第257話 接待旅行(後編)
「暗い、寒い、まだ日が昇る気配もない」
「ヴェル様、でも絶好の時間だから」
そして次の日の早朝。
釣り人からはマズメの時刻と呼ばれる時間帯。
季節はまだ冬なので日が昇る前の暗い中、俺、導師、カタリーナ、ヴィルマ、フィリーネの五名は、宿泊したゲストハウスから少し離れた川の河口にいた。
「バウマイスター伯爵様、このポイントですだ」
「ここか……」
昨晩は、『ハゼのボスなんているか!』と思った俺であったが、実は存在するのだと、普段川を管理している老人から教わり、俺も急遽ボス釣りに参加することにしたのだ。
まさか、本当にいるとは……。
どうして俺も参加するのかって?
釣り漫画のような展開で、面白くなってきたからだ。
「ハゼは一年から二年で死んでしまうんですが、そのボスハゼは何十年、何百年も生きているって噂でさぁ。ワシの爺さんも見たことがあるって言うておりました」
彼の家は、ミズホ公爵家専用の釣り場であるこの川を普段から管理している一族である。
毎日密漁者対策で川を見回っており、何回か川底に見える全長二メートルほどの巨大ハゼを見たことがあるという。
「全長二メートルは凄いな」
ハゼは産卵をすると死んでしまうので、それを放棄して成長、生き続ける個体か。
なんか、段々と話が盛り上がってきたな。
そんなお化けハゼを是非釣ってみたいものだ。
「でも、全長二メートルのハゼだと、昨日の仕掛けでは通用しないよな」
「そう思って、準備しておいた」
さすがは、釣りでは妥協しない女、別名『釣りガール(死語)ヴィルマ』。
昨日のうちに、世話役の老人に頼んで仕掛けを用意していたとは。
相当気合が入っているな。
「しかし、どうしてヴィルマが準備を? ボスを釣るって言っていたのはカタリーナだったような……」
「私はこれまで、魚は魔法でしか獲ったことがないのです。そこで、ライバルであるヴィルマさんに頼みましたわ」
「おい……」
ものは言いようというか、釣り勝負で、超初心者が超ベテランをライバルだと言い張れるカタリーナは、いい性格をしていると思う。
「つまり、カタリーナ嬢はビギナーズラックを狙っているのであるか。ならば、某にもチャンスがあるのである!」
「導師様、私も大物釣りたいです」
導師とフィリーネも竿を取り、ボス釣りへの参戦を表明する。
なお今回は、エリーゼ、イーナ、ルイーゼ、ハルカは不参加であった。
『なにか釣れたら、朝食用に調理しますね』
エリーゼたちは、もう少し遅く起きてから朝食の準備をしてくれるそうだ。
朝食が豪華になるかどうか、俺たちの釣果にかかっている。
「ゴツイ仕掛けですね、ヴィルマ様」
「このくらいじゃないと、ボスがかかると対処できないから」
と、フィリーネに説明するヴィルマ。
磯竿のようにゴツイ竿、デカいリール、昨日使ったマダラ大クモの糸を六本もより合わせてから特殊な加工をしたライン、重いオモリ、大きな針と。
これなら、ちっとやそっとの大物でもバラす心配はないだろう。
「餌は?」
「これ」
ヴィルマが差し出したバケツの中には、小さな蛇に見えるほどの大ミミズが沢山入っていた。
「このくらい大きくないと、大物が食わない」
「ハルカは連れてこなくて正解だな」
普通のイソメでも駄目なのに、こんな化け物ミミズを見たら卒倒するかもしれない。
そして、エルがそれを介抱する……そんなリア充の光景など、ボス釣りのロマンには不要なのだから。
「針を隠すようにつけてから、仕掛けを狙ったポイントに投入する」
大きな針に大ミミズをつけたヴィルマは、ゴツイ竿を軽く振って狙いのポイントに仕掛けを投げ入れる。
狙いどおりのポイントに投げられたようで、やはり彼女はイカス(死語)釣りガールであった。
実にいい腕前をしているな。
「餌が底に沈むのを待ってから、糸フケを取ってアタリを待つ」
「誘いは必要ないのか?」
「水の中でミミズが暴れるから必要ない」
なるほど、これほどのお化けミミズだ。
さぞや暴れて、魚の興味を引くのであろう。
「そして、待ちながら甘酒を飲む」
「ヴィルマ様、甘酒が美味しいですね」
「これも寒い時期の釣りの楽しみ」
最後のはいらないような気もするが、今は冬の早朝なので寒い。
世話役の老人が甘酒を温めており、みんなに配ってくれる。
空腹に、温かくて甘い甘酒は最高であった。
「じゃあ、俺たちも始めるか」
ヴィルマの見本に従って、俺たちもミミズ餌をつけてから仕掛けを投入する。
