第267話 ブリザードのリサ(前編)

「ううっ……なんか歩きづらいな……」


「ボクも同じ経験をしたよ、懐かしいなぁ」


「それほど前じゃないだろう? ルイーゼはまだ十七歳なんだから」


「そういえばそうだった。内乱のせいで、時間の感覚が……、もう何年も経っていると勘違いしてた」


「帝国の内乱かぁ……。大変だったって、噂では聞いてたけど……」


「どっちが大変なのかな? 内乱? それとも?」


「ルイーゼ、お前なぁ……そういうことを聞くなよ。冒険者のスケベオヤジでもあるまいし……」


「ああ、ルイーゼはそのぅ……精神がおっさん?」


「ヴェル、酷いよ!」






 トンネルの開通から一ヵ月が経ち、いまだ出入り口周辺の工事は進んでいるが、通行量は徐々に増え続けている。

 開発途上のバウマイスター伯爵領で商売を始めるため、商人たちが多数、コストが安いトンネル経由で荷を運ぶようになったからだ。

 それに釣られて、出入り口付近の開発も進んでいる。

 休憩所、待機所、荷を預かる倉庫、トンネル利用者向けの宿泊、飲食、娯楽施設など。

 バウマイスター伯爵領側はパウル兄さんの領地にも近く、そこでも宿屋などの建設が始まっていた。

 ブライヒレーダー辺境伯領側は、協定により、ブライヒレーダー辺境伯家がそれらを受け持ち、色々と建設中だ。

 トンネル警備には王国軍も加わり、その隊長職を陛下の甥が新規に法衣子爵家を立ち上げ、世襲することとなった。

 こうして談合というか、密約というか、純情な若者なら激高しそうな大人同士の馴れ合いが水面下で決められるわけだ。

 カチヤと戦うために武芸大会に出た参加者たちが、その警備隊に優先的に雇用されたなんて事実は公表されなくてもいいし、それでどうにか彼らの実家が納得したなんて事実は、庶民は知らなくていいはず。

 そして、俺には奥さんが増えた。

 元々トンネルの出入り口に領地を持っていた、オイレンベルク騎士爵家の長女である。

 彼女は実家のためだと暴走し、そんな彼女を叩きのめした俺が、なぜか彼女を娶ることとなった。

 そんな理由で……と思う人も多いだろうが、この世界では、そんな理由で結婚してもまったく問題ない。

 この世界では身分の高い人ほど恋愛結婚が珍しく、珍しいから物語になって本が売れるという現実があった。

 身分差のある男女の恋愛なんて、ほぼ創作物のみなのだから。

 それはそれとして、俺と結婚することになったカチヤがどう思っているのかだが……。


『あたいはバウマイスター伯爵様に負けたし、あたいを綺麗なんて言ってくれた人はバウマイスター伯爵様だけだから……』


 顔を赤くさせながら、妙にしおらしい態度で答えるカチヤ。

 こういう人を、チョロイと言うのが正解なのであろうか?

 俺にイケメンやリア充のスキルなど存在しないので、なぜ彼女に惚れられているのかよく理解できない。


『ヴェル様が強かったからだと思う』


『狼の群れみたいだな……』


『狼も人間も動物だから』


 ヴィルマの返答に、なぜか俺は納得してしまう。

 カチヤからすれば、強ければ正義なのであろう。

 その正義である俺に嫁ぐのに、なんの疑問も抱いていないと。

 そんなわけで、カチヤは新しく移転したオイレンベルク騎士爵領から嫁いできた。

 さすがに今回は、オイレンベルク騎士爵家も貴族の礼儀に則って婚礼の準備をしている。

 勝手がわからないので、移封後に近所になったヘルマン兄さんがアドバイスをしていたが、うちの実家が貴族としての常識を他の貴族に教えるなんて、隔世の感というか……他になんて言えばいいのかな?

