第327話 やはり魔法はあまり関係なかった(その2)

「……バウマイスター伯爵、魔族とゾヌターク共和国に関する報告書は読んだ。それにしても……」




 自分なりに色々と努力してみたのだが、端的に言って俺たちの魔族の国訪問はあまり意味があったとは思えない。

 最初は、奥さんや子供たちを連れての登場だったので好意的な世論も多かったのだが、進まない両国の外交交渉に、魔族の国外に対する興味の薄さも手伝って、注目されなくなるまでさほど時間はかからなかった。

 人の噂も七十五日というが、俺たちの話題は一ヵ月保たなかったな。

 魔族という種族は、あまりに長い期間自分たちだけで生きてきたので、人間に興味がある者が少ないのだと思う。

 滞在期間後半は特になにもすることがなく、辛うじて血脈を保っていた魔王様ご一行と遊んでいただけだ。

 彼女たちがゾヌターク王国復興の第一歩だと言っていた農村復興運動を進めていたので、そこで農作業を手伝ったり、収穫物を一緒に調理して食べたり、魔王様がフリードリヒたちの面倒を見たり、俺が魔王様に算数を教えてみたりと。

 政府に相手にされなくなったので、彼女たちとばかり一緒にいたというわけだ。

 外交交渉が進まない以上、あまり長くゾヌターク共和国にいても意味はなく、俺たちはヘルムート王国に戻ってきた。

 西部へ出陣命令も、すでに終了となっている。

 いまだ両国は外交交渉を続けており、ホールミア辺境伯もテラハレス諸島群に魔族が建設した基地の規模や、敵兵力の少なさから判断して金がかかる動員を解除し、即応可能な少数精鋭部隊のみを、サイリウスに配備するだけとなっていた。

 外交交渉が長期化するのが確実な以上、ずっと大軍を動員していたら、ホールミア辺境伯も、他の貴族たちも破産してしまうからだ。

 ただ、西部の準戦時体制は解かれていない。

 ホールミア辺境伯としても、早く平和になることを望んでいるはずだ。

 俺もそれは望んでいるのだが、外交交渉のチグハグさは、王城でも問題になりつつあるようだ。

 だが、魔族側の主張を受け入れると、ヘルムート王国は国が成り立たなくなる。

 魔族側には妥協するという考えがなかった。

 普通の国なら、進まない外交交渉に批判が集まるものだが、魔族は基本的に外国に興味がない。

 大新聞社が政府に気を使って外交交渉に関する報道を控えるようになると、すぐに領空侵犯事件から始まる人間との接触に興味を失ってしまった。

 たまに大本営記事で、ゾヌターク共和国側は強気で交渉しているという記事が書かれ、それならいいと国民は満足してしまうそうだ。


『強気の交渉といえば聞こえはいいっすけど、ただ言いたいことを言っているだけとも言えるっすね』


 ゾヌターク共和国を出る時、見送りにきたルミが事情を説明してくれた。

 交渉団には、人権団体のトップや、動物保護団体のトップがいる。

 彼らはヘルムート王国における男女平等と民主主義の導入、狩猟と捕鯨の禁止などを条件に入れて引かない。

 こういう連中が原理・理想主義者なのは、どこの世界でも同じだ。


「彼らはなぜこうなのだ?」


「生活が豊かだからです」


「それにしては、人口が減少傾向なのか……わからぬ」


 俺にもよくわからないけど、人間って貧しい方が子沢山だったりするからなぁ。

 まともに育つか不安なので、沢山産むと聞いたことがある。

 アフリカの国とかがそうだよな。


「このまま粘り強く交渉を進めると、ユーバシャール外務卿は言っておった」


 粘り強くねぇ……。 

 あの人は、内弁慶という欠点があるからなぁ……。

 向こうに押されて、不平等条約でも結ばなければいいけど。


「外交に関わる者たちをすべて手伝わせておる。そういうことはないはずだ」


 内乱があった帝国との交渉に続き、久々の大仕事というわけで、他の外務卿に就ける貴族たちも積極的に手伝いに行っているそうで、つまりユーバシャール外務卿がポカをしても、他の者たちが止めるシステムが出来上がったわけか。

