第242話 交渉のお仕事
アーカート神聖帝国の皇帝アーカート十七世は、ニュルンベルク公爵討伐に失敗して討ち死にし、その跡をその三男であるペーターが強引に継いだ。
誰が見てもクーデターであったが、予想していたよりも反発は少なかった。
皇帝を討ったニュルンベルク公爵の軍勢がいつ帝都に押し寄せるか不安があるため、誰もが影の薄い前皇帝よりも頼れる為政者を、
たとえそれが、掟破りの方法で権力を奪い取ったにしても、
いや、むしろあのニュルンベルク公爵と似たような方法で政権を奪取したからこそ、臣民たちはペーターに期待したのかもしれない。
無血クーデターで、犠牲者がいなかったのも好材料だったようだ。
ただ多くの貴族たちは、半ば敗戦を覚悟している節があり、ならばニュルンベルク公爵と直接矛を交え、あとで処罰されるのを恐れている節があった。
彼に処刑されるのは、平民皇子と、彼に従う下級貴族、平民たちで十分であろうと。
皇后の実家であるアーレ侯爵家を始め、ペーターが脅かすと、呆気ないほど簡単に役職を降りている。
ニュルンベルク公爵が帝都を落としたあと、また媚びて役職を得ようと考えているのであろう。
彼らは爵位を奪われたわけではないので、今職を辞しても、生活に困ることがないというのも大きかった。
『そこで、その穴を僕が選んだ人材で埋めるわけだ』
ペーターが密かに引き入れていたり、抜擢した貴族には爵位が低い者たちが多い。
平民すらいる。
すべて実力本位で選んだ者たちであったが、こんな無茶は、今のような戦時だからこそできるとも言えた。
『そう。今は通用する。そして功績を挙げてしまえば、あのボンクラ共は戦後も無役だ。爵位と年金はあるんだ。生かしてもらえるだけありがたく思ってほしいな』
ペーターの言い方は酷いが、もしペーターが負けたとしてニュルンベルク公爵が彼らを生かすとも思えない。
ならば、ペーターの足を引っ張って敗北させない方が、かえって彼らの幸せに繋がるという考え方もあった。
無能な味方ほど、厄介な存在はいないのだから。
現在の帝都では、夜間外出禁止命令が出ている。
迎撃に向けた準備も摂政に就任したペーターが中心となって進めており、帝国軍の再編も急ピッチで行われていた。
帝都南部の拠点からや、ペーターを支持する貴族たちが諸侯軍などを送って来ており、徐々にその数を増やしていた。
ニュルンベルク公爵軍の追撃を避けて上手く逃げて来た帝国軍部隊もあり、そういう目端の利く人たちは、最高司令官に就任したギルベルトが昇進させて再配置している。
『こういう目端の利く将校や指揮官は使える』
どういうわけか爵位が高い上級指揮官が少なかったが、彼らは兵数が多いので勝てると確信して志願し、戦地で無警戒に略奪などをしながら進んでいたが、ニュルンベルク公爵軍に呆気なく殺されるか捕縛されたそうだ。
その悪行により多くの臣民たちに恨まれているので、ニュルンベルク公爵が味方の士気を上げるため、各地で首が曝されていると聞いた。
いくら爵位が高くても、人生の最期で自身の悪行により晒し首になってしまう。
最悪な人生の末路だな。
敗走した軍勢を標的とした、落ち武者狩りも行われているそうだ。
勝ちに逸って深く南下した指揮官や兵ほど、生きて戻れる可能性は少なかった。
『地元の臣民たちを敵に回すとはな。バカ以外の何者でもない』
ギルベルトによると、いくら兵力数に差があったとはいえ、地元住民たちに恨まれれば、その地域に住む女性、子供、老人まで全員が落ち武者狩り参加し、兵力差など簡単にひっくり返されてしまうそうだ。
『奪われまい、殺されまい、犯されまいと必死に抵抗するし、敗走して来て疲労困憊の極致にあるところで、地の利のある連中にいつでも好きな時間に襲撃されるのだ。眠っている暇すらないだろうな……』
いくら強者でも、休めなければいつか討たれてしまうわけか。
どうしてこんなことになってしまったのかといえば、一言で言えば、皇帝の力がなかったからだ。
いくら略奪などを禁止しても、それが守られなければ意味がないのだから。
『取り巻き連中は、皇帝に報告しなかったんだろう。気がつかない皇帝も悪い』
亡くなったとはいえ皇帝相手に酷い言い方だが、この大敗戦の責任者なので、ギルベルトの論評は帝国軍中で支持を受けていた。
無謀な親征を行った彼らのせいで、不利な防衛戦を行わなければならないので当然であろう。
どうせ、ペーターの父親は人気がない皇帝だったというのもある。
