第312話 戦闘はないが、話はなかなか進まない(前編)

「アーリートン三級将、基地の建設は予定どおりかな?」


「はい」


「ならばいい」




 ここは、人間たちがテラハレス諸島群と呼ぶ無人島群の上空。

 ここから東に百キロほど、リンガイア大陸西部に領地を持つ大物貴族が領有権を主張していると情報にあった。

 先日、防衛隊の船に魔法を放って拿捕された大型魔導飛行船の船員からの情報だが、確かに粗末な灯台や掘立小屋は見える。

 ただし、ここでは穀物類が自給できない。

 岩肌が露出した部分が多い島で構成されているからだ。

 水も、相当深く井戸を掘らないと確保できず、そのせいか無人島のままであった。


「ゲーリー政務官、いつになったらヘルムート王国と交渉を開始するのでしょうか?」


「それは、高度に政治的な判断を要するからもう少し待ってほしい」


 テラハレス諸島群に浮かぶ我が国の空中艦隊の旗艦において、私、司令官のアーリートン三級将は、魔導絵通信で政府高官への定時報告を行っていた。

 

「高度に政治的判断ですか……」


 目の前の政務官はそう言っているが、実はただどうしていいのかわからなくて混乱しているだけである。

 このゲーリー政務官は、見た目は二枚目で女性にも人気がある。

 前回の選挙では野党民権党から出馬し、多くの女性票を集めて当選した。

 一年生議員にも拘らず防衛政務官の地位にあるのは、ひとえに得票数の多さからであろう。

 そういえば、前回の選挙は投票率が二十パーセント以上も上がって野党民権党が大躍進して政権を取った。

 これまで六百三十年間にも及ぶ長期政権を運営していた国権党は、特に失政もないが長期的に魔族の衰退を阻止できなかったという理由で選挙に大敗、大幅に議席を失ったのだ。

 国民も、なにかしらの変化が欲しかったのであろう。

 だが、彼らには実務能力がある者が少ない。

 人前に出れば、それなりに景気のいいことは言えるが、ではそれを実現可能かと言われると非常に厳しい。

 例の事件が、新内閣を成立させてからわずか一週間後であったというのもよくなかった。

 一万年も前に高度な文明を消失し、原始的な文明しかない人間たちが野蛮な争いを続けている土地。

 と、言われていた東にある大陸から、一隻の巨大魔導飛行船が現れた。

 すぐに決まりに従って領海・空からの退去を命じたのだが、なぜか魔法が飛んできたので、この船を拿捕するしかなかった。

 幸いにして死者は出なかったが、若干の負傷者は出ている。

 治療はすべて終わっていたが、彼らへの尋問は苦労した。

 なにしろ我々には、他種族人間と接した経験が一万年以上も皆無だったからだ。

 先に人間たちが魔法を撃ってきたので、彼らは戦闘による捕虜という扱いである。

 だが、我が国に捕虜をどう扱うかという法はない。

 昔はあったのだが、必要がないのですべて廃法になっていたのだ。

 交渉相手もいないので、やはり大昔に外務省も解散している。

 そんな理由もあり、捕虜にした人間たちをどう扱ったらいいのか?

