閑話10 変わったお仕事

 今日は、王都の一番大きな書店で期待の新作小説が販売される。

 私、イーナ・ズザネ・ヒレンブラントは、お休みの日を調整し、朝早くに起きて書店の前に並んだ。


『イーナちゃんは、本当に本が好きだよね……』


 ルイーゼは私を奇特な人扱いするけど、読書が趣味の人なんて珍しくないのに大げさだと思う。

 自分は活字を三分以上読むと眠くなるって常々口にしているけど、本当にそんな物語の登場人物のような人がいるのかしら?

 いくらなんでも三分は短いと思う。


「間に合ってよかった」


 予想どおり、まだ開店前なのに書店の入り口には多くの人たちが並んでいた。

 さすがは話題の人気作ね。

 入荷する点数は多いと思うけど、もし売り切れてしまったら、次の入荷日まで読めなくなってしまう。

 その前に、重版するかどうかもわからないのよね。

 本を出版している工房の経営判断次第なんだけど、本を作るのにはコストがかかるから、せっかく重版したのに購入者が少ないと赤字になってしまうからと言って、重版に慎重な工房も多い。

 その結果、目的の本が手に入らない読者が王都中の書店を巡って探したり、古書店に流れていないか毎日チェックしたりと。

 結局、発売日に手に入れるのが一番手間がかからず、時間をかけてもちゃんと並んだ方が後悔しない確率は高いってわけ。


「開店の時間です。新作の購入希望者は順番にお願いします」


 一時間ほど待つと、開店の時間となった。

 書店員さんの誘導で、私たちは並んだ順番に本を買っていく。

 

「あれ? 思ったよりも入荷数が少ない?」


 もしかすると、私は購入できないかも。

 不安がよぎるのだが……。


「はい、今日の入荷分はお嬢さんまでですね」


 よかった。

 ちょうど私で最後の一冊のようだ。

 無事にお金を払って新作を購入することができた。


「そんなぁ……。もの凄く欲しかったのに、買えなかったとは……」


「入荷が少なすぎよ」


「他の書店は……駄目元で回ってみるか……」


 私の後ろに並んでいた人たちは、目的の本が手に入れられずに残念がっている。

 他の書店に駆け足で向かう人たちもいるけど、よほどの幸運がなければ、同じくすでに売り切れているはず。

 可哀想だと思うけど、この新作を他の人に譲るなんてできないわ。

 だって、無理を言って槍術の稽古のお休みを変えてもらい、今日は朝一時間早く起きて槍の自主稽古をしてから、書店の前に並んだのだから。


「すぐに屋敷に戻って、この新作を楽しむわよ」


「あの……すみません」


 購入した本を抱えて屋敷に戻ろうとしたら、突然後ろから声をかけられた。

 

「はい?」


 後ろを振り返ると、そこにはイケメンの好青年が立っていた。

 背は百八十五センチほどで、貴公子然とした風貌に、さわやかな笑顔が眩しい。

 ライトブラウンの髪はサラサラで手入れも完璧、よく見ると貴族だ。

 着ている服は一見地味だけど、服の素材や縫製が素晴らしい。

 変にキラキラした装飾を付けて着飾る下品な貴族ではない。

 こういうセンスのいい人は、ブライヒレーダー辺境伯様などに言わせると『本当の意味での貴族』なのだそうだ。

 でもそんな人が、私になんの用事なのかしら?

 もしかして、私をナンパ?


「お美しいお嬢さん。私は今あなたの御顔を拝見して、居ても立っても居られなくなりました」


 ええっ!

 本当にナンパなの?

 でも、私にはヴェルがいるし……。

 この人はもの凄く格好いい人だけど、よく知りもしない人について行くなんてあり得ないわ。

 相手は貴族様だから、もし強引な手法でこられたら……ここは一旦逃げて、ヴェルに助けてもらう。

 そこまでヴェルに迷惑をかけるってのも……でも、ヴェルからしたら、婚約者である私を横から掻っ攫おうとする貴族には強く出ないと、貴族としての沽券に関わるわけで……。

 私はひとしきり脳内で想像してから、一人勝手に動揺していた。

 もしこの人に求婚されたらとか、きっとこういう考え方がルイーゼに言わせると『物語思考』なのね。

 面と向かって言われるとムカつくけど。

 私一人だけで盛り上がってもね。

 もしかしたら、実は道を聞きたいだけかもしれないのだから。

 

「あの……私にどのような用件でしょうか?」


「実はですね、あなたにお願いがあるのです」


「お願いですか?」


 この人は貴族だから、もしかすると変なことを言ってくる可能性があるのよね。

 でも、ヴェルの名前を出せば変なことはしてこないはず。

 見た感じは、とても常識のありそうな好青年に見えるから。

 そうだ!

