第240話 ニュルンベルク公爵討伐軍出陣す

「へぇーーー、ボクと違って大きいねぇ」


「虹色の甲羅がとても綺麗」




 ヴィルマの狙撃によって頭を撃ち抜かれた巨大な亀はその活動を停止させ、急ぎ戻ってきたイーナとルイーゼはその死骸を見上げていた。

 しかし、まさか陸亀王レインボーアサルトが二匹いるとは思わなかったな。

 普段は一匹しか地表に出ていなかったからであろうが、せめて導師は気がついてほしかった。


「あの甲羅のせいで魔力が感知できなかったので、仕方がないのである」


 虹色の甲羅の厄介な部分は、亀が頭と足を引っ込めると『探知』が不可能になる点にある。

 さらにこちらが攻撃を加えないと、あの虹色の甲羅は魔力を『探知』させてくれない。

 ダメージを反撃用の魔法に変換するのだから、攻撃を受けなければ甲羅は静かなままだ。

 甲羅は虹色に輝いているので地表にいれば簡単に目視できるが、地面に埋まっていたのでは確認のしようがない。

 実に困った魔物だったというわけだ。


「この数ヵ月間、見事に騙されたのである!」


「どちらか一匹しか表に出ていなかったとしても、大きさが違うんだから気がついてほしかったな」


「ブランターク殿、人間はあまり細かいことを気にしない方が、長生きできるのである!」


「この場合は、気にした方が長生きできるけどな……」


 続けて、こちらにやって来たブランタークさんも導師に苦情を言うが、これまでの彼の言動から察するに、自分の行いを反省するはずがなかった。


「伯爵様。もう一匹いるから、亀の解体は大変じゃないのか?」


「人手はありますから」


 これを持ってサーカットの町に凱旋すると、帝都の皇帝が噛みつく可能性がある。

 変に警戒されても困るので、現地で解体して魔法の袋に仕舞い、必要な時にペーターが帝都の臣民たちに公開して力を誇示する計画だ。


「ヴェル、この甲羅ってかなり特殊だよね? 殿下はお金を払えるの?」


「払えるとも。出世払いで」


 ルイーゼの疑問に、ペーターは堂々と胸を張りながら答えた。

 これまでは隠れるようにして同志たちとお金を貯めていたようだが、その程度では雀の涙なので、今の彼は借金だらけである。

 しかしながら、相変わらずまるで悪びれていない。


「(ペーターが、ユリウス・カエサルのような大物だといいがな……)」


 しばらくすると、二匹の陸亀王レインボーアサルトの解体が始まる。

 場所は魔物の領域内であったが、すでに大半の魔物が倒され、これらの解体が進んでいた。

 肉を食料として確保し、他の素材は売却して軍資金にあてる予定だ。


「おっ、美味しそうな料理だな。さすがはエリーゼ殿」


 試しに、一部の素材でエリーゼが料理を作っていた。

 亀の肉は初めてであったが、はたしてどんな味がするのであろうか?

 野菜と共に煮込んだ亀肉のうま煮に、醤油と味噌ダレで焼かれた亀肉も出てくる。


「亀、美味しい」


「好きなだけ食べていいから」


「ヴェル様、太っ腹」


 早速ヴィルマが食べているが、彼女は今回の功労者である。

 食べたいだけ食べてもらって構わないさ。

 エリーゼが、次々と焼いた亀肉やうま煮をお椀によそい、ヴィルマに差し出した。


「普通に美味しいな」


「いやあ、今日は美味しかった……ではなくて、大変であったのである!」


 亀肉を大量に食べながら、導師が今日の出来事を思い出しているようだ。

 陸亀が二匹いることに気がつかず、自分は他の魔物狩りに集中していたという事実を指摘してはいけない。

 不可抗力の面もあったし、導師が暴れたからこそ、軍に犠牲があまり出なかったという点もあったからだ。


「他の魔物は、明日、もう一度虱潰しにして全滅させるのである」


「続けて私が、『ウィンドカッター』で木を切り倒していきます」


 同じく陸亀王レインボーアサルトとの戦闘に間に合わなかったカタリーナであったが、彼女は残存する魔物の始末と、この魔物の領域の木を切り倒す仕事を請け負うこととなった。


