第241話 俺たちは歴史の目撃者になる……が、基本なにもしない
討伐軍を率いていた皇帝は、俺たちの予想どおり、ニュルンベルク公爵によって殺された。
その報告をいち早く入手したペーターは、帝都郊外に駐屯していたほぼ全軍と共に帝都への入場を図る。
皇帝の死で帝都が大きく混乱することを未然に防ぎつつ、強権的に政権を奪うためだ。
法的な根拠もなく、ほぼクーデターと言っても差し支えない状態ではあるが、皇帝の死によって皇帝選挙に出馬した候補者は、ニュルンベルク公爵以外、全員があの世に旅立った。
内乱により、議員の半数が死んだり交替した議会はいまだその動きが鈍く、時間をかけて皇帝を選んでいたら、ニュルンベルク公爵の軍勢によって蹂躙されてしまう。
緊急事態という名目で、ペーターが事態の収拾に入るわけだ。
早速帝都に入ろうとすると、門番によってそれは止められてしまった。
現在の帝都には、治安悪化に伴う夜間入場禁止命令が下っていたからだ。
「駄目です! 夜間に人を入れるわけにはいきません!」
「緊急事態なんだけどね」
「殿下、いかに緊急事態とはいえ……」
門番たちや、彼らを統率する正門の守将は非常に職務に忠実で、正門の守りを固めていた。
彼らは軍人であり役人でもあるので、上からの命令には忠実だ。
いくらペーターの頼みでも、そう簡単に門を開けるはずがない。
誰しも、その件で自分が処分されるのが嫌だからだ。
処罰されていいことなんて、一つも存在しないのだから当然である。
「ペーター、強引に突破するのか?」
「それをすると、職務に忠実な彼らが非常に困るからね。当然手は打ってあるよ」
ペーターが自信満々に言うのでしばらく待っていると、正門の奥から守将よりも偉そうに見える軍人が姿を見せた。
「門を開けて、殿下たちを中に入れてくれ」
「バイエルライン様、本当によろしいのですか? 軍本部からの命令を破ることになりますが……」
「俺が責任を取る。だから早く中に入れてさしあげろ」
「はあ……、了解しました」
バイエルラインという、いかにも軍人然とした人物の命令で、渋々ながらも守将は正門の扉を開けた。
軍人や役人のもう一つの特質として、上からの命令には逆らわないという法則が発動したのだ。
『自分が責任を取る』と、バイエルラインなる人物が断言したのも大きい。
人間誰しも、責任など取りたくない。
自分よりも偉いバイエルライン氏が責任を取るというのであれば、部下たちはそれを受け入れるわけだ。
「殿下、では参りましょうか」
「僕は先に皇宮に行くから。帝国軍本部の掌握は、ボンホフ準男爵に任せるよ」
「私にですか?」
突然の指名に、ギルベルトは少し戸惑っている。
さらに言えば、彼は俺が雇っている傭兵扱いであったから命令系統的にもおかしいのだ。
「そこは緊急事態ということで。僕も、ボンホフ準男爵は人材として狙っていたんだよ。ヴェンデリンが先に高給で雇ってしまったけど。君、本当に金持ちだよねぇ」
「皇帝から面倒な仕事を、経費と報酬後払いで強引に任されたからな。楽をしてなにが悪い」
「数ヵ月前も今も、あまりお金がない僕たちは、彼を引き入れられなかったのさ。だが、今ならボンホフ準男爵を帝国軍最高司令官に任じることも可能ってわけ」
「私が最高司令官……。殿下、なにかの冗談ですか?」
「あれ? 駄目?」
「私はこの数ヵ月間、二万を超える軍勢の調練と指揮を一任してくれたバウマイスター伯爵殿に恩義があります。ですが、帝国軍には退役時に義理は果たしております」
ギルベルトからすると、帝国軍とはあまり居心地がよくない場所だったのであろう。
ペーターからの誘いに、彼は冷たく否定的な口調で答えた。
要するに拒否したいようだ。
「これからニュルンベルク公爵の軍勢を迎撃するのに、互角の力量を持つ指揮官を任じたいのだけど」
「準男爵の最高司令官就任など、前代未聞ですな」