 書店の前だから、ブライヒレーダー辺境伯様と同じで、この人も本が趣味なのかもしれない。

 私が買った本を譲ってほしいとか?


「叶えられるかはわかりませんが」


 本は譲らないわよ。

 絶対に。

 だって、苦労して並んで買った新刊だもの。


「そうですよね。ですが、できたら受け入れていただきたい」


「どのようなことでしょうか?」


 私は、前に立つ好青年貴族の発言を待つ。

 どんなお願いなのか、待っているだけでドキドキしてきたわ。


「実はですね、私を罵っていただきたいのです」


「はい?」

 

 私は一瞬、この好青年貴族がなにを言っているのか理解できなかった。


「ですから、罵ってほしいのです。『いい年をしてナンパ? そんな一人前の成りをして恋人や奥さんくらい普通にいないの! このキモい豚貴族が!』という感じにです」


「……」


「あなたのような方に、私は思いっきり罵られたいのです。是非お願いします」


「ええっーーー!」


 見た目に反してとんでもないことを言う好青年貴族に対し、私は思わず町の往来で大声をあげてしまうのであった。





「ということがあったのよ……」




 そのおかしな貴族を振り切って屋敷に戻ると、すぐヴェルに彼のことを報告した。

 私に罵って欲しいと懇願する、イケメンの好青年貴族に出会ったのだと。


「変わったナンパだな……」


 ヴェルも他に言いようがないのだと思う。

 どう対処していいものなのか、彼も困っているのであろう。


「変な話だね。その人、もの凄い美男子だったんでしょう」


 ルイーゼが興味深そうにその貴族の様子を聞いてきた。

 確かに、なにも言わなければあれほどの美男子はなかなか存在しないわね。

 あの発言では、どんな女性でも百年の恋も醒めると思うけど……。


「いきなり罵ってくださいじゃあ、他がすべて完璧でも、ナンパの成功は覚束ないわよ」


「変な奴、素直にナンパすればいいのに」

 

