第302話 人類は麺類(その2)
「時間どおりである!」
「ビックリした! 時間どおりならいいではないですか」
「別に怒っていないのである!」
「そうですか……(声が大きいから、突然声をかけないでほしい……)
王都に『瞬間移動』で飛んだ俺たちは、視察の前に導師と待ち合わせをしていた。
なぜなら、彼は貴族のくせに庶民的な食べ物が大好きで、定期的に食べ歩きを行っているからだ。
王都の飲食店事情(低価格のお店のみ)にとても詳しかったので、同行をお願いしたというわけだ。
本人も参加する気満々だ。
「早くなにか食べたいのである! 某、朝はパンを一斤しか食べていないのである!」
「それだけ食えば十分な気がするけど……」
エルがそっとボヤき、俺も含めて導師以外は一斉に首を縦に振った。
「確かに、それだけだとあとでフラフラする」
「であろう?」
勿論、ヴィルマは例外であった。
彼女は、毎朝パンなら三斤は食べるからだ。
「これから食べ歩きだと聞いたから、今朝は食べるパンを五斤に増やして胃を広げてきた。逆に朝食を食べないと胃の動きが悪いままだから、最終的に食べる量が減ってしまう。そうすると、お腹が減ってフラフラする」
「なるほど! そうやって食べる量を増やすのであるか!」
ヴィルマと導師の会話が、色々とおかしい。
というか、ヴィルマは前世の大食い名人みたいだな。
少なくとも、常人にはまったく参考にならなかった。
「伯父様がお店を紹介してくださるのですか?」
「半分お遊びとはいえ、実はバウマイスター伯爵のおかげで王都やその周辺で庶民の食生活に変化が出た事例を教えようと思ったのである! ついて来るのである!」
導師は、向こうの世界だとB級グルメマニアに属する人種だ。
若い頃に冒険者をしていたから、場末の酒場や食堂で出るような食事が大好きなのだ。
子爵家の当主にして王宮筆頭魔導師なので、普段は貴族らしい食生活を……あまりそうは見えないけど、本人なりに気は使っていた。
あくまでも、自分なりにであったが。
そしてお休みになるとお忍びで、そういうお店を回るというわけだ。
導師はどう変装しても導師だから、全然お忍びになっていないけど。
当然他の王族や貴族たちは、導師の趣味を知っている。
陰口くらいは叩いているかもしれないが、堂々と導師本人に下品だと言う貴族はいない。
誰も決闘を挑まれたくないから当然だ。
「これはまた、随分と物騒な地区ですね」
導師が俺たちを案内したのは、貧しい人たちが住むスラム地区であった。
そこに導師以下、貴族様御一行という場違いな集団がいるから、人々が遠巻きに俺たちを見ている。
エルは、油断なく周囲を警戒していた。
ただし念のためだ。
「そりゃあそうだな。導師様から金をせびったり、誘拐しようと考える奴はいないものな」
「あくまでも念のためだね」
凄腕の冒険者であるルイーゼとカチヤは、さり気なくエリーゼとアマーリエ義姉さん、デリアの護衛に入った。
あくまでも念のためというスタンスだ。
デリアの場合、アキラがいるから心配ないであろう。
彼はあのタケオミさんが認めるほどの凄腕だから、間違いなくちょっかいをかけた奴の方が不幸になると思う。
「あの姉ちゃん、凄え可愛いな」
「同行者がいなければ声をかけるのに……」
「本当、うちのへちゃむくれの嫁とは大違いだぜ」
離れた場所からこちらを見ているスラムの住民たちが、うちの綺麗な女性陣を評価しながら世間話をしていた。
特に人気なのは、やはりアキラであった。
彼はミズホ人なので、どうしても王国では目立ってしまうのだ。
勿論、もの凄く可愛いのもある。
「(なんか複雑だね)」
「(私、アキラの妻なんですけど……)」
「(綺麗で可愛い夫を持つ妻かぁ……)」
「(ルイーゼ様、そういう評価は嬉しくないです……)」
「(でもさ、何気にアキラとか呼んじゃって仲良しなんだね)」
「(まあ、それは夫婦ですから)」
ルイーゼとデリアが、男たちから一番注目を浴びるアキラについて小声で話をしていた。
「先生、大丈夫でしょうか? 両親からスラムには入ってはいけないって言われていまして……」
「私もお兄さんから」
「誘拐されるからって」
「普通はそうだよな。今日は心配いらないけど、俺から離れるなよ」