『バウマイスター伯爵たちの戦力も頼りにしている。フィリップ殿もいるからな』
俺の中ではまだ評価が微妙なフィリップであったが、周囲の評価は高い。
エルとハルカは軍の指揮について色々と教えてもらえるいい教官だと言い、ペーターも良将だと評価しているし、ギルベルトや、同じく抜擢されて参謀長に就任したポッペクなどは、五千人の王国軍組と共に精鋭としてあてにしている。
ミズホ伯国軍と共に、帝国軍駐屯地のいくつかを割り当てられ、帝国軍と同じ扱いを受けていた。
エルとハルカも、フィリップの手伝いで忙しかった。
「そして俺たちは、再び土木工事の仕事をね……」
「ヴェルは、結局引き受けたのね」
「退屈な皇宮にいるよりはいいさ」
そんななか、俺たち一行は帝都西部にある城壁近くへと向かっていた。
ペーターからの依頼内容とは、西部城壁の崩れた部分を急ぎ修復してほしいというものである。
「城壁が崩れているんだ。でも、どうして今まで直さなかったのかな?」
「一番の理由は予算不足ですね」
ルイーゼの疑問に、俺たちと行動を共にしているエメラが教えてくれた。
「予算不足?」
「はい。他に優先すべき工事が多数ありますから。先に予算が尽きて、手が回らないのです」
「でも帝都だよ」
「帝都は、成立以来、敵勢力に攻められた経験がありませんから」
エメラの説明は続く。
帝国が成立以降、領地を東西南北に広げるために攻めるばかりであったので、帝都の防衛能力の低さを問題にする人がいなかったそうだ。
工事予算も、他に回されてしまうことが多いと言う。
「商業地の再開発、皇宮北部居住区の拡張が、ここ十数年ほど優先されておりまして……」
「ですが、壊れた城壁では治安を乱す方々も入ってくるでしょう」
「城壁が壊れているのは、他にも原因があります」
エリーゼに答える代わりに、エメラは前方に視線を送る。
次第に西部の城壁に近づくと、周辺の空気が悪くなったような気がする。
石造りの家が減っていき、ボロい木造の簡易的な造りの家が増えていったからだ。
「スラムがあるのですか?」
「はい。彼らは、城壁の内と外を勝手に出入りしておりまして……」
エメラの答えに、カタリーナは納得したような表情を浮かべた。
「スラムの問題は、どこでも同じですか……」
農村で自分の農地が貰えない農民の子たちが、一旗あげようと夢を抱いて帝都に上京する。
地元で不始末を起こして、逃げるように帝都へと向かう。
ところが平民でも、紹介状やツテがなければろくな仕事に就けない。
冒険者になれなければ、日雇い仕事などしかできず低収入のため、スラム街を形成してそこに住む羽目になってしまうのだ。
「スラムか……」
「ブライヒブルクにもあるものね」
スラムは、ある程度の規模の都市なら必ず発生する。
当然王都にもあり、ブライヒブルクに住んでいたルイーゼとイーナも当然その存在を知っていた。
「最近は減ったらしいけどね」
バウマイスター伯爵領の開発が進んでいるので、そこに送り込んでいるからだ。
だがもう百年もすれば、今度はバウルブルクにもスラムができるだろう。
為政者はスラムをなくしたいのであろうが、完璧にゼロにするなど、神様でも難しいはずだ。
「要するに、スラムの住民が生活のため、城壁の一部を壊してそこから出入りしているわけだ」
「はい」
城壁の外に畑を作ったり、狩猟や採集などをして食料を得ている連中がいるのだそうだ。
「今まで、よく放置してきたな」
「無理に城壁の工事をしても、またすぐに壊されるからです」
スラムの住民たちからすれば、そこが開いていないと、農作業や狩猟に行けないのだから死活問題というわけだ。
「待ってくれ。西部に入り口はないのか?」
「当然ありますが、スラムの住民には出入りは不可能です」
身分を証明するものを持っていないので、西門からの出入りは不可能だそうだ。
身分証を発行しようにも、スラムの住民にそんなものは発行できない。
低収入なだけならともかく、犯罪者や犯罪組織の一員も多いので、彼らがその身分証を使って堂々と悪事を働いたら困るからだ。
「じゃあ、放置しよう」
「開いている城壁ですよ。防衛に重大な支障が出ます」
「ボクたちが強引に塞いでも、すぐに壊されるんじゃないの?」
「それは……」
ルイーゼの指摘に、エメラの表情は曇る。
「つまり、それを含めて解決しろと?」
俺と手を繋いで歩いているヴィルマが、さらに踏み込んでエメラに質問をぶつけた。
