第一話 一宮信吾というリア充な少年
「信吾! 榛名ちゃんが迎えに来たわよ!」
「わかったよ、母さん」
今日もいつもと同じく朝七時に起き、学校へ出かける準備も万端に整っている。
それでも毎日、僕の幼馴染である赤井 榛名(あかい はるな)が家に迎えに来るのが習慣となっていた。
僕は遅刻なんてしたことがないのだけど、榛名に言わせると『万が一のことがあるから、ちゃんと迎えに行ってあげる』だそうだ。
幼稚園の頃からの腐れ縁ではあるが、僕ももう高校生なのだから、少し放っといてくれると嬉しいんだけどな。
「兄貴、また嫁が迎えに来たのか?」
「うるさい、バカ洋司が!」
「バカはないよな。そりゃあ兄貴はいい高校に行っているけどさぁ……」
我が弟ながら、毎日榛名が迎えに来る度に俺をからかいやがって。
榛名が嫁?
残念ながら、あまりにつき合いが長すぎてそういう感情を抱いたことはないな。
向こうも、そういう風には思っていないだろう。
誕生日には『お父さんに編んでいたやつの失敗作だから』ってマフラーをくれたり、クリスマスには『あんた、どうせ江木と男だけの、ムサいクリスマスパーティーをやってそうだから出てあげる』と言って一緒にクリスマスパーティーをしたり……江木ってのは、もう一人の幼馴染のことだ……バレンタインで大きく『義理』と書かれたチョコレートケーキをくれたりはするけどね。
あまりに長い間一緒にいるから、正直なところそういう気持ちすらないのだ。
「母さん、兄貴、相変わらずアホだな」
「そうね……お父さんでもここまで酷くなかったわ」
こら、外野!
勝手に、人をアホ呼ばわりしないでくれ!
「いってきます!」
自宅の玄関を出ると、そこにはいつもと変わらない幼馴染が立っていた。
幼稚園の頃からの腐れ縁で、背は一向に伸びない赤井榛名だ。
「おはよう、信吾」
「おはよう、榛名。今日も背が伸びてないな」
「うるさい! 私もいつかパリコレモデルばりに背が伸びるのよ!」
これでも、小学校五年くらいまでは榛名の方が背が高かったんだ。
それが、今では僕の方が二十センチ以上も背が高くなっている。
本人は背が伸びることを期待して毎日牛乳を飲んでいるが、学校の男子連中に言わせると、今の榛名が最高なんだそうだ。
榛名は見た目は可愛いし、胸もすごく大きいからな。
『可愛いブラジャーがなかなかない』とか言われても、僕は困ってしまうけど。
僕に、下着屋関係の知り合いはいないのだから。
「今日は終業式で明日からは夏休みだ。早く成績表をもらって帰ろう」
「赤点で夏休みは補習なんじゃないの?」
「残念だけど、それはない」
僕はこれでも、結構成績はいいからな。
それに、せっかくの夏休みを補習で潰すなんて勿体ないから、毎日ちゃんと勉強もしていた。
「私も、信吾に限って赤点はないと思うけど」
今通っている高校までは徒歩で五分ほど、この高校を志望したのは、家から近かったのと、進学率がよかったからだ。
ありきたりな人生だとは思うけど、なるべくいい大学、いい就職先って、高校一年生で枯れた考えだと思わなくもないが、それには大きな理由があった。
実は、僕は他人と入れ替わっていたからだ。
勿論これは、他の誰にも話していない。
まず信じてもらえないし、下手をしたら心療内科へ通うことを勧められてしまうであろう。
実は僕は五歳まで、ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスターという名前だった。
