第310話 偵察及び、臨時食料調達任務(前編)

 バウマイスター伯爵領を出発した一隻の小型魔導飛行船が西へと向かう。

 アーネストの案内で地下遺跡から発掘され、この度王家から運用の許可を貰った諸侯軍に属する船である。

 西方海域にあるテラハレス諸島群に突如魔族の国のものと思われる空中艦隊が出現し、そこを領有するホールミア辺境伯家が臨戦態勢を敷いた。

 その救援のため、俺たちは現地に向かっているわけだ。

 ただ、彼らはテラハレス諸島群に臨時の拠点を築くのに夢中で、しかもほとんど陸兵は連れて来ていないと聞いた。

 直接西部ホールミア辺境伯領本土への侵攻は、今のところ可能性が少ないとの王国軍上層部の判断であり、俺たちも王国も陸兵の派遣は行っていない。

 どこも、魔法使いと空軍の派遣が主なものとなっていた。

 兵力を派遣すると、受け入れる側としても色々と準備が必要になる。

 経費は援軍側が負担するのが義務だが、大量の兵員が西部で食料調達を始めると値上がりするし、確保自体にも苦労するであろう。

 そうでなくても、現在は西部諸侯に動員命令がかかっている。

 彼らへの補給が最優先になるので、外部からやって来た兵員は余計に食料の確保に苦労するという構図だ。

 王国西部は穀倉地帯だが、王国各地への輸出や、飢饉や災害対策で自分たち用の備蓄も必要なので、そう余裕があるわけではない。

 そのため、歩兵の派遣は極力控えていた。


「うーーーむ、魔導飛行船を託児所代わりとは凄いのである」


「動員したバウマイスター伯爵家の女性魔法使いたちが、みんなおっ母さんなわけだからな」


 船は途中ブライヒブルクに寄り、そこで導師とブランタークさんも拾っている。

 二人は、託児所と化した船内を見て目を丸くしている。

 戦場になるかもしれないのに子連れなのは前代未聞……ということは実はなかったりする。

 過去の戦乱期には、子連れで陣地に詰めていた女性魔法使いも存在したそうだ。


「補給物資にオムツとベビー用品が必要だな」


「ちゃんと持って来ましたよ」


 それどころか、赤ん坊の世話を手伝うメイドたちに、彼女たちが必要な物資まで用意したのだから。

 

「ホールミア辺境伯領の中心都市ホールミアランドで購入しないのか?」


「そこには寄りませんから……」


 テラハレス諸島群に一番近く、ホールミア辺境伯家の水軍基地もある西部の港町サイリウスに直接向かうよう、エドガー軍務卿から連絡が来たからだ。


「いやさ、こういう場合は、伯爵様としては消費しないと文句を言われるんじゃないかと心配したわけだ」


 大貴族の大半が、普段はみんなが思っている以上にケチだったりするのだが、それでも他の貴族領に出かけた時には派手にお金を使う。

 見栄が一番大きな理由だが、あとは訪問した貴族の領内に金を回すためでもある。

 ブランタークさんは、それをしなかった俺を心配しているのであろう。


「どうせ、サイリウスでお金を使うことになるのである。それに、今は準戦時状態なのである!」


 確かに導師の言うとおりで、今の王国は『準戦時』態勢にある。

 準がついたままなのは魔族艦隊の目的がいまいち掴めないし、テラハレス諸島群が占拠されているとはいえ、あの島は元々無人である。

 魔族の侵攻により、領民たちが直接被害を受けたわけではないのだ。

 ただいつ魔族が攻め寄せて来るかも知れず、迎撃準備は必要であった。

 場合によっては、王国からテラハレス諸島群奪還が命じられる可能性もある。

 だが、王国全土から歩兵を集めると莫大な経費がかかってしまう。

 そこで、数の割に戦力になりそうな魔導飛行船主体の空軍や、魔法使いたちをホールミア辺境伯領に送り出したわけだ。


「サイリウスでの道案内は、ブランタークさんと導師に任せますね」


 二人とも、若い頃に冒険者として西部に滞在経験があると聞いた。

 サイリウスにも行ったことがあるそうで、俺たちは二人に道案内を頼んだ。


「任せるのである」


「それはいいけどよ。エルヴィンがいるじゃないか」


 ブランタークさんは、西部出身であるエルにも道案内を頼むようにと勧める。


「ブランタークさん、ブライヒブルクに来るまでの俺は、故郷とその周辺地域から出たことがないので無理ですよ。サイリウスにも、ホールミアランドにも行ったことがないです」


