第279話 過去の思い出と現実(前編)
「お館様、いかがなさいますか?」
「そうだな。エリーゼブルク、イーナバーグ、ルイーゼフルト、ヴィルマドルフ、カタリーナベルク……」
「お館様は、愛妻家でいらっしゃいますな」
「(いや、他に思いつかないんですけどね……しかも、ドイツ風の命名限定だし……)」
「お館様、なにか?」
「いいや、なんでもない」
バウマイスター伯爵領の開発は順調に進んでいる。
バウルブルクを中心に、道、橋、町、村、農地、港などの建設では俺たちが魔法を駆使し、ローデリヒが金を回しているので、人が大量に集まっていたからだ。
魔法だけでも人手だけでも開発が遅れるので、両方があるバウマイスター伯爵領の開発速度は驚異的であった。
俺も父親になる以上、子供たちを飢えさせないように頑張らないといけない。
前世の商社マン程度の給料だと生活に四苦八苦したであろうが、今の俺は貴族で魔法使いでもある。
頑張って稼いで、子供たちにある程度発展したバウマイスター伯爵領を残してあげないといけない。
家臣と領民も増えているので、一代で終わりという無責任なこともできないのだ。
前世だと貴族や王族って傲慢に思われているのかもしれないけど、普通の貴族は色々と責任があって大変だよな。
俺は魔法があるからいいけど、なければサラリーマンの方が確実に気楽だと思う。
「それでお館様、他には?」
「そうだな……カチヤバーグとか? テレーゼフルト、リサドルフ、フィリーネベルク、アマーリエ……ベルク?」
「お館様、あとは?」
「ええいっ! そんなに急に思いつくか!」
俺は一つの困難に直面していた。
それは、バウマイスター伯爵領各地に建設中の町や村の命名についてだ。
元々バウマイスター伯爵領は未開地でなにもなかったが、今ではそこに数十の村や町が建設中で、まだまだいくらでも増える予定だ。
すでに人が住んでいる村や町も多い。
他にも、河川、街道、港、森、湖、池、草原など、いくらでも命名しないければならないものがあった。
人が住んでいる村や町が名無しというのもおかしいわけで、そしてそれを命名するのは領主である俺の役割というわけだ。
「領民たちによる投票とかで決めない?」
「いえ、それはいけません」
沢山名前を考えるのが面倒なので、そこに住む住民たちによる投票で決めようと俺が提案したが、ローデリヒにキッパリと否定されてしまった。
いいアイデアだと思ったんだけどなぁ……。
「お館様は、このバウマイスター伯爵領の絶対権力者なのです。領民に決めさせるなど絶対にあってはなりません」
この辺が、民主主義と封建制度の絶対的な差というわけか。
「どんなにお館様のネーミングセンスが最悪でも、お館様自身がお決めにならないと意味がありません」
「ううっ……そうなのか……」
ローデリヒが何気に俺をディスっているような気がするが、いくらダサイ命名でも俺自身が地名などを決めないと駄目なのか……。
俺の領地だから、俺が命名する。
究極のジャイニズム……というほど、俺は独裁者ってわけでもない。
どちらかというと、家臣や領民たちに奉仕している立場に思えてしまう。
「こうなると、ローデリヒブルク……」
「お館様、いきなり私の名前を使うのはよくありません。奥方様などは構わないのですが……」
貴族が、自分の愛する妻の名前を町や村の名前につける。
これはよくあるケースだと聞く。
ただし昔は……という条件がつくそうだが。
今ではそう簡単に新しい村や町など増えないので、新しく命名がされる機会は少ない。
つまり、バウマイスター伯爵領は久しぶりの大量命名例というわけだ。
「宿題にしておいてくれ。そんなに急に沢山思いつかないよ」
今までなにもなかった土地なので、ヒントもろくにないのだから。
命名基準だって、ドイツ風が基本なため、範囲が思いっきり狭くて困ってしまう。
なにより俺のメンタルは日本人だからな。
「畏まりました、なるべく早めにお願いします」