「「「はーーーい! 先生から離れません!」」」
「急に元気になったな」
初めてスラムに入る三人娘が心配そうな表情を浮かべるが、今日は心配ないと説明する。
柄の悪い連中は、たまにこの地区に紛れ込むお上りさんから金銭を奪ったりする。
だが、導師から恐喝するなど死刑執行書にサインするようなものだ。
万が一上手く行っても、王宮筆頭魔導師に被害を与えたわけだから、最悪死刑になるかもしれない。
ハイリスクノーリターンなので、誰も俺たちの前を塞がなかった。
「ここである」
「モツ料理のお店ですね」
「そうである。デリア嬢は食べた経験があるのであるか?」
「何度かは。従業員の人たちがオヤツに串焼きを買って来ることもありましたし。魚も捌くとアラが出ますから、アラの料理は魚屋の賄いではよく出しますよ。それを知り合いの精肉店と交換したりするんですよ。だから、馴染みはありますね」
なるほど、魚のアラ料理は関係者のみの特権なのか。
その話を聞いたら、アラ汁が食べたくなったな。
味噌と酒粕で作ると美味しいから、あとでアキラに頼んで作ってもらおうかな。
「旦那、いらっしゃい。今日はえらく大人数ですね」
「友人なのである!」
店の店主である初老の男性は俺たちを見て少し驚いたようだが、導師とは普通に会話をしていた。
常連なので、もう慣れてしまったのであろう。
「適当に料理を出すのである! 某は酒も!」
客がまばらな時間帯のようで、俺たちは店の奥のテーブル席に座って料理が出てくるのを待った。
「モツ料理ですか」
「苦手であるか?」
「いいえ。前に、冒険者予備校の近くにあるお店で一緒に食べたじゃないですか。他にも……」
バウマイスター伯爵領が成立したばかりの頃、モツ料理屋をやっているアルノーの屋台でよく食事をしたものだ。
串焼きと煮込みが特に美味しく、彼は醤油や味噌もすぐに取り入れたので、工事関係者に大好評であった。
特に、色々なモツを味噌でトロトロになるまで煮込んだモツ煮が美味しいのだ。
酒のツマミにも、パンに挟んでも、ご飯の上に載せても美味しい。
屋台からスタートした彼であったが、今ではバウルブルクで何店舗かの居酒屋を経営するまでになった。
バウマイスター伯爵領開発特需の分け前を狙って多くの人たちが押しかけたが、アルノーは別のアプローチで大成功を収めたわけだ。
「逆に陳腐な気がしますけど……。ああ、でもいいお店ですね」
場所は悪いが、ここはいいお店だとすぐにわかった。
「珍しくはないのであるが、某がこのお店に連れて来た意図はあとでわかるのである!」
「伯父様、このお店はいい店ですね」
「であろう?」
「内臓肉が、生臭くないです」
エリーゼは、このお店がいいお店だと気がついたようだ。
所得の低い庶民が肉を食べるとなると、やはり本来なら捨てられてしまう動物や魔物の内臓に頼ることになる。
モツは安く手に入るのだが、処理を上手くやらないと臭くなってしまう。
スラムには、モツの嫌な臭いが残ったままの料理を出すお店が多い。
臭くても安いから、庶民はそんなモツ料理でも美味しいと言って食べるわけだ。
ところがこのお店は、モツ特有の嫌な臭いがしない。
上手に処理をしてから調理している証拠であった。
「お待ちどうさま」
話をしている間に、店主とその奥さんがモツを煮込んだ料理を持ってきた。
導師には、酒精分の強そうな蒸留酒が入った大ジョッキもだ。
「導師、お酒は関係ないのでは?」
「景気づけである! 気にしてはいけないのである!」
エルからの指摘を、導師はいつものようにスルーした。
「これ、美味しいですね。優しいお味で」
「そうね、全然生臭くないし。うちの実家も田舎で、狩猟で得たモツはこんな感じで煮込むけど、どうしても少し匂いが出てしまうから」
エリーゼも、バウマイスター伯爵邸にいるので料理をする機会が増えたアマーリエ義姉さんも、モツの煮込みが気に入ったようだ。
「色々な種類のモツが大量に入っていて、楽しめていいな」
「美味しいから、余計お腹が空いてきた」
カチヤも、モツ煮込みが気に入ったようだ。
ヴィルマは、早速お代わりを頼んでいる。
「塩と少量の香草だけでこの味は凄いですね」
「手間をかけて、味をよくしているのである」