ギルベルトは、その言葉を最後になにも言わなくなった。
強引に最高司令官とやらになっても、他の家柄自慢の軍人たちに反抗され、統一した指揮など困難だと言いたいのを、あえて口を噤んで示したのだと思われる。
「非常時なんだけどなぁ……」
「派閥や家柄に、非常時はありませんからな」
ギルベルトさんの嫌味は、実はかなり的を得ている。
戦時に、能力に準じた柔軟な人事制度を行えた国が戦争に勝利するケースは多いが、平和な時代だとどうしても安定を求め、波風立てない年功序列で家柄順の人事制度が蔓延ってしまう。
帝国はしばらく平和だったので、能力はあったが家柄が低いギルベルトはあまり出世できず、帝国軍を辞めて領地を継いだ。
その風潮が、そんなに簡単に変わるとは思っていないのであろう。
ギルベルトは、人間の業をよく理解しているのだと思う。
「新しい帝国軍の編成はすべて任せるから。それに、家柄自慢で皇帝について行った連中は死ぬか逃げるかしているから、指揮に口出しさせないことを約束する」
「ああ。戦死していればそれどころじゃないし、運よく逃げて来れても、無罪放免でそのままの役職というわけにはいかないか」
前者なら家の継承に時間がかかり、後者でも役職の解任や降格が待っている。
まさか、ボロ負けして逃げて来たのに、無罪放免なんてあり得ないよな。
当然、再編した軍の指揮などできるわけがない。
「兵を出していない非主流派と僕の同志たちは、ボンホフ準男爵の指揮権に異議を挟まない。存分に再編した帝国軍を指揮してニュルンベルク公爵を倒してほしい」
「私も殿下と同じ意見です。一軍の将としては動けるでしょうが、最高司令官は私には無理です。先輩、戻って来てください」
「バイエルライン……」
どうやら、バイエルラインとギルベルトさんは知り合いだったようだ。
年齢的に見て、先輩と後輩って感じに見える。
「ダミアンも、アルミンも、ゲオルクも。みんな、先輩の指揮なら喜んで従いますから」
「しかしだな……」
ギルベルトさんは、俺に視線を向けた。
今の雇用主である俺がどう思うのか、気になっているのであろう。
「この二万人の軍団を永遠に維持するわけにもいきません。俺は内乱が終われば王国に帰る身ですし。遠慮なく引き受けてください」
内乱が終結すれば、俺からギルベルト以下を雇う名目が消失してしまう。
今のうちに、正式な帝国軍人になって身分を保証してもらう方がいい。
それに、帝国の軍高官が俺の息のかかった人物になる。
ペーターに対し、借金を踏み倒すなよという牽制にもなるはずだ。
「指揮者の格の件も、きっとペーターが爵位と領地を出して釣り合うようにしてくれますよ。今俺が支払っている給金もくれるでしょうし、褒美も沢山貰えるでしょう。ここは、『ボンホフ伯爵家』の栄光のため、誘いを受けてしまいましょう」
「なるほど。『ボンホフ伯爵家』のためですな」
見た目とは違って察しのいいギルベルトは、俺の意図に気がついたようだ。
帝国貴族である彼を、王国貴族である俺がいつまでも雇うわけにはいかない。
ペーターの誘いを受けて帝国軍最高司令官となり、爵位、領地、褒美、追加の給金などを条件に受けてしまえばいいと。
「えっ? 今ヴェンデリンが出してる給金も?」
「新しい帝国の支配者が、軍の最高司令官を迎え入れるのにケチケチしない方がいいと思うぞ。これだけ優遇されて迎え入れられたのだと兵士たちが知れば、みんな安心して新しい最高司令官を受け入れられるというものだ」
「ボンホフ準男爵は元から評価の高い将軍だったけど、それをさらに補完するのか。上手い手だな。ボンホフ準男爵、受け入れてくれるかな?」
「そこまでしていただけるのなら喜んで。全力をもって戦い、必ずやニュルンベルク公爵に勝利してみせましょう」
「帝都軍本部の掌握と、帝都の治安維持に。そのうち惨敗した討伐軍が逃げてくるけど、その再編なども頼む。これを先に渡しておくよ。役に立つかは不明だけど」
