第271話 リサという女
自分の弟子であったカチヤと、これまで魔法使いだとは思われていなかったテレーゼの魔力が増強された原因を探ろうとした、気が強い魔法使いリサ。
彼女はその名に恥じぬ実力の持ち主であったが、俺との決闘でそのゴージャスな衣装とメイクが取れたら、急に大人しくなってしまった。
メイクが取れたあとは、二人の魔力量が増えた原因を聞かれなくなった。
スッピンのリサは極度の人見知りで、派手な衣装とメイクがないとろくに男性と話せないことが判明。
大人しくなったリサは、今は屋敷に居候しつつ、それでも朝には真面目に魔法の特訓を行っている。
その魔法の精度は、カタリーナが称賛するほどであった。
最初の印象からは想像が つかないが、魔法に関しては真面目に練習をおこなうようだ。
ただ一つ問題があった……。
「俺は、十五年も前からの顔見知りじゃねえか!」
急にオドオド系美女になってしまったリサは、ちょい悪オヤジであるブランタークさんが苦手なようだ。
彼を見ると、誰かの陰に隠れてしまうようになってしまった。
「お前、前に俺が魔法を教えていた時には、もっと偉そうだったじゃないか!」
ブランタークさんが怒ると、リサは怯えてカタリーナの後ろの隠れてしまう。
彼女は日々こんな調子なのだが、逆にそのおかげで女性陣からの非難は一切消えた。
元の高慢チキな性格よりも、今の方がよっぽど好ましいと思われたからだ。
「元の服装とメイクに戻せよ」
「……なるほど……リサさんは、この格好でも普通に人と話せるようにしたいそうです」
ブランタークさんからの提案をリサはカタリーナに小声で伝え、彼女からの返答をカタリーナに代弁してもらうことで答える。
男性であるブランタークさんに直接言えないので、カタリーナが伝言役というわけか。
案外、面倒見がいいんだな。
「それって、可能なのか? 生来の気質ってのは、そう簡単に治るとは思えないんだよなぁ……」
三十歳近くまでリサの性格は改善しなかったわけで、ブランタークさんが心配になるのもわかるというか……。
「ブランタークさん、こういうことは時間が必要なのでは?」
「まあ、伯爵様が逗留を認めている以上、俺が口を挟む案件じゃないけどな……」
「……リサさんは、ヴェンデリンさんに感謝しているそうです」
「それはどうも……」
皮肉なことに、屋敷にいる男性の中で一番リサに好かれているのが俺であった。
まだ直接は話せずに女性陣の通訳が必要だが、顔を合せても怖がられたり目を逸らされたりはしない。
エルと導師は、最初から怖がられてしまって駄目だった。
まあ導師はリサでなくても……どういうわけか、女性のウケはそう悪くないんだった!
「うーーーん、難儀な人だな……」
自分も避けられてしまっているので、エルはどうにも手が打てないといった態度だ。
「このままだと問題のような……」
「徐々に慣らすしかないんじゃないか?」
エルの意見はありきたりなものであったが、一番手堅く……他に策がないとも言えるけど。
「少しでも男性に慣らすため、外に出かけたらどうだ?」
「遠くからでも、男性に慣れてもらうか」
エルの勧めにより、俺たちは王都に出かけることにした。
普通に考えればデートだが、今のリサに俺と二人きりの状況など耐えられるはずもない。
他にも色々と用事等があって、王都行きは俺、リサ、カチヤ、テレーゼ、アマーリエ義姉さんというメンバーになった。
「これはもうデートじゃないな」
「私は通訳? 王都に行けるのは嬉しいけど」
リサは、アマーリエ義姉さんの傍らから離れなかった。
この人と二人きりでデートするなんてことが、俺が死ぬまでに実現するのであろうか?