先日、亀の狙撃で活躍して二人だけのデートを約束したものの、時間がなくてなかなか実行できないため、今日は手を繋いで歩いている。
当然、仕事を増やしたペーターとエメラに対する印象は悪かった。
「そういう政治的な案件は、そっちでやれよ」
「そうである! 王国人が手を出しても、ろくな結果にならないのである!」
スラムの露店で売っている、なんの肉かわからない串焼きを食べながら、ブランタークさんと導師も続けて文句を言った。
串焼きの他に、エールが入ったボトルを交替で回し飲みしており、タケオミさんが渋い顔をしている。
真面目な彼からすると、仕事中に堂々と飲酒する二人の行動が信じられないのであろう。
「しかしながら、他に解決できそうな人がいませんので……」
「というか、誰も解決できないだろう」
「そうである! 強引に城壁を補修して戻っても、ニュルンベルク公爵が攻めてくる頃には元の木阿弥、という可能性も高いのである!」
城壁を直すのは簡単だが、それを壊させないようにする方法に責任が持てない。
導師の指摘は図星だったようで、エメラは困ったような表情を浮かべていた。
「そうよね。外の畑の作物や、狩猟の成果が、彼らの生活の糧なんでしょう?」
「しかしながら、当然お上の許可を得ていないので違法状態なのです」
スラムの住民たちは、許可も得ずに勝手に城壁の外に畑を作り、狩猟や採集を行っている。
当然納税などしていないが、彼らは元々貧しいので、それでも生活はギリギリだ。
役所が徴税に行こうにも、それをするとスラムの住民たちが反発して騒乱になりかねない。
それを抑えるために軍隊を連れて行こうにも、手間やコストを考えると、見て見ぬ振りの方が効率がいいと判断して放置していたのが、これまでの帝国政府であった。
ニュルンベルク公爵を帝都で迎え撃つにあたって、今まで放置していたスラム問題が一気に顕在化したわけだ。
城壁が崩れて存在していないので最大の弱点となり、それをあのニュルンベルク公爵が知らぬはずがないのだから。
「今まで放置していたツケを、ボクたちに押しつけないでほしいな」
ルイーゼの発言に、珍しくエリーゼまでもが首を縦に振っていた。
「それで、なにか新しい方針でもあるの?」
「方針ですか?」
「前の皇帝ならいざ知らず、ペーターがなんの策もなしに、俺たちをいきなりここに送り込むのか?」
「実はここのスラムのボスが、バウマイスター伯爵様に会いたいと言ってきまして」
「俺に? 知り合いかな?」
「多分、それはないかと。スラムのボスは、通称『男爵様』と呼ばれています」
「貴族なのか?」
「いえ。あくまでもあだ名です。ただ、貴族の私生児だという噂はあります」
そのスラムの主『男爵様』は、数年前にフラっとスラムに姿を現したそうだ。
「魔力量は中級ながら、治癒魔法の使い手です」
「どうしてそんな人がスラムの主に?」
「さあ?」
真面目で常識的なエメラには理解できないはずだ。
それだけのスキルがあれば、スラムになど住まなくても、いくらでも豊かな暮らしを送れるのだから。
「『男爵様』は、薬学にも長けているそうです。スラムの真ん中で治療院を開き、貧しい人たちからはお金を取らずに治療をするとか。最初はならず者たちや犯罪組織と対立しました」
手駒にしようと、自分たちだけが利用できるように独占しようと、男爵様の拉致を企んだ。
だが、彼はスラムの希望の星である。
彼が奪われるのを座視できない住民たちが集まって自警団を形成し、命がけで彼を守ったそうだ。
「男爵様に人を統べる能力があるのかはわかりません。ですが、結果的に男爵様はスラムの主に収まりました」
そして、その体制をお上は黙認した。
なぜなら、男爵様のおかげで帝都の治安が改善されたからだ。
「万が一の怪我や病気が無料で治るのは、スラムの住民たちにとっては大きな救いでしょう。城壁を壊して農業や狩猟、採集を強化したのは男爵様の命令だという噂があります。これによって彼らはギリギリで飢えなくなり、スラムの住民による犯罪は減っているのです」
さらに言うと、一部犯罪者や犯罪組織と男爵様たちは対立関係にある。
たまに、非公式でそういう連中の情報が男爵様から警備隊に流れ、摘発率は上がっていたそうだ。
「警備隊の機密費から、情報提供料の名目で男爵様に支払われていますね」
お上がスラム街の徴税を行わないのには、そういう事情も存在するようだ。
「行政的にはグレーゾーンばかりだな。皇帝は決着をつけずか……」