 その代わり、『船頭多くして船山を登る』の諺どおり、なにも決まらない可能性もあるけれど。


「外交交渉には時間がかかると覚悟しておる」


 焦って不平等条約を結ぶよりは、なかなか決まらないで停滞していた方がマシという考えなんだろうな。

 魔族側は国民に批判されるかもしれないけど、そのことでヘルムート王国側が気遣ってやる必要などない、そんな義理も恩もないというわけだ。

 向こうの焦りは、こちらの得にもなる。

 どうせ、狩猟、捕鯨の禁止、女性の社会進出、民主主義の導入など王国が受け入れるはずがない。

 地球でも纏まらない外交交渉など珍しくもないので、纏まらない以上は放置しておくのも手ではあるのだ。


「もう一つ、リンガイアとその乗組員たちの返還交渉についてだ」


「それは、ユーバシャール外務卿が交渉しているのでは?」


「これが上手くいっておらぬのだ」


「どうしてですか?」


 この件については、俺もほぼすべてのリンガイアの乗組員たちから事情を聞いているが、副長の一人であるプラッテ伯爵の跡取りが、魔族の船に魔法をぶっ放させたから事件が発生したという結論で一致している。

 ゾヌターク共和国防衛隊による事情聴取でも同じ結論に至っており、副長による暴走であるが、上官である艦長や空軍にも管理責任があるので謝罪する。

 プラッテ伯爵の跡取りは命令違反なので、空軍で厳罰に処する。

 リンガイアと乗組員たちの拘留にかかった費用を、王国政府が負担する。

 このくらいの条件で手打ちにした方がいいと俺は思い、陛下もその同じように思っていた。

 ところが、ここでその条件は断固として呑めないと言い始めた人物がいる。

 言うまでもなく、そんなことを言い出すのはプラッテ伯爵くらいだ。


『魔族という存在が、王国の取り巻く環境を大きく一変させるかどうかの瀬戸際に、王国側が謝って魔族の風下に立つ必要があるのか? それは危険だ!』


 一見いいことを言っているように聞こえる……と、俺は思わない。

 ようするに、プラッテ伯爵は跡取り息子が厳罰を受けてキャリアに傷がつくのを怖れているのだ。

 プラッテ伯爵家は空軍司令官を世襲できる家柄であるが、さすがに厳罰を受けた人物を順当に出世させたり、司令官の職を回すわけにいかない。

 彼を次のプラッテ伯爵家当主から外さなければならない空気になるわけだが、どういうわけか、彼はあのバカ息子を溺愛している。

 だから国家のプライドなどということを言い出し、すぐに実現可能なリンガイア解放を邪魔していた。

 俺からするとバカバカしい言い分なのだが、実はこの意見、軍部と外務閥では一定の支持があるので、解放交渉はまったく進んでいなかった。


「つまりプラッテ伯爵は、ヘルムート王国が謝るのはよくないと言っているのですね」


「そう言っておるな」


 プラッテ伯爵の言い分は、国家間の関係などを考慮すると必ずしも間違っているとは言えないんだよなぁ。

 だから王城内にも一定の支持者たちがいて、それがより問題を複雑化させている。


「どこか落としどころはないのですか? 乗組員たちの拘留が長期化してしまいますが……」


 相手が人権を考慮する魔族の国なので、拘留された乗組員たちが虐待を受けているようなことはない。

 それでも、長期の拘留ともなればストレスも溜まるはずだ。


「ご子息の拘留について、プラッテ伯爵はなんと言っているのです?」


「向こうの状況を知るために、先に奴だけ解放させようと抜かしておる」


「……」


 なんだよ。

 結局、自分の息子が可愛いだけじゃないか。

 やっぱり、俺とプラッテ伯爵は致命的に合わないのだな。

 その話を聞いたら、余計にあいつのことが大嫌いになった。


「こういう場合って、彼が最後に解放されるのがいいと思いますけど」


 建前としては、高貴な貴族が平民たちの解放を優先し、自分は最後まで残る。

 高貴な者としての責務ノブレス・オブリージュ というやつだ。

 実際に貴族がそれを実践するかどうかは別として、あのバカ息子は俺に一刻も早く自分だけ解放しろと迫ってきたから、建前すら尊重できない駄目貴族なのであろう。

 しかも、リンガイアが拿捕された理由が、己の出世欲のための暴走だったくせに。

 そしていざ謀が失敗すると、今度は自分の身分を盾に、一日でも早く解放しろと言い出し、父親も同じことを言う。

 俺はただ、プラッテ伯爵親子に呆れるばかりであった。

 

