第328話 やはり魔法はあまり関係なかった(その3)
「旦那様、魔族の技術とは凄いものですね」
「これは、例の発掘品よりも上だな」
魔族の国では、当たり前のように車が普及している。
魔力で動いているのは魔の森の発掘品と同じだが、それと同等か、それ以上に技術が進んでいた。
燃費、性能、製造コスト、工業デザインまで。
すべてが洗練されているのだ。
ここまで技術格差があると、貿易交渉一つ取っても大変なはずだ。
ユーバシャール外務卿たちは内外からの圧力に曝され、外交交渉がなかなか進まない側面もあるのであろう。
「魔道具ギルドの反発も大きいと思います」
「だよねぇ……」
優秀な魔法使いであるリサは、ユーバシャール外務卿たちに圧力をかけている存在として、魔道具ギルドの存在をあげた。
彼らは、俺たちのお得意さんである。
古代魔法文明時代の遺物を、研究用として高く買い取ってくれるからだ。
汎用魔道具の製造を独占しているので資金はあり、技術発展のためにそれら遺物の収集と解析に力を入れていた。
だがここ数百年、ほとんど成果は上がっていない。
それでも魔道具の製造を独占しているから、魔道具に好きな値段をつけられる。
魔道具の値段が一向に下がらない原因の一つであった。
もしここで貿易交渉が纏まり、ゾヌターク共和国から最新の魔道具が輸入されるようになった場合。
断言しよう。
確実に魔道具ギルドの没落が始まると。
「オウテン殿、ゾヌターク共和国では車はどのくらいで買えるのですか?」
「ピンキリですが、安い中古車なら五十万エーンしませんね。車検と税金と魔力補充代で経費はかかりますけど」
ちなみに、リンガイア大陸では車の製造に成功していない。
帝国やミズホ公爵家でも研究段階であった。
発掘品は大量にあって研究は盛んだが、なかなか独自製造に成功しないのだ。
それもあって、バウマイスター伯爵領でもほとんど車を走らせていなかった。
特にローデリヒが大反対で、その理由は盗難を防げないからだ。
「魔法の袋で簡単に盗めますからね。あちこちに置いて使ったら、バウマイスター伯爵領にどれほどの窃盗団が入り込むか……」
そんな理由があり、厳重な警備が保証できる場所に少数を配置するしかなかった。
あとは、例の大トンネルだ。
さすがに馬車だけでは輸送量に限界があり、トラックなどをトンネルの中だけ往復させている。
これら車両の管理のため、トーマスにはさらに部下が増えて忙しい状態になった。
それにしても、治安が悪いから車が使えないとは……。
だが、もしゾヌターク共和国から安い中古車が大量に輸入されるようになったら、リンガイア大陸の状況は一変するかもしれない。
移動と輸送手段が、革命的な進歩を遂げるのだから。
そして、魔道具ギルドの力は地に落ちるであろう。
現時点で車が作れないのだから仕方がない。
「(魔道具の貿易が認められたとしても、多額の関税をかけて……リンガイア大陸に車なんてないから、いくら関税をかけるんだ?)」
「(魔道具ギルドは、完全輸入阻止で動いています)」
「(あれ? リサは魔道具ギルドに知己がいるのか?)」
「(ええ、数少ない友人ですけど……)」
確かに、昔のリサだと友人はできにくそうだ。
それでも、俺のボッチ時代よりもマシという。
「(魔道具ギルドは、圧倒的な技術力を持つ魔族に警戒しています)」
これまでの地位と既得権益をすべて失うかもしれないのだ。
警戒して当然であろう。
「(それを考えるのは俺たちじゃないから、今は休暇を楽しもう)」
「(はい、楽しみですね)」
「バウマイスター伯爵殿、リサさん、到着しました」
オウテンが運転する車は山間をぬうようにして、一軒のホテルに到着した。
外見だけで豪華だとわかる高級ホテルと、そこから湧き出す温泉で疲れを癒せるそうだ。
他にも、色々な娯楽が楽しめるようになっていると、オウテンが教えてくれた。
「高級リゾートという感じだな」
「はい。私の給料では手が届きませんね。値段が高い代わりに、秘密が守られるというわけです」
芸能人が世間には秘密にしている恋人を連れて来たり、政治家や企業の社長が愛人を連れて来たりするのに使われるケースが多いそうだ。