そんな急に沢山の地名などが思いつくはずもないけど、具体的な締め切りを提示されなかったのはラッキーかも。
今日は久々にお休みなので、俺はローデリヒを残して執務室をあとにするのであった。
「というわけで、俺はエリーゼたちの名を後世に残そうと思うんだ。受け取ってくれるかな?」
自分で言っていて歯が浮きそうなセリフであったが、彼女たちに了承してもらわないと、最初の十個ですら不採用になって俺は詰んでしまう。
俺は愛する妻たちのために永遠に残る地名や町村名をプレゼントする、洗練された男にして大貴族様でもあるバウマイスター伯爵様になりきっていた。
「はい、喜んで」
エリーゼは基本いい娘なので、俺からのプレゼントを嬉しそうに受け取ってくれた。
新興貴族が、開発した領地の地名などに愛する妻の名前を採用する。
貴族の世界では、宝石にも勝るプレゼントなのだとローデリヒが言っていた。
俺には、いまいちピンとこないのだが。
「少し恥ずかしいような気もするけど……」
「でも、後世にボクの名前が残るって面白いかも」
イーナもルイーゼも、気恥ずかしそうながらも満更でもないという感じだ。
「ヴェル様、ありがとう」
「私の名前が残る。貴族になったと実感できますわね」
ヴィルマとカタリーナも嬉しそうでよかった。
特にカタリーナは、自分が貴族であることに拘っている人だ。
口調はいつもどおりだが、とても嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「ありがとう、旦那。うちの実家じゃあり得ないことだよなぁ……畑の名前とかに採用されそうだけど……」
「ありがとうございます」
カチヤとリサも嬉しそうであったが、問題はここからであった。
「エリーゼたちはわかるが、妾たちの立場を考えると、受け入れていいものか判断に悩むの」
「そうね、私とテレーゼはどうかと思うのよ」
正式な奥さんではない、もしくは奥さんになる予定がないテレーゼとアマーリエ義姉さんからは、微妙な顔をされてしまった。
確かに、愛人の名前を残すというのもどうかとは思う。
でも、二人の名前も入れないと……候補が減るんだよなぁ……。
そんな一度に数十もの町の名前なんて、普通は考えられないのだから。
「(エリーゼ、別に構わないんだろう?)」
「(はい、例がないわけでもありません)」
こっそりとエリーゼに聞くと、たまに大貴族が新しい町を開いた時、領民たちがあまり聞き覚えのない女性の名前がついていると、大半がこのパターンらしい。
非公式の愛妾の名前からの命名でしたという。
「(そういうことをするのは大物貴族が多いですから、あまり正面きって批判する方はいません)」
いつまでも名無しの町だと困ってしまうので、とりあえず名前がつけば、その町に住む住民たちはそれでいいと思うそうだ。
そりゃあ町の住民たちからすれば、貴族様の愛人の名前だからなんだって話なのだから。
「(その辺の悪評をねじ伏せるのも大貴族ですから。それに、同じ名前の別の女性から命名したと言われてしまえばそれまでです)」
なるほど、つまり俺の自由にやっていいわけか。
「大丈夫だよ、小さな町の名前とかにしておけばいいし」
「なにもない広大な土地に大貴族領が生まれると、こんな苦労があるのか。普通は数年から数十年に一度くらいが関の山じゃからの。新しい村や町の命名など」
テレーゼは、フィリップ公爵領でもそう簡単には新しい村や町などできず、新しい町の名前を考えるのに苦労するなんて思わなかったと言う。
「元大貴族である妾にも予想外の出来事じゃの。まあ、あまり大きな町の名前とかはやめておいてくれよ」
「私も、小さな村の名前でいいかな」
残るフィリーネは、あのブライヒレーダー辺境伯の娘なので問題ない。
多少大きな町の名前に採用しても、それは寄親であるブライヒレーダー辺境伯家への配慮、という風に受け取られるからだ。
娘バカなブライヒレーダー辺境伯からすれば、大歓喜な出来事であろう。
「それで、あとの数十個はどうするんだ?」