「そうじゃな。プラッテ伯爵の息子は最後に解放された方がいいであろう。たとえ本人が嫌がろうと、それが本人のためにもなるのだから」


 陛下も、プラッテ伯爵のバカ息子が嫌いなようだ。

 あいつを好きな奴は、息子ラブの父親くらいであろうが。

 なにより、ここで無理をしてプラッテ伯爵の息子が先に解放されても、以後は貴族社会で針の筵状態だと思うのだけど……。


「ユーバシャール外務卿はどうお考えなのです?」


「あの男、外部からの圧力に弱い部分があるからの。プラッテ伯爵とその賛同者たちに突かれてオロオロしておる。ただ、プラッテ伯爵の子息だけを先に解放するという条件は、逆に魔族側に足元を見られ、舐められてしまう危険性があると、他の外務閥の貴族たちに言われて受け入れていないそうだ」


 もしそんなことをしたら、あのレミ団長以下が大喜びするだけだろうからな。


「もし貴族の息子だけを先に解放すると、ヘルムート王国は傲慢で特権で腐りきった貴族が政治を壟断する国だと、魔族から思われてしまう可能性があります。ますますそれを正さんと、おかしな要求がエスカレートするでしょう」


 特権を有する、腐った貴族たちに物申してやった。

 民権党のコアな支持層からは、積極的な賛同が得られるだろうからな。

 そして、肝心の外交交渉が余計に進まなくなるのだ。


「民主主義とやらか? 今、概要を学者たちに精査させておるが、よくわからない統治システムじゃの」


 これまで数千年も王政に馴染んできた人たちに、民主主義を説明するのは難しい。

 俺も理解できる範囲で陛下からの問いに答えていたが、上手く説明できたかどうか怪しいところだ。

 俺の前世について言うわけにいかないので、これはあくまでも私見です、ということで話はしていたが。


「貿易などの交渉が長引こうと問題はないが、やはり一番の懸念はリンガイアの乗組員たちだな。余は決めた。バウマイスター伯爵を正式に特命大使に任命する。リンガイアの乗組員たちを解放してきてくれ」


「私がですか? ですが……」


 あきらかに、ユーバシャール外務卿がいい顔をしないと思う。

 自分の職権を犯されるからだ。


「バウマイスター伯爵に任せるのはリンガイアとその乗組員たちの解放だけ。そもそも、ユーバシャール外務卿にはその交渉を第一にと任じておる。念のために二ルートで交渉を行わせるだけだ」


「わかりました。お引き受けします」


 まさか陛下の命令を断るわけにもいかず、俺はリンガイアの乗組員たちの解放交渉に従事することになるのであった。





「それで私が同行するのですか?」




 幸いにして『瞬間移動』でテラハレス諸島群と魔族の国には移動可能になったので、秘密交渉の側面もある以上、それほど同行者を増やせない。

 そこで俺は、同行者にリサを指名した。

 凄腕の魔法使いなので護衛役も十分に務まるし、なによりリンガイアに乗船していた彼女の弟子が、魔族の船を魔法で撃った実行犯なのだ。

 その弟子と、プラッテ伯爵のバカ息子をどうするかが交渉の肝なので、実行犯と顔見知りのリサが一番の適任であった。


「頼むよ」


「それは喜んで参加しますが、アナキンですか……彼の拘留を解くのは難しいのでは?」

 