「ここに、農村を作ると聞いていますが」


「サーカットの町に食料を供給する、農村連合みたいなものかも」


 この魔物の領域は、サーカットの町と北部の小領主連合の領地の間を塞ぐような形で存在していた。

 魔物の肉と素材で冒険者も集まっていたが、規模が小さいので、むしろ開発と通行を阻害する面の方が強かったそうだ。


「この魔物の領域が開放されたことにより、サーカットの町と帝国中央部北部領域とが繋がって開発が促進されるわけだね。虹色の甲羅という希少性の高い素材も手に入ったことだし、これをもって僕は帝都に凱旋する」


「そうか、それはよかったな」


 力説するペーターに対し、俺はこれまでの分も合わせて、仕事の報酬に関する詳細な請求書を手渡した。

 彼が皇帝になるというのであれば、是非支払っていただかないと。


「うーーーん。テレーゼ殿は、ヴェンデリンに甘えすぎ」


 ペーターがその金額を見て、今まで俺に報酬を払っていないテレーゼを批判した。


「殿下も、あまり人のことは言えません」


「エメラ、こういう時くらいは僕の味方になってよ」


 ペーターは、主君に毒舌を吐くエメラに苦笑していた。


「時に主君に厳しいことを言うのも、臣下としての役割です」


「正論だねぇ。僕はすべて支払うよ。勿論あと払いだけど」


「あとで支払うというのは、テレーゼも皇帝も言っていたがな」


 この二人は、別に支払いを正式に拒否したわけでもない。

 ただ俺が勝手に、二人の皇帝としての資質に疑問を抱いただけだ。


「勿論分割になるけどね。同志に財務系で優秀なのがいるから、帝都に入ったら計算させるよ。僕の目が黒いうちに必ず返済するさ。だって返済しないと、帝国がヴェンデリンとその後ろにいるヘルムート王国に経済支配されてしまうから」


「ほう……」


 そこまでわかっているのなら問題ない。

 もし支払えなければ、あとで設定する予定の担保を取り上げるだけで、それは帝国の領地と鉱山や港などの利権である。

 だから返さなければ、帝国が王国に経済的に侵略されてしまうのだから。


「きっと僕は、後世で『借金帝』とか呼ばれるね」


 ペーターは、笑いながら亀肉を食べていた。

 そして翌日。

 現場ではまだ後始末の最中であったが、王国軍組、帝国軍の中から五千人、ミズホ伯国軍五千人の合計一万五千人で帝都へと進軍を開始した。

 帝国軍はギルベルトが自ら指揮を執り、王国軍組はフィリップが、エルもその中の千人を率いている。

 ミズホ伯国軍は、ムネカズ・タチバナ・ミズホという重臣が指揮していた。

 導師、ブランタークさん、エリーゼたちも俺に同行し、サーカットの町の管理は代官とクリストフとシュルツェ伯爵に任せる。

 残存する兵力の統率は、ポッペクと彼にスカウトされた人材に任せれば問題ないだろう。


「どうせ全員、すぐに帝都に来る羽目になるけどな……」


 厳しい訓練の効果もあり、軍勢は整然と素早く帝都近郊に到着し、テキパキと陣を張った。

 早速皇帝に呼び出されるが、これは割愛しておく。

 呼び出されてすぐ、自分たちは南部に出陣するので、後ろで大人しく警備でもしていろと言われただけだ。

 口調はもう少し丁寧であったが、やはりニュルンベルク公爵討伐に俺たちを連れて行くつもりはないようだ。


「父上は、豪華な特製の輿が完成してウキウキなんだろうね」


「馬に乗る練習をすればいいのに……」


「したけど駄目だったんじゃないの?」


 さすがの俺でも、もう普通に馬には乗れた。

 その努力すらしない皇帝に、ただ呆れるばかりだ。

 まだ初老にも達していないというのに……。

 

