第349話 ワタシノトモダチ ヴェンデリン(後編)
「お久しぶりです。バウマイスター辺境伯様」
「陛下共々、辺境伯への陞爵を心からお祝いします」
ペーターは適当な喫茶店に入ったように見えたが、その店内はすでに貸し切り状態であった。
昔のように少数の護衛で動くわけにいかず、店内には一般客に化けた多くの護衛たちが席に座りつつ、お茶を飲みながら見張りを続けており、店外にも多くの護衛がいるようだ。
彼の側には、近衛隊長に就任した剣豪マルクと、正式に筆頭魔導師に就任したエメラの姿があった。
彼女は、心なしかふくよかになったような気がするな。
「エメラさん、おめでとうございます」
「わかりますか?」
「ええ」
「エリーゼ、なにが?」
「エメラさんは妊娠しているのです」
それで、少しふくよかになっていたのか。
でも、まだお腹はそう目立っていないような……。
魔法使いはローブを着るから、わかりにくくするのは簡単なのだけど。
「ペーター、エメラさんと式を挙げたのか?」
「いや、籍すら入れていない。これからもその予定はない」
子供ができたのに、側室にもしないのか。
ちょっと冷たくないか?
「僕は、エメラ以外の女性とそういうことをするつもりはないんだ」
「気持ちはわかるが……」
一国の皇帝が、実質上の妻が一人だけで済ませられるものなのだろうか?
俺もそれができたら……俺はそうする必要がないか。
「大丈夫だよ。帝国の皇帝は世襲制じゃないから。次は、他の選帝侯家の子供の誰かが皇帝になるでしょう。皇家はうるさいのがほとんどいなくなってね。どこからか現れた僕の子供が皇家を継げばいいのさ」
エメラさんが産んだ子供は認知するわけだ。
そして皇家の跡継ぎにする。
エメラさんを正式に妻にしないのは、最悪彼女の暗殺を目論まれるからか?
自分の娘をペーターの妻に押し込み、産まれた子供が皇家の跡取りになるのを期待している貴族たちからすれば、エメラさんは邪魔だよな。
「籍を入れなければ、エメラは優秀な筆頭魔導師だ。バカ共も手を出しにくい。それに……」
「それに?」
「皇家ってのは、代々の婚姻政策でうるさい外戚が増えた。クソ親父は能力にも問題があったけど、何代前に妻を出したからと口を出してくる外戚連中に配慮しすぎてね」
一度ニュルンベルク公爵のクーデターで軟禁されて、ペーターの父親は大幅に力を落とした。
再び皇帝の座に無理やりついた時、彼が頼りにしたのはそういう連中だったのか……。
「クソ親父は縁戚たちで与党を組織しようとしたら、逆に力を落としたってわけさ。僕がいなくても、テレーゼ殿の一派に負けていただろうね」
ペーターは父親の死後、今度はテレーゼの兄たちと組もうとしたこういう連中を追い落とし、処罰した。
おかげで皇家は、ペーターが独裁権を発揮できるわけだ。
元々皇家は、帝国の予算を捻り出す官僚組織としての面がある。
皇家で力があるペーターは、皇帝としても力があるというわけだ。
処罰で皇家が組織していた官僚層にもダメージがあったが、ペーターは昔から従えてた商人、平民、貴族の次男坊以下の有能な連中の抜擢、組織の下位者で有能な者を出世させて皇家を活性化させた。
彼はエメラとのみ添い遂げようという目標と、皇家の複雑怪奇な縁戚関係をリセットして強固な皇家を作り出したのだ。
私的な欲望と、公的な欲望を同時に達成してしまう。
俺にはとても真似できないな。
「そりゃあ、テレーゼは負けるわ」
「彼女は、あのニュルンベルク公爵も認めていた女傑だけどね。でも、フィリップ公爵家当主の枠組みの中でしか動けない欠点があった。内乱がなければそれで十分なんだけど……」
「とにかく、俺にはとても真似できないよ」
そこまでして、ペーターはエメラさんだけを愛するわけか。
皇帝としてはすぎた我侭……その選択に伴うデメリットは、自分の力でなんとかしたわけだ。
こいつは、本当に大した男だな。
「エメラには悪いのだけど……」
「私は気にしていません」
「そこは素直に『ペーターは優しいから好きっ!』とか言ってよ」
「嫌です。恥ずかしいので」
