第273話 土木工事マスター

「うーーーん、耳を当てても、赤ん坊の心臓の音はまだ聞こえないのかぁ……。大丈夫かな?」


「あなた、もっとお腹が大きくならないと聞こえませんよ」


「そうなのか……」





 今日もリサを連れてバウマイスター伯爵領内で土木工事をしてから屋敷に戻り、試しにエリーゼのお腹に耳を当ててみた。

 ドラマだと赤ん坊がお腹を蹴る音が聞こえるなどと聞くが、今のところは残念ながらなにも聞こえない。

 

「性別も、もっとお腹が大きくなってからですね」


「それは生まれてからでいいよ。お楽しみというやつで」


 ローデリヒ以下家臣たちも、ホーエンハイム枢機卿以下エリーゼの実家も、陛下以下多くの大物貴族連中も、エリーゼに『男産め』的なプレッシャーをかけてくる。

 直接口で言ってくるわけではないが、無言のプレッシャーとでもいうべきか。

 エリーゼが女の子を産んで、イーナとルイーゼが男の子を産むと面倒なことになると思っているのであろう。

 カタリーナの場合、男の子ならヴァイゲル準男爵家を継ぐから問題ないというわけだ。


「性別がわかるんだな」


「聖魔法の一種ですけど、使える人に頼めば教えてもらえますよ」


 赤ん坊の性別判定の魔法は、かなり特殊な部類に入る魔法で、聖治癒魔法よりも使える人が少ないのだとエリーゼが言う。


「高度な聖魔法使いが、必ず使えるようになるというわけでもないのです。レンブラント男爵様の『移築』と同じですね。私も使えません」


 エリーゼでも使えないということは、かなり特殊な聖魔法なのであろう。

 その数少ない使い手は、赤ん坊の性別判定のお仕事で忙しいそうだ。


「特に、貴族と大商人向けの依頼で忙しいと聞きます」


 この世界は、昔の日本と同じく家が重要視される。

 当主に嫡男が生まれることこそが重要で、それが生まれる前にわかるとなれば、頼が殺到して当然か。


「へえ、そうなんだ」


「あなたは、気にならないのですか?」


「それほど気にならないな。生まれればわかることだし、でも健康で生まれてきてほしいな」


 現代日本でも、地方だといまだにそんな感じだと前に母が言っていたが、俺からすれば無事に生まれてくれれば万々歳なのだ。

 

「男女で半々の確率だから、二人生まれればどちらかは男だろうし」


 実際には男ばかり生む人と女ばかり生む人なんてのがいるらしいけど、そんなことをいちいち考えていたのではキリがない。

 それよりも、今はいかにして赤ん坊の心臓の音を聞くかだ。


「そこで、この『聴音』の魔法で!」


 これは風系統の魔法で、聴診器のような役割をする魔法であった。

 子供ができたと知ったので、急ぎ師匠が残した本を読んで習得したのだ。

 しかし、師匠はこの魔法を覚えてどうするつもりだったのであろう?


