第317話 魔族の言動に既視感を覚えてしまう
「ああ、嫌だなぁ……」
「しょうがねえだろう。陛下からの命令なんだから」
「絶対に邪魔者扱いされる……」
「それは覚悟するしかない」
俺は陛下の命令で、昨日始まった魔族と王国との外交交渉に参加することになってしまった。
交渉会場は、テラハレス諸島群上空に浮かぶ魔族艦隊の旗艦内である。
いわば敵地に乗り込むわけだが、交渉団は今のところ何事もなくそこに滞在しており、危険だから嫌というわけではない。
魔族よりも、主に交渉に参加している味方の貴族たちに嫌がられ、嫌味を言われそうだと思ったからだ。
「昨日から交渉が始まったそうだが、ユーバシャール外務卿が役に立たないんだと」
「ユーバシャール外務卿ですか?」
陛下から名前くらいは聞いているが、どんな人かは知らなかった。
俺は王国でも有数の大貴族なのに、他の貴族をあまり知らないのだ。
「いつの間にか交替していたんですよね」
「ああ、閣僚職は数家で持ち回りだからな」
ただ、一度にすべての閣僚を交代させると、王国の統治に混乱が発生する可能性がある。
そこで、時期をズラして閣僚は交替するのだと聞いていた 。
今回はたまたま、一ヵ月前に外務卿の交代があったばかりだそうだ。
「知りませんでした」
「閣僚の交代はある程度話題にはなるが、恒例行事だから気にしない人も多いし、なにしろ外務卿だからなぁ……」
外務卿は、これまではアーカート神聖帝国との折衝しか仕事がなかったので、閣僚職の中では一番の冷や飯食いであった。
それでも前任者は、陛下と共に帝国との講和交渉を上手く纏めた。
手伝ったヴァルド王太子殿下と共に、世間ではほとんど目立たなかったけど……。
「ユーバシャール外務卿って、能力的にどうなんです?」
「悪くはないって話だがな」
ブランタークさんは、事前にブライヒレーダー辺境伯から情報を集めていたようだ。
俺からの質問に答えてくれた。
「悪い評判は聞かなかったんだが、少し気が弱いという噂がある」
「それって、駄目じゃないですか?」
外交交渉をするのに気が弱いのでは、色々と不都合があるような気がする。
あまり強硬なのもどうかと思うが、押しに弱いと、一方的に相手の要求を呑まされる危険があるからだ。
外交官は、ふてぶてしいくらいがちょうどいいと思う。
ユーバシャール外務卿は代々の大貴族だから、成り上り者とは違って、お坊ちゃんのなのは仕方がないのかな。
「他の能力は特に問題ないそうだし……」
「昨日は駄目だったんですよね? だから、俺が陛下に呼ばれて……。なんで呼ばれたんだ?」
俺は、外交交渉なんてしたことがないというのに……。
せいぜい、前世で顧客と交渉したくらいだ。
「伯爵様は帝国内乱で大活躍したし、なにより魔法使いだから、魔族への脅しにはなると思われたんじゃないのか?」
だが、魔族は全員が魔法使いである。
向こうに戦いを挑まれたら、俺は多勢に無勢で倒されてしまうと思う。
モールたちの話を聞くに、魔族が俺の戦歴を把握しているのかという疑問もあった。
「まさか、向こうもいきなり戦闘開始とは言わないだろう。伯爵様、行くぜ」
「はい」
「あなた、行ってらっしゃいませ」
「俺、フリードリヒたちの世話と釣りの日々、結構気に入っていたんだけどなぁ……」
「陛下からのご指名ですから」
思わず、エリーゼに愚痴を溢してしまう。
さすがに最前線に赤ん坊を連れていくわけにもいかず、俺、ブランタークさん、エルの三名は、王国軍の魔導飛行船でテラハレス諸島群へと向かった。
エリーゼたちは、それぞれに赤ん坊を抱きながら俺を見送ってくれた。
「沢山の若くて綺麗な奥さんか……」
「俺の嫉妬の炎が、バウマイスター伯爵を照らす」
「燃やさないのかよ! 俺はこの怒りを観光に向ける!」
どういうわけか、耳を隠したモールたちも見送りに来た。
案外、義理堅い連中のようだ。
空軍に雇われている魔法使いが、初めて見る中級魔法使い三名に首を傾げていた。
「あの三人は、臨時に雇ったんだ」
「ああ、冒険者ですか。バウマイスター伯爵様はお金持ちですね」
在野の魔法使いだと説明すると、彼らは納得したような表情を浮かべた。
お上に雇われている魔法使いたちは、案外在野の魔法使いを知らなかったりするので、俺の嘘に気がつかなかったようだ。
「安心して、バウマイスター伯爵。代わりに釣りに行くから」
「観光ばかりだと暇だし」
「あとは、先生の論文執筆の手伝いとか、資料の整理とか、無職時代よりは充実しているな、俺」