「(『きゃあーーー、ミミズ怖い』とか言う女子はいないなぁ……)」
「ヴェンデリンさん、なにかおっしゃいましたか?」
「ううん、なにも」
いたらいたでムカっとするのだろうが、一人もいないというか、唯一いたのがエルの婚約者という時点で少しモヤっとした。
カタリーナも平気な顔をして針にミミズをつけており、この世界の女性は逞しいというか……彼女の場合、そのくらいでビビってたら魔物なんて狩れないから当然か。
「狙った場所に仕掛けを投げ入れるのは難しいな」
大きな竿に慣れず、なかなか思ったポイントに仕掛けを投入できないが、多少ズレていてもなんとかなるだろう。
「最後に、某が絶妙なポイントに投入するのである。ふんぬ!」
などと言っていたくせに、導師は川の向こう側まで仕掛けを飛ばしてしまった。
釣りなのだから、最低限水の中に仕掛けを入れないと、魚がかからないというのに……。
「導師……」
「仕掛けが切れていないか心配」
「私よりも下手ですわね……」
つい冷たい視線で導師を見てしまう俺たちであったが、唯一の例外がいた。
「導師様、もの凄い力ですね」
「であろう? やはりフィリーネはわかっているのである」
なぜか、フィリーネだけが目を輝かせて喜んでいた。
導師も褒められて満更でもないようで、この二人、血は繋がっていないがまるで親子のように息が合う。
「次は、もう少し力を抑えて投げるのである」
幸い、木の枝などには引っかかっていなかったようで、導師はリールを巻いて向こう岸の仕掛けを回収し始めた。
すると、突然もの凄いヒキが導師を襲う。
「なにか釣れたのである!」
「一番ですね、導師様」
導師のファーストヒットにフィリーネも喜んでいるが、なにかがおかしい。
地面を引きずっている仕掛けなのに、魚がかかるわけがないからだ。
「あきらかに魚ではありませんわよね?」
「水の中じゃないから当然」
「なにが釣れたのかは、仕掛けを巻いてみれば一目瞭然なのである! ふんぬ!」
強烈なヒキのようだが、導師のパワーにかかればなんの問題もない。
ゴリゴリと音を立てながら、止まることなく仕掛けが巻かれていき、いよいよ俺たちの視界に掛かった獲物が姿を見せた。
「猪?」
掛かっていたのは、なんと小さめの猪であった。
「どうして猪が?」
「この辺の猪は、この大ミミズが好物なんでさぁ」
世話役の老人が説明を始める。
「大ミミズが生息するこの近辺は猪の猟場でもありまして、猪はよく地面を掘って大ミミズを探しているんでさぁ」
猪狩りに来た猟師は大ミミズがいそうなポイントを探るし、成果が芳しくない時には、大ミミズを掘って釣り具屋に売りに行くそうだ。
「猪が獲れない時でも、お小遣い程度にはなりますので」
「へえ、そうなんだ」
そんな話をしている間に、憐れな猪は導師によって川の向こう岸から水中に引きずり込まれ、段々とこちらに引き寄せられていく。
必死に抵抗しているようだが、相手は竜をぶん投げる男だ。
猪くらいでは、導師のパワーに対抗できなかった。
よく見ると、猪の口に針が刺さっているのが確認できたが、思ったよりも深く突き刺さっているようで、導師がゴリゴリリールを巻いてもバレなかった。
結局導師の側まで引き寄せられた猪は、彼に一撃で殴り殺されてその命を終えてしまう。
憐れな猪は、すぐに近くの木にロープで吊るされて、世話役の老人によって血を抜かれていた。
「某が、一番に釣ったのである」
「導師様、凄いです」
「あきらかに釣りの成果じゃないですし、本来の目的は巨大ハゼなんですけど……」
釣りに来て猪を釣るなんて奇跡を起こせるのは、間違いなく導師だけであろう。
カタリーナとヴィルマも俺と同じ意見のようだが、なぜかフィリーネだけは一人導師を褒めている。
「アタリがきましたわ!」
導師の謎の釣果はさておき。
釣りを再開した直後、本当の意味での最初の釣果はカタリーナが獲得した。
「巨大ハゼではないと思いますが……」
カタリーナもしばらくリールを巻いて奮闘していたが、あがった獲物はスズキによく似た魚……いやどう見てもスズキであった。
「いいサイズの『シロ』ですな」
世話役の老人が、タモで八十センチほどのスズキを掬う。
この世界では、スズキではなくシロが正式名称のようだ。
「洗い、煮魚、焼き魚、揚げものなど。なんにでも料理できる白身の魚なので、シロという名前だとか」
「一つ勉強になったな」
