第311話 偵察及び、臨時食料調達任務(後編)
「ヴェル君、その船はどこから持ってきたの?」
「魔法の袋からですよ」
「その前にどこから手に入れたのかなんだけど、確かになんでも出てくる魔法の袋ね。これまでに見たことがない形状の船だけど、とても高そう」
「拾い物だから無料ですけどね」
「魔の森の地下遺跡からのね。普通の人は、無料で拾えないと思うけど……」
魚が買えなければ、自分で獲ればいいじゃない。
というヴィルマの意見に賛同した俺は、自分の魔導飛行船を置いている近くの船着き場に一隻の船を浮かべた。
大きさは三十メートルほどで、形は地球のクルーザーに似ている。
魔の森にある地下遺跡から見つけたもので、説明書によると、お金持ちが購入するレジャー用の魔導遊漁船と書かれていた。
この船の特徴は、魔晶石に蓄えた魔力でスクリューを動かす点にあると思う。
この動力は王国軍と諸侯軍水軍の一部艦艇にしか装備されていないものであり、さらにこの船は、古代魔法文明の発掘品なのでもっと性能がいい。
何隻か研究用に欲しいと言われて魔道具ギルドに売却したが、新しい魔導動力を用いた船をテラハレス諸島に派遣することはできなかったようだ。
だが、どうせ中・小型船舶の大半が帆と船員の手漕ぎで動いている。
船団を組む時に大型船ばかりが速度を出せても意味がないので、小型で性能がいい魔導動力を普及させないと、水軍の戦力アップには繋がらないだろう。
「自分用の船舶ねぇ……。私の父なんて、川で魚を獲る小さな舟しか持っていないわよ」
マインバッハ騎士爵領には海がなく、小さな川が流れているだけだそうだ。
船も、領内の太い丸太を削って作った小舟で、それでも領主様しか持っていない自慢の一隻だったと、アマーリエ義姉さんが教えてくれた。
「アマーリエ義姉さん、昔のバウマイスター騎士爵家は船すら持っていなかったですよ」
「そういえばそうだったわね。でも、いきなり新しい船で大丈夫?」
「ええ、試し運転は当然していますよ」
同じ船ということで、漁船に乗れないで暇そうにしていた漁師たちに先ほどまで練習させていた。
動力が魔力なくらいで、船を動かすという点に違いはないから大丈夫はなずだ。
『帆の操作と、風がない時の漕ぎが必要なくて楽だな』
『売ってほしいくらいだぜ』
漁師たちは、一時間ほどの練習で魔導クルーザーを乗りこなすことに成功した。
さすがはプロというべきであろう。
俺は、船舶関係の免許は持っていなかったからなぁ。
船はよくわからないのだ。
「この船でお魚を獲りに行くのね」
「ええ」
漁船ではないので収納スペースは少ないし、網の運用はできないが釣りをしてその成果を得ることくらいはできる。
自分たちの分だけだと割り切って、早速沖合に釣りに行くことにした。
「アマーリエ義姉さんはついて来ないのですか?」
「私、船酔いが酷いのよ。赤ん坊たちを預かっているから。夕食に使うお魚をお願いね」
「わかりました」
早速、釣り道具と必要な物資を積み、いつもの面子で少し沖合に釣りに出かけた。
「こんなことをしていていいのかなと、思わんでもないな」
とは言いつつ、漁師お勧めのポイントに到着すると、ブランタークさんは自分の釣り竿に仕掛けと餌をつけて投げ釣りを開始した。
「ブランタークさん、慣れてませんか?」
「冒険者ってのは、時に食料を川や海から恵んでもらうこともあるからな。たまに釣りはしていたよ。しかしいい竿と仕掛けだな」
これも、魔の森にある地下遺跡からの発掘品である。
この世界にもリールは存在したが、造りが原始的なので糸が絡みやすい。
その点、発掘品の釣り道具は日本にあったものと大差ない作りになっている。
初心者や女性でも扱いやすい品となっていた。
「エルも、気合を入れて釣れよ」
「釣るけどさ。ブランタークさんと同じで、こんなことをしていていいのかなと思う」
「いや、それは大きな間違いだぞ。俺たちはちゃんと軍事行動をしているのだから。遊びではないので、サボらないように」