 リサは自分の弟子なので、彼のことを気にかけていた。

 確かに魔法を放った実行犯なのだが、彼はプラッテ伯爵のバカ息子の命令を聞いただけなので犠牲者でもあるのだ。

 防衛隊の連中に言わせると、アナキンの魔法で船に損傷があったわけでもなく、特に彼に対して悪感情は抱いていないようであった。

 ならば、リンガイアとその乗組員たちの解放交渉は勝算があるかもしれない。


「ヴェル、また魔族の国に行くの?」


「陛下の命令で交渉しないといけないんだ」


 イーナに聞かれたので、俺は魔族の国に行くことを彼女に告げた。


「リンガイアの艦長と副長さんには骨竜の件でお世話になったから、無事に解放されるといいわね」


「部下の暴走の被害者だものな」


 管理責任がないとは言わないが、プラッテ伯爵のバカ息子はこちらの予想を上回るバカだからな。

 不可抗力だったと、イーナも俺も思っていた。


「ささっと交渉してくるよ」


「そんなに簡単に交渉できるものなの?」


「そう言わないと、交渉が長引きそうな気がするから」


「それもそうね。行ってらっしゃい。ヴェル、リサさん」


 早速俺とリサは、『瞬間移動』でテラハレス諸島群へと飛んだ。


「おや、どうかなされましたか?」


「陛下より、正式に特命大使を任じられまして」


 勝手に動くとユーバシャール外務卿が臍を曲げそうなので、先に挨拶をしておく。

 陛下からも連絡が行っていると思うが、これも円滑なコミュニケーションのためだ。


「陛下から話は聞いているが、大丈夫なのか?」


「正直なところ、よくわかりません」


「それはそうか……」


 別に嘘を言っているわけでもなく、本当にわからないのだ。

 こればっかりは、実際に交渉してみないとわからない。


「我々は通商関係の交渉だけで苦戦している状態だ。ご自由にやられるがいい」


 ユーバシャール外務卿は、俺でも解放交渉を成功させるのは難しいと思っているようだ。

 というか、世間一般の人たちの大半はそう思っているであろう。

 かといって、外務閥の連中でゾヌターク共和国に行く勇気がある人はいない。

 どうせ失敗するのなら、俺という存在は好都合だと思ってるのであろう。


「旦那様?」


「挨拶も終わったし、行こうか。リサ」


「はい」


 とはいっても、目的は魔族の国ではない。

 いきなり現地に飛んでも、知己がいないので交渉のテーブルにすらつけないからだ。


「誰と交渉するのですか?」


「あの連中じゃないことは確かだな」


 ユーバシャール外務卿たちがいる交渉のテーブルには、反対側に魔族の代表たちも座っている。

 だが、俺の目から見ても彼らの大半は優秀じゃない。

 運動家あがりの政治家が多いから、声は大きいが実務に不向きなのだ。

 それよりも、彼らに資料を渡したり、後ろからささやいてフォローしている官僚たち。

 狙いはむしろ彼らの方だ。


「失礼」


 政治家から離れた隙を狙って、俺は若い官僚らしき魔族に声をかけた。


「貴殿は、外交に従事する官僚という認識でよろしいのでしょうか?」


「はい。急遽外務省が復活したので、他の省庁からの出向組ですけど」


 他国の不在により、魔族の国では数千年も外交を担当するお役所が閉鎖されていた。

 この度急遽復活し、彼らは新しく組織を作りながら、政治家の補佐も行っているようだ。


「次官クラスの方はいらっしゃられますか?」


「いますが、それが?」


「あっ、そうそう」


 俺は声を小さくしてから、その若い官僚に耳打ちする。


「私、急遽リンガイアの解放交渉に関する特命大使に任じられまして。急ぎ内密に取り次いでいただきたいのですが」


 俺が陛下から貰った委任状を見せると、彼は顔色を変えた。


「リンガイアの解放交渉ですか?」


「いや、なに。わざわざ政治家の方々のお手を煩わせる必要はありません。建前としてはよくないのでしょうが、ここは本音でいきましょう。意味は理解していただけますよね?」


