閑話29 謎の女店主と、新しい商売(その2)
「大変だよ! ヴェルに新しい女の人が! しかも、小さな娘さんがいる食堂の店主さんで年上なんだよ!」
急ぎヴェルよりも先に屋敷に戻ったボクは、エリーゼたちに自分が目撃したことを報告した。
「フードを深く被って顔を隠し、また貴族が行きにくいお店にお忍びで通っていただけなんじゃないの?」
「イーナちゃん、一見そうは見えるけど、そのお店の料理は、またヴェルが考案したもので……」
年上で儚げな母親がヴェルに感謝していたし、ヴェルは可愛らしい娘さんにお土産まで持って行って……。
「絶対に、ただの常連客とお店の店主の関係じゃないから!」
「ヴェンデリンさんのことですから、また自分が食べたかった貴族らしくない料理を、お忍びで通いやすいお店で作らせているだけではないのですか?」
「甘いよ、カタリーナ! それは、砂糖を大量にかけたパフェくらい甘い!」
「それは甘いでしょうけど……」
上手く説明できないけど、店主である母親とヴェルの雰囲気から察するに、昨日今日知り合ったばかりの関係とは思えないんだ。
あの二人の間には、絶対になにかある!
「だってその店主って、アマーリエさんにとても雰囲気が似ているから!」
「私?」
「ヴェルってば、アマーリエざんみたいな女性が大好きだもの!」
「そうかしら?」
アマーリエさんはわかってないね。
ヴェルはああ見えて、年上の包容力のある女性が好き。
実のお母さんとの関係が少し希薄だからかもしれないけど、だからアマーリエさんを絶対に手放さなかった。
つまりヴェルは、ちょっとマザコンかもしれない説があるんだ。
「エリーゼもヴェルと同じ年だけど包容力があって、やっぱりヴェルって、そういう女性が好きなんだよ」
男性って、お母さんみたいな女性が好きな人が多いってよく聞くから。
「そうか? 言うほど旦那って年上好きか? 奥さんのタイプはみんなバラバラだし、姉御やテレーゼって包容力がある母親タイプって感じでもないし……痛っ!」
「包容力がなくて悪かったですね」
「カチヤ、お主もヴェンデリンよりも年上なのに、包容力は欠片もないではないか」
「テレーゼ、それはお互い様じゃないか」
余計な一言を言ったカチヤが、リサとテレーゼに拳骨を落とされていた。
「ルイーゼは穿ちすぎだと思う。ヴェル様は、そのお店で自分で考えたアイデアを試したかっただけ」
「そうかな? あの母親とヴェルって、以前から知り合いのような気がするんだよね」
ヴェルの古くからの知り合いって少ないから、ちょっと気になるんだよね。
ボクたち以外で、ヴェルが女性の名前を呼び捨てにすることは滅多にないのに、あのお店の店主は『ヒルダ』と呼び捨てにしていたから。
「元バウマイスター騎士爵領の領民ではないのか?」
「それにしてもだよ」
バウマイスター騎士爵領で暮らしていたヴェルは、あの面倒なお兄さんとの家督争いを避けるべく、なるべく領民たちと接しないようにしていたと、ヴェル本人から聞いている。
だからこそ、お店に経営に手を貸すまで親しい女性……怪しいじゃないか。
「基本的にヴェンデリンさんは、なるべく妻の数を増やさないように行動していますし、もしその女性とそういう関係なら、エリーゼさんなり私たちに相談するのでは? よほどな方でなければ、私たちも反対しないではないですか」
「カタリーナの言うとおり。それと」
「それとなんだい? ヴィルマ」
「実際にそのお店に行って、ヒルダという女性店主を探ってみればわかる話。ミソ、ショウユ、ネギ塩……スタミナ丼美味しそう」
「ヴィルマさん、私たちはお店の料理を確認しに行くのではなく、店主のヒルダさんなる人を確認しに行くのですから」
「カタリーナがそう言うから決定」
ボクたちは話し合いの結果、実際にそのお店に行ってみることにした。
ヴィルマはそのお店で出る料理に一番興味があるようだけど、ボクたちはヒルダさんとヴェルとの関係をしっかりと見極めないと。
