第270話 道場破り

 俺の名前は、ヨハン・ヨランデ・アウレリア・オーフェルヴェーク。

 バウマイスター伯爵領の本拠地バウルブルクにおいて、ゼノス兄貴と共に魔闘流本道場の運営に携わっている。

 成人したばかりの十五歳の若造には過分な職責と待遇だと思うけど、これも姉ちゃんがバウマイスター伯爵様の奥さんになれたからだ。

 まあ、誰がどう見ても思いっきりコネだね。

 周囲からは『上手くやりやがって!』と言われることも多いけど、別に俺が上手くやったわけじゃないから気にしても仕方がない。

 姉ちゃんのルイーゼ……妹にしか見えないけど……の指名で、ゼノス兄貴と共に、バウマイスター伯爵家魔闘流指南役家の創設と、道場の運営に携わっているわけだ。

 姉ちゃんは跡継ぎを産まないと駄目だから、いつもバウマイスター伯爵様の側にいる。

 だから、俺とゼノス兄貴が主に実務に携わっているというわけ。

 同腹の兄弟だから、俺とゼノス兄貴に白羽の矢が立ったわけだ。

 本妻の兄弟で俺たちを羨ましそうに見ている人もいるけど、そこは住み分けというか、大人の都合で分けられたから仕方がないよね。

 でも、結構大変なんだぜ。

 姉ちゃんはお金は出してくれるけど、細々とした運営とか、雑務とか、面倒なことは絶対にしないんだから。

 頭は悪くないんだけど、やりたがらないんだ。

 幼馴染のイーナさんに言わせると、『そういう性格だから仕方がない』ってさ。

 あの人は、昔から姉ちゃんの最大の理解者だよな。

 なにより、今姉ちゃんが一番やらなきゃいけないことは、バウマイスター伯爵家魔闘流指南役家を継ぎ、領内中の道場を経営する跡継ぎを産むことだ。

 仕事があることを喜び、俺とゼノス兄貴は頑張って道場を経営しないと。

 内乱中に完成したバウルブルクの本道場と、バウマイスター伯爵領は広いから、警備隊を置いている各地に支部練習場みたいなものも整備した。

 まあ、支部の方は小屋が大きくなった程度の建物だけどね。

 そこに配置する師範は、俺たちと仲がよかった外様の門下生が大半だね。

 本妻の兄弟たちと親しい連中だと、コントロールが難しいから。

 どんな武芸でも、師範ってのは、ただ強ければいいってもんじゃないんだ。

 人に上手く教える能力と、どんなに小さくても道場を任されたら経営の仕事がある。

 金勘定も必要で、それなりに学もないと駄目なのさ。

 ちなみに姉ちゃんは、人に教えるのはまったく駄目だ。

 魔闘流の腕前は天才だけど、人に教えるとかえって害になってしまう。

 だから総師範だけど、実務は俺たちの担当なんだよね。

 たまに顔を見せるくらいだけど、跡継ぎが生まれるまでそれでいいや。

 なにしろ、子供が生まれなければ俺たちが路頭に迷っちゃうんだから。

 でもたまに、姉ちゃん自身に出座してもらわないといけないケースもある。


 今が、その時ってやつさ。


「姉ちゃん! じゃなかった……大変です! 総師範!」


「ヨハン、どうかしたの? なにか用事? 可愛い弟子でも入ってきたの?」


「そんな話じゃなくてさぁ……なくてですね。総師範! 道場破りが出た!……じゃなくて、出ました!」


 そう、たまに武芸の道場ではいるんだよね。

 道場破りという存在が。

 今のバウマイスター伯爵領なら、上手く潜り込めると思っているんだろうね。

 道場破りといっても、勝利して本当に看板を持ち去ってしまう人はほとんどいない。

 『俺を雇ってほしい!』というアピールが目的なのだ。

 『俺はお前たちよりも強い! だから雇え!』という理屈……実際に勝利すると、えらく強気に出るんだよね。

 負けたら、スゴスゴと逃げ去るだけだけど。

 ただ、その道場破りを雇うかどうかは、その道場次第かな?