導師が、蒸留酒の大ジョッキを煽りながら俺に説明する。
別にお酒を飲む必要はないわけだが、みんな言っても無駄なのでスルーしていた。
「このお店は、この周辺のモツ料理屋の中では少し高い方である! だが、味は抜群にいいので繁昌しているのである」
段々とお昼時が近づき、店には多くの客が入ってきた。
みんな、俺たちを見て驚いているけど、すぐに注文して食事に没頭する。
芸能人じゃなくて貴族だから、声をかけたり、サインを強請ったり、写真を撮ってほしいなんて頼めないから当然かもしれないが。
「このお店は、巨大な鍋でモツを煮込んでいるのである!」
導師が調理場の方に視線を向けると、そこでは巨大な鍋が三つ湯気を立てていた。
「三つなのは、三つないと間に合わないからですか?」
「いや、急遽鍋を三つに増やしたのである」
「なぜです?」
「それはであるな……オヤジ!」
「へーーーい」
導師に呼ばれた店主は、追加でモツ煮込みの器を持ってきた。
よく見ると、モツ煮込みの汁の色が違う。
「ミソ味とショウユ味です」
「このお店は、モツ煮込みの種類を増やした結果、余計に客が増えたのである! ミソ味とショウユ味のモツ煮込みは少し高いのであるが、それでもよく売れているのである!」
なるほど。
王都の商業街やバウマイスター伯爵領のみならず、王都の、しかもスラム地域にある飲食店でも味噌と醤油が使われるようになったわけか。
どのお店も、自分なりに工夫をして競争をしているわけだ。
「オヤジ! アレを持ってくるのである!」
「へーーーい」
導師はもの凄い常連のようだ。
アレだけで、なにを注文するのか店主がわかってしまうのだから。
親父は、七輪に似た炭で焼く携帯調理器具をテーブルの上に置いた。
そしてすぐに、調味液に漬け込んだモツを皿に入れて持ってくる。
「これも少し高い料理であるが、大人気の一品なのである」
導師は慣れた手つきで、タレに漬けてあるモツを金網の上に載せて焼いていく。
「俺も手伝います」
「エルヴィン少年、モツは塩、ミソ、ショウユと調味液が分かれているのである! 混ぜて焼くのは禁止である!」
「拘るなぁ……」
モツ焼き奉行と化した導師は、エルに厳しく指示を出してモツを焼いていく。
「この魔物の腸の部分を焼くと、余分な脂が下に落ち、タレが炭で焼けて香ばしい香りが広がるのである」
前世でたまに行った焼き肉店を思い出すな。
バウマイスター伯爵家でもたまにバーベキューはするけど、こういうちょっと下品なモツ焼きも美味しそうだ。
「焼けたら、それを口に入れる。美味い! 味を確認しつつ、残ったシオ、ミソ、ショウユの味を流すように酒を煽る! 最高である!」
完全にただの酒飲みオヤジのセリフであるが、俺も内心賛同していた。
貴族にはふさわしくない料理だが、美味しいのは確かだからだ。
「お昼に、野外でお肉を焼いたことを思い出しますね」
エリーゼも、美味しそうにモツ焼きを食べている。
その所作は、さすがは貴族の令嬢として教育を受けていたのでこの店では浮いているくらいだが、エリーゼは俺たちと一緒に冒険者としても活動している。
なので、まったくこういう料理が駄目というわけではない。
エリーゼの場合、そういう料理を上品に改良するのも得意だから、下品だからその料理は食べないということもなかった。
上品なだけで大して美味しくもない料理に出会うと、完全に社交辞令的な態度に徹してしまうほどだ。
「これは予想以上に、味噌と醤油が普及していますね。バウマイスター伯爵様が開発したとか?」
「まあね。昔、ブライヒブルクでミズホ関連のことが書かれた本を見つけてね。そこに味噌と醤油の情報が書いてあったんだ」
勿論大嘘であった。
いくらアキラが可憐でも、俺も正体を話すわけにはいかない。
ボッチな俺が、古い書籍を参考に試作したことにした方が都合がよかった。
「魔法だけで製造を試みて大分苦労したけどな」
「全体的に纏まっていて、いい味噌だと思いますよ」
「まあ、美味しいけど普通だよな」
「その分使い道が限定されないから、逆に素晴らしいと思います」
俺はミズホ産の味噌には大分負けると思っているけど、アキラに褒められると悪い気がしないな。
やっぱり、美少女に褒められると……って! 違うわ!