今まで無職だったからといって、特に無気力でもないようだ。
観光に出かけ、釣りにも参加するといい、アーネストの仕事の手伝いもしている。
そういえばこの三人は大卒で、魔族の国ではトップレベルの大学を卒業しているそうだ。
王国なら滅多にいないインテリなのに、それで職がないというのだから、魔族の国は案外詰んでいるのかもしれない。
「釣果によっては歩合も出るし、頑張るぞ!」
「目指せ! 釣り名人!」
「海域に主はいないのかな?」
「サイラスさんが、ヴェルと同じことを言っている」
「えっ? 釣りといえば主との遭遇でしょう?」
イーナが、俺と同じことを言うサイラスを不思議そうに見る。
見られたサイラスは、『こんなの常識でしょう』という顔をしていた。
どうやら魔族の国にも、そういう創作物が存在するようだ。
「ヴェルってば、どうして魔族と仲良くなるのが早いのかな?」
「バウマイスター伯爵は、俺たちと考え方やメンタルが似ているからな」
ルイーゼの疑問に、サイラスが答えた。
確かに、魔族の社会は現代日本に似ているので、向こうの気持ちがよくわかるという点は大きいと思う。
「バウマイスター伯爵、そろそろ時間である!」
今回、導師は留守番である。
念のため、アーネストたちへの監視役として残すのと、導師まで行くとユーバシャール外務卿たちが態度を硬化させるかもしれないという、政治的な配慮のためでもあった。
いくら仕事ができない閣僚でも、相手は大貴族である。
下手に怒らせて、余計に事態を混乱させるわけにいかない。
「では、行ってきます」
魔導飛行船は予定どおり出発し、特にトラブルもなく数時間でテラハレス諸島群上空に到着した。
「魔導飛行船の形状が違うな」
「材質も違うみたいですね。形もかなり特殊だ……(UFO? 葉巻型?)」
「魔族の魔導飛行船って、変わった形をしているんだな」
大陸側の魔導飛行船は、軍用船の装甲以外はほぼ木製で帆船型であったが、魔族側の魔導飛行船は卵のような形をしている。
外装はすべて金属製で、普段は仕舞われているが魔砲も十数門装備されているようだ。
俗にいう、空中戦艦というやつであった。
「戦ったら、王国空軍では勝てませんね」
「だから、なんとか交渉を纏めたいんだろうな。陛下は」
事前に行くことを連絡していたので、こちらの魔導飛行船は問題なく魔族艦隊旗艦の隣へと誘導された。
急ぎ旗艦へと移動して船内を歩くが、床も壁も金属製でそう簡単には破壊できないであろう。
俺たちを案内してくれている魔族の兵士は、とてもよく訓練されているようだ。
無駄口一つ叩かず、俺たちを目的地に誘導してくれた。
「船の作りが凄いな、ヴェル」
「王国や帝国の船とは大分違うな」
「技術力に差がありすぎる」
俺とエルは、近代的な作りの船に感心するばかりだ。
ブランタークさんが、継ぎ目のない金属製の床、壁、天井に感心していた。
ベッケンバウアー氏なら、もっと感心……感動するかも。
「おおっ! バウマイスター伯爵、よくぞ来てくれた!」
案内された室内に入ると、飛びつくようにユーバシャール外務卿が歩み寄ってきた。
三十代半ばに見える、とても育ちのよさそうな貴公子然とした人物に見えるが、気が弱いという噂は本当のようだ。
他の随員たちが見ているのに、俺たちを見て情けない声をあげるのだから。
「あの、なにがあったのですか?」
「あいつら、帝国の人間とは違うぞ!」
「それは、魔族ですからね」
ユーバシャール外務卿も、帝国との小規模会合や交渉は無難にこなしている。
だが、魔族ともなれば人間とは別の種族だし、彼らは全員が魔法使いなので怯えてしまっているようだ。
これでは、対等な外交交渉など期待できない。
ユーバシャール外務卿は、有事には向かない人のようだ。
「あいつらは、とにかくおかしい!」
「おかしい?」
「わけのわからないことを言うのだ!」
「まあ、お話を伺いましょうか」
このままだと埒があかないので、まずはユーバシャール外務卿の言い分を聞いてみることにするが……。
『ゾヌターク共和国政府外交団団長、レミー・シャハルです』
「バウマイスター伯爵、魔族は女ごときを交渉団の団長にしたのだぞ!」
「(あちゃぁ……)」
つい直前までオドオドしていたくせに、俺が姿を見せるとユーバシャール外務卿は魔族側の責任者が女性であることを問題にし始めた。
王国でも帝国でも、女性が政治に参加するなどほぼあり得ない。