 他にもこの二つの騎士爵領は、ハチミツ酒、マロイモ焼酎の製造で一致協力していくことになった。

 ハチミツとマロイモで、日持ちするお菓子を作って売り出す計画もあるらしい。

 こういうコラボは、日本の地方名産品でもあったような気がする。


『親父、こんなに奮発して大丈夫か?』


『このくらいなら、それほど負担でもないな』


 カチヤたちは、昔のバウマイスター騎士爵家なら躊躇するほど豪華な婚礼準備を整えた。

 お金は大丈夫なのかと思ったら、実はオイレンベルク騎士爵家は意外と貯蓄が多かった。


『現金収入源は、マロイモと少しの商品作物の販売益だけですけどね』

 

 そのお金を使うのはたまに外に買い物に行くくらいで、なにより大きかったのは、オイレンベルク騎士爵家が成立して以来、ろくに他の貴族とつき合いをしてこなかった点にある。

 なにしろオイレンベルク騎士爵家は、寄親であるブライヒレーダー辺境伯家とだって、ほとんどつき合いがなかったのだから。

 ほぼすべての貴族にとって、交際費ほど頭が痛い問題はなかった。

 貴族は見栄を張らないといけないので、これを減らすのはとても難しかったからだ。

 公債費がほぼゼロだったオイレンベルク騎士爵家って、ある意味凄いと思う。


『オイレンベルク卿、この金貨は、帝国との停戦直後に発行された新金貨の前の金貨ですよね?』


『昔から、金庫に入っていましたね。先祖が貯めていたものですよ』


 歴史は長いが、中央の世情にほとんど関わらなかったオイレンベルク騎士爵家は、旧貨幣を新貨幣に交換すらしていなかった。

 年寄りがタンス預金で、聖徳太子の一万円札を持っているのに似ているかもしれない。


『レートはいくつだったかな? それとも、多少希少価値がありますから、このまま持参金にしますか?』


『そうしましょうか』


『オイレンベルク卿、私にも数枚売ってください。色をつけますから』


 王国も帝国も、停戦後に交易で面倒がないよう、双方が貨幣を新造して金の含有量などを合わせている。

 古い王国金貨の金含有量を知らないブライヒレーダー辺境伯は、古い資料を引っ張り出し、どうにか両替をしようとしていた。

 希少性があるので、コレクションアイテムにするつもりみたいだ。

 オイレンベルク騎士爵領はブライヒレーダー辺境伯家の寄子のままで、バウマイスター伯爵家の準一門扱いにもなっている。

 カタリーナのヴァイゲル準男爵家と同じ扱いだ。

 結婚式はバウマイスター伯爵家内だけで行われたが、そこには一部の貴族たちだけが招待されている。

 仲人役のブライヒレーダー辺境伯は、気合を入れて幹事役をこなしていた。

 そしてその翌日に、エルとハルカの結婚式も行われた。




『ふっ、ようやく俺も結婚か』


『すまんな。時間をかけてしまって』

 

 時間がかかったのは、初めてのミズホ人との結婚式なので、向こうの風習にもある程度考慮したからだ。

 トンネル開通以降、エルは色々とミズホの風習に振り回されて精神的にグロッキーになっていた。

 まずは、正式な婚約のための結納の式。

 結納金、スルメ、カツオブシ、コンブ、酒などを購入して、フジバヤシ家に挨拶に向かった。

 