「先々代の皇帝陛下も、男爵様関連のスラムの問題には手をつけませんでした。この件に関しては、アーカート十七世陛下だけが悪とは言えません」
「世の中は、白黒だけでは判断つかないってか。男爵様に会うだけ会ってみよう」
エメラは、男爵様の居場所を知っているらしい。
しばらく彼女の案内で歩いて行くと、古びた石造りの家が見えてきた。
スラムの住民が独自に石を積んで作った歪なものであったが、周囲には木造のボロ家屋しかない。
対比で、男爵様のお屋敷にも見えてしまうのだ。
「沢山の患者が並んでいるな」
男爵様の家は治療院でもあり、老若男女、多くの患者たちが列をなしていた。
スラム街で、唯一まともな治療院なのであろう。
その数は、数十人にも及んでいた。
「大人気だな」
「摂政の飼い犬の女か」
「随分な言い方ですね」
俺たちの存在に気がつき、医院を警備している十数名の男たちが集まって来る。
そのリーダーは、赤銅色の肌と、筋肉に包まれた逞しい体が特徴の五十歳くらいの男性で、エメラのことを知っていた。
彼女をペーターの飼い犬と呼んでおり、表情に変化はないが、その言い方が気に食わないエメラと男性は睨み合いを始めてしまった。
他の男性たちにも緊張が走る。
「おいおい、バウマイスター伯爵様との面会が希望なんじゃないのか? あんたらのお館様は」
ブランタークさんが場を和ませようと、二人の間に割って入った。
こういう対人折衝能力では、やはり人生経験豊富なブランタークさんに軍配が上がる。
「すまんな。俺としては、帝都の皇宮に住んでいる奴らは総じてクソだと思っているんだが、帝都の住民の中には、三男坊を英雄視する頭の弱い奴らが多くてな」
その原因は、彼が摂政に就任するのと同時に、帝都中央の広場に飾られた陸亀王レインボーアサルトの虹色の甲羅にある。
結局二つになってしまったが、あの大きさの甲羅二つのインパクトは大きかった。
あの大亀を倒せるのならと、ペーターへの支持が集まっていたのだ。
「あの詐欺師はお笑いなことをする。全部バウマイスター伯爵様のおかげじゃねえか」
「殿下を詐欺師扱いですか!」
「うちの男爵様が言っていたぜ。テレーゼも、ペーターも。外国貴族であるバウマイスター伯爵様に頼って帝国の再統一とは笑えるとな」
「では、反逆者であるニュルンベルク公爵に帝国を委ねろと?」
「別に俺たちはそれでも構わないさ」
「そんな……」
普段はペーターに冷たそうに見えて、エメラは彼の人格と能力を評価している。
警備隊リーダーの悪口に、珍しく感情を表に出して反論していた。
「(バウマイスター伯爵、これは思った以上に難儀な仕事である)」
「(ですよねぇ……)」
逆上しているエメラは、この事実に気がついているのであろうか?
これは、単純な城壁修繕の話ではなく、ペーターにもニュルンベルク公爵にも組していない、男爵様以下スラム住民たちの引き抜き工作なのだと。
「俺たちは、帝国に捨てられた人間だぜ。口先摂政にも、前の皇帝にも、その前の皇帝にも、恩なんてなにもないんだからな」
反乱前から棄民扱いの彼らからすれば、テレーゼとペーターは味方でもなんでもない。
そもそも、帝都の住民にもカウントされていないのだから。
「それはそうだな。君たちは、ニュルンベルク公爵に破れた城壁を売って褒美を得ることもできる。男爵様は優秀な治癒魔法使いとか? 彼の配下になれば、子爵以上は堅いな。どうせ、帝都の貴族は大掃除で消える。男爵様に与える領地も爵位も沢山あるわけだ。スラムの住民たちを連れて新領地の開発も可能と。なるほど、君たちは交渉がしたいわけだ」
「なんでぇ、一番若いバウマイスター伯爵様が一番理解しているじゃねえか」
警備隊のリーダーは、エメラをバカにしたような顔で一瞥してから、俺に笑顔を向けた。
「しかし、どうして俺に交渉させるかね? まあいい。まずは男爵様に直接会って話を聞こうじゃないか」
「バウマイスター伯爵様は、彼らと交渉するのですか?」
「交渉しないと、いくら防衛体制を整えても、西側城壁から攻められて帝都は陥落するからなぁ」
「ですが……」
ペーターが俺に交渉させるのは、帝国の人間だと、向こうが感情的になってしまうのがわかっているからだ。
現にエメラも、スラムの住民にいい印象を持っていないのだから。
しかし、ペーターが俺たちに真の目的を教えないのは、人を試しているようであまり感心できないな。
「案内はするが、男爵様は忙しいから少し待ってほしい」