「この魔法があれば!」


 『聴音』をかけてから、再びエリーゼのお腹に耳を当てた。

 すると、定期的に心臓の鼓動が聞こえてくる。


「よし!」


「ヴェル、残念だけどそれはエリーゼの心臓の音よ」


「なっ!」


「まだそこまで赤ちゃんが大きくなっていないのよ」


 確かに、イーナの言うとおりだ。

 四人はまだ妊娠初期で、パッと見た感じでは妊婦にはまるで見えなかった。


「残念……」


 念のため、イーナ、ルイーゼの順にお腹に耳を当てて『聴音』を使ってみたが、彼女たちの心臓の音しか聞こえなかった。

 いや、一人だけ『グーーー』とお腹の鳴る音が聞こえた。

 ルイーゼである。


「妊娠したらお腹が空くなぁ……今、一日五食なのに」


「そんなに食べて大丈夫なのか?」


 俺は改めてルイーゼを見るが、太ったようには見えない。

 彼女が妊娠していると言っても、信じてくれない人の方が多そうな気がした。


「きっとボクの子供は、男の子なら逞しく、女の子ならナイスバディーになるね」


 ルイーゼが夢見ているが、俺は彼女に似た小さくて可愛い娘が生まれるような気がしてならなかった。


「ヴェルなら、赤ん坊の性別を見分ける魔法を習得しようとすると思ったけど」


「一応、習得は試みたんだけどね……」


 特殊な魔法というのは本当のようで、『移築』と同じく俺には習得できなかった。

 もし覚えても、エリーゼたちには使わない予定であったが。


「どうして使わないの?」


「生まれてからのお楽しみだからだよ。まあ、結局使えないから使わないだけだけど。赤ん坊の性別判定を頼む予定はない」


「そうなんだ」


 イーナが、不思議そうな顔をしている。

 俺も伯爵になったので、跡継ぎを期待していると思ったからであろう。


「何人か産めば、一人くらい男が混じるって。そのくらいの気持ちで気楽にいこう」


 エリーゼたちが男産めプレッシャーでストレスが溜まらないように、俺はわざと軽く言った。

 この世界では、特殊な考え方なのかもしれないけど。


「ヴェンデリンさん」


「どうかした? カタリーナ」


「私もまだ赤ん坊の動く感じなどはいたしませんが、念のために確認してもよろしいですわよ」


「はあ……」


 エリーゼ、イーナ、ルイーゼのお腹には耳を当ててみたが、まだカタリーナにはそれをしていない。

 そこに不公平を感じたのかもしれない。

 こう見えて、カタリーナにはこういう可愛らしい部分もあるのだ。


「当然、耳を当ててみるさ。もしかしたら、聞こえるかもしれないもの」


 最後にカタリーナのお腹に耳を当ててみるが、やはりなにも聞こえなかった。

 『聴音』を使っても、彼女の心臓の音しか聞こえない。


「その魔法、使い方が難しいですわね……」


「私は覚えたいです」


 カタリーナはともかく、治癒魔法の使い手にして基礎的な医学知識があるエリーゼには役に立つ魔法かもしれない。

 魔法の習得なら動かなくても大丈夫なので、覚える時間を取っても構わないであろう。


「ヴェンデリンさん、聞こえましたか?」


「やっぱりまだ駄目だな」


「私たちは、ほぼ同じ時期に妊娠していますからね」


 赤ん坊の音は聞こえなかったが、俺は一つだけカタリーナの微妙な変化に気がついた。

 そう、ほんのわずかな変化であったが、彼女のお腹に耳を当てた時にふと気がついてしまったのだ。

 そして知ってしまった以上、俺はそれを口にせずにはいられなかった。

 なぜかって?

 誰しも、目の前にボタンがあってその横に『押すな!』という張り紙がしてあったら、押したくなってしまうのが心情ではないか。

 全然関係ないけど……。


「カタリーナ、少し太った?」


「ヴェンデリンさぁーーーん!」


「えっ? それを指摘してもらいたくて、お腹に耳を当てさせたのでは?」


「そんなわけがないでしょうが!」


 俺から太ったと言われたカタリーナが怒髪天を衝くかのごとく激怒してしまい、俺は彼女の機嫌を直すため、多大な苦労をする羽目になるのであった。

 妊娠したのだから、体重は増えているはずで……。

 そんなに気にしなくてもいいような気がする。






「旦那、女性に太ったかなんて聞くのは禁句だぜ、姉御もそう言っているし」


 カチヤが俺に注意している横で、リサが『うんうん』と頷いた。


「そうじゃのぅ、これは生まれや身分に関係なく、全女性と接する時に共通した決まり事と言っても過言ではないの」 


 テレーゼも、俺の味方はしてくれなかったのは残念だ。

 カタリーナの機嫌を直してから、俺たちは土木工事に出かけた。

 メンバーはリサ、テレーゼ、カチヤの合計四人、テレーゼはそろそろ実践をという理由で、カチヤはヴィルマの代わりに護衛役としてついてきている。

 ヴィルマはエリーゼたちの世話役として屋敷に残り、エルは警備隊の野生動物狩りに参加していた。

 未開地は野生動物が多くて狩りには最適なのだが、人が住むにはそこから彼らを駆逐しないと駄目だからだ。

 警備隊の訓練にもなるので、定期的に駆除がおこなわれている。


「いやね、ちょっと気がついたからつい口に出てしまって」


「駄目だなぁ、旦那は。カタリーナは妊娠しているんだし、それは言わないでおかないと」


 そうは見えないがカチヤも年上なので、俺は彼女から注意されてしまった。

 実家の騒動の時には無茶な行動をしたが、普段は意外と常識的な人なのだ。

 何気にローデリヒの奥さんと同じ名前だが、タイプは全然違う。

 もし顔を合わせたら、『同じ名前だ!』とか言いながら挨拶するのであろうか?

 この世界、実は同じ名前の人が多いけど。

 貴族だと、ミドルネームなどで被る人が多い。


「それよりも、早く橋の基礎を埋めるのであるな」


「今日は、アーネストもいたんだっけな」


「家族水入らずのところを済まないのであるな」


「いや、周りに工事関係者たちが沢山いるじゃないか……」


 実は、アーネストも今日の工事に参加していた。

 なぜかというと、今日は新しい橋の建設をおこなっているからだ。

 建造物は『移築』を利用した荒業でもなんとかなるが、橋は建設が非常に困難である。

 

