第269話 ブラックリスト
「お館様、こちらのリストをどうぞ」
「ああ……リスト?」
「ええ、リストです」
普段は狩りと採集と土木工事しかしていないように見えるが、俺だってたまには貴族としての仕事をやっている。
今もローデリヒから書類を渡され、その確認をしないといけないのだ。
要点は纏めてあるが、ちゃんと読んで内容を理解、確認しないといけない。
それが管理職の仕事なんだけど、前世ではあまり確認しないで判子を『ポンッ!』と簡単に押してしまい、あとで問題になると逆ギレする上司もいた。
反面教師にしなければ。
ローデリヒを信用はしているが、これも当主としてのケジメというわけだ。
「採用不可人材リストねぇ……」
「いくら人手不足でも、こういう連中を入れるとかえって面倒ですから」
バウマイスター伯爵家は基本的に人手不足なので、よほどのことがなければほぼ採用される。
出世したければ、相応の能力が必要だけど。
ところが、色々と問題があってうちでもお断りな人というのもいる。
その大半が、前に仕えていた貴族家で大問題を起こして危険人物リストに載っているような奴らだ。
公金をチョロまかしたり、酔っぱらって同僚に暴力を振るったり、人の奥さんに手を出したり。
そういえば、商社マンの時に偉い人に言われたことがあるな。
人間ってのは、金、酒、女(男)のどれかでしくじる可能性を秘めていると。
他にも圧倒的に能力が足りないとかもあるけど、うちでは簡単な仕事もあるから、真面目にやってくれる人なら採るケースもある。
そういう問題児を知らずに雇って損害を蒙らないよう、貴族同士でブラックリストが回っているそうだ。
ローデリヒは、ブライヒレーダー辺境伯、エドガー軍務卿、ルックナー財務卿などからそういうリストを預かっていた。
『みんな、うちに恩を売りたいのですよ』と、ローデリヒが裏の事情を教えてくれたけど。
でも、こういうリストは複数の大物貴族から手に入れた方がいいらしい。
常に情報の更新はあるし、派閥間で把握していたり、していなかったりするいる人もいるそうだから。
「バウマイスター伯爵、凶状持ちのリストなら王国政府の方が充実しているぞ」
なぜか執務室で一人お茶を飲んでいる若い男性、彼はヘルムート王国のヴァルド王太子殿下であった。
「念のために持ってきた。参考にしてほしい」
「ありがとうございます」
「バウマイスター伯爵領開発は、王国南部発展のカギとなるからな。気にしないでくれ」
と、優雅に気さくに話しかけてくるヴァルド王太子殿下。
若くて、イケメンで、有能で、実際に接すると悪い印象を抱く人など皆無だ。
なのになぜか、この人は目立たない。
常に陛下の陰に隠れている印象だ。
俺は、彼がなにかの呪いにでもかかっているんじゃないかと思ってしまうのだ。
「殿下は、色々とお忙しいのでは?」
「それなりにな。しかし、今日のために仕事を前倒しで片付けてきたのだ」
そこまでして、バウマイスター伯爵領に来たかったらしい。
というか、この人はどうして目立たないのであろうか?
本当に不思議だ。
「今日は、狩猟に連れて行ってくれるそうだな」
「はい」
しかも、この人一人だけで来たし。
俺が王城に迎えに行ったのだけど、殿下が一人で出かけるのを咎める人が誰もいないってどうなのだろうか?