警備兵のリーダーの案内で建物の中に入ると、そこには三十歳前後でローブ姿の細身の男性が、順番に患者の治療を行っていた。
椅子に座って治療をしているが、身長は百九十センチ以上はあるであろう。
顔は知的で、さらにこの世界では珍しい眼鏡をかけているので、まるで医者や学者のように見える。
そんな彼は、魔力の節約のためであろう。
治癒魔法の必要性が低い患者には、助手である数名の神官たちに投薬などの指示を出していた。
「男爵様は、医者の知識もあるのか」
「そうだ。俺の部下たちが交替で、城壁の外に薬草を摘みに行っているのさ。それを材料に色々と作るんだ。これがよく効くと評判でな」
魔法だけの俺とは違い、男爵様は薬学にも長けている秀才肌の人物のようだ。
「おばあちゃん、腰の具合は大丈夫かな?」
「はい。男爵様の湿布のおかげで、大分よくなりました」
「追加で貰って帰ってね。腰を冷やしては駄目だよ」
「ありがとうございます。あのこれを……」
「お金はいいんだよ。おばあちゃん」
「そんなことを言わずに。男爵様と新天地に向かった際、開発の足しにしてくだせぇ」
「ありがとう。じゃあこれは、全額貯めておくからね」
男爵様は、緑色のローブ姿がよく似合っている。
俺などよりも、よほど高名な魔法使いに見えてしまうほどだ。
「(ブランタークさん。これって……)」
「(あの殿下、厄介な案件を押しつけやがって……)」
このやり取りだけで、俺はこの男爵様が恐ろしく有能なことに気がついてしまった。
彼がスラムの真ん中で治療院を開いただけで、スラムの住民の大半は彼を神様のように崇めている。
貧しいながらもスラムに規律と安定を作りつつ、帝国政府への納税義務は、敵対する犯罪組織の情報を警備隊に売るという方法でかわしていた。
なにより彼は、スラムのリーダーで人生を終えるつもりはないようだ。
いつか彼らを連れて、新天地に向かいたいと願っている。
領主になって、領民として彼らを養おうと考えているのだ。
あのリーダーが率いる警備隊は、かなり訓練されている。
男爵様のおかげというよりも、口は悪いが、あの赤銅色の肌の男の功績であろう。
そして彼は、男爵様に主君と同じように仕えている。
このスラムは、事実上男爵様の領地でもあったのだ。
「実質、第三勢力に近いのである」
導師の発言を否定する者はいなかった。
「(油断はならないが……)」
彼は善性の人だと思う。
領主でもないのに、スラムの住民たちの生活と安全に常に気を配っている。
彼に魅かれた人たちは、自然とその下について手を貸しているのだから。
そして、独りよがりでも偽善でもない。
その最終目標に、スラムの住民たちを領民とした領地の確保を目論んでいる。
彼らの生活のため、ニュルンベルク公爵に、破れた城壁を売ってもいいと考える潔さまで持っているのだから。
「ねえ、どうしてここに神官がいるの?」
などと考えていると、ルイーゼがエリーゼに質問をした。
そういえば、スラムには教会の神官たちも入らないと聞いていたからだ。
「あなた、あの人たちはカソリックの神官です」
「なるほど……。そういうことか……」
帝国の国教に指定されているプロテスタントの神官たちは、国の意向に従ってスラムに人を派遣していない。
一方カトリックの教会は、定期的にスラムに人を派遣して奉仕活動を行っているので、これでは自分たちが国に見捨てられていると思われても仕方がないか。
信者数が少ないので、それを増やしたい意図もあるのだろうが、それで救われている人たちがいるのも事実だ。
教会は、帝国では劣勢なカソリックの勢力拡大を図りたい。
男爵様は人手が欲しい。
お互いに、利益があると判断したのであろう。
生粋の皇族や貴族ならば国教に認定されているプロテスタントへの配慮が必要だが、男爵様にはそういう縛りがない。
利用できるものは利用したい彼からすると、手伝ってくれるカソリックの教会は好都合な存在であった。
「交渉で公正を期すため、プロテスタントの神官を派遣したら、その時点で交渉決裂になるわね」
イーナの言うとおりで、だから外国人である俺が交渉の使者に任命されたのであろう。
向こうも、俺を指名したのだけどけど。
「あなた、私もお手伝いをします」
「そうだな、俺たちも手伝おう。その方が早く話し合いが始まる」
俺、エリーゼ、カタリーナの三人は、魔法で男爵様を手伝うことにした。
患者たちが治療されるまで待っていたら、夜になってしまうかもしれないからだ。