テレーゼなどは滅多にないケースで、それすら王国は認めておらず、『女如きを交渉に寄越して!』と、ユーバシャール外務卿はキレたようだ。
自分がバカにされていると感じているのであろう。
「(まずいよなぁ……)」
いきなりそんなことで不快感を示したら、魔族側も気分がよくないであろう。
魔族側には魔族側のやり方があるから、それにケチをつけてしまうと交渉自体ができないし、魔族側からすれば、王国側こそ女性を抑圧していると感じてしまうはず。
「さらにあのクソ女! 王国の政治に、もっと女性や平民を活用すべきだと文句をつけおって!」
「(どっちもどっちだな……)」
ところが、魔族側にも問題があるようだ。
団長のレミーとかいう女性は、民権党の政治家で、党幹事長、母体は女性社会進出平等機構の総裁でもあるそうだ。
こっちも政治の素人で、進んでいる我ら魔族が、遅れている人間に民主主義や男女平等を教えてやろう、という態度を隠しもしなかったらしい。
おかげで、ユーバシャール外務卿は怒りで交渉を忘れるほどだった。
ただ、魔族が怖くて彼女たちにはそういう態度は見せなかったようで、代わりに今俺の前で怒っていた。
「交渉に来ているのに、王国の政治体制にケチをつけおって! それに、そもそもの原因が貴族の暴走によるものだと抜かしやがった!」
リンガイア拿捕事件の責任は、最初に貴族の副長が魔法使いに発砲を命じたことにある。
魔族側は、詳細な報告書を提出した。
調査を担当したのは防衛隊の調査なので、一応虚偽を疑いつつひととおり読んでみたが、アラや矛盾点は見つからなかったので、ほぼ事実であろう。
「本当にこちらが先に領海・空侵犯をして魔法まで放ったのなら、それは謝って次に平等な交渉を模索すべきでは?」
「それでは、魔族に舐められるではないか!」
俺の前だと、ユーバシャール外務卿は強気のままだ。
下手に謝ると王国が風下に立たなければならないと思っているのか、それともプラッテ伯爵家と繋がりがあるのであろうか?
どちらにしても、その強気を魔族にぶつければいいのにと思ってしまう。
「あの連中は何様なのだ!」
魔族側は団長もそうだが、他の団員たちもどこかおかしいらしい。
男女比はほぼ半々で、それは団長に意向のようだが、あきらかに物見遊山の素人が多数混じっており、なかなか交渉が進まないそうだ。
魔族側には商売をしている者たちもおり、できれば貿易がしたいと言ってきた。
参考までにと、貿易量、禁輸品について、関税の額などの話をしていたら、素人だと思っていた連中が余計な口を出してきたそうだ。
しかも、あまり貿易には関係ない話題であった。
『王国や帝国では、児童に対する強制的な労働や虐待などは深刻化していませんか? もしそうなら、それはただちに止めさせるべきですし、そのような製品を買うわけにはいきません!』
『書物などに差別用語などが使われていませんか? 私は差別用語撲滅運動の……』
『狩猟や、毛皮は残酷です! それらを使った品の販売を禁止することを要求します! 私は動物愛護協会の理事をしておりまして……』
本来の交渉そっちのけで、意味のわからない要求ばかりされて交渉団は困惑し、どうしていいのかわからず、内心では激怒しつつ、子犬のように怯えていたのが真相のようだ。
帝国との交渉とはまるで違うので、初日は要求だけ聞いて終わってしまったようだ。
「(駄目だな……)」
ブランタークさんがボソっと呟くが、確かにこれを陛下が知れば俺を応援に回した気持ちも理解できる。
つまり、既存の貴族では手に負えないので、貴族としては異質な部分がある俺で様子を見るということか。
「意味がわからん! 狩猟もしないで、一体どうやって生活するというのだ!」
「もしかすると、魔族の国は農業、畜産、漁業などが進歩しており、動物を直接殺すイメージがある狩猟に否定的なのでは?」
憤慨する外交団の一人に、俺は自分なりの見解で意見を述べた。
俺だって、狩猟と畜産の差なんて実はよくわからないさ。
「畜産だって、最後に家畜を締めると思うが……」
「ええと……。彼らはそういう風に考えているのかも、という予想です」
ユーバシャール外務卿のツッコミに、俺は反論する術を持たなかった。
前世でも動物愛護団体が存在しており、毛皮、狩猟、一部漁や、動物の扱いなどで抗議活動を繰り広げていた。
なかにはチンピラの因縁レベルのものもあり、俺も『どうしてこんなことで抗議を?』と思いながらテレビを見ていた記憶があった。
あれは、魚の活き造りであったか?