 師範の席に空きがあれば、雇ってもらえるかもしれない。

 せっかく雇われても、教えるのが下手だったり、運営能力がないと判断されると、すぐにクビを切られたりする。

 勘違いしている人も多いけど、ただ強いだけじゃ意味がないんだよ。

 圧倒的に強くて知名度が高い人なら、その流派や道場の宣伝のために優遇されるけど。

 教えるのとか道場の運営は、そういうのが得意な部下をつければいいから。

 考えてもみてよ。

 素人や普通の人が武芸を習おうとした時、道場破りで獲得した看板を沢山掲げている人の道場に習いに行くと思う?

 頂点を目指しているような人や、夢見る無謀な若者ならともかく、最初は優しく教えてくれそうな道場に行くでしょう?

 俺たちだって、幼い頃からちゃんと順序立てて訓練しているのだから。 


「ふーーーん」

 

 姉ちゃん、『ふーーーん』じゃないよ。

 というか、食べているケーキのクリームが口についてるよ。

 こっちはとにかく一大事で、姉ちゃんは道場で一番偉い人なんだよ。

 真面目に対処しようよ。


「ヨハンとゼノスでも駄目なの?」


「厄介なのが来ているのです」


 俺とゼノス兄貴の魔闘流の腕前は、バウマイスター伯爵領内で二番目と三番目だ。

 言うまでもなく、一番はぶっちぎりで姉ちゃんだけど。

 そんな俺たちだけど、王国……リンガイア大陸全体では、もっと強い人たちが沢山いる。

 今日の道場破りは、そういう強い人だった。

 ゼノス兄貴と俺では勝てそうにないから、姉ちゃんに来てほしいんだよ。


「看板、勿体ないもんね」


「そうだよ、看板は高いから」


 別に奪われたからといって道場が経営できなくなるわけじゃないけど、やっぱり負けて看板を取られたとなると恥ずかしいし、正規の看板は値段が高い。

 看板の代金は、魔闘流総本部の貴重な収入源だからね。

 本物の看板を掲げていないと世間体も悪いし、弟子の集まりにも影響する。

 なにより、ここは大陸南端のバウマイスター伯爵領だ。

 新しい看板を頼むと、もの凄く時間がかかるんだよ。

 輸送費もバカにならないし。


「この前、大金を出して作ってもらったばかりなのに、こんなすぐに再発行を頼んだら、絶対に足元見られて看板料が上がるはずです」


「バウマイスター伯爵領には、お金があると思われているからねぇ。魔闘流総本部のジジイたちは、絶対に看板料を大幅に上げてくるはず。しかし、それは上手くない話だ。よし、ボクがその道場破りをぶちのめしてあげよう!」


 姉ちゃんは、道場破りを撃退することを了承してくれた。

 よかったぁ。


「ルイーゼ、口の周りのクリーム」


「おっと、レディーなボクがはしたない」

 

 姉ちゃんはすぐに席を立ったけど、しょうもない理由でイーナさんから注意された。

 それと、姉ちゃんがレディーなのかどうかは、相当怪しいと思うな。


「総師範、急がないと」


「そうだな、俺も」


 そして姉ちゃんが席を立つのと同時に、なぜかバウマイスター伯爵様も椅子から立ち上がって、俺たちについて来ようとした。

 道場破りへの対処なんて、領主様がわざわざ確認するようなことじゃないと思うけど……。


「あの……お館様にわざわざお越しいただくような案件でもありませんが……」


「えっ? だって、道場破りだよ!」


「いえ、総師範に対処していただければ……」


 バウマイスター伯爵様が、直接来るような大事ではないと思うんだ。


「いやね、俺は初めて道場破りに遭遇する機会を得たんだ。見に行かないと損じゃないか」


「……損?」


「……何事も経験ってやつさ。領主としてのな」


 バウマイスター伯爵様が野次馬レベルの発言をしているけど、きっとこの人は姉ちゃんと気が合うんだろうなと、心の中で思う俺だった。






「うははははっ! この俺様! バンバ・バババーーーン様が、道場の看板をいただいてやるぜ!」



 姉ちゃんやバウマイスター伯爵様たちと道場に戻ると、身長二メートル近い、鋼の筋肉に包まれた道場破りが、すでに数名の門下生を倒して気勢をあげていた。

 自ら名乗りをあげているけど、もう少しなんとかならないのかな?