『我らの護衛能力を、陛下もお認めになっているのでは?』
ローデリヒのように考えるのが一番妥当であろうか。
とにかくなにかあると困るので、ローデリヒは警備隊の中でも古参で評価が高い精鋭ばかりを狩猟場に派遣している最中だ。
今は、バウルブルクからそう遠く離れていない場所でも獲物が豊富なので、警備兵の配置に時間がかからないのが救いであろう。
殿下がお茶を飲んでいるのは、その準備が終わるまで待っていただいているからだ。
「奥方たちも参加するのかな?」
「勿論です、殿下」
エリーゼは殿下にお茶を淹れる時に挨拶に来て、狩猟にも治療担当として同行する予定であった。
イーナたちも狩猟に参加する。
王太子殿下のご来訪なので、奥さんが来ないなんて不敬はあり得ない。
一族総出で歓待するのが普通だ。
「バウマイスター伯爵の奥方たちは優れた腕前を持つとか。楽しみだね。他の貴族の奥さんが狩猟に参加するケースは少ないから、本当に楽しみだ」
まあ、普通はそうだよな。
下級貴族はそうでもないけど、そういう人のところにまず王族は行かないのだから。
準備が整うまでもう少し時間がかかるので、俺はその前に採用不可人材リストの確認をおこなった。
要注意人物たちの名前だけが記載された紙で、俺はどんな人かよく知らないのだけど。
「人を雇うというのは難しいからな」
「そうですね」
ローデリヒのようにバウマイスター伯爵家を支えるような人材もいれば、滅ぼしてしまうような人もいる。
どんな組織でも、一番大切なのは人というわけだ。
人財とはよく言ったものだ。
「うんうん、こいつらはやっぱり切ったか……」
殿下はこちらの不採用者リストに載った名前の中から、何名かを見つけ出して納得したように頷いた。
「殿下はご存じなのですか?」
「彼らは基本的には有能なんだよ。でも、どこの貴族も採らない」
「なぜです?」
「協調性が皆無で、周囲とトラブルばかり起こすからだ」
この世界でも、ただ優秀ならいいというわけではないようだ。
コミュニケーション能力……ううっ、俺にはそんなにないかも!
「短期で使うのなら我慢する、とかですか?」
「そうだね。仕官させてしまうと他の家臣たちに悪影響だし、ローデリヒの判断は正しいと思うよ」
ローデリヒと殿下の意見は一致していた。
やはり、どんなに有能でも協調性がないと駄目なようだ。
「あとは、誰もが納得するブラックリストばかりです。今のうちで採ってもらえないなんて、相当な連中ですよ」
「そうだよなぁ」
書類にサインをしてからローデリヒに渡すと、狩猟場の準備が整ったようだ。
屋敷の敷地内にある馬小屋へと向かい、みんなで馬に乗って狩猟場へと向かった。
「バウマイスター伯爵、大分馬の扱いに慣れたようだね」
「これがなかなか……普段は魔法で飛んでしまいますからね」
内戦のおかげで、馬には普通に乗れるようにはなったと思う。
あくまでも、普通の域からは出なかったけど。
殿下は馬の扱いも上手かった。
帝王学というものを受けているからであろう。
イーナたちはみんな運動神経がいいので、上手に馬に乗っている。
エリーゼの運動神経は普通だけど、子供の頃から乗っていれば上手になって当然だよな。
カタリーナはそんなに運動神経はよくないけど、貴族の嗜みだからと、普段から練習を続けていて上手であった。
俺には魔法があるから、練習時間が少なくなってしまうんだよなぁ。
「バウマイスター伯爵殿、妾があとで教えてしんぜようかの?」
「帝王学を受けた人間がここにもいたな」
今回は、テレーゼも同行していた。
最初は彼女も遠慮したのだが、ヴァルド殿下が是非にと勧めたのだ。
人数が多い方がいいらしい……この人も、ボッチだからか?