確か、動物愛護団体が噛みついたんだよな。
白魚の踊り食いもだったか?
そして今、魔族にもそういう連中がいることを俺は知ってしまった。
「(魔法が全然役に立たない。このまま帰ってしまおうか?)」
なまじ魔族が言っていることがある程度理解できるため、俺は事態の深刻さも理解してしまった。
世の中、なにも知らない方が幸せということもあるのだ。
「海猪は頭がいいから殺すなとも言われたのだが、家畜は頭が悪いのか? 私にはそう差があるように思えないのだが……」
ユーバシャール外務卿の素朴な疑問はもっともなのだが、そう思うだけでは外務卿の仕事などできない。
上手く情報を集め、相手の考え方ややり方を理解し、対策を立てないと交渉すら難しいであろう。
「とにかく、明日の交渉でもっと詳しい話を聞きましょう」
「そうだな」
その後、ユーバシャール外務卿たちとできる限り打ち合わせをしてから、翌日の交渉に臨む。
「随分とお若い方ですね」
「若い分、思考が柔軟だと陛下が思われたのかもしれません」
翌日、魔族側の交渉団団長のレミーとかいう魔族のおばさんは、まだ二十歳前の俺を見て驚いていた。
さすがに魔族側に未成年者はいない。
まあ、選挙権がないからな。
「王国でも、その時に合わせた柔軟な人事も可能ですから」
とにかく、戦争にならないように上手く押していかないと駄目だ。
魔族が民主主義的な思考を有する以上、まずは若い俺がこの要職に抜擢された点をアピールすべきであろう。
外交団の後方にいる防衛隊の隊員たちは、俺を見てヒソヒソと話をしている。
もしかすると、すでに帝国内乱の情報を得ているのかもしれない。
「(キャリア官僚は優秀なんだな……。政治家は微妙なようだけど……)」
他にも、新聞記者らしき数名もいて丁寧にメモを取っているようだ。
交渉の様子を魔族の読者に伝えるためであろう。
「しかしながら、交渉団に女性がいませんね。これはよくありません」
レミー団長は、王国側の交渉団に女性がいない点にケチをつけた。
このおばさんはそういう団体のトップであり、選挙では女性票を集めて当選したのであろう。
空気が読めないと思われても、俺たちにそう問い質さずにはいられないわけだ。
次の選挙も関係しているのだから。
政治の素人で、ただ喚いているだけかもしれないが。
「その件に対してお聞きしますけど、ゾヌターク共和国において女性の社会進出が進んだのはいつからですか?」
「およそ千年前です」
古代魔法文明が崩壊後から数千年前まで王政、そこから限定的な民主主義が続き、千年前くらいから女性も政治に参加するようになった。
こんな感じだと、レミー団長から説明を受ける。
「王国でも、女性は働いていますよ」
冒険者もそうだし、ギルドの職員、店員、神官なども女性比率が高い方だ。
「概ね、三割以上は女性かと」
「政治家はどうなのです?」
「いなくもないかな?」
帝国ではテレーゼがいたし、男性が当主でも、本人が能力的に駄目で奥さんが実務をやっているような貴族もなくはない。
それほど多くはないけど。
「ゾヌターク共和国の政治家の女性比率はいかほどです?」
「二十一パーセントです……」
「防衛隊の女性隊員比率は?」
「……五パーセントほどです……」
やはりだ。
レミー団長は女性社会進出平等機構の総裁なので、女性比率が五割ではないことを言い難そうだが、現実はこんなものである。
男性と女性では職種に向き不向きもあるし、アーネストやモールたちからの情報によると、仕事に熱中する女性の婚姻率と出生率の低下も問題になっているらしい。
世の中、そう都合のいい社会など存在しないのだ。
「ですが、そちらよりは女性は抑圧されていません!」
「抑圧ですか……」
その辺の感情が、俺は女性ではないのでさっぱりわからないのだ。
俺でもそうなのだから、ユーバシャール外務卿たちからすれば理解の範疇外なのであろう。
ただ、これだけは言えた。
「我らが住む大陸は、一万年前の古代魔法文明の崩壊でほぼゼロからのスタートでした。政治体制・社会生活の進化・変化には時間がかかり、これを無理に行うと余計な混乱が起こります。今、王国は発展を続けている最中です。これに手を出そうというのであれば内政干渉に当たりますが」
「しかし……抑圧された女性たちの解放……」
「無理強いをするのであれば、これは双方にとって不幸な未来しか生みません。第一、この席は不幸な衝突事件の解決と、両国の通商・友好関係の橋渡しのはずでは?」
