第303話 人類は麺類(その3)

「先生、お兄さんが調子に乗っていないで、無事に商売繁盛していますよ」


「それは少し言いすぎじゃないか?」


「でも、お兄さんて、すぐ調子に乗るから……」


「信用がない兄貴だな」




 俺が前になんちゃってコンサルティングを行ったベッティの兄のお店は、無事に繁昌していた。

 むしろ、以前よりも客が多いような気がする。

 お昼時ということを考えても、確実に前よりも客が増えていた。


「忙しそうだから、お昼時が終わってから声をかけるか」


「そうですね」


 そして一時間後。

 他の場所で時間を潰してきた俺たちは、ベッティの兄に声をかけた。


「へへい、借金は予定どおりに返済可能ですので」


「随分と繁昌しているようだな」


「研究もちゃんとして、新メニューを出していますから」


 ベッティの兄は、ちゃんと店を繁昌させていた。

 人手不足なので新しい従業員も雇っており、売り上げも順調なようだ。


「でも、お兄さんすぐに調子に乗るから」


「ベッティ、俺はちゃんとやっているから」


「なるほど、一度失った信用を取り戻すのは難しいのである!」


「そんなぁ……」


 導師からのあんまりな一言に、ベッティの兄は肩を落としてしまった。


「調子に乗って商売が傾かなければいいんだよ」


「そのために、ローザもいますから……」


 散々に言われているが、ベッティの兄はかなり料理の才能があると思う。

 たまに無計画で仕事を進めようとするので、それを抑える存在……彼の奥さんであるローザさんのことだ……がいれば安心なような。

 尻に敷かれていた方が、商売が上手く行く。

 それが、ベッティの兄であった。


「新メニューですか?」


「はい、奥様。ランチは薄利多売、夜のお客さんに味を知っていただくための一皿料理がメインですからね。スジ肉やモツを煮込んだシチューも人気メニューですが、パスタも始めたんですよ。試しにお出ししますね」