非常に興味深いところだ。
「まあ元より、貴族の子息や令嬢が二人きりでデートなどというのは滅多にないからの。下級貴族ならばいざ知らず」
テレーゼに言われて俺は思い出した。
そういえばエリーゼと初めてデートした時も、セバスチャンのみならず、他にも何名か護衛がいたのを。
護衛の方は俺たちに気がつかれないようにしていたが、間違いなくホーエンハイム枢機卿の差し金であろう。
「エリーゼたちは妊娠しており『瞬間移動』は危険、ヴィルマはエリーゼたちの世話で残った。比較的、新しくヴェンデリンの妻になったか、そういう関係になった者たちばかりじゃの」
リサは違うが、彼女にいちいちそんな細かいことを指摘して時間を無駄にしたくない。
そういえば、テレーゼとカチヤはまだ一緒に王都に出掛けたことがないので、いい機会だと思うことにしよう。
「どんな事情があるにせよ、今日はお休みなのじゃ。ヴェンデリン、エスコートせい」
その時点ですでに、お休みなのにお休みではないような気もしたが、気にしないで王都での時間を楽しむことにしよう。
とは言っても、女性が四人もいるのだ。
主な目的は、どうしても買い物になってしまう。
大人しく付き添うのが、俺の最大の仕事になりそうだな。
「バウルブルクのお店も大分品数が増えたが、やはり一国の主都には負けるというものよ」
商業街にある洋品店で、テレーゼは色々な服を……今回同行したカチヤに当ててみながら話を続ける。
「テレーゼ、あたいはいいよ」
「いいわけがあるか。私服の基準が、動きやすさのみなのはどうかと思うぞ。それに、もう少し服を持て」
「今ので十分だと思うけどなぁ……」
テレーゼの指摘どおり、カチヤはあまり服を持っていない。
冒険者としての装備と、嫁ぐ時に実家が用意した貴族の妻として相応しい他所向きの服。
これを除くと、地味な動きやすい服しか持っていなかった。
実家であるオイレンベルク騎士爵領時代からの生活を、そのまま引きずっているのだと思う。
「それでは困るぞ」
「そうか? あたいの持っている服が少ないくらいで、誰も困らないと思うけどなぁ」
「バカ者、お主はヴェンデリンの妻なのだから、プライベートでもそれなりの服を着て当然じゃ」
テレーゼは、カチヤに説教を始めた。
いくら本人はよくても、カチヤの服装のせいで、俺が非難されたり侮られることもあるのだと。
「ヴェンデリンが、カチヤに粗末な服しか与えていないなどと言う噂が流れたら、オイレンベルク卿がいい気分をしないはずじゃ。小なりとはいえ、娘が粗末に扱われていると思うはず。そういう隙を、貴族というのは厭らしく突いてくるのでな」
「他の貴族の諍いは、自分のチャンスだと考えている貴族は多いわね。カチヤ、だから今日は逃げられないわよ」
「貴族の妻になった以上は、諦めてある程度は着飾ってもらうぞ」
「わかったよ……」
カチヤは渋々と言った感じで了承し、テレーゼとアマーリエ義姉さんに色々と服を試着させられていた。
あきからに面倒臭そうだが、態度や口調とは違って綺麗な顔をしているのでどんな服装もよく似合う。
「それとな、妾たちがある程度浪費しないと下々に金が届かぬであろう? 浪費で家を傾けるのは論外じゃが、ある程度の消費は下々のためなのじゃ」
やはり、こういう貴族的な部分ではテレーゼが圧倒的に理解が深い。
生まれながらの貴族だからだろうな。
俺なんて伯爵なのに、いまだに貧乏性だから。
「わかったけど、それでもあたいは姉御よりはマシだぞ。なにしろ姉御は、あの派手な服以外、一着も持っていないんだからさ」
派手な服装でないとあの言動が保てないので、リサはプライベートでもずっとあの格好だったそうだ。
実は今着ている服は、背格好が近いカタリーナから借りているものであった。
「だから、アマーリエと選んでおるではないか」
確かに、二人で沢山の服を試着しながら選んでいた。
「ヴェル君、リサさんはどう?」
「よく似合っていますね」
アマーリエ義姉さんのセンスもよかったようで、リサは以前のハデハデしい服装ではなく、落ち着いた綺麗なお姉さんに見える。
アマーリエ義姉さんは、コーディネートが上手なようだ。
「リサさん、似合っているって」
アマーリエ義姉さんにそう言われると、リサは顔を俯かせて少し恥ずかしそうだ。
どうやら、まだアマーリエ義姉さんの通訳がないと、俺と話ができないらしい。
通常の生活では主にアマーリエ義姉さん、魔法の修練などではカタリーナが通訳……作業分担が早いなぁ。