「それなりの質の味噌と醤油が量産されたのはよしとしよう」
「長年製造していけば、質も向上しますからね。ただ、ミズホの味噌と醤油の歴史は長いです。追いつくのは容易じゃありませんよ」
距離の関係で中級品を輸出しても利益は少ないだろうから、ミズホは高級品を王国の富裕層に売っていく計画なのは明白だ。
実際に、帝国でもそんな感じのようであったし。
「とまあ、こんな感じである! では、次に行くのである!」
ひととおりのメニューを食べて満足した導師は、店主に会計を頼んだ。
このお店の分は出してくれるようだ。
みんな味見くらいしかしていないが、人数が多いので結構な金額になっているはず……でもないか。
どうも前世の癖で、会計が日本円で一万円を超えると高いと感じてしまう俺は、まだ貧乏性が抜けきっていないのかも。
「美味しくて参考になりましたね。アキラさんは、モツ煮込みをどのように改良しますか?」
店を出てスラムから市民街へと移動する途中、料理が好きなエリーゼは同じく料理が得意なアキラと話をしていた。
子持ちとはいえ、まだ十分に美少女なエリーゼと、ミズホ風美少女のアキラは絵になる……いや、アキラは男性だった。
「味噌仕立てで、サトイモ、大根、人参、コンニャク、豆腐、キノコ、生姜なども入れてジックリ煮込むといいかもしれません」
「それは美味しそうですね」
エリーゼとアキラは、料理の話で大いに盛り上がっていた。
それにしても、そのモツ煮込みを早く食べたいものだ。
「アキラ、そのモツ煮込み。七味とネギは忘れるなよ」
「さすがはバウマイスター伯爵様ですね」
アキラに褒められると、悪い気がしない俺であった。
だが、さきほどから少し不機嫌な三人がいる。
それは、兄のお店を見に行くためについてきたベッティたちであった。
「どうしたの?」
「「「……」」」
アキラの奥さんであるデリアが聞いても、三人は不機嫌なまま。
みんなその理由がわからなかったが、最初にデリアが気がついたようだ。
「あのね、あの人は男性なんだけど。それで、私の夫なの」
「「「えっ!」」」
アグネスたちは、やはりアキラを女性だと思っていたようだ。
それで不機嫌ってことは、俺とアキラの仲を邪推してヤキモチを焼いたってことか?
「本当に男性なんですか?」
「そうなのよ。もう慣れたけど、二人で歩くと必ず旦那の方が先に男性に声をかけられるし……」
デリアもかなり綺麗な方なのだが、アキラの可憐さには負けてしまう。
休日に町中を歩いていると、事情を知らない男性がアキラをナンパすることがあるみたいだ。
「旦那が自分は男性だって言っても、たまに信じない人がいてね。あっ、この前は『男性でも構わない! むしろ男性の方が!』って……」
「その話、危ないからストップ!」
俺は、慌ててデリアの話を止めた。
「おおっーーー!」
「ルイーゼ、なにを期待しているんだ?」
「この前、イーナちゃんが秘蔵している本がね……」
「それは、聞かなかったことにする」
まあ、夫婦にも秘密が存在して当たり前だからな。
それに、またホーエンハイム枢機卿が駆け込んできたら面倒だ。
「もの凄く綺麗でそうは見えないけど……そうだったんですか」
「アキラさんと先生は、趣味友達なんですね」
「安心しました。先生、次はお兄さんのお店に視察ですよ」
ご機嫌になった三人は、大喜びで俺の手を引いて次の場所へと移動した。
そこはかとなく嫌な予感はしたけど、俺ってアグネスたちに惚れられている?
これって、先生と教え子の禁断の関係ってやつか?
「旦那、気にするな。あの三人はもう予備校を卒業しているから問題ないって」
「ヴェル様、よくあること」
「(浮気を勧める妻って、どうなんだろう?)」
カチヤとヴィルマが妙な慰め方をしてくれたが、俺はどこか釈然としない感情を抱いてしまうのであった。
さて、次はベッティの兄のお店に向かうとしよう。
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