世話役の老人から豆知識を得てから、俺たちは釣りを続行する。
その間、彼は導師が釣った猪の解体に、カタリーナが釣ったシロを締めてから血を抜き、内臓とエラを取る作業を熟練の技で行っていた。
「おっ! 釣れたぞ!」
「バウマイスター伯爵様、私も釣れました」
「某も釣れたのである」
マズメの時間なので、アタリは多い。
すべて大型のシロであったが、大物ばかり釣れるので意外と面白い。
これだけ釣れれば、エリーゼたちへのお土産も十分であろう。
「これは大物」
ヴィルマは一メートルを超えるシロを連続して釣り、その腕前のよさを証明した。
これだけ大きい魚なのでヒキも強いが、怪力のヴィルマは、ラインの強さも利用してゴボウ抜きにしてしまう。
「大漁で、ご案内した甲斐がありますなぁ」
釣れた魚を締めながら、世話役の老人が安堵した表情を浮かべる。
事前にミズホ公爵から、俺たちが大切な客だと言われていたのであろう。
「お化けハゼは釣れていないけど、まあしょうがないか」
警戒心が強いからこそ、これまで釣れていないのだろう。
昨日今日で、そう簡単に釣れるものでもないはず。
「お化けハゼは、この川にいてこそのボスなのだと思いますわ」
最初に自分が釣りたいと言ったくせに、カタリーナは大物のシロを釣ると満足してしまったようだ。
負け惜しみなのか、悟ってしまったのかよくわからないが、釣り漫画でヌシがいる釣り場近くに住む、地元住民のようなことを言っている。
「結構釣れたし、朝飯でこれを塩焼きにしよう」
「美味しそうですね、導師様」
「うむ、楽しみなのである」
こちらも、大物が釣れて満足したのであろう。
導師は、素直に仕掛けを巻いて帰る準備を始める。
フィリーネも、導師と一緒に釣竿の片付けを始めた。
「じゃあ、そろそろ終わりにする」
ヴィルマも仕掛けを巻いて回収し始めた時、唯一釣りを続けていたカタリーナの竿にアタリがくる。
だが、それほどの大物というわけでもないようだ。
「三十センチくらいのシロですわ」
ヒキもそれほど強くないようで、カタリーナは軽くリールを巻いて簡単に魚を水面まで手繰り寄せた。
「そのくらいですと、我らは『シロコ』って呼ぶんでさぁ」
スズキと同じく、成長の度合いに応じて呼び方が変わるようだ。
ただ、スズキのようにいくつも呼び方が分かれてはいない。
三十センチ以下のものをシロコと呼ぶだけだそうだ。
「このくらいのサイズですと、リリースですわね」
魚の鼻を水面の上に出しながら、カタリーナが余裕でリールを巻いていた。
あとは、一旦取り込んでから針を外して放流するだけだとみんなが思ったその時、突如水底から巨大な影が現れ、カタリーナが釣った小さなシロを呑み込んでしまう。
「バウマイスター伯爵様、もの凄く大きな魚が釣れましたよ」
「凄い、ツキがイマイチのカタリーナが奇跡を起こした」
フィリーネは大喜びで、ヴィルマは何気に酷いことを言っている。
確かにカタリーナは、ステータスが見えるようになったら、運の数値が平均を下回りそうだけど……。
大きな魚は瞬時に小さなシロコを呑み込み、そのまま水底へと泳いで行こうとする。
運よく小さなシロコに掛かっていたハリがそのまま大きな魚にも掛かり、カタリーナは川に引きずり込まれるかのような、強いヒキに襲われた。
「ヴェンデリンさん! やりましたわよ!」
「偶然とはいえ、大したものだ」
釣れた小さな魚が餌となり、本命の大魚がかかってしまうとは……。
今日ばかりは、カタリーナの運の勝利であろう。
「頑張って取り込むんだ」
「えっ? 手伝ってくれないのですか?」
「あれ? 自分一人で釣らないと意味がないのでは?」
私が釣ったと自慢するためには、自分一人で最後まで取り込まないと意味がない。
それに、カタリーナには魔法があるのだ。
いくら大魚が相手でも、十分に一人で釣れるはずだ。
「『身体強化』があるじゃないか」
「私、風の系統が得意なので、機動力を上げる魔法しか習得しておりませんので」
「系統は関係ないだろうが……」
火はパワーで、風はスピードとか、『身体強化』に系統なんて関係ない。
ただ、カタリーナが習得できなかっただけだ。
まあ、彼女は後方で魔法を放つ戦法を行使するので、無理に導師のような『身体強化』を使う必要はないのだけど。
「ヴェンデリンさん、急いで助けてくれないと、私が川に引きずり込まれるのですが……」
「さすがはボス、もの凄いパワーだな」