 その変な名前。

 門下生たちを倒されてしまった、こっちのテンションが余計に落ちてしまうよ。


「大丈夫ですか?」


「すみません、エリーゼ様」


 道場破りに敗れた門下生たちはみな怪我をしており、エリーゼ様から治療を受けている。

 どうやら、バウマイスター伯爵様たちが来てくれて結果的によかったみたいだ。

 そして道場破りは、己の力を見せつけんばかりに道場の床や壁を素手や足でぶち破り、一人吠えていた。


「コラ! せっかく新しい道場なのに、誰が床や壁の修繕費を出すと思っているんだよ!」


 そうだ、姉ちゃん言ってやれ!

 いくら強くても、そういう常識がないから、道場破りにまで落ちる羽目になるんだよ。

 

「君が、破った床や壁の修繕費を払ってよね!」


 道場の経営って大変なんだぞ。

 入るお金は少ないのに、出て行くお金が多いんだから……って、こちらは真剣なのに、なぜかついて来たバウマイスター伯爵様は、道場破りに興味深々のようだ。

 一人だけワクワクな表情を浮かべながら、道場破りの一挙手一投足に注目していた。

 ああ、初めて道場破りを見たから興味津々なんだ……。


「なあ、今までにいくつの道場を破ったんだ?」


「聞いて驚け! すでに五つの道場を破っておるわ!」


 あーーーあ、その五つの道場は看板の再発行で大赤字だな。

 魔闘流本部のジジイたちは大喜びで、懇意にしている看板職人たちと組んで盛大にボッタクっているはず。


「すげえ! 本物の道場破りすげえ!」


「どうだ! 凄かろう!」


 バウマイスター伯爵様、どうしてそんなに嬉しそうなんですか?

 破られようとしているのは、自分の奥さんが経営している道場なのに……。


「ヴェル、あの道場破りは敵なんだぞ」


「そうよ。もし道場の看板が奪われたら、今のバウマイスター伯爵家への注目度からいって、ヴェルが恥をかいてしまうのよ」


「ヴェル様、はしゃぎすぎ」


「ヴェンデリンさん、ルイーゼさんを応援してさしあげないと」


 バウマイスター伯爵様は、エルヴィンさん、イーナさん、ヴィルマさん、カタリーナさんから子供のように叱られていた。

 その姿は、とても竜殺しには見えない。


「大体、なんでそんな芸名なのさ?」


 バウマイスター伯爵様が、道場破りにばかり注目しているからか?

 姉ちゃんが、道場破りの名前について突っ込み始めた。


「芸名じゃねえよ!」


 いや、その名前は芸名にしか聞こえないから。

 本名だなんて、まずあり得ないし。


「俺の魂の名前だ!」


「なんだよ? その魂の名前って?」


「俺は、物心ついた頃から魔闘流を極めるべく、過去の名を捨て、これまでの交友関係を絶ち、魔闘流を友にして生きてきたのだ!」


「寂しい人生……」


「サラっとそういう批評をするな! 逆に堪えるんだよ!」

 

 いや、姉ちゃんだけじゃなくて俺もそういう風にしか思えないけど……。

 きっと他のみんなだって……。


「わかる、わかるぞ。道場破り」


 あの……バウマイスター伯爵様? 

 どうして、道場破りに同情しているのですか?


「俺も、昔は魔法だけが友達だったから……」


「ほら見ろ! バウマイスター伯爵様のようになるには、そういう努力も必要なのだ!」


 なぜかバウマイスター伯爵様が、道場破りの落ち込んだ精神を回復させてしまう。

 さすがに、姉ちゃんも怒ると思うんだけど……。


「わかるけど、道場破りによる門下生への傷害と、道場の設備を壊した器物損壊です。ルイーゼ、ぶちのめしてあげな」


「はーーーい! 任せて、ヴェル」

 

 バウマイスター伯爵様から命令され、姉ちゃん嬉しそうに了承した。

 姉ちゃん、そんなんで大丈夫か? 