「ありがたく頂戴します」
ペーターは、自分の個人紋が入った剣をギルベルトさんに渡す。
現状では皇帝の三男になんの権限もなかったが、なにもないよりはマシだと手渡したようだ。
「借金がまた増えたね。まあ、細かいことを気にしても仕方がないから、僕は皇宮に行くか」
軍の大半は、帝国軍本部の掌握や治安維持に向かうため、俺たちと別れて行動を開始した。
「俺も、フィリップさんとギルベルトさんについて行くから」
「適度に頑張れよ」
「妙な励ましだなぁ……」
エルも、軍勢を率いてギルベルトについて行った。
ペーターたちを護衛する人数は数十名ほどまで減っていたが、これから向かう皇宮に大軍を引き込むのは御法度のようで、ペーター自身も護衛の少なさは気にしていないようだ。
「さあてと。あの頭に生クリームとババロアが詰まっている女の顔でも拝みに行くか」
「殿下、その頭悪そうな女って誰です?」
「僕の義母だよ。兄たちを産んだ女だね」
「言い方に容赦がないですな」
「どう繕っても、救いようがないクソ女だからね」
ブランタークさんの問いに、ペーターは誰に憚ることもなく堂々と答えた。
現皇帝の正妻をクソ女扱いとは、周囲に聞かれれば大問題になってしまうのに、よほど嫌いなんだろうな。
同時に、ペーターの護衛たちで『不謹慎な……』という表情を浮かべている者が一人もいない。
家柄自慢と贅沢しか能がない、典型的な貴族の嫌な女性なのだと思う。
「ペーター殿は義母殿に対し、あまりいい感情を抱いていないようである!」
「導師殿、あまりどころか大嫌いだね。アホで性格が悪いし、家柄のよさばかり自慢してうるさいから。あの女の話を聞いていると、貴重な時間が無駄になるからね。早めに済ませるとしよう」
ペーターが先頭となり、数十名の一団は皇宮へと向かう。
皇宮入り口の警備兵たちは、意外にも俺たちをすんなりと入れてくれた。
「事前の工作が効いていた?」
「はい、ランズベルク伯爵様だと思います」
俺の疑問に、エメラが簡潔に答えてくれる。
確か、先にペーターが名前を出した協力者であったはずだ。
「どういう人?」
「ええと……、大変に女性が好きな方でして……」
「おおっ! これは殿下ではありませんか! かねてからの手筈どおり皇宮の掌握は行っておきましたぞ。ところで、エメラ殿以外にもこんなにもお美しい女性が沢山。可憐なお嬢様方。私の名は、ハルトムート・カイザー・フォン・ランズベルクと申します」
ランズベルク伯爵は、二十代前半ほどに見え、貴公子そのものと言っていい人物であった。
ルイーゼよりも濃い青い髪を無造作に伸ばしているが、手入れはいき届いていて光沢を放っている。
服装も一見地味に見えたが、かなりお金をかけていい素材を使い縫製をしているようで、その個性が際立っていた。
顔も、師匠やエーリッヒ兄さんよりも上かもしれない。
完全無欠の、ロンゲ系爽やか貴公子といった感じだ。
「先ほど殿下より連絡を受けて、うるさいのを部屋に閉じ込めておきました。香水臭いババアが一名、一際騒いでおりましたが」
「大変だったね」
「基本的に女性のお相手は得意なのですが、彼女には辟易しましたね」
女性好きでイケメンのランズベルク伯爵からも、ペーターの義母はボロクソに言われている。
よほど普段から言動が酷かったのであろう。
「苦労をかけたね」
「はい、殿下。しかしながら、ここに五人も華麗なお嬢様方がおられる。私にそのお美しい声で、是非ともそのお名前をお聞かせ願いたい」
歯が浮きそうなお世辞であったが、不思議とランズベルク伯爵が言うと様になってしまう。
やはりイケメンは、なにをしても、なにを言ってもイケメンなのだ。
師匠やエーリッヒ兄さんでわかっていたことなのに。
「エリーゼと申します。バウマイスター伯爵様の妻です」
「イーナです。同じくバウマイスター伯爵様の妻です」