 ベッティの兄はエリーゼに説明しながら、素早く調理したパスタを出してくれた。

 麺は普通のパスタで、具材はトマトソースで煮込んだ肉とモツのソースが乗っている。

 ミートソーススパゲッティのモツ肉バージョンのような料理であった。

 試食してみると、想像どおりの安定した美味しさだ。


「あとは、ミソとショウユも使っていますね」


 続けて出てきたのは、パスタの上に挽肉を味噌とその他の材料で煮込んだ料理だ。

 パスタと、汁なしジャージャー麺を足して二で割ったような料理であった。

 醤油ベースの方にはタマネギやキノコも入っており、これもよく研究してあるな。

 独自にこれを考え付いたということは、彼の料理の腕は確実に上がっているのであろう。


「脇にサラダも載せて、これで7セントですね。麺の大盛は一セント増しで、夜に出しているから揚げやフライも載せられて、これも一個一セントです」


 随分と商売が上手くなったものだな。

 俺は、ベッティの兄に感心してしまう。


「ローザがそうした方がいいって言うんです」


「あっそう……」


 残念、才能があったのは奥さんの方であった。

 それにしても、尻に敷かれていた方が上手く行くとは……。


「それで、その奥さんは?」


「新店の方にいますよ」


「そうなんだ……」


 この短期間でもう一軒をオープンさせるとは、ローザさんは商売の才能があるみたいだな。


「先生、ローザさんがいるから安心ですね」


 そう言いながら俺に満面の笑みを向けるベッティ。

 実の兄よりも、義姉の方を信頼しているとは……。


「ベッティ! 俺も頑張っているんだよ!」


 案の上、ベッティの兄は妹の態度に涙目であった。


「ふむ、過去の罪が祟るとは、因果は巡るである!」


「そんなぁ……」


 導師の容赦ない一言に、ベッティの兄は再び肩を落としてしまうのであった。






「バウマイスター伯爵様、義妹のベッティも含めて色々とお世話になっております」



 ベッティの兄から教わった新店に向かうと、そこの店長をしているローザさんが俺たちに対し丁寧に挨拶をする。

 その如才なさに、改めて彼女のおかげで旦那の商売が安定しているのだという事実を理解した。


「ローザさん、いつもお兄さんがすいません」


「最近は研究も熱心にしているから、そう悪くはないわよ」


「またバカなことをしようとしたら、ちょっとくらい締めてもいいですから」


「勿論、締めるに決まっているわ」


 元々顔見知りだったということもあり、ベッティとローザの仲はよかった。

 微妙な兄貴のおかげで嫁と小姑の仲がいいというのも、なんと言うか運命の皮肉であろう。

 悪いことじゃないけど。


「新店と聞きましたが」


「このお店は、旦那が考えた麺料理だけ出すお店ですね。サイドメニューはそれなりにありますけど」


 この世界にラーメンは存在しないが、麺類は多数存在する。

 汁があるとスープを取る手間がかかるが、汁なしのパスタならそこまで手間もかからず回転率も期待できる。 

 実際ローザさんのお店も、お昼時から少し外れていたが繁昌していた。


「ちょっとお腹が空いた時用に、半分の大きさのメニューもありますよ」


「あれ? それって、フォンに似ているような……」


「フォンの改良みたいなものですね」


「アマーリエ義姉さん、フォンを知っていたんだ」


 フォンとは、この大陸の庶民が気軽に食べる麺料理のことであった。

 大昔から存在し、パスタよりも少し太い麺に塩味のクズ肉や野菜を炒めたものが載っている。

 麺の量がパスタの半分くらいで、値段も一杯二~三セントが主流、お腹が空いた時に間食として食べる人が多かった。


「実家の領地にもほとんどお店はなかったけど、フォンを出してくれるお店があったの。お兄さんが狩猟で臨時収入があった時、たまにご馳走してくれたわね」


「へえ、そんなことがあったのですか」


「でも、フォンって今は苦戦中じゃないかしら?」


「はい、奥様の仰るとおりですね。現在の王都では様々な麺料理の開発が流行しています。既存のフォンを出すお店が新メニューを出したり、新規店に客を奪われて潰れるケースもありますから」


 フォンは、その原型が数千年前からある麺料理だ。

 伝統に胡坐をかいた結果、最近の新料理ブームから出遅れて潰れてしまったお店も多いらしい。

 そしてその傾向は、今後も続くとローザさんは予想していた。


「定期的に新しい味を出さないと、うちのような新参者は厳しいのよね。だから、旦那をせっついているの。調理技術と新メニューを考える能力は高いのよ。経営の才能は微妙だけど」


 そこは、ローザさんが補って成功したわけか。


「ですので、ちゃんと借りたお金は計画どおりに返済しますから」


「新店も立ちあげて、借金も予定どおりに返済するって凄いな」


 エルも、ローザさんの商才に感心していた。


「フォンは廃れるのか。でも、確かに最近食べた記憶がないな」


「ボクもあまり好きじゃないから、無理してまで食べようとは思わないな」


 実は、俺もルイーゼと同じ意見であった。

 嫌いじゃないけど、じゃあ好きかと言われると困ってしまう食べ物の一つだからだ。

 不味くないが、もの凄く美味しいのかと言われると……ちょっと美味しいみたいな?


「私も最近、食べた記憶がない」


 ヴィルマも、近頃はまったくフォンを食べていないと答えた。

 バウルブルクにお店があったかな?

 あるもかもしれないけど、俺たちの目には留まらないし、特に食べたいとも思わない。

 王都で暮らしていて、導師に修行をつけてもらっていた時。

 修行の帰りに、何回かお店に寄った過去を思い出した。


「バウマイスター伯爵、あの店はこの近くなのである」


「そういえばそうでしたね」


「この辺の街並みは見覚えがあるね」


 導師に指摘されて、今思い出した。

 この近くに、ルイーゼも含めて三人で行ったことがある老舗のフォンのお店があったのを。

 そのお店は大食いチャレンジをやっていて、導師が何度か挑戦したけど、そのお店のチャンピオンには及ばなかった……って?