モールたちの考え方は間違っていなかった。
今、魔族の国の政権を握っている民権党は、実は外交などなにも知らない。
自分が政治家になれた母体が好む政治活動にばかり目が行って、肝心の交渉が進んでいないから簡単に底が割れてしまうのだ。
これでは、一体なんのための政権交代であったかということになってしまう。
「こういうことは、時間が解決すると思いますが……」
王国のすべての女性が働き、すべての職種で男女比が半々になり、男性も育児と家事に参加しつつ、統治者は選挙で選ぶか。
いきなりそんなことになれば、王国は一気に崩壊するはずだ。
なぜなら、そのための下地がまるで準備できていないのだから。
まあ、どうせユーバシャール外務卿たちが反発して条件など纏まるはずもないか。
他にも、外交交渉なのに奇妙なことを言う魔族が多い。
「児童への虐待禁止ですが」
「子供は大切に育てられるべきですね」
とんだ詭弁であったが、現状では王国が豊かになれば徐々にマシになるとしか言いようがない。
それに、どうせこの偉そうな魔族が王国の王になっても、問題の解決など不可能なはずだ。
「(言うだけ番長だな……)」
「差別用語の禁止ですが……」
「王国では、極度な王政批判以外は比較的自由に本を出せています」
あくまでも王国は、という条件はつく。
貴族の領地で領民が領主を批判する本を書いた時、その対応は個々に別れる。
教会も、独自によからぬ図書の摘発を行うこともあった。
正直、そう簡単に口約束などできない。
「狩猟はどうなのです?」
「それは、現実的に不可能です」
魔物の領域のせいで農作物の生産量がなかなか上がらず、畜産を大規模に行う余裕がない。
多くの人たちが肉を食べるためには、狩猟が必須であった。
毛皮も、王国北部や帝国への重要な輸出品だ。
綿花、絹の生産量の関係で、毛皮に頼らないと凍え死ぬ人間が増えるであろう、と説明した。
「それならば、我が国から食料と衣類を輸入すればいい!」
「貿易に関しては、貨幣の交換レート、関税、貿易量などで別個交渉が必要ですね」
その日は、なんとか交渉は続けるという結論にまで持っていけた。
だが、慣れないことをして俺はヘトヘトになってしまう。
やはり、俺は政治家になど向いていないのだ。
「伯爵様、内弁慶のユーバシャール外務卿より遥かに適性があるな」
「それは褒められたのでしょうか?」
交渉が終わると、ブランタークさんが感心した口調で話しかけてきた。
「ユーバシャール外務卿も、帝国との交渉ではしくじっていないからな。それよりも有能だって言っているんだ」
まあ、既視感のせいで、魔族がどういう連中か理解できている分だけマシなのであろう。
言っておくが、俺に外交の才能なんて欠片もないのだから。
「それよりも、あの狩猟するなってうるさい連中、すぐに黙ったな」
「ああ、それはな」
俺は、エルに説明を始める。
「彼らは、魔族の国で狩猟などを禁止する活動をしているだろう。誰がその活動資金を出しているかわかるか?」
「それを不思議に思ったんだ。抗議活動で金になるのかって」
「なるのさ」
末端のボランティアでやっている人たちは、純粋に殺される動物が可哀想という感情かもしれない。
ところが、上で活動している連中は、それで金を得ているという現実があった。
「賛同者たちからの寄付金で組織を運営するのだけど、金を出している中に食料を作っている大商会もあるはずだ」
まあ、正確には食料の生産・流通を握っている大企業と商社か。
「どうしてそんな連中が金を出すんだ?」
「簡単さ。農作物や畜産物を王国に売るためだ」
モールたちからの情報によれば、今、魔族の国では食料が余っている。
だから、無職の人たちに無料で配給されていた。
同じく衣料なども余っていると推論すれば、俺が交渉次第によっては輸入もあり得ると言えば、一旦矛を収めたことも不思議ではない。
顧客になるかもしれない人たちに、野蛮だのなんだのと言うのを避けたのであろう。
「俺たちが毛皮で作った服を着ると、その分服が売れないと考えて当然だろう?」
「善意の活動じゃないのかよ……」
百パーセント利益のためとは言わないが、少なくとも交渉団に参加しているような上の人たちの脳内には、彼らの意向が詰まっているはず。
「いや、彼らは動物が可哀想だから、善意で狩猟の禁止を訴えているさ」
女性社会進出平等機構も同じだ。
ただ、そこに国やら利権が絡むと奇妙なことになる。