 エルなら、そう言うと思ったわ。

 私は知っているのよ。

 剣の訓練が終わると、あなたがたまに王城に勤めているメイドさんに声をかけているのを。

 そして、思ったよりも成果が芳しくない事実を……。


「あの……お館様?」


「うーーーん、実はその方にもの凄く心当たりが……」


 今日は、王城で所用を済ませてきたブライヒレーダー辺境伯様がブランタークさんを連れて屋敷を訪ねていた。

 私が話をした貴族に心当たりがあるみたい。


「イーナさん、その人なんですけど……」


 ブライヒレーダー辺境伯様が語る身体的な特徴と、私が出会った貴族とはほぼ一致した。

 つまり、彼の心当たりは正解であったということね。


「その人はですね……ガーランド男爵というお方です」


 年齢は二十三歳で、去年父親の急死で男爵領を相続した在地貴族だそうだ。

 その領地は、男爵領にしては豊かであるらしい。


「私と同じで腕っ節は駄目ですけど、統治手腕はなかなかという方ですね」


「よくご存じですね」


「私も文官系貴族で、彼もそうですからね。趣味も合いますので、友人でもあるのです」


 貴族の交友関係には、寄親、寄子、縁戚、在地貴族なら近隣の貴族にも仲がいい人がいるパターンが多い。

 隣接しているがために、利権、領地争いで犬猿の仲の人もいるけど。

 そして、もう一つ。

 文官系、武官系という分け方もあるみたい。

 ブライヒレーダー辺境伯様は中央の職を世襲している法衣貴族じゃないけど、武芸は全然駄目で、内政家として知られている。

 ブライヒレーダー辺境伯家自体が、代々あまり武芸の得意な当主が出ていないと、父から聞いたことがあった。

 だから、私やルイーゼの実家はそれなりに重要視されているのだけど。

 ブライヒレーダー辺境伯様は武芸が駄目で、その系統の趣味には興味がない。

 読書や作詩などを趣味としており、同じ趣味を持つ貴族と仲良くなっていく。

 いわゆる、趣味友というやつね。

 こういう趣味友は、血縁、寄親、寄子、職務派閥などを超えてのつき合いとなるので、時に侮れないコネとなるケースがある。

 貴族の趣味は、すべてが遊びというわけではない証拠ね。


「そのガーランド男爵様が文学を愛する貴族だというのはわかりましけど、それと『罵ってください!』になんの関係が?」


「『罵ってください!』と、彼の文学的趣味との接点はありませんね。どちらかというと、彼の被虐嗜好の問題ですから」


「聞かなければよかったような……」


 あの一見好青年貴族が、女性に罵られて喜ぶ人だったなんて……。

 せっかく美男子に生まれてきたのに、世の中には知らない方が幸せなことってあるものね。


「イーナさん、まあ聞いてください。彼は若い頃から苦労しているのです」


「苦労ですか?」


「ええ、彼の亡くなられたお父君は昔から病弱でして……」


 ガーランド男爵領の統治実権は、成人前から若き跡取り息子に移っていたそうだ。


「彼には才能がありましたけど、十才になったかならないかの頃から、領内の統治を実質一人で切り盛りしていたのです」


 私が十歳の頃は……それと比べるともの凄いプレッシャーね。


「私は文学作品の書評サロンにおいて、成人前から彼の相談に乗っていました。私も二十歳前に爵位と領地を継いで苦労しましたからね。似たような境遇の彼を放置できなかったのです」


 そんな事情があって、年は少し離れているけど、ブライヒレーダー辺境伯様とガーランド男爵様は親友同士なわけね。


「十代の若者の肩に、二万人を超える領民と家臣たちの生活が圧し掛かるのです。これは、プレッシャーですよ」


「二万人ですか……」


 確かにそう言われると、私なら逃げ出すかもしれない。

 貴族でない人は貴族を羨ましいと思うけど、そういう苦労もあるのね。


「彼の場合、自分で領地の開発に成功して人口を増やしましたからね。領民たちから絶大な支持があるのですが、その支持に応えるべく毎日奮闘し、徐々にストレスが溜まっていきます。たまに貴族で、人を人とも思わない傲慢な方がいるでしょう?」


 領民なんて家畜以下で、そういう風に扱うのが常。

 そんな統治をして領民たちの逃散や反乱を招き、たまに改易される貴族がいるとは聞いたことがある。


「親の教育とか、本人の資質もあるのでしょうが、自分がいきなり数千、数万人のトップだと言われたことを想像してみてください。中には、自分の立ち位置を見失っておかしくなる人もいますよ」


 ブライヒレーダー辺境伯様の愚痴にも聞こえるけど、つまりガーランド男爵様にも同じようなストレスがあるというのはわかったわ。


「ヴェルも、もう何年かすると……」


 多くの領民たちの統治に翻弄され、ストレスで疲弊する日々が来るのかもしれないのね。


「バウマイスター男爵の場合は、魔法のせいで馬車馬のように働かされる未来の方が切実でしょうけどね」


 そういえば、今も教会やインチキ不動産屋さんの依頼で除霊をよくしているわね。

 本人は、エリーゼと一緒で楽しそうだけど。


「えっ? そうなの?」


「そうですよ、諦めてください」 


 ヴェルがブライヒレーダー辺境伯様からピシャリと言われて、顔を引き攣らせた。

 馬車馬扱いは、私も嫌ね……。


「バウマイスター男爵のことは置いておいて……」


「置いておかれるのですか?」


 ヴェルの問題は、まだ表面化していないから……。


「バウマイスター男爵は今困っていないので……。問題はガーランド男爵です。彼は自分が懸命に統治を行う過程で、多くの領民たちが自分になんの疑問も抱かず従うことに恐れを感じたのです」


 確かに身分は違うけど、領民たちとて同じ人間のはず。

 どうして、まだ若造でしかない自分の命令になんの疑いもなく従うのか?