『正座に慣れてないから、足が……』


 事前に練習していたので結納は滞りなく終了したが、エルは長時間の正座で足が痺れて俺が肩を貸す羽目になった。


『そんなに痺れたの?』


『こらっ! ルイーゼ! 俺の足を触るな!』


『マッサージだよ』


『嘘つけ!』




 ルイーゼが、エルの痺れた足を触って遊んでいた。

 次に、教会での結婚式と披露宴の前に、ミズホ公爵領でも結婚式を行った。

 ハルカは白ムクに似た着物を、エルは紋付袴に似た服を借り、神社と寺が融合したような場所で神に結婚の報告を行う。

 神主とお坊さんが融合したような神官が神に二人の結婚を報告し、エルとハルカが三々九度の盃を交わす。

 思いっきり教会の風習とは違っており、前世で先輩の結婚式に出た時、式が神前だったのを思い出してしまった。

 なんかところどころ違うので、間違い探しみたいに思えてしまうな。


『ヴェンデリンさん、珍しくて参加する方は面白いと思いますが、大分教会とは違いますわね』


『カタリーナ、そこは大人の事情で気にしては駄目だ』


 帝国とミズホ公爵領には、お互いの宗教にケチをつけるのはやめましょう、という秘密紳士協定があったが、王国との間にはなかった。

 そこで、この人物が事前に活躍……暗躍することとなる。


『久しぶりに、えらく苦労したの』


 ホーエンハイム枢機卿は、この秘密紳士協定を王国でも運用するため、宗教家として帝国にまで赴き、交渉等で奔走する羽目になる。

 苦労した分、帝国の宗教関係者とも知己が増え、余計に次期総司教の椅子が近づいたと言われるようになっていた。

 ミズホ側の結婚式が終わると、今度はバウマイスター伯爵領内の教会で行われる結婚式と、バウマイスター伯爵家領主館で行われた披露宴だ。

 ミズホ公爵家側からも多くの人たちが招待され、料理やお酒も王国のものと半々に出され、王国側の招待客にも好評であった。


『結婚を祝う気持ちは本物だが、一石二鳥でミズホ産品の紹介もできてよかったよかった』


 ミズホ公爵は上機嫌で酒を飲み、王国の食べ物を口にする。

 結婚式は無事に終わり、エルとハルカは新婚旅行へと旅立った。

 とはいえ、俺が『瞬間移動』で王都に送り出しただけだが。

 俺たちがいると夫婦水入らずとならないので、王都に送り出してしまったのだ。

 王都には、夫婦で行けるような観光スポットも多い。

 二人は宿に泊まりながら一週間ほど休むことになった。

 さすがに福利厚生がイマイチなこの世界でも、結婚したら一週間くらいは休むのが常識だそうだ。

 ただし俺は……。

 みんな、ローデリヒって奴が悪いんだ。

 それでも、俺とカチヤは初夜を迎えることになった。


『あたい、年上なのに経験がなくてな……』


 実は、カチヤは現在十九歳だ。

 同じ年くらいだと思っていたのに、なんとカタリーナの一個上であった。


『この場合は、あった方が問題じゃないか?』


『そうだけど、あたいにだって年上としてのプライドがあるんだよ』


『それを言うと、テレーゼとか……』


『それを言ってはいけない。ええと、バウマイスター伯爵様って呼ぶのは変だよな?』


『呼び方はご自由に』


『じゃあ、旦那』


『いいと思う』


『なんか、あらためて旦那って言うと照れるな』




 顔を赤らめたカチヤと俺は無事に初夜をすごし、その日からカチヤとは夫婦となった。

 他の奥さんたちは以前からカチヤと仲良くしており、彼女のさっぱりとした性格を好んでいる。

 そのおかげで、すぐにバウマイスター伯爵家に馴染んでくれた。


「むしろ、カタリーナよりも早く馴染んでいる?」


「ヴィルマさん、私がなにか?」


「別になにも」


 ヴィルマの毒舌は、幸いにしてカタリーナには聞こえなかったようだ。

 カタリーナとカチヤ。

 共に最初は俺たちとトラブルがあったが、なぜかカチヤの方が、すんなりと俺たちの輪に入ってきたような気がする……コミュ力の差か……。


「でもなぁ。あたいに貴族の奥さんなんて務まるのかな? 冒険者としては、それなりに活躍していた自信ってのがあるんだけど……」


 貴族の奥さんともなれば、礼儀作法や夫の手助けなどで、腕っ節以外の能力を要求される。

 カチヤは、それが自分に務まるのか心配になったようだ。


「えっ? 大丈夫でしょう? エリーゼが教えてくれるから」


「カチヤさん、こういうことは順番に焦らずにゆっくりとやれば、自然に覚えますから」


「そうなんだ。うちの実家って、そういうことよりも農作業が優先でさ。困っていたところなんだ」


 エリーゼが指導をすると聞くと、カチヤは安心したようだ。

 しかし、さすがは正妻として抜群の安定感を誇るエリーゼだ。

 的確にフォローを入れてくれるな。


「ただ、これからは冒険者として活動できないのが残念だな」


「えっ? なにを言っているの?」


 どこか情報に齟齬があるのか、本当に知らなかったのか?

