさんの再来だ!
「(デジャブだぁーーー! ヴェルにまた奥さんが増えてしまうよ!)」
ヴェルに奥さんが増えるのは、よくあることなので別にいいけど、ボクたちあの母娘と仲良くできるかな?
そもそも、母娘がどんな人たちなのか。
このお店も、なんのお店なのかわからないことだらけなのが不安だ。
「(バウマイスター辺境伯家の正妻たるエリーゼに相談しないといけないけど、なるべく詳しい情報を得てから報告した方がいいよね)」
となると、ここは魔闘流の使い手たるボクの出番だ。
ボクだといくら変装してもヴェルにバレちゃうから、ここは久々にお店の裏口からこっそりと侵入して、お店の様子を探るとしよう。
しかし、本当にヴェルは年上の女性が好きだよなぁ。
「俺、大盛りで、ミソね」
「ええと、ショウユの並で」
「特盛ネギ塩で!」
「(……なんというか、男臭いお店だね)」
身体から流れ出る魔力を完全に遮断しつつ気配を完全に消し、お店の裏口から密かに侵入する。
母娘が経営しているお店の中を探ると、店内にはお昼時を過ぎたというのに大勢の男性客がいた。
何度確認しても女性客は一人もおらず、雰囲気的に女性は入れないか……。
ヴェルがテコ入れしたからか、随分とお店は繁盛しているみたい。
次々と威勢のいい声で注文が入るけど、このお店の独特のメニューの呼び方みたいで、それだけだとどんな料理が出てくるのか想像もつかなかった。
「お待たせしました。ミソスタミナ丼です」
「オジちゃん、ショウユスタミナ丼だよ」
「ハイジちゃんはお母さんのお手伝いをしていて偉いね。うちのバカ息子に爪の垢でも煎じて飲ませたい気分だよ」
「えへへ、褒められちゃった」
お店は、母娘と調理担当の少年のみで回しているようだけど、お客さんが多い割にはすぐに料理が出てくるので、忙しくて手が回らないまでには至っていないみたい。
「(猪やウサギのお肉を、ショウユ、ミソ、塩のタレで炒めたものをご飯の上に乗せているのかな?)」
バウルブルク近郊には、まだ沢山のウサギや猪がいる。
安価で入手しやすいから、そのお肉を出す飲食店は多かった。
さらに、お店の中から漂ってくるこの臭いは……。
「(ニンニクだよね?)」
ヴェルが、他の土地やミズホから苗を手に入れて栽培させている野菜だ。
ちょっと独特の香りがするんだけど、これを食べると力がつくんだって。
大々的に開発が進んでいるバウルブルクでは肉体労働をする人が多いから、ニンニクを使った料理が、主に男性労働者の間で人気となっている。
ボクたちも嫌いじゃないんだけど、ヴェルと夫婦の時間を過ごす前に食べるのはやめた方がいいなかって。
「(ニンニクは、精力もつくって聞いたことがあるよ。つまり……)」
お店が閉まったあと、残ったニンニクの料理を食べたヴェルと母親が……。
あり得そうだ!
「(お互いにニンニク臭かったら、臭いが気にならずに二人の時間を……これぞまさしく大人の関係!)」
だからニンニクなのかぁ……。
ヴェルは策士だなぁ。
「(でも、炒めたお肉の中にはニンニクは見えないから、摺り下ろしてあるのかな?)」
ニンニクは、お肉と炒めるタレに入っているようだね。
そしてエリーゼなら考えられない、器の中には見事にお肉とタレとご飯しか入っていない。
彼女なら栄養バランスを考えて、必ずお野菜をつけるからね。
あっ、必ずついてくるスープ……これは、ヴェルが大好きなミソ汁だね……これには、野菜が色々と入っているみたい。
男性客たちは、スタミナ丼なる料理をかき込むようにして早食いし、ミソ汁を飲み干し、お勘定を置いてお店を出ていく。
仕事が忙しい人たちが、短い休憩時間の間に素早く食べるには最適な料理なのかな。
お客さんが滞在する時間は短いけど、すぐに新しいお客さんが入ってきて、さすがはヴェルがテコ入れしただけのことはあるというか……相変わらず商売が上手だなぁ……。
「(……状況は理解できたよ。夫を亡くし、新天地でお店を開いたのはいいけどお客さんがなかなか入らず、そこにヴェルがお忍びでやってきて、スタミナ丼を出すようにアドバイスしたんだね)」
おかげでお店は繁盛していて、今では料理担当の少年まで雇えるようになった。
年齢差を考えると、実はこの少年と母親が……って線は薄いかな。
二人の会話を聞いていると、従業員と雇用主の関係としか思えないから。
ヴェルも、スタミナ丼を食べてお勘定を払った。
母親はヴェルに感謝しているから、お店の入り口までヴェルを見送っていく。
他のお客さんたちとはあきらかに扱いが違うので、間違いなくこの二人は ……。
「(今は感謝の念のみが大きくても、それが徐々に好意に変わって……)」
今もそうだけど、ヴェルはお店の様子を見に行くという名目で母親目当てに通うように……。
そして娘さんも、ヴェルを新しいお父さんだと思うようになって……。
「(いや! もしかしたら……)」
「(娘さんの方も、大きくなったらヴェルの奧さんに? 母娘を奧さんに……教会に知られたら怒られちゃうかもしれないけど、前にそんな貴族がいるって聞いたことがあるよ)」
もの凄く女好きな大貴族が、娘がいる美しい母親を愛人にして、それから数年後。
成人した娘まで奧さんにしてしまったって。
正式に結婚して娘が養女になっていると駄目だけど、母親を正式に奧さんにしていなければアリ、というか抜け道があるって、エリーゼがホーエンハイム枢機卿からその話を聞いて怒っていたのを思い出す。
エリーゼは真面目だから、そういうふしだらな関係は絶対に許さないもの。
「(あれ? じゃあ、ヴェルが母親とそういう関係になるのはまずいんじゃないかな。ど、どっ、どうしよう?)」
これは大変だ!
すぐにみんなと相談して対策を立てないと!
バウマイスター辺境伯家の妻たちはみんな仲良しという、貴族にしてはとても珍しい状態なのに、この母親が入ることでそれが一瞬で崩れ去ってしまったとしたら。
それは嫌なので、早めに対策を立てないといけないね。
「(しかしヴェルは、本当に年上の女性が好きだよねぇ……。とにかく、早くお屋敷に戻ってみんなと相談しよう)」
ボクは魔力と気配を遮断したまま、店内の様子をうかがっていた店の裏口から脱出し、お屋敷へと戻るのだった。
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