奥向きのことは、安心して任せられるか。
「他にも、色々と見繕いましょう」
アマーリエ義姉さんの意見に女性三人が従い、ここぞとばかりに沢山の服を見定め買い始める。
こうなると、一番暇になるのは男である俺だ。
俺も服には無頓着な方だし、それでも伯爵ともなれば、毎日着る服はメイドたちが用意してくれるようになったので楽ではある。
ここは女性専門の洋品店なので、俺に用事はない。
俺はただ三人を見守り、試着した服が似合うか似合わないか言う作業のみを繰り返した。
「似合うと思うよ」
「ヴェンデリン、もう少し女性を褒める語彙を磨けよ」
似合うか似合わないかしか言わなかったら、テレーゼから注意されてしまった。
だが、俺にそんな高度なものを求められても困ってしまう。
「ああ、君は薔薇のように可憐だね」
「寒気がするの……」
せっかく勇気を振り絞って言ったのに、テレーゼの評価は酷いものだ。
「テレーゼが、俺の語彙が少ないって言うから!」
「言えばいいというものではないぞ」
「ううっ……今度、エーリッヒ兄さんにでも聞いてみようかな?」
「なかなかに洗練された兄君らしいの」
俺の努力は無駄に終わったが、服の買い物は無事に終わったようだ。
みんな自分で出すと言ったが、俺は有名人で周囲の目もある。
俺が金貨を出して、全額を支払った。
応対している洋品店の店主が、誰にでもわかるほど嬉しそうな顔をしている。
俺たちは、よほど気前のいい客だったようだ。
「ありがとうございました」
洋品店を出ると、もう時間はお昼前であった。
そろそろお腹が減ってきたな。
「じゃあ、そろそろ飯でも……」
「ヴェンデリン、まだ終わっておらぬぞ」
「なんですとぉーーー!」
最初の洋品店だけで二時間以上の時間を費やしたというのに、まだ買い物は終わっていない言うのか?
テレーゼよ!
「ヴェル君、あとは下着とか、アクセサリーとか、靴とかも必要でしょう?」
アマーリエ義姉さんは、テレーゼと同じ意見であった。
まだ買い物は終わっていない……そんな……。
「旦那、あたいも飯が食いたいんだけど……」
「カチヤ、お主の分もあるのじゃから欠席は許さぬぞ」
「そんなぁーーー!」
俺とカチヤの願いは空しく、その後も俺たちはいくつかの店を梯子して、四時間以上も時間を費やしたのであった。
しかし世界は違っても、女性の買い物に賭ける情熱って凄いよね。
「もうこんな時間か……昼飯とオヤツを要求する!」
「あたいも!」
テレーゼとアマーリエ義姉さんが長時間買い物につき合わせるので、もう時間はお昼を大分回ってしまった。
すでにオヤツの時間であり、腹が減った俺とカチヤは、なにか食わせろと声をあげた。
昼飯抜きは、健康に悪いと思うんだ。
「お主ら、気が合ってよかったの」
貴族らしくない貴族家の生まれという共通項もあり、俺とカチヤは行動パターンや好みに共通項が多かった。
冒険者としての装備には手を抜かないが、私服はどうでもいいし、美味しい食事が好きなどの共通点があったのだ。
「リサさんも、なにか食べたいそうよ」
静かに、リサも俺とカチヤの意見に賛同してくれた。
これで過半数だ。
なにか食べに行くという意見の方が優勢になった。
「別に、食べに行かぬとは言っておらぬではないか」
テレーゼも、お腹が減っていたようだ。
食事に行くという俺の意見を否定しなかった。
「さて、なにを食べに行こうか?」
「肉!」
「カチヤ、お主は年頃の女子とは思えぬの……」
誰に憚ることなく、天下の往来で肉が食べたいと大声を出したカチヤに対し、テレーゼは呆れていた。
俺は別におかしいとは思わないのだが……ああ、導師がいつもこんな感じだからか。
でも、カチヤは導師ほど食べるわけでもないし、好きな物を食べた方がいいと思う。
「アマーリエ義姉さんとリサはなにが食べたい?」
俺は男性なので、女性に譲ってなにか食べたい物はないかと尋ねた。
好き嫌いはないので、どこでもそれなりに食事を楽しめるはずだ。
「そうね……私は夕食までそんなに時間もないから軽いものを。リサさんは、甘い物が食べたいそうよ」
甘い物か……。
普通の女性らしい反応だな。
「それじゃあ……」
無難に、少し高級なレストランに行くことにした。
そこならある程度メニューが充実しており、デザートの種類も多いからだ。
レストランはお昼時をすぎていて客も少なかったが、俺は一応有名人なのでお店側が気を使って、奥の特別室に入れてくれた。
ウェイターに料理を注文すると、三十分ほどで次々と頼んだ料理が出てくる。