「ルイーゼです。同じく」
「ヴィルマ。私も同じく」
「カタリーナと申しますわ。私もバウマイスター伯爵様の妻ですわ」
今はこういう時なので、五人の自己紹介はかなり省かれたものになっている。
ランズベルク伯爵は、エリーゼたちの挨拶が省略された点はどうでもいいようで、別のことで嘆いていた。
「おおっ! 自他共に認める帝国一の愛の狩人たる私の目に留まったお美しい五人の女性全員が、バウマイスター伯爵の奥方とは! このランズベルク伯爵、感嘆の極み」
「はあ……」
まるで芝居のように大胆に驚いてみせるランズベルク伯爵。
普通の人がやれば、失笑されるのがオチであろう。
だが、不思議と彼がやると絵になってしまうのだ。
「とても残念な気持ちでいっぱいですが、今宵は美しい女性たちに多く出会え、私の目の保養となりました。私は愛の狩人。常に新しい愛を求めて流離う者ですが、他人の大切な方に手を出す無粋はしません。今宵は挨拶だけでご勘弁を」
なにがご勘弁なのかはわからなかったが、ランズベルク伯爵は片膝をついて五人の手の甲に礼儀に則って軽く口づけをして挨拶をする。
その様子は非常に優雅で、俺はまったく厭らしさを感じなかった。
エリーゼたちも心から不快ならば挨拶を拒否したであろうが、素直に受けている点からして、ランズベルク伯爵に悪い印象を持っていないのであろう。
「ランズベルク伯爵、僕もここにいるんだけど」
「殿下。あいすみませぬ。なにしろ、あの方の毒で我が眼が濁ってしまいまして。エメラ殿を含め、お美しい方々で目の回復を図っていたのです」
「相変わらずですね。ランズベルク伯爵様は」
「エメラ殿が私の妻になってくれるのであれば、私はいつでも愛の狩人を辞められるのですが……」
「信用なりませんね。これまで、何人の女性に同じセリフを言ったのですか?」
「これは手厳しい。ではご案内いたします」
エメラは、ペーターのみならずランズベルク伯爵にも好かれているようだ。
ただ対応の仕方は、ペーターと差がないようであったが。
ランズベルク伯爵に案内された部屋は、現皇帝の正妻が住んでいる私室であった。
「うわぁ、豪華なドレスと、高そうな装飾品がいっぱいだねぇ」
五十畳ほどもある部屋には、多くの高価な服飾品が置かれていた。
その量の多さに、ルイーゼは感嘆の声をあげる。
「無駄遣いの賜物だね。頭の中が生クリームだから、欲しければすぐに買ってしまうんだよ」
義理の母親だからというわけではないが、ペーターは皇后をボロクソに貶していた。
「ううっ……、そういう人に聞き覚えが……」
「聞き覚え?」
「ええ、ブライヒレーダー辺境伯様の叔母にあたる方が……」
頭のネジが緩い浪費家の女性、イーナはブライヒレーダー辺境伯の叔母がそういう人で、甥であるブライヒレーダー辺境伯が困っているのだという話をペーターにした。
彼に未婚の叔母がいるのは知っていたが、そういう人物だとは知らなかった。
「どこにでもある話なのね……」
「王国でも、帝国でも、一定数はいるよね。そういう人は」
ペーターはイーナに、特に珍しい話でもないと述べるに留まった。
「ペーター殿、今宵はなんの騒ぎなのです?」
部屋の主である皇后は、ペーターの姿を見つけると、顔に怒気を表しながら彼に詰め寄って行く。
「報告は入らなかったのですか? 義母上」
「あなたのような下賤な男に義母と呼ばれたくありません。陛下がお留守の時に、このような大騒ぎ。いくらそのお子でも許されるものではありませんよ。あとで存分に罰を食らいなさい」
幸いというか、皇后の方もペーターのことが嫌いなようだ。
片方だけが好意を寄せる関係というのも可哀想なので、それはそれでよかったのだと俺は思ってしまうのだ。
騒ぎを起こした彼をあとで皇帝に処罰してもらえると思っている皇后は、嬉しそうに威張っている。
「(厚化粧ババア)」
「(ぶっ!)」