「そうなのか?」


「俺は魔法なんて使えないから、行動範囲が狭いんですよ」


 エルも貧乏騎士の五男なので、子供の頃に旅行などした経験がないのであろう。

 故郷であるアルニム騎士爵領とその周辺地域くらいがせいぜいのはずだ。


「エル、アルニム騎士爵領ってどこにあるの?」


「西部領域だと、西寄りの位置にあるな。周りは山ばかりでもの凄い田舎だぜ」


 イーナに聞かれて、エルは自分の故郷について話し始める。

 アルニム騎士爵領は山に囲まれた典型的な田舎領地で、それでも山道を一日歩けばある程度大きな町に出られるから、バウマイスター騎士爵領よりはマシであった。


「エルのお父様たちは、サイリウスにいるのかしら?」


「さあ? ホールミア辺境伯の寄子の寄子で動員はされていると思うけど、どこに配置されているのかわからないな」


 領地のある西部に魔族が攻め寄せるかもしれないので、エルの実家も兵を出しているはずだ。

 ところが、そんな小規模で練度も怪しい連中をそのまま防衛本軍に混ぜると、かえって不利になる可能性がある。

 練度不足の領民主体の兵たちが、精鋭の足を引っ張るのだ。

 ホールミア辺境伯家諸侯軍の実力は不明だが、これでも三家しかない辺境伯家の軍勢である。

 アルニム騎士爵家諸侯軍よりも下のわけがない。


「下手に混ぜて混乱されると、全軍が崩壊するからな。どこかで警備でもしてんじゃないの?」

 

 帝国内乱でそれは多数目撃した。

 そのため、そういう諸侯軍は補給路警備、荷駄部隊の護衛などに回されるケースも多かった。 

 文句を言おうにも、相手は辺境伯様である。

 言えるはずもなく、エルの言うとおり渋々と働いている可能性があった。


「世知辛いんだね」


「うちなんて、ヴェルの実家よりも少しマシ程度、家の裕福さでいったら、イーナやルイーゼの実家といい勝負だろうからな」


 貧乏な騎士など、大物貴族の陪臣にも経済力が劣る。

 建前では貴族同士に主従関係など存在しないが、現実ではエルの父親はホールミア辺境伯に逆らえるはずがなかった。


「小貴族としては、それが逆にありがたいかもしれませんわよ」


「かもしれないけど、小なりとはいえ貴族で、表向きは前線に出たいんじゃないのか?」


 戦争の際には、常に前に出て剣を振るいたい。

 これが歴史書や物語に記される格好いい貴族の姿であったが、実際にはもしそんなことをして貴族が死ねば相続で手間がかかるし、率いている軍勢の大半が領民で普段は他の仕事をしている。

 一人でも死ねばその分生産力は落ちるわけで、できれば後方に引っ込んでいたいと願うのが、彼らの本音かもしれないな。


「なににしても、親父や兄貴たちとは会いたくないな。ヴェルに迷惑がかかるから」


 エルのコネで、バウマイスター伯爵家の重臣になれると信じていたような人たちである。

 エルからすれば、もしここで顔を合せたら、また余計なことを言い出さないか心配なのであろう。


「到着のようである!」

 

 魔導飛行船の甲板から、大きな港町サイリウスが見える。

 町は普段どおり平和そうに見えるが、港には物々しいホールミア辺境伯家諸侯軍と、水軍の艦艇が臨戦態勢にあった。


「水軍か……」


 この世界の海運は、魔導飛行船のせいであまり活発ではない。

 バウマイスター伯爵領の南端以外もそうだが、海流の難所が多くて港にできない海岸も多く、加えてサーペントの存在もある。

 大型船なら遠洋航海も大丈夫だが、中型以下だとサーペントに襲われる可能性が急上昇するので、陸岸を視界内に保ちながら航海する沿岸航法がメインであった。

 他の大陸には行かないし、そもそも存在するのかも不明だ。

 リンガイア大陸内の移動は魔導飛行船があるので、自然と水、海上船が小型化していったのだ。

 港を持つ領主には水軍を持つ者たちも多かったが、密輸の取り締まりと、海賊とはいっても規模も小さかったので、それに見合う戦力しかない。

 ホールミア辺境伯家の水軍は王国有数であったが、その船の大きさと隻数は案外しょぼかった。

 王国軍でも、水軍は一部の直轄地に配置されているのみで、規模はいい勝負だと聞く。

 空軍の整備が優先され、水軍は軍でも目立たない存在であった。

 

