閑話26 夜食とダイエット

「エル、お腹が空いたな」


「ああ、腹が空いたな」




 夜も遅いのに、お腹が空いてしまった。

 夕食はちゃんと食べたんだが、たまにはそういうこともあるのだと思うことにする。


「エル、なにか夜食を作ろう」


「そうだな。もう調理人たちは帰ってしまったからな」


 俺はホワイト経営者、バウマイスター辺境伯。

 某飲食チェーン店経営者のように、ブラック企業ランキングの常連に居座るような労働条件で人を働かせない。

 彼らは朝食も作らなければいけないので、もう屋敷近くの家に帰った。

 バウマイスター辺境伯家において、腕のいい料理人は屋敷に近い家を借りられる。

 これは通勤時間を減らし、彼らの負担を減らすためだ。

 長い通勤時間など、生産性を落とすだけってのもある。

 貴族は社長と同じなので、福利厚生や生産性の向上にもに気を使わなければ。


「ご飯はあるが、冷や飯だな」


「ヴェル、これはチャーシューの切れ端かな?」


「そうだな。昨日、ラーメンを作らせた時の余りだ」


 調理場に入って冷蔵庫を探ると、冷ご飯とチャーシューの切れ端があった。

 そしてホロホロ鳥の卵もある。


「ならば、他に答えはない!」


「そうなんだ。よくはわからんが……」


「エル、この材料から作られる料理を想像できないなんて、お前にはバウマイスター辺境伯家の調理場は任せられないな」


「いや、俺は調理人じゃないから……。で、なにを作るんだ?」


「決まっている! チャーハンだ!」


 夜中に、糖質タップリのチャーハンを食らう。

 令和日本では、生活習慣病予備軍待ったナシの悪行だ。

 だが、俺は魔法使い、エルも体をよく動かす剣士。

 そして若い。

 夜中にチャーハンを食べても問題ないだろう。

 そういうのは、ブランタークさんとかが心配すればいいんだ。

 導師は……彼はなにをどれだけ食べても、生活習慣病とは縁がなさそうだな。

 羨ましい限りである。


「チャーハンは作り方は単純だが、手際と火力が勝負なんだ」


「火力ねぇ……」


 試しに作ってみればわかることだ。


「まずは、フライパンにラードを入れて熱する」


 そのうち、中華鍋が欲しいところだな。

 職人に設計図を渡して作ってもらおうか。


「ラードが溶けたら、フライパン全体に馴染ませ、そこに溶いたホロホロ鳥の卵を入れる」


 ここからは時間の勝負だ。

 お酒を少量混ぜた卵が完全に固まらないうちに、冷ご飯を投入し、オタマの背でご飯をバラして卵と絡ませていく。

 卵にお酒を入れたのは、卵が固まる時間を遅らせるためだ。

 オムレツを作る時、同じ理由で牛乳を混ぜたりもするが、それと同じ理屈である。


「刻んだチャーシュー、調理人たちが自作したホロホロ鳥のガラから取った出汁、塩、コショウで味を調える」


 その間も、鍋を振る手を止めてはいけない。

 魔導コンロだけだと火力不足なので、火魔法で火力を補っていく。

 美味しいチャーハンのためなら、 俺は手間を惜しまない男だ。


「チャーハンは、高火力で一気に仕上げるんだ!」


 チャーハンを美味しく仕上げるには、炎を制する者にならなければ!

 絶対に焦がさないよう鍋を振り続け、ご飯がパラパラになったら刻んだネギを投入する。

 ネギをあとで入れるのは、火が入りすぎてネギの香りが飛ばないようにするためだ。


「最後に、鍋肌に少量の醤油を入れる」


 焦げた醤油の風味で、さらにチャーハンを美味しくする。

 醤油をチャーハンに直接かけずに鍋肌から投入するのは、 一ヵ所だけに醤油が染み込んで味が偏らないようにするためであった。


「完成したチャーハンを皿に盛りつけ、紅ショウガを添えて完成だ」


「美味そうだな」


 チャーハンが完成したので、調理場にある席に座って食べることにする。

 いくら夜中でも、食堂まで持って行くと誰かに見つかるかもしれないからな。

 バウマイスター辺境伯である俺が夜になにを食べても問題ないと思うが、こういうのはコッソリと食べるのが美味しいんだ。


「いただきます。うひょーーー、ご飯がパラパラでうめえ」


「我ながらいい出来だ」


 やはり、魔法で火力を増やして正解だったな。

 ご飯の一粒一粒がパラリと仕上がっており、とても美味しいチャーハンだ。

 そして、こんなに糖質の多いものを夜中に食らう。

 不健康だけど、これがいい!