「秘密を守るため、従業員たちの待遇がとてもいいのですよ。その代わり、一泊お一人様二十万エーンからですけど」
「ふーーーん。そうなのか」
前世の感覚でいうと、一泊二十万円の宿なんて絶対に泊まらない。
だが、今の俺はバウマイスター伯爵だ。
オウテンの前で驚くわけにもいかず、務めて冷静な風を装った。
「到着しました」
「いらっしゃしませ」
車を降りてホテルの受付に行くと、従業員らしき中年男性の魔族が応対する。
耳が短い俺とリサを見てその正体がわからないわけがないが、彼は一言も無駄口を叩かずに、丁寧な接客を続けた。
このホテルの従業員教育が優れている証拠だ。
どんな客が来ても騒がず、その事実を誰にも公表しない。
だからこそ、大金持ちやVIP御用達のホテルなのであろう。
「ガトー事務次官様と、外務省、防衛隊から予約が入っております。バウマイスター伯爵様ご夫妻ですね。十九階のスイートルームがお部屋になります。すぐに係の者がご案内いたしますので」
「(この野郎……)」
どうやら俺は、ガトー事務次官ら官僚たちに試されているようだ。
わざと高額の宿に案内され、そこで俺がどのように振る舞うのか。
俺のお金がなくなってガトー事務次官に貸してくれと言わせたら、それで彼らは勝ちだと思っているのだ。
「スイートか。そこは一泊いくらなんだ?」
「三百万エーンですね」
とんでもなく高いが、ホテルの従業員は顔色一つ変えないで答えた。
慣れてしまって、特になにも感じていないのであろう。
「バウマイスター伯爵殿、お高いでしょうか?」
オウテンが、もう少し安い値段の部屋にしましょうかと聞いてきた。
彼はガトー事務次官の命令で動いているから、部屋のランクを下げたら報告がいくようになっているはずだ。
貴族に限らず、VIPがこういう時に大金を出せないのでは大した奴でもない。
俺だけなら別にそう思われてもいいのだが、バウマイスター伯爵家がそう思われるのは困ってしまう。
必要経費だと思って割り切るしかないな。
これから人間と魔族がどうなるのなんて誰にもわからない。
ここで舐められるのは得策じゃないからだ。
「いや、それで一番高い部屋は?」
「最上階に二部屋だけあるロイヤルスイートですね。こちらは、一泊一千万エーンとなっております」
「じゃあ、そこで」
「それでは、ロイヤルスイートに変更させていただきます」
俺はこのホテルで一番高い部屋への変更を要求し、それは無事に受け入れられる。
それにしても、教育や慣れとは凄い。
従業員たちはまったく動揺せず、極めて冷静に部屋の変更手続きをおこなうのだから。
「ロイヤルスイートには、警備の方や御付きの人が泊まれるお部屋も付属しております」
「よかったですね、オウテン殿」
「そうですね……」
どうせ監視役でずっと側にいるはずだから、一緒に高級ホテルを楽しめばいい。
そして、バウマイスター伯爵の無駄遣いをちゃんと上司に報告するがいいさ。
「こちらがロイヤルスイートでございます」
係員の若い女性魔族に部屋に案内され、早速彼女はお茶とお菓子の準備を始めた。
飲み物は自由に選べ、俺は久しぶりにコーヒーを、リサは紅茶を選んでいる。
お菓子は、温泉宿のようにお土産屋に売っている銘菓ではない。
ホテル専属のパティシエが作る、綺麗な細工が施されたミニケーキなどであった。
他にも、頼めば好きなお菓子を作ってくれるそうだ。
「(旦那様、こういう場合にはチップが必要なのでは?)」
「(そういえばあったね。そんな制度)」
「(制度じゃなくて慣習ですけど)」
お茶を入れてくれた係員は、そのままこの部屋の担当になるそうだ。
部屋に数ヵ所呼び鈴があり、それを鳴らすと部屋の外にある待機室からかけつけて用事をこなしてくれる。
こういう超VIPなホテルに泊まった経験がないので、彼女にどのくらいのチップを渡せばいいのかわからなかったのだ。
「あなたは、この部屋の担当ですよね?」
「はい。二日間よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
そういえばこの国の現金も少ないので、オウテンに頼んで換金してもらわないといけなかった。