そう言って、少し顔を赤らめるエメラさん。
前とは違って、ペーターの言うとおりにデレたな。
「時間は短いけど、プライベートな時間は夫婦そのものだよ。エメラは料理とか作ってくれるから」
二人は実質夫婦になったわけか。
それはよかった。
「極秘来訪も、新婚旅行も兼ねてだからね。外国ならうるさい連中もいない。口実もあった」
「魔族か……」
「交渉が進まないのは仕方がないね。今までお互いを認知していなかったのだから、貿易をしなくてもなにも困らないわけだし」
「それでも、人間には欲がある」
魔族との貿易で儲けようとする連中は、貴族や政府に圧力をかけてくる。
逆に、魔族との貿易で損をしそうな連中もそうだ。
彼らによる水面下での争いのせいで、交渉はなかなか進まないのだけど。
「帝国も、王国と一緒なのさ。魔道具ギルドの横やりが酷くてね。帝国の魔道具ギルドは、魔導ギルドの別部門みたいな存在だけど、逆に組織が一緒だから魔導ギルドも反発している。内乱で世話になったし、犠牲も多くて組織の再建に奔走しているからさ」
内乱で、帝国の魔法使いは大勢討ち死にした。
特にニュルンベルク公爵は、在野の魔法使いも硬軟織り交ぜて勧誘し従軍させていたため、俺たちに殺されて多くの犠牲者を出していたのだ。
「魔道具を作れる魔法使いは前線に出なかったからね。相対的に魔道具ギルドの力が上になっちゃったんだよ」
新たな魔法使いの探索と育成では、魔道具ギルドが稼ぐ資金を当てにしないといけない。
魔族と貿易が始まって、もし魔道具ギルドが作った魔道具が売れなくなったら。
王国の魔道具ギルドと同じく、死活問題だろうな。
「帝国も王国と同じか……」
「ミズホ公爵もだよ。あそこは、今までリンガイア大陸一の技術力を持っていたんだ」
それが、魔族のせいで一番じゃなくなった。
技術力があるから少し高くても売れたミズホ製の魔導具は、この瞬間にとても中途半端な品になったというわけだ。
「そんなわけで、この交渉は長引くよ。貿易量の制限、関税の導入まで行くのに何年かかるかなぁ?」
それはそうだ。
物語でもあるまいし、突然一夜で双方が納得する条約なんて不可能だ。
日本やアメリカだって、TPPの交渉を何年もやっているのだから。
しばらく待つしかないよな。
「じゃあ、これで難しい話は終わりだね。ヴェンデリン、どこか遊びに連れて行って。バウマイスター辺境伯領の南の海とかがいいな。帝国は寒いからねぇ。南国っていいよね」
「それはいいんだが……」
俺は、思わずエメラさんを見てしまう。
妊婦に『瞬間移動』はよくないからなぁ……。
となると魔導飛行船になるわけだが、今からだと南の海に到着するのに三日はかかってしまう。
日程は大丈夫なのかと心配してしまったのだ。
「これがあるから大丈夫だよ。エメラ、ヴェンデリンに見せてあげて」
「はい。これです」
そう言ってエメラが懐から取り出したのは、あきらかに古代魔法文明時代の魔道具であった。
十字型のアクセサリーに、色とりどりの小さな魔晶石、よくわからない微細な魔法陣や文字がビッシリと書かれている。
「魔道具ですよね? でも、あまり魔力を感じません」
十字についている魔晶石が小さいため、エリーゼは大した効果がある魔道具には見えないようだ。
なにかを維持するような、ちょっと特殊な魔道具ではないかと俺は思った。
「これを持っていると、なにかを防ぐ、状態を維持する魔道具か?」
ブランタークさんも、俺と同じ意見のようだ。
「さすがは、ブランターク殿。帝国では『振動抑制装置』という名で呼ばれている。旧ニュルンベルク公爵領で最近発掘されたんだ。その効果は、『瞬間移動』の悪影響から妊婦を守るだね。昔は、人の移動がもっと活発だったようだね」
妊婦が移動系の魔法陣や『瞬間移動』を使うと、流産や奇形のリスクが増す。
この魔道具は、それを防ぐ役目があるようだ。
「便利といえば便利か」
需要はないわけではないが、極端に少ないと思う。
移動系の魔法陣は研究途上で、『瞬間移動』を使える魔法使いは少ない。