「エルヴィンブルグ?」
「そこで、なんで俺なんだよ?」
「もうネタが尽きたから」
なぜって、嫁さんの名前を流用したら、あとは子供とか功臣の名前を流用するしかないからだ。
子供はまだ産まれていないので、これはあとで新しく流用するとして、あとは功臣の名前を使うしかない。
ローデリヒが文句を言っていたが、彼は間違いなくバウマイスター伯爵家一の大物家臣である。
ゆえに、彼の名前を採用しないなどあり得なかった。
それにだ。
どうせ名前を取る家臣が足りなくなって、ある程度大身の家臣なら名前を流用されることになる。
名誉なので断らないだろうし、その親族や子孫をそこの代官にしてもいいのだろう。
「というか、一度に多すぎなんだよ……」
俺たちが魔法で整地し、街道に近い村や町が異常な速さで増えている。
家の建築には手間がかかるとはいえ、すでにバウマイスター伯爵領ができてから一年以上の時間が流れた。
レンブラント男爵が中古住宅を大量に移築し、バウマイスター伯爵領は景気がいいと、大工たちが集まって家を急ピッチで建設している。
王国には不況で大工が困っているという地域もあり、彼らが出稼ぎに来たり、移住する者も多かった。
バウマイスター伯爵領ならば、いくらでも仕事があるからだ。
出稼ぎが嫌な者は自分の住む町の空地に家を建て、それをレンブラント男爵が移築するという手法もあり、住宅不足は……それでも足りないんだよなぁ……。
ちょっと凝った建物とかだと、まだ全然不足している状態だ。
「まあいい、まだ締め切りには時間がある」
「命名ねぇ……奥さんの名前がネタ切れなら、あの娘たちの名前でも使ったらどうだ?」
「あの娘たちって誰だよ? エル」
「ヴェルが特に可愛がっているじゃないか。女子生徒三人組をさ」
エルが言うあの娘たちとは、俺が今魔法を教えているアグネスたちのことであった。
「アグネスたちか? あの娘たちは俺の弟子にして生徒だ。名前を流用なんてできないさ」
その辺は、ちゃんと区切りをつけないとな。
俺が初めて魔法を教え、その中でも特に目をかけている三人であったが、彼女たちはバウマイスター伯爵家の人間ではない。
きちんとケジメはつけないと、ローデリヒにも怒られてしまうのだから。
「えっ? あの娘たちって、将来ヴェルが奥さんにするんじゃないの?」
「エル、お前なぁ……」
俺は、そんなわけがあるかと思ってしまった。
確かにあの三人は可愛がっているが、あくまでも魔法の弟子としてだ。
そこに、邪な感情など一切ない。
「俺には責任があるんだ。あの三人は、師匠の孫弟子にもあたる。ちゃんと一人前の魔法使いにして、師匠の名を汚すわけにいかないんだ」
「えっ? 色事は一切抜き?」
「当たり前だ!」
アグネスたちは、師匠の唯一の弟子である俺がしっかりと育てあげ、師匠の偉大さと功績を後世に確実に伝えなくてはいけないのだから。
孫弟子の出来が、師匠の評価に大きく関係してしまうのだから。
「遊びでやっているんじゃない。というわけでだ。下種な勘繰りは止めたまえ。エルヴィン君よ」
「はあ……ヴェルがそう言うのならそうなんだろうな……」
エルがいまいち納得していないような表情を浮かべるが、どこの世に十二歳から十四歳の女子生徒に手を出す教師がいるというのだ……前世ではたまにいて、ニュースや新聞で報道されていたか……。
「とにかくだ。今日はお休みだ」
アグネスたちの話は、これで終わりだ。
とはいえ、今はエリーゼたちが妊娠しているので遠出ができない。
そこで、バウマイスター伯爵邸の中庭でピクニックのようなことをしていた。
当初はなにもない中庭であったが、伯爵家に相応しい見栄えにするため、庭師を雇い入れて相応の内容にしている。
観賞用の草花や木々が植えられ、それらは適切に管理されていた。
庭師を専属で雇うなんて、いかにも大貴族だな。
実家では、母やアマーリエ義姉さんや使用人たちが、花壇に自分で花とかを植えていただけだった。