 カチヤは、普段の俺たちの行動をよく知らないようだ。


「カチヤ、君は即戦力だよ」


 ルイーゼは、その両手を肩の上に置く。


「ルイーゼ、それって?」


「この三日間ほど、カチヤもヴェルのお相手で大変だったと思うから言わなかったけど、今日は魔の森で狩りと狩猟をする予定だから」


「旦那も?」


「最近ヴェルは工事依頼で忙しいから、置いていくと逆に怒るのよね。エリーゼ、支度はできた?」


 イーナは当然という顔をしつつ、エリーゼにお弁当などの準備が終わったか尋ねていた。


「今日は、いきなり中心部には行かないわよね?」


「カチヤさんがいますし、カカオの在庫が心許ないと、アルテリオさんが言っていましたわよ」


「チョコ、チョコ」


「という訳ですので、本人が嫌がらなければ、狩りには普通に行けますけど」


「貴族らしくないあたいが言うのもなんだけど、バウマイスター伯爵家って変わってんのな」


 その日はカチヤも連れ、久しぶりにみんなで狩りと採集を行った。

 現在の魔の森は、付近に数十ヵ所も村や町が完成し、冒険者たちが目当ての獲物や採集物を求めて生活している。

 長期滞在用の宿や借家が追加で多数完成し、冒険者たちはそこで寝泊まりをしながら魔の森に入っていくのだ。


「噂には聞いていたけど、魔の森って魔物が多いな」


「危険だけど、実入りはいいよ」


「実入りをルイーゼが気にする必要あるのか?」


「ボク、バウマイスター伯爵領内の魔闘流道場の総締めだから」


 領内中に道場を建設し、そこに兄や弟などの親族を道場主として配置し、ルイーゼが産んだ子供たちがバウマイスター伯爵家魔闘流指南役となる。

 現時点でもルイーゼの活躍のおかげで門下生は増えており、彼らを纏め、管理をおこなうのが彼女の仕事となっていた。


「とはいえ、兄と弟に丸投げでなにもしてないけどね。資金は出しているんだよ」


「私もルイーゼと同じね。槍術指南役と、槍術はバウマイスター伯爵家中で習っている人が多いから。道場の建設にもお金を出しているし」


 イーナも、バウマイスター伯爵領内に槍術道場を増やすため、自分でお金を出していた。

 警備兵の必須技能なので習っている人が多く、道場の建設は急務であったからだ。

 ローデリヒは槍術の達人であったが、正式に免許皆伝や目録を受けていなかった。

 なので彼も入門しており、それが余計に門下生の増員に拍車をかけているようだ。

 会社と同じで、上司と同じ趣味や習い事をして仲良くなろうとする部下、というのは存在する。


「カタリーナは?」


「私は、ヴァイゲル準男爵家飛躍のため、仕送りをしておりましてよ」


 ヴァイゲル準男爵領内の開発を促進するため、カタリーナも定期的に仕送りをしていた。


「ヴィルマは?」


「美味しい物を買う。狩って、採集して食べる」


「ふーーーん」


 ヴィルマは特に難しく考えない。

 自分の子供はバウマイスター伯爵家の分家を創設するのであろうし、普段は美味しい物を沢山食べるだけだ。

 