「その豪勢な輿も、もうすぐ棺桶に早変わりか……」


 皇帝に謁見した日の夜。

 帝都郊外に張った陣地で、俺たちは夕食を食べながら話をしていた。

 ついてきたペーターは、密かに帝都在住の仲間たちから情報を得ているらしい。

 それによると、華美に装飾された特注の輿を見て、皇帝は満更でもない笑みを浮かべていたそうだ。


「総大将が馬にも乗れないって、どうなんだ? ペーター」


「そうだよね。長年戦場で戦って功績がある、足腰が弱った老軍人とかならともかく」


 過去の帝国軍には、そういう軍人もいたそうだ。

 だがあの皇帝は、帝国軍の訓練に参加した経験がないと聞く。

 皇家直属の諸侯軍の訓練も、今ではペーターの兄たち任せてしまっているそうだ。


「ペーターのお兄さんたちは優秀なんだな」


「優秀というか、言われたことを無難にこなすのは得意かな? さすがに馬に乗れないとかはないけど、どうやってあのニュルンベルク公爵に勝つんだろうね?」


 今の帝都は、討伐軍の出陣前ということもあり、ある種の熱気に包まれていた。

 皇帝から兵士たちに一時金が下賜されたので、それを使って命の洗濯をしているのだ。

 これが最後になる人もいるので、それ自体に俺はどうこう言うつもりはない。

 というか、俺たちは失礼なことに、ほぼ間違いなく彼らは負けると予想している。

 親征を止められればよかっただろうけど、結局彼らは、自分たちの方が数が多いという点にのみで驕り、一部の軍人、貴族たちやペーターからの忠告を無視していた。

 可愛そうだが自業自得とも言えて、こちらとしては複雑な心境を抱かざるを得なかった。


「最初は順調に進むだろうな」


「ほう、ヴェンデリンの戦術論か。聞いてみよう」


「そこまで大層なものじゃないよ。皇帝を討って、同時に大きな損害を与えればニュルンベルク公爵はずっと楽になる。だから、ニュルンベルク公爵領奥まで引き寄せてから、地の利を生かして一気に討つ方が楽だろうと」