中庭の中心にはテーブルと椅子が置かれ、そこで軽食やお茶を楽しみながらノンビリとした時間をすごす。
「ちょっと、あたいには合わないかもだけど……」
俺よりも貧乏性の気があるカチヤは、こういうノンビリとした時間は苦手なようだ。
もうそわそわしていた。
「カチヤさんも妊娠するとわかりますよ。あまり動けなくなってしまいますから」
とは言いつつも、エリーゼはいつも通りにテキパキとマテ茶を空いたカップに注いでいた。
ただ、やはり外出する機会などは減っている。
「ドミニクにも言われてしまいました。お腹の子はバウマイスター伯爵家のご世継ぎなのだから、慎重に行動してくださいと」
もしエリーゼの身になにかがあったら大変だ、ということらしい。
確かに、エリーゼについている護衛やメイドの数が増えていた。
もし今の彼女に何かがあったら責任問題なので、護衛たちは緊張した表情を崩さない。
「私やルイーゼも似たようなものだけど、これは出産後に冒険者に復帰するのが大変かもね」
「鈍った体を元に戻そうとしたら、また妊娠したりして」
「ローデリヒさんは、それを望んでいるようね」
俺がバウマイスター伯爵家の初代なので、分家や有力家臣家の創設のため、いくらでも子供の数はいてもいいというわけだ。
イーナとルイーゼも、あまり派手に動けなくなったと愚痴っていた。
二人もどちらかというと、カチヤのようにじっとしているのが苦手なタイプであったからだ。
「そうですね、私もすぐに復帰できるでしょうか?」
今日は、エルと一緒にハルカも中庭の茶会に参加していた。
彼女もエリーゼたちとほぼ同時期に妊娠したので、同じく剣術の稽古などは休んでいる状態だ。
「五人の赤ん坊が次々と産まれるのか。賑やかでいいではないか。ところで、エルヴィンよ」
「なんです? テレーゼ様」
テレーゼは、エルに聞きたいことがあるようだ。
「そなた、側室は取らぬのか? お主は、バウマイスター伯爵家でもかなりの地位にいるし、甲斐性もある。妻がハルカ一人では周囲も納得すまい」
「ううっ……」
テレーゼの問いに、エルは言葉に詰まらせてしまう。
確かに、今のエルが奥さん一人だと色々と周囲がうるさいであろう。
俺もローデリヒから、その手のアプローチがうるさいという話は聞いている。
「バウマイスター伯爵家の家宰であるローデリヒさんですら、奥さんは一人ですよ」
「今のところはであろう? 将来、成長したルックナー財務卿の孫娘をもらう予定ではないか。誰が見ても見事なまでの政略結婚じゃが、貴族とはそういう生き物じゃ。諦めい」
「テレーゼ様がそれを言いますか?」
「妾はそういう世界から抜け出した身、しかしながら、世話になっているバウマイスター伯爵家のために忠告くらいはする、というわけじゃ。して、どうなのだ?」
「はいはいっ! テレーゼ様! 私がいますから!」
テレーゼの問いに、俺たちの側で給仕をしていたメイドのレーアが手をあげた。
彼女はドミニクの従妹で、密かに……ではなく堂々とエルの側室の座を狙っていた。
その堂々たる態度には、俺も他のメイドたちもある意味感心している。
レーアがエルの側室になれば、この屋敷でドミニクの補佐として働き続けられるという利点もあった。
「(エル、レーアはどうなんだ?)」
「(面白い奴ではあるんだよな……)」
エルの返答は微妙であったが、俺は知っている。
最近では、ハルカに促されて定期的にデートなどをしているのを。
ハルカは、下級ではあるが貴族の出みたいなものだ。
サムライイコール貴族だからであり、当主に側室がいても当たり前だと思っている。
なので、自分の妊娠中にエルとレーアとの仲を纏めようとしているのだ。
「(エルの嫁さんって、完璧超人だよな……)」
「(俺もそう思う……)」
俺は、ハルカはエリーゼにも負けない高スペックな奥さんだと思っている。
「そうなのか、余計な心配じゃったの」
「あのぅ……まだそうと決まったわけでは……」
「ええっーーー! 私、エルヴィン様のお嫁さん失格ですか?」
気恥ずかしかったのか?