「やはり、基本のチャーハンはあまり具材が入っていない方がいいな」


 ご飯、卵、チャーシュー、ネギのみのシンプルなチャーハン。

 これこそが、美味しさの基本なのではないかと俺は思うのだ。


「ヴェンデリンさん、こんな夜中になにを食べて……ふ、太りますわよ」


 喉が渇いて水でも飲みに来たのだろうか?

 調理場にやって来たカタリーナに見つかってしまった。


「明日も忙しいから大丈夫だよ」


「そうそう」


 俺は魔法で大規模な河川改修工事をしなければならないし、エルは警備隊に入った新人に厳しい基礎訓練を施す予定だ。

 夜中に食べたチャーハン分のカロリーなんて、簡単に消費してしまうさ。


「そういえば、明日はカタリーナも俺と一緒に河川改修だな」


「そうですが、それがどうかしましたか?」


「チャーハンいる?」


「わっ、私は貴族に相応しいスタイルを維持すべく、常日頃節制していますから。このような遅い時間に食事をとるのは体によくありません」


 と言う割には、夜中にお菓子を摘まんでいる光景を見たことがあるような……。

 夜でなくても、予定外の買い食いやつまみ食いをしてしまい、慌ててカロリーを消費すべく、バウルブルク郊外に 『飛翔』で飛んで行くのをよく見ることもある。

 最初は魔法の訓練と称し、空地で上級魔法をぶっ放していたのだが、ローデリヒから『魔力が勿体ないです!』と言われてしまい、今では飛び入りで土木工事に参加することが多くなった。