「狩猟は俺の方が上手だけど」
「であろうな」
現場に到着すると、先にローデリヒが配置していた警備兵たちが周囲を見張り、勢子役の人間がこちらに獲物を追い込んでいく。
貴族と王族の狩猟なので、自分で歩いて獲物を探したりはしないのだ。
「殿下、鹿です。初手の矢を」
「久しぶりだからな、当たるといいな」
とは言いつつも、ヴァルド殿下の弓の腕前は大したものであった。
鹿の首に矢が突き刺さり、一撃で倒すことに成功する。
「さすがですね、殿下」
「当たってよかった。狩猟なんて、滅多に誘われないからな」
「そうですか……」
忙しくて滅多に狩猟に行けないのか、それとも誰も誘ってくれないのか。
俺たちは絶対にそれを聞くまいと、アイコンタクトで伝え合った。
「エル! 行ったぞ!」
「任せてください!」
次はエルの出番であったが、獲物が猪であったので一撃では倒れなかった。
すかさず俺が二本目を放ち、猪は地面に倒れる。
「バウマイスター伯爵もやるじゃないか」
「子供の頃からやってますからね。昔は獲物が獲れないと肉が食べられませんでしたから」
それからも狩猟は続き、他のみんなも次々と獲物を狙っていく。
「弓なんて滅多に使わないから、なかなか当たらないわね」
「ボクも」
普段、弓の鍛錬をしていないイーナとルイーゼの成果は芳しくなかった。
「カタリーナ、思ったよりも上手」
「ヴィルマさん、趣味の狩猟は貴族の嗜みでしてよ」
カタリーナは、密かに弓の練習もしていたようだ。
何度か外しながらも、ウサギを一匹仕留めることに成功した。
「ヴィルマさんには勝てませんけど」
「狩猟は私の人生そのもの」
「哲学のようなお言葉ですわね……」
間違いなく、この中で一番狩猟が上手いのはヴィルマだ。
弓に矢を同時に二本番え、一緒に撃ってウサギを二匹同時に仕留めた。
さすがの殿下でも、そういう芸当はできないようだ。
ヴィルマを手放しで褒めていた。
「さすがは、エドガー軍務卿が養女にするだけはあるな」
「大した腕前じゃの」
ヴィルマを褒めつつ、テレーゼ自身もさり気なくウサギを仕留めてその腕前を披露した。
なんでも卒なくこなせるのは、やはり帝王学のおかげなのであろう。
「この狩猟場は、獲物が濃いの」
「専門の狩猟場じゃないけどね」
未開地ではこういう獲物が沢山いる場所がいくらでもあって、実はバウマイスター伯爵家専門の狩猟場などは存在しない。
適当に郊外に出れば狩猟ができるからだ。
ただし油断すると、狼の群れと熊に襲われて餌にされてしまう。
警備兵たちの同行は必須であった。
「大猟でしたし、そろそろ戻りましょうか?」
「そうだな、戻るとしよう」
数時間ほどの狩猟が終わり、俺たちは殿下と共にバウルブルクに戻った。
「夕食が楽しみだ」
「バウマイスター伯爵領の産品を使った料理をお出ししますよ」
馬に乗りながら会話をしていると、屋敷の前に一人の中年女性がいるのに気がついた。
身なりはとてもいい……むしろ派手で、貴族なのがすぐにわかってしまった。
俺になにか用事なのか?
「バウマイスター伯爵様でいらっしゃいますか?」
「はい、そうですけど」
その中年女性は、ある意味俺の印象に残った。
太めの体形に、厚化粧、着ている服は成金趣味丸出しで、全力で老化に逆らおうと努力しているようだが、とてもそうは見えない。
その顔には、宝石が散りばめられた金鎖つきの眼鏡をかけ、一言で言うなら『ざーますおばさん』の典型例のような人だ。
俺は、こんな人が創作物ではなく現実の世界にもいるのだという事実を初めて知った。
「私、ヘルルーガ・フォン・シュティールと申すざます。シュティール子爵の妻ざます」
「(なんだと!)」
そしてもう一つ、俺は初めて聞いた。
まさか、語尾に『ざます』をつける女性が実在したなんて……。
「(シュティール子爵?)」
また知らない貴族の名だ。
というか、沢山いすぎてまだ覚えられない。
「(エリーゼ、シュティール子爵って知ってる?)」
「(はい、ベルツ伯爵の寄子で、大金持ちで有名な財務系貴族です)」
さすがはエリーゼ先生、このざーますおばさんの正体を知っていたようだ。
「お久しぶりざます、エリーゼさん。エリーゼさんは、私の若い頃にそっくりざますわね。ますます私と同じように美しくなられたざます」
「「「「「(それは、ねえよ!)」」」」」
間違いなく、このざーますおばさん以外の全員の考えが一致したと思う。
たとえこの人をいくら若返らせても、その厚化粧を取っても、痩せたとしても、彼女はエリーゼにはならない。
エリーゼも、どう答えていいものなのか回答に困っているようだ。
「おっと、今日は世間話でここに来たわけじゃないざます。実は、レオポルドちゃんの件で来たざます」
「レオポルドさんですか?」
「私の可愛い息子ざます」
レオポルドさんとは、このざーますおばさんの息子らしい。
しかし、息子の件とはなんなのであろうか?