そういう組織の中には、必ず金儲け目当ての胡散臭い奴が混じるからな。
「海猪も同じさ」
あれだけの巨体なので、食肉にすれば結構な量になる。
食料が余っている魔族の国の食品企業からすれば、自分たちの利益を奪う捕鯨を悪いことにした方が都合がいいというわけだ。
「俺も、海猪が頭がいいというのが理解できない」
「そうだよな。牛や馬だって、飼えば普通に慣れるよな」
ブランタークさんも、エルも、魔族の言い分が理解できないようだ。
帝国内乱でペーターから借りた馬を恩賞で貰ったので、今は屋敷で飼育してたまに乗っている。
とても賢い馬で、大して乗馬が得意でもない俺に上手く合わせてくれるのだ。
なお、海猪は獲っているだけなので、頭がいいかなんてわからない。
「なんというか、小難しい連中だな」
「ある程度は話せたから、あとはユーバシャール外務卿に任せて大丈夫でしょう」
俺が参加した交渉の議事録に、魔族の考え方などの推察を急ぎ纏め、それを陛下とユーバシャール外務卿たちに渡すのであった。
『異なる価値観を持つ別種族か……。帝国と手打ちになったと思ったら……』
陛下は深刻そうな顔をしていたが、今の技術格差などを考えると戦争は悪手だ。
最悪、帝国にも裏切られて挟み撃ちにされる可能性があった。
『帝国がか? 考えすぎじゃないか?』
『いいえ。そんなことはありません』
面倒なので、二台の携帯魔導通信機でエドガー軍務卿とも話をする。
もし王国と魔族が戦争になれば、帝国が裏切る可能性はゼロではなかった。
『魔族は、帝国内乱でミズホ公爵家諸侯軍が使用した魔銃、魔砲よりも高性能な装備を大量に保持しています。これに加えて魔族は、全員が中級以上の魔法使いです』
『だが、兵数は少ないんだろう?』
『そうですね。今は少ないですね』
今の王国軍でも全軍で決死の防戦を行えば、最初はどうにか数の優位を生かして魔族を撃退可能かもしれない。
だが、それで魔族が本気になってしまえば終わりであろう。
『多分、俺も導師も、ブランタークさんも他の魔法使いたちも、みんなこの世にいないでしょうね』
もし、まだなにも情報がない魔族の上級魔法使いたちが本気になってしまえば、俺たちは刺し違えないと撃退できないかもしれないからだ。
『魔導飛行船も、多くの精鋭たちも失うでしょう。本気になった魔族は、軍備を増強して再度攻めて来る可能性があります。幸いにして、魔族の若者は無職が多い』
褒美で釣って、王国の支配を目指すかもしれない。
『兵士たちの犠牲を忘れるな!』と、魔族たちを政府が煽る可能性もあるのだ。
『帝国の方は、魔族の調略に乗っかる可能性がありますよね?』
魔族だけで支配せず、帝国を挟んで王国を支配する。
ペーターとしても、帝国が魔族と戦えば同じ結果になる以上、王国との講和を破棄して共同で攻め込んでくる可能性もあった。
魔族は数が少ないので、内乱で疲弊した帝国は利用価値があると思うかもしれない。
『ううっ……。帝国の国力が落ちて少し楽になったと思ったら……。通商と波風立てない交流で時間を稼ぐしかないな』
戦争で勝てない以上、上手く対等な条件で友好条約を結ぶしかない。
エドガー軍務卿からすれば、無謀な戦争で国を失うわけにはいかないのだから。
『ただ、救いはあります』
『救いとは?』
まず、王国と魔族の国とに対立が少ない。
リンガイアの件があるが、魔族側にはまったく負傷者が出ていなかった。
これまで交戦したこともないし、むしろ帝国よりも因縁が少ない相手であろう。
『確かに、帝国よりは恨みつらみはないよな』
『あとは、魔族の考え方ですね』
一部過激な者もいるようだが、その数は少ない。
その大半が、人間よりも生活水準が圧倒的に上で、無理に侵略する必要などないと思っているのだ。
『そういう考え方ができるとは羨ましい限りよの』
王国でも過激な好戦派は少ないが、帝国内乱の時には陛下が出兵を抑えるのに苦労した。
領地が増えるという誘惑に、貴族が耐えられなかったからだ。
技術力が進みすぎると、土地よりも、知識、技術の方が富に繋がるケースが多く、 魔族が未開拓地を自ら耕すイメージってないな。
そもそも数が足りないだろう。
『魔族はそうじゃないのか?』
『それがですね……』
魔族の住む島はゾレント島と命名されているが、広さはリンガイア大陸の四分の一ほどもあって、亜大陸に近い広さがあった。
『昔は、ほぼ全域に魔族が住んでいたようですが……』
少子高齢化で人口が減り、多くの領域が放棄されてしまった。