 ダイエットのために魔力を消費するのならちゃんと役立ててくれと言うのが、ローデリヒの言い分だ。

 彼の言い分を律儀に守るカタリーナも、大概クソ真面目だけど。


「明日、沢山魔法を使えば大丈夫だよ。そうだ! カタリーナには別のチャーハンを披露しよう。糖質を抑えたチャーハンだ」


「糖質を抑えたチャーハン?」


「つまり太りにくいってことさ」


「本当にそんな料理が作れるのですか?」


「まあ見ているがいい」


 まずは、モヤシとキャベツを細かく刻む。

 モヤシは、俺が教えた作り方が上手くいったようで、今ではバウルブルクでよく売られている野菜だ。

 原料の大豆は、土中の窒素を固定してくれるので肥料を使わずともよく育つし、他の作物の生育も助けてくれるから、田畑の間に植えられるようになった。

 若いうちに枝豆として食べるもよし、味噌や醤油の材料にもなるし、モヤシも栽培できる。

 実に素晴らしい作物なのだ。

 もう一つのモヤシの原料である緑豆は……そのうち見つかるといいな。


「刻んだキャベツとモヤシをゴマ油と共に炒め、そこに米化したオートミールを入れる」


 オートミールの米化とは、水に浸して電子レンジに似た魔道具でふやかすことだ。

 さらにホロホロ鳥の溶き卵を入れ、よく混ぜながら丁寧に炒めていく。

 オートミールは帝国ではよく食べられているが、王国北部にも一部流通しており、それを購入したものである。

 俺が勤めていた商社でも、ダイエットにオートミールがいいという情報が世間に流れた直後から、かなりの量を扱ったのを思い出す。

 オートミールは食物繊維が豊富で腹持ちがよく、糖質オフとなり、カロリーを低く抑えることができるとされる。

 本当にオートミールがダイエットにいいのかは、俺にもよくわからなかったけど。

 テレビ、雑誌、ネットでダイエットにいいと宣伝されたら、俺たち商社の人間は急ぎそれを手に入れて販売し、利益を得るのが常だった。

 必ず売れるからだ。

 次々とダイエットにいい食材が出るということは、いまだダイエットに有効な食材が見つかっていないのではないか。

 そんな風に疑問を感じたら、商社の仕事はできないだろう。

 ようは、どんなものでも食べ過ぎはよくないということだよ。


「米化したオートミールがお米の役割を果たし、刻んだモヤシとキャベツが嵩を増し、同じ量のお米を使った時よりも太りにくくなる。チャーハンの味にも大分近くなるのさ」


 ホロホロ鳥のガラで取った鳥ガラが、いい味をつけてくれるからな。

 オートミールを使った低糖質チャーハンの作り方は、お米のチャーハンの作り方とそれほど違わない。

 大火力で余分な水分を飛ばしていく。

 またも火魔法で火力を調整しながら炒め、無事に低糖質チャーハンは完成した。


「はい、どうぞ」


「ヴェル、随分とモヤシとキャベツが多いから、野菜の味がしそうなチャーハンだな」


「そんなことはないさ。実際に食べてみればわかる」


 俺とエルも、少しだけ試食してみる。

 この低糖質チャーハンは、割と有名な低糖質料理だ。

 オートミールを顧客に卸す時、何度かそんな説明をしたのを思い出す。

 食材を卸す時に、その調理方法を教える。

 向こうも客に教えることができるから好評で、俺は割と多用していた。

 そういう工夫をしてライバルと差をつけなければ、二流商社は色々と大変だったのだ。


「あれ? 本当にチャーハンの味がする」


「だろう?」


「それなのに太らない。素晴らしいですわ」


「(あくまでも太りにくいで、太らないじゃないけど)」


 最初は夜中の間食に否定的だったカタリーナも、美味しそうに低糖質チャーハンを食べていた。

 彼女にこの食べ物は太りにくいと言うと、ほぼ躊躇わずに食べてくれる。

 魔法のお仕事が多いカタリーナは別に太ってはいないし、少しぐらい太っても魔法を沢山使えば痩せてしまう。

 気にする必要はないと思うが、これはもう彼女の性なのかもしれないな。


「あれ? 調理場に人が……。カタリーナさん、夜中にいいの?」


「アマーリエさんこそ、どうしてここにいらしたのです?」


「トイレに行きたくて目を覚ましたら、調理場に人がいるから何事かと思って。あら、美味しそうね」


 アマーリエ義姉さんは、カタリーナが食べている低糖質チャーハンが気になるようだ。


「作りましょうか?」


「催促したみたいで悪いわね。太らないって聞いたらつい欲しくなってしまって」


 女性は、『太らない』というワードが好きだ。

 正確には『太りにくい』だけど。

 再びフライパンを振るって低糖質チャーハンを作ると、アマーリエ義姉さんも美味しそうに食べ始めた。


「この料理、確か本当はお米で作るのよね?」


「ええ、今度お昼に作りますよ」


「お米の代わりに野菜を使ったチャーハンでも美味しいから、きっとお米を使ったチャーハンはもっと美味しいのね。楽しみ」


 低糖質チャーハンよりも、普通のチャーハンの方が美味しいのは確かだ。

 だが、世の中にはダイエット需要というものが存在しており、それに応えられる料理が評価されるのが常。

 低糖質チャーハンはかなり本物のチャーハンに味が近いから、そのうち流行するかもしれない。

 まあ、チャーハン自体がこの世界ではさほどメジャーな料理じゃないのだけど。


「お昼なら、お米のチャーハンを食べて大丈夫でしょう」


 カタリーナは、先ほど俺とエルが食べていた普通のチャーハンが気になるようだ。

 ダイエットは必要ないので、その時は沢山食べればいいさ。

 でも、やっぱりお米のチャーハンも食べるんだな。

 そして、ダイエットに励むわけか……。

 人間の業だな。





「ヴェル、お腹空いたな」


「ああ、また夜食を食うか」


 そんなにあることではないが、またも夜遅くまで仕事をしていたらお腹が空いてしまった。

 エルと俺は屋敷の調理場で、なにか食べられるものを探す。

 すると……。


「カツがあるな」


「しかしもう冷えているぞ。温め直す必要があるだろう」


 夕食で、猪の肉と脂身から作ったラードで作った猪カツを食べたのだが、作りすぎて余ってしまった。

 冷えた猪カツは、 魔道具のレンジでも、なんなら魔法でも簡単に温められるので余っても問題ないし、元々この猪カツは調理人たちに『好きに食べたら?』と言ってあるものだ。

