閑話9 エーリッヒの憂鬱

「エーリッヒ殿、あなたは実に運がよろしいですな」


「運がいい? どういうことでしょうか?」


「バウマイスター伯爵殿とその奥方たちは、帝国の騒乱に巻き込まれて行方不明だそうで。となると、あの広大な領地を継ぐのは貴殿のお子だとか。とはいえ、成人するまで領地の経営など不可能でしょうから、実質エーリッヒ殿が領主のようなもの」


「まさに我が世の春ですな」


「是非、エーリッヒ殿のお子と、私の娘を結婚させたいものです」


「ウスラー男爵。抜け駆けはよろしくありませんぞ。エーリッヒ殿、私の娘ならば、貴殿の嫡男殿も気に入るはず」


「私の末妹などはいかがでしょうか?」


「今はなにもわかっておりませんので、こちらとしても打つ手がありません。平にご容赦を」





 親善訪問団の一員として、アーカート神聖帝国に出発したヴェルたちの消息がわからなくなってしまった。

 噂では、帝都で大規模なクーデターが発生したとか。

 竜すら倒すヴェルたちのことだし、ブランターク殿と導師殿もいるから間違いなく無事だと思うけど、早速早合点をした暇な貴族たちがブラント騎士爵家邸まで押し寄せてきた。

 新婚のヴェルには子供がいないため、便宜上、僕たちの子供にバウマイスター伯爵家の継承権が付与されている。

 不謹慎だと思う人もいるかもしれないが、もし本当にヴェルになにかあった場合、あれだけの広大な領地だ。

 しかも、バウマイスター伯爵家が創設されてからまだ日が浅いため、 領地と爵位の継承は非常に面倒なものとなってしまう。

 もし後継者を定めておかなければ、残された親族たちが次期当主の座を狙って激しく争うことになる……本人たちはともかく、いまだ仕官して間もない家臣団や、彼らの実家が口を出せば、混乱は大きくなるはずだ。

 ルックナー男爵家や、彼の道連れで亡くなった貴族たちの例を見れば、それは一目瞭然であろう。

 彼らは事前に後継者を定めてあったが、残念なことに一家が全滅してしまった家が多い。

 強い継承権がある実の子供まで死んでしまうと、 兄弟、甥、従兄弟、叔父なんてさほど血の近さに差がないため、それぞれに支援者たちが集まって争いが大きくなってしまうのだ。

 パウル兄さんとヘルムート兄さんよりも先に結婚して子供がいたため、ヴェルは私の子供たちを後継者に指名した。

 その後生まれた、パウル兄さん、ヘルムート兄さんの子供たちにも継承権が割り振られたが、今のところ、バウマイスター伯爵家の継承権第一位は私の嫡男である。

 だからこうして、叶わぬ夢を見た暇な貴族たちがワラワラと集まってきたわけだ。


「彼らも暇だね。そんなことしてる暇があったら、役職を得られるように努力すればいいものを……」


「お義父さん、面倒かけてすみません」


「別に面倒だとは思っていないさ。彼らを見ていると、自分はしっかりしなければいけないなと、教訓を得ることができるのだから」


「確かにそうですね」


 大体、まだヴェルが亡くなったなんて情報は一つも出ていないのに、彼らは一体なにを考えてるのか?


「先に営業をしておいた方が有利になると考えているのだろう。そもそも、あのバウマイスター伯爵殿がそう易々と殺されるとは思わないが……」


「帝都は大きく混乱しているようなので、 ただ情報が入ってこないだけだと思いますが」


「そんなところだろう」


「ヴェルたちが無事だと知ったら、彼らはどうするのでしょう?」


「どうもこうも。静かになるんじゃないかな。そして、またどこかの貴族家で騒動が発生したら、取り入って利益を得ようと先走るのさ。彼らは常に暇だからね。スピードには長けている。スピードだけしか能がないのには困ってしまうけど……」


