第301話 人類は麺類(その1)
「はい、どうぞ。まだいけますか?」
「大丈夫だ」
「じゃあ、お代わりをいきますよ」
新蕎麦の季節となったので、フジバヤシ乾物店はミズホから蕎麦打ち職人たちを呼び、期間限定で蕎麦屋を開店させた。
アキラのお店にはイベント用のスペースがあり、今後はお寿司屋を呼んだり、餅つきをする計画だそうだ。
これは是非行かねばなるまい。
今日はお店の定休日であったが、アキラが蕎麦打ち職人たちを連れてバウマイスター伯爵邸で蕎麦を振る舞ってくれた。
俺は領主であり、さらに常連中の常連なので、たまにはこのような無理も聞いてくれるというわけだ。
こういう部分だけは、貴族になってよかったと思う。
フジバヤシ乾物店が続けざまに規模を広げた時、俺が領主として手続きなどで協力したから、そのお礼も兼ねているわけだ。
アキラが連れてきた職人たちは次々と蕎麦を打ち、茹でてから水で締めて仕上げていく。
掛けと盛りを自由に選べ、蕎麦だけじゃなくて天ぷらも揚げてくれた。
普段お店で出している惣菜なども並び、蕎麦を食べながら自由につまむことができるのもいい。
前の世界ではそうでもないけど、この世界ではちょっとした贅沢であった。
「相変わらず、導師は食うよなぁ」
「本当、食ったものはどこに行っているんだ?」
この日はブランタークさんと導師も招待されていたが、導師はすでに三十杯以上も蕎麦をお代わりしていた。
彼は盛り蕎麦が好みのようで、一枚を一~二分で食べてしまう。
そのせいで職人たちが大忙しなのだ。
エルとブランタークさんは、ただ導師の食欲に呆れていた。
「まあ、ヴィルマには負けるけど……」
そう、うちにはヴィルマがいる。
子供を産む前は少し……それでも凄かったが……食欲が落ちていたが、今ではすっかり元通りであった。
彼女もお代わりを連発し、職人たちをさらに忙しくさせている。
「ヴィルマ、美味しいかい?」
「美味しい」
「やはり、蕎麦は美味しいな」
「ヴェル様は、そこまで蕎麦好きだった?」
「この食べ方が好きなのさ」
「私もそう」
蕎麦は大陸中で栽培されているが、日本風の食べ方をしているのはミズホ公爵領だけだ。
あとはお粥に入れたり、パスタやクレープにしたり、蕎麦は痩せた土地でも作れるので、米や小麦の代わりというわけだ。
日本の蕎麦の産地も、稲作が難しい土地が多かった。
前世で、『有名な蕎麦の産地ってことは、昔その土地が貧乏だったって証拠だ。地元の人に言うと怒られるけどな』と、蕎麦好きな取引先の社長が言っていたのを思い出す。
「導師は、ヴィルマに張り合わなくなったな」
「いや、さすがに勝ち目がないのである」
導師ももの凄く食べるけど、あくまでも常識の範囲……でもないか。
ヴィルマの場合、英雄症候群という生来の事情がある。
いくら導師が努力をしても、食べる量でヴィルマに勝てるはずがないのだ。
とはいえ、導師の対抗心は発作のようなものなので、これで終わりという保障はないけど。
「職人たちを呼べるのは今だけですけど、お店に乾麺と出汁入りのツユを置くのでよろしくお願いします」
みんながお腹いっぱいになったところで、さり気なくアキラが宣伝をした。
乾麺とツユは前にミズホ公爵領で購入したが、そろそろ在庫が危うくなってきたところだったのだ。
そのうち現地に買いに行こうかと思っていたところなので、ちょうどよかった。
打ち立てには負けるけど、乾麺の方が簡単に作れて便利だから、常備するなら乾麺だな。
普通の蕎麦だけじゃなく、茶蕎麦や布海苔が入ったへぎ蕎麦もあって、色々と楽しめるのも乾麺の利点だ。
ミズホ公爵領は、本当に日本によく似ている部分が多い。
「蕎麦はどこでも作れるから、そのうちにミズホ式の蕎麦を出すお店ができるかもしれませんね」
「それはあるかもな」
蕎麦打ちは集中して練習すれば、意外と短期間である程度の腕前になる。
前世でも、定年退職したお父さん向けに蕎麦打ち講座があったのを思い出す。
会社を定年退職した元上司が通っているという話を聞いたことあるけど、彼は上手に蕎麦を打てるようになったのかな?