 だが、夜中の調理場で冷めた猪カツを見つけたその瞬間、俺の中にある欲望が抑えられなくなってしまった。

 夜中にこの脂っこいカツを食べたら、どれだけ美味しいだろうと。

 ただ、揚げてから時間が経ったカツをそのまま食べても美味しくない。

 そこで……。


「まずは、人数分の猪カツを包丁で一口大にカットしていく」


「冷たいまま食べるのか? 俺はどうかと思うな」


「いや、これをカツ丼に仕上げる、美味しく蘇らせるのさ」


 俺が思うに、カツ丼とはそういう料理だ。

 せっかくカラッと揚げたカツを甘辛い割り下で煮込んで、カツの美味しさの一つであるサクサク感を奪ってしまうのだから。

 同じような料理に天ぷら蕎麦もあるが、世の中には蕎麦ツユが染みた天ぷらの衣が大好きな人もいる。

 カツ丼にもその法則が当てはまるわけで、俺は常にカツを揚げないと提供が間に合わないカツ丼専門店の経営者ではないので、カツ丼を作る時のカツは残り物の方がいいと思う。

 温め直して、カツの美味しさが復活する感じがいいのだ。


「水、醤油、みりん、出汁は昆布から取ったやつが冷蔵庫にあるな。これをフライパンで熱し、沸騰してからスライスしたタマネギを入れて数分煮る。タマネギが柔らかくなったら、カットした猪カツを並べてさらに少し煮る」


 冷たくなった猪カツのサクサクは失われたが、熱々の美味しいカツ丼として復活する。

 この過程が実に素晴らしいのだ。


「そしてここに、溶いたホロホロ鳥の卵を入れる」


 弱火で煮ていき、卵が半熟になったらご飯の上に載せて完成だ。

 ちょうどミズホ公爵領産の三つ葉もあったので、これも上に載せると彩がよくなって最高だ。

 ただ、以前からカツ丼の上に載せる三つ葉が味にどう影響するのか疑問なところもあるが、あくまでも見た目重視ということで。

 

「カツ丼の完成だ!」


「おおっ! 今日も美味そう!」


 先日のチャーハンよりもさらに高カロリーで、夜中に食べると背徳感が堪らない一品でもある。

 二人でかき込むようにカツ丼を食べていると、またも何者かが調理場に入ってきた。


「あなた、こんな夜中になにか食べるのは健康によくないですよ」


「ヴェンデリン、美味そうなものを食べておるではないか」


「夕食の残り物のカツですか?」


 エリーゼ、テレーゼ、リサという、実に不思議な組み合わせだったが、たまたまトイレで起きてきたのかな?

 しかし、相変わらずエリーゼは真面目というか。

 彼女には教会で教わった医学の知識があるので、経験則で夜中に食べるのはよくないと思っているのであろう。


「まあエリーゼよ。人生は長い。たまになら、そこまで問題もあるまい。のう、リサ」


「ええ……。とても美味しそうですね。エリーゼさんもたまにはよろしいのでは?」


 女性陣にもカツ丼を勧めて、共犯関係に持ち込むことを忘れない。

 手際よくカツ丼を人数分作り、みんなで夜食タイムとなった。


「これも美味ぇ!」


「カツ丼はいいよねぇ」


 やっぱり、高カロリーなものは美味しいと思うんだ。

 カツの美味しさの一つである衣のサクサクさを帳消しにしているのに、それが許される以上の評価を受けているのだから。


「やはり、卵は半熟がいいな」


「旦那様、卵はちゃんと火を通さないと危ないのでは? とても美味しいですけど……」


 卵の生食は危険。

 リサは心配しながらも、美味しいので食べる手は止まらなかった。

 それに、俺がこの世界にやってきて何年経ったと思うのだ。 

 すでに手は打ってある。


「水を綺麗にする『聖』魔法があるだろう?」


「『浄化』ですね。まさか卵を『浄化』してしまうなんて驚きです。普通、ただの水になってしまうので」


 カツ丼を食べる手を一時止め、エリーゼが俺の問いに答えた。

 すぐにまたカツ丼を食べ始めたけど。

 どんなに汚い水でも飲用可能にする聖魔法があるのだけど、それを改良して生卵を殺菌できるようになったのだ。

 実は汚水以外に『浄化』を用いると、それに含まれていた水分のみが抽出されて綺麗になり、他はすべて消え去ってしまう。

 どんなものからも綺麗な水を抽出、浄化する魔法なので、土を『浄化』しても極少量の水になり、卵を浄化してもやはり同じだ。

 『浄化』対象に含まれた水分しか浄化できないので、普通なら魔力の無駄であり、誰もそんなことはしないけど。


「そこは苦労して魔法を改良したから」


 試行錯誤の際に、いくつの卵を少量の飲める水に変換してしまったか……。

 とにかく苦労の末に、卵を殺菌する魔法の開発に成功した。

 加熱する場合は必要ないけど、これでいつでも卵かけご飯や半熟卵が食べられるようになったのは嬉しい。

 親子丼もカツ丼も他人丼も。

 卵は半熟の方が美味しいのは、エルやエリーゼたちを見てもあきらかなのだから。


「ヴェルのやる気の方向性は、たまに理解できないな」


「なんとでも言うがいいさ」


 今、ここにはいないエル嫁、ハルカはきっとその功績に気がつくはずだ。

 なぜなら、彼女はミズホ人だから。


「ミズホ人と卵の生食に関係あるのか? そんな話はハルカから聞いたことないぞ」


 エルは首を傾げていたが、後日、彼女に卵を安全に生食できる『浄化』の件を話したら、予想どおりとても食いつきがよかった。

 