ヴィルマが皇后を見てボソっと毒を吐き、俺も思わず吹き出しそうになってしまう。
昔は綺麗だったのかもしれないが、今の皇后は、厚化粧と派手な衣装と装飾で、まるで水商売の女性みたいであった。
これは、ランズベルク伯爵が嫌がるはずだ。
「僕も、あなたのような家柄しか取柄がない女を公式の場では義母と呼ばないといけないことに色々と思うところがありましてね。ですが、それはあとでいいでしょう。皇帝陛下はニュルンベルク公爵に討たれました。兄たちも行方不明ですが、ほぼ戦死したと見ていいでしょうね」
「そのようなことはあり得ぬ。そう偽って、実は反乱でも起こすつもりであろう。これだから、下賤な生まれの子は困ってしまいます」
自分の夫と腹を痛めて生んだ子共二人の死が信じられない皇后は、ペーターの発言を不謹慎であると言って詰り始めた。
「あなたがどう思おうと僕には関係のない話ですが、これは純然たる事実です。というか、僕はこの可能性を何ヵ月も前から言っていましたが……」
「そなたの妄言になど、つき合いきれません!」
「妄言ですか……。だったらよかったのですが。バールトンから報告は来ないのですか? 彼は諜報部門のトップなのに一体なにをしているのですかね? ある筋からの情報だと、新しく妾にした娼館の元ナンバーワンの相手が忙しいそうですが。この非常時に、報告にも来ないで腰を振っていますか」
「下賤の身で、我が兄を侮辱するのか! 皇帝陛下に命じて、お前を!」
「ですから、死んだ人に報告はできませんよ」
「そのような嘘……。私は信じません!」
典型的なざーますおばさんである皇后は、自分の兄を批判されて般若のように怒った。
皇家の当主に正妻を押し込んで、その縁で重職を得る兄。
こういうのを世間では、外戚の専横というのかもしれない。
しかも、なかなか皇帝の戦死を信じてくれないから困ってしまう。
皇宮の中の世界しか知らない世間知らずに、外の世界の現実を教えるのは難しいという具体例だな。
「これ以上、あなたと話し合いをするだけ時間の無駄です。どうせ二~三日もすれば正式な報告は入ってくるでしょう。皇后様を監視しておいてくれ」
「下賤な平民の子が、皇后である私を閉じ込めるだなんて、なんて無礼な! 皇帝陛下が戻ったら、必ず罰を……ペーター! 聞いておるのか?」
「駄目だこりゃ。アレはもう無視ね」
ペーターは皇后を一瞥してから、連れて来た兵士たちに、彼女を部屋に軟禁しておくようにと命じた。
それを終えると、すぐに玉座の間へと移動する。
するとそこには、十数名の貴族や軍人が待ち構えていた。
「さてと。『皇帝の羽ペン』は?」
「こちらにございます」
ペーターの行動に賛同した宮廷貴族の一人が、豪華な装飾が施された羽ペンを差し出した。
「羽ペン?」
「特殊な魔道具でね。これでサインをすると、その書類が有効になるのさ」
偽物の皇帝からの命令を防ぐため、昔に作られた特殊な魔道具なのだそうだ。
皇帝になるとこれを唯一使える存在となり、サインした書類に公的な効果が発生する。
他のペンでサインしたものは、簡単な魔道具ですぐにわかってしまうらしい。
ちなみに、皇帝の書類とサインを偽造した者は死刑と、昔から法で定まっているそうだ。
「凄い魔道具だな」
「そうだね。もう二度と作れないとも言われているね。これはしばらく僕が使うとして……。いや結構長く使うのかな?」
「それはよろしいのですが、本来存在する閣僚の方々はいかがしますか?」
「一応、呼び出しておいて。どうせクビにするけど。議会も朝一で徴集する。まずは来れる人だけでいいよ」
玉座に腰を降ろしたペーターは、次々と集まっていた貴族や軍人たちに次々と命令を出していく。
事前に隠れて詳細な打ち合わせをしていたようで、すぐに皇宮内の喧騒は収まってしまった。
帝国軍本部の掌握にも成功したとギルベルトから報告が入り、これは無血クーデターとでも言えばいいのかな?