「ヴェル様と一緒にいられるし、美味しい物が採れてお金にもなる。不満はない」


「なるほど、あたいも頑張らないとな」


 その日は夕方まで狩りに採集にと頑張ったわけだが、屋敷に帰る準備をしているとなぜかカチヤが首を傾げていた。


「どうしたんだ? カチヤ」


「なあ、旦那。気のせいか、あたいの魔力が増えたような気がするんだ」


「ああ、それね……屋敷に戻ったら話すよ」


 こんな場所で話すのもなんだと思い、俺たちは急ぎ屋敷へと戻った。

 さらに、ブライヒブルクからブランタークさんを『瞬間移動』で連れて来る。


「カチヤは元から魔力があったものな。そんな予感はしたけどよ」


「ブランターク様、どういうことなんだ?」


「それがな……」


 ブランタークさんはカチヤに、その認識は間違っていないと説明する。

 間違いなく、カチヤの魔力が増えているのだと。


「この三日ほどで、魔法の威力と保ちが全然違うからな。あたいなんてこれまでは、『加速』を多く使うと午前中で魔力切れだったから。しかし、なんでだ?」


「それは至極簡単は話だ。伯爵様とそういうことをしたからだ」


「そういうこと?」


「夫婦になるとするアレだな」


「アレって……」


 妻たちの中では年齢が上の方なのに、その手の免疫がないカチヤは顔を真っ赤に染めた。


「そんな話は、聞いたことがないぞ!」


「嬢ちゃんが聞いたことがなくても、伯爵様にはそういう謎の能力があるんだ。ああ、他に漏らすなよ。大混乱になるから」


「いくらあたいがバカでも、それはわかる」


 間違いなく、魔力を増やしたい女性たちが殺到する。

 カチヤは、すぐにそれを理解した。

 一応魔法使いだからこそ、すぐにその能力を理解したのだ。


「伯爵様よぉ……」


「いやだって、ブライヒレーダー辺境伯がちゃんと泥を被ってトンネル利権を取っていれば、こういうことにはならなかったのでは?」


 俺に文句を言われても困ってしまう。

 俺は、あのトンネル騒動を解決させた功労者だというのに。


「ううっ……至極まっとうな反論で言い返せねぇ……」


 ブランタークさんは、自分の主人の不手際を俺に指摘されなにも言い返せない。

 それに、カチヤと形式上だけの夫婦になるのは失礼であろう。

 別に、彼女は嫌な女ではないのだから。


「もう堂々巡りだな。伯爵様の奥さんが増え、その人の魔力が上がり、それをどう秘密にするかという話になりと……」


「世間に知られると大騒ぎになる能力だから、仕方がないですよ」


 自分も魔力が上がって魔法が使えるようになったイーナからすれば、これが世間に漏れた時に起こる騒ぎが容易に想像できるのであろう。

 黙っているしか方法はないと。


「これまでは魔法が使えないと思われていた人たちの中から、魔法使いが現れるというのが凄いですからね」


「でも、エリーゼ。アマーリエさんは?」


 カチヤは、アマーリエ義姉さんが魔法使いでないことが不思議なようだ。


「隠れている魔法使いの素質を引き出すだけで、魔法使いの数は増えるけど全員じゃないんだと思う」


「ヴィルマとイーナちゃんは素質があったんだね」


 ヴィルマの推論に、ルイーゼは納得した表情を浮かべる。


「『加速』と『身体強化』の他にも魔法が使えるようになるといいな。そうしたら、カタリーナに魔法を教えてもらおう」


 カチヤは、自分の魔力が増えて嬉しいようだ。

 新しい魔法が使えるかもと期待している。


「私も教えますけど、お師匠様にも基礎を教わった方がいいのでは?」


「それもそうだな。ブランターク様、魔法を教えてくれ」


「それはいいけどよ。なあ、伯爵様?」


 突然、ブランタークさんが険しい表情になる。

 その視線の先を見ると、端のテーブルの上でアマーリエ義姉さんとテレーゼが楽しそうに話をしていた。


「この水晶玉、私の実家にもあったわ」


「帝国でも、貴族の家には必ずあったの。魔法使い発掘のためにじゃが、これが意外と高価での。しかし、魔法使い発掘のためには配らねばならない。よく落として壊すのがいるから、補充申請がくると、担当者が溜息をつくのだ」


「水晶玉だから高価だものね」


 楽しそうに話をする二人のテーブルの上には、俺が子供の頃に魔法使いの素質を探るために使用した水晶玉があり、テレーゼがそれに手をかざしていた。

 水晶玉は、綺麗な虹色をしていた。


「手をかざすと虹色になるのよね。私も子供の頃にそうなったのを覚えているわ」


「そして、魔法の才能があるとこれが消えるわけじゃ」


 テレーゼが手をかざしている水晶玉から虹色が消え、これは彼女に魔法使いの才能があることを示した。


「体が熱くなってきたの」

 

「あら、ということは魔法の才能があるのね」


「妾も、子供の頃には魔法使いになりたくて堪らなかったからの。水晶玉をかざし、本を読んで遊んだものよ。魔法の鍛錬方法など、そこいらの魔法使いよりもよっぽど本を読んで勉強したわ」


 テレーゼも子供の頃に魔法使いを夢見て、それが叶わなかった口らしい。

 それが突然、魔法使いの才能が発露し、とても嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「その時は駄目だったのよね?」