 侵攻ルートが三つもあるので、反撃するタイミングが難しい戦術ではあるが、その能力をニュルンベルク公爵は十二分に持っている。

 まず失敗しないはず。

 皇帝の息子たちや、重臣クラスも、なるべく討つか捕えるかしたいところだ。

 犠牲が多ければ多いほど、帝都は混乱する。

 上手くすれば帝都の無血開城すら可能かもしれないと思えば、討伐軍の殲滅に力を注ぐであろうと。


「討伐軍の諸将たちもそれは重々承知しているからね。『我らが、そんなわかりきった作戦にも対応できない無能だとでも?』と言われてしまえばね……」


 世の中には、それがわかっていても対応できなかった事案なんていくらでもあるけど。


「今は待つしかないさ」


 俺だって、皇帝の戦死を期待している部分があるのだ。

 ペーターにどうこう言えるはずもない。

 そして、ニュルンベルク公爵討伐軍が出発する当日。





「ペーターか……。見送りご苦労。お前は、帝都周辺に騒動が起きないよう、バウマイスター伯爵たちを上手く使って頑張れよ」


「それこそが、三男であるお前の役割だ」



 ついに、帝都の巨大な正面門から討伐軍が出発した。

 まずは、帝国軍の精鋭である騎馬隊が列をなして大通りから正面門を潜り、次に豪華な輿に乗った皇帝が、見送りの貴族や臣民たちに手を振って応える。

 その中に見送りに来たぺーターもいたのだが、彼は一度目を合わせただけでなにも言わなかった。

 行列も中盤に差しかかると、皇家の後継ぎである長男と次男、つまりペーターの兄たちが馬に乗って姿を現す。

 彼らは皇家諸侯軍を指揮しており、随分と気合が入っているようだ。

 彼らは次期皇帝ではなく、あくまでも皇家の後継ぎである。

 だが、他の選帝侯家は大きく混乱し、これに加えてニュルンベルク公爵討伐の戦功をもってして、皇家の継続的な皇帝位継承を狙っているらしい。

 ペーターが呆れながら教えてくれた。 

 そんなわけで、今回の討伐は失敗できないというわけだ。

 もっとも、すでに勝利後の甘い夢を見ているようで、嫌らしい笑みを浮かべながらペーターに上から目線で話しかけていた。


「兄上たちの勝利を願っています」


「我らの栄光は、お前のためにもなるからな」


 そう言い放って行軍の列に戻る兄二人に対し、彼らが見えなくなるまでペーターは恭しく頭を下げ続けていた。


「よく頭にきませんね」


「兄たちの母親は大貴族の娘で、僕の母親は平民だからね。さすがに慣れたよ」


 そう言いながらペーターが下げていた頭を上げると彼は舌を出しており、イーナがぎょっとした表情を浮かべる。

 これまで、誤魔化し、我慢しながら駄目な弟を演じてきたので、特に思うところもないのであろう。


「それで、俺たちはなにをすればいいんだ?」


 討伐軍の最後尾を見送りながら、ブランタークさんがペーターに尋ねた。


「帝都には入れないから、僕たちはその周辺で人気取りをするのさ。公式には、治安維持担当?」


 ニュルンベルク公爵が帝都を一時放棄し、幽閉されていた皇帝が再び政権を握って半年ほど。

 いまだに治安が悪化している地域も珍しくなかった。

 そこで俺たちは、軍の訓練も兼ねて、その解消のため動くことにした。

 念のため、帝都にいる帝国軍本部にお伺いを立ててみたが、『まあいいんじゃないの?』的に軽く許可を貰うことができた。


「足元の治安が悪いのに、対応しないなんて……」


「イーナ殿、あそこに巣食っている連中は、ニュルンベルク公爵討伐を成功させ、自分が出世することしか考えていないのです」


「足元が覚束ないのにですか?」


「そこまで頭が回ったら、とっくに殿下が声をかけていますよ。殿下が声をかけている軍人たちは、あんなところに近寄りません」


 イーナの疑問に対し、珍しくマルクが言葉数多く答えていた。

 帝国軍本部の残った軍人たちは、討伐軍に参加した将兵に対し焦りがある。