俺たちは、ただその様子を眺めているだけだ。
あとで、自分は歴史の目撃者であったと、日記にでも書こうかと思う。
日記なんて、いつも三日坊主で続いたことはないけど。
「五人のお美しい奥方たちを持つ、我が友バウマイスター伯爵よ」
「ええと……。ランズベルク伯爵でしたか?」
「親しい人は、私をハルトと呼びます。国は違えど、共に伯爵同士。仲良くいたしましょう」
みんなが忙しい中で、なぜかランズベルク伯爵だけは暇そうであり、俺と友好関係を結ぶことに集中していた。
「あの……、ランズベルク伯爵様はお手伝いをしなくてもよろしいのですか?」
「エリーゼ殿、皇宮で生きる愛の狩人たる私に、軍事だの政治だのの仕事は不向きなのです」
ランズベルク伯爵家は、長年皇宮周りの仕事を任されている法衣貴族家なのだそうだ。
軍事、内政、財務などの仕事には一切関わらず、ただ皇宮内やその周辺の様々な仕事に携わる。
職務上、使用人から貴婦人まで様々な人を相手にするのでコミュニケーション能力に長け、高貴な人たちを相手にするので、文化や芸術などにも詳しい。
そして、代々女性受けがいい当主が多いのだそうだ。
確かに彼は、誰が見ても美男子であった。
「私は、皇宮を縄張りに生きる男なのです」
ペーターは、いい人材を引き込むなと俺は思う。
確かに政、軍事上ではなんの意味もない人材だが、あのヒステリー皇后の暴走を上手く抑えた手腕は見事だ。
多くの女子供と、メイドや使用人たちなどが多数行き交う皇宮内での様子を良く知る彼を引き込むとは、これほど理に適った行動はない。
ついでに言えば、例の羽ペンの所在も彼ならばよく知っているというわけだ。
守っている警備兵や貴族たちへの説得でも、彼は存分に力を発揮したのであろう。
「殿下たちは忙しいようだね。ヴェルたちは迎賓館の方へどうぞ」
いつの間にかランズベルク伯爵からヴェルと呼ばれていたが、不思議とそれに違和感を覚えなかった。
「いいのかな?」
「構わないさ。明日になれば、またヴェルたちの力を借りることになるけど、その時には魔力が満タンで疲れていない方がいい」
明日には、呼び出された閣僚や議員たちとの話がある。
彼らの中には、ペーターの行動に異議を唱えて少数ながらも兵を出してくる者がいるかもしれない。
その対策に、魔法使いが役に立つというわけだ。
「ならば、遠慮なく休ませてもらうよ」
「それがいい。明日は不必要に騒ぐ人たちが多いだろうからね」
「結局、殿下に利用されてしまったわね」
「そういえば、そうか」
ペーターは自分たちだけで政権を奪取すると言っていたが、結局俺たちもなし崩し的に参加してしまった。
それをイーナから指摘され、ようやく気がついたところだ。
「お美しく賢いイーナ殿、こう考えてはいかがでしょう? 殿下は万全を期するためにヴェルたちにもご参加を願った。ヴェルたちがこの企みに参加して上手くいけば、のちに褒美や報酬を帝国予算から出すのに大義が立つ。さらに言えば、王国政府が帝国中枢にヴェルの影響力を残せば、それはすなわち王国の影響力でもある」
「自ら、王国の影響を受け入れた?」
「殿下がいくら善政を敷いても、帝国の国力は最低あと数十年はヘルムート王国の後塵を拝すことになる。それならば、王国に帝国の経済支配を夢見させて平和を維持する方がいいのではないかと」
「ランズベルク伯爵、あなたは……」
「イーナ殿、私は皇宮の住民にして、愛の狩人ですよ」
その気になれば、ランズベルク伯爵は優秀な政治家になれる資質を有していることがわかった。
もし彼が本当にただの皇宮の住民ならば、ペーターにつくという選択肢を選べなかったはずだ。
「それと、殿下に対してはもう一つ」
「政治家は言っていることがよく変わる。それでも、結果が伴えばいい政治家か? ハルト」
「正解だよ、ヴェル」
ランズベルク伯爵は、俺の発言を肯定した。
そして翌朝。
俺たちは起床後、朝食をとってから再び玉座の間へと向かう。
するとそこには、すでに多くの閣僚や軍人たちが集まっていた。
「このような不法な行いを認めるわけにはいかないのです!」