その名のとおり、僕は元々日本人じゃなかった。
いや、この地球に住む人間でもなかった。
どこか別の世界、ヘルムート王国の僻地にあるバウマイスター騎士爵領内で貧乏騎士の八男として生まれたんだ。
前の世界は、この世界に比べるとお世辞にも進んでいるとは言えなかった。
電気、ガス、水道などはなく、トイレも汲み取り式。
当主であるはずの父や跡継ぎである兄までもが、毎日開墾の指揮を執って泥まみれになって働いていた。
そんな家で八男に生まれた僕の将来は、決して楽観できるようなものではなかったと思う。
上の兄さんたちのように、将来は領地を出て一人立ちすることを目指さなければならなかっただろう。
そういえば、エーリッヒ兄さんも時間があれば懸命に勉強をしていたな。
なんでも、王都で下級官吏の試験を受けるのだと言っていた。
僕も同じような道を辿るのかなと思い、毎日書斎に入って勉強していたのだけど、ある朝、目を醒ましたら赤ん坊になっていた。
この一宮信吾という人物に乗り移っていたのだ。
それからの僕は、ずっと一宮信吾として生活している。
この世界は、僕に言わせるととても素晴らしいと思う。
テレビで流れるニュースなどを見ると、確かによくない点も多いかもしれないけど、僕の比較対象はあくまでもバウマイスター騎士爵領だ。
あの閉塞した田舎領地に比べれば、ここは遥かにマシだった。
この世界には魔法がなく、その代わり科学技術が進んでいる。
科学は、勉強さえすれば誰にでも習得できるのがよかった。
なにより素晴らしいのは、この国には身分差が存在しないことだ。
昔にはいたそうだが、今の日本には貴族なんて存在しない。
家や領地を長男が継ぎ、次男は予備、三男以下は邪魔者などという習慣もなかった。
一宮信吾は長男であったが、弟である洋司にそういう思いをさせないで済むのはよかったと思っている。
ただ一つ、気になる点が……。
それは、僕と入れ替わってしまったであろう本物の一宮信吾のことだ。
こんなに素晴らしい世界から、あのどうにもならない田舎に住む貧乏貴族の八男になってしまったのだ。
入れ替わりは僕のせいではないけれど、やはり罪悪感は覚えてしまう。
彼はちゃんと暮らせているのであろうかと、今でもたまに心配になってしまうのだ。
「どうしたの? 信吾?」
ついヴェンデリンの体に憑依してしまった本物の一宮信吾の身を案じていると、榛名から心配されてしまった。
きっと、深刻そうな表情を浮かべていたからであろう。
「なにか心配事?」
「いや、そんなことはないけど……」
「きっと、毎日赤井さんのおつき合いで一宮君も大変なのでしょうね」
「出たわね……黒木麻耶」
登校途中の僕たちに声をかけてきたのは、中学校からの知り合いである黒木麻耶さんであった。
艶やかでよく手入れされた黒髪をなびかせ、背も高くスタイルも抜群、女子にも人気があるクール系美少女という評価を受けている。
いわゆる高嶺の花というやつだけど、なぜか僕によく話しかけてくるんだよなぁ……。
「出たわねって……人を悪役みたいに……一宮君も、毎日毎日赤井さんと一緒では息が詰まって大変でしょうということよ」
「黒木さんこそ、毎日声をかけてきて暇なのかしら?」
「私は、たまたま顔を合わせているだけよ」
「たまたまねぇ……黒木さんの家は反対方向じゃないの?」
「ちょっと、向こうのコンビニに用事があっただけよ」
黒木さん、榛名目当てに……という風にも見えないよな。
でも、実は喧嘩するほど仲がいいとか?