今は、島の四分の三が無人の土地であった。
『他にも開発可能な土地はありますし、魔族がその気になれば魔物なんて簡単に駆除できますよ』
切り開いても住む魔族がいないので、多くの土地がそのまま放置されている。
一部、魔族の学者たちがそこで環境学などの研究をしたり、自然保護区に認定されているくらいだそうだ。、
『勿体ない話だの』
『かもしれませんが、亜大陸への移住は絶対に提案しないでくださいね』
『なぜだ?』
『好戦派を刺激しますから』
人間が時間をかけて我ら魔族の土地を奪い、滅ぼそうとしている。
そう言って魔族を煽り、リンガイア大陸侵攻を口にする者が出るかもしれないからだ。
『開発は、まだ数百年は王国領内を優先するしかあるまい。魔族の国は遠いので、移民を送ってもコントロールが難しいからの』
陛下は、このリンガイア大陸の開発がまだ全然終わっていないのに、さすがに魔族の国への移民は考えていないようだ。
『状況はほぼわかった。しかし、予想以上にやるの。バウマイスター伯爵』
『まぐれですよ』
そう、俺に外交官としての能力などない。
たまたま現代日本と、魔族の国の政治状況がよく似ていただけだ。
相手をある程度知っているのだから、よほどのバカでなければ、それなりの対応は可能である。
『ですが、俺の仕事はこれで終わりですよ』
『ユーバシャール外務卿か……』
最初は魔族が理解できずに混乱していたユーバシャール外務卿であったが、今はある程度魔族について理解できたので、これ以上俺の助けは必要ないと言ってきた。
『外交閥でもないバウマイスター伯爵にお株を奪われっ放しでは、ユーバシャール外務卿も気分を害するか』
『はい』
『余も、ユーバシャール外務卿と連絡を絶やさぬようにする。バウマイスター伯爵も、念のために待機してくれるか?』
『わかりました』
テラハレス諸島群に待機し続けなければいけないが、もう交渉には出なくていいらしい。
無理に出しゃばってもユーバシャール外務卿たちに嫌がられるから、これは渡りに船であろう。
「ただ、エルとブランタークさんとだけで?」
「随分な言い方だな。俺だって、ハルカさんが側にいた方がいいに決まっている!」
「俺は、美味しい酒と肴があれば。どうせ奥さんと娘は連れて来れないからな」
ただし、俺は連れて行っても問題ないははず。
というわけで、早速エリーゼたちを呼び寄せた。
「魔族の軍隊、魔族の外交使節団、ホールミア辺境伯家水軍の偵察艦艇、王国軍外交使節団が集まってピリピリしている現場に赤ん坊連れであるか。バウマイスター伯爵は大胆である!」
テラハレス諸島群には五十近い島があるが、現在魔族が基地を建設してるのは一番大きな島のみで、他にはいくつかの島に警備兵を置いているだけである。
俺たちは一番外縁部にある小さな島に、帝国内乱の時と同じく石材で家を建て、簡単な港を作って船を置いた。
「ヴェル君も、大物貴族らしくなったのかしら?」
「一応、援護射撃ですよ」
「私にはよくわかないけど、魔族の魔導飛行船って変わっているのね」
今まで赤ん坊の世話を担当していたアマーリエ義姉さんも、なにも言わずについて来た。
一部護衛の兵士たちと家臣はサイリウスに残し、漁を頼んでいる漁民たちの管理を任せることにする。
数名の漁師たちもついてきており、今は島の海岸に魔法の袋から出した船の整備と出航準備を行っていた。
「ヴェル、これはバカンスなのか?」
「そんなところ」
どのみち、陛下からの命令でテラハレス諸島群にはいないといけないし、ただいるだけでは退屈である。
そこで、エリーゼたちと共に無人島でバカンスを楽しむことにしたのだ。
「魔族の軍隊がいるんだけどな……」
「大丈夫さ」
いきなり、こちらの拉致や殺害を目論んだりはしないであろう。
もしそんなことをする連中なら、とっくにユーバシャール外務卿たちはこの世にいない。
「彼らは、自分たちが進歩的で文明的であることに誇りを持っている。いきなり俺たちになにかする可能性は低いさ」
もう一つ。
魔族は人間を格下だと思っており、それはあのレミー団長たちも同じなのだ。
人間が野蛮で遅れている種族だから、進んだ魔族の知識、技術、考え方を伝えてあげよう。
という風に考えており、考えようによっては傲慢だと受け取られかねなかった。
人間も魔族も、同じ失敗をするというわけだ。
「でも、ゼロじゃないぜ」
「この交渉が決裂すれば、最悪戦争になる。魔族の軍隊が相手だと、どこにいても結果は同じだからな。ならば、少しでも援護射撃をしないと」