「おい、バウマイスター伯爵様よ。俺が女如きに負けるとでも思っているのか?」


「逆に聞くけど、君如きでどうしてルイーゼに勝てると思っているのかな?」


 バウマイスター伯爵様、随分と姉ちゃんの実力を評価しているんだな。

 まあ、姉ちゃんが強いのは確かだけど。


「なっ! 可愛い奥さんが大怪我しても後悔するなよ!」


「君も、再起不能にならないといいね」


「抜かせ!」


 バウマイスター伯爵様に挑発された道場破りは、まるで猪のように姉ちゃんへと駆け出していく。

 そしてすかさず、拳による大振りの一撃を入れた。


「砕けろ!」


 だが、道場破りによる渾身の一撃は空を切った。

 すでにその場所に、姉ちゃんはいなかったのだ。


「どこに消えた?」


「ここだよ」


 姉ちゃんは恐ろしいスピードで、あっという間に道場破りの後ろに回り込んだ。

 すかさず手刀による一撃を道場破りの首筋に軽く入れると、それだけで奴は意識を失って倒れてしまった。

 大男が倒れ、道場の床が大きな音を立てて鳴り響いた。


「まあまあ強い道場破りだったね」


 確かに結構強い道場破りだったけど、どちらかというと姉ちゃんの化け物じみた強さの方が際立っていた。

 バウマイスター伯爵様はそれがわかっていたから、最初は道場破りを褒めたりしていたのかな?

 いや、きっと純粋に道場破りを見られて嬉しかっただけだろうな。


「物語みたいに、最初の方で威勢がいい敵ってほぼ負けるな」


「噛ませ犬ってやつ?」


 姉ちゃん、さすがにそれは可哀想だろう。


「あなた、回復させますね」


「頼むよ、エリーゼ」


 エリーゼ様が、気絶していた道場破りを治癒魔法で回復させる。

 しかし、大した威力の治癒魔法だな。


「俺は負けたのか……」


 再び暴れるかと思ったら、目を醒ました道場破りは観念したようで、とても大人しかった。


「なんでバンバ・バババーーーンなんて変な名前を名乗ったの?」


「それは……」


 道場破りは、姉ちゃんたちに事情を説明し始める。

 

「俺の本名は、テルマってんだ……」


「それって……」


「そうだ、女の名前だ」


 テルマの両親は、立て続けに五人も産まれたばかりの男の子を亡くしてしまった。

 そこに六人目のテルマが産まれた。


「女の名前なら死なないかもしれないという理由だけで、女の名前にされたんだよ」


「たまにそういう人がいるよね」


 女の子の方が丈夫だから、丈夫に育つようにと男の子に女性の名前をつける人がいるんだよね。

 成人前だけ女性名で、成人したら男性名を与える地方もあるらしいけど。


「俺はこんな成りなんだ。女の名前では……」


 子供の頃からバカにされ、苛められてしまったので、テルマは見返してやろうと魔闘流を極めて強くなった。 

 ところが、生まれが農民だったので、所属していた道場で師範になれなかった。


「実家が金持ちだったり、貴族の子弟だってだけで師範になれている奴がいるってのに、俺は後輩にもどんどん先を越されて……」


 半分ヤケになり、道場破りをするようになったのだと、テルマは説明した。


「うーーーん、でも師範って指導力とか経営能力も問われるよ」


「俺はそれも勉強したんだよ!」


 事情を聞いていると、可哀想になってくるな。

 少し前の俺たちと同じ境遇か。

 

「もう焼くなり煮るなり好きにしやがれってんだ!」


「じゃあ、うちで働いてもらおうかな」


「本当か?」


「うち、基本的に人手不足だし。君、結構強かったしね」 


 姉ちゃんが化け物みたいに強いだけで、テルマは俺やゼノス兄貴よりも強いからなぁ……。


「ありがたい、ありがたい」


 姉ちゃんから雇うと言われて、テルマは感極まって涙を流していた。

 道場破りに対し、過剰な温情処置だと思ったのだろう。

 姉ちゃんの懐の深さが……あれ?