「美味そうなステーキだな」
「カチヤ、そんなに食べて大丈夫か?」
「テレーゼこそ、お腹が空かないか? 最近、食べる量が増えたんだよなぁ。その割には、少し痩せたし」
「それは、魔力が上がったからだな」
魔法使いは、大量の魔力を消費する人ほどカロリーも消費するので大食になる。
カチヤの魔力量が上がり、使用する魔力が増えると、自然と消費カロリーが増えるという仕組みだ。
「いや、それは妾も知っておる。確かに、以前よりも食べる量は増えたの」
テレーゼは、魚料理とサラダ、パンを頼んでいた。
一般的な食事量であったが、魔法使いになる前のテレーゼは小食だったから、食べる量は確実に増えている。
「最近、服を着ると少し緩かったのじゃが、やっぱり妾は痩せたのじゃな」
「いいわねぇ……魔法使いって、そういうメリットもあるのね」
アマーリエ義姉さんが、カチヤとテレーゼを羨ましそうに見た。
女性にとって、ダイエットとは永遠の課題のようだ。
ただし、昔の実家では考える必要がない問題でもあった。
「ということは、リサさんはこれを全部食べても大丈夫なのね……」
リサは、パフェ、ケーキセット、クレープを頼み、マテ茶を飲みながら美味しそうに食べている。
さすがの俺でも、少し胸ヤケがしそうな量だ。
「姉御、甘い物なんて食べるんだな」
「えっ? 大好きだって聞いたわよ」
アマーリエ義姉さんはリサの通訳をしているので、男性がいない場所では彼女と色々と話をしているようだ。
「あれ? でも、昔にあたいを食事に連れて行ってくれた時には……」
カチヤは、リサが蒸留酒と味の濃いツマミばかり飲み食いしていたと、俺たちに話した。
「それは、あの格好と言動を維持するために必要な演技ですって」
アマーリエ義姉さんは、リサに信頼されているようだ。
カチヤの疑問に、本人の代わりに答えられるくらいなのだから。
「演技で、大ジョッキを二十杯以上も空けられるのかよ……」
「お酒はあまり好きじゃないけど、飲んでもあまり酔わないそうよ」
酒があまり好きじゃない大酒飲み、というのも凄いと思う。
確かに、甘い物はとても美味しそうに食べているな。
「なんか、あたいの中の姉御像とは全然違って、初めて出会った人みたいだな」
ブランタークさんと同じく、リサと面識があったカチヤも、彼女の変化に戸惑いを隠せないようだ。
「まあ、どっちでも姉御には変わりないか。ステーキお代わり!」
カチヤは、あまり細かいことを気にしないようだ。
すぐに気分を切り替えて、ステーキのお代わりを頼み、再び食事に没頭した。
「よう食べるの」
「肉は美味しいじゃないか」
「美味しいのには賛同するが、妾ではこんなに食えぬわ」
食事のあと、今日は屋敷で留守番をしているエリーゼたちへのお土産を選んでから屋敷に戻った。
リサとはまだ直接話せてないが、アマーリエ義姉さん、カチヤ、テレーゼとも出かけられたし、実に有意義な休日であったと俺は思うのであった。
「はあ? 大酒飲みなのも演技だったのかよ!」
集団デートから数日後。
所用で屋敷を訪ねてきたブランタークさんが、リサの話を聞いて目を丸くした。
まさか、彼女が酒に酔わない体質なだけで、本当は酒があまり好きではなかったなんて、微塵も思っていなかったのであろう。
「大酒飲みの方が、冒険者として舐められないと思ったそうです」
また律儀に、アマーリエ義姉さんが通訳をしてくれた。
「それは間違っていないけどな。だが男からすると、大酒飲みの女なんてご遠慮願いたいぜ」
確かに、男性に対してあまりいい印象を与えないはずだ。
だからリサはこの年まで未婚……これだけが原因ではないと思うけど、原因の一つではあるはず。
「昔に一度だけ食事に行ったけど、もの凄く飲んでたもんな」
リサと同じくブランタークさんから指導を受けた魔法使いたちと、一度だけ懇親会を兼ねた食事会をした事があるそうだ。
その時にも、一人で蒸留酒を大ジョッキで二十杯以上空け、ブランタークさんを呆れさせたらしい。
「それが、今では一滴も飲まずか……」
今のリサは、酒を飲まずに間食や食後のデザートで出てくる菓子を楽しみにしている。
普段飲んでいる飲み物も、マテ茶に変わった。
「まあ、いいことじゃねえか。好きでもないのに酒を飲むなんぞ、酒への冒涜だし」
酒好きであるブランタークさんから言わせると、酒が好きではない奴は酒を飲むなということらしい。
懸命にお酒を造っている人たちに対し失礼とか、そんな理由であろうか?