「某も……」
「伯父様は大丈夫ですよ」
「そうであるか?」
エリーゼが、導師の治癒魔法をやんわりと断った。
女性、子供、老人が多いので、治癒魔法のためとはいえ彼に抱きつかれると、大変なことになってしまうと思ったのであろう。
「あなたは……」
「まずは、仕事を終えた方が話し合いがしやすいでしょう? 手伝います」
「助かります」
これで治癒魔法使いは四人になったが、全員が能力に差があるので、分かれて仕事を始めた。
「ホーエンハイム家の聖女様ですか。お噂はかねがね」
「今は共に神のために奉仕を行う身。それでよろしいではありませんか」
「それはそうですね。エリーゼ殿の手助けを神に感謝します」
エリーゼは、同じカソリックの神官たちと挨拶をしてから、主に重症、重傷患者の治療を始めた。
帝国に来てから、あまり同宗派の人たちと話をしていなかったので、少し安心しているようだ。
国の仕事で来ていたので、国教ではないカソリックの教会を訪ねたり、神官と話をするのを避けていたというのもある。
「私が、重傷の方を見ましょう」
エリーゼの治癒魔法の実力から言えば当然であった。
「男爵様と同じくらい凄い……」
エリーゼの治癒魔法に、男爵様も神官たちも驚いているようだ。
男爵様もかなりの実力を持っているようだが、彼女に魔力量で劣る彼は、効率を重視した魔法の使い方で、なるべく多くの患者を助けるという手法だ。
次々と治癒魔法をかけて患者を治してしまうエリーゼの存在は、驚異的なのであろう。
「あまり重傷じゃない人はこちらです」
次に俺であったが、やはり治癒魔法の腕前ではエリーゼに劣ってしまう。
それでも数はこなせるので、それほど重傷でない患者ばかり次々と治癒魔法をかけて治し続けた。
「やはり、治癒魔法は苦手ですわ……」
最後にカタリーナであったが、彼女の治癒魔法能力は低い。
練習も兼ねて、軽傷の患者たちを中心に治している。
「おばちゃん、膝をすりむいたの」
「おっ! おばちゃん!」
「大丈夫、テレーゼよりは若く見えるから」
「ヴェンデリンさん、それは慰めになっていません!」
「おばちゃん、早く治して」
「はい……」
カタリーナは、小さい子供に『おばちゃん』呼ばわりされて盛大に凹んでいた。
彼女は二十歳くらいに見えるので、小さい子供だと、おばちゃん呼ばわりでも不思議はない。
子供からすれば、二十歳なんておばちゃんだからな。
言われた本人は、盛大に落ち込んでいたけど。
「いやあ、助かりました」
今まで一人でやっていた治療を四人で行ったので、お昼までには、並んでいた全員の治療が終了した。
男爵様は俺たちに対し丁寧にお礼を言い、ようやく時間が空いたので、話し合いを始めることにした。
「ささやかな食事ですが、一緒にいかがですか?」
「ご馳走になりましょう」
俺たちは男爵様の案内で、治療室の奥にある部屋に案内された。
一度に十数名が食事可能な部屋になっているが、壁は石のままで調度品も粗末で数も少ない。
すぐに食事が出されるが、このメニューには見覚えがある。
「昔の実家の食事だな」
野菜と細切れ肉が入った薄い塩スープ、ジャガイモを蒸かしたものに、硬いライ麦パンと。
悪く言うと質素、よく言えば健康に気を配った食事と呼ばれるものだ。
いや、ジャガイモがあるから向こうの勝ちか……。
というか、昔の実家の飯は、スラムにも負けていた。
客が来たから品数を増やしたのであろうという事情を差し引いてもだ。
「これでも、以前よりは大分マシになったのですよ」
質素な食事をしながら、男爵様が昔の話を始める。
「昔は一日で、一人につきパン一個のみとか。それも、時間が経って硬くなってしまったものばかり。薪代節約のため、一度に大量のパンを焼くのです。その硬いパンを水を飲みながら食べましてね」
栄養不足に、水の衛生面にも不安があるので、子供や年寄りがよく病気にかかった。
当然、死んでしまう者も多かったそうだ。
「死んでも、スラムの住民は減りません」
他所からすぐに供給されるからだ。
「我々は、帝国に見捨てられた棄民なのです。だから、素直に城壁を塞ぐと思いますか?」
「いいえ。俺が同じ立場でも、ニュルンベルク公爵に高く売る案を考えます」
「バウマイスター伯爵!」
「エメラはなぜ怒るんだ? 人は、それぞれ事情や立場が異なるのに」
「あなたがそんな考えでは交渉は纏まりません!」
「そうか?」
俺がペーターに選ばれたのは、他所の国の人間だからだ。