女性、それも妊婦を移動させる機会はほとんどないからだ。
「今回は役に立ったけどね。極秘来訪だから、船を仕立てるわけにいかなかったのさ」
「なるほど。では、陛下の許可を取ってご案内いたしましょう。明日にでも」
「楽しみだね、エメラ」
「はい」
その日はみんなで夕食を一緒にとり、その間に王都バウマイスター辺境伯邸に詰めている家臣が陛下に聞きに行ってくれた。
王都の屋敷とは、俺が王都在住時に購入したものである。
ところがバウマイスター男爵の頃に入手した屋敷なので、そろそろ大きな屋敷に買い替える必要がありそうだ。
実はキャパ的にはなんの問題もないのだが、辺境伯がこんなに小さなお屋敷では外聞がよくないらしい。
これもすぐに買い直さないといけないが、リネンハイムに要相談だな。
「お館様、許可が出ました」
勝手にペーター一行を接待すると、帝国の皇帝とバウマイスター辺境伯の間で密談が……とか言い始める貴族が出ると思うので……その筆頭は確実にプラッテ伯爵であろうけど。
彼はある意味、今バウマイスター辺境伯家で注目の男であった。
俺は、彼の息子が他国のブタ箱に入れられている最大の要因だからだ。
「同行者がいるそうですが」
「そのくらいなら」
多少人が増えても、『瞬間移動』でどうとでもなる。
誰か王国中枢に近い人の監視があった方が、ペーターと俺たちも痛くもない腹を探られないで済むというわけだ。
「それで誰が来るんだ?」
「それがわからないのです」
王城から戻ってきた家臣も、誰が同行するのか聞けなかったようだ。
申し訳なさそうな表情をしている。
「誰か王族か、暇そうな大臣あたりであろう」
「導師、今の王国に暇な大臣なんていませんよ……」
本来、一番暇なはずの外務卿ですら大忙しいのだから。
他の閣僚たちも、もし魔族の国から様々な品が輸入されたら蒙るであろう様々な影響に対応しないといけない。
いくら戦争がなくても、閣僚というのは忙しい存在なのだ。
「明日になればわかるのである!」
そして翌朝。
ペーターたちはバウマイスター辺境伯邸に泊まり、その庭から南の海へと『瞬間移動』で飛ぶことになった。
場所は、ヴィルマと海産物を獲ったあの砂浜の近くだ。
可能な限りの人たちも参加して、みんなで海で泳いだり、釣りや簡単な漁をしたり、バーベキューなどをする予定になっている。
王城から監視に来る予定の人たちを待っていると、時間より少し前にその人物が姿を現した。
「えっ? 王太子殿下?」
「バウマイスター辺境伯、陞爵おめでとう。私も色々と忙しい身なのだが、今日はアーカート神聖帝国の皇帝陛下も参加する重要な席でもある。私が直接出席した方がいいという話になってね」
ペーターの格を考えて、陛下は無理だが、王太子殿下が出席したというわけか。
「(バウマイスター辺境伯、殿下はとても楽しみにしていたようである)」
導師が小声で教えてくれたが、なにしろ目立たないヴァルド殿下のことだ。
多分、このバカンスに参加してもあまり問題はないはず。
むしろ、誰が見てもわかるほど嬉しそうな顔をしていた。
それほど喜んでもらえるのなら光栄だが、それを指摘してしまうと問題がありそうな……。
ペーターも知っているとは思うが、王太子殿下の存在感がないのを彼の前で堂々と公表しても、いいことはなに一つなのだから。
「殿下、お忙しいなか本日はありがとうございます」
「気にするな。私とバウマイスター辺境伯は、これから親戚同士になるのだから」
殿下の息子には俺の娘アンナが嫁ぐし、フルードリヒには殿下の娘が嫁ぐ。
二重の婚姻で、俺と殿下は深い繋がりとなったわけだ。
「ヴェンデリン、君も段々と苦労が増えていくね。でも、僕とヴェンデリンはそういう血縁の関係よりも深い同じ戦場で苦労した戦友であり、親友同士だものね。プライベートな時間では、身分なんて関係ないさ」
おい、ペーター。
いきなり殿下を挑発するなよ。
殿下の顔色が一瞬で変わったぞ。
「ペーター殿、私にとってもヴェンデリンは大切な友人であるのだよ」
いきなり殿下からそう言われたが、友人なのか?