「俺が飲む分が減るからな」
だが、その理由は完全に自己中心的なものであった。
「ブランタークさんのことだから、『俺の方が沢山飲める、勝負だ!』とか言うのかと思った」
「おいおい、伯爵様。俺は導師じゃないんだぜ」
と、ブランタークさんが俺に言った直後、彼は大切なことを思い出した。
それは、今日は導師もバウマイスター伯爵領に来ていたという事実をだ。
「面白いのである! ブリザードのリサが、某よりも酒飲みだというのであるか?」
「ブランタークさん……」
「口が滑った……」
導師は、しょうもない理由でムキになることが多い。
定期的に、ヴィルマに対し大食い勝負を仕掛け、勝手に負けて悔しがったりしている。
今回も、リサが沢山お酒が飲めるという事実が、彼の好奇心をそそったのであろう。
「ブリザードのリサよ! 勝負なのである!」
突然導師から勝負するようにと言われたリサは、相変わらず導師が苦手なのでアマーリエ義姉さんの陰に隠れてしまった。
「伯父様、お酒の勝負は危険です。おやめください」
エリーゼが、慌てて止めに入る。
この世界でも、過度な飲酒で急性アルコール中毒になって命を落とす人がいる。
治癒魔法使いとして、他人の健康を気遣うことが多い彼女からしたら、酒飲み勝負など論外というわけだ。
「いや、これは某の矜持に関わる問題なのである!」
飲酒の量がどんな矜持に関わるのか俺にはわからないが、導師にとっては大切なことのようだ。
彼は、エリーゼからの諫言を一切聞き入れなかった。
「これは、実際に勝負しないと導師は引かないのでは?」
「ブランタークさんが妙なことを言うから……」
「いやあ、すまんな」
結局仕方なしに、導師とリサによる飲酒対決がスタートするのであった。
「リサ、本当にすまないけど」
導師と酒飲み勝負をする羽目になったリサに対し、なぜか俺が謝ることになった。
お酒が好きではない人に飲酒勝負をさせるのだから、ここは素直に謝るしかない。
ブランタークさんだと謝ってもリサが隠れてしまうし、導師も同じで……勝負が終わるまで謝るはずもないか……エルは今頃ハルカと楽しい新婚生活のはずだ。
それを邪魔をするのは……なんか微妙に腹が立ってきたな。
「構わないそうよ」
「えっ? どうしてですか?」
リサは特に怒るでもなく、導師の勝負を受け入れた。
俺がなぜかと聞くと、通訳のアマーリエ義姉さんが説明をしてくれる。
「将来の旦那様のためだからだって」
「(うがっ!)」
夫になる俺のお願いだから、勝負を受けてくれるそうだ。
導師のせいで、ますます俺の逃げ道がなくなったような気がする。
もしかすると、導師はわざと勝負を挑んだのでは……それはないか。
「無理しないでいいから」
「大丈夫、勝てるって」
リサはえらく自信満々のようだ。
アマーリエ義姉さんを通じてだが、導師には負けないと宣言した。
「ふっ! その自信も今日までである!」
自分から勝負を言いだすだけあって、導師はもの凄く酒に強い。
ブランタークさんでも勝てず、大食いではヴィルマに負けてしまう導師の自慢のタネでもあった。
「ヴェル様、お酒臭い……」
勝負のために度数が高い蒸留酒の瓶が大量に準備されたのだが、栓が空いた酒瓶からアルコール独特の匂いが周囲に漂う。
プロの狩人で匂いに敏感なヴィルマは、急ぎ鼻を手で塞いだ。
「ヴィルマは、お酒が苦手だものな」
「美味しくないから嫌い」
ヴィルマは、お酒が苦手であった。
乾杯時の食前酒でも、絶対に一口しか口をつけない。
「もの凄い数の酒瓶ね……テレーゼが準備したのよね?」
「我が故郷、フィリップ公爵領特産のアクアビットじゃ。イーナも飲むか?」
「妊娠したから、お酒はパスね」
「そうじゃったな、すまんすまん」
アクアビットはジャガイモを材料にした蒸留酒で、フィリップ公爵領の特産品でもある。
アルコール度数は、四十パーセントを超えている代物だ。
「これを沢山飲んだ方が勝ちなんだよね? ボクも苦手な匂いだなぁ……」