これを帝国貴族や役人に任せると、エメラと同じような発言を繰り返して平行線を辿るだけだろう。
彼らを力技で排除し、そのあと城壁を修理する案は、スラムの住民数を考えると愚策である。
数万人もいる彼らを、完全に排除などできない。
双方の争いが長引けば、彼らは帝都中に散って、まるでゲリラのように抵抗する可能性が高いのだから。
生き残るため、ニュルンベルク公爵に内応する可能性だってあるのだ。
「しかし、エメラは意外とペーターラブなんだな。ツンデレさんだ」
「あの……。ツンデレってなんですか?」
「ヴェルが作った謎の言葉よ」
「はあ……。そうですか……」
イーナの説明を聞き、エメラは溜息をついた。
理解できないといった感じだ。
「帝国人同士で交渉すると、ただ城壁を工事するから邪魔するな。最悪立ち退けという話になってしまう。他に行き場のないスラムの住民たちからすれば、堪ったものじゃない」
「そういうわけです。続けていいですよ。バウマイスター伯爵」
男爵様は、俺に話を続けるようにと促した。
やはり、エメラよりは信用されているようだな。
「せめてどこかに領地でもくれると約束でもしてくれたら、これから始まるニュルンベルク公爵との戦闘で協力することも吝かではない。勿論、食料や資金の提供を条件に入れますけど。なにしろ城壁を塞ぐと、外の畑の手入れや、狩猟と採集が困難になるのですから」
「そのとおりです」
ちゃんと、男爵様の考えを読めているようだな。
「しかしながら、領地を貰うといっても、既存の領地では自分について来てくれる人々全員を養えない。昔からの住民がいますからね。彼らを追い出すわけにもいかない」
「はい」
「そこで、俺たちが解放した魔物の領域が重要となる。あの町はサーカットの町とのアクセスがいい。開発できれば、いい領地になる。そこが欲しいな。できれば資金や食料の援助も欲しい」
「正解です、バウマイスター伯爵」
男爵様は、拍手をしながら俺の推論を褒めてくれた。
「あの魔物の領域を全部ですか? あの魔物の領域は帝国のものです!」
「違うね、俺たちのものだ」
魔物の領域のボスである陸亀王レインボーアサルトは、俺とヴィルマが共同して倒した。
他の魔物狩りに帝国軍も出ていたが、あの軍勢は俺が養っていたものだ。
ペーターはレインボーアサルトの甲羅の報酬に関しては条件を提示したが、解放された魔物の領域についてはなにも言わなかった。
つまり、あの魔物の領域の権利は俺にあるわけだ。
ペーターは意図的に、魔物の領域の領有権をボカしていた可能性がある。
それだけ彼が、油断ならない人物である証拠でもあった。
「私も少しは手伝いましたが」
「あとで、俺から報酬を貰ったよね?」
「……はい」
ヴィルマによる狙撃の間、襲ってきた魔物たちを駆逐するのに貢献してくれたので、俺は既定のお礼をエメラに支払った。
これは、彼女が正式に冒険者登録をしていたからだ。
こういうことは、国が変わっても怠ってはいけない。
「エメラは受け取ったよね? 異議があるのなら、その時に言わないと」
逆に言うと、報酬を貰った時点で、エメラに魔物の領域に関する権利は一切なくなる。
それがわかっているから、俺は彼女に報酬を支払ったのだが。
「それは、私が殿下の護衛だからで……」
「ならば、あの魔物の領域の権利は俺にあるのでは?」
エメラが冒険者ではなくペーターの護衛だと言うのであれば、余計に魔物の領域に関する権利はない。
なぜなら、自分は陸亀王レインボーアサルトの討伐に参加していないと宣言したに等しいのだから。
「最初から、ペーターはこの条件で狙っているんだろうな。男爵様を領主に、サーカット北部の解放された魔物の領域を領地に与える。スラムの住民たちの移住を認める。開発に関しては、帝国政府が援助を行う」
「それで、我々は城壁の外の畑などを放棄ですか。食料援助はいただけるので?」
「それも大丈夫でしょう。その代わり、男爵様は治癒魔法使いとして従軍。リーダー殿が率いている警備隊は、諸侯軍扱いで参加かな?」
「妥当なところですか。詳細な条件は?」
「今日俺が戻れば、ペーターが寄越すはずです」
「なるほど。わかりました」
やはり男爵様は、ただの慈善活動家ではなかった。
だが逆に、慈善活動家ではないからこそ、交渉の余地があったとも言える。
「私は名は言えませんが、これでも貴族の私生児でしてね。普通に欲はありますよ」