そこで、適当な大きさの金の塊を係員にチップとして渡しておく。
「エーン紙幣じゃなくてすまない。リサイクルショップで換金できるから、その分の手間賃も含めてだ」
「ありがとうございます」
金の塊をチップとして貰った係員の女性の声は上ずっていた。
「というわけで、オウテン殿。エーンがないから、これを換金しに行ってくれないか?」
俺は、紅茶を飲んでいるオウテンに死蔵していた宝石の入った袋を渡す。
「こんなにですか? もの凄い金額になりますけど……」
「このくらい必要だろう? 二日間も滞在するんだから」
「……わかりました……すぐに換金に行ってきます」
急ぎ紅茶を飲み干したオウテンは、宝石が入った袋を持って部屋を出て行った。
その表情は必死そのものだ。
もし宝石を買い叩かれてしまったら、それが自分のミスになると思っているからだ。
官僚はミスを嫌う。
もしガトー事務次官に『こいつは駄目な奴』と思われたら、それでオウテンの出世ルートは永遠に絶たれるのだから。
「このケーキは美味しいなぁ」
「そうですね。紅茶も美味しい」
「コーヒーも、香りが素晴らしい」
「ホテルと特別契約した農園で栽培、加工された茶葉とコーヒー豆ですので」
チップを渡した係の女性が、飲んでいる紅茶とコーヒーの説明をしてくれた。
このホテル用に栽培している茶葉とコーヒー豆なのか。
「それは凄いな」
「美味しいわけですね」
必ずしもそうとは言い切れないが、やっぱり高いものは美味しい。
リサと一緒に食べているミニケーキに正式な値段はないが、スイートルームに泊まらないと注文できない。
宿泊費込みであるが、とても高いケーキとなっていた。
「旦那様、普段とは違って随分と無駄遣いをしていますね」
「バウマイスター伯爵様だからしょうがないさ。貴族の見栄ってやつだ」
ここでどこかの安宿に泊まってしまうと、ゾヌターク共和国の官僚たちに舐められてしまう。
民権党の政治家やマスコミ辺りは庶民的だと褒めてくれるであろうし、平民たちにも支持者はいるであろう。
だが現実問題として、安ホテルに泊まる外交特使が有能に見えるはずがない。
他の王国貴族たちに、安ホテルに泊まった事実が知られた時の問題もある。
結局俺たちは、バウマイスター伯爵夫妻に相応しい贅沢をする必要があるというわけだ。
まあ、普段は意外と質素なのは他の大貴族でも同じだ。
だが今この場は、たとえ秘密の滞在でも贅沢をする必要があった。
「というわけだ」
「なるほど。わかりました」
リサは冒険者歴も長く、その関係で多くの貴族を知っている。
前はあんな感じだったが、それでも凄腕の魔法使いなので、依頼はひっきりなしだったからだ。
そんな彼女からすれば、今の俺が置かれた立場が容易に理解できるのであろう。
「それは幸運でした。ちょうど私が同行しているなんて。ルイーゼさん辺りは羨ましがるでしょうね」
今度、連れて行ってくれと言われそうだ。
次の機会があれば、そうしてもいいけど。
「このホテルはなんでもあるみたいだし、リンガイアの出航準備が終わるまで派手に遊ぶか」
「はい」
俺とリサがケーキを食べ終わるのと同時に、オウテンが宝石類を換金して戻って来たので、大量のエーン紙幣を持ってホテル内の探索を始めた。
「旦那様には整体やマッサージ、奥様には肌をより綺麗にするエステがお勧めです」
この高級ホテル、料金は素泊まりのみだそうだ。
あとは、なにをするにもオプション料金がかかる。
最初は、なにやら色々高級なアロマオイルやら泥やら薬草湯などを使うエステに誘われた。
男性用のコースもあるみたいだが、俺は遠慮して整体やマッサージのコースにしておく。
考えが古いかもしれないが、『男性がエステって……』と思ってしまうからだ。
「リサは、エステでいいんじゃないの?」
「ロイヤルコースは、十五万エーンとなっております」
「じゃあ、それで」
エステのコースが十五万……さすがは、セレブ御用達の超高級ホテルだ。
そのくらいの金額を気にしないで支払えないと、ここには来られないのであろう。
「リサ、チップを忘れないようにだって」