せっかく応援に来たのに、ホールミア辺境伯家とその他諸侯軍、王国軍は俺たちに構っている暇がないらしい。
『なにか状況に変化があるまで、その場にて待機していてほしい』という命令以外は、完全に放置状態だ。
応援に来たのに、町で悪さをする貴族の私兵たちのせいで余計に手間がかかっているそうで、雑多な混成軍を纏めるというのは大変なのだ。
これは、テレーゼやペーターが散々苦労しているのを見ているので今さらであろう。
そんな中で、迷惑をかけない俺たちは管理に手間がかからないので基本放置である。
ただ、なにもしないのはどうかと思うので、独自に偵察と食料確保のための行動に出たわけだ。
「食料確保と偵察ねぇ……」
「方便とも言うのである!」
「うわっ! 導師がぶっちゃけた!」
偵察もなにも、ここは港から一キロほどの沖合である。
サーペントすら来ないのに、魔族の艦隊など来るはずがない。
テラハレス諸島群などは、遥か西に百キロ以上も先だからだ。
食料確保も、別に食料自体が不足しているわけではない。
西部は、王国一の穀倉地帯である。
最近は畜産にも力を入れているので、穀物と肉類に不足はない。
俺が、魚が食えなくて不満があるだけだ。
「しばらくはなにもできませんから、子供たちの面倒を見ながら適度に息抜きをして万が一に備えた方がいいですね」
「ほら見ろ、エリーゼの言うとおりじゃないか」
さすがは俺の妻、実にいいことを言う。
「新鮮なお魚で、しかも釣ったものは格別に美味しいと聞きますし、漁を頑張りましょう」
「そうだよ、奥方様。魚は、網獲りよりも釣った方が美味いのさ」
エリーゼの発言に、船を操作している漁師がフォローを入れた。
俺たちが漁をやめると、彼らは仕事がなくなってしまうからな。
「網で獲った魚は、網の中で暴れて傷つくからさぁ。実際、手釣りの魚の方が値が高いのさ。さあ、仕掛けを降ろしてくだせえ」
漁師が知っているいいポイントに到着したようで、彼の合図で全員が釣り針に餌をつけて仕掛けを海の中に投入する。
みんなリール竿を用い、餌は魚やイカの切り身で、これは漁師たちが準備してくれた。
「なにかかかったわ!」
一番最初にヒットしたのはイーナであった。
漁師の助言どおりにリールを巻いていき、最後は漁師がタモで掬って取り入れる。
「アカダイだな。刺身や塩焼きにすると美味しいぜ」
見た目はマダイそのものなので、食べれば普通に美味しいと思う。
「早速締めてくれ」
「貴族の旦那は魚に詳しいんだな。任せてくれ」
漁師は釣ったアカダイのエラと尻尾を切り、冷たい海水で血抜きをした。
「ヴェル、生かしておいた方が美味しいんじゃないの?」
「それは誤解だな」
今は開店休業状態だが、サイリウスには観光客や富裕層向けに、生簀に泳がせた魚を調理して出すレストランが存在している。
新鮮な魚が食べられるとあって、ボッタクリに近い値段でも人気だそうだが、一応食品を扱う商社にいた俺に言わせるとそれは幻想である。
「餌もやらずに、狭い生簀の中で無理やり生かしているんだ。川の魚の泥抜きとは事情が違う。生け簀で泳いでいる期間が長ければ長いほど味は落ちてしまうのさ。魚が生きているから錯覚しているだけ」
獲ったり釣ったりした魚はすぐに殺して血を抜き、それが終わったら内臓とエラを素早く除去する。
あとは冷やしてから、魔法の袋に入れるだけであった。
「貴族の旦那は締め方にも詳しいんだな。俺らは商売だから、無理に生かして生簀に運ぶけどよ。貝やエビ、カニは生かさないと駄目だから同等に思われているのかもな」
「ふっ、任せてくれ」
「ヴェルって、食べ物のことには詳しいのね」
「なんか引っかかる言い方だな」
「だって、貴族の名前がなかなか覚えられなくて、ほとんどエリーゼ頼りじゃないの」
イーナに事実を指摘され、俺は思わず顔を引き攣らせてしまった。
元日本人である俺から言わせると、この世界の貴族の名前は面倒で覚え難い。
あと、前世の頃から俺は、人の名前を覚えるのが苦手であった。