『他の川に掛かっている橋を持ってきても、役に立たんのですわ』


 レンブラント男爵も、今までに橋の移築はしたことがないと断言した。

 川幅や水流の強さ、季節による水量の変化などがまるで違うので、他の川の橋を移築しても役に立たないのだそうだ。

 確かに、移築した途端に流されでもしたら笑えないな。

 そんな理由もあって、橋の建設には多額のコストと時間がかかる。

 とある貴族の領地で、『○○家当主三代の悲願であった橋がようやく完成した! 万歳!』というような話が普通にあった。

 バウマイスター伯爵領でも、実はバウルブルクから、カタリーナと初めて出会った冒険者ギルド魔の森支部まで向かう途中にある橋しか完成していない。


 バウマイスター伯爵領には大きな河が三本も流れているので、橋の建設は必要であったが、焦って適当な橋を作ってもすぐに流されてしまう。

 そこで、先に発掘したトンネルで使われていた特殊コンクリートと、俺が生成に成功している極限鋼の出番になる。

 これらを使用した橋脚を作り、多少の川の増水では流されない頑丈な橋を作る。

 橋脚などの基礎工事さえ終えてしまえば、上の部分は通常の工事でも十分に対応可能なはずだ。


「それで、いくつの橋を建設予定なのであるか?」


「ローデリヒの計画だと、三十以上だな」


「おおっ! バウマイスター伯爵は働き者であるな!」


「それは褒めているのか? アーネスト」


 小さな川の橋も合わせると百を超える。

 しかも、ローデリヒの計画次第ではその数が増える可能性があった。


「そのせいであるな。橋が実用的すぎて、考古学的にはつまらないものになってしまったのであるな」


「お前はこのあと一万年も生きて、遺跡になった橋でも発掘するつもりか?」


「いやいや、我が輩。未来の後輩たちが可哀想だなと思っただけであるな」


 極限鋼の鉄筋と特殊コンクリート製の橋脚は、デザインは非常にシンプルで、橋をかける川の幅に合わせて大きさを変えているだけであった。

 作っているのが俺だけなので、凝ったデザインとか言われても困るのだ。

 別に俺は、建築デザイナーではないのだから。


「その代わり、魔力さえあれば量産は可能だ」


 大量の橋脚を始めとする橋の部品をあらかじめ製造しておいて、それを現地で組み立てるわけだ。

 細かな装飾などがほしければ、別途ローデリヒが依頼するであろう。


「だから、魔法使いが三人必要なのか」


「テレーゼ、頑張ってくれよ」


「些か訓練ばかりで飽きたからの。こういう実践は大歓迎じゃな」


 作業分担はこうだ。

 まずは、俺が橋脚を立てる川底を露出させる。

 一部の川の流れを長時間上流から堰き止めるので、一番魔力量が多い俺の出番となった。


「次は妾か」


 テレーゼが、露出した川底に橋脚の基礎部分を埋める穴を掘る。

 最初は慣れない作業で時間がかかったが、次第に穴を掘るのにかかる時間が短くなっていく。


「……」


 最後は、リサが『念力』で橋脚を動かし、川底に掘った穴に埋める。

 埋め終わったら、橋脚の周りの川底を固める作業も忘れないで行う。

 傾きがないように精密な作業が要求されるが、リサはそれを難なくこなした。

 

「以上、これを繰り返して橋の橋脚を設置、その上に橋を渡していくと」


 上の橋も、すべて極限鋼と特殊コンクリートできている。

 一度に多くの馬車が通れるように幅を広くしたので、大重量に対応した作りにしたからだ。


「あとは細かい部分は任せる。さあてと、次の場所に向かうか」


「お任せを……。橋が一日でほぼ完成したよ……」


 建設現場にいた家臣は、あっという間に基礎工事が完成した橋を見て唖然としている。

 確か新しく仕官した人物で、まだ俺たちの魔法に慣れていないのであろう。


「新素材のおかげだな」


 やはり、特殊コンクリートと極限鋼は役に立つ。

 大きくて頑丈な橋が簡単に作れてしまうのだから。

 

「すさまじいの、これほどの橋が簡単に作れてしまうとはの……」


 以前は不可能だったのだが、やはり極限鋼の製造方法を得られたのは大きい。

 特殊コンクリートも、アーネストが製造方法を知っていて助かった。

 希少金属の配合量を資料で持っていたのだ。


「どうせローデリヒが追加で橋の建設を頼んでくるだろうから、急ぎ建設を進めておこう」


 こうしてわずか一ヵ月ほどで、大小合わせて百近い橋がバウマイスター伯爵領にかけられることとなった。

 初期の三十から大幅に増えたのは、やはりローデリヒが追加発注をかけたからだ。


『橋、道、港などのインフラが整えば、その領地は必ず発展するのです』


 この世界の人が新領地の開発に失敗するのは、そこに辿り着く、移動するのに必要なインフラの整備ができないという理由が大半であった。

 この世界に建設機械なんてないので、優秀な魔法使いか、人員の大量動員で工事をしなければならないのだけど、それができる魔法使いは少なく、人を集めればお金がかかる。

 世の中、なかなか儘ならない証拠であった。

 道はまだこれからも作らなければいけないが、空海両方の港と橋、整地などはひと段落ついたような気がする。

 などと思っていたら……。


「お館様、バウマイスター伯爵領が移動に便利だと知り、移住希望者が増えております。ここは急ぎ、町と村落建設予定地の基礎工事をお願いします」


「ローデリヒは、主の使い方が上手いの」


「旦那も、文句を言いながらもよくやっているよな」


「……」


 妊娠中のため『瞬間移動』が使えないエリーゼたちに代わり、テレーゼとカチヤとリサが土木工事についてくるようになった。

 だが、まだリサは俺と話をするまでには至っていない。


「姉御、ご機嫌だな」


 それでも、俺に笑顔を向けられるくらいには成長したので、あとは時間の問題だと思うことにするのであった。

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