「二十歳をすぎて、魔法使いの才能が出るか。これは嬉しい誤算じゃの」


「こういう風になるのね。私も魔法を使えればよかったのに」


「隠れた魔法の才能? 今のところは、ヴェンデリンでないと引き出せないものなのかもしれぬの」


 年上二人組は、わいわいと楽しそうに話をしている。

 今になって、テレーゼに魔法使いとしての才能が現れた。

 それがなにを意味するのか、ブランタークさんは気がついたようだ。


「伯爵様……」


「あはは、俺もブランタークさんと同じ男ってことですよ」


「そこで俺は関係ないだろうがよぉ……」


 なんのことはない。

 ただ単純に、俺とテレーゼがそういう関係になってしまっただけだ。


「奥方様たちは怒らないのか?」

 

 ブランタークさんは、最後の防波堤だと思っていたエリーゼたちを問い詰めた。


「今のテレーゼさんなら、特になにも」


 エリーゼからすれば、俺が帝国に居辛くなったテレーゼの身柄を引き受けた時点で覚悟はしていたというわけだ。

 それと、もうフィリップ公爵ではないテレーゼに対し特に含むものはないとも。


「テレーゼさんの助言には助かっていますし」


 エリーゼは法衣貴族の娘なので、バウマイスター伯爵領の統治の補佐で甘い部分が出てしまう。

 実は、それを密かに補っているのがテレーゼであった。

 伊達に、あの大きな領地で独裁権を持っていたわけではないらしい。

 自分が表に出ると面倒になるのであくまでも密かに助言を行い、公式にはバウマイスター伯爵領にお世話になっている隠居様という姿勢を決して崩さなかった。

 その姿勢はローデリヒにも好かれていたし、エリーゼたちも一緒に料理などをする仲になっている。


「結局トンネルの件は、テレーゼの意見が一番正しかったわけだし」


「イーナよ。それは妾が部外者だから言えたことだぞ。為政者とは、考え過ぎて時に妙な回り道ばかり彷徨うことがあるからの」


「でもさ。結局、ヴェルがトンネル利権を取って一番穏便に解決したよね?」


「そうさの、ブライヒレーダー辺境伯が取ると『寄親だからといって、お前ばかりずるいぞ!』と非難されかねん。それが嫌だったのであろう」


 テレーゼは、時にそういう嫉妬が貴族を没落させる要因になるのだとルイーゼに説明した。


「旧オイレンベルク騎士爵領の大半は譲渡して、トンネル周辺に作る施設の建設と運営は任せた。十分に元は取っている」


「ヴィルマの言うとおりじゃ。上手くいってなによりじゃの。それにの、ブランターク」


「はあ……なんでしょうか? テレーゼ様」


 エリーゼたちの支持を得られず、ブランタークさんはゲンナリとした表情を浮かべる。

 まさか、俺とテレーゼの仲が公認だとは思わなかったのであろう。

 いや、俺も勝手にテレーゼとそういう関係にはならない。

 なぜなら、エリーゼたちが怒ると怖いからだ。


「妾は、公式にはヴェンデリンの妻ではない。しかしながら、隠居後にバウマイスター伯爵領で世話になっている時点で、多くの貴族たちは妾をヴェンデリンの愛人扱いするであろう。扱いとしては、アマーリエと同じじゃの」


 周囲の人は『そういう関係なんだろうな』と思いつつ、それを表立っては大きく言わないというわけだ。


「そういう批評を封じ込められる力があるのじゃから、ヴェンデリンの好きにするがいいわ。妾は生活には困っておらぬし、子供が産まれたら、将来の保証さえしてもらえればなにも言うことはない。幸いにして、今のバウマイスター伯爵家には、分家だの家臣家の枠が多く余っておる」