「んなわけあるか! お前は相変わらずで、逆に安心するわ。おっす、信吾」
「よう、拓真」
続けて声をかけてきたのは、榛名に次いでつき合いが長い幼馴染その2である江木拓真であった。
こいつとも、小学校以来のつき合いであった。
「なんだ、江木か……」
「江木君、おはよう」
「二人ともおはよう。赤井はいつも俺に対して酷いな。扱いが適当だ」
「つき合い長いからねぇ」
「そういう風に甘えていると、いつか友達なくすぞ」
「はいはい、気をつけるわね。それよりも、江木は補習ばかりの夏休みになりそうね」
「ふんだ! ギリギリ回避したぞ!」
「えっ! 本当なの?」
「どうしてそこで疑うんだよ? やっぱり赤井は酷いな」
江木拓真という男の印象を一言で言うと、『やればできる子(榛名命名)』だからな。
中学三年当初の成績ではどうやっても僕たちと同じ高校に入れない学力だったのに、そこから驚異的な努力をして入学した。
拓真は、どうしても僕たちと同じ高校に行きたかったらしい。
今はサッカー部に所属しており、一年にしてレギュラーの座を掴んでいる。
僕は運動神経が普通だから、拓真が羨ましい時があるんだよね。
「でも、夏休みは部活漬けだけどな」
「それで、女の子たちの黄色い声援に包まれるわけだ」
拓真は勉強もやればできる子だし、運動神経もいいからな。
サッカー部の一年生レギュラーでもあるので、学校の女子たちにはモテた。
残念ながらというべきか?
榛名と黒木さんは、拓真をそういう風に見ていないようだけど。
「まあ、高校時代限定だろうけどな」
うちの高校、部活に力を入れていない方の進学校だから、そんなに強くないんだよなぁ。
強豪校のように、恐ろしい練習量があるわけでもない。
現に、今こうやって拓真と朝の挨拶をしているくらいだから。
遠方から通学する部員もいるから、うちの高校の運動部、朝練がない部活の方が多いのだ。
「へえ、じゃあ江木はサッカーで青春を満喫しているわけね」
「いえいえ、赤井さん。夏休みはそれだけでは埋まりませんよぉ」
「拓真、お前急に卑屈になってないか?」
「信吾、毎年、毎休みのことでしょう?」
ああ、そうだった。
榛名の言うとおりだ。
江木は自分で努力する時はするけど、他人がどうにかしてくれる時には努力しないからな。
小学生の頃から、いつも僕と榛名の宿題を写していたんだった。
「拓真、今年もか?」
「いやあ、それがですね。信吾様。あっしは、高校入学の時にやる気を大分失ってしまいまして、これの回復は大学受験の頃なのではないかと一考するわけですよ」
「お前は、どこの地方の人なんだよ……」
それと拓真、お前には矜持というものがないのか?
「赤井さん、明日から信吾と一緒に夏休みの宿題をこなすと愚考しやすが」
「江木ぃ……あんたは江戸っ子か?っての……。まあ、それは毎年のことよ」
僕もこういうことは早めに終わらせたいし、榛名も僕と同じなんだよな。
そして時間差で拓真が参加をして、僕たちが終わらせた宿題を写すと。
「俺、部活で忙しいんだよ!」
「サッカー部の練習は週に四回、しかも午前中だけ。沢井さんから聞いたけどね」
「ぬぉーーー! マネージャーのお喋りぃーーー!」
いや、それは別に秘密事項でもなんでもないじゃん。
ちなみに沢井さんとは、僕たちのクラスメイトでサッカー部のマネージャーでもある女子の名前だ。
「お願いします、海とか遊びに行く時にはつき合うから!」
「それは褒美なのか? ああ、拓真の奢りなのか!」
「いや、バイトもしていない俺にそれは無理! このぉ! 江木拓真がぁ! この体でお支払いいたしますぅーーー!」
「あーーー、お前、なんかムカつく」
それって、ただ一緒に遊びに行くだけだろうが……。
第一、拓真に体で支払ってもらってもなぁ……僕にそういう趣味はないのだから。
「海の家で大々的に飲食して、江木に皿洗いで支払わせようか?」
「赤井の鬼ぃ! 今度、漫画貸すから!」
「本当に、しょうがないわねぇ……」