「レオポルド殿なら不採用ですが……」
ここでローデリヒが声をあげ、みんな、その一言ですべてがわかってしまった。
ざーますおばさんの息子が仕官しようとしたが、例のリスト入りの問題児なので不採用にされてしまい、その件でざーますおばさんが文句をつけにきたというわけか。
どうやらこの世界にも、モンスターペアレンツな人が存在するようだ。
「外野は黙るざます。私は、バウマイスター伯爵様と話をしているざます」
「あの、ローデリヒは家宰で、採用の責任者なのですが……」
うちの家宰に外野はないだろうと、俺は思ってしまう。
「まあ、それはよくないざます。ローデリヒさんとやらは優れた方なのかもしれないざますが、バウマイスター伯爵様がもっと人を直接見る必要があるざます」
「はあ……」
このざーますおばさん、言っていることは間違っていない。
本当なら、バウマイスター伯爵家当主の俺が、雇い入れる家臣を直接吟味するのが最善なのだから。
そして人を見る目を養うべく、直接多くの人に接した方がいいのも確か。
彼女の言い分に納得し、その話を聞こうとした俺だが、それが大きな間違いであった。
「レオポルドちゃんは、なにかの間違いで不採用になったのざます。それを正すために、私は来たざます。いいざますか? うちのレオポルドちゃんは……」
それから二時間以上。
俺たちは狩猟のあとでお腹が減っているのに、屋敷の前でざーますおばさんの息子自慢を聞き続ける羽目になるのであった。
というか、よくそんなに喋ることがあるな。
「申し訳ございません」
「いや、直接の危険はなかったからさ」
長い時間ざーますおばさんの息子ちゃん自慢を聞いて、みんな精神的に疲れてしまった。
ローデリヒは、彼女の息子自慢披露タイムを防げなかった件で俺たちに謝り続ける。
「ヴェルに危険があるのに、あのざーますおばさんを防げなかったのなら問題だけど、危険というほどでもないから……」
「しかし、イーナ様」
「精神的には、どっと疲れたわね。同じ女だけど、どうしてあんなに長話しができるのかしら?」
イーナに言わせると、あんなに長時間一方的に話せる人間の存在自体が不思議でたまらないらしい。
俺もイーナの考えに賛成だ。
「凄かったよね、二時間以上全部、レオポルドちゃん自慢」
俺たちの中で比較的元気なルイーゼが、続けてざーますおばさんの凄さについて語った。
あの、完成された感動の物語。
ざーますおばさんの息子レオポルドちゃんの誕生から現在に至るまでの、壮大な大感動巨編。
テレビの二時間ドラマ枠でいけるのではないかと、俺は思ってしまったほどだ。
勿論事実なら……だが、まあ物語には若干の脚色があって当然か。
どの程度脚色されているのかは……調べる気にもならないけど……。
「おかげで、レオポルドちゃんに相当詳しくなった。私たち、レオポルドちゃん博士」
「「「「「ぷっ!」」」」」
ちょうどいいタイミングで入ったヴィルマの一言で、全員が噴き出しそうになってしまった。
確かに、レオポルドちゃん検定とかあったら、今なら初級くらい余裕で、中級も狙えるかもしれない。
頑張って上級を狙えば、俺たちも立派なレオポルドちゃんニストだ。
「そんな無駄な知識、記憶するだけ無駄ですわよ。なぜか頭から離れませんけど……」
「カタリーナ、それはあのざーますおばさんのせいだ」
聞きたくないのに、あのざーますおばさんの先制能力は大したものだ。
そして一度話を聞き始めると、容易にこちらの離脱を許さない。
あれは一種の才能だと思う。
記憶に残る喋り方も凄く、彼女は学校の先生でもやればいいのにと思ってしまう。
「レオポルドちゃんが三歳の頃に、従姉を野良犬から救ったお話は感動的であったの」
「テレーゼさんもいるのに、ある意味凄い方でしたわね」
帝国の元公爵様もいたのに、長時間大演説会をかましてくれたのだ。
ある意味、もの凄い度胸とも言える。
空気をまるで読んでいないというのが、真実なのであろうが。
「私もいたんだが……」
「そうでしたわね……殿下に対してあのお方は……」
そして、ざーますおばさんの演説会はヴァルド殿下も聞いていた。
果たして、彼女は殿下の存在に気がついていたのであろうか?