「相手も空中艦隊らしいから、水軍はどうせ役に立たないだろうな」


 大砲などという便利な装備はないので、空を飛ぶ敵に成す術がない。

 一方的に上空から攻撃されて沈められてしまう危険があった。

 ミズホ公爵領が開発した魔砲の存在は知られているが、あんなものを急に量産して配備できるはずがない。

 あのミズホ公爵が技術を帝国に提供するはずもなく、帝国ですらやっと試作に入ったくらいなのだから。


「まずは、ホールミア辺境伯に挨拶に行くか……」


 船を指定の場所に着陸させると、赤ん坊とメイドたちへの警備を残して臨時の本陣へと向かう。


「バウマイスター伯爵殿か。応援感謝する」

 

 ホールミア辺境伯は、今年で三十八歳。

 数年前に、先代の死でその爵位と領地を受け継いだ……とエリーゼから情報を聞いた。

 領主としての能力は平均的だそうだ。

 取り立てて名君でもなければ、暗君でもないと。

 

「大変なことになりましたね」


「帝国の内乱が終わって、まださほど時間は経っていないのにな。ただ……」


 最新の情報を聞くと、謎のというかほぼ魔族の艦隊で決まりだが、テラハレス諸島群でノンビリと基地の建設を続けていて、まったく動く気配はないそうだ。

 