そこまで一緒に遊んだり会ったことも少ないし、知人よりは濃い関係か?
将来は親戚になるのだから。
「僕にとってもそうさ。ヴェンデリンが帝国貴族だったらと思うよ。気軽に遊べる機会も増えるからね」
「それは残念でしたね。私たちには、これから子供たちのこともあります。親が決めた許嫁同士でありますが、なるべく交友を深めてから結婚させたい。もう少し大きくなったら、定期的に一緒に遊ばせようと思います」
これはいわゆる、『パパ友』というやつか?
ママ友の方は、前世でよく聞いたけどな。
それにしても、殿下は子供たちを定期的に会わせようと計画していたのか。
あとでローデリヒに相談しないと。
俺たちが王城に出向く時はいいが、逆の時には警備の問題もあるのだから。
「ヴェンデリン、こういう席では私のこともヴァルドと呼んでくれて構わない。なにしろ、我らは友人同士なのだからね」
ペーターとヴァルド殿下、二人とも笑顔であったが視線で火花を散らしていた。
「(バウマイスター辺境伯、人気であるな)」
「(そんな人事みたいに……)」
「(人事なのは事実である!)」
「(言いきった!)」
導師が、俺を小声でからかってくる。
どっちが俺の真の親友かと、くだらない争いを水面下で始める二人。
自慢じゃないが、十二まで友達がゼロでボッチだった俺を取り合ってなにが楽しいのであろうか?
「私が王に即位した暁には、ヴェンデリンが王宮筆頭魔導師として私を支えてくれる予定だ。父もアームストロング導師と親友同士だからね。親子で似るものだね」
「僕とヴェンデリンは、所属する国とか、身分とか、仕事とか関係なく親友同士だからね。僕みたいな身分だと、そういう友人は貴重なのさ」
「私もそうだよ。ペーター殿」
「僕もそうさ。ヴァルド殿下」
二人はますます火花を散らせ、俺は今日これからどうなるのか、大きな不安を抱いてしまうのであった。
「ペーター殿、帝国内乱の際にはバウマイスター辺境伯と共に戦って戦友だそうだが、彼は渡さない。彼は私の親戚となり、親友にもなるのだ」
ヘルムート王国王太子にして、次期国王であるこの私ヴァルドは、どういうわけか存在感が薄かった。
父は、私が次の王に相応しい能力があると認めてくれている。
弟も同じで、彼は後継者争いを避け、すでにメッテルニヒ公爵家に婿入りしていた。
メッテルニヒ公爵として、私を支えてくれるそうだ。
妻も美しく気立てのいい女性だし、可愛い息子と娘にも恵まれた。
幸せなはずなのに、私はある事実に気がついてしまった。
それは、私には友達がいないのだという事実にだ。
私は王太子なので、知人は沢山いる。
目立たないとはいえ、どこかに出かける際にはお供くらいつく。
では、彼らは友達かと言われればそうではない。
父にはアームストロング導師がいるが、私にはそういう存在がいないのだ。
ならば、私は友達を探そうと決意した。
その候補はバウマイスター伯爵であり、その理由は私と同じような匂いがするから。
だが、彼には家臣に親友がいてとても羨ましかった。
さらに、帝国内乱で新皇帝となったペーター殿と友好を深めたらしいという情報が入ってくる。
彼は魔族との貿易交渉絡みで極秘来訪していたが、私は聞いてしまった。
『せっかく王国に来たから、ヴェンデリンとどこか遊びにでも行こうかな?』
『陛下、バウマイスター辺境伯様はなかなかにお忙しいそうですが』
『大丈夫だよ。ヴェンデリンは友達だから、一日くらいなら融通してくれるって』
彼と御付きの家臣の話を聞いて、私は大きく動揺した。
駄目だ!
