閑話5 とある殿下の事情
「殿下、帝都の様子が変です」
「変? 変ってどんな風に?」
「軍隊が動いているようです。他にも、一部の施設や建物からは火の手もあがっています。これは……」
「うーーーん」
いつものように、クソ親父と優等生な兄たちからの説教という名の嫌味を聞き流したあと。
帝都郊外の森で狩猟後、バーベキューパーティーと野営を楽しんでいたら、夜番をしている家臣がテントに飛び込んで来た。
外に出ると、帝都から火の手が上がっている。
こんな夜遅くなのに、かなりの数の軍隊が動いているようだ。
抜き打ちの、帝国軍による夜間演習……のわけないよね。
「殿下……」
「やあ、エメラは寝起きでも綺麗だね」
「殿下、そのような冗談を言っている場合ではないのでは?」
僕が個人的に雇っている魔法使いのエメラが自分のテントから出てきたけど、僕の褒め言葉を聞いて冷たい表情になった。
僕は、場を和ませようとしただけなのに。
それにお世辞じゃなくて本当に綺麗だと思っているのに、エメラは冷たいんだから。
女性って、美しいって褒めると喜ぶはずなんだけどなぁ……。
まあ、そこがいいところでもあるんだけど。
「殿下、クーデターのようです」
「ああ、やっぱりそうだよね」
いつの間にか横に控えていた護衛のマルクが、一言だけ言葉を発した。
マルクは腕のいい剣士だけど、言葉数が少ないからね。
気配も掴みにくいので、たまに傍らにいても気がつかないことがあるんだ。
僕の護衛を担当しているけど、手を抜くような人物じゃないから、確実に僕の傍らにいるんだけど。
「誰がクーデターを起こしたのかな?」
「ニュルンベルク公爵しかあり得ません」
「だよね」
皇帝選挙では、惜しいところまで行ったからね。
若い野心家である彼からすれば、あの結果に満足できなかったのかな?
僕なりに各候補者たちの得票数を計算してみたけど、うちのクソ親父には勝てないことは確実だった。
皇帝としての素質と能力は圧倒的にニュルンベルク公爵だけど、今は乱世でもないからね。
改革という名の混乱を嫌った保守派のせいで、無難にうちのクソ親父に決まったわけだ。
若いニュルンベルク公爵からすると理不尽に感じるのかもしれないけど、改革は失敗すると、今よりも状況が悪くなるからね。
一国の政治の問題だから、そう博打も打てないと感じている貴族たちが多かっただと思う。
でもニュルンベルク公爵からすれば、惰性で流された、新しい国を作る気概がないと感じたのかもしれない。
そこは、世代間や身分間で発生するギャップというやつかな?
「これは困ったね」
明日、どうやって帝都に戻ろうか悩んでしまうね。
いきなり捕まって処刑されるのも嫌だし。
「とりあえず、ここは安全ですが……」
「エメラ、僕たちは根無し草になってしまったのかも」
今から皇宮に戻っても、もうとっくにクーデター軍によって占拠されているだろう。
そういえば、クソ親父と兄たちはどうなったのかな?
生きているといいけど……あんなのでも一応家族だからね。
「どこかに逃げますか?」
「それも芸がないね。しばらく様子を見よう。その前に、最低限の見張りを立ててもう一眠り……エメラも一緒に寝る?」
「遠慮させていただきます」
「残念」
この狩猟場は、僕たちだけしか使っていない秘密のポイントだからね。
クーデター軍も忙しいだろうし、朝になってから帝都の様子を確認しても遅くはないでしょう。
僕たちだけで、クーデターを阻止できるわけがないのだから。
「殿下……」
「どうせこんな場所にクーデター軍は来ないし、来ても逃げる場所はある。明日に備えて寝ておくのも生き残るコツだよ。それとも、やっぱりエメラは僕と寝たいとか?」
「面白い寝言ですね」
「うわーーー、エメラのキツイ一言。じゃあ、僕は寝るから」
そのまま就寝して翌朝。
僕は、何名かの密偵を放った。
密偵とはいっても、僕の子分たちの一人で、酒場の主とマフィア幹部の息子なんだけどね。
クーデター直後で帝都の警戒態勢が厳しいだろうから、貴族の子弟がノコノコ偵察に行ったら捕まってしまう。
その点、帝都の裏道などをよく知っている彼らは情報収集には最適だ。
「情報が来るまで、ここで待つしかないね」
数日後。
さらに帝都から離れた森の奥深くに移動して彼らを待っていると、欲しかった情報を持って来てくれた。
さすがは酒場の主とマフィア幹部の息子。
クーデター後でも、上手く動いて情報を持って来てくれた。
「皇家と選帝侯家の人間で、帝都にいた連中は軟禁状態にある?」
「殺されている可能性も、なきにしもあらずですが」
「クーデターの首謀者がニュルンベルク公爵なのは今さらとして、帝国軍はどうなの?」
「およそ、四割が参加した様子です」
「ふぇーーー、これはうちのクソ親父のせいばかりとも言えないか」