「水軍の偵察結果ですね?」


「小型船ばかりだが偵察くらいはな。なぜか向こうは偵察を妨害してこないという理由もあって、そう難事でもなかったそうだが」


「向こうの目的が見えませんね」


「それで困っているんだが、今は警戒しながら待機するしかない。私は、それなりに忙しいが……」


 ホールミア辺境伯家諸侯軍に、他の貴族たちの諸侯軍、王国軍も続々と集まっている。

 なにもしなくても各種物資は消費するので、ホールミア辺境伯はそれを手配しないといけないのだ。


「一部家臣たちの中には、全軍で攻めてテラハレス諸島群を取り戻しましょうとか言い出す者たちもおり、まだなにもしていないのに疲れた」


「はあ……」


「取り戻せてもなにもない無人島だ。魔族相手では犠牲も多かろうから、経費を考えるとこんな損な命令……王国政府からでも出ない限りは実行できん」


「かといって、このままなのも困りませんか?」


 自領を奪われたままでは、貴族としての沽券に関わる。

 ホールミア辺境伯としては、どうせテラハレス諸島群に大した価値などないのだから、このまま撤退してもらいたいのが本音であろう。

 奪還作戦をしても勝てそうにないという別の本音は、ホールミア辺境伯の立場では口が裂けても言えないわけだが、王国政府もその件で彼を責めるほど愚かではない。

 『では、テラハレス諸島群を王国に譲渡するので、王国軍で奪還してください』とホールミア辺境伯から言われたら困るからだ。


「今は様子を見るしかないわけだが、様子を見ているだけでも経費は飛んでいく。どうしてこんなことになったのやら……」


 愚痴を溢すホールミア辺境伯に、俺は相槌を打つことしかできなかった。

 顔を出して挨拶をするという用事を終えたので、本陣を辞して船へと戻る。

 赤ん坊たちもいるし、船内には生活可能な設備や装備を準備してある。

 どこか宿屋などに泊まらなくても、ここで待っていれば十分であろう。


「事実上のバウマイスター伯爵家諸侯軍の本陣ね」


「質はともかく、数はしょぼいけど」


 奥さんでもある魔法使いのみ従軍で、一部いる兵力はあくまでも護衛であったからだ。

 ブランタークさんと導師もいるが、ブライヒレーダー辺境伯家からの援軍と王家からの援軍扱いである。


「ヴェル、なにかすることはあるのかしら?」


「うーーーん、ないんじゃないの? ボクたちは、なにかがないとお仕事もないでしょう」


「となると、なにもない方がいいわね」


「そうだよ。フリードリヒたちの面倒を見ながらノンビリ待とうよ」


 イーナの問いに、ルイーゼが代わりに答えた。

 俺たちが無理に頑張って、他の将兵たちの仕事を奪うのはよくないと思うんだ。

 決して、俺たちが変に頑張って彼らの目に留まった結果、テラハレス諸島群攻めの先鋒を命じられでもしたら嫌だと思っているわけではない。

 王国政府が、犠牲の少ない解決策を選んでくれることに期待しているだけだ。


「でしたら、買い物にでも行きましょう」


「そうだな、カタリーナ。みんなで行こうか?」


 赤ん坊の世話をメイドたちに任せ、俺たちはサイリウスの町に向かう。

 今は準戦時ではあったが、別に戦闘が起こったわけではない。

 多くの外部から来た軍人たちがいるので、彼らが消費する物資や食料の商いで町は賑わっているようだ。

 いちいち食料や物資を外部から輸送していたらキリがないし、そうすると補給部隊も連れて来なければいけなくなる。

 お金だけ持って、サイリウスの町で買った方が早いというわけだ。

 現地の経済も回せるからな。

 多少価格が高くても……大規模な陸兵の派遣はないから、それでもホールミア辺境伯領以外から輸送するよりは安く済むはず。


「皮肉なことに、戦争だから儲かっているのである」


「それはどうかな? ちょっとくらい税収が増えても、ホールミア辺境伯家は大赤字だろう……」


 売っているイカに似た生き物……イカだと思うけど……の串焼きを頬張りながら、導師とブランタークさんは町の様子を見学する。

 外部からやって来た人たちが増え、商人たちは売り上げが増えて万々歳のようだ。

 王国軍、他の西部貴族たちとその諸侯軍、俺たちと同じように応援に来ている魔法使いの姿もある。

 戦闘をしなくても飲み食いはするし、少人数なので宿屋に泊まる人たちもいた。

 サイリウスの町は、一種の戦争景気に沸いていたのだ。

 

「うん? バウマイスター伯爵殿じゃないか」


「フィリップ殿か? クリストフ殿も。どうして?」


「応援だよ」


 町の往来で、帝国内乱を共に戦ったフィリップとクリストフと再会する。

 後ろに数十名の王国軍将校たちを引き連れており、俺たちと同じくホールミア辺境伯に挨拶に行った帰りだそうだ。


「お久しぶりです。ですが、王国軍は空軍しか出していないと聞きましたが……」


「エリーゼ殿、それは大雑把な言い方というやつだな」


 情報が欲しいところなので、二人をお茶に誘って話をすることにした。

 フィリップとクリストフは護衛の数名以外は自分たちの陣地に帰らせ、町にあるレストランの部屋を貸し切りにして、そこでデザートなどを食べながら話を始める。


「援軍のメインは空軍だが、船にある程度の陸兵は乗せてあるさ」


「もしテラハレス諸島群の奪還上陸作戦とかあると、歩兵が必要ですから」


 ただ、あまり多数の兵をホールミア辺境伯領に送ると、補給で苦労することになる。

 そこで、少数ながらも精鋭でアクシデントに対応可能な軍、帝国内乱を潜り抜けた王国軍生き残りと、その指揮官をしていたフィリップ、クリストフ両名に白羽の矢が立ったそうだ。