「決まりではないのですが、ほぼ全員支払うようですね。相場も決まっています」
俺たちの監視兼世話役をしているオウテンが、このホテルの仕組みを調べてくれた。
このホテルに常駐する様々なサービスを行っている人たちは、その技能の素晴らしさにも関わらず、基本給は思ったよりも低いそうだ。
彼らはサービスを行うとその客からチップを貰い、その技量に相応しい所得を得ている。
評判がいい人は沢山チップが貰えるし、駄目な人はすぐに淘汰されてしまうという仕組みだ。
「平均で二万エーンほどです。サービスが気に入ったら、天井知らずですね。百万エーンくらい、ぽんとチップを出す方もいらっしゃるとか」
「凄いな。そいつ、なんの仕事してんだ?」
「都市部の一等地に、大量の不動産を所持している人ですね」
リネンハイムのもっと凄いバージョンか。
「じゃあ、普通で五十万、サービスがよければ百万、もの凄く気に入ったら二百万くらいだな」
その不動産王に負けるわけにはいかないからな。
せいぜい、観光に訪れた典型的な金満大貴族として振る舞ってやるか。
「オウテン殿は、マッサージしないのか? 疲れているんでしょう?」
「経費の問題で難しいですね。宿泊費はバウマイスター伯爵殿の従者用の部屋に泊まるとして、他の経費も渋々ガトー事務次官が認めた状態なんです。お役所も無駄遣いをすると、マスコミや政治家に批判されますからね」
なんか、本当に日本の官僚を見ているみたいだ。
「とはいえ、ここで自前になったら私は破産ですよ。大学の同期から勝ち組で羨ましいとか言われますけどね。民間の大企業の方が圧倒的に勝ち組だと思いますよ。官僚なんて言うほど給料が高くないですから」
その辺は、以前にエーリッヒ兄さんも下級官吏の給金はビックリするほど安いと言っていたのと同じだ。
年金を足すとそこそこの金額になるも、貴族は出費も多い。
世間で言われるほど裕福じゃないと、エーリッヒ兄さんも言っていた。
「うちの兄も官僚なのですが、苦労は同じようです」
「バウマイスター伯爵殿のお兄様は官僚なのですか。優秀な方のようですね」
「俺よりも優れている、自慢の兄なのでね」
エーリッヒ兄さんは、魔法なんてなくても知力で貴族家の主になったからな。
俺よりも圧倒的に優秀なのだ。
「私は他の仕事もありますので、時間は潰せるのですよ」
オウテン氏は書類の整理をするといって部屋に戻り、俺たちはエステとマッサージを堪能した。
「お客様は、体をよく動かされていますね」
「体が資本の仕事だからね」
毎日魔法の鍛錬はしているし、従軍もし、冒険者としても活動、領内の開発でも色々と動いている。
体は使っている方だと思う。
「お若いのに凝っていますね。ちょっと強くしますね」
俺を担当した中年魔族男性のマッサージ師は、ちょうどいい加減で俺の体の凝りをほぐしてくれた。
さすがはこのホテルに常駐しているマッサージ師だ。
いい腕をしている。
あまりに気持ちいいので、少し眠くなってきた。
それにしても、俺もこの若さでマッサージが気持ちいいとは。
色々と疲れているのであろう。
「終了です」
「体が楽になったよ。じゃあ、これはチップね」
「ありがとうございます……えっ! こんなにですか!」
「気にしないで取っておいてくれ。それじゃあ」
マッサージは気に入ったので、チップは二百万エーンにしておいた。
札束を貰って、マッサージ師は驚いている。
「あなた、どうですか?」
「効果あるんだねぇ……」
男にはよくわからないエステの数々を受けたリサは、見てわかるほど肌が綺麗になり、顔も小さくなり、体も少し細くなったような気がする。
「エステに魔法薬が使われていますね。かなりの高級品だそうですよ」
なるほど。
魔法薬を使用しているから、日本のエステよりも絶大な効果が出るわけか。
「カタリーナが知ったら、ここに来たいと言うだろうなぁ……」
「彼女、ダイエットの権化ですからね」
「さて、次はどこに行きましょうか?」
時間潰しで書類整理を行っていたオウテンも姿を見せ、次の遊び場所へと移動する。
そこは劇場であり、様々な歌手、芸人などがショーを見せ、観客からチップを受け取っていた。
「旦那様、本物の手品師ですね」