 せめて後方支援を成功させ、戦功を稼がないとと思っており、その辺の農村の治安なんてどうでもいいのだ。


「我々は、足元から始める。それでいいではないですか」


「そうですね」


 というわけで、俺たちは帝都周辺での活動を開始した。




「軽傷の方は、こちらですわ」


「骨はくっつきましたが、数日は安静にしていてください」


「某の治療を受ける者はいないのであるか?」


 カタリーナ、エリーゼ、導師は、各地の農村などを回って巡回治療を行う。


「作物泥棒は駄目だよ。自分で買わないと。あっ、抵抗する? じゃあ、気絶してもらうね」


「作物泥棒は、私の中では極悪人扱い」


「どうして、こんな娘っ子二人に俺たちが?」


「強ぇ!」


 ルイーゼとヴィルマは、これまで野放しになっていた犯罪者たちの摘発に精を出し。


「大分練度も上がったな」


「そうですね、エルさん」


「エル、この食料申請の書類。計算が間違っているわよ」


「えっ? 本当?」


「最後の合算で間違って台無しなのよ。ほら、ここ」


「本当だ……」


 エルとハルカは、フィリップの下で懸命に部隊の訓練に励んでいた。

 イーナは、軍の運営に力を貸している。


「この道をまっすぐにねぇ……。長いなぁ……」


「しかし、俺らはいつまで工事をするんだろうな?」


「討伐軍が負けるまでですかね」


 俺とブランタークさんは、土木冒険者としての生活を送っている。

 治安維持とは関係ないような気もするが、ペーターと俺たちが帝都周辺の治安維持活動を始めたら、すぐに仕事がほとんどなくなってしまったのだ。

 軍隊がいるのに、堂々と犯罪を行う奴もいないだろうから当然か。

 ルイーゼとヴィルマが多くの犯罪者を捕まえたのもあって、すぐに帝都周辺は静かになった。

 あとは、軍は訓練を続け、俺とブランタークさんは、人気取りを狙ったペーターのところに上がってきた陳情を担当しているというわけだ。


「その討伐軍だが、随分と景気がいい報告が入ってくるじゃないか」


 今のところは、境界線を無血で超えたとか、いくつかの村や町の解放に成功したなどの戦果が次々と入ってきている。

 自分たちの功績を派手に宣伝したいからなのであろうが、詳細を聞くとほとんど戦闘を行っていない。

 討伐軍首脳部の考えでは、ニュルンベルク公爵は領内の奥深くまで自分たちを誘引し、そこで最終決戦に臨むと考えているようだ。

 そしていくらそんな手を用いようとも、三倍の戦力を持つ討伐軍の勝ちは揺るがないとも。


「ただ結果待ちなのがもどかしいな」


「ええ……」


 それでも、皇帝について出兵しなくてよかったと思う。

 土木工事などに勤しんでいると、それを手伝う人夫たちからよくない噂を聞いていたからだ。


「(ニュルンベルク公爵様が反逆者なのはわかるし、その討伐の必要があるのはわかるけど……)」


「(なにかあったのか?)」


「(俺の友達が聞いた話なんだが、占領された村や町は地獄の惨状らしいぞ)」


「(それって……)」


「(そういうことだ。あんまり偉い人の前で言うなよ)」


 討伐軍は寄せ集めなので、兵員の統制が取れていないのであろう。

 戦争では定番の、民間人への略奪や虐殺が行われているらしい。


「そんなことだろうとは思ったけどね」


 その日の夜、ペーターに人夫たちからの噂話を伝えると、彼もそれを否定しなかった。

 『だろうな』といった表情をしている。


「皇帝は、禁止の通達を出さなかったのか?」


「出しているよ。当然じゃないか。でも決まりごとって、守らせるのが一番難しいでしょう?」


「そうだな。俺も実際に兵を斬っているからな」


 フィリップは、この遠い帝国で王国軍組の規律を守らせるのに苦労している。

 命からがら逃げたり捕虜になっていたせいで、その恨みを晴らそうと強盗や強姦に走った兵士が何名かいたのだ。

 これは、帝国人たちを率いるギルベルトも経験していることだ。

 