「厄介事を押し付けられたような気もするが、爵位も上がって将軍にも任命されたからなぁ……」


「私も軍政官に任命されましたし、お仕事ですから死なない程度に頑張りましょうというわけです」


 ブロワ辺境伯家の継承争いでは評判を落としたが、のちに一軍を率いて帝国内乱で活躍した。

 領地貴族としては失格だが、軍系の法衣貴族としては戦功を挙げた数少ない実戦経験者ということで優遇されているそうだ。


「エドガー軍務卿の先見の明ですね」


「エルヴィン、実際にそうだし世話にもなっているが、エドガー軍務卿も俺たちを拾ったことで評価を受けているのさ」


「その評価のために、とりあえず動員もされますしね」


 まあ、その辺は『貴族はお互い様』な部分かもしれない。

 フィリップは法衣子爵として、クリストフも法衣男爵になって分割独立し、共にエドガー軍務卿の寄子になったと聞いている。


「あの人、見た目に反して貴族していますよね?」


「あの見た目のせいで、脳筋扱いして騙される貴族たちも多いですからね」


 クリストフから言わせると、エドガー軍務卿は間違いなく大貴族だそうだ。

 ヴィルマの件とかを考えるに、俺は大分前から知っていたけど。


「それで、王国の方針はいかがなのです?」


 エリーゼが本題を聞こうと、話題をそちらに誘導した。


「それが割れています」


 テラハレス諸島群を占領して基地を作っているので、これはもう戦争だという貴族たち。

 元々テラハレス諸島群は無人だし、大陸本土に侵攻したわけではない。

 防衛の準備を行っている最中でもあるので、ここは一回話し合いをもった方が建設的であろうという貴族たちと。

 両論に分かれて、現在も会議は続いているとクリストフが説明した。


「陛下は、ご決断をされていないのですか?」


「判断材料が少ないという理由もありますね」


 いまいち、魔族側の意図が掴めないというわけだ。


「テラハレス諸島群に攻め寄せる前に外交使節くらい送るのが常識なのに、いきなりテラハレス諸島群の占領でした。ですが、偵察した情報によれば魔族側の兵数は少ないんですよね……」


 艦隊の人員は不明だが、テラハレス諸島群で基地の建設作業をしているのは千人にも満たない人数らしい。


「元々魔族という種族の人数が少ないとはいえ、文明レベルはこちらよりも上のはずなのにチンタラと作業をしているらしいですし、彼らはなにをしたいのでしょうか?」


「うーーーん」


「こっちも迎撃準備に時間がかかりますし、しばらくは待機になりそうですね」


 お互いに交渉団や外交使者を出すわけでもなく、片方はテラハレス諸島群にチンタラと基地を建設し、ホールミア辺境伯は迎撃準備の途中。

 これでは、俺たちが手を出すわけにもいかない。

 なぜなら、俺にそんな権限は一切ないからだ。


「帰りにお土産でも買って帰るか……」


「お土産はやめた方がいいわよ。まだ時間がかかりそうだし」


 イーナからまるでお母さんのようなことを言われてしまい、俺たちは食材になりそうな魚を買ってから帰る事にする。

 元日本人の俺としては、港町に来て魚を買わない選択肢はないからな。

 ところが……。




「貴族の旦那、サイリウスは港町で魚が特産なんだけど、漁船で大型のものは、例のテラハレス諸島群偵察に動員されているし、小型漁船だけで得た成果も、このところ軍人さんが多いだろう? 軍隊がみんな買い占めてしまってな。俺らはみんな売れるからいいけどな」


「なんだとぉーーー!」


「伯爵様、そんなに怒ることか?」


「ブランタークさん、他の土地に旅行に来て、そこの名産が食べられなかったら嫌じゃないですか! ブランタークさんもそう思うでしょう?」


「おっ、おう……」




 漁港に行って直接魚を仕入れようとしたら、ろくな商品が残っていなかった。

 鮮魚店の店主からその理由を聞いた俺は、地魚が買えないという現実に激怒する。

 せっかく港町に来たというのに……。

 獲れたての魚介類……。


「エルヴィン、伯爵様になにか言ってやれよ」


 『なぜその程度のことで?』と思っているブランタークさんは、エルにストッパー役を期待したらしい。

 ところが、今の彼は俺たち側であった。


「ハルカさんが一夜干しを作ってくれることになっていたのに……。一夜干しは、新鮮な魚の方が美味しいのに……」


「旦那様、ここにある古い魚では、美味しい一夜干しは不可能です」


 ミズホ人であるハルカを妻にしたエルは、すでにその胃袋を彼女に掴まれていた。


「そうだよなぁ。干物とか一夜干しは、新鮮な魚を使わないと美味しくないものなぁ……」


「さすがはお館様、よくわかっていらっしゃる」


 ハルカが俺を褒めるが、伊達に中身が元日本人ではない。

 港町に来て新鮮な魚が手に入らないだなんて、そんな理不尽なことがあっていいのだろうか?