彼は私の親友になるのだ!
だってそうだろう?
これから私の娘は彼の息子に嫁ぐし、私の息子の嫁は彼の娘なのだから。
私たちには、深い結びつきがあるのだ。
他国の皇帝だかなんだか知らないが、私こそがバウマイスター辺境伯の真の親友なのだ!
そもそも、なぜ彼を名前で気安く呼ぶのだ?
その資格があるのは私のはずなのに!
こうなれば、私もその集まりに参加するしかあるまい。
これは決してペーター殿がバウマイスター辺境伯の親友だと認めたわけではなく、いくらプライベートでも帝国の皇帝と我が国の偉大な魔法使いにして辺境伯が仲良くしていたら、いらぬ言いがかりをつける貴族が出てくるかもしれないからだ。
彼の親友たる私は、バウマイスター辺境伯が疑われるのを防がなければいけないのだから。
私が参加していれば、そういう噂も出ないからな。
というわけで、私は父に断って今日の行楽に参加している。
今日は楽しい一日になるであろう。
なにしろ、私はバウマイスター辺境伯の親友同士だからな。
「なに? ヴェルを巡って男同士で取り合い? おおっ!」
「ルイーゼ、そういう周囲に誤解を招く言い方はやめてくれないかな」
「ボク、間違ったことは言っていないよ」
今日はペーターたちとヴァルド殿下とその御付きの方々で、バウマイスター辺境伯領南端にあるプライベートビーチにおいて海水浴が行われることになった。
俺が『瞬間移動』で参加者たちを運び、多くの人たちがこれに参加している。
屋敷からエリーゼたちも呼び寄せ、ドミニク以下メイドたちは、前回と同じくバーベキューを含めた飲食物の用意をしている。
水着はバウマイスター辺境伯家の者たち以外がいるので生地が多いものであったが、みんな南国の海を楽しんでいた。
ペーターとヴァルド殿下は変に張り合っており、ルイーゼがその理由を聞いてきたので事情を説明したら、そういう風に言われてしまったのだ。
「そう思われても仕方ないよね」
「あのなぁ……俺にそういう趣味はないからな」
そういう噂が立つだけでも双方致命傷なので、それはやめてほしかった。
「なんてね。冗談冗談。でも、ヴァルド殿下は凄いね。ヴェルも友達少ない方だけど、それを上回るんじゃないかな?」
「それも危険な発言だな」
不敬罪扱いされかねない。
俺とルイーゼが話をしている最中にも、ペーターは昔ながらの生地が多い水着を着て海で泳いでいた。
泳法は導師が教えたバタフライで、その導師だが彼だけは人目も気にせず前に俺から貰った黒のブーメランパンツを履いている。
「導師、すげえ水着だな」
「泳ぎやすいのである!」
「水の抵抗はなさそうだな」
これまで、導師のブーメランパンツ姿を見たことがなかったブランタークさんも驚いていたが、前回はエリーゼたちも際どい水着姿だったからなぁ……。
今は他人の目があるので、彼女たちも生地が多い水着を着ていた。
「おーーーい、ヴェル。助けてくれぇ……」
「どうかしたか?」
海水浴に護衛として参加したエルは、ルルと藤子の遊び相手にされ砂に埋められていた。
砂山から顔だけ出している状態で、体に次々と大量の砂をかけられている。
「エルは子供と遊ぶのが上手だよな」
「そうか?」
「だよねぇ。ただ遊ばれているだけだよ」
「こらぁ! 失礼だぞ! ルイーゼ!」
ルイーゼからルルと藤子と精神年齢が同じだと言われ、エルは一人怒っていた。
「護衛の仕事があるんだけどなぁ……」
「大丈夫だろう」
バウマイスター辺境伯家が出している護衛は他にもいるし、ペーターはマルクとエメラなどの少数精鋭で、ヴァルド殿下にも護衛はいたので、エルが子供たちに遊ばれていても問題ないだろう。
「というわけなので、埋められていても問題ないぞ」
「ヴェンデリン様、もっといっぱい砂を盛りますね」