「それよりも、沢山釣ろう!」
本当に必要な貴族なら、自然に覚えるはずなのだ。
それができないということは、その貴族は俺には必要ない証拠であった。
と、思うことにして釣りを再開する。
「あなた、釣れました」
「ソコゾコだな」
エリーゼは、大きなヒラメを釣った。
ちなみに、ソコゾコとはヒラメの地方名のようだ。
フィリップ公爵領や王都とは呼び名が違っていた。
「ボクのは結構大きいよ」
「大きいブーリだな。これも塩焼きにすると最高だ」
ルイーゼは、巨大なブリに似た魚をゴリゴリとリールを巻いて釣り上げた。
相変わらず、見た目からは想像もつかない怪力である。
「釣れた」
「ヴィルマのも大きいね」
「ゴーチか。高級魚だぜ」
ヴィルマも、一メートル近いマゴチに似た魚を釣ってご機嫌だ。
それにしても、もの凄い大物ばかり釣れるな。
「ヴェンデリンさんは、釣れていませんわね」
「そういうカタリーナはどうなんだ?」
「数は釣れていますわよ」
俺の反対側で釣っているカタリーナは、四十センチほどあるサバに似た魚を次々と釣り上げていた。
まさに入れ食いだな。
「爆釣だぜ!」
「面白いように釣れるの」
カタリーナの隣で竿を下ろしているカチヤとテレーゼも、実によく釣れていた。
あれだけ釣れれば、今夜のおかずには困らないはずだ。
「サバですね。味噌煮とシメサバにしましょう」
「奥さん、サイリウスではサッパって言うのさ」
補佐をしてくれる漁師は、なぜか地方名に拘っているようだ。
「釣れると面白いものだな」
夫婦で釣っているエルとハルカも、大きなサバが大漁であった。
ハルカが味噌煮にすると言っているから、俺もあとで分けてもらおう。
「新鮮だと、刺身でもいけますぜ」
と言いながら、漁師はサバを頭から折って血を抜き、内臓とエラを素早く取り除く。
「胃を食い破る寄生虫がいるのもあるんですが、内臓をすぐに取れば大丈夫でさ。エラも素早く取らないと鮮度が急に落ちやすからね」
サバは庶民向けの安い魚なので、網で獲っている時にわざわざ処理はできない。
町で売っているものは、加熱調理が基本なのだそうだ。
これもすべて締めてから、冷海水を使って素早く処理する。
なお、この冷海水の提供者は『ブリザードのリサ』の二つ名を持つリサであった。
彼女の手にかかれば冷海水など余技で大量に作れるので、釣りや漁では重宝しそうだ。
「こんなに冷たい海水を大量に作れるなんて、魔法使いは羨ましいですな」
「いつもは、普通の海水で処理して時間が勝負なのに」
漁師たちは、そう簡単に魔法の袋など用意できない。
獲った魚の鮮度が落ちないように、彼らの漁は常に時間との勝負なのだそうだ。
「生かして持って帰るにしても、船の生簀は狭いから数を入れられないし、半分以上死んでしまいますしね」
「大変なのですね」
「大変なんですよ、奥方様。そうやってどうにか生かして港に運び込んだ魚は王都に住む貴族や金持ち向けに売られるので、港でこちらの帰りを待ちわびている商人たちもいます」
今は同じく開店休業状態だが、漁を終えた馴染みの漁船に駆け寄り、処理をした魚を素早く魔法の袋に仕舞って王都へと向かう。
魔法の袋に生きた魚を入れられないので、買い取った商人の前で締めるのが基本だそうだ。
そんな彼らが卸す魚よりも、今の俺たちは状態がいい魚を得ていることになる。
「いくら魔法の袋が魚の腐敗を防ぐとはいえ、常温の外に出してから調理に時間をかけて駄目にする料理人もいます。魔法の袋に入れるとはいえ、本当は貴族の旦那のように先に絞めて処理をした方がいいんでさ」
どのみち、生きた魚は魔法の袋に入れられないので締めなければいけない。
ただ、魚を買う商人からしたら、目の前で締めてくれた方が安心できるので、そうしているのだと漁師が説明してくれた。
中には、獲れたて、締めたてを謳って、鮮度の怪しい魚を商人に売る漁師もいたそうで……。
信用問題に関わるのでギルドが誕生したのだと、漁師が教えてくれた。