 どこの役所で管理して事情を聞くのかで、世論が揉めに揉めた。

 そう扱いは悪くないはずなのに、勝手にマスコミが捕虜への人権侵害があるなどと騒ぎ始めた。

 彼らは元々、世論の関心を得て商売にするため、必要以上に煽ることが多い。

 話半分で聞いている市民も多かったが、一部に騒ぐ者たちもいた。

 普段、河川の工事でそこに住むメダカが希少だから配慮しろ、などと言っている連中の同類だ。

 彼らに言わせると、人間は魔力を持つ者も少なく寿命も短い可哀想な種族らしい。

 それも一理あるのであろうが、多少文明レベルが劣る程度で我らとそう変わりはないであろう。

 私も訊問に参加して、それがよくわかった。

 船長と副長を名乗る人物は、冷静に事情を説明した。

 こちらに伝える情報と、伝えるべきでない情報を理性的に判断して話をするので、私は彼らに好感すら持った。

 同じく真面目に職務にまい進する公人として、尊敬の念すら覚えている。

 少なくとも、この定期的に無意味な通信を寄越す、顔だけ政務官よりは好感度は上だ。

 そして、同時に救いようのないアホがいた。

 もう一人、あの巨大魔導飛行船には副長がいる。

 能力は低くないと思うのだが、まだ若いせいか勘忍が足りない。

 と思っていたら、自分は貴族の跡取りなので、この待遇は我慢できないと騒ぎ出した。

 人間の住むリンガイア大陸にはまだ貴族がいるそうで、中にはこのような特権意識に塗れた若造もいるようだ。 

 我が国でも、政治家や大物官僚、大企業のオーナーの親族というだけで無意味に威張っているのがいるので、それはお互い様かもしれないが。

 ただ、一部国民とマスコミに言わせると、ヘルムート王国はいまだに貴族の専制が蔓延る野蛮な後進国家なのだそうだ。

 そういう考えを持つ記者が、偉そうに新聞にそう書いていた。

 ゆえに今こそ、人間の住む大陸に進軍して民主主義の大義を広めるべき、などと言っている連中もいる。

 お題目は素晴らしいのだが、我々はリンガイア大陸にヘルムート王国とアーカート神聖帝国という国家があることしか知らない。

 人口とか、技術レベルとか、国力とか、軍事力とか、そういう情報をなにも知らないのに軍を押し進めろと騒いでいるのだ。

 自分が行かないからといって、随分と無責任な連中である。

 そもそも我が国の防衛隊は、正式には軍隊ではない。

 一万年以上も友好国も仮想敵国もないので、ようするに内乱勢力に備えた治安維持組織でしかないのだ。

 魔族という種族にはたまに莫大な魔力を持って生まれ、とてつもない戦闘力を有する者が現れる。

 そういう連中が国家転覆やテロを目論むと困るので、そういう事態に備えての治安維持が主な任務というわけだ。

 あとは、普通の犯罪者向けの警備隊、消防とレスキューを合わせた救護隊などがあるが、それらを合わせても三万人もいない。

 魔族の人口が百万人ほどで、最近では大規模凶悪犯罪もテロも滅多にない。

 装備の更新に金がかかる、税金の無駄遣いだと批判され、現在では人員も縮小傾向にあった。

 特に今の民権党は、防衛隊の予算削減をマニフェストとしていたのだが、リンガイア大陸への侵攻を口にしている連中も民権党なのは……まあ、民主主義国家ではよくあることだ。

 大体この人数で、大陸一個をどうやって占領・統治すればいいのだ。

 あまりにもバカすぎる意見であったが、困ったことにこの目の前のバカを含む民権党の連中には大陸侵攻論……侵攻という言葉はよくないそうで、解放論らしいがどちらでも同じだ……を唱える勢力が一定数いる。