レーアを嫁に貰うと即答しなかったエルに対し、彼女が目に涙を浮かべながらその真意を聞いてきた。
「いや! そんなことは……」
まさか泣かれるとは思わなかったようで、エルは思わず口籠ってしまった。
確かに女の涙は、俺でも経験値不足で対処が難しい。
「エル、デートまでしていてそれはないんじゃないの?」
「そうだよ、レーアが可哀想じゃないか」
続けてエルは、つき合いの長いイーナとルイーゼにまで攻め立てられてしまう。
「考えていないわけじゃなくて、結婚するとなると色々と準備が大変だなって思っただけだよ」
エルは、そう簡単にほいほいと結婚しますとは言えないから躊躇しただけだと反論した。
「そう、ならいいのよ」
「よかったね、レーア」
「はいっ!」
そして、最初からグルであると思われるイーナ、ルイーゼ、レーアに言質を取られてエルは二人目の嫁を貰うことになった。
どこかで見たような光景……デジャヴだと思ったら、俺にも似たようなことがあったからだと思う。
「お父さんとお母さんに手紙を書かないと駄目ですね」
「式までの準備も色々と必要よ」
「ええと……最短の日程は……」
「あのぉ……そんなに急がなくても……」
しかし、エルも学習しない男だな。
俺を見ていながら、結婚を了承したあと、猶予期間があると思っているとは……。
余程の事情がない限り、他に抜け駆けされないように話は勝手に進んでいくものさ。
本人は了承したらそれで終わり、あとは勝手に周りが準備してしまう。
その本人の了承だって、100パーセント自分の意志なのか怪しいものだからな。
「エル、お前もそういう身分になったのだ」
「それは喜ばしいことなのか?」
それは、俺にもわからないな。
貧乏貴族の八男のままでいた方がよかったのか、バウマイスター伯爵の方がいいかなんて。
二つを同時に経験なんてできないわけだから。
「それじゃあ、エルとレーアの婚約が決まったから乾杯!」
「「「「「「「「「「乾杯!」」」」」」」」」」
マテ茶ではあるが、みんなで乾杯してから再び軽食とお茶菓子を楽しむことにする。
エルがなんとも言えない表情をしているが、人間誰しも、程度に差はあるがマリッジブルーになるものだ。
終わってしまえば、すぐに元通りになるさ。
俺もそうだったから。
「旦那様、おめでとうございます」
「うん……」
そして、そんなエルにお祝いを言ってのけるハルカという女性。
俺は、彼女のミズホ撫子ぶりに感心してしまった。
ただ、俺の奥さんでなくてよかったかもしれない。
なんというか説明はできないのだが、実はエルの手足を見ると操る糸がついていて、ハルカが上手く操作しているような印象を覚えてしまうからだ。
本人が幸せそうなので、俺はあえてそれを指摘しないけど。
「お館様」
「どうかしたのか?」
そんな風に考えていたら、突然屋敷の警備責任者が俺に声をかけてきた。
「実は、お館様に用事があるというお方が」
「アポなしはパスだな」
最近、やたらと俺に会いたいという人たちが増えている。
理由は想像の範囲内が大半なので今さら説明しないが、わざわざ全員に会っていたら、俺には一日が四十八時間ほど必要になってしまう。
大半をローデリヒに任せ、俺が自分で会う人など滅多にいない状態にしていた。
俺にアポなしで会える人は、ブランタークさんと導師くらいであろう。
『お館様がアホの話を一時間聞いている間に、魔法で土木工事をしていただいた方が……』
ローデリヒの話によると、大半がろくでもない用件らしく、俺は滅多なことがなければそういう連中とは会わないようにしていた。
「屋敷の前でうるさいのですが、実はレガート男爵様と名乗っておりまして……」
「貴族本人でも、アポなしは駄目なんだがなぁ……」
ブライヒレーダー辺境伯や、閣僚クラスの大物は別として。
とはいえ、屋敷の前に貴族本人がアポなしで訪ねてくるケースは珍しい。
だからこそ、警備責任者は俺に判断を仰ぎにきたのでろう。
「それで、なんの用事だって?」
「はあ……どうしても、お館様に直接仰りたいことがあるようで……警備員風情では話にならないと……」