「ふーーーん、そうなのか。にしては、伯爵様は釣れてないよな?」
ここで、ブランタークさんが一番痛いところを突いてくる。
みんなは続々と魚を釣り、それを漁師たちが次々と処理をして魔法の袋に入れていくが、なぜか俺にだけ一向にアタリがなかったのだ。
「そういうブランタークさんはどうなんです?」
「俺か? 普通に釣れているけどな」
「魔法使いの旦那は、アージが大漁ですな。刺身、塩焼き、開いて干物にしても最高ですぜ」
「酒の肴にもいいな。もっと沢山釣るか」
最初は『釣りなんてしていていいのか?』とか言っていたブランタークさんであったが、次々とアジに似た魚を釣り上げ、それを漁師たちが素早く処理していた。
地方名も似ているから、アジなのであろう。
地球にいるアジとは微妙にヒレの形や模様が違うので、100パーセント必ずそうだと断言できないのはもどかしかった。
「まずいな……」
どうも釣果を見るに、ここは魚影が濃いポイントのようだ。
なのに、俺だけがアタリすらなくボウズであった。
「これは、バウマイスター伯爵としての沽券に係わるのでは?」
「ヴェル、もっと貴族らしいことで沽券とか気にしろよ」
エルが失礼なことを言うが、今日釣りをしているメンバーはほぼ全員が釣りの素人なのに、俺だけがボウズでは沽券に係わる。
そこに、この世界の貴族の常識など関係ないと断言しよう。
ただ単に、俺だけボウズは嫌なんだぁ~~~!
「また釣れました」
「みんな、大漁ね」
「一人だけ、一匹も釣れていない人がいるけどね」
事実なだけに、ルイーゼの容赦ない一言が容易く俺の胸に突き刺さった。
「しかし待てよ。そうだ! 導師がいたじゃないか!」
同じ釣れていない仲間がいたことで、俺は安堵する。
限りなくレベルが低い考え方だが、それでも今の俺には吉報だ。
「きたのである!」
「なにぃ!」
ただし、俺の安堵はわずか数秒で消え去ってしまう。
導師にアタリがあり、俺のボウズ仲間が一瞬で消えてしまう可能性が出てきたからだ。
「バラせ! バラすんだ!」
「ヴェル、お前……」
「ビリは嫌なんだよぉーーー!」
いくらエルにバカにされようとも、一人だけボウズは嫌なのだ。
「釣れたのである!」
導師はかなり巨大な魚を釣り上げたが、魚体を見た漁師は首を横に振った。
「デカイ貴族の旦那、それは肉も内臓も毒で食えませんぜ」
漁師はタモで掬った魚を、すぐに海に捨てた。
毒魚なんて置くスペースがあったら、他の魚を船に積み込みたいからだ。
「万が一にも、食べられるという可能性はないのであるか?」
「いえ、本当に毒魚なので……少量でも食べると死にますから……。全身から血を噴き出して死にますよ」
「それは嫌なのである……」
導師の迫力に押され、逞しい漁師がタジタジになって答えていた。
しかし、全身から血を噴き出して死ぬなんて……この世界の毒って凄いよなぁ。
「導師、プロの意見は受け入れろや。また釣ればいいじゃないか」
「仕方ないのである」
ブランタークさんに注意され、導師は再び仕掛けを海に投げ入れた。
すると、あっという間に次の魚が釣れてしまった。
「普段の行いのよさであるな!」
「(なぜ導師は、自分の普段の行動にそこまで自信があるんだ?)」
エルの酷いツッコミが俺の耳に入るが、確かに導師の自信の根拠はわからなかった。
あえて言うのなら、『導師だから』なのかもしれない。
「これも大きいのである!」
「デカイ貴族の旦那、これも駄目でさぁ」
「毒魚なのであるか?」
「いえ、毒はないんですけど、もの凄く不味いんです。猫にやっても絶対に食べないくらいに……」
通称『ネコ逃げ』とも呼ばれる、道端に落ちていても誰も見向きもしない魚なのだそうだ。
「いや、もしかしたら食べられるかもしれないのである!」
導師は、針から外したネコ逃げに直接かぶりついた。
生だが新鮮なので、導師ならお腹は壊さないであろう。
その証拠に、勝手にこういうことをしても、すでにエリーゼですら心配しなくなっていた。
するだけ無駄……どうせ導師はお腹を壊さないからな