だがカタリーナもヴァルド殿下の存在を一瞬忘れていたようで、とってつけたように言い方を誤魔化していた。
「あのおばさんのインパクトが強すぎてなぁ……」
ざーますおばさんの存在感が凄すぎて、殿下は存在感を塗りつぶされてしまったのであろう。
実は俺も、少し殿下のことを忘れていたのは秘密だ。
「なんか大変なことがあったみたいですね。食事の準備ができていますからどうぞ」
アマーリエ義姉さんが、帰って来た俺たちに夕食を勧めてくれる。
本当は狩猟で得た成果を調理する予定だったのだが、みんな疲れていたので、昨日家臣たちが獲っておいてくれた獲物を調理して出してもらった。
「殿下は、あのご婦人をご存じのようだの?」
「テレーゼ殿にはわかるか……まあ裏では有名な方だよ。あのシュティール子爵夫人は……」
ざーますおばさんことシュティール子爵夫人は、なかなかの女傑なのだそうだ。
「昔のシュティール子爵家は財政が傾いていてね。それをなんとかするため、現当主の妻として彼女を迎え入れたわけだ」
その目的は、妻の実家からの多額の持参金と援助であったが、シュティール子爵夫人は自身も優れた才覚を持つ人物であった。
「夫人は、金貸しのプロなんだよ」
「その噂は、私も聞いたことがあります」
「まあ、ホーエンハイム枢機卿なら知っていて当然か……」
貴族には、どうしてもある程度纏まった大金が緊急で必要になることがある。
夫人はそういう貴族を見つけ、密かにそっとお金を貸して利息を得る才能があった。
この密かにというのがポイントで、ホーエンハイム枢機卿からの情報があるエリーゼは知っているが、夫人のことをまったく知らない貴族もいる。
彼女の噂は色々と流れてくるが、急にお金が入用になるかもしれないのは誰でも同じこと。
だから、彼女の批判や、大っぴらに情報を流すのは躊躇われるというわけで、だから裏では有名というわけだ。
「そのおかげで、シュティール子爵家は傾いた財政を立て直せた。けれど……」
シュティール子爵家の人間は、当主も含めて夫人に頭が上がらなくなってしまった。
この世界では滅多にない、極端なまでの夫人を頂点とする貴族家なのだそうだ。
「シュティール子爵は、凡庸で目立たない人だからね……」
夫人に頭が上がらず、気を使って側室すら一人もいないらしい。
殿下と似たようなタイプなのかもしれない。
「シュティール子爵が目立たないというよりも、あのおばさんが目立ちすぎなだけのような……」
一度あの姿を見れば、誰もが二度と忘れないと思う。
そのくらいの強烈なインパクトを、俺たちに残したのだ。
「そうとも言うかも」
「殿下、どうしてあのおばさんは息子の仕官に熱心なの? お金はあるのに」
そう言われてみるとそうだ。
金貸しで培ったコネで、なんとかなりそうな気がする。
「それはだね、ヴィルマ殿。レオポルド殿が六男だからさ」
あのざーますおばさん、なんと六人の男子の母親らしい。
よく産んだものだ。
「跡取り長男、分家に婿に入った次男、親戚の貴族家に婿に入った三男。四男と五男も仕官先は決まった」
「六男だけ駄目なのですか?」
「末っ子だから、異常に可愛がっているみたいだね」
金貸しとしては素晴らしい才覚を持っていても、自分が可愛がっている息子に対しては盲目に近い状態になってしまう。
だから、なんとか安定した将来を確保してあげようとして、暴走の結果、ついにブラックリストに載せられてしまったらしい。