榛名は最初拓真に厳しいことを言うけど、最終的には甘いんだよな。
もしかすると、実は榛名、江木が好きなのかもしれないな。
でも、こういう問題はあまり性急に結論に至ると大変な結末を迎えてしまうかもしれない。
二人の幼馴染として、僕は暖かく二人を見守るとしよう。
「あはははっ! 三人は面白いのね」
などといつものようなやり取りをしていたら、それを傍で見ていた黒木さんが珍しく大きな声で笑っていた。
「幼馴染っていいわね。私はお父さんが転勤族で引っ越しばかりだったから」
黒木さんのお父さん、超一流の商社勤めだって聞いたからな。
そういうお仕事は転勤も多く、色々と大変なのだと思う。
「つき合いが長いからね。お気楽に言い合える部分はいいと思うよ」
「私にも、そういう人がいればいいのだけど……」
黒木さんは、初見でちょっと近寄りがたい雰囲気があるからなぁ……。
人気はあるのだけど、見ているだけでいいと、距離を置く人は多いのかもしれない。
「大丈夫だよ。黒木さんにもそういう人がきっと現れるよ」
「そうかもしれないわね。ところで、明日から夏休みの宿題を始めるって赤井さんが言っていたけど……」
「毎年のことだから」
早めに宿題を終わらせ、残りの休みを満喫する。子供なりの知恵というわけだ。
「普通は夏休み終了間際、宿題に追われるケースの方が多いような気もするけど」
「らしいね」
これも、僕が違う世界にいたせいかもしれないな。
僕からすると、もっと大きくなったら農作業、狩猟、採集にも従事するはずだった前の世界に比べると、この世界は勉強とちょっと家の手伝いをすればいいから楽なんだけどね。
でも娯楽が多いから、その点には気をつけないと駄目かな。
誘惑が多いと、ついそちらにかまけてしまうかもしれない。
「私も、その宿題をやる会に参加してもいいかしら? 三人でやれば、もっと早く終わるかもよ。教え合うことも可能だから」
黒木さんは成績もいいからなぁ……確実に、拓真より戦力になるはずだ。
というか、拓真はただ宿題を写すだけだし。
「信吾、今なにか失礼なことを考えなかったか?」
「いいや、全然」
失礼なことじゃなく、ただ心の中で事実を指摘しただけだ。
「俺は大歓迎だ! 早く全部の宿題を写し終えられるからな!」
「それはよかったね」
拓真は、他人の宿題を写すだけだから気楽なものだな。
「一宮君だけじゃなくて、赤井さんにも許可を取った方がいいのかしら?」
榛名は嫌だっていうほど了見の狭い奴じゃないけど、一応念のためちゃんと許可は取った方がいいかもしれない。
「榛名?」
「えっ? 別にいいわよ」
「じゃあ、明日は黒木さんも一緒で」
「一宮君のお家の詳しい住所と、明日辿り着けないかもしれないから、連絡先を交換しておきましょう」
「そうだね」
女の子と連絡先を交換するなんて榛名以外ではいなかったのだけど、これがクラス一と評判の美少女ともなると、純粋に嬉しさ倍増だ。
「信吾、黒木さんと連絡先を交換できてよかったわねぇ」
ただ、なぜかそのあと榛名の機嫌が悪かったような気がしたのは、僕の気のせいなのであろうか?
「ピンポーン!」
「はーーーい!」
特に何事もなく、高校一年生の一学期は終了した。
終業式では校長による長いお話のせいで具合が悪くなる生徒が……高校ではさすがにいなかったな。
言うほど、校長の話も長くなかったから。
あとは、教室で担任から成績表を貰って終業であった。
成績はそう悪くはなかった。
『赤点ラインを、限界ギリギリで低空飛行しているな。ここは信吾と赤井の援護がなければ沈んでいたところだ。両者の支援に感謝する!』
『江木、感謝する時間があったら、家で教科書くらい開きなさいよ』
『駄目だ! 家は俺の休息所なんだ!』
学校の帰りに榛名と江木がいつもの漫才を繰り広げ、いよいよ始まった夏休み。
「黒木さん、本当に来るって?」
「もううちの近くにいるみたい。今、メールで教えてくれた」
「そう……」
榛名の機嫌が少し悪いような気がするけど、江木は午前中部活で午後からしか来ないからかな?