「……ガトー事務次官は、今休憩中ですが、ご案内いたします」


 俺たちは、若い官僚の案内で別の部屋に案内される。

 そこは、防衛隊が建設したプレハブのような建物の一室で、白髪交じりの魔族が書類を見て溜息をついていた。


「どうした? オウテン」


「バウマイスター伯爵殿をお連れしました」


「バウマイスター伯爵殿? ああ、我らの国に親善大使として行かれた方だな。本国から情報は受け取っている」


「バウマイスター伯爵です。今日はリンガイア解放についての特命大使として来ました」


「リンガイアの解放交渉ですか……」


「ちなみに、政治家連中にはなにも言っておりません。意味はわかりますよね?」


「オウテン、しばらく誰も入れるなよ!」


「はい」


 オウテンという魔族の若い官僚は部屋の入り口で監視にあたり、ガトー事務次官と俺との秘密交渉が始まった。

 やはり、魔族の国は政治家よりも官僚の方が実務に長けているようだ。

 その辺は日本と同じで、俺は政権交代もあって不安定な政治家よりも官僚と交渉した方が楽だと想像し、それが見事にハマったわけだ。


「リンガイアの解放……ですか……」


「はい、拘留費用もバカにならないでしょう? 正直なところ」


「防衛隊の制服組は、あからさまに不満そうですね」


 拘留で臨時の出費が増え、そうでなくても政治家が防衛予算は削減するのに、リンガイア大陸への侵攻を口にしたりしている。

 そんな支離滅裂な連中を相手にして、不満が出ない方がおかしい。

 ならばもっと予算を出せという話になるのだが、民権党の政治家は増え続ける国家の借金を削減すると言って当選した。

 世論に敏感な彼らは、なかなか防衛隊予算増額を口にできないのだ。


「ですから、当事者以外は急ぎ船ごと解放してしまいましょう。実行犯の魔法使いと、指示を出した副長だけは例外ですけど。彼らの処遇はあとで細かく相談するとしてですね……」


 犯罪者二人だけの拘留なら、今よりも圧倒的に経費はかかならいのだから。


「二人ですか? いかにその副長の独断とはいえ、艦長ともう一人の副長の責任もあるのでは? 業務上過失傷害の罪状があります。警備隊にも微傷を負った者がいると聞いております」


 警備隊が反撃して船を制圧する時に、かすり傷程度だが負傷した隊員が存在した。

 その罪状があると、ガトー事務次官は鋭く指摘する。

 さすがは、細かいことにもよく気がつく官僚という生き物だ。

 こちらの粗を突き、自分の得点を稼ぐことも忘れない。


「ですが、ゾヌターク共和国世論的に言えば、プラッテ伯爵のバカ息子が主犯の方が嬉しいのでは?」


 民衆を抑圧する貴族のバカ息子が平民出身の艦長に逆らい、同じ平民で逆らえない立場にいた魔法使いに無茶な攻撃を命じた。

 傲慢な貴族である彼が主犯の方が、魔族たちは納得するのだ。

 なにより、奴が傲慢なのは事実であったのだから。


「確かに、それは否定はできませんね」


「王国空軍では、プラッテ伯爵のバカ息子を命令違反で厳罰に処す予定だそうです。彼が主犯で問題ないと思いますが。どうせ彼は最後に帰国しないといけません。ヘルムート王国でも駄目な貴族は民衆の間で噂になりますし、すぐに戻っても貴族社会で肩身が狭い思いをするだけでしょう。しばらく戻らない方が安全ってものです」


「なるほど、むしろ帰国が遅れた方がいいと」


「はい」


 プラッテ伯爵の言うとおりに、バカ息子だけが先に帰還したら非難轟々のはず。

 だから、彼が長期間拘束されても問題ないわけだ。

 自分だけが最後に残り、平民たちを先に帰した。

 その評判が彼を救うのですよ。

 本人は自分を一番に収容所から出せと抜かしたクズだが、奴の意志など関係ない。

 せいぜい、魔族たちへのスケープゴートにしてやる。


「この方が、拘束する人員が一名で済みますけど」


「実行犯の魔法使いは?」


「彼は即決裁判でよくないですか? 罪状は器物破損程度でしょう? しかも主犯じゃない」


 さらに、魔法を放った警備隊の艦艇にはなんのダメージも与えていない。

 上手く交渉して微罪にし、国外追放扱いでリンガイアと共に帰国させてしまえばいい。


「バウマイスター伯爵殿は、我が国の法律をよくご存じですね」


「そこまで詳しくないですよ。この前の滞在時に少し本を読んだだけです」


 本当は、魔族の国の法律が日本の法律とよく似ているからだけど。

 いくら時間があるからといって、魔族の国の法律書なんて読まないさ。


「即決裁判で、被告人側は争わない。執行猶予付きの禁固刑くらいでしょう? 平均的な相場は」


「和解して、罰金を支払って終わるケースの方が多いですね」


「では、こうしましょうか? 和解して、魔法使いが相場よりも多目の金額を支払う。警備隊艦艇に損害がないとはいえ、リンガイアの整備や検査で人手を使ったでしょうし、人件費もバカにならないでしょうから」