 加えて、野党に転落した国権党の議員にも、人口減で部数を増やしたいマスコミ関係者にも、財界人にもそのシンパはいた。

 マスコミは、偉大なる民主主義を大陸の人たちに教えるため、公器である新聞が必要だと言うのだ。

 ただ販売部数を増やしたいだけのような気もするが、彼らはその本音を覆い隠し、建前を真実だと思い込むことができるのであろう。

 とにかく羨ましい限りである。

 まだ財界の、商売のパイが広がるかも、という正直な意見の方が理解できる。

 もっとも、国民の大半は平静で冷めている。

 だからこそ、こんな中途半端な出兵になっているわけだが。

 人間の領地ではあるが、実効支配が及んでいないこの群島に臨時で基地を作って圧力をかけ、相手に先制攻撃を謝罪させて通商条約を結ぶ。

 さすがに、すぐに戦争を言うほど政府はバカではなかった。

 戦力がないので、防衛隊の制服組に反対されたのであろうが。

 もっとも、人間側の謝罪を引き出すのと、通商条約の締結には外交官が必要なのだが、生憎と我が国は外務省を二千年も前に閉鎖している。

 当時すでに、必要がないのに存在し続けており、予算の無駄だと言われて廃止したと資料には書かれていた。

 組織を潰される外務省の連中は反対したそうだが、彼らには仕事がなくて他の省庁の応援に回っていたくらいであったそうだから、廃止されても仕方がなかったのであろう。

 そんなわけで、一応外交のノウハウを記載した古文書は残っているわけだが、では誰が行くかで揉めている。

 経験がないので及び腰なのと、各省庁で自分たちがと主導権争いを始め、しっちゃかめっちゃかで混乱していた。

 要するに、省庁間の主導権……利権争いである。

 今日もゲーリー政務官が無駄に爽やかな笑顔で誤魔化しているが、防衛大臣が顔を出さないので、まだなにも決まっていないのであろう。


「それで、極秘裏に来ているヘルムート王国の外交特使なのですが……」


 ヘルムート王国には、仮想敵国であるアーカート神聖帝国が存在する。

 当然外交担当者はいて、十名ほどの使節団がこちらを訪ねていた。

 勿論その存在は極秘で、今は我々が歓待して預かっている。

 時期が来れば本国に送るとは言っているが、それがいつになるのかは不明だ。

 しかし、奇妙な話だ。

 政治家やマスコミの大半は、彼らを文明が劣る野蛮人だと思っているが、その野蛮人はすぐに外交使節を送ったのに、我が国はいまだそれを出せずに混乱している。

 これでは、どちらが野蛮人なのかわかったものではない。


「どうせ、基地の建設にも時間がかかるのだから……」


「そうですね……」


 もう一つ困ったことがある。

 それは、この群島に建設中の基地の件だ。

 最初は、すぐに撤去可能な仮設基地にする予定であった。

 ところが、政府がコロコロと方針を変えるのだ。

 せっかくだから、ここを大陸進出の橋頭保としようと騒ぎ出したのだ。

 こちらに対抗してヘルムート王国が大軍で迎撃準備を始めているのに、恒久的に支配しようとしたら戦争になってしまう。

 元から防衛隊は、この群島の占領作戦に反対だった。

 命令を聞かざるを得なかったのは、防衛隊はシビリアンコントロールの下にあるからだ。

 つまりは、政府の命令に従わなければいけない点にあった。

 それは別に構わないと思う。

 古代の歴史にある、軍閥による独裁政治など悪夢であろうからだ。

 ただコントロールする以上、せめてその知識は最低限得てきてほしいと思う。

 ちなみに、今魔導絵通信に映っているバカは、海上艦艇と空中艦艇の区別すら今もついていない。

 有事になると、このバカが防衛隊のナンバー3だと思うと頭が痛くなってくる。


「青年軍属たちは元気かね?」


「はあ……」


 そして、基地の建設作業を大幅に遅らせている存在、それはこの青年軍属たちにある。

 ここ数百年、我が国は未婚率の増加に伴う少子高齢化、経済の縮小に悩んでいる。

 まあ、若者の半分が無職という現実を考えるに、これは仕方がないのかもしれない。

 ただ、当事者である若者たちはそこまで悩んでいなかった。

 少人数で高度な農業を行えるため、余りに余っている食料は無料で支給され、これに小遣い程度ではあるが生活保護もある。

 それに加えて、彼らはたまにアルバイトに出かけたり、趣味などに没頭して意外と無職生活を楽しんでいるからだ。

 これが年寄りに言わせると言語道断なのであるが、職がどう考えても足りないので騒ぐだけ無駄である。 

 そしてこの矛盾を誤魔化すため、政府は青年軍属を募集した。

 つまり、防衛隊の戦力が足りないので、無職で興味ありそうな若者を募集して、基地の建設作業に従事させることにしたわけだ。

 結果、素人である彼らのせいで作業は遅れに遅れている。

 理由は言うまでもない。

 彼らほぼ全員が、就業経験の少ない素人だからだ。

 技術がある少数の防衛隊員が彼らの警備にまわり、素人が試行錯誤で基地の建設を行っている。

 あまりの遅さに激怒する将兵もいたが、彼らに労災が発生すると政府がうるさい。

 よって、自然の流れに任せることになった。

 どうせしばらくは完成しないと予想して、完成予定時期を遅めに申請してよかった。

 我々が、『青年軍属たちのせいで基地の完成が遅れています』などと言い訳しても、政府は激高して我々を処分するだけだからだ。

 本当、上から言うだけの政府の連中は気楽でいい。


「彼らは未経験者なのだ。長い目で見てあげてくれ」


「はあ……」


 別にそれは構わないのだが、中には経験以前の奴がいる。

 ろくに作業もしないで、島の地質がどうの、生態系がどうのと調査をしているのだ。

 彼らは大学院の卒業生で、その分野の研究を行っているらしい。

 大学の自治組織は、民権党の牙城で支持母体でもある。

 青年軍属にかこつけて、無料で研究をしようという腹なのであろう。


「(まあ、彼らは逞しくてある意味感心するがね)」


 それに、あまり立派な基地ができると政府のバカたちが余計なことを考える可能性もある。

 ある意味、好都合かもしれない。

 第一、青年軍属たちが素人でも理解できるが、防衛隊のナンバー3が軍事に素人なのはどうなのであろうか?

 政治家に素人などいらないと思う私はおかしいのであろうか?


「(あんたは、どう長い目で見ても無能だろうがな……)」


「なにか言ったかな? アーリートン三級将」


「いいえ、特になにも」


 危うく、つぶやきを聞かれるところであったか。

 別に聞かれてもいいような気もしてきたが、ここで懲罰の対象にでもされたら退職金と年金が消えてしまう。

 ここは我慢のしどころだ。


「基地が完成する頃には交渉も始まるはずだ。ヘルムート王国側が先に手を出したのだから謝罪するであろうし、通商交渉が纏まれば景気もよくなるさ」


「そうですね」


 そう簡単に上手く行けばいいのだが……。

 私は、こののん気な政務官が次第に羨ましくなるのであった。

 誰か、この仕事を代わってくれないかね?