「ピンポーーーン!」
「はーーーい」
「こんにちは、一宮君」
黒木さんは時間どおり、我が家にやって来た。
制服姿の黒木さんは綺麗だけど、私服姿も大人っぽくていいな。
クラスで黒木さんに気がありそうな……委員長の高畑とかが見たら喜ぶのかな?
真面目で成績優秀な高畑は、誰が見てもわかるほど黒木さんに気があるからな。
「今日は招待してくれてありがとう。暑いから、アイスクリームを買ってきたわ」
「悪いね、黒木さん」
「おはよう、赤井さん」
「おはよう、黒木さん」
この二人、ちょっと他人行儀な気もするけど、普通に勉強会は始まった。
とにかくこの宿題を終わらせねば。
『高校生にもなって宿題かぁ……義務教育じゃないんだし自主性に任せればいいのに』と思わなくもないけど、うちの高校は進学率が自慢の学校だからなぁ。
放置して、拓真みたいな奴ばかりになってしまうと困るのだろう。
「一宮君、ここがわからないんだけど」
「ええとね、ここは……」
「一宮君は理数系が得意で羨ましいわ。私は文系は得意なんだけど……」
「僕は逆に、文系はそれほど得意ってわけじゃないから……」
飛ばされてきたこの世界、前の世界と言語がほぼ同じなのはよかったけど、知っていた文系よりも、初めて習う理数系の方が面白くて得意になってしまったのだ。
「じゃあ、文系の教科は私が教えてあげるわ」
「ありがとう」
努力はしているのだけど、古文や漢文がちょっと苦手なんだ。
黒木さんが教えてくれるのはありがたい。
「信吾、私は別に得意教科も不得意教科もないけど教えて」
「なんだそれ?」
「ここっ! ここっ! ここがわからない!」
「わかったよ」
あれ? 榛名も成績はいい方なんだけど……こんな簡単な問題がわからないのか?
「ちょっと度忘れしちゃったのよ」
「そういうのはあるよな」
「でしょう!」
そんなに強く言わなくても……。
宿題の処理は順調に進み、十二時になると昼食をどうしようかという話になった。
「ファミレスに行くか、ピザでも取ろうか?」
うちの両親は共働きだから、昼食は自前でどうにかしないといけないんだよな。
弟の洋司は、中学でバスケの部活が忙しいから夕方まで帰ってこない。
料理なんてしたことがないあいつに、食事の面倒を任せるほど僕も無謀じゃないけど。
「一宮君、私が簡単に作ろうか?」
「でも、悪いよ」
「黒木さん、お料理作れるの?」
いや、榛名。
さすがにそれは失礼じゃないか?
「うちも両親が共働きだから、一人で作る機会も多いの。簡単になにか作るわね。ああ、でも。お台所を勝手に使うと、一宮君のお母様がお気になされるかしら?」
「それは大丈夫」
うちの母、もの凄くちゃらんぽらんだから。
別に料理が不味いわけじゃないけど、結構大雑把だし。
「じゃあ、軽くなにか作るわね」
そう言い残すと黒木さんは台所に向かい、三十分ほどでチャーハンと野菜とワカメのスープを作ってくれた。
「黒木さん、手際がいいんだね」
「慣れているからよ。それにチャーハンなんて簡単な料理だから」
料理は本人が言っていたとおりに簡単なものだったけど、片付けまでしてこの時間で済ませているから、彼女は本当に料理に慣れているのだと思う。
「じゃあ、せっかくだからいただこうか「ピンポーン!」」
と思ったら、再び呼び鈴がなった。
「はいはい」
僕が出ると、そこには息を切らせながら全力で走ってきたと思われる拓真が立っていた。
「あれ? もうサッカー部の練習は終わりか?」
「終わった! でも、家に帰ったら母さんがいなくてさ。昼飯の自力確保が必須となったから、信吾の家に来たんだ」
そこで、自分だけでなんとかするという選択肢はないのか?