「……エリーゼ、随分とダサイというか古臭い神官服だね」
「これは、新入りの方が教会にお手伝いに行く際、その教会から貸与される神官服です。修繕や洗濯はしっかりと行いますが、古くなると解れも目立って当然です」
「髪まで染めて、変装も見事なものね」
「イーナさんも、 その作業服。よく似合っていますね」
「最近バウルブルクは人手不足で、重量物を扱わない工房では女性も働いているの。ヴェルが『職業婦人』とか言い出したら、領内中でその言葉が流行ってるのよ。髪も黒く染めたし、髪型もヴィルマのようにお団子にして、こうすればもし店内でヴェルに遭遇しても気がつかれないはずよ」
「逆に髪を下ろしてポニーテールにした」
「服装はメイド服なのですね」
「バウルブルクには、カフェや飲食店が多い。そこで働いてる従業員たちが、お昼ご飯を食べにやって来たという設定」
「ボクも同じだね。カチヤは、ミズホ服と前掛けなんだ」
「バウルブルクにはミズホ風の飲食物を出すお店も多いし、店内の内装もミズホ風で、 従業員の服装もミズホ服ってところがあるから、違和感ないぜ」
「人間は、その人の髪の色と髪型を強く覚えるものです。髪の色と髪型を変えると、関係が深い人でも気がつかれにくいですよ」
「ハルカ、詳しいなぁ」
「まあ、変装術の基本なので。あとはその人物のイメージにそぐわない服を着ることです」
「エリーゼは?」
「エリーゼ様は教会でもかなり地位が高いので、あえて新人の見習い神官が着ている神官服にしました。世間の人たちは、エリーゼ様が解れた神官服を着ているわけはないと思い込んでいるので、これも大変効果的です」
「なるほどねぇ」
ヴェルがお忍びで通い、テコ入れしているお店の店主である女性との関係を調べるべく、ボクたちは変装してその店に入ってみることにした。
簡単に髪を染められ、すぐにとれる魔法薬の染料を用いて髪の色を変え、髪型と服装も変えれば、大抵の男性は変装に気がつかないもの。
すべてハルカからのアドバイスだけど、髪を金髪に染め、平民の裕福なマダムに変装した彼女も同行するとは思わなかった。
テレーゼとリサとアマーリエさんも同じように、暇を持て余していそうなマダムに変装している。
「エリーゼ様は見習い神官。イーナ様は職業婦人。ルイーゼ様とヴィルマ様とカチヤ様は飲食店の従業員。ハルカ様とテレーゼ様とリサ様とアマーリエ様は裕福な有閑マダム。確かに見事な変装ですけど……」
「フィリーネ、なにか懸念があるのかな?」
「ルイーゼ様、先生がテコ入れしているお店って、 通ってるのは男性ばかりだと聞きました。女性がこれだけの大人数でお店に入ったら目立ちますし、おかしいと思われませんか?」
「そう言われると……。でもフィリーネも、アグネスたちと共にもう学生に変装しちゃったからね」
確かに、ボクがお店を探った時には女性客なんて一人もいなかった。
もし女性客が大人数でお店に入ると、あのヒルダさんに怪しまれるかもしれない。
でも、変装してお店を探るということが決まったら、みんなノリノリで準備を進めていたから、つい人数を削るって言いにくくなってしまったのもあった。
ボクも髪をピンク色に染め、メイドさんに変装してみたら楽しくて仕方がないし。
「あまり変装した感じはしないですね」
「この制服、 いいなぁ」
「新しくできた『バウルブルク領立女子高』の制服って、私たちくらいの年代の女子たちの間で人気なんです。学校には通わないけど、この制服が欲しくなってしまいました」
アグネスたちは、ヴェルがようやく領内に設立した学校の制服を着ていた。
学生がお昼ご飯を食べにその店に入る、というシチュエーションみたいだけど、いわゆるお嬢様学校であるバウルブルク領立女子高の生徒が、あの男性しかいないお店に入るかと言われると……お嬢様たちの気まぐれってことで!