 そんなわけが……。


「心を入れ替えて頑張ってね。ああ、あと……」


「あと、なんですか?」


 他になんだろうと思ったテルマに対し、姉ちゃんは一枚の紙を差し出した。


「これは?」


「請求書だよ。君が壊したこの道場の床と壁の修理代ね。月賦にしておくから、頑張って働いて返してね」


「はい……頑張ろうと思います」


 姉ちゃん、しっかりしているな。

 まあ、よく言うことを聞きそうな部下が手に入ったと思えばいいか。

 そんな事件があって道場破りを雇うことになったんだけど、テルマはすぐに魔の森近くの支部練習場の師範として赴任して行ったんだ。

 あそこは、腕っ節がないと厳しいから適任だったんだよね。

 





「けっ! 俺たちのような荒くれを相手にする師範様が不幸だな!」


「おうよ! つい練習に力が入って半殺しにしてしまうかもな」


「それが嫌なら、講習代の返還と、挨拶料くらい出してもらわないとな」


「テルマって、女が師範かよ! こいつはラッキーだな」


「ああ、いいカモだぜ」




 新しい魔闘流の支部道場が完成した。

 バウマイスター伯爵家の魔闘流指南役家が作ったらしいが、ここは魔の森付近にできたばかりの村で、少しばかり荒くれの多い場所だ。

 冒険者志望の俺たちが魔の森で思った以上に稼げなかったから、新しい装備代、宿代、酒代と。

 思った以上にかかる経費をせしめても、よくあることだと思ってくれ。

 さすがに、一般人相手に強盗や恐喝をしたら警備隊が駆け付けてくるが、まさか魔闘流指南役家が道場破りに負けたくらいで同僚の世話になったら、大恥もいいところだ。

 俺たちに負けて色々と支払っても、それを他人に言えるわけがなかった。

 恥をかくからな。

 それに、こんな僻地に飛ばされて来るような魔闘流師範だ。

 大して強くないはずで、さらに名前からして女ときた。

 これなら簡単に金を脅し取れると、俺たちは大喜びだった。


「へへっ、頼もう!」


「師範はいるか! コラぁ!」


 勢いよく練習場のドアを開けると、そこには門下生たちに激しい稽古をつける身長二メートル近い大女……こいつ、本当に女か?

 背中がえらくデカイ……。


「こらぁ! 俺様に勝てないで、ルイーゼ様に勝とうなんて千年早いわ!」


 気迫を篭めて門下生たちに稽古をつける大男。

 もしかして、こいつが師範のテルマ?

 いや、その配下のはず……としても、実はテルマって、この大男よりも強い?

 大男の背中から感じる気迫と、殺気すら感じる大声に、俺たちは一瞬で硬直してしまった。

 これは……勝ち目がなさそうだ。


「うん? 短期講習か?」


「「いえ……」」


 このまま逃げようと思ったが、恐怖で体が動かない。

 しかも、テルマはそこまで甘い人物ではなかった。


「はあ? 魔の森の魔物を舐めてんのか? 俺様の訓練を受けておけ! まさか、嫌だとか言わないよな?」


 テルマのギョロリとした目が、俺たちを刺すように睨みつける。

 すぐに断って逃げようと思っても、もう足が恐怖で動かないのだ。


「「いいえ! 滅相もない!」」


「俺様の弟子になるか」


「「はい! 喜んで!」」


 駄目だ。

 断るなんて、絶対にできない。

 殺されてしまうかもしれないのだから。


「お前たちは、本当に運がいいな! 俺様がスペシャルコースで鍛えてやる!」


「はははっ……嬉しいな」


「得しちゃったな……」


「そうだろう?」


 俺たちは、短期間ながらも徹底的に鍛えられ、本当に死ぬかと思った。

 でも、その成果もあって魔の森で人並以上に稼げるようになり、休みの日も道場に通うようになって充実した日々を送っている。

 お金も貯まってきて、もう少し頑張れば、故郷の村に住むあの娘を呼び寄せて結婚できそうだ。

 これもテルマさんのおかげであり、彼の稽古はとても厳しいけど、面倒見がよくて、バウマイスター伯爵領魔闘流道場でナンバー2の実力を持つだけのことはあると思う。

 本当に、彼に出会えてよかった。

 

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