「チャンピオン?」


「私、チャンピオン」


 みんなの視線が、一斉にヴィルマへと向かう。

 導師に大食いで勝てる人間は希少だから、ヴィルマに聞けばかなりの確率で正解というわけだ。


「ヴィルマも、最近行っていないよな?」


「行く時間がなかった。ヴェル様と一緒に行く料理店の方が美味しいから」


 前の川魚のお店と同じだ。

 舌が肥えてしまって、食べに行かなくなったというパターンであろう。

 俺もルイーゼも、フォンはすぐに飽きるからそこまで好きじゃなかった。

 導師の付き合いでしか、行ったことがなかったのだから。


「導師はどうです?」


「うむ、最近は他に食べたい店が多いので、すっかりご無沙汰である!」


 やはり導師も、ここのところフォンは食べていなかった。

 他にいくらでも美味しい物があるからであろう。


「ローザさん、他のお店のことを聞くのはなんですけど、どうなんですか?」


「ええと、生き馬の目を抜く商売の世界なので、ここなら勝てると思って新店を開いた経緯もあるのですよ」


 多少高いが、フォンに比べてそこまで高いというわけでもない。

 フォンよりも美味しいし、麺料理の種類もあるから、この新店が老舗フォン料理屋の顧客を上手く奪ったというわけか。


「ヴェル様、様子を見に行ってみよう」


「そうですね、参考になると思いますよ」


 ヴィルマとアキラに促され、俺たちはこの近くにある老舗フォン料理屋へと向かう。

 するとそのお店は、以前は多くの客で賑わっていたのに、今では閑古鳥が鳴いている状態であった。


「なんか寂れたね。ローザさんの言うとおり潰れるのは……」


「ルイーゼ、しっ!」


 俺は、思わず本音を漏らしてしまったルイーゼの口を慌てて塞いだ。

 もしお店の人間に聞かれたら、失礼にあたるからだ。


「あっ! チャンピオンじゃないですか!」


「お久しぶり」


「本当、お久しぶりですね」


 店の店主は、大食いチャンピオンのヴィルマを見つけると彼女に駆け寄ってきた。

 ヴィルマは、店主からチャンピオンと呼ばれているらしい。


「うぬぬっ……」


「導師、子供じゃないんですから……」

 

 この店の大食いチャンレジで一度もトップになれなかった導師は、ヴィルマに対し悔しそうな顔を向けた。

 その様子を見るに、まるで子供のようだ。


「チャンピオンが、バウマイスター伯爵様の奥様になられるとは」


「人生色々」


「確かに仰るとおりです。フォンを召しあがられますか?」


「お願い」


「畏まりました」


 全員で店内に入るが、客が一人もいなかった。

 フォンは半人前くらいで二セントと、とても安い。

 間食にも利用される薄利多売の典型的な麺料理なのだが、こうも客がいないと商売が成り立っているのか心配になってしまう。


「お待たせしました」


 フォンは、注文してからすぐに出てくるのも売りの一つであった。

 出てきたフォンの試食をするが、そういえばこんな味だったのを思い出す。

 導師から無理やり修行に付き合わされた時代に食べた味だ。

 基本は塩味で、まあまあ美味しい。

 でも、沢山食べると飽きる。

 味が落ちているわけじゃないけど、醤油や味噌を使ったパスタや汁なし麺に比べると美味しくはない。

 これでは、客に飽きられて当然であろう。


「お味はいかがですか?」


「前と変わっていない」

 

 ヴィルマは、こう見えて味にうるさい。

 フォンの味は落ちていないと断言した。


「ありがとうございます」


「でも、他が美味しくなっているから相対的に美味しくないと感じてしまう」


「確かにそうかもしれません……」


 店主も、フォンの弱点については気がついているようだ。


「新しい麺料理を出さないのか?」


「それが、私はフォンしか作れませんので……」


 麺は自家製で手打ちだし、調理の手際は悪くない。

 だが、この店主はフォンしか作ったことがないのだ。

 これが、伝統を頑なに守っていると言えばいいのか、伝統に胡坐をかいていると言えばいいのか?