手堅い内政家であった先帝陛下は、あまり軍事には詳しくなかったからね。
間違いなく、彼の生前からニュルンベルク公爵は動いていたのだろう。
でなければ、ここまで鮮やかにクーデターは起こせない。
となると、これは先帝陛下の責任でもあるわけだ。
「それで、どうしましょうか?」
「どうするも、もう少し情報が欲しいね」
それから一週間ほど。
僕たちは、森の奥地に籠りつつ情報を集めた。
ニュルンベルク公爵は、帝都の掌握にほぼ成功したようだね。
普段は家柄自慢で威張っているくせに、命が惜しくてニュルンベルク公爵に尻尾を振る貴族たちの多いことと言ったら。
ただ、さすがの彼も完璧というわけではないようだ。
「親善訪問団として来ていたヘルムート王国の使節団を軟禁、魔法使い数名を殺害ですか……」
エメラが頭を抱えているけど、貴重な魔法使いを、それも他国の魔法使いを殺すなんてね。
ニュルンベルク公爵は、卑怯な殺戮者の異名を得たいかな?
「思いっきり外交問題だよね」
せっかく二百年も停戦が続ていたのに、バカなんじゃないかと思う。
こんな理由で、仮想敵国に喧嘩を売ってどうするのだろう?
せめてヘルムート王国に喧嘩を売るなら、帝国を完全に支配してからにすればいいのに。
「もし将来ヘルムート王国と戦争になるにしても、内乱終結までは手を出しちゃいけないよね」
「殺されたのが魔法使いなら納得できます」
「エメラ、その心は?」
「魔法を使えない兵士たちからすれば、いきなり魔法を放たれるのは嫌なのです。過剰に反応して殺してしまったのでは?」
「魔法を撃たれるくらいなら、先制して斬ってしまえと?」
「はい」
エメラは、魔法使いたちがニュルンベルク公爵の命令で殺されたのではなく、兵士たちが過剰防衛で殺してしまったのではないかと推察した。
どんなに慎重に立てた作戦でも、実行すれば思わぬ齟齬も出るというやつかな?
ニュルンベルク公爵がいくら優秀でも、末端の兵士たちの行動をすべてコントロールできるはずもないのだから。
「魔法なんて食らったら、軽くても重傷だものね」
「軽い『ファイヤーボール』でも、当たれば大火傷です」
「確かに、それは嫌かも……」
相手が魔法を放つ前に斬り殺してしまったのか。
でも犠牲は数名で、当然逃げ延びた者たちもいた。
「バウマイスター伯爵とその一行の行方を、ニュルンベルク公爵が追っています。なんでも、相当に派手にやったそうで」
「オズベルト、よく調べてくるね」
「鼻つまみ者のマフィアですけど、光あるところには影もある。影は、帝都の至る場所に存在しますから」
さすがは、マフィア幹部の息子。
彼は、情報を集めてくるのが本当に上手だ。
「選帝侯ではフィリップ公爵様だけが逃げ延びたようです。彼女が詰めていた迎賓館ですけど、地獄の惨状だそうで……」
正視に耐えないクーデター軍兵士たちの死体が散乱しており、その床は血と肉片で真っ赤に染まったそうだ。
「死体の片付けを、クーデター軍は乞食に頼みますからね」
その乞食から情報を得るくらい、マフィアからすれば児戯に近いというわけさ。
いくら優秀なニュルンベルク公爵でも、そこからの情報漏えいは防げない。
彼も高貴な生まれだから、乞食やマフィアのような下々の行動は理解できないというわけだ。
「他にも、帝都北部にある駅馬車の待機場が壊滅しました」
とてつもない高温に焼かれ、馬車も馬も全滅だと、オズベルトが報告を続ける。
なにもかもが完全に焼けてしまったために、逆に後片付けは非常に楽だったらしいけど。
「クーデター軍からすれば、そんなことをする意味がないよね」
他の抵抗された軍事拠点でもあるまいし、できる限り焼かずに馬と馬車を一台でも多く接収し、輸送力を確保するのが常識なのだから。
ということは、実行者はクーデター軍に対抗する者たちの可能性が高い。
ほぼ間違いなく、バウマイスター伯爵一行の仕業だろう。
彼とその仲間たちの魔法なら、このくらいのことは十分に可能なはずだ。
「逃げる際に、他の追跡用の足を焼き払ったと?」
「そういうことになります」
そして無事に、フィリップ公爵とバウマイスター伯爵一行は逃げ延びたというわけか。
状況から見て、両グループは合流したと考えるのが合理的だと思う。
「それはとんでもない獲物を逃がしたね。ニュルンベルク公爵は」
ここでフィリップ公爵を捕えるなり殺していれば、クーデターは大成功だったのに。
逃げられたのであれば、フィリップ公爵も生き残るために兵を集めるからね。
自然と内乱状態に移行するわけだ。
「外国貴族であるバウマイスター伯爵のせいで、ニュルンベルク公爵のクーデターは躓きを見せるか」
フィリップ公爵は北方諸侯を集めてニュルンベルク公爵に対抗する公算が高く、それにはバウマイスター伯爵一行も参加するのかな?