「援護ですか? ですが、ユーバシャール外務卿が嫌がりませんか?」
フリードリヒを抱いたエリーゼが、俺が考えている事を聞いてくる。
「ユーバシャール外務卿とは別に行う」
「援護がバカンスなの?」
「結果的に、そうなる可能性が高いというわけだ」
「わからないわ」
俺の発言に、イーナは首を傾げた。
確かに、俺の考えている援護策は、リンガイア大陸に住まう人たちには理解できないと思う。
「とにかく、バカンスを始めよう」
というわけで、数時間で住む場所もできたのでフリードリヒを抱いて海岸を散歩する。
「フリードリヒ、綺麗な海だろう?」
「あーーー」
「開発が入っていないからな。自然のままなんだぞ」
「あぅーーー」
「そうだな」
「あのよ、ヴェル。やっぱり会話になっているようでなっていないから」
「大丈夫、フリードリヒはもうわかっているから」
「親バカかよ!」
「悪いか!」
この子は俺の跡を継ぎ、面倒な貴族たちや王国政府と渡り合ってくれるだろう。
母親はエリーゼだし、魔力も伸びるだろうし、優れた二代目になってくれるはずだ。
「そして、俺は安心して引退するわけだ。あとは自由に気ままに生きるぞ」
「お前、生まれたばかりの赤ん坊にそういうプレッシャーを与えるなよ……」
賢いフリードリヒが早めに家督を継ぎ、俺は安心して早めの隠居生活を送るプランにエルが文句を言う。
「とにかくだ。今は、元気に育ってくれればいいのさ!」
「お前、誤魔化しただろう?」
エルのツッコミは無視して順番にアンナ、エルザ、エトヴィン、フローラ、イレーネ、ヒルデ、ラウラと生まれた順に抱いていく。
何度見ても赤ん坊は純真で可愛いものだ。
すでに薄汚れてしまった俺とは比べ物にならない。
夕方になり、エリーゼたちは赤ん坊に母乳を与えてから、野外でバーベキューを行う。
貯蔵していた肉、野菜などに、連れてきた漁師たちが獲ってきた魚介類も焼かれ、俺たちは久々に休日をエンジョイしていた。
家族でバーベキューっていいよなぁ。
「ここ最近は、文句を言いつつ楽しんでいたようにも見えるのであるな」
「そういうアーネストはどうなんだ?」
「我が輩は、趣味と仕事が一致しているのであるな」
家は三つ作り、一つは俺たち、もう一つは漁師たち、残りの一つはアーネストとモールたち、導師とブランタークさんが使用していた。
モールたちはもう十分に観光もしたしと言い、アーネストは論文の執筆はどこでもできるからとついて来たのだ。
「しかし、なかなか纏まらない交渉であるな」
「先生、民権党の新人議員ですから」
「政治家としては微妙?」
「いきなり交渉決裂で、『戦争だ!』とか言わないだけマシですって」
どういうわけか、モールたちにもレミー団長たちの評価は低かった。
日本にも、こんな政治家はいた記憶があるが。
「それでさ。この遊びが交渉の援護になるの? ボクとしては、ヴェルがエルザたちの相手をしてくれて嬉しいけど」
「ふっ、戦争はよくないです。赤ん坊は国を救うのです」
「子供がいないと、あとで王国が大変なのはわかるけど……」
ルイーゼは俺の考えが理解できないで悩んでいたが、突然戦闘態勢になってある方角に殺気を向ける。
「いやーーー。人間の魔法使いもやるっすね。さすが、実戦経験者は違うっす」
「誰かな? 子供たちがいる以上は、ボク容赦しないよ?」
「いえいえ。自分に戦闘の意志はないっすよ。これでも、奥深い魔物の領域に取材に行くこともあるっすから、ある程度は鍛えているっす」
「取材?」
「はいっ! 肝心の交渉の方がグダグダで、編集長からなにか面白い記事を送れってうるさいから、ここは変わったことを始めたバウマイスター伯爵さんの取材をしようかなと思ったっす」
ようやく、俺が期待していた人というか魔族が姿を見せた。
その魔族は二十代前半ほど。
ダークブラウンの髪を三つ編みにして後ろで束ね、目には丸眼鏡、ツナギに似た服を着て、首には魔道具のカメラを下げていた。
「どうも、エブリディジャーナルの新人記者ルミ・カーチスっす。バウマイスター伯爵さんに取材の許可をいただきたいっすが……」
俺の予想どおり魔族のマスコミが姿を見せ、俺の魔法を使わない援護作戦が始まるのであった。
素人の俺でも、前世の知識として持っているマスコミ対策くらいはできるであろうから。
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