 自分の子供を、バウマイスター伯爵家の後継者にするつもりもない。

 テレーゼ自身がその件で散々に兄たちと揉めたので、自分の子をそういう立場にしたくないのであろう。


「妾はこれまでどおりじゃの。同じ境遇のアマーリエと仲良くやるから、気にするでない」


「ううっ……」


 テレーゼは、自分で俺の奥さんになるつもりがないと宣言する。

 あくまでも、非公式の愛人の立場を貫くわけだ。

 そして、これにブライヒレーダー辺境伯は文句を言えない。

 他の貴族たちも同じで、なぜならこういう立場の女性を抱えている貴族は多く、下手に非難するとブーメランになって自分に戻ってきてしまうからだ。


「というわけで、妾も魔法の鍛錬を頼むぞ」


「俺がやるに決まっています。他に漏れると面倒だから」


「どうせじきに漏れるのじゃ。とはいえ、今は『遅咲きの魔法使いテレーゼ、衝撃のデビュー』のため、密かに特訓を受けるとするかの」


 などとのん気なことを言いながら、テレーゼは水晶玉と体に魔力を流す鍛錬を続けている。

 話しながらそれができるということは、彼女が優れた魔法使いの才能を持つ証拠であった。


「お師匠様、私も手伝いますわ。カチヤさんの指導もあるでしょうから」


「そうだな、秘密保持のためなら導師でもいいんだが……」


「導師様は、あまり初心者の指導には向いていないかと……」


 十分に天才のカテゴリーに入るカタリーナをして、導師の指導方法にはついていけないという認識のようだ。


「うん、向いてない。初心者じゃなくても人を選ぶもの!」

 

 過去に導師の修行を二年半も受けたルイーゼが、カタリーナの意見に賛同する。

 俺もその意見に賛成だ。

 第一、俺とルイーゼ以降、彼の弟子になれた者など一人も存在しないのだから。


『最近の若い魔法使いは、軟弱なのが多くて困るのである!』


 この前うちに飯を食いに来た時、導師は、最近の若者は少し厳しく教えるとすぐに逃げ出してしまうと、珍しく一人で怒っていた。

 

「その前に、導師は忙しいからな」


「忙しいの? どうしてです?」


「それはな……」





『本日は、帝国内乱で大活躍されたアームストロング導師様のお話です!』


『……某は……』


 基本的に通常業務が少ない導師は、現在陛下の頼みで王国各地に講演の仕事で出かけていた。




「導師が? あの人、ちゃんと喋れるのかな?」


「大丈夫だろう。よくは知らんけど。にしても、テレーゼ様に魔法を教えるのか……」


 ブランタークさんは、翌日からブライヒレーダー辺境伯の許可を得てカチヤとテレーゼの魔法指導を開始する。

 また彼の弟子が増えたわけだ。


「どうしてか、俺に魔法の指導を頼む人が多いんだよな」


 それは、導師よりも理論的かつ効率的でまともな指導ができるからだ。

 師匠もブランタークさんの薫陶により、俺を上手に指導してくれた。


「まあ、ボチボチとやっていくさ」


 カチヤは、徐々に上がっていく魔力の適切な使用方法と新しい魔法の習得を目指す。

 テレーゼは、基礎訓練と自分の魔法の方向性を探るという課題に取り組んでいた。

 カタリーナが補佐に入り、屋敷の裏庭は真面目な空気に包まれる。


「前のあたいは、魔力が少ないから高名なブランターク様に魔法を教えてもらうまでもなくてな。あくまでも冒険者の枠で、『ブリザードのリサ』に魔法を教わったんだ」


 ブリザードのリサの名は、前に聞いたことがある。

 前にブランタークさんが、高名な冒険者兼魔法使いだと言っていた記憶があった。

 超一流で、高額な依頼料を取る人だとも。


「へえ、あいつが人に教えることなんてあるんだな」


「知っているのか? ブランターク様」


「あいつが新人冒険者の頃に、少しだけ教えたことがある」


 さすがはブランタークさん。

 その顔の広さは、冒険者の中でも屈指であった。

 そんな高名な人に魔法を教えた経験があるなんて。


「姉御が、そんなことを言っていた記憶がないな」


「姉御?」


「それがさ旦那、『師匠』って呼ぶとババ臭いイメージになるから嫌なんだと」


 カチヤには意地でも姉御と呼ばせ、他の呼び方だと怒るのだそうだ。

 姉御もババ臭いような気がするが、本人が気に入っているらしいので構わないのであろう。

 俺は師匠のことは師匠と呼んでいるけど、あの人は年齢よりも若く見えたし、それなのに威厳のようなものも兼ね備えていたような気がする。

 語り死人だったから、年は取らないんだけど。


「カチヤ、ブリザードのリサって何歳くらいなんだ?」


「ええと……いくら旦那の願いでも、姉御の年齢は言えないかな」


 微妙なお年頃で、それを指摘するとカチヤでも怯えさせる事が可能なのであろう。

 カチヤは、意地でもブリザードのリサの年齢を言わなかった。

 