「船で帰るという選択肢もあるかな?」
バウマイスター伯爵からすれば、帝国の内乱に参加する意義なんてないからね。
早く戻って、自分の広大な領地の開発を進めたいだろう。
「殿下、それはありません」
「どうしてそれがわかるんだい? エメラ」
「先ほど『飛翔』を用いて偵察を行おうとしたのですが、頭に激痛が走って発動しませんでした」
「魔法が使えない?」
「いいえ、正確には一部の魔法が発動しないのです」
それは厄介な話だね。
そういえばクーデター以降、帝都から飛び立つ魔導飛行船が一隻もない。
エメラが『飛翔』を使えないのと同じ理由だろう。
「そういう魔法じゃないよね?」
「広範囲で一部の魔法が永続的に使えないようにする魔法なんて、少なくとも私は聞いたことがありません」
魔力の消費量も凄そうだしね。
もしそんな魔法が使えても、ずっと効果を発揮し続けることはできないはず。
エメラは帝国でも有数の魔法使いだけど、さすがにそんな芸当は不可能だろう。
「確か、ニュルンベルク公爵領には、古代魔法文明時代の地下遺跡が多数あったよね?」
なにかいいお宝でも見つけて、それが自信の根拠になっているのかも。
とにかく、今は安易に動けないな。
と思い、さらに数日情報収集に努めたけど……これはどうにもならないね。
「ニュルンベルク公爵も、クソ親父と兄たちを殺してくれればよかったのに」
「殿下、不謹慎です」
「もしそうなっていれば、僕もニュルンベルク公爵討伐の兵集めができるのにさ」
亡くなった父親にして皇帝の意志を継ぎ、ニュルンベルク公爵を討つのに全力を尽くす。
皇帝の子に継承権はないけど、今は帝国全体が混乱しているから、いくらでもやりようがあったのに。
「では、北に逃げてフィリップ公爵様と合流しますか?」
「マルク、そういうのを昔に『船頭が多いと、船が山を登る』とか言ったそうだよ」
僕なんかが行っても、それは新たな混乱を引き起こすだけだ。
主導権争いで滅びる対反乱軍か……。
歴史の教科書でバカにされそうだね。
向こうもありがた迷惑でしょう。
クソ親父や兄たちならともかく、三男で母親が平民の僕なんかが顔を出しても。
「それでは、いかがなされます?」
「決まっているじゃないの。帝都に戻る」
「ニュルンベルク公爵に捕まってしまいますけど……」
「でも、殺されないから」
クソ親父や兄たちが殺されていないのに、三男でしかない僕ごときが殺されるはずないじゃないか。
ニュルンベルク公爵は、皇家の人間になんらかの利用価値を見つけたのだろうね。
だから、それを探るためにも戻るとしようか。
「ただし、エメラやマルクは駄目だよ」
優秀な人材だからね。
僕を人質にして、来るフィリップ公爵との戦いに駆り出される可能性がある。
ここは、一旦僕を見捨てたことにしてもらわないといけない。
「他のみんなもね。ここは忍耐の時でしょう」
大半の家臣や遊び仲間たちはこのまま森の奥で待機するとして、僕たちは数名で帝都へと戻った。
その前に小汚い服に着替え、酒を大量に飲んでおく。
「なんだ? お前は?」
「僕は皇帝陛下の三男で、彼らは僕の遊び友達だよーーーん」
帝都の正面門で、僕は酔っ払いながら自分の身分をあかした。
するとすぐに連行され、ニュルンベルク公爵の前に引き出される。
前に見て印象に残った、鷹のような鋭い目と、帝都の掌握に成功して余裕の笑みも浮かべているようだ。
でも、まだフィリップ公爵との戦いがあるんだけどね。
僕は参加できない……しないけど。
「元皇帝の三男、お前はなにをしていたのだ?」
「帝都の外でバーベキューをしていたんだけどね」
夜に、帝都で騒ぎがあった。
家臣たちが地方に逃げて兵を集めようと進言したけど、それを無謀だと言って断った。
そうしたら、みんな自分から離れてしまった。