「ちょうど昼時じゃないか。信吾がなにか食っていないかと思ってさ……おっ! 美味しそうな匂い!」
拓真の奴、えらく匂いに敏感だな。
黒木さんの手料理に気がつくなんて。
だがな。
これは三人分しかないし、宿題をしていない拓真には食わせる気はないからな。
前の世界の影響もあるけど、僕は自分の飯を奪われるのが一番嫌なんだ。
「匂い? 拓真の気のせいだろう。宿題の写しならあとで来いよ。じゃあな」
僕がそう言って急ぎドアを締めようとすると、すかさず拓真がドアの間に足を挟み、両腕でドアをこじ開けようとする。
「サッカー部のレギュラー君。足を大切にね!」
「だったら、ここを開けてもらおうか!」
「ちっ! 運動部は力があって!」
「やるではないか。帰宅部であるはずの信吾君!」
二人で玄関のドア巡って攻防を繰り広げていると、戻ってこない僕が気になったのか榛名と黒木さんが顔を出した。
「信吾も江木もなにしているの?」
「榛名、拓真が飯だけタカリに来た!」
僕は、さらに力を入れてドアを締めようとする。
「人聞きが悪いな! 信吾君! 俺は宿題を手伝いに来たんだよ!」
だが、拓真も負けずにドアを強引にこじ開けようとする。
「手伝い? その割には勉強道具がないな」
「おっと、忘れてしまった。でも、俺にも貢献できる教科はあるぞ」
「へえ、聞きたいものだねぇ!」
「算数と図工」
「このうすらあんぽんたん!」
算数や図工が、高校の教科にあってたまるか!
「江木。あんたのお母さん、またお昼作ってくれなかったの?」
「おう! 近所のおばさんたちとカラオケみたいだな」
拓真のお母さん、本当にカラオケ好きだよなぁ……。
僕には理解できない。
「というわけだから、飯をくれ!」
「私は別にいいんだけど……」
昼飯を作ったのは黒木さんだから、榛名も彼女が許可を出さないと駄目だと思っているんだろうな。
「あっ! 黒木さん! いい匂いがするけど、黒木さんが作ったの?」
「ええ、江木君も食べる?」
「是非!」
拓真、お前声が大きいよ。
「誰かお代わりするかと思って少し多めに作ったから、江木君がいても大丈夫よ」
「やったぁーーー! 黒木さん、優しいなぁ」
黒木さんがオーケーを出したので、僕はまあいいかと、拓真を家の中に入れるのであった。
「このチャーハン、美味しいな!」
「本当に美味しい。うちにある材料で、よくこれだけの味が出せるね」
「そんなに難しい料理でもないし、作り方は料理本やテレビでよくやっている方法よ」
急遽部活を終えた江木も加わり、四人で黒木さんが作った昼食を食べる。
その味は、僕の母さんよりも上だった。
母さんが作るチャーハンはもっとべちょべちょしており、黒木さんのチャーハンみたいにパラパラじゃなかったからだ。
卵も焦げている時がある。
「榛名、美味しいよね?」
「そうね」
なんか、榛名が静かだな。
いつもの元気がないというか。
「赤井がさ。小学生の時に作ったカレーが酷かったよな」
「あれな」
子供会のキャンプで榛名がメインで作ったんだが、えらく味が薄かったんだよなぁ。
「そういやさ、あれから赤井の料理って食べたことないけど、ちょっとは上達したのか?」
「当たり前でしょうが! あんな失敗! 小学生の時だけよ!」
江木の問いに、榛名が怒鳴るような大声で答えた。
そんなにムキになることかな?
「実際のところどうなの? 信吾」
「えっ? 普通に美味しいけど」
たまに作ってもらうけど、うちの母よりも……いや、うちの母を基準にすると、実は結構ハードルが低い?