息子のみならず、母親込みでのブラックリスト入り……珍しいパターンだな。
「母親が悪いのかよ……」
「それがよくわからないのです」
「あれ? ローデリヒは面会くらいはしたんだろう?」
「すみません、リスト入りの人物なので、応募の時点で弾いてしまいました」
他に人がいないわけでもないし、そんなブラックリスト入りの人材に気を使うほどローデリヒも暇じゃないというわけか……。
「実際に会えばわかるでしょう」
「えっ? 会うの?」
「お館様が夫人に懇願され、自ら首を縦に振られたではないですか」
「あれ? そうだっけ?」
ざーますおばさんの話が長すぎて最後は聞き流していたので、無意識にもう一度採用試験をしてほしいという彼女の懇願を認めてしまったらしい。
もし狙ってあの長話をしているのだとしたら、油断ならないおばさんである。
「まあいいけどね……」
鷹揚な振りをして再面接を了承したように誤魔化したが、実はあのざーますおばさんの話に疲れてしまい、無意識に首を縦に振ってしまった事実は内緒にしておこうと思う、俺なのであった。
数日後。
俺は、あのざーますおばさんの息子との面接をおこなった。
もしかしたら、あのざーますおばさんの極端な干渉で苦労している人かもしれないしと、少し同情したからだ。
その気持ちは、ほんの数分後には消滅してしまったけど。
「レオポルド・フォン・シュティールと申します。僕の隠れた才能を見抜くとは、バウマイスター伯爵殿も案外やりますね」
十八歳ほどに見えるざーますおばさんの末っ子は、最初の挨拶から上から目線であった。
自分が雇われる方なのに、なぜかもの凄く偉そうだ。
「ローデリヒ殿は比較的上手くやっている方だとは思いますが、僕に言わせると甘い部分も多いです。僕に任せていただければ、開発計画は二割ほど早まるでしょう」
俺は、前世で知り合った自称経営コンサルタントを思い出した。
自分に任せれば、アイデア満載、労力もコストも大幅削減、売り上げと利益率アップ間違いなしと断言するのだが、具体的にどうするとか、そういう話が出てこない。
たまに騙されてコンサルタント代金を無駄にするどころか、店を潰す人間まで出て、業界では要注意人物扱いされていたのを思い出す。
俺も少し話したことがあるのだけど、彼を思い出させるような喋り方なのだ。
「僕はこれでも、子供の頃から勉学に励み、様々な知識の習得に腐心いたしました。バウマイスター伯爵殿は?」
本は書斎のは読んでいたけど、あとは未開地でずーーーっと魔法の修行三昧だったような。
「いけませんな。バウマイスター伯爵殿は、これから王国でも指折りの貴族となられる方、教養なども身につけ、多くの貴族たちと交流をしませんと」
このレオポルドという若者、言っていることは間違っていないのだけど、とにかくウザい。
俺がこの世界に飛ばされる前に、こういう人のことを『意識高い系』とか言っていたような。
でも、意識高い系って、多分褒め言葉じゃないよな。
意識が高い人、なら褒め言葉かもしれないけど。
面接中、レオポルドは一方的に自分語りを続けた。
隣のローデリヒも、表情が能面のようになっている。
「これからのバウマイスター伯爵領は、帝国との関係も重視しないといけません。僕のような若い才能が、帝国の同じような立場の人々と新しいなにかを作るんですよ」
その『なにか』って、一体なんなのだろうか?