昨晩騒いでいた皇后もいて、彼女は玉座に座るペーターに罵声をあげていた。
「この際は非常時ですから。それよりも、バールトン。君は討伐軍が敗戦した報は受けていないのか?」
「ええと……。理由は不明ですが、定時連絡が途絶えておりまして……」
皇后の兄は、皇帝が他の者は信用できないという理由だけで、諜報関連の一切合切を取り仕切る地位が与えられていた。
ところが能力も適性もないので、いまだに討伐軍壊滅の事実を把握していない。
そんな人が、諜報関係者って……。
彼は流れ出る汗をハンカチで拭きながら、しどろもどろな口調でペーターの問いに答えていた。
「だから、こちらの情報では三方から侵攻した軍勢が全部撃破されて敗走中なんだよ! どうしてあんたが把握していないんだ? ザウケン軍務大臣。あなたは当然把握しているよね? 軍にも諜報機関があるんだから」
「陛下と皇子たちの消息が不明というところまでは……」
「というわけで、後方支援要員も含めた五十万人中。一体どれだけが、ニュルンベルク公爵が帝都に攻め寄せて来るまで戻って来れるのか?」
意地悪そうな笑みを浮かべながらこれからのことを話すペーターに、集まった貴族たちはほぼ全員顔を青ざめさせた。
「ちなみに、ニュルンベクルの軍勢はほとんど損害を受けていないから」
十万人を超える敵軍の精鋭が、帝都に押し寄せる。
この事実に、もはやペーターによる強引な政権奪取など、どうでもよくなっているのであろう。
なぜなら、もしここで彼にケチをつけた結果、『じゃあ、お前がやれ!』と言われても勝算がまったく思いつかないのだから。
「陛下が戦死した情報は掴んでいる。それで、次はどうしますか?」
「そんなことは決まっています! アレクサンダーかユリアンが!」
「彼らの生存はほぼ絶望かと。その前に、僕と同じく法的な根拠がありませんよ」
「……」
そう。
帝国では皇帝を選挙で決めるため、もし皇帝が死んでも、その子供にはなんの権限もないのだ。
それを得るためには、皇帝選挙に勝たなければならない。
「彼らが奇跡的に生きていたとして、帝都に戻ってくる前かほぼ同時に、ニュルンベルク公爵の軍勢が迫っていると思いますが……」
誰かが今ある戦力を纏め、ニュルンベルク公爵と戦わなければならない。
ペーターは、集まった全員にその意思を問う。
自信があるというのなら、自分が立候補すればいいのだと。
「義母上はどうです? 討たれた陛下と兄たちの弔い合戦です。もっとも、敗北するとそのあとを追うことになりますが。いや失礼。アーレ侯爵家の方々が、死など恐れないのを忘れておりました。兄君の力を借りて、憎っくきニュルンベルク公爵をお討ちください」
「私がですか?」
「はい。お兄様の力を借りれば大丈夫ですよ」
「私が!」
皇后とその兄バールトンは、ペーターからの提案に顔を青くさせた。
今までは勝てる戦いだと思って余裕でいられたのに、討伐軍の潰滅で、帝都防衛に自信が持てなくなっていたからだ。
もし自分がトップにいて敗北すれば、ニュルンベルク公爵は間違いなく自分たちを処刑する。
それがわかるから、自分では受けたくないのであろう。
特に皇后の方は、さきほどの勇ましい態度から、急に弱々しくなってしまった。
「私は、夫の喪に服するために部屋に戻ります」
「私は、諜報の任務をまっとうできなかった責任を取って辞職を……」
二人は、それだけ言い残すと逃げるように玉座の間を出てしまった。
「私も……」
「急に具合が……」
さらに、ここに集まった貴族たちの大半は、クーデター時にはニュルンベルク公爵に、今までは皇帝に媚びてその地位を得た連中ばかりである。
そして誰しもが、沈みかけた船からは逃げ出したいようで、ほぼすべての閣僚が辞意を示し、玉座の間から逃げるように姿を消した。
「ヴェンデリン、酷いものだろう?」
「それは、王国も同じ状態になってみないとわからないな」
平時では優秀でも、こういう非常時には駄目になってしまう人も多いのだから。