「カチヤ、その人って独身?」


「残念ながら?」


「納得できた。でも、なぜ疑問形?」


 女性の身で、超一流の魔法使いで冒険者でもある。

 これに加えて、カチヤが姉御とまで呼ぶ人なのだから、ルイーゼの予想どおりに独身なのであろう。

 実はこういう人は、冒険者では珍しくない。

 変な男性と結婚するくらいなら、一人で稼いで面白おかしく暮らすというやつだ。


「姉御の場合、結婚願望は凄いんだよ。相手がいないだけで……」


「それはわかるわ。あいつ、若い頃からすげえ気が強かったからな……」


 元の性格もあるし、冒険者という仕事の特性上、男になんて舐められて堪るか、という人が多いのも特徴だ。

 過去に邂逅があったブランタークさんも、心当たりがあるらしい。


「美人ではあるんだがな……」


「へえ、そうなんですか」


「伯爵様がもらってみるか?」


「いえ、いいです……」

 

 同じ冒険者兼魔法使いとして活動していたカタリーナに比べると、どこか地雷臭のようなものを感じてしまうからだ。

 カタリーナの場合は、あれで色々と可愛い部分があるのだから。


「でもその人、弟子の結婚式に来なかったんだね」


 そういえば、ルイーゼの言うとおりだ。

 彼女クラスの魔法使いならいくらでも出席可能なのに、式に姿を見せていなかった。


「招待状は送ったんだよ。でも姉御、どうしても外せない仕事があるからって……」


「それは事実なのかしら?」


「「「「「うーーーん」」」」」 


 イーナの疑問に、全員が首を傾げてまう。

 移動時間も合わせて式の招待状は大分前に送るから、そう仕事のスケジュール調整が難しいこともないはずだ。


「姉御は強いから、指名依頼も多いし……」


 カチヤの口調も、大分歯切れが悪い。

 もしかすると、『年下の弟子の結婚式に出たくないという個人的な感情があったのでは?』と思っているのであろう。


「まあ、なんだ。今は魔法の練習をしようぜ」


 話の流れが悪くなったので、ブランタークさんが二人の魔法練習を再開しようとする。

 するとそこに、メイドのレーアがなにかを持ってやって来た。

 実は現在ドミニクが産休中で、彼女の仕事の大半をレーアが担当していたのだ。

 少し心配になってしまうが、内乱中に厳しくドミニクから教育を受けたようで、今のところ目立った粗は見つからない。


「お館様、カチヤ様にお手紙です」


「あたいにか?」


「差出人は、リサ・クレメンテ・ウルリーケ・エクスラー様と書かれていますね」


「姉御だ……」


 意外な差出人に驚きつつも、カチヤは手紙の封を切って手紙を読み始める。

 

「『近日中に、新妻になったカチヤの顔を拝みに行くから。バウマイスター伯爵様って、どのくらい強いのかしらね? もの凄く興味があるわ……』」


「あかん……これは面倒な人だ……」


 自分の弟子がどんな新婚生活を送っているのか。

 加えて、俺がどのくらい強いのかとか、バトルジャンキー的な話になっている。

 少年誌のバトル漫画でもあるまいし、そういう人は基本的に勘弁してほしい。

 

「カチヤの師匠らしい」


「ヴィルマ、あたいは姉御ほど戦闘的じゃねえよ」


 カチヤは、自分がブリザードのリサと同等の戦闘狂だと思われるのが嫌なようだ。

 必死に否定した。


「そして、自分が未婚なのに弟子の心配。まさに小姑」


「ヴィルマ、お前は本当に容赦ないよな……」


 カチヤが、ヴィルマの毒舌ぶりに呆れていた。


「カチヤさんとテレーゼさんの魔力が増えた件をどう隠しましょうか?」


「いや、あいつは超一流の魔法使いであって、隠すのは無理だから」


 カタリーナの意見を、ブランタークさんが否定する。 

 なににせよ、俺たちは面倒な客人を迎え入れる未来が確定してしまった。

 それにしても、『ブリザードのリサ』ねぇ……。

 どんな人なんだろう?

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