誰か、俺に教えてほしい。
「バウマイスター伯爵家は、西部とのお付き合いが希薄ですね。僕には知己が多いので話を通してあげますよ」
お前、本当にそんなにコネがあるのかよ……。
その後も、レオポルドによる中身のない抽象的な話が続く。
俺たちは、その話を聞き流して時間を潰した。
「本日はご苦労様でした。採用の結果は後日お知らせします」
「バウマイスター伯爵殿、僕を採用し、重用することで、このバウマイスター伯爵領は変わりますよ。劇的にね」
レオポルドは『キラッ』とした笑顔を最後に、俺たちの元を辞した。
「なんか、すげえぶん殴りてぇ……」
「あの親にして、この子ありですな」
話がウザいという点では、確かにあの親子は似ているかもしれない。
「念のためにお聞きしますが……」
「あの親子と会話するのはもう無理」
商社マンだったら我慢するかもしれないけど、今の俺はバウマイスター伯爵だ。
あの親子と顔を合わせないで済む権力くらい行使させてほしい。
「では、不採用ということで」
再面接の約束はしてしまったが、採用するとは一言も言っていない。
俺たちは、レオポルドの不採用を通達した。
そして再面接から数日後。
この日は魔の森に狩りに出かけ、帰りにバウルブルクで買い物をしてから屋敷への道を歩いていた。
「それにしても、あのざーますおばさんは凄かったわね」
「イーナちゃん、そういう噂をしているとまた屋敷の前に……」
「いた!」
本当にあのざーますおばさんが、屋敷の前に立っていた。
あの時と同じ格好で、派手な装飾でキラキラと輝いている。
まるで、南の国で派手に飾られている仏像のようだ。
「ルイーゼさんが噂をするから!」
「えっ? ボクのせいなの? それはカタリーナの言いがかりだよ!」
誰もざーますおばさんのお話など聞きたくないので、なんとかそれから逃れようとした結果、俺を含めた全員の目がエルに向かう。
「俺か?」
「エルは聞き上手だから。私はよく知っているわ」
「イーナ! 今まで俺にそんな風に評価をしたことないだろうが!」
エルの正しい指摘に、イーナはそっと顔を逸らした。
「放置しておけよ!」
「でもさぁ、誰かがお話を聞いてあげないと、ずっとあそこにいるかもよ」
確かにそれは嫌かもしれない。
つまり、誰か生贄が必要というわけだ。
「じゃあ、ルイーゼが話を聞いてやれよ」
「ボクだと幼すぎて、あのおばさんが納得しないと思うんだ。大人が話を聞いてあげた方がいいと思うな」
「お前、こういう時だけ見た目が幼いアピールか? ずるいぞ!」
ルイーゼも正論を言い返されてしまい、そっとエルから視線を逸らした。
「エルヴィンさんは、ヴェンデリンさんの家臣なのですから」
「ああいう一方的に話をする人は、聞いてあげれば満足する。第一、当主の仕事じゃない」
「うっ! 説得力があるな……」
カタリーナとヴィルマには逆に正論を言われ、エルは形勢不利に陥った。
「エルさん、私がお話を聞きましょうか?」
「いや、エリーゼにそれは任せられないから……」
エリーゼは、聖職者的な寛容の精神であのざーますおばさんの話を聞いてあげようとしたのであろう。
だが、下手にエリーゼから言質を取られると、またレオポルドが来て堂々巡りである。
エルはそれがわかったから、静かにざーますおばさんの話を聞きに行った。
足取りが、もの凄く重たそうである。
「俺たちは、『瞬間移動』で屋敷の中庭に飛ぶか」
そして三時間後、エルが魂が抜けきったような表情で戻って来た。
「ううっ……レオポルドちゃんの激動の人生が、大幅増加バージョンで聞けたぞ。チンピラに絡まれた幼馴染を救う話はよくできてた……」
「あのレオポルドに、そんな腕っ節があるのかな?」
「知るか!」
その後、レオポルドが仕官できたのかどうか、誰も知ることはできなかった。
正直なところ知りたくもなかったけど、誰か引き受けてくれないかな?
そうすれば、こっちに被害が来ないんだけど……と思ってしまったのは事実であった。
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