 判断に迷ってしまう。


「ショウユとミソ味のフォンを出せばいいんじゃないの?」


 エルが軽く適当にアドバイスするが、間違った方法ではないな。

 フォンという料理を残しつつ、新しい味も出す。

 これなら、伝統云々という話にはならないであろう。


「その方法も考えたのですが、実は他のお店がとっくに真似しておりまして……」


 王都やその周辺、地方の田舎貴族領でもフォンを出す料理店は多い。

 彼らは徐々に王都から流れてくる醤油と味噌を使って新しい麺料理を作っており、今さら真似ても二番煎じと見なされてしまい、客は入らないと店主は言う。


「早く決断すればよかったのにね」


「左様、商売は時に思い切りも必要である」

 

 商売などしたことがないのに、商売について語るルイーゼと導師は、フォンを食べる手を止めて店主の行動の遅さを責めた。


「どうせ改良するなら、とびきりの素晴らしいフォンを出そうと思ったのです」


「時に、未完成でも拙速の方がいいパターンもあるのである」


 導師は商売などしたことがないはずだが、真理を言っていると思う。

 先に未完成でも醤油味と味噌味のフォンを出して客の注目を集め、それで時間を稼いでいる間に、さらなるフォンの改良を進めればよかったのだ。

 こうも客が離れたあとだと、確かに二番煎じの改良では客は戻らないであろう。

 他のお店の真似だと思われてしまうからだ。


「時に、冒険も必要である!」


 お店なんて経営したことはないと思うが、導師の言い分は正論であった。

 店主の心にも響いたようで、彼はガックリと肩を落としてしまう。


「私は、フォンしか作れないのですよ。このままだとお店が駄目になるのはわかっているのですが、なかなか一歩を踏み出せないのです。私だって、お店を潰したくありません」


 店主があまりにも落ち込んでしまったので、俺は彼に対しなにも言っていないのに少し罪悪感を感じてしまった。


「店主、お替り!」


「導師は反省してくださいよ」


 店主を落ち込ませた張本人なのに、気にもしないでフォンのお替りを要求する導師。

 さすがに、エルが酷いと釘を差した。 

 俺も同意見だ。


「しかし、誰かが言ってやらねば、結局このお店は潰れるのである」


「いやまあ……そうなんですけど……」


 それにしても、もう少し言い方ってものがあると思う。

 導師のせいで、店主は余計に落ち込んでしまったじゃないか。


「お代わりですね。どうぞ、次はもうこのお店はないかもしれませんが……」


「導師……」


「伯父様……」


 さすがに酷いと思ったのか、ルイーゼとエリーゼにまで導師は責められてしまった。


「お店、潰れる?」


「今はこれまでの蓄えでどうにかしていますけど、このままですと……」


 潰れるのは時間の問題だと、店主がヴィルマに説明する。

 すると、途端にヴィルマの顔色が暗くなった。


「チャンピオンは、今までどおり一杯分の料金で十杯出しますから安心してください。ああ、でも古いままのフォンだと飽きてしまいますか……」


 店主がヴィルマに話を終えた途端、彼女は目に涙を浮かべて俺に縋りついてきた。


「昔、食べられなかった時にお世話になった。ヴェル様、助けてあげて」


「俺?」


「前みたいに、ヴェル様ならなんとかできるはず。お願い」


 この光景は前にあったような……いや、デジャブじゃなくて本当にあったんだって。

 こうもヴィルマに縋られてしまうと、俺は断れなくなってしまう。

 だが、ウナギ屋の時は適当な知識だけでなんとかなったけど、麺料理は難しいからなぁ……。

 下手に引き受けて、お店が潰れてしまったら大変だ。


「どうせ駄目元なのであるから、引き受けたらどうであるか?」


「そんな無責任な……」


 他人事だからって、導師は本当に軽いよな。


「バウマイスター伯爵なら、なんとかできるのである」


「お願いします。どんな些細なことでもヒントを与えていただけたら……」


 導師からも依頼を受けることを勧められてしまい、俺はまたしても、なんちゃってコンサルタント業務を行うことになるのであった。

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