ルイーゼも、ヴィルマと同じくほとんどお酒を飲めない。
イーナは普通に飲めたはずだが、普段は飲まない。
俺があまり飲まないので、他の妻たちもあまり飲まなかったのだ。
「くれぐれも無理はしないでください。体調が悪くなったら、私に言ってくだされば『解毒』をかけますので」
導師に押し切られてしまったエリーゼは、救護役に就任した。
エリーゼも以前悪酔いして大騒ぎになったので、普段は絶対にお酒を口にしない。
彼女にとってのお酒とは、料理やお菓子の材料という認識だ。
「匂いが凄いですわね……」
「カタリーナは、酒は大丈夫か?」
「まあ、普通に飲めますわ。普段はあまり飲みませんけど。カチヤさんは?」
「あたいもそんな感じ。食事会とか、お祝い事とかじゃないと飲まないかな?」
ギャラリーはいつものメンバーなので緊張感も欠片もないが、勝負の準備は整った。
「薄めるのは自由だけど、あくまでも原酒の量で勝負だからな」
「ブランターク殿がなにを言うかと思えば、男ならそのまま飲むのである!」
「いや……酒を割るのに男も女も関係ないような……」
こんなに濃いお酒をそのまま飲む人は少なそうだが、導師の中では普通のことらしい。
グラスすら準備せず、ラッパ飲みで勝負するようだ。
もう一方のリサは、自分の魔法で氷を作ってグラスに入れた。
ロック割りで勝負するらしい。
「テレーゼ様、余ったらこの酒くださいよ」
「ブランタークには魔法の修練で世話になっておるからの。余らなくても、あとで取り寄せて贈呈しよう」
「はははっ! 原酒の大瓶で五十本ですよ。人間二人で飲める量じゃありませんって。じゃあ、スタートだ!」
急遽審判役になったブランタークさんが、笑いながら勝負開始の合図をする。
「うむ、スッキリと飲みやすい、いい酒である!」
勝負開始の合図と共に、導師は豪快にラッパ飲みでアクアビットの大瓶を飲み始めた。
これだけアルコール度数が高いと、味もへったくれもないような気もするが、導師は美味しそうに、もの凄い勢いで一本目を飲み干した。
リサは、グラスに自分で作った氷を入れてからアクアビットを注いで静かに飲んでいる。
飲む速度はそれほど早くはない。
だが、常に一定のスピードで飲み干していく。
「いけるのである!」
「いけるのはいいけど、せっかくの酒が勿体ねえなぁ……」
ブランタークさんが、導師の飲み方にケチをつける。
彼は、ゆっくりと楽しみながらお酒を飲む人だからだ。
勝負開始から十分ほど、導師はすでに五本の大瓶を空けた。
二分に一本というハイペースで、もしこれがテレビ放送されていたら『一般の方は、真似しないでください』というテロップが出ているはず。
導師の顔は少し赤かったが、そんなに酔っているようには見えない。
飲むペースもまだ落ちていなかった。
「リサの方は……」
リサは、一定のペースで飲み続けていた。
グラスに大瓶からお酒を注ぎ、ゆっくりと飲んでいく。
氷が少なくなると、自分で作ってグラスに追加した。
ブリザードの二つ名に相応しく、氷は常に自前のようだ。
なにより凄いのは、リサが顔色一つ変えていない点であろう。
これまでに飲んだ量は導師には負けるが、丸々二本を空けている。
これも驚異的なペースだ。
「共に底無しじゃの」
「常人には真似できないわね」
テレーゼとアマーリエ義姉さんは、二人の飲む量に呆れ顔だ。
そして、勝負開始から一時間後……。
「まだいけるのである」
威勢はいいが、やはりというかさすがに導師は飲む勢いが止まった。
二分で一本を空けたのは最初の十分だけで、今の時点で二十本。
顔にも赤みが増してきている。
「当たり前だよなぁ……」
原酒の大瓶を一人で二十本も空けたのだから、今の時点でも十分に化け物であろう。
だが、導師は飲むのを止めようとしなかった。
なぜなら……。
「リサさん、大丈夫?」
アマーリエ義姉さんの問いに、リサは軽く頷いて答えた。