たかがハゼのはずが、さすがに全長二メートルを超えているとパワーも凄いようだ。
カタリーナが川に引きずり込まれそうになり、リールからもラインが出っ放しである。
俺は急ぎ自分に『身体強化』をかけ、カタリーナから竿を受け取った。
「本当にいるとなれば、この川のボス。釣らせてもらうぜ!」
ただし、俺の釣りの腕前も素人も毛が生えた程度である。
魔法で強化したパワーを使って、リールを強引にゴリゴリと巻いていくだけだ。
それでも、針が掛かった場所がよかったのか、バレることなく獲物を引き揚げることに成功した。
「デカっ!」
日本どころか地球上でもあり得ない、全長二メートルを超えるハゼは実在した。
したのだが……。
「若干グロイな……」
「そうですわね……」
せっかく大物が釣れたというのに、なぜかあまり感動しない。
一日目で釣れてしまったからなのか?
よく見ると、とても怖い顔をしているからなのか?
いや、普通のマハゼだって、よく見ると口がギザギザだったりして意外と怖かったりする。
それが全長二メートルもあれば、怖くて当たり前か……。
「噛まれたら怪我をしそう」
相手は、三十センチ近い魚を丸飲みするような奴だ。
口のギザギザも鋭いし、ヴィルマの言うとおり、噛まれると大怪我するかも……腕とか噛み千切られそうだな。
「導師様。このハゼ、可愛いですね」
「愛嬌があるのである!」
ただし、フィリーネだけは少し美的感覚がズレており、楽しそうに河原にあがったハゼを眺めている。
さすがは、導師がお気に入りだけのことはあった。
色々な意味でゲテモノ好きなのだと思う。
「これ、どうする?」
「うん? 食べないのであるか?」
導師の問いに、誰も答えなかった。
「いや、実際に釣ってみて思ったんですけど……食べたくない?」
「調理も大変ではないですか?」
シロなら切り身にすればいいわけで……ああ、この巨大ハゼも切り身に?
してもいいと思うのだが、なぜかあまり食べる気にはならない。
やはり、見た目の問題なのであろうか?
「から揚げや天ぷらにすると、美味いと思うのであるが」
「火が通り難そうですなぁ」
「「「それだ!」」」
世話役の老人の意見に、俺、カタリーナ、ヴィルマが一斉に賛同した。
「切り身にすればいいのである」
「それだと風情がない」
そう。
ハゼは頭を取り、背開きにして、中骨を取り、それを天ぷらにするのが美味しいのだ。
切り身にしてしまうと、なんの魚を天ぷらにしたのかわからなくなってしまう。
ヴィルマは大食いだが、実はそういう部分も大切にする女性であった。
だからこそ、俺の嫁が務まるのだ。
「頭と骨が固そうだから、から揚げは不可能に近い」
「これを丸揚げは難しいよな……」
そんな特別製の鍋など、そう簡単には手に入らないであろう。
ミズホ公爵に頼んだとしても、絶対に注文生産になるはず。
どうにか調理しても、食べると大きすぎる骨がアタリそうだ。
骨が柔らかくなるまで揚げるにしても、こんなに大きいと手間がかかりそうだ。
その前に、外側の部分が焦げてしまうかも。
「白身なら、切り身でシロが沢山ある」
五人で二十匹以上も釣りあげ、平均サイズは八十センチほどだ。
しばらくは、塩焼き、煮魚、フライの材料に困らないはず。
だから、無理にこの巨大ハゼを食べる必要はないと思う。
「ヴェンデリンさん、最初は不気味だと思ったのですが、よく顔を見ると意外と愛嬌のある顔をしていますわよ」
「そう言われるとそうだな」
目も真丸だし、釣りあげて河原に鎮座させているのに、ピクリとも動かないでこちらを見ている姿は可愛いかもしれない。
段々と、フィリーネに毒されている可能性もあったが。
「バウマイスター伯爵様、このお魚さんは長年この川に住んでいたんですよね?」
「ある意味、この川のボスとしてこの川を見守っていたのである」
「導師様、逃がしてあげましょう」
「バウマイスター伯爵、某もフィリーネの意見に賛成である」
普段は皆殺しが基本なのに、珍しく導師が巨大ハゼを逃がそうと言い出した。
このデストロイヤーに仏心を出させるなんて、実はフィリーネは凄い少女なのかもしれない。
「その存在は確認できたし、朝ごはんのおかずはシロで十分」
「ヴェンデリンさん、たまには逃がすのも悪くありませんわ」
「そうだな、逃がしてやるか」
食べる気も失せたからな。
ヴィルマとカタリーナにも促され、運よく巨大ハゼは放流されることとなった。
こちらの会話がわかっているのか?