「それを言うのなら、わざわざ全員で変装して潜入する必要があるのかという話になるが……」
「テレーゼ、それは今さらだよ」
テレーゼもなんやかんや言ってヴェルが大好きだから、こういう時は必ず参加するよね。
「その場合、そのお店に潜入する人数を厳選する必要が……おや?」
「テレーゼ、どうかしたの?」
「ルイーゼが言っていたお店はあれであろう? 随分と行列ができておるが、隣の店にも女性が並んでおるぞ。あのお店も、ヴェンデリンが手を貸しているのか?」
「あれ? 隣にお店なんてあったんだ」
「ルイーゼ、お主は昨日ちゃんと偵察したのか?」
カチヤからそう言われると、確かにその通りなんだけど。
母娘のお店は、お昼時ということもあって沢山のお客さんが並んでいた。
その大半が、体をよく動かしていそうな男性ばかり。
そして隣のカフェみたいなお店には、女性客が沢山並んでいた。
隣り合っている二つの店舗で、一方は沢山の男性が並び、 もう一方は沢山の女性が並んでいる。
とても不思議な光景だね。
「両方とも繁盛店なのですね。珍しい」
エリーゼの言うとおりで、普通は近くに繁盛店があると、他の店は割を食うことが多いから。
「で、エリーゼ。どうする? 男性しか並んでないから、なんか並びにくくないか?」
「 そう言われると、少し躊躇してしまいますね」
母娘の男性しか並んでいないお店だけど、なにが凄いって、100パーセント男性しか並んでいないんだ。
いくら変装していても、そこにボクたちが並ぶのには抵抗があるよね。
「ルイーゼ、どうするの?」
「イーナちゃん、男らしく一人でパパっと食べて来ない?」
「さすがに嫌よ。ルイーゼが並んでパパッと食べてきたら?」
ボクたちが男性しか並んでいない行列に加わるのに躊躇していると、列の一番後ろの男性が声をかけてきた。
「このお店は男性専用だから、お嬢さんたちは隣のお店に並ぶんだよ」
「男性と女性で、お店が分かれているの?」
「そういうルールなんだってさ。隣のお店は女性専用だから、お店の外観や内装が女性向きだけど、出てくるメニューは一緒らしい」
「へえ、そうなんだ」
ボクがヴェルを尾行した時はお昼時から大分時間が経っていたから、隣のお店に誰も並んでいなくて、ただのカフェだと思っていたんだと思う。
この近辺には飲食店が多いから。
「(エリーゼ、どうやら男性に変装しないと目的のお店に入れないみたいだけどどうする?)」
「 (そういうルールならば仕方がありません)」
まあ、真面目なエリーゼはそういうよね。
「せっかくなので、隣のお店でなにか食べて帰りましょうか」
「いいねぇ、それ」
でも、エリーゼもヴェルのおかげで大分柔らかくなってきたから、そのままお忍びで庶民的なお店を楽しむことにした。
「男性用と女性用でお店が分けてあるってことは、どちらもヴェルが関わっているってことでしょう。あちらのお店に潜入して情報を集めればいいのよ」
「それもそうだね」
イーナちゃんの意見には一理あり、ボクたちは女性用のお店に入ることにした。
それにしても、男性しか入れないお店と女性しか入れないお店を隣同士にするとは……。
ヴェルも、随分と変わったことをするんだなぁ。
「二つのお店で同じメニューが出るってことは、お肉とご飯だけのガッツリご飯が出てくるってわけだ。ちょっと楽しみかも」
ニンニクが入った調味料のタレで炒めたお肉が、ご飯の上にのせてある。
昨日その料理を見た時、シンプルでいかにも男性っぽいメニューだなって思ったけど、同時にとても美味しそうで食べてみたいと思ったのも事実だった。
でも、女性があの男性しかいないお店に入るのは難しく、そもそも男性しか入れないんだけど、隣に女性専用のお店があるのは助かったよ。
「ルイーゼが話しておった母娘じゃが、今日は隣の店にいるやもしれぬ。早速並ぼうではないか」
「行列に並んで料理を食べるのって、初めてでちょっと楽しみね。それにしてもヴェル君は、人気が出る料理を考えるのが上手よね」
「どんな料理なのか楽しみですね」
「そうね、フィリーネさん」
今日はお忍びだし、こちらには領主夫人がいるから先に店に入れろなんて言うのは人間としてどうかと思うから、ちゃんと並んでお店を偵察することにしよう。
さて、どの味の丼を食べようかな。
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