 まだヴェルの生死すら不明なのに、私の子供がバウマイスター伯爵家を継ぐことを想定して動く。

 一見優れているように思えるが、やっていることは不謹慎そのものだ。

 早いだけの彼らが、成果を得ることはできないだろう。


「だから役職にも就けない。まともな貴族で、運悪く役ナシだった者たちは、とっくにバウマイスター辺境伯領特需のおかげで忙しいのだから」


 南端の広大な領地の開発が進んでおり、王国の景気はとてもいい。

 帝国内乱の影響で北部は大変だけど、 王国全土で見れば、その影響は限定的と言われるぐらいなのだから。

 おかげで、多くの貴族やその子弟たちが、職や利益を得られた。

 そこから外されている先ほどの貴族たちは、義父に言わせれば『お察しな連中』なのであろう。


「おかえりなさい、お父様、あなた。ふう、大変だったわ」


「どうかしたのかい? ミリヤム」


 買い物から帰って来た妻の表情には、困惑そのものが浮かんでいた。


「『いいわねぇ、あなたの子供が次のバウマイスター伯爵なんでしょう』って、名前も顔も知らない貴族の奥さんに話しかけられて……」


「困ったものだ」


「ヴェル君が、そう簡単にやられるとは思えないけど」


「ミリヤム、そんな連中の話を真に受けない方がいいぞ」


「わかっているわよ、お父様。早くヴェル君たちの情報が入ればいいのに」


 そんな話を家族とした翌日。

 私は突然、ルックナー財務卿に呼び出された。


「色々と外野がうるさいらしいな」


「ええ、私の子が次のバウマイスター伯爵だそうで」


「あいつらは能天気で羨ましいな」


「そうですね。あのくらい能天気だと、人生も楽しいでしょうね」


「それはどうかな? そのせいで役職にありつけないのだから。さて、陛下の元に参ろうか」


「私がですか?」


「直接仕事を頼みたいらしい」


「わかりました」


 陛下と直接顔を合わせたのは、ブラント騎士爵家を継いで襲爵の義を執り行った時だけなので、有名な弟を持つというのはなかなかに大変なものだ。

 周囲の貴族たちからは、『強いコネがあって羨ましいな』と言われることが多いのだけど。


「バウマイスター伯爵家の家宰ローデリヒを助けてやってくれ」


「色々と大変だからでしょうか?」


「バウマイスター伯爵という重い蓋がないだけで、中に入り込んで中身を食い尽くそうとする寄生虫たちが集まっているそうだ」


 バウマイスター伯爵家は新興貴族なので、ヴェルがいない隙を突いて、ということなのであろう。

 もしヴェルが亡くなっていたら、相続で大きな混乱が発生するから、それを利用して利益を得ようとする、どうしようもない連中が集まってきたのであろう。


「じきに バウマイスター伯爵一行の情報も入るはずなので、そうなれば少しは落ち着くはず。クリムトとブランタークがいるのだ。彼らはきっと無事であろう。バウマイスター伯爵領は、将来南方開拓に利用する重要拠点となる。頼むぞ、ブラント卿」