「しょうがないなぁ……」
一応相手は貴族でもあることだし、あとでなにか文句を言われても困る。
俺は一人で、屋敷の正面門まで行く。
すると、本当に貴族らしい格好をした若い男性が立っていた。
年齢は二十前後だと思われる。
「バウマイスター伯爵殿でしょうか?」
「そうですが、こういう方法は反則なのでは?」
レガート男爵のやり方は、貴族としてはルール違反である。
俺は、その点だけは釘を刺しておく。
「とは思いましたが、私の提案が受け入れられれば、バウマイスター伯爵家のさらなる発展が期待できますから、急ぎお知らせしたかったのです」
「お聞きしましょうか? その提案とやらを」
「はい、義父上」
「はあ? 義父上?」
嫌な予感がしたが、レガート男爵はそのままバウマイスター伯爵家発展のための提案とやらを語り始めた。
「奥方殿たちが懐妊されたそうで、おめでとうございます。娘が生まれたら……いやあの人数ならば必ず生まれるはず。お一人をこのレガート男爵の妻にしていただければ。さすれば、バウマイスター伯爵家とレガート男爵家との関係が強化され……」
まさかとは思ったが、まだお腹にいる子供を嫁に欲しいと言い出すは……。
しかも娘が生まれたとして、成人になった頃にはこのレガート男爵は四十歳近いおっさんになっている。
個人的にも、自分よりも年上の娘婿は勘弁してほしいと思う。
少なくとも、このバカで軽薄そうなレガート男爵は御免蒙りたかった。
「お義父さん、お義母さん。娘さんは、必ず私が幸せにしますから」
「一昨日、来やがれぇーーー!」
瞬発的にブチ切れた俺は、レガート男爵を風魔法でバウルブルクの大通りにまで吹き飛ばしてしまう。
彼は、大通りの真ん中で気絶して倒れ込んでしまった。
「あのアホは、二度と相手にもするな! ローデリヒに、絶縁状の作成依頼を出しておけ!」
「ははっ!」
普通は、誰かを使者にそういう頼みをするのが当たり前なのに、レガート男爵は直接自分が交渉に行って優位に立とうとした。
勿論浅はかな考えで、俺の怒りを買っただけだ。
こういうルール違反をする貴族に対しては、絶縁状という手が使える。
『こういう理由で、お前の家とは二度とつき合わない』という手紙を出す制度であり、滅多に行われないが、その分効果は絶大であった。
「まったく……どこの世にお腹にいる娘を嫁にほしいなんて言う奴がいるんだ……」
俺が気絶したレガート男爵を見ながら文句を言っていると、その横で別の人が門番とやり取りをしている。
よく見ると、俺たちよりも少し年下の美少女であった。
「あの……。エルヴィン様は、このお屋敷にいらっしゃると……」
「本日はいらっしゃるが、エルヴィン様もそう簡単にアポなしで会わせるわけにはいかないんだ。我慢してくれ」
「ですが、私にはもう時間がなくて……お願いします」
「悪いがそういう決まりなのでね」
「そこをなんとか、お願いします!」
エルヴィンと言っているので、この美少女がエルに会いたいと思っているのはほぼ確実だ。
どんな用事かは知らないが、この美少女は相当に切迫しているらしい。
俺がすぐ隣で駄目貴族を魔法で吹き飛ばしても、それを気にもしていないのだから。
「とにかくだ! アポを取ってくれ。エルヴィン様もお忙しい身なのだから」
普段はそうかもしれないが、残念ながら今日のエルは思いっきり暇である。
ついでに言うと、俺はこの美少女とエルとの関係がもの凄く気になり始めていた。
「なあ、ちょっといいか?」
「お館様?」
「エルヴィン様が御仕えしている、バウマイスター伯爵様でいらっしゃいますか?」
「そうだけど、君とエルとの関係は?」
「はい、幼馴染です」
「(エル、許すまじ……)」
俺は、当主権限でその美少女を屋敷の中に入れてあげることにした。
どうしてだって?
幼馴染同士を会わせてあげないといけないという親切心から……嘘です、このような美少女といつ知り合ったのか、奴を厳しく追及するためであった。
リア充、許すまじ!
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