「ミズホ人は卵の生食に拘っていまして、それで命を落とした人も少なくないのです。兄様も、ミズホの魔法使いたちも大いに興味があると思いますよ」


「わからん……。どうしてヴェルは、ミズホ人にそこまで詳しいんだ?」


 やはりハルカは、卵の生食の話をエルにしていなかったようだな。

 エルが不思議がっていたが、それは俺の前世がミズホ人によく似ている日本人だからだ。

 とにかくその結果、ミズホ人の魔法使いたちが俺に新しい『浄化』を教わりにくるようになった。


「ほほう、目に見えない生き物を取り除くイメージですか……」


「他にも、採取した卵はすぐに綺麗な水で洗うなどの方法も有効だ。これは魔法じゃないけど」


「なるほど」


「温泉卵という手もあるぞ。鍋に水を入れて熱し、沸騰したら火を止め、卵を入れて鍋に蓋をする。黄身をトロトロに仕上げたければ二十分間、半熟に仕上げたければ二十五分間温める」


「黄身が固まらない状態でも、お腹を壊さないのですか?」


「厳密に言うと危ないので、この完成した温泉卵を『浄化』すればなお安全だ」


 卵の黄身の中心部が七十五度を超えないと食中毒の可能性もあるが、そのための『浄化』である。

 ミズホの魔法使いたちは非常に優秀で、俺の教えを真綿が水を吸うがごとく習得していった。


「段々と、ヴェルが新しい魔法を教えているのか、安全な生卵と半熟卵の扱いを教えているのかわからなくなってきた」


「生卵も温泉卵も便利だぞ。茹でたてのうどんに載せてから醤油を回しかけ、刻みネギを入れて混ぜるだけで美味い」


 生卵と温泉卵があれば、卵ぶっかけうどんもこのとおりだ。


「おおっ! 簡単なのに美味しい!」


「卵のコクと滑らかさが、醤油のトガった味を補強してくれるのか! これならいくらでも食べられるぞ!」


「ぶっかけ温泉卵うどん、最高だ!」


「作り方が簡単なのもいい」


 わざわざミズホから『浄化』を教わりにくる真面目な人たちなので、オマケで色々と教えておいた。

 これで安全に、生卵と半熟卵を食べられるようになるはずだ。


「いやあ、とてもいいことを教えたな」


「確かに、卵を『浄化』しても水にはならなくなったな。本当にこれで、お腹を壊さなくなるのかわからないけど……」


 無事ミズホにも、安全な卵の生食の仕方が広がってよかった。

 温泉卵は、ミズホには昔から温泉があるので今さらだったけど、家庭でも気軽に温泉卵を作れるようになったのはいいと思う。


「プリン、プリン。夜中に、生クリームをたっぷり載せたプリンを食べると美味ぁ」


「はあ、確かにとても美味しいですね」


 カツ丼の件でリミッターが外れたのか。

 たまに俺が夜中に夜食を食べていると、そこにエリーゼも参加するようになった。

 今も、生クリームをたっぷり載せた調理人手作りのプリンを美味しそうに食べている。

 だが一つだけ懸念があり、しばらくそんな生活を続けていたら、それが現実のものとなってしまった。


「ねえ、エリーゼ。少し太った?」


「えっ?」


 フリードリヒたちの世話をしていたエリーゼに、ルイーゼから鋭い一言が突き刺さった。 

 確かによく見ると、彼女は少しふくよかになったような気が……。

 よく見ないとわからないけど、そこは簡単に他の女性の胸のサイズがわかるルイーゼだけあって、信ぴょう性は高かった。


「イーナさん、私、太りました?」


「うーーーん、少し?」


「ほら、実際に」


「ひゃっ!」


 ルイーゼがエリーゼのお腹を摘まむと、少し余分なお肉が……。


「エリーゼは、ヴェルの夜食につき合いすぎだと思うわ」


 そう言われてみると確かに、このところ夜食を食べていると、エリーゼの参加率が高かった。

 今では、エルよりも回数が多いかも……多いな。

 真面目な彼女からしたら、夜食タイムはストレス発散の手段なんだろう。

 イーナも参加するようになったけど、毎日ちゃんと槍術の訓練でカロリーを消費しているので体型に変化はなかった。