田舎に行くと、蕎麦やうどんを打つのが上手なおばあちゃんとかも結構いた。
田舎風うどんやホウトウも美味しそうだな。
今度は、うどんやホウトウも打ってもらおう。
ミズホにホウトウがあるかわからないけど、説明すればいけそうな気がする。
「この前のお休みの時、デリアとレストランに行きまして。その時に、生パスタを手打ちする腕のいい職人さんがいたんですよ」
夫婦でお休みの日にデートか。
夫婦というよりも女性二人組に見えるけど、夫婦仲がよくてよかった。
「ローレックの店だろう? あそこの生パスタは美味しい」
ヘルムート王国において、一番食べられている麺はパスタであった。
土地が貧しい地方には雑穀や蕎麦を使ったパスタもあり、美味しいパスタを打つ技術があれば、少し練習すれば蕎麦もいけるであろう。
「彼と仲良くなりまして、今度、蕎麦打ちを教えることになったんです」
「いいのか?」
蕎麦打ちの技術を、そんなに簡単に教えていいであろうか?
この世界でも技術の独占は富の源泉である。
簡単に人に教えるのはどうかと思ってしまうのだ。
「蕎麦はヘルムート王国でも採れますが、ツユの材料である昆布とカツオブシはミズホが独占していますからね」
ミズホ式の蕎麦を普及させ、ツユの材料である醤油、カツオブシ、昆布でフジバヤシ乾物店が儲けるというわけか。
恩を売りつつ、自分も稼ぐか。
やはりアキラは商売が上手だ。
「新しい味のパスタも提案したら、彼も乗り気でしたよ」
ということは、これからはローレックの店でも和風パスタがメニューとして出る可能性が非常に高い。
昆布、干し椎茸、醤油、明太子、納豆、青紫蘇などが具として使われる可能性が高い。
ウニ、イクラ、アワビ、鮭などが使われた海鮮系パスタもいいな。
これは楽しみだ。
人気が出たら、具材を卸すアキラが儲かるという仕組みなのであろう。
なんという、WINWINな関係であろうか。
やはりアキラは、俺よりも商売の才能があるな。
「乾麺なら、立ち食いや屋台でも出せますしね。天ぷらやオニギリも売ればいい商売になりますよ」
そこまで考えているとは、さすがはアキラとでもいうべきか。
「乾麺の需要が増えれば、ミズホから輸入しないでここで製造すれば原価を落とせますしね。高級品はミズホ産という住み分けも可能です。ところで、バウマイスター伯爵様にお願いがあるのですが……」
「聞ける願いなら聞くよ」
アキラは、俺に美味しいものを沢山提供してくれるからな。
多少の願いくらいは……決してアキラが可愛いからじゃないぞ。
「現在の王都は、短期間で食の進化が始まっているとか?」
「そうらしいな」
一緒に商売をしているアルテリオから聞いたのだが、俺がパクって普及させた醤油、味噌その他大量の調味料と新しい料理に、ミズホ文化と食品の普及も始まって、王都の飲食店は熾烈な競争に入ったらしい。
アルテリオが手がけている飲食店は順調だが、人生なにがあるかわからない。
『調子のいい時というのは、没落の入り口でもある』と、前世で我が社の社長が俺たちに訓示を述べつつ、なかなか給料が上がらない原因にもなっていたからなぁ……。
「僕も、王都の飲食店を調べたいのです」
「確かに、常に市場調査をする必要はあるのか……」
飲食店を長く続けるのは大変だ。
前世では、開店してから五年以内に七割以上の店が潰れるのが当たり前だった。
テレビで『お客さんが殺到!』と紹介された店がすぐに潰れてしまったりと、飲食店もなかなかに大変なわけだ。
「バウマイスター伯爵様の魔法で連れて行ってほしいのです」
「いいよ。俺も興味があるから」
「ありがとうございます」
俺がオーケーを出すと、アキラは満面の笑みを浮かべて俺にお礼を述べた。
相変わらずの可憐さに、俺はちょっと心臓がドキドキしてくる。
やっぱり、どう見ても美少女にしか見えないな。
「ヴェルは、アキラがお気に入りみたいだね」
「その言い方は、非常に誤解を招くと思うけど……」
「本当に誤解かな?」
「誤解に決まっているじゃないか」
俺の心情を見透かすかのようにルイーゼが意味あり気な表情を向け、それを俺が懸命に否定する。
だが、本当にそうではないのかいまいち自信が……あるに決まっているじゃないか!