そう説明すると、ニュルンベルク公爵はなぜか満足している。
僕に人望がないのが嬉しいんだろうね。
「兵を集めればよかったではないか」
「皇帝の三男で、母親が平民の僕なんて旗頭にもならないよ。それに、帝都にはアーヤちゃんやミレイちゃんもいるし」
「それは誰なのだ?」
「僕のお気に入りの娼婦です。ニュルンベルク公爵、早く色町の営業再開を認めてよ」
「……そのうちにな」
「一日でも早くお願いね。あああと、必ず再開する日を教えてほしいな」
「どうしてだ?」
「アーヤちゃんとミレイちゃんは大人気だから、予約が必要なんだよ。他の客に先を越されたら嫌じゃん」
「……わかった」
ニュルンベルク公爵は、僕を心底バカにしたような目つきで見つめるけど、彼は本当にそう思っているのかな?
それとも、まだ疑っている?
ニュルンベルク公爵は油断ならない人物なので、もっと彼を油断させないとね。
というわけで、僕も他の家族と共に軟禁されたけど、外出は監視つきという条件で認めてもらった。
勿論、外出先はすべて馴染みの娼館という設定なんだけどね。
「監視員君、僕がミレイちゃんを満足させているシーンも見るかい? 僕にそういう趣味はないんだけど、君もお仕事だからね」
最初にそう言ったら、監視員君は娼館の入り口で待つようになった。
彼もニュルンベルク公爵のために、僕のそういう激しい運動を見るつもりはないみたいだ。
「殿下ちゃん、こういうお店に来てそういうことをしないの?」
「君はとても魅力的なんだけど、僕にはエメラがいるから」
「あら、案外真面目なのね」
「真面目も真面目。僕は常に真面目に生きているよ」
「まあ、お金は貰っているからいいんだけどね」
この娼館は、オズベルトの父親であるマフィアの幹部が仕切っているから、ナンバーワンの娼婦を指名して、その広い個室で体が鈍らないように剣の稽古をしたり、集めた情報を分析したり、知己で援助してくれているマイヤー商会に連絡を取ったりした。
こんなこと、軟禁されている皇宮の中ではできないから仕方がない。
時間効率は悪いけど、今はニュルンベルク公爵に疑われないことが最優先だ。
「この部屋の中でなにがあったのかは、娼婦の仁義で話さないから安心して」
「信じちゃう」
安娼婦なら金で転ぶ可能性もあるけど、伊達にナンバーワン娼婦じゃないというわけか。
実質的なオーナーであるオズベルトの父親の意向もあって、彼女は監視員に聞かれても、僕が頑張って腰を振っていたと言ってくれることになっていた。
「僕がいかにテクニシャンであるかを報告しておいて」
「任せて、殿下ちゃん」
そして、帰る時には酒を大量に飲んで酔っ払った。
本当、僕が酒に強くて幸いしたよ。
「代金は、皇家に請求してね」
極めつけがこれだ。
娼館での代金は、すべて皇家に請求させた。
クソ親父は大激怒しているけど、ニュルンベルク公爵は笑いながら『娼館の代金とはいえ、払わなければ商売人も困るであろう。払ってやれ』とクソ親父に言い放った。
国家予算となる税収などではなく、皇家の私財から払えと言ったのだ。
僕が家族の目を盗んで遊び、その代金をクソ親父が支払わされる。
ニュルンベルク公爵からすれば、僕は皇家の資産を痩せさせる便利な駒というわけだ。
まあ、大した金額でもないけどね。
「あーーー、毎日酒ばかり飲んで疲れた」
「殿下は、酒精の中毒になって駄目人間になったのですね。あとは、娼館で色に塗れていたとか?」
数ヵ月後。
帝都は、フィリップ公爵率いる解放軍によって解放された。
その前に、ニュルンベルク公爵はなにもかも持って逃げてしまったけど。
それに合わせて、潜伏していたエメラたちが戻って来たけど、数ヵ月ぶりの再会なのにエメラは冷たいね。
僕を酒精中毒者扱いするなんて……。
「ペーター! よくも皇家の資産で遊びまくってくれたな!」