「俺も手伝うぞ」
ルルも藤子も、砂浜での砂遊びを楽しんでいた。
大人びてはいても、やはり普段は年相応の子供なのだ。
「私も泳ごうかな?」
「なりませぬ! 王太子殿下に万が一のことがあったら、陛下に申し訳が立ちませんから!」
「なんか大変だね。僕は普通に泳ぐけど……」
ペーターは、導師から教わったバタフライで南国の海を思う存分泳いでいたが、ヴァルド殿下は御付きの老臣に泳ぐのを止められてしまった。
もし王太子殿下が溺れでもしたら、彼らの責任問題になってしまうからであろう。
「ペーター殿は泳いでいるぞ」
「殿下、他所は他所。うちはうちなのです」
ヴァルド殿下についている老臣は、うちの母親(前世)みたいなことを言うな。
子供の頃、同級生が夏休みに海外旅行に行くと聞き、俺も行きたいと言ったら、同じようなことを言われてしまったのを思い出した。
彼らからすれば、もしペーターが溺れ死んでも自分たちの責任じゃないと思っているのであろうが。
「融通が利かないなぁ……」
「殿下も大変ですね」
「ヴェンデリン、私のことはヴァルトと呼んでくれ」
「あの……。それも難しいかと……」
その融通が利かない御付きたちの目と耳があるので、下手にヴァルド殿下を呼び捨てにした結果、不敬だと批判されたら堪らない。
批判だけならまだいいが、処罰される可能性だってあるのだから。
「ペーター殿は名前で呼んでいるじゃないか」
「それは、帝国で一番偉い人がそれでいいと言っていますし、御付きの連中もみんな顔見知りなんですよね……」
内乱時に知り合った人たちばかりだから、彼らは俺がプライベートな時間にペーターを呼び捨てにしても問題視しないのだ。
ついでに言うと、彼らはみんなペーターが好き勝手活動していた頃からの仲間や家臣だったりする。
ペーターが海で泳いでも、誰も気にしないのだ。
溺れたら自分が助けに行けばいい。
その前に、泳ぎが上手な彼が溺れる可能性はほぼないと思っていた。
「ううっ……。せっかくヴェンデリンと海に来たのに……。砂を盛っておこう」
景色を見るだけでなにもすることがないヴァルド殿下は、エルを埋めた砂山をさらに大きくする作業に没頭し始める。
なんの意味があるのかと思わんでもないが、そういえば俺も、前世で一人の時にただ黙々とプチプチを潰したりした。
それと同じなのであろう。
暇つぶしなのだ。
「殿下、楽しいですね」
「そうだな」
「おーーーい、フジコ。そろそろ俺を出してくれ」
「殿下のご要望だ。我慢しろ」
ルルと藤子もそれにつられ、砂山はさらに大きくなっていく。
エルは余計に抜け出せなくなった。
「殿下って、一人遊びがよく似合うね」
「ルイーゼ、しぃーーー!」
その姿に少し哀愁を感じてしまう。
俺は王太子殿下じゃなくてよかった。
「ヴァルド殿下、そろそろお食事の時間です」
しばらくみんなで泳いだり砂遊びをしたのち、ドミニクたちによる食事の準備が完了した。
「野外で大胆に魚介を焼いて食べるのもいいね」
「昔、狩猟の成果をみんなで焼いて食べたのを思い出します」
ペーターたちは俺たちと一緒に、ドミニクたちが用意したバーベキューに舌鼓を打ち、魔の森産の果物を用いたトロピカルジュースなども堪能する。
御付きの連中も、ペーターと狩りをして小銭を稼いでいたような者たちだ。
網の上で焼ける魚介類に抵抗もなく、美味しそうに食べている。
「美味しそうな料理ではないか」
「殿下はいけません」
「はあ? こういう場所に来て、こういうものを食べないでどうするのだ?」
「ご安心ください。バウマイスター辺境伯様から食材と調理人の提供を受けまして、殿下に相応しいコースを作らせました」
「アームストロング導師は、普通に食べているぞ」
「導師殿は大丈夫です」