「導師、美味しいですか?」
「ビックリするほど不味いのである!」
なんでも美味しそうに食べてしまいそうな導師でも、ネコ逃げだけは無理だったようだ。
齧った跡の付いたネコ逃げを、フルパワーで遠方に放り投げた。
「伯父様、あまり無駄な殺生は……」
いくら不味い魚でも、食べないものを無理に殺すのはよくない。
エリーゼが宗教的な理由で、導師に苦言を呈した。
「奥方様、ネコ逃げはあの程度では死にませんよ。釣りあげて水のないところに数時間放置しても死にませんから」
驚異の生命力を持つが、残念なことにどう調理しても不味いそうだ。
「まあ、釣れたのでよしとするのである」
導師のその発言は、間違いなくアタリすら来ない俺に向けられたのであろう。
「なんじゃ。ヴェンデリンは一匹も釣れておらぬのか?」
「今日は調子が悪いのかな?」
「調子は関係ないのではないか? ここは魚影が濃いポイントのようじゃし」
俺も釣りは素人だが、子供の頃はまだ元気なお祖父さんに釣りに連れて行ってもらった。
中学生になるとバス釣りにも行ったし、商社マン時代には何度か接待で釣りに行ったことがある。
そのすべてでボウズなど一度もなかったのに、なぜ今日はアタリすらないのであろうか?
「でも大丈夫さ。俺はこの海域の主を釣るから!」
昔、日本にいる方の父が読んでいた釣り漫画にもあった。
主人公が最終的に、その釣り場の主を努力して釣り上げるのだ。
「主? ここは魔物の領域なのか?」
「違うけど、こういうポイントで釣りをしていると、ボス的な巨大魚がいるんだよ」
俺は、某釣り漫画のストーリーをテレーゼに対し懸命に説明した。
「それは単純に大きい魚が釣れただけであろう? なぜその魚が主だとわかるのじゃ?」
「一番大きいから」
「見えぬだけで、そこにはもっと大きな魚がいるかもしれぬではないか」
やはり女性の身では、○平君の素晴らしさはわからないようだ。
とても残念である。
「とか話をしている間に! かかった!」
ようやく、俺の竿にアタリがきた。
だが、ここで無邪気に喜んだり、不用意に大騒ぎをしてはいけない。
魚をバラしてしまう可能性があるし、これは当たり前の結果だからだ。
そのくらい、この海域の魚影は濃かった。
「これまでで、一番大きいか?」
もの凄いヒキで、それに比例して魚も大きそうだ。
ならば、余計に焦ってバラす危険を冒してはならない。
俺は慎重にリールを回していく。
「本当に大きいみたいだな」
竿のしなり方に、ブランタークさんもかかった魚の大きさを認めたようだ。
「最後の最後に一番の大物を釣り上げる。素晴らしきかな!」
などと思っていると、さらに竿が重くなった。
その後は、どうリールを巻いてもビクともしなくなってしまう。
「ヴェル、根がかりか?」
「いや、タナは底じゃないぞ」
いくらリールを巻いても、まるで地面を釣っているかのようにビクともしない。
不思議に思っていると、ようやくその理由が判明した。
突然ラインが緩んだと思ったら、水面から徐々に巨大な物体があがってきたのだ。
そしてその正体に、漁師たちが驚愕する。
「どうして、こんな港から近い海域に!」
「サーペント!」
海面からサーペントが巨大な顔を出し、こちらを恨めしそうに見ている。
その口の端からは、俺の釣竿のラインが垂れていた。
「つまり、ヴェルが釣った大物を、あのサーペントが丸のみしたんだね」
「そして、口内に刺さった針に不快感を感じ、その原因である旦那様に怒り心頭と」
ルイーゼとリサの推論どおりであろう。
サーペントは、新たな標的を俺たちに切り替えた。
「貴族の旦那ぁ!」
「逃げないと!」
漁師は儲かるが、非常に危険な商売でもある。
遭難は勿論、遭難しなくても、たまに遭遇するサーペントに運悪く食われる者たちがいたからだ。
こうなってしまうと、遺体すら見つからない漁師という仕事は非常に過酷だなと思ってしまう。
「俺の大物……」
ところが俺は、サーペントの驚異など感じていない。