彼女は五分で一本というペースを乱さずに、これまでで十二本。
だが、まったく顔色に変化がなく、微塵も酔っているように見えない。
勝負はまだ導師が勝っているが、リサが変わらぬペースで飲み続けるので、彼は危機感を抱いたようだ。
だが、いくら導師でもこれ以上飲めるわけがない。
エリーゼが止めるまでもなく、彼はもう手が動かない状態であった。
そして二時間後……。
「ああ……酒がなくなってしまう!」
「ブランターク、あとで贈呈するから泣くな。お前は子供か」
「だって、全部なくなるなんて想定外じゃないですか!」
「妾だって想定外じゃ、五十本も用意したのじゃぞ」
「ああ、酒ぇーーー!」
「あとで取り寄せるから我慢せい」
リサは、わずかに飲むペースを上げた。
今の時点で二十二本と半分、導師は奮戦したが一時間で二本しか飲めなかった。
五十本もあったアクアビットの酒瓶がすべて空になりつつあり、ブランタークさんはこのままだとお酒が貰えないと嘆き、テレーゼから呆れられた。
「ぬぉーーー! このままでは!」
リサが二十六本を飲んだ時点で、導師の敗北が決定する。
そこで、急ぎ二十三本目を気合で飲み干し始めた導師であったが、もしお酒がもっと大量にあっても、リサはこのまま同じペースで飲み干してしまいそうだ。
元々、導師に勝ち目はなかったのだと全員が思った。
「まるで格が違うよね。ちょっとお酒が飲めるとか、そういうレベルを超えているもの」
ルイーゼの発言が耳に入ったのか?
導師がなんとか気合を入れて二十三本目を飲み干したが、彼はここで限界を迎えてしまった。
二十四本目に手が伸びず、顔も茹でダコのようだ。
朝市などで売っていたら、美味しそうだと、つい手が伸びてしまいそうである。
それを口にすると導師にぶん殴られそうなので、絶対に口にすまいと思ったが。
そして、その間にリサが二十六本目を飲み干した。
「勝負あったな。リサ、もういいよ」
俺が声をかけると、彼女は二十七本目に手を出さずに少し迷ってからブランタークさんに対し、そっとアクアビットの酒瓶を差し出した。
「ありがとう、リサぁーーー!」
ブランタークさんが、泣いてリサにお礼を言う。
「ブランタークさん……」
「残ってよかったぁ」
この勝負でわかったことは、俺たちの想像以上にリサが酒に強く、そして俺たちの想像以上に、ブランタークさんがお酒に関しては意地汚いという事実であった。
「負けた以上、仕方がないのである!」
勝負終了から三十分ほどのち、導師は水を飲みながら酔いを醒ましていた。
その顔色は、すでに少し赤い程度にまで回復している。
間違いなく、肝臓が大型竜並に頑丈なのであろう。
リサに関しては、理解不能なまでの酒への強さであった。
「勝負が終わったら、お腹が減ったな」
夕食は食べたが、少し時間が経っていた。
勝負観戦で思ったよりもエネルギーも消費したようで、軽く夜食でも食べたい気分だ。
「あなたがそう仰ると思って、準備しておきました」
エリーゼが、夜食用に焼いたバナナパイを持ってきてくれた。
魔の森特産のバナナを使用した、子供からお年寄りにまで人気の、バウマイスター伯爵領内で大流行しているお菓子である。
「美味しそうだな、導師はどのくらい食べますか?」
「いや、さすがにもう少しいいのである……」
さすがの導師も、あれだけ大量のお酒を飲んだあとでは、甘い物には手が出ないようだ。
「あんなにお酒を飲めば当然ですか。リサはバナナパイを食べるか? 取っておいて、あとで食べるという手もあるけど……」
念のためにリサに聞いてみると、意外な返答がきて俺達を驚かせた。
「甘い物は好きだから、大きめに切ってほしいって」
アマーリエ義姉さんの通訳であったが、どうやら彼女は甘い物は別腹らしい。
「負けたのである……」
それを聞いた導師が、珍しくがっくりと肩を落とすのであった。
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