巨大ハゼは針を外す時にもまったく抵抗せず、そのまま川へと戻される。
「導師様、あれ」
「おおっ!」
導師が巨大ハゼを抱えて川に戻すと、放流されたハゼを迎えるように、それよりももう一回り大きな巨大ハゼが姿を見せた。
「二匹いたのか!」
「私もこの川の管理を始めて六十年以上経ちますが、巨大ハゼが二匹いたとは知りませんでしたなぁ」
世話役の老人も、巨大ハゼが二匹いた事実に驚いていた。
「ヴェンデリンさん、夫婦なのでしょうか?」
「かもしれないな」
偶然かもしれないが、俺には大きい方のハゼが奥さんを心配して見に来たようにしか思えなかった。
地球のハゼにはそんな習性はないが、どう考えてもそうだとしか思えなかったのだ。
「ハゼさんたち、これからも仲良くね」
「この川の行く末を見守ってくださいね」
フィリーネとカタリーナが、日の出の美しい光景の中、川の深い流心部分へと向かう二匹の巨大ハゼに声をかける。
俺たちも二匹で寄り添うように泳ぐ巨大ハゼを見送りながら、早朝の釣りを終えるのであった。
この川でいつまでも、あの巨大ハゼが生きていけることを願って。
「えっ? 巨大ハゼが釣れたけど逃がした? なんかなぁ……」
せっかくの感動話なのに、ゲストハウスに戻ってエルにその話をすると、彼はあきらかに嘘くさいといった表情を浮かべやがった。
なんて失礼な!
「いや、本当に釣ったんだって! 噂どおり全長二メートル以上はあったし!」
「うーーーん」
「なにが引っかかるんだよ?」
「いやね、導師、ヴィルマ、ヴェルの三人がいて、せっかく釣れた獲物を逃がすなんて、教会の聖人のような真似をするのかなと……」
食べられる魚を釣っておきながら、それを可哀想だと言って逃がしてしまう。
エルからすると、俺たちがそんなことをするなんてあり得ないと思ったのであろう。
あからさまに、疑いの目を向けてきた。
「俺が導師と一括りにされている点はあとで問うとして、フィリーネもいたんだ。情操教育に必要だったとは思わないのか?」
「ヴェルなら『食べ物を得るためには、生き物を殺さないといけないのです』とか言って、容赦なく殺すと思うけど……」
「うっ!」
なまじエルの言い分に納得できる部分があったがために、俺はすぐに反論できなかった。
「とにかく、カタリーナだって、フィリーネだって実際現場に居合わせているんだ。巨大ハゼは釣れたんだ」
「いや、世話役の爺さんもそう言っているから疑ってはいないぜ。ただ、釈然としないだけ」
「釈然としないのは俺の方だよ!」
某釣り漫画のように、その川を守ってきたボスを釣り上げたあとに放流する感動のシーンなのに、この世界の人間はほとんどわかってくれないとか。
俺、父親に勧められて読んだ『釣りキチ〇〇』が大好きだったのに……。
「それでも、楽しい釣り接待だったな」
ハゼとシロは釣れたし、お土産も沢山貰ったり買ったりできた。
フィリーネも喜んでいたし、いい接待旅行であった。
などと思いながら、今日はバウマイスター伯爵領内で魔法による土木工事を行っていると、突然、携帯魔導通信機に着信が入る。
「もしもし?」
「こらぁーーー! バウマイスター伯爵!」
突然、携帯魔導通信機越しに怒鳴り声が聞こえる。
声の主は、エドガー軍務卿であった。
「俺は、バウマイスター伯爵の義理とはいえ父親だぞ! 楽しそうな接待旅行に俺を誘わないとかあり得ないだろうが!」
なぜ自分を接待旅行に連れて行かなかったのかと、エドガー軍務卿から大声で怒鳴られてしまった。
その声の怖さたるや、ヤクザも真っ青になるほどだ。
「えっ? そんな時間があるんですか?」