とにかく俺たちは、アキラと共に王都に出かけることになるのであった。
「それじゃあ、出発するか」
「はい」
数日後、俺たちは王都にある飲食店の視察に出かけることにした。
公式には、『バウマイスター伯爵領における、飲食店産業発展のための視察』という名目となっている。
俺も伯爵になったので、ただ色々な飲食店を巡りますでは、ローデリヒが首を縦に振ってくれなかったのだ。
お役所の人も、視察と称して税金で海外旅行とかに行くじゃないか。
物事に正当な理由をつければ、そこに少し遊びを入れても大丈夫というわけだ。
あとは、スケジュールの問題もある。
俺は開発で忙しいので、この視察のためにハードスケジュールをこなしてきた。
同行するアキラは、まだ新婚旅行に行けていないので、結婚したばかりのデリアを連れて来た。
視察は三日間を予定していたので、王都にあるデリアの実家に挨拶に行くスケジュールも入れていたのだ。
当然、遊びの要素の方が強いけど。
「あなた、久々に楽しみですね」
「そうだな」
視察とはいっても、大半が遊びみたいなものだ。
連れて行くメンバーの人選で少し悩んでしまったが、エリーゼはバウマイスター伯爵家の正妻として他の奥さんたちよりも苦労している。
俺は、一番にエリーゼを連れて行くことを決めた。
「俺もハルカと一緒に行きたかったなぁ……無理だけど」
二人目は、俺の護衛役であるエル。
「試食は任せて」
三人目は平等にクジで決めたのだが、こういう時のヴィルマのクジ運は最強だ。
「服を選ぶのは面倒だけど、食べるのなら大歓迎だぜ」
四人目も、カチヤは何気にクジ運がいいので上手く同行する権利を引き当てた。
「私もか。あまり料理のレパートリーは多くないから、役に立たないかもしれないわよ」
「予備校でパーティを組んでいた時には、ボクが一番運がよかったんだけどなぁ……滑り込みセーフってやつだね」
最後にアマーリエ義姉さんとルイーゼが滑り込み、これで同行するメンバーが決まった。
「旦那様がいない間の開発は、私が進めておきます」
「リサはえらく気合が入っておるの。まあ仕方があるまい。妾もリサの指示に従って働こうかの。今度、妾とリサもどこかに連れて行ってくれよ」
「この埋め合わせは、必ずするよ」
留守番役のリサとテレーゼは、俺の留守中に魔法で土木工事を行ってくれることになった。
なぜなら、同じく魔法の修練も兼ねて土木魔法を駆使しているアグネスたちも、今回の王都行きについて来ることになったからだ。
「先生、ありがとうございます」
「お兄さんの様子も見たいんです」
「先生とお出かけ、楽しみだなぁ」
三人とも普段からよく頑張っているので、たまにはお休みをあげないといけない。
なにしろ、バウマイスター伯爵領の開発が順調なのは、アグネスたちのおかげでもあるのだから。
「ベッティは、お兄さんが心配か?」
「お兄さん、ちょっと目を離すと駄目人間になりますから。たまに引き締めないと」
なんだかんだ言いながらも、ベッティは兄想いの優しい少女であった。
お兄さんが没落しないよう、常に気を使っているのだから。
「奥さんがしっかりしているし、借金の返済も順調だ。多分、問題はないと思うよ」
「だといいんですけど……」
「それを確認するためにも行くか……」
「お願いします、先生」
そんなわけで、俺たち一行は『瞬間移動』で王都へと向かうのであった。
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