それよりも、せっかくの大物を横取りされた事実に怒りを感じていた。
「お前のせいでボウズじゃないか!」
サーペントは大きな口を開けて俺たちに襲いかかろうとしたが、その前に素早く塩分を抜いた海水で作った巨大な槍を口内に突き刺し、一撃で屠ることに成功した。
倒れ伏したサーペントの頭部付近の水面が赤く染まる。
「貴族の旦那、すげえ……」
漁師たちは驚いているが、サーペントは竜よりも弱いし、これで二匹目だ。
大したことじゃない。
「魚じゃないけど……いや待てよ!」
もしかすると、サーペントの胃の中に俺が釣った大物が残っているかもしれない。
俺は殺したサーペントを氷漬けにしてから魔法の袋に仕舞い、急ぎ港へと戻るのであった。
「ううっ……。あの腐れサーペントめ……」
港に戻ると、早速漁師たちを集めてサーペントの解体を行った。
ウロコ、肉、内臓、骨などは、すぐに噂を聞きつけた商人たちが買っていく。
サーペントは不定期で少数しか港にあがらないので、商人たちは情報を聞きつけるとすぐに集まってくるらしい。
それはいいのだが、肝心の胃袋を開けてみると、そこには全長二メートルほどの巨大な魚が未消化で入っていた。
やはり、俺は大物を釣っていたのだ!
他の誰よりも大きな大物を!
「貴族の旦那、惜しい獲物をサーペントに横取りされましたな」
俺の釣った大物は、九州などで高級魚扱いされるクエによく似ていた。
だとすると、とんでもない高級魚である。
「クエルでこの大きさは滅多に出ませんぜ。刺身に、塩焼きに、鍋にも最高でさ。これは食えませんが……」
「ある程度原型が残っているぞ」
外側は、こんな短時間にも関わらずサーペントの胃液で表面が溶けていたが、中心部だけならイケるような気がするんだ。
「サーペントの胃液に浸かった魚は駄目ですぜ。お腹を壊しますから」
「なんだとぉーーー!」
せっかく一番の大物なうえに珍しい高級魚を釣ったのに、それがサーペントに食べられて駄目になるなんて……。
こんな不幸があってもいいのであろうか?
「あなた、サーペントが釣れたではありませんか」
「でも魚じゃないから……」
俺は魚が釣りたかったのだし、サーペントは結局魔法で退治された。
これを釣ったと言うのは、真実ではないと思うのだ。
「ヴェルが言う主が釣れたじゃないか」
「お館様の執念が実ったのでは?」
「違うんだ! 俺の言う主は魚じゃないと駄目なんだ!」
サーペントは魚じゃない。
俺は、エルとハルカに強く反論した。
サーペントは動物のカテゴリーなので、いくら大物でも外道である。
釣り人は、外道を非常に嫌うものなのだから。
「でもよ。この町の商人たちは大喜びだぜ」
船舶不足で漁獲量が落ち、その大半を駐留している軍人に買い占められている現在、普段でも年に数頭しか上がらないサーペントが最高の状態で水揚げされたと知って、みんな喜んでウロコや肉を買っている。
漁師たちが解体した部位を、オークションで次々と競り落としていた。
それは彼らに臨時報酬を出して任せるとして、問題は魚が一匹も釣れなかった件なのだ。
釣り人にとって、魚が釣れないこと以上の不幸はないのだから。
「ちくしょう! 明日こそは、魚を沢山釣ってやるんだからな!」
「明日も行くのか? 伯爵様」
「決まっている! これは、食料調達のための軍事行動だから!」
「その割には、随分と楽しそうじゃないか」
「楽しくても、これは仕事なんですよ。軍において、補給は重要なんですから」
「バウマイスター伯爵の言ってることは間違っていないのである!」
「間違ってはいないよな、なんか引っかかるけど……」
俺は、ホールミア辺境伯がなにも言ってこないのをいいことに、明日からも食料確保という名の釣りに出かけることを決意するのであった。
補給を舐めちゃいけませんよ、みなさん。
どんな精鋭だって、食事がとれなきゃ死ぬんですから。
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