「本当だ」
俺とリサは、トランプを使った魔術を行っている手品師が魔法を使わずに手品をしているのを確認して驚いた。
「凄い。王国よりもレベルが高いな」
なまじ魔法があるために、リンガイア大陸における手品のレベルは低かった。
初級魔法使いが金稼ぎで手品に見せかけた魔法を使うというパターンが大半で、彼らが主力という有様なのだ。
「魔族も昔はそうでしたが、魔法を使ったら手品ではない、という流れになったのです」
俺たちの横にいる従業員がそっと教えてくれた。
魔族の手品は地球の手品のように見事で、俺とリサはレベルの高い手品を楽しんだ。
他にも、感動的な歌を歌う歌手、大笑いできる芸人のコントなど。
さすがこのホテルに呼ばれるだけあって、一流の技量を持つ人ばかりだ。
「みなさん、売れっ子ですからね。ここはギャラがよくてチップも出ますから、定期的に来て稼いでいますよ」
魔族の人口は百万人ほど。
市場が狭いので、歌手も芸人も金持ちのチップをあてにして収入を確保しているわけだ。
俺も、面白かったのでチップは弾んだ。
「旦那様、面白かったですね」
「王国の手品師は、あれは魔法だからな」
エステとショーを楽しむと時刻は夜になっており、夕食の時間となる。
部屋に料理を運んでくれるコースもあるそうだが、今夜は正装してホテル内のレストランに向かった。
フランス料理に似た料理のコースが出る高級レストランにし、一人前が二十万エーン。
「私、人生最初で最後だと思います」
オウテンは、俺が奢ってあげた料理と一本二百万エーンのワインを堪能していた。
「このワイン、美味しいですね」
「高いからねぇ……」
俺はお酒に詳しくないのだが、王国や帝国産の高級ワインよりも、飲みやすくて美味しいと思う。
これはあくまでも、俺の個人的な感想だけど。
「ワインに関しては、我が国は研究が進んでいますからね」
前世の経験から、高級ワインってのは決してすべてが美味しい、飲みやすいという保証もないのだが、魔族の国のワインは高いほど美味しいもののようだ。
「ブランタークさんと導師にも買って帰るかな」
「喜ぶと思いますよ」
二人とも、お酒が大好きだからな。
あと、給仕してくれた人とソムリエとシェフにはチップを弾んでおいた。
料理人に関しては、調理を担当したリーダーシェフにチップを渡すと、その人が下で使っている料理人たちにチップを分配するそうだ。
食事が終わると、今度はお風呂だ。
今日は部屋に備え付けられた大きな浴槽に入る。
お風呂は広く、湯船には花や魔法薬由来の入浴剤が入っていた。
その効果は、疲労回復とリラックスがメインだそうだ。
「こういう贅沢を味わうと、癖になって破産しそう」
「冒険者をしていると普通に野宿とかありますしね」
「あるねえ。風呂は『洗浄』で誤魔化して」
リサと一緒にお風呂に入りながら、冒険者あるあるを話す。
彼女は冒険者としての経験が豊富なので、聞いているととても面白い。
「こうして夫婦二人だけというのもいいですね」
「そうだな」
メイクをしていないリサが男性とちゃんと話せるようになったのは最近であり、今日はいい機会だったと思う。
段々となし崩し的に奥さんが増えていたが、結婚した以上、夫婦間のコミュニケーションは重要だからな。
「こういうところに、たまに来ると面白いな」
「他人にお世話されるのに慣れないのは、私は平民の出なので……」
「俺も、普通の貴族とは程遠い家だったからなぁ……」
相互理解も深まり、その日は二人で仲良く同じベッドで眠るのであった。
「おはようございます。バウマイスター伯爵殿、奥殿」
翌日もオウテン監視のもと、俺たちはバウマイスター伯爵夫妻として無駄遣いに勤しんだ。
大量のエーン紙幣があるが、王国に戻れば使えないわけで、ここで使いきってしまおうという腹だ。
朝食後、調理人にチップを渡し、プールで泳いだり、休みながらトロピカルジュースを飲んでのんびりと時間をすごした。
世話役のボーイたちにもチップは忘れない。
「チップ文化かぁ……」
「一部の、金持ち向けの場所だけですけどね」
隣のチェアーで寝転ぶオウテンが、いい機会だからと、魔族の国について色々と教えてくれた。