 リンガイアの乗組員たちの拘留費用には及ばないが、魔法使いが和解金名目で多めに罰金を支払う。

 こちらが罪を認めて素直に謝り、相場以上の金額を支払って魔族側の面子を立てるというわけだ。


「彼はお金を持っているのですか?」


「ええっと……リサ?」


 アナキンはリサの弟子なので、彼女に彼の懐具合を聞いてみた。


「初級なので、そこまでお金は持っていないかと」


 初級魔法使いが放つ『ファイヤーボール』では、軍艦の装甲を貫くなんて不可能だ。

 この場合、彼が初級で逆に助かっているのだが。


「足りない分は俺が出す。勿論彼が出したことにするけど。アナキンは俺に借金するわけだ」


「バウマイスター伯爵殿が保証するのでしたら、こちらも防衛隊に連絡を取って和解交渉を始めましょう。弁護士も紹介します……ちゃんとプロの弁護士をね……」


 官僚であるガトー事務次官は、弁護士あがりも多い民権党の政治家をあまり信用していないようだ。

 確かに弁護士業で忙しかったら、政治家になろうとは思わないよな。


「バウマイスター伯爵殿、少々お待ちいただけますか?」


 ガトー事務次官は、一時間ほど各所に魔導携帯通信機で連絡を入れて色々と交渉していた。

 その仕事ぶりは優秀そうに見え、なるほど魔族の国は官僚が動かしているのだなと実感してしまう。


「バウマイスター伯爵殿、オウテンと共にゾヌターク共和国に向かっていただきたい」


「わかりました。『瞬間移動』で急ぎます」


「バウマイスター伯爵殿は、失われた『瞬間移動』が使えるのですか?」


 事務次官の声が上ずっていた。


「はい」


 アーネストも言っていたが、魔族には俺よりも魔力量が多い人が複数存在するのに、なぜか『瞬間移動』が使える人がいなかった。

 昔は多く存在したが、今では使える者がいないそうだ。

 色々と研究をしたが、なぜ魔族が『瞬間移動』を失ってしまったのかはわからないという。


「それでしたら、早くリンガイアの解放がなりそうですね」


 ガトー事務次官は、とても嬉しそうであった。


「正直なお話、あの巨大船がドッグを塞ぐと、他の艦艇の整備に支障が出るそうです」


 魔族基準では古臭いリンガイアなど誰も使わないし、とっととドッグから出してほしいのであろう。 

 野ざらしにしてなにかあると責任問題になるらしく、防衛隊は律儀にリンガイアをドッグに入れて保管していたのだ。


「では、急ぎます。リサ」


「はい」

 

 オウテンという若い官僚と共に警備隊の基地へと飛ぶと、そこにはすでに警備隊の制服組の幹部と弁護士と思われる若い男性魔族が待ち構えていた。

 

「お話は聞いております。急ぎ対応しますが、その前にアナキン殿と面会ですね」


「ええ、頼みます」


 急ぎ警備隊が管理する収容所へと向かい、俺たちは早速アナキンと面会した。


「姉御、差し入れっすか?」


「っ! んなわけあるか!」


 大人しくなったリサであったが、弟子の能天気さには本気でキレてしまったらしい。

 昔のような口調でアナキンを怒鳴りつけた。


「お前、これから旦那様の言うことをよく聞いて、言われたとおりに動きな! 失敗したら、永遠に牢屋だからね!」


「わっかりましたぁーーー!」


 昔、リサから魔法の指導を受けた時のことを思い出したのか?

 アナキンはリサの発言に即座に反応し、ブンブンと首を縦に振った。


「お前の罪は和解でケリをつけるから、素直に罪を認めて謝るんだよ。あとは、和解金の支払いだね」


「姉御、俺そんなに金が……」


「うちの旦那様が貸してくれるから」


「すみません」


「まあ、ちゃんとうちで働いて返せよ」


「えっ? 俺はバウマイスター伯爵家に仕官ですか?」


「そうだ。それしかないのはわかるか?」


 アナキンはわからないといった感じの表情を浮かべたので、俺は彼に自分が置かれた状況を説明してやった。

 

「プラッテ伯爵のバカ息子は、お前に罪を押しつけてでも、自分だけ早く釈放されたいと願う下種だ。それなのに、お前が先に釈放されてみろ。バカ息子どころか、父親のプラッテ伯爵から恨まれる立場になるぞ」