「同じ帝国人とはいえ、住んでいる領地や地方が違えば同朋意識は薄いからな。そこでやらかす者は一定数いる」


 昔の戦争をしていた時代ならば、もう少し国に所属している意識が強かったのかもしれない。

 だが今の時代だと、どうしても自分の家族や地元が最優先で、こういう非常時に他所の土地で悪さを働いても、と思う輩は一定数発生してしまう。

 これは、どこの世界の軍隊でも避けえない現実であった。


「ほぼゼロまで減らす方法はあるけどね」


 フィリップとギルベルトは、自らその兵士の首をサーカットの町の住民たちの前で刎ねた。

 残酷だが、俺たちは町に間借りしている状態なのだ。

 軍規を正さなければ、こういう犯罪はますます増えてしまう。

 時に、見せしめのような処刑も必要悪というわけだ。


「クソ親父と兄たちは、綺麗事だけ言ってなにもしていないんだろうね。容易に想像できるよ」


「取り巻き連中も、皇帝陛下からの叱責と罰を恐れて耳には入れないはずだ」


 皇帝は裸の王様だと、フィリップは言っているのに等しい。

 腰巾着連中からしても、もしそんな理由で失脚でもしたら、ニュルンベルク公爵討伐後に訪れる栄達、出世を逃してしまう。

 そのように考えた結果、そういう都合の悪い不祥事を皇帝親子の耳に入れないという結論に至ったのであろう。

 知らなければ、それはないに等しいのだから。


「導師殿は、国王陛下にでも直言しそうだね」


「遠慮なく言うのである!」


「ヘルムート王国の国王陛下は羨ましいね」


 陛下と導師は親友同士である。

 だからこそ、導師は親友のために耳に痛い忠告でもするつもりなのであろう。

 だが、あの皇帝にそんな家臣は一人もいない。

 それがわかるからこそ、ペーターは自分の父親を少し憐れんでいるのかもしれない。


「ニュルンベルク公爵の工作が静かに広がっているな」


「そうだね。ヴェンデリンの言うとおりだ。討伐軍の悪行は事実だとしても、味方からはこんな不祥事は漏れない」


 ニュルンベルク公爵が残した残留諜報員たちによって、徐々に皇帝たちの悪行が帝国中に広がるよう工作している。

 皇帝が、内乱討伐で罪もない臣民たちを虐殺しているとも取られかねず……実際にそうだが……ニュルンベルク公爵は、討伐軍との戦闘後のことも考えて動いているようだ。


「やはり負けますか?」


「エリーゼ殿、その町や村には教会もある。神官たちのネットワークを舐めてはいけない」


 教会はニュルンベルク公爵の反逆に抗議する立場を取り、解放軍や討伐軍に従軍している神官も多い。

 だが、南部の教会には反乱軍に参加していたり、中立の立場を宣言して普段どおりの活動を続けている神官たちも多いのだ。


「帝都の教会が正義と信じる討伐軍の悪行を見て、彼らはどう思うかな? 教会でも動揺が大きいと思うよ」


「そうですか……」


「さすがだな、ニュルンベルク公爵は。なるほど、テレーゼ殿だと倒し難いから、クソ親父を帝位に戻して力を割って倒すか……」


「生まれてくる時代を間違えたな。ニュルンベルク公爵は」


「乱世にこそ、ああいう男が相応しいんだろうね」


 ペーターは、今の自分ではこの状況をどうにもできないと、もどかしい思いをしているようだ。

 一瞬だけ口の端を歪ませているのを、俺は気がついてしまった。

 しかし、今の時点で下手に介入して皇帝を助けてしまうと、今度は上を抑えられたままの状態でニュルンベルク公爵と戦わないといけない。

 一時の犠牲に目を瞑り、皇帝には死んでもらわないといけないのだ。


「それで、その裸の皇帝陛下様は?」


「あと三日もすると、父が率いる本隊はニュルンベルク公爵自身が率いる軍勢と激突するらしい。僕が独自に出している密偵からの報告によると、彼はわざわざ、全軍ではなく半数ほどの兵力で待ち構えているというから、さぞや罠、対策が施されているのだろう」