普通どころか誰よりも食べているが、導師はなにを食べてもお腹は壊さないようなイメージがある。
御付きの老臣にしたって、導師がお腹を壊しても責任があるわけじゃないからな。
どうせ注意しても無駄だろうし、止める権限もないから放置しているのであろう。
「殿下はなりません」
ヴァルド殿下についている老臣が、衛生面や、第三者により毒物が混入されない保証がないという理由からバーベキューは駄目だと言い放ち、俺は調理人にコースメニューを作らせていた。
ヴァルド殿下だけは、数名の御付きと共にテーブルの上に準備されたコースメニューを食べる羽目になる。
材料もいいから美味しそうではあるのだが、 ヴァルド殿下はとても不満そうだった。
確かに、外にレジャーにやって来て、自分だけ高級レストラン風の料理を食べさせられてもな。
こういう時は、バーベキューの方が美味しいであろう。
でも、俺はなにも言えないんだよなぁ……。
「ペーター殿は、普通に網で焼いた魚介を食べているが……」
「他所は他所。うちはうちでございます。殿下は常に健康でなければならず、どのような危険もあってはならないのです」
「……」
ヴァルド殿下は諦めてコース料理を食べ始めるが、俺はなぜ彼に友人がいないのかなんとなくわかってしまった。
似たような立場のペーターだが、こいつは元々三男で皇帝になれるような立場の人間じゃなかった。
側にいる連中も似たような立場の者たちばかりだし、うるさそうなことを言いそうなのは内乱で消し飛んでいる。
自己責任ではあるが、ペーターは比較的自由に行動できた。
「この大きなエビや貝は美味しいね」
「生きている間に焼かないと駄目だけどな。もしくは締めてすぐに魔法の袋に入れたものをだ」
「いいものを食べさせてもらったよ。エメラも栄養が必要だからね」
「妊婦さんを『瞬間移動』で運べる魔道具か……」
「需要はそれほどでもないけどね」
昔は知らないが、今だと『瞬間移動』が使える人間が極端に少ない。
しかも、妊婦が流産しないようにするという、非常に限定された効果しかないのだ。
量産が必要だとは思えないなぁ……。
「発掘品の効果が、短時間でよくわかったな」
魔道具は定期的に出土するが、そう都合よく説明書と一緒に出てくるわけがない。
現代でもある魔道具の発展形や、過去に出土して使い道がわかっているものならいいが、たまになにに使うのか判明するまで長い時間がかかるものもあった。
振動抑制装置は、特にわかりにくいと思うのだ。
「帝国の魔道具ギルドもなかなか優秀ではあるんだよ。僕は魔法が使えないからよくわからないんだけど。装置が作動した時の魔力の流れを測定して、他にも色々と調査方法があるみたい」
無事に振動抑制装置の使い方がわかり、エメラも海水浴に参加することができたわけか。
「まだ産まれるまで時間がかかるのかな?」
「そうですね。半年以上は先です」
「楽しみね。男の子かしら? 女の子かしら?」
「無事に産まれてくれればどちらでも」
女性陣は女性陣で、楽しそうに話をしながら食事をしている。
話題の中心は、妊娠したエメラであった。
ルイーゼとイーナが、エメラのお腹を撫でている。
「ルルも、将来はヴェンデリン様の子供を産みたいです」
「俺も早く大きくなりたいものだな」
ルルと藤子もエメラのお腹を触りながら、自分たちも早く俺の子供を産みたいと言った。
凄いことを言い出す幼女二人だが、ここには貴族や王族しかいない。
俺以外、誰もその発言をおかしいと思っていないのだ。
「ううっ……ルルちゃんとフジコちゃんの前に、先生の弟子である私たちが先です!」
「アグネス、もう成人したからね」
「私も来年成人で、シンディちゃんは再来年成人。夢の新婚生活だね」
「……」