 下手をすると、激怒したプラッテ伯爵に殺されかねない。

 初級の魔法使いくらいだと、法衣貴族とはいえ単独で伯爵家に対抗するのは難しいであろう。

 実力的にも、暗殺はそう難しくないというのもあった。


「冒険者として仕事をするにしても、色々とやり難いかもな」


「俺、副長の命令で魔法を放っただけなのに……」


「向こうは勝手に、お前が一番悪いストーリーを脳内で作りあげているから、言い訳しても無駄」


「そんなぁ……俺、結婚したいし、魔法で金を稼いで、可愛い奥さんと家が欲しかったのに……」


 アナキンの奴、見かけによらず堅実な夢を持っているんだな。


「姉御みたいに、独身期間が長いと大変じゃないですか」


 同時に空気が読めない部分もあり、余計なことを口走ってリサの怒りを買ってしまった。

 彼女のコメカミがひくついている。


「リサ、どうどう。俺はリサと結婚してよかったと思っているから」


「ありがとうございます」


 俺はどうにかリサを宥めることに成功した。


「お前、永遠に牢屋に入っているか?」


「すみません!」


 リサを怒らせたアナキンを脅すと、彼はすぐに謝った。


「色々と大人の事情で和解金は多めになる。足りない分は俺が貸すから、バウマイスター伯爵家で働いて返せ」


「わかりました」


「では、打ち合わせを……」


 そこからは話が早かった。

 オウテンと弁護士が防衛隊幹部と相談をし、他にも手続きが必要な各省庁や役所、裁判所などに連絡を取り、わずか一日でアナキンの裁判がスタートする。

 ところがすぐに防衛隊側が和解を提案。

 アナキンと弁護士はそれを受け入れ、和解金一億エーンを支払うことで同意した。

 和解金がかなり高いが、これは魔族側の世論の反発を抑えるためだから仕方がない。

 どうせ判決が出ても、執行猶予がついて当たり前の判例である。

 ならば、少しでも多く国庫に金が入った方がマシだと思わせるための和解金だったのだ。


「一億エーン。どのくらいなんですか?」


「百万セントくらい」


 一エーンを一円と見た相場だ。


「俺、そんな大金を返せないですよ! バウマイスター伯爵様みたいに上級魔法使いじゃないんですから」


「利子はつけず、契約金代わりに十分の一にしてやる。これからは、真面目にうちで働けよ」


「それなら大丈夫です」


 アナキンは、安堵の表情を浮かべた。

 初級ながら魔法使いを一人確保できたし、どうせ今回の必要経費は陛下に請求できることになっている。

 アナキンに恩を売りつつ儲けまで出して、俺もいい貴族様になったものだ。


「バウマイスター伯爵殿、和解案が成立しました。ところで、エーン貨幣を持っているのですか?」


 和解してしまったので、これでもう裁判はなくなった。

 アナキンの弁護を担当した弁護士は、自分への報酬も含めて、お金が支払えるのかと聞いてくる。


「この前のが少し。あとは金を売って収めるよ」


「金をお持ちですか」


 弁護士の表情が、あっという間に緩んだ。

 俺は再び町のリサイクルショップで金を売り、無事に和解金と依頼料を支払うことができた。

 和解金を収めるのに、町のリサイクルショップで金を売る貴族。

 どんな創作物にも存在しないだろうなぁ。


「金の相場が上がっているのか……」


 現在の金相場は、一グラムで八千二百エーン前後。

 人間と接触してから、倍以上に上がったそうだ。

 金に需要があると思っている魔族が多いのか?