「地下遺跡の遺物かな?」


 前にも、爆発するゴーレムによって導師までもが翻弄されてしまった。

 魔法使いの数と質が落ちている討伐軍では、対策が遅れて致命傷を受けるかもしれない。


「今は、結果を待つしかない……」


 ほぼ負けるのがわかっている戦いの結果を待つというのは、非常に辛いものだ。

 それでも、時間が経てば結果は自ずと訪れる。

 それから十日後の夜、ペーターにより密かに討伐軍に潜らせていた密偵が早馬で彼の元に駆け込んで来た。


「お味方惨敗! 皇帝陛下は討たれました!」


「やはり……。それで詳細は?」


 急遽主だった者たちが集められたテントの中で、息を切らせた密偵が詳細な報告を始めようとする。


「あの、これを……」


「ありがとうございます。奥方様」


 密偵は、エリーゼが急ぎ淹れたマテ茶を飲み干してから報告を始まる。

 細かいことだが、こういうタイミングにわざとぬるいお茶を淹れるとは、さすがはエリーゼ。


「敵は少数と、討伐軍が全軍で突撃をしましたところ……」


「大量の自爆するゴーレムによって軍列を崩されたか?」


「それはあとです。まずは、金属製の竜のゴーレムが配置されておりまして……」


「そんなものまで発掘していたのか!」


 ドラゴンゴーレム。

 王国の地下遺跡で出た以上、帝国の地下遺跡でも発掘されてもおかしくはないか。

 そしてそれを自陣に配置し、攻め寄せた討伐軍数千人が数発のブレスで溶けてなくなったと、密偵は報告する。


「その後、大量の自爆型ゴーレムが……」


 十万人の大軍とはいえ、そこまでされたらあとは崩壊するだけだ。

 そこにニュルンベルク公爵が自ら攻め寄せて、皇帝の乗った輿がひっくり返された。

 泥に塗れた皇帝は剣を構えるニュルンベルク公爵に命乞いをしたが、『見苦しい』の一言のあと、一撃で首を刎ねらてしまったと報告する。

 報告する密偵の表情には、呆れが混じっていた。

 こんなに見苦しい最期を迎えた皇帝は珍しいからであろう。


「よくそこまでわかったな」


「私は後方にいまして、そこに真っ青な顔で取り巻きの一人が逃げて来ましたからね」


 その取り巻きは貴族なので、なんとか皇帝を失って崩壊しつつある軍勢を纏めようと現地に残留した。

 逃げ出さないだけマシ……ここは一時逃げてもという考えもあるか。

 ただ、皇帝の腰巾着だから、能力的に生き残るのは難しそうだ。

 密偵は、そのまま馬で飛び出してここまで逃げて来たわけか。


「見事なまでの逃げっぷり。ガトラの早馬の技は称賛に値する」


 密偵の名は、ガトラというらしい。

 当然彼も、ペーターの同志であった。


「兄たちはどうだ?」


「他の二つの軍の指揮を執っていたようですが、多分同じ結末でしょう」


「だろうね」


 なんのことはない。

 ニュルンベルク公爵が一旦帝都から兵を退いたのは、地元に誘引すれば地下遺跡の遺物で勝てる自信があったからだ。

 ドラゴンゴーレムは重たいので、設置するなら工事に人手を使える地元が有利だった。

 当然、他二つの軍勢と指揮官であるペーターの兄たちも無事ではないはず。


「予想どおりになったね」


 予想は当たったが、ペーターはそれほど嬉しそうではなかった。

 ただ、動かねばとは思っている。

 ここにいる人たちの大半は、そうなると予想して、数ヵ月も前から動ていたのだから。


「討伐軍は、半分生き残れるかな?」


「そのくらいは生き残ってほしい。再編すれば、どうにかニュルンベルク公爵に対抗できるから」


 これから、勝ちに逸ったニュルンベルク公爵が軍勢を帝都に進める可能性が高い。

 それまでに、ペーターは帝国の実権を握って軍勢を再編しないといけないのだから。


「今のところ頼りになるのは、残留していた帝国軍と留守番に回された同志たちか……。あとは、ヴェンデリン」


 ペーターは、俺の肩に両手をのせる。


「君の王国軍組と、サーカットの町で編成した帝国軍。あとはミズホ伯国軍も当てにしている。外国の軍勢だからと騒ぐバカが多いと思うけど、今はスピードが勝負だ。クソ親父の死を公表して、一気に政権を握るぞ」


 やはり、朝まで一眠りというわけにはいかないようだ。

 全軍に出動命令が下り、陣地の中に兵士たちの喧騒の声が広がっていく。


「ガトラ」


「はっ!」


「帝都に入って、バイエルラインとランズベルク伯爵に同じ報告をしろ」


「了解しました」


「ヴェンデリン。気になるかい? 彼らは僕の同志だから、今は閉まっている帝都の正面門を開けてくれるというわけさ」


 帝都の正門が開くのと同時に、全軍で皇宮や帝国軍施設を接収し、そのままペーターが帝国の実権を握る。

 これもクーデターではあったが、この際は仕方がないであろう。

 皇帝が死んだ以上、誰かが権力を継承しないと、ニュルンベルク公爵に再び帝都を奪われてしまうのだから。


「ヴェンデリンは、僕の近くで見ているだけでいいよ。さすがに、この手の仕事は僕たちが主導でやらないとね」


「そうか。でも俺が傍らにいると……」


 俺でも、看板の一枚くらいにはなると思うのだが……。

 ああ、脅しに使うってことか。

 事前の計画では、俺たちは待機の予定だったはずなんだが……。

 

「実際に事を起こすとなると、やはり手札を多くしたいのが心情でね。計画変更さ」


 ペーターは、俺を利用する気が満々なようだ。


「貸し借りなしを実現するために、お代はいただくけどな」


「それは勿論。じゃあ行こうか」


 それから数分後には準備が整い、少数の留守番だけ野外陣地に残し、全軍で帝都正面門へと向かう。

 クーデター以降、死ぬまでニュルンベルク公爵に操られた憐れな皇帝アーカート十七世は、半年ほどという短い在位期間を終える。

 あとで本で調べたのだが、彼の在位期間は二百七十八日。

 歴代の皇帝の中では、二番目に短い数字である。


 なお、一番短い在位期間を持つ皇帝は、千百年ほど前に在位十七日で卒中で倒れたアーカート三世であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る