今の時点でも嫁の数が完全にオーバーフローなわけだが、それを理由に断れる状況ではないようだ。
「ヴェンデリンも大変だね。僕はエメラ一人で精一杯だよ」
「お前は皇帝なんだから、後宮を作れよ」
「皇帝の後宮? それはあくまでもイメージだけだね。物語のお話だよ」
帝国の皇帝は投票で決まる。
その子供が次の皇帝になる可能性は限りなく少ないので、妻の数は普通の大物貴族と同じであった。
在位中は後宮と呼んでいるが、それはあくまでも外部に対する見栄でそう呼んでいるだけだそうだ。
子供が皇帝の位を継がないのに、豪華な後宮があると退位後の後始末で苦労してしまう。
そのため帝国では、正式な後宮というものは存在しないらしい。
「内乱がなければうるさく言う連中もいただろうね。あっ、内乱がなかったら僕に出番はなかったか」
それでも正妻を含む複数の妻を娶れと言われるのが常識であったが、ペーターはあくまでも例外を貫くというわけだ。
「そういえば、ヴァルド殿下はどうなの?」
「どうって?」
「奥さんとか。さすがに一人ってことはないでしょう?」
「……」
そういえば俺って、ヴァルド殿下のことをよく知らないんだよなぁ……。
名前と、奥さんと息子と娘がいる。
王太子殿下だから、側室はいるはずだよな?
全然噂にもなったことがないけど。
「……これから色々とわかるんだよ」
「これから親戚同士になるってのに、君たちはなんか微妙だよねぇ……」
「そんなことはないぞ! 私とヴェンデリンは深い友情と絆で結ばれているのだ!」
いや、殿下。
そんな大きな声で言われても……。
なんかこう、殿下がもの凄く積極的だと、元日本人である俺は逆に引いてしまうというか……。
これまでの付き合いを考えると、そこまで絆は深くないかなと……。
「そうなんだ……」
ペーターは友人が多い方なので、どうもヴァルド殿下のあまりの必死ぶりに引いてしまったようだ。
「そういえばさ。アルフォンスなんだけど」
「あいつ、忙しいのか?」
「テレーゼ殿よりも力のない当主だからね。家を纏めるのに苦労しているみたい。今日も誘ったんだけどねぇ……」
アルフォンスは優秀な男だが、元は分家の当主だ。
テレーゼの兄たちが消えたにしても、フィリップ公爵家の掌握に苦労しているようだ。
元々当主になんてなりたくなかった奴だけど、実は意外と責任感がある男なんだよな。
「じゃあ、今度フィリップ公爵領に一緒に行こうか? こっちのお土産も沢山持って」
「いいねぇ。アルフォンスは僕を支持してくれる貴重な友人だからね。同じく友人であるヴェンデリンと会えたら嬉しいと思うよ」
奴と俺とは、同じ嗜好を持つ心の友だからな。
今もストレス発散のため、奥さんたちを裸エプロンにして楽しんでいるのであろうか。
「私も行こう!」
「あの……ヴァルド殿下は難しいかと……」
そう簡単に、王太子殿下を外国に連れてはいけない。
俺は王族じゃないし、すぐに魔法で逃げられる身軽な存在だから、自由に他国にも行けるのだから。
「そうか……。残念だな。でも、次は子供たちを遊ばせたいな!」
その日は、夕方までみんなで存分に南の海を楽しんだと思う。
ただ一つだけ、ヴァルド殿下はどうしてあんなに必死なのであろうか?
「いやぁ、ルイーゼの言うとおりだな。ヴァルド殿下は、ヴェルよりも酷いわ」
「俺、結構友人が増えたよ」
ここは大切なところだから強調しておこう!
「だから、ヴェルよりも酷いと言っている」
エルは、ヴァルド殿下から十二歳頃の俺と同じ雰囲気を感じたようだ。
俺と同じ雰囲気……ヴァルド殿下は立場の問題もあると思うが、俺と同じくボッチ体質なんだろうな。
そうとしか思えない。
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