「誘われれば、予定を空けたに決まっているだろうが! ヴィルマが土産を渡してくれなかったら、もっと怒っているところだ!」
「ええっ! でも……」
内乱後の軍備、軍政改革が忙しいと聞いていたから、誘っても来ないと思っていたのは不覚だったかもしれない。
「アームストロング伯爵も怒っているぞ! 弟はハゼの天ぷら食べ放題なのに、こっちは土産だけかよって!」
「ええと……次は必ず誘いますので」
「なるべく早くにな!」
暴風雨のようなエドガー軍務卿からの通話が切れて安堵していると、今度はルックナー財務卿、ホーエンハイム枢機卿からも続けて通信が入る。
「もう大分つき合いも長いのに、ワシを誘わないとは……」
「エリーゼを大切にしてくれているのはわかるが、たまには義祖父孝行も必要だと思うぞ、婿殿」
体育会系肌で直接苦情を言うエドガー軍務卿と違って、文系肌の二人は言い方は遠回しだったが、接待釣行に誘わなかった件を恨んでいるのは同じのようだ。
年寄りというのは、そんなに釣りが好きなのであろうか?
酒と、旅行先の美味しい食事も目当てかもしれないが。
「必ず、次はお誘いしますので」
「必ずだぞ!」
「なるべく早めに頼むぞ、婿殿」
連続した着信が切れて安堵していると、今度は初めての番号から着信が入る。
誰なんだろうと思いつつ、俺は魔導携帯通信機に出た。
「もしもし?」
「私だ」
いや、私だと言われても誰だかわからなかった。
「ええと、どちら様で?」
「バウマイスター伯爵、そなたも他の貴族たちと同じことを言うのだな。確かに、私は父である陛下に比べて目立たないと言われている。なぜか友達も少ないしな。だが、この前の帝国との講和交渉では、そなたの権利確保のために努力もしたのだ。ここは、接待釣行に誘うくらいの配慮があっても……」
「王太子殿下ですか?」
まさか、そんな偉い人から通信がくるとは思わなかった。
それと、まさか接待旅行に王太子殿下がついて来るとは俺も周囲の誰もが思っておらず、そもそも声をかけることすら畏れ多いというか。
いきなり、『殿下、一緒にハゼ釣りに行きましょうよ』なんて俺が誘うわけがない。
第一俺は、そんなにコミュニケーション能力が高くないのだから。
決して、その存在すら忘れていたわけではないぞ。
「他に誰がいる?」
「申し訳ありません!」
つい、前世の商社マン時代のくせで頭を下げてしまう。
魔導携帯通信機越しなので、相手にはまったく見えないから意味ないのだが、それでも昔の習性とは恐ろしいものだ。
「必ず次はお誘いしますので」
「本当か? 期待して待っているからな!」
王太子殿下は、なぜか必死であった。
『誘うくらいはしろよな、俺は忙しいから行けないけど』というスタンスではなく、本当に誘ったらついて来る気満々のようだ。
王太子殿下という身分にあるのだから、この程度の誘いはいくらでもあるような気がするのだが……。
「待っているからな! 絶対に私も誘うのだぞ!」
「勿論です、殿下」
「その言葉が聞きたかった」
満足したような声を最後に、殿下から通信が切れる。
どうやら、誘ってもらえると聞いてとても嬉しかったようだ。
「王族なのにボッチなのか……」
そういえば、これまで何度か顔を合わせたことがあるのに、一度も会話をした記憶がなかった。
どんな人かよくわからなかったのだが、俺と同じようなボッチ気質であることを知ったら、なぜか親近感を覚えてしまう。
「なにかあったら、絶対に誘うか……」
その後、どんな誘いでも王太子殿下は必ず出席するようになり、のちに色々とあって俺は彼とは親友になるのであった。
まだ大分先の話だけど。
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