「ううっ……導師もなにか言ってやれよ」


「旅の醍醐味は、その土地ならではの食材と料理なのである! サイリウスに来て魚が食えぬとは酷いのである!」


 導師も、旅先の食事は楽しみな人だ。

 新鮮な魚がないという現実に、俺と同じく激怒した。


「お金なら出す! 新鮮な魚を売ってくれ!」


「それが、数少ない新鮮な魚はホールミア辺境伯諸侯軍に卸す契約でして……」


 古い魚に当たると困るので、事前に定期購入を頼んできたそうだ。


「領主様のお願いですし、買い叩かれているわけでもないですし、だから貴族の旦那の分はないんです」


「なんてこったい……」


「あなた、他のお店を当たっては?」


「奥方様、サイリウスの鮮魚店は、どこもうちと同じような状態ですぜ」


 ホールミア辺境伯家のみならず、他の諸侯軍を動員している貴族たちも食材の定期購入を頼み、出遅れた俺たちは新鮮な魚が買えない。

 その現実に、俺はガックリと肩を落としてしまった。

 まだ大丈夫だと思っていたのに……。

 みんな、戦争でも新鮮な魚を……いや、戦争だからこそお腹を壊さないよう、新鮮な魚を求めたのか……。


「ヴェル、大丈夫?」


「ねえ、少しくらいはないの?」


 俺の食に対する拘りを知っているイーナがそっと慰め、ルイーゼは念を押す意味で新鮮な魚の在庫を聞いた。


「我々も、今は魚を食べていないくらいですから」


 軍隊の胃袋恐るべしである。

 いくら漁獲量が減っているとはいえ、サイリウスの魚をほとんど買い占めてしまうなんて。


「魚が食べられないなんて……。実は見たこともない魔族たちよりも、ホールミア辺境伯家諸侯軍の方が、俺の敵なのではないかと」


「ヴェンデリンさん、その考えは王国貴族としてはどうかと思いますが……」


 咄嗟にカタリーナが、俺の危険思想を窘めた。


「旦那の気持ちはわかるけどな。あたいは冒険者として色々な場所に行ったけど、その土地の食材や料理は楽しみの一つだったし」


「カチヤもそう思うだろう?」


「たまに、とんでもない地元の料理が出たりするけど、サイリウスの魚は普通に美味しいって聞いてたぜ」


「そうよな。北方からの輸入品には少し負けるが、なかなかのものだと聞いたぞ」


 元フィリップ公爵であるテレーゼからすれば、故郷で採れた魚こそが一番なのであろう。

 それでも、王国では一番魚が美味しい土地であるという知識は持っているようだ。


「ねえ、ヴェル様」


「どうした? ヴィルマ」


「どうして自分で獲らないの?」


「えーーーと、漁業権とかあるからかな?」


 ヴィルマから言わせると、『魚が買えないのなら、自分で獲ればいいじゃない』ということらしい。

 そういえば、彼女と特に仲良くなったのは南端の海岸で漁をしてからであった。

 ただ、海の漁師は漁業権などについてうるさい。

 勝手に獲ったら怒られるどころか、地域によっては密漁者は魚の餌だ。

 船は小型のものしか残っていないし、沖合に出てサーペントに襲われる可能性もある。

 そう簡単に魚を獲れないのではないかと思っていたのだ。


「漁業権に関しては、ギルド会員の漁師を一定数以上雇えば大丈夫ですけど」


 彼らに日当を払って漁に付いてきてもらえばいいと、鮮魚店の店主が言う。

 思った以上に規則が緩かった。


「漁師って、余っているのか?」


「ええ、テラハレス諸島群の偵察に駆り出された連中は漁ができないので、普段よりも漁師を乗せていません。小型漁船だけでは余る漁師が出ますからね」


 ただ、それだと漁師たちが生活ができないので、今は数少ない小型漁船を誰のものであるとかを無視して、順番に乗って漁をしているそうだ。

 だが収入ダウンは避けられず、アルバイトがあれば喜んで参加するであろうと。


「ですが、漁師は余っていても船が余っていないのでは?」


 冒険者として長年活躍してきたリサは、年齢が上ということもあって社会経験が豊富なのであろう。

 すぐに、鮮魚店の店主が言っていることの矛盾点を指摘した。


「若奥さんには敵わねえな。でも、船があれば沖合に一キロも出れば魚は獲れるんですぜ。貴族の旦那の一家が食べるくらいなら、釣り糸を垂らせば十分に釣れますし、サーペントも沖合に十キロ以上行かなければまず出ませんから」


「なるほど、船が必要なのか」


 ならば話は早い。

 俺は早速、その船を準備して手配を進めるのであった。

 このまま待機だけして退屈なままでいるよりも、漁をすることができてよかったよ。

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