 魔闘流の使い手であるルイーゼも同様だ。 


「ですが、ヴェンデリン様は全然太っていませんし……むしろ少し痩せた?」


「それはさぁ。ヴェルは、毎日魔法で忙しく働いているからだよ」


 ルイーゼが、俺とエリーゼの運動量について説明を始めた。

 俺は毎日魔法の修練を欠かさず、ローデリヒの計画どおり多くの土木作業に従事している。

 休みの日も、魔の森での狩りに、『瞬間移動』を用いたレジャーで魔法を多用していた。

 一方のエリーゼであったが、このところ育児があるので魔法の使用頻度は低い。 

 元々彼女は治癒魔法の使い手なので、狩猟に参加することも少なく、参加しても怪我人が出なければ治癒魔法の出番はない。

 それなのに、俺と同じようにカロリーの多い夜食を食べ続ければ……。

 

「まあ、太って当然だよね」


「……痩せます! 私! 痩せます!」


「エリーゼ……さん?」


 滅多にないエリーゼの強い口調と決意を聞き、俺は驚きを隠せなかった。


「運動と食事の節制をするんだ」


「いえ! それよりももっと効率的な方法があります!」


 運動と食事の節制以外に、ダイエットに有効な方法?

 しかし、エリーゼが狩りに参加しても魔法を使う機会が少ないと思うのだけど、一体どうするのかと思ったら、予想外の方法を実践したのであった。





「さあ、治りましたよ」


「おおっ! エリーゼ様、ありがとうございます!」


「怪我が治ってよかったですね。次の方、どうぞ」


 バウマイスター辺境伯様の奥様であるエリーゼ様は、さすがは聖女と呼ばれるお方。

 このところバウルブルクの人口は増え続けていたが、そのせいで医者と治癒魔法使いが不足気味で、怪我をしてもなかなか治療してもらえなかった。

 幸い薬や包帯などは豊富にあるので、自然治癒を待てば問題ないのだけど。

 そんな状況を憂いてか。

 追加の医者と治癒魔法使いの手配がつくまで、エリーゼ様が週に三回も無料で怪我人たちの治療をしてくれることになったのだ。

 お子がお生まれになったと聞くが、とてもそうは見えないほどお美しいエリーゼ様が、手際のよく怪我人たちを治療していく。

 治癒魔法の光とエリーゼ様の組み合わせは、まさに聖女と呼ぶに相応しいお姿であった。

 

「エリーゼ様、今日はこの辺でよろしいのでは?」


「いえ、魔力切れギリギリまで一人でも多くの方の治療をさせてください」


「エリーゼ様……なんとお優しい!」


「俺、バウマイスター辺境伯領の領民でよかった」


「お祖父さんの怪我が、後遺症もなく無事に治りました。治療代は必要ないとのことですが、せめて畑で採れた野菜を受け取ってくだせえ」


 それから一年ほどで、医者と治癒魔法使いが増えてエリーゼ様の無料治療は無事に終了したが、それ以降も不定期だが、無料で怪我人の治療をしてくれることも多かった。

 エリーゼ様はお忙しいだろうに、我々のような貧しい領民たちにまで気を使ってくれて、さすがは聖女と呼ばれるだけのことはある。

 そんなエリーゼ様に対し我々ができることと言ったら、毎日真面目に働いて、エリーゼ様の無料治療の時、もっと貧しい人たちに譲ってあげることぐらいだろう。


 しかし本当に、バウマイスター辺境伯領の領民になれてよかった。





「ヴェル、エリーゼが無料治療の回数を増やした理由が、ダイエットのためだなんて、ありがたがっている領民たちには言えないよね」


「……それで助かっている人たちも多いから……」


「エリーゼ、少し瘦せたけど、夜食の回数は減っていないから、また太ったら無料治療の回数を増やさないといけないかも」


「それは、領民たちにとってはいいことなんじゃないかな」


 知らぬが仏とは、こういうことを言うんだろうな。

 実際に怪我人が治っているから、これでいいと思うんだけどね。

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