「バカが自発的に辞表を出したのは好都合。あの連中は、僕の目が黒い内は二度と役職にはありつけないから。爵位が低くても、優秀な人材に役職手当を出して任せれば問題ない。では、次は議会だな」
急ぎ議会場へと向かうと、そこには半分以下の議員しか集まっていなかった。
「議員諸君! まずは現状を説明しよう」
ペーターが議員たちにこれまでの経緯を説明すると、ほぼ全員が黙り込んでしまった。
正直なところ、どうしていいのかわからないのであろう。
皇帝選挙を行おうにも、立候補者が集まる前に、ニュルンベルク公爵の軍勢が殺到するからだ。
「そこで、このペーター・オスヴァルト・デリウス・フォン・アーカートが摂政の地位に就き、反乱軍に対する迎撃、防衛戦闘を行おうと思うがいかに?」
ペーターからの問いかけに、議員たちは沈黙したままであった。
法律でこういう事態を想定していなかったので、どう判断していいのかわからないのであろう。
「私はそれで構いません。今は一秒でも早く迎撃態勢を整えるべきです」
ここで、貴族議員でもあるマイヤー商会の当主が賛成意見を述べた。
この発言により、大きく流れが変わっていく。
「そうだな。今は形式論を言っている場合じゃない」
「時間が惜しいな。少しでも帝都の防衛体制を整えないと……」
「ニュルンベルク公爵は、待ってはくれないか」
さらに数名の賛同者が現れ、他に意見もなかった議員たちの決議により、ペーターは無事に摂政に就任した。
彼が事実上のトップとなって、帝都に迫るであろうニュルンベルク公爵を迎え撃つことが決まったのだ。
「ここまでは、計画どおりとしてだ」
摂政に就任したペーターは、忙しく働いていた。
帝国軍の指揮をギルベルトに一任し、他に任命された実力重視の閣僚たちも忙しく働いている。
北部を含めて、現状の報告と援軍の要請も送っており、早期にこの事態を予想していたミズホ上級伯爵は、すぐに二万人の援軍を送るそうだ。
「ミズホ伯国軍は間に合うね」
俺たちがサーカットの町を出た時には、すでに先遣隊を送り出す予定になっていたので、その数を増やすのに間に合ったようで助かった。
「北部諸侯はどうかな?」
「アルフォンスなら、なんとかするでしょう」
テレーゼは間違いなく間に合わない。
ソビット大荒地の野戦陣地から兵を出しても、ギリギリという線であろう。
「助っ人はともかく、帝国軍はどうなんだ?」
王国軍組は別として、俺が集めた二万人と帝都留守部隊の二万人しかいない。
侵攻作戦に反対した幹部や将校は討伐軍から外されていたので、人材は揃っている。
だが、残留部隊の練度はお世辞にも優れているとは言えない。
「後方支援組や、中には優秀で上手く逃げだしている連中がいるかもしれない。それを再編できれば……」
他にも、討伐軍が大量に持って行ってしまった食料を集めたり、帝都南部から守備兵を帝都に引き揚げさせる作業でペーターは忙しそうである。
「南部の守りを薄くするのか?」
「集まっても勝てる保証がないのに、兵力を分散する意味がない」
「でも大丈夫か?」
討伐軍は、南部で略奪や婦女子への暴行を行っている。
それに恨みを感じたニュルンベルク公爵軍が、同様のことをする可能性があったからだ。
「それは、クソ親父が無能だったからだよ。ニュルンベルク公爵に徐々に噂を流され、揚句に首を獲られて帝国中の笑い者だろうね。彼が同じ愚を犯すとは思えないけど」
帝都に迫るまでに自分たちも同じことをすれば、逆にペーターから噂を流されて、ニュルンベルク公爵の評判が地に落ちるというわけか。
「そんなわけで、帝都で迎撃を行うのだけど。ヴェンデリンに頼みがあるんだ」
「わかった、引き受けよう。友情価格で」
「友情価格ねぇ……。涙が出るほど嬉しいよ」
「それはよかったな。で?」
「ああ、頼みってのは……」
ペーターによる無血クーデターによって、帝国の新体制は定まった。
だが、これから帝国の内乱がどのような結末を迎えるのか?
それがわかる者は、現時点では一人もいなかった。
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