 考えれば考えるほど恐ろしくなった。 

 けれど、それを領民たちに話して不安がらせるわけにはいかない。

 ガーランド男爵領のトップである彼が自分の立ち位置を再確認し、おかしな方に向かわないようにするため、女性に罵られる。

 これが、彼なりのストレス発散方法なのだと、ブライヒレーダー辺境伯様が教えてくれた。


「もっと他に、なにかないのですか?」


 気持ちはわかるけど、方法に問題があるわよね。

 せっかく美男子に生まれているのに……。


「と、思わなくもないのですが、これが一番効果があるそうです」


「なぜ女性なのでしょうか?」


「簡単に言うと自分が男性だからでしょう。私も、男に怒鳴られてもただ腹が立つだけですから。女性で、どちらかといえば若くて美しい方が……ねぇ?」


 『ねぇ?』と言われても、正直困ってしまう。

 人を罵るのが仕事なんて、生まれて初めての経験だからだ。


「私はヴェルの婚約者ですし、これはヴェルが許可を出さないことには……」


 私は未婚の女性なので、そのガーランド男爵様と二人きりにはなれない。 

 たとえ、ただ罵るためだけでもだ。


「だそうですが、どうです? バウマイスター男爵」


「世の中には色々な人がいるからなぁ。もしかすると、俺もイーナから罵られてストレス発散をするようになるかもしれないし、試しにやってみたら?」


「えっ? ヴェルもそういう趣味があるの?」


「ないけど、言ってみただけ」


 今まで静かに話を聞いていたヴェルは、呆気ないほど簡単にブライヒレーダー辺境伯様からの要請を受け入れ、揚句に私が罵る言葉の草案を考え始めた。


「このスカした、好青年ぶっているけど罵られるのが大好きな変態男爵! お前のような変態性癖を持つ貴族は……。エル、他になにかいい文句を思いついたか?」


「いや、俺が考えると不敬になるからさ」


 ヴェルからアイデアを尋ねられたエルは、心の底から嫌そうな顔をしている。

 もし自分が考えたのがバレて、ガーランド男爵様に恨まれるのが嫌なのだと思う。


「俺の発案ということにするから、なにか考えてくれよ」


「王都ってのは、変わった貴族様が多いよなぁ」


 結局私は、ヴェルたちが記述した草案に基づいて、ガーランド男爵様を罵ることになった。

 それにしても、貴族と関わると色々と不思議なことが起こるのね。





「こんにちは、イーナさん」




 翌日、ブライヒレーダー辺境伯様の呼び出しでガーランド男爵様が屋敷に顔を出したのだけど、会うなり『罵ってくれることになって本当に嬉しいです。ありがとう』では言葉の返しようもない。


「バウマイスター男爵殿、ありがとうございます」


「将来のことを考えると、他人事とも思えませんし」


「そう言っていただけるなら」


 こういう時のヴェルは、もの凄く無難な対応をする。

 実は、こういうことに慣れている?

 でも、どこでそんな経験をしたのかしら?

 他人のそういう対応を見てすぐに覚えたのね、きっと。


「一つお聞きしたいのですが、どうして私なのでしょうか?」


 これが一番の疑問よね。

 だって、王都には沢山の女性がいて、私よりも綺麗な人なんて沢山いるのだから。


「どうしてって、私は、町中であなたを見かけた時にビビっときましたよ。ああ、この人に冷たい視線を送られながら罵られたいと」


「はあ……」


 ええ、どうせ私は見た目が少し怖いですよ。

 最近、女性にしては背も伸びてきたし、百七十センチの女性って、男性に敬遠されやすいのよね。

 ヴェルはまったく気にしていないようだけど。


「たとえばですよ……」


 今日は、エリーゼとルイーゼもつき合ってくれた。

 こんな下らない用件なので申し訳ないけど、これはガーランド男爵様の秘密に該当する事柄で、こういう秘密を暴露するということはヴェルと仲良くしたいと心から願っている証拠なので、エリーゼたちも顔を出しているみたい。


「聖女殿も怒るとなかなかだと思うのですが、普段は温和な方なので罵られた時のゾクゾク感が足りません。ルイーゼさんに至っては、可愛い妹に怒られているようで、それではほのぼの感が出てしまうではありませんか」


 ガーランド男爵様は、自分が罵られるにおいて最高のシチュエーションを説明し始める。

 その表情は真剣であり、彼のイケメンぶりを強調していたけど、話している内容が内容なので残念感が著しい。

 その情熱を、もっと他のことに使えばいいのに……。

 でも、いい領主様なのよねぇ……。


「では、お願いしますね」


 早速、罵りタイムが始まるようね。

 仕切っているのはヴェルだから、私は言われたとおりにするだけだけど……。


「イーナ、ちゃんと覚えた?」


「ええ……」


 昨晩、ヴェルが懸命に考えた罵りの言葉を私は完璧に暗記した。

 カンペを見ながらだと興醒めするからだそうだ。

 昨日、ガーランド男爵様はそんなことは言っていなかったけど、ヴェルがそう言ったのよ。

 先ほどそれを知ったガーランド男爵様は、ヴェルに『バウマイスター男爵殿はよくわかっていらっしゃる』と褒めていた。

 ヴェルがたまに見せる、変な察しのよさってなんなのかしら?