「男爵様が、スラムの住民たちをよりよく導けるように願っています」
「鋭意努力します。ランドルフもそれでいいですね?」
男爵様は、警備隊のリーダーに賛同を求めた。
彼の名はランドルフというのか。
「俺は構いませんよ。そのために警備隊を率いてきたのですし」
「なあ、ランドルフ殿はラン族だよな?」
「正確に言うと半分そうだな。まあ、色々とあって今はスラムの住民だが」
ブランタークさんの問いに、その名がランドルフだと判明したリーダーは素直に答えてくれた。
「半分?」
「ダブルなんだよ。そのせいで、フィリップ公爵家の兄妹による主導権争いのとばっちりを受けてな」
ランドルフは、フィリップ公爵領でそこそこの家格の陪臣家の出だそうだ。
「テレーゼと兄二人が、彼女たちの父親の死後、主導権争いを始めた」
当主はテレーゼになったが、最初、兄二人は彼女を傀儡にしようと暗躍した。
それは、彼女からも聞いている。
「俺は、半分中央の血が混じっているからな。珍しく兄二人の方についたわけだ」
純粋なラン族の人間は、ほぼ百パーセントテレーゼ側についた。
兄二人の方には、ランドルフさんのような中央の血を引く人たちがついたそうだ。
「さすがに死者は出ていないが、裏ではかなり激しい主導権争いがあったのさ」
結局、先代皇帝がテレーゼの後ろ盾になったり、テレーゼ自身の才覚もあって、彼女が独裁権を確保している。
兄たちは、保身と自分の子供たちのために膝を屈したが、彼女は争いの再開を恐れ、兄たちの勢力を殺いだ。
「俺のように、運悪くフィリップ公爵領を追い出されたのがいるわけだ」
そういう事情で追い出されたため、そう簡単に他家に仕官できるはずもなく、そのまま帝都のスラムに流れてきたそうだ。
「力はあるから、日雇いの仕事で家計を維持したんだがな……」
ところが三年ほど前。
妻と子供たちが、貧しい生活が原因で病気になってしまった。
お金がないので、医者にもかかれずに困っていたところ、男爵様が無料で治療をしてくれたのだと、ランドルフは語る。
「もし俺がテレーゼだとしたら、やはり俺を追い出しただろうな。小国に匹敵する公爵領の政治だ。綺麗事では済まないのはわかっているさ。だが、今の時点でテレーゼに様をつける気にはならん。俺の仕えるべき人はここにいる」
男爵様は多くの患者を無料で治していたが、それで犯罪組織に目をつけられた。
「男爵様に頼まれたわけではない。ただ犯罪組織に奪われるわけにはいかないと思った。武具は古いが、ちゃんと手入れはしている。剣の訓練もサボってはいない。これでも、ある程度の軍勢を率いた経験もある。俺にもできることがあったんだ」
自分と同じように、様々な事情でスラムの住民になっていた軍人経験者たちと、未経験の若者を鍛えて、今ではかなりの精鋭になった。
男爵様を守るだけではなく、スラム全体の治安もある程度維持できるようになったのだと。
「男爵様が、本物の男爵様になれるかどうかの瀬戸際だ。俺も兵を率いて参加するさ」
「それは助かる」
なにしろ、兵力が不足している。
ある程度訓練された軍勢は貴重であった。
「だが、装備が心許ないぞ」
ランドルフのように元々武具を持っている人たちはともかく、未経験者たちは粗末な武具を使っているのでなんとかしてほしいと、彼に頼まれてしまった。
「それも大丈夫」
帝国軍の倉庫に、予備の武具があるはずである。
他にも必要なものがあれば、支給していけばいい。
「伯爵様は太っ腹だな」
「なあに、どうせ摂政殿の財布だからな」
「それもそうだな。俺たちの腹は痛まない」
俺とランドルフは笑い合う。
こうして無事に交渉が纏まったのであったが……。
「ペーター、これ請求書ね」
「うわお。魔物の領域の代金も含めて、僕の借金もある意味偉業を達成したね」
俺への借金がさらに増えたペーターは、空元気なのか、請求書を見ながら大笑いした。
大物の証拠だと思うことにしよう。
「殿下、もの凄い金額ですけど……」
「大丈夫だって。借金を返すまで、貸主は僕を殺そうとなんて思わないからさ」
「ペーターを殺しても、俺は一セントも得しないからな。罪悪感も少しは感じるだろうし」
「でしょう? 生かして搾り取った方がいいよ」
エメラは請求書を見て顔を青ざめさせていたが、ペーターの方はまったく気にしていない様子だ。
やはり彼は、大物なのかもしれない。
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