「赤井さん、一宮君に料理を作ってあげたことがあるの?」
「たまにね。信吾のお母さんが仕事で忙しい時とか……」
家が近所同士だからってのもあるけど、僕の母と榛名のお母さんは仲がいいから、忙しいうちの母に代わって夕食をご馳走になることが多かった。
ここ二~三年は、ほぼ榛名が作ってくれるけど。
とはいっても、月に一回くらいのことだ。
「二人って仲がいいのね」
「幼馴染だからね」
「そっ、そう! 私と信吾とは幼馴染だから!」
榛名、別にそこまで幼馴染なのを強調する必要があるのか?
昼食を終えると、さすがに拓真には家に勉強道具を取りに行かせ、四人で宿題に取りかかった。
「拓真、世界史の問題集を埋めておけ」
「アイアイサーーー!」
やはり、外の人間の目があった方がいいな。
黒木さんがいるから、拓真も真面目に宿題をやっている。
しばらく真面目に勉強をしていると、時間が午後三時になった。
「江木君、アイスクリームを買ってきたから、オヤツの時間に食べましょう」
「江木拓真、感激です!」
これで本当に拓真が宿題をするペースが上がるのだから、僕も含めて男という生き物は美少女に弱いことを実感してしまう。
これを拓真に言うと、『お前もだろうが!』と言い返されそうなので言わないけど。
「予想以上に捗ったわね」
「これも黒木さんのおかげかな?」
「いやあ、宿題を写させてもらえる優秀な仲間が三人に増えて、俺は万々歳さ」
「拓真は自力で少しでもやっとけ。あとで困るぞ」
夕方、この日の宿題の会は終了の時を迎えた。
やはり、成績優秀な黒木さんがいると宿題も捗るね。
もうすぐ弟の洋司も汚い格好で戻ってくるだろうし、今日は両親も定時で帰ってくると言っていた。
そろそろお開きということになり、榛名は目と鼻の先に自宅があるし、拓真は男だから勝手に家に帰るであろう。
どうせうちから徒歩二~三分だし、僕に男を送る趣味はない。
というわけで、黒木さんを最寄りの駅まで送っていくことになった。
「信吾、私を送ってくれたことなんてないじゃない」
「そんなことをしなくても、毎日のように一緒に登下校しているじゃないか」
お互いの家が目と鼻の先にあるのに、榛名は随分と無茶を言ってくれるな。
ここは、家が遠い黒木さんを送るのがマナーであろう。
「もう知らない! 信吾のアホ!」
榛名のやつ、いきなりアホはないと思う。
とにかく、今は黒木さんを送る方が先だな。
黒木さんの家は、僕の家から徒歩十分ほどの距離にある駅から二駅ほど先だ。
初日くらいは、彼女を送った方がいいに決まっている。
「赤井さん、ご機嫌斜めみたいね」
「まあ、そういうこともあるから」
つき合いが長いから、機嫌がいい日も悪い日もあるさ。
僕は、黒木さんにそう説明した。
「明日にはご機嫌だったりするから大丈夫」
「それは、今までの経験からかしら?」
「そうだね」
「かもしれないけど……一宮君って、少し鈍いって言われたことない?」
「いや、ないね」
取り立てて鋭いとは言わないけど、鈍くもないと思うんだよなぁ……。
「そうなんだ。時にこれまでの評価が必ず正しいという保証もないわよ。一宮君は、それを覚えておいた方がいいわ。じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
夕暮れの駅の改札の前で、白いワンピースに麦わら帽子姿の黒木さんはとても美しかった。
僕が彼女に気があるのかはまだわからない。
でも、今までの拓真と榛名だけの夏休みとはどこか違う夏休みが始まり、これまでとは違うなにかが起こるような気がしたんだ。
それが現実のものとなり、その内容が僕が予想していたのとは大きく違ったものになるとは、今の時点ではまったく想像できなかったけど。
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