 魔族は人間に興味がないと聞いていたが、水面下では将来を見越して動いている聡い人たちもいるのだな。


「バウマイスター伯爵殿、またなにかありましたら」


 少し多目に依頼金を渡したら、弁護士はえらくご機嫌だった。

 彼が言うには、最近魔族の国では弁護士が余っており、だから政治家に転身する者も多いのだそうだ。


「警備隊もリンガイアの乗組員たちの釈放を決定し、約一名を除き乗組員全員は防衛隊監視の元でリンガイアの再稼働作業を行っております」


 俺の予想以上に、スピード解決してしまった。

 約一名がいまだ拘束されており、彼は警備隊の艦艇に攻撃をした首謀者として裁判にもかけられる。

 弁護士も貴族のボンボンの弁護ではやる気が出ないだろうし、アナキンが和解交渉の過程で罪をすべて認めてしまった。

 これが証拠として採用されるので、プラッテ伯爵のバカ息子は確実に実刑を食らう。

 寿命が長い魔族基準なので何年刑務所暮らしになるのかわからないが、俺は陛下にこう報告する予定だ。


『プラッテ伯爵のご子息は、他の乗組員全員を釈放させるため、あえて捕らわれの身となったのです』


 勿論大嘘だが、これでプラッテ伯爵はリンガイアの乗組員たちに手が出せなくなる。

 せっかく自分の息子がその身と引き換えに助けた彼らに対しその父親が手を出せば、プラッテ伯爵家の評判が地に落ちてしまうからだ。


「旦那様、そんな方法で大丈夫なのでしょうか?」


「うん。それも大丈夫」


 この策を行う前に、俺はちゃんとローデリヒに相談している。

 俺はやめるように言われるかもと予想していたが、意外にも彼はその策を了承している。


『人間も貴族も同じです。みんなが仲良くできるはずがありません。お館様とプラッテ伯爵は相性が悪いのでしょう。それは構いません。変に関係が曖昧な貴族よりも、敵だと明確にわかっている貴族の方がいい』


『敵だとわかっていれば、対処がわかりやすいからな』


『ええ、向こうもどうせ敵同士だからと距離を置きますしね。腹の中でなにを考えているのかわからない貴族の方が不気味です』


 以上のような会話があり、俺は無事にプラッテ伯爵のバカ息子のみを犠牲にして目的を達成したわけだ。


「もう一度、艦長と副長に挨拶しておきたかったな」


「旦那様のお知り合いですからね」


「実は、骨竜を退治した時と、この前の面会でまだ二回しか会ったことがないけど」


 それにしても、骨竜の時とまったく同じコンビで今回の事件に巻き込まれるとは……。

 彼らも船乗りとしては、アクシデントというかイベントに巻き込まれやすい体質のようだ。

 あれ? 

 もしかすると、俺と知り合ってしまったからとか?


「バウマイスター伯爵殿は秘密特使なので、報道の目がありそうなリンガイアの近くは遠慮していただきたいのです。船の出航時には時間を作りますので」


「わかっていますよ。オウテン殿」


 最終チェックが終わればリンガイアはヘルムート王国に戻るので、出発前に挨拶をしておけばいいか。


「あと、プラッテ伯爵のご子息殿に会われないのですか?」


「なにか言われそうだからパス。あっそうだ。帰りに」


 どうせ、俺はなぜ出られないのだと文句を言われそうだし、あいつを生贄に交渉に成功したのだから嫌われて当然。

 ローデリヒの言うとおり、あいつとは距離を置くのがベターであった。


「出発までもう二~三日ある。俺たちはそれを見届けないといけないからなぁ。どこかでその間、時間を潰せる場所はないかな?」


 すでに報道が過熱してるそうで、俺たちが表に出ると大騒ぎになってしまう。

 なにしろ俺は、秘密特使扱いなのだから。


「ここに留まっていただければ無駄な費用はかかりませんけど、どこかに内密でお出かけになられますと、ご自身の負担となってしまいます」


 防衛隊の官舎に留まっていれば、滞在に必要な経費は警備隊や外務省で負担する。

 他に出かけるのなら、それは俺たち自身で負担してほしい。

 少しケチな気もするが、お上ってのは予算が有限なのでそんなものだ。


「勿論自分で出すさ。高くても、機密を保てる場所がいいな」


 マスコミに押しかけられ、解放交渉のことを根掘り葉掘り聞かれるのは疲れてしまうし、余計な横槍でせっかく決まったリンガイア解放が駄目になるのも嫌だからだ。


「それでしたら、私が手配しておきます。そういう方々が利用される口の堅い宿がありますので。その分、お高いですけど……」


 日本にも芸能人や政治家がお忍びで利用する温泉宿とかがあり、魔族の国にあってもおかしくないというわけか。


「旦那様、私は元冒険者なのでこの官舎でも十分です」


 リサは、無理にそんなところでお金を使わなくてもと、俺に気を使った。

 あの派手なメイクと衣装がないと、彼女はえらく常識人なのだ。


「俺が退屈だし、たまには夫婦二人で水入らずってのもいいじゃない」


「二人きり……はい、たまにはいいですね」


 リサもとても嬉しそうだし、俺もあと最低二日間官舎に籠りっきりってのも嫌だ。

 オウテンがすぐに手配してくれたので、俺達は彼が運転する魔導四輪でとある温泉地へと向かうのであった。

 たまにはリゾートも悪くないと思うんだ。

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