「それは王国も同じだな」
王国にも厳密なチップ制度はないが、大貴族はサービスが気に入ったらチップを出す。
面白いのが、商人は基本的にケチなので出さない点であろう。
俺に言わせると、チップをケチるくらいだから成功するんだろうなという感覚だ。
勿論大物商人になると、そうも言っていられなくなるそうだが。
アルテリオが以前、もうチップを出さないわけにいかないと愚痴っていた。
苦労して商売を大きくしたので、成り上った商人ほどチップを無駄に感じてしまうのだそうだ。
だからと言って出さないわけにもいかず、気前よくチップを払う大商人という評判が得られるので、まったくの損というわけでもない。
複雑な心境というわけだ。
「人間も魔族も、金持ちと貧乏人がいますからねぇ」
官僚で頭がいいオウテンからすれば、王政でも民主主義でもそれは変わらないと達観しているようだ。
「そろそろ、リンガイアの出航準備が終了するかもしれません」
「じゃあ、その前に……」
リンガイアの乗組員たちも大変だったであろうから、気持ち程度だが、なにかお土産でも渡すか。
そう考えた俺は、プール遊びを中断してホテル内のお店へと向かう。
このホテルには様々な高級品が売られており、リンガイアの乗組員たちは多いが、お菓子くらいなら全員分を余裕で購入できるはず。
「大人買いだぁーーー!」
というわけで、お土産に大量のお菓子を購入し終えたところで連絡が入り、俺たちはホテルをチェックアウトして港へと向かった。
「バウマイスター伯爵様、お久しぶりです」
「あの時は、大変お世話になりました」
港で出航直前のリンガイアに到着すると、船長のコムゾ・フルガ氏と副長のレオポルド・ベギム氏が出迎えてくれた。
二人とも、最初に面会して以来だ。
「色々と思うところはあると思いますが、このまま出航して王都に戻っていただくということで」
「それは問題ありません。約二名ほど乗組員が欠けておりますが……」
「一人は貴族としての責務を果たしただけです。もう一人は、こちらで預かりますので」
「わかりました」
コムゾ氏は、これ以上なにも追及しなかった。
俺がプラッテ伯爵のバカ息子を犠牲に、リンガイアを解放させた事実を理解しているからであろう。
どのみち奴が今回の事件の主犯で、ゾヌターク共和国としては有罪にしないと世論が納得しない。
極めて民主主義的な彼らからすれば、貴族のバカ息子が有罪になって収監された方が納得するからだ。
実行犯のアナキンは、すでに即決裁判で有罪となっている。
罰金も収めたし、執行猶予判決は事実上の国外追放処分だ。
リンガイアで王都に戻るとプラッテ伯爵あたりがなにかしてきそうなので、アナキンはこのまま俺たちがバウマイスター伯爵領に連れて帰る。
そのあとは、借金返済までうちで仕官確定だ。
領地から出なければ、プラッテ伯爵になにかされる心配もないであろう。
「しかし、彼を置き去りにすると、プラッテ伯爵が……」
「あのバカ息子が悪いのは事実ですし、貴族である彼が他の仲間や国家の貴重な財産であるリンガイアのため収監される道を選んだのです。彼は貴族の鑑ですよ」
「建前は大切ですな」
艦長と副長コンビは納得してくれたようだ。
プラッテ伯爵は大切な跡取り息子が収監されて涙目であろうが、文句を言おうにもこういう世論が形成されるので表向きはなにも言えない。
裏で何か画策する可能性は否定できないが。
「船長、急ぎ出航しましょうか?」
副長であるレオポルド氏が状況を察し、すぐに出航しようと船長に進言した。
このまま素直に戻る方が賢いと理解したのであろう。
「そうだな、急ぎ出航するか」
「長期間苦労なされたそうで、大したものではありませんが、お土産などを持参しました。みなさんで分けてください」
「ありがとうございます」
「みんな喜ぶと思います」
大人の二人はあまり深くは詮索せず、約二名を置いて速やかにリンガイアを出航させた。
そして、それを見送る俺とリサとオウテン。
こうして、俺の外交交渉は無事に成功するのであった。
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