「貴族の旦那、今日も大漁でしたな」


「ああ、食べる分は確保して、あとは売却だ。今日も臨時ボーナスが出せそうだな」


「みんな、喜びますぜ」


 暇潰しに漁を始めてから一週間、いまだに事態は動かない。

 ホールミア辺境伯もなにも言ってこないので、俺たちは自由に行動している。

 赤ん坊の世話、各々の鍛錬や勉学、遊びと買い物、そして初日の雪辱を果たすために漁を続けていた。

 サイリウス周辺に敵がいないかを探るための偵察と、食料確保を兼ねた漁に、一日一回出ていたのだ。

 ただ、俺たちには赤ん坊の世話を含めて他にもすることがいくつかある。

 数時間ほどちょっと沖合で釣りを行い、他にも魔導動力推進のボートがあるので、それらを漁師に貸していた。

 彼らはすぐに操作を覚え、定置網漁や、はえ縄漁などに出かけており、順調に漁獲量を増やしていた。

 船の権利は俺にあるのでオーナーとして漁師たちに日当を支払い、獲った獲物はオークションで流し、売り上げに比例して決められたボーナスを出す。

 この方法でも、彼らは収入が増えて嬉しいようだ。


「貴族の旦那がこの船を売ってくれれば、もっと嬉しいんですがね」


「残念だけど、それはできないな」


 彼らはバウマイスター伯爵領の領民ではないので、それはできない。

 その辺の線引きは絶対に必要であった。


「残念です。それにしても、貴族の旦那は漁師姿も板についてきましたな」


 網を使わずに釣竿で釣るスタイルに変化はなかったが、初日とは違って魚が沢山釣れるようになった。

 最近では、少し日焼けして逞しく見えるようになったほどだ。


「すみません、あなた。私は日焼けは……」


「私も駄目」


「ボクも」


「お肌に悪い」


「日焼け止めは必須ですわね」


「妾はあまり気にせぬが……」


「あたいもだな。昔から気にしたことがないからさ」


「私は気にしていました」


 一部例外もあるが、俺の妻たちは念入りに日焼け止めを塗ってから船に乗り込んでいる。

 日焼けのリスクがあっても魚が大量に釣れて面白いので、特に用事がなければ毎日ついてきた。


「今日はブーリ大根を作りましょう」


「いいなぁ。俺は大好き」


 エルとハルカは、子供が産まれても新婚夫婦のように仲良く釣りに付いてくる。

 護衛も兼ねているので当たり前ではあるのだけど。


「新鮮な魚料理は美味しいのである!」


 導師も相変わらずだが、彼も王宮筆頭魔導師のくせにホールミア辺境伯や王国軍に呼ばれもしない。

 やはり、平時には役に立たないと思われているのであろうか?

 今は平時とは言いにくいが、つまり事務的なことでは役に立たないと思われているのであろう。

 そして、ブランタークさんであるが……。


「伯爵様、毎日漁師みたいな生活で本当にいいのか?」


 俺と一緒に毎日釣りをして、釣った魚をエリーゼたちに調理してもらう。

 そして、それを肴に一杯。

 彼は、こんな自堕落な生活でいいのかと悩んでいるようだ。

 ブランタークさんが、実は意外と真面目なのだと判明した瞬間であった。


「とはいえ、向こうはなにも言ってきませんから……」


 フィリップとクリストフも、暇なので訓練ばかりしているらしい。

 敵がいるのになにもできないと、こちらに魚を買いに来た時に愚痴を溢していた。


「それに、釣りをしていないと大変ですよ。ブランタークさんが俺の代わりに相手してくれますか?」


「いいや、御免蒙るね」


 暇なのが余計によくないらしい。 

 多くの西部貴族たちが、俺を茶会だの、食事だの、パーティーに誘うのだ。 

 その目的は、領地開発利権にもっと絡ませてほしい、であろう。

 のん気に茶会だのパーティーにノコノコ出かけて行くと、また側室や愛人を押し付けられる可能性があった。


「よって、この魚の補給は絶対に毎日しないと駄目です」


 不足する魚を、漁師たちに船舶まで貸しつけて確保している。

 補給不足の解決に貢献しているので、これが十分に軍事行動に当たるはず。

 そう、俺は軍の補給に貢献しているわけだ。

 だから忙しいので、他の貴族たちに会っている暇はないんだよな。


「それはわかるけどよ。伯爵様は、絶対に好きでやっているだろう?」


「はい」


「そこは、表向きは否定しろよ……」


 俺の身も蓋もない返答に、ブランタークさんは溜息をつくのであった。

 ただ、毎日美味しい肴を得るために、彼も釣りはやめないのであったが。

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