「では……」


「えっ! どうして土下座を?」


「私は罵られるのですよ、偉そうにふんぞり返っていてはおかしいではないですか」


 真面目な表情で力説するガーランド男爵様。

 この人はもの凄くイケメンだけど、もうなにがあってもこの人には一生ときめかないと思う。


「始めます」


 私は、土下座をしたガーランド男爵様に向けて、昨晩覚えた罵り言葉をぶつけた。


「この! いつもは領民に慕われる男爵様の風を装っている癖に、陰でコソコソと罵られたいなんて下種でカスな願望を口にする○ニャチ○犬野郎! お前のようなカス男は、みじめに土下座しながら、私のような小娘に罵られて喜んでいるのがお似合いなんだよ!」


 少し短い気もするけど、ヴェルに言わせると長ければいいというものでもないらしい。

 あと、罵り言葉だけではなくて冷たい視線や立ち方なども演技指導を受けている。

 他にも、罵り言葉にも禁句があって、それはブライヒレーダー辺境伯様が監修をしたそうだ。

 激しくどうでもいい事実だけど、本当に監修したのかしら?


「どうですか? ガーランド男爵様」


 ふと気になって彼に視線を送ると、彼は顔を下に向けながら小刻みに震えていた。


「もしかして、駄目でしたか?」


 ひょっとすると、言ってはいけないワードを口にしてしまったとか?

 私が心配していると、立ち上がって私の両手を握った。


「久々に、体の芯からゾクゾクしました。イーナさん、ありがとうございます!」


 ガーランド男爵からもの凄く嬉しそうにお礼を言われているけど、なぜか私は喜べなかった。

 

「いやあ、いい仕事してますね。イーナさん」


 仕事?  

 これは仕事なの?

 ああ……、仕事よね。

 だって、ヴェルとブライヒレーダー辺境伯様に頼まれたのだから。


「本当にありがとうございました」


 私の罵られてストレスが解消したのか、ガーランド男爵様はいつもの貴公子然とした姿に戻り、颯爽とした表情で屋敷を去って行く。

 私にお礼として、いくばくかのお金と、人気シリーズの著者サイン入り本セットを渡して。


「イーナちゃん、この作家さんのファンだよね」


「さすがは男爵様……」


 罵られたいなんて変なことを言っていても、力があるのよね。

 コネで、人気作家にサインしてもらえるのだから。

 こうして私の奇妙なお仕事は終わったのだけど、後日私はまた同じトラブルに巻き込まれることになってしまった。





「実は、ガーランド男爵殿に聞きまして」


「心の芯からゾクっとする罵りがここで受けられると」


「私のことを『食い意地の張った豚野郎!』と罵ってください」


「私は『ウラ生りのモヤシ野郎で』」


「いやぁーーー!」


 数日後。

 屋敷を訪れた数名の貴族たちから、ガーランド男爵様と同じように罵ってほしいと頼まれてしまった。

 なんなのよ、この人たちは!

 本当に貴族なの?

 類は友を呼ぶというやつなのかしら?


「ヴェルぅーーー! 助けて!」


「臨時で引き受けた仕事ですから、これを通常の業務にする予定はないのですけど……」


 ヴェルも困惑していたけど、すぐに私に代わる新たな人材をあの人が見つけてくれて、私は人を罵る仕事をしないで済むようになった。


「ああ、そういう嗜好のやんごとなき方々を、極秘裏に罵るうら若き女性ですね。ツテはあります」


「あるんだ……」


「拙者、用心棒役も含む、水商売系のアルバイトも経験しておりまして……」


 ローデリヒさんがなぜヴェルに雇われたのか、よくわかる人脈の広さであった。






 とある日の、ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスター秘密の日記。


 昨日今日と、イーナが大変だった。

 ああいうタイプの女性に罵られたいと願う男性は、日本のみならずこの世界にも一定数存在するようだ。

 貴族が多いような気もするけど、接点がないだけで平民にもいるのかもしれない。

 そういえば、前世に勤めていた商社でも聞いたな。

 凄腕で自信満々な、将来の社長と目されている剛腕部長が、女王様に罵られるのが大好きだというのを。

 ああいう場所の客には、政治家とか、医者とか、弁護士とか、社長とかの比率が高いと聞く。

 きっと普段は偉そうにしている分、逆に罵られることで心のバランスを取っているのであろう。

 俺は、ああならないように気をつけないと。

 なお、イーナがガーランド男爵を罵っている姿を見て、少しゾクっとしたのは秘密である。

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