「はっ! すぐにバウルブルクに向かいます」


 ヴェルだけでなく、あの二人もいるから安心か。

 それよりも、バウマイスター伯爵領に急ぎ向かうとしよう。




「公費で魔導飛行船に乗れるのはいいね」



 陛下から直接命令を受け、私はバウルブルクにしばらく滞在することとなった。

 馬車と山脈超えなら三ヵ月以上かかるが、今回は公務なので、魔導飛行船に搭乗できたのはラッキーだったと思う。

 もう何年前になるかな。

 バウマイスター騎士爵領を、パウル兄さん、ヘルムート兄さんと出て王都に向かった時。

 リーグ大山脈を徒歩で越え、ブライヒブルクから王都まで馬車に揺られ続け。

 その時から考えたら、私も出世したものだ。


「ふう、バウルブルクに到着か」


 運賃は高いが、魔導飛行船は時間を節約できて便利だ。

 たった二日でバウルブルク郊外の港に到着し、その足でバウマイスター伯爵邸へと向かう。

 門番に名前を名乗り、来訪した理由を告げると、すぐにローデリヒ殿のいる執務室へと通してくれた。

 ところが、すでに先客がいるようだ。

 しかも、ローデリヒ殿と口論をしているような……。


「だから、このワシにすべてを任せればいいのだ。なにしろこのワシは、バウマイスター伯爵の親戚にあたるのだからな」


「失礼ながら、拙者は存じ上げておりませんが、お館様の親戚というのは本当なのでしょうか?」


「事実だ! このワシは、先代バウマイスター卿の妻ヨハンナの姉の従姉の夫の弟なのだ。バウマイスター伯爵がいない今、この領地はワシが取り仕切ってやろう」


「そのようなお気遣いは無用に願います」


「そう言うものではない」


「私は家宰として、お館様から全権を預かっている身なので」


「このワシの好意を断るというのか? 家宰風情が、バント騎士爵家の当主であるワシに向かって!」


「バント様は、ご自分の領地の経営で忙しいと思った次第でして」


「ああ言えばこう言うだな! とにかく、ワシにすべてを任せればいいのだ!」 


 ……母の姉の従姉の夫の弟は、世間的にはほぼ他人だと思う。

 なるほど。

 陛下が私を派遣した理由がよくわかった。

 こう言っては悪いが、まさかこんなに頭の悪い連中が、早速なにかを企んでいたなんて……。


「バウマイスター伯爵殿の親族なら、ここにいますが」


「おおっ! エーリッヒ様ではないですか!」


 言い争っている二人に声をかけると、ローデリヒ殿が『助かったぁ!』といった感じの表情を浮かべた。

 バント卿の方は、『邪魔者が、なにをしに来やがった!』といった顔色を隠しもしない。


「おかしいですね? あなたは、バウマイスター伯爵殿の親族なのでしょう? どうして私を知らないのですか?」


「ふんっ! 貴様の魂胆など、ワシには読めているぞ! バウマイスター伯爵殿の親族を名乗って、この領地でよからぬことを企んでいるのだろう」


「それはあなたでは?」


「なっ! 若造のくせに無礼な! 名前を名乗れ!」


「私は陛下の命を受け、バウマイスター伯爵領に派遣されて来たエーリッヒ・フォン・ブラントです。ちなみに、バウマイスター伯爵殿の兄でもあります。どうしてバウマイスター伯爵殿の親族であるあなたが、私の顔を知らないのでしょうか?」


「兄だと!」


「母の親戚を名乗るのに、私を知らないなんて、不思議な話があるものですね」


「そっ、それは……そうだ! 急用を思い出したので領地に戻らなければ!」


 なにも言い返せなかったバント卿は、逃げるように屋敷から去って行った。


「エーリッヒ様、助かりました」


「ローデリヒ殿なら、一人でなんとかできたと思いますが」


「あの手の方々の相手をしていますと、本来の仕事に差し支えが出ますので」


「それもそうか」


 ヴェルがいない間、バウマイスター伯爵領が順調に開発されるかどうかは、ローデリヒ殿の手腕にかかっている。

 責任重大だというのに、あんな連中に関わっている時間が惜しいはず。


「これからは、あの手の連中の相手は私がします。なにしろ、陛下のお墨付きを貰っていますから」


「大変ありがたいです」


 やり方が稚拙というか、ヴェルの消息が不明になって混乱している今ならチャンスと見たのか。

 バント卿を始めとして、バウマイスター伯爵領を食い物にしようとする愚か者たちは決して少なくないようだ。


「次々と押し掛けて来て、正直困っていたのです」


 私がいなくても、ローデリヒ殿は上手く追い返しているようだけど、これでは仕事に大きな支障が出てしまう。

 なにより、バウマイスター伯爵領の開発が遅れると陛下の心証も悪くなってしまうのだから。

 こうなることを予想して私を派遣した、陛下の慧眼は大したものだけど。


「私は陛下の代理人……というには小物だけどね」


「いえ、大変助かります]


 こうして私は、しばらくバウマイスター伯爵領に滞在することになったのだけど、 ヴェルの無事が確認されたら、バント卿の手合いが潮を引くようにいなくなってしまったのには笑うしかなかった。

 おかげで、ローデリヒ殿の手伝いができたのはよかったけど。

 私の専門は財務なので、おかしな貴族向けの用心棒というのは性に合わなかったから。





「バント卿? 小さな頃に一度だけ顔を合わせたことがありますが、それだけで彼がそのようなことを? 理解に苦しみますが、私の実家に抗議の意味を含めて手紙を送っておきます」


「母上、わざわざすみません」


「エーリッヒといい、ヴェンデリンといい。偉くなると大変ですね」


 お休みの日、母にバント卿のことを伝えたら、心の底から呆れていた。

 それだけヴェンデリンが偉くなった証拠なのだけど、確かに話を聞くだけでどっと疲れが出てくるのだから。

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