せっかく家臣たちとの再会を楽しんでいるのに、クソ親父がうるさいな。
どうせ僕が散財しなくても、ニュルンベルク公爵に持って行かれたんだから、同じことじゃないか。
本当、細かいことにばかりうるさいんだから。
「お前はもう大人しくしておれ! 余は……」
「退位するよね? 当然」
即位直後にクーデターをかまされた皇帝なんて、なんの役にも立たないどころか害悪でしかないと思うけど。
ここは潔く退位して、フィリップ公爵に譲る方が帝国のためというやつさ。
「ふざけるな! 余にもプライドがあるのだ! 女のテレーゼ如きに皇帝の座は譲れん! それに、ニュルンベルク公爵はこの手で討つ!」
随分と勇ましいね。
ニュルンベルク公爵がいた頃には、殺されないようヘコヘコしていたくせに。
結局、クソ親父は退位しないでテレーゼ殿と揉めている。
それはニュルンベルク公爵は、僕たちを殺さないわけだ。
「余自らが、ニュルンベルク公爵を討つのだ!」
「父上、私も参加したします」
「ペーター、お前は留守番だ!」
クソ親父も兄たちも、ニュルンベルク公爵がいないと随分と勇ましいじゃないか。
そして、ニュルンベルク公爵の思惑どおり討伐軍を編成しようとしている。
商人たちから借金までして、どう考えても勝てる要素が見当たらないんだけど。
「僕は、留守番でよかったと思うよ」
クソ親父たちはバラ色の未来のために忙しいようで、また僕がフラフラしてもなにも言わなくなった。
遊んでいるように見せかけて、少しでもお金を貯めて人脈も作る。
幸いにして、当座の資金は潜伏していたエメラたちが隠していたものに、潜伏中に魔物などを狩って得た素材などもあるんだけど……。
「ありがたいけど、僕の資金力だとねぇ……」
第三の基軸にもなり得ないか。
となれば、ここは大きく借金でもしないと駄目なんだけど、問題はスポンサーかな。
「そういえば、バウマイスター伯爵様ですけど」
「ああ、彼はやっぱり解放軍に参加していたね」
僕と同じ年なのに、魔法使いとしても、冒険者としても、軍人としても大活躍していて羨ましい限りさ。
領地も資金も豊富で、奥さんも沢山いる。
しかし、その生まれは貧乏貴族の八男だとか。
そういえば、ニュルンベルク公爵が妙に意識していたような……。
クソ親父たちは、成り上がり者の元貧乏貴族で、相手にする必要はないという評価だったな。
皇帝のくせに、彼に諸々押しつけて集っている状態に等しいのに、自分たちの思惑を外れて稼いでいるから腹が立っているんだろうね。
「新しい磁器の販売ですか」
「よく思いつくよね。同じ魔法使いだから、エメラにもできそうかな?」
「残念ですが……。どうしてあんな商売を思いつくのか……。私では、絶対に思いつきません」
攻め落としたサーカットの町の開発も進んでいる。
あの町の住民たちからしたら、バウマイスター伯爵が帝国の皇帝になった方がいいと思っているはず。
僕だって、あの町の住民ならそう思うよ。
「外国貴族が皇帝にですか?」
「エメラ、ここまで帝国が混乱すれば可能性がないってこともないさ」
まだサーカット周辺だけだけど、彼は帝国臣民たちに希望を与えている。
実利と共にね。
ニュルンベルク公爵は、自分の領地がある南部と自分に従う軍人、貴族たちだけ。
テレーゼ殿は、北部と解放軍に参加した貴族たちだけ。
クソ親父は、どちらにも相手にされなかった残りカスだけか。
他国の貴族なのに、ゼロから始めてサーカットの町の住民の支持を受けているんだ。
バウマイスター伯爵は、決して侮っていい存在じゃない。
「殿下の出番はないかもしれませんね」
「いやいや、必ずしもそうとは言えないさ」
サーカットの町にいるバウマイスター伯爵は、当初参加していた解放軍と距離を置いている。
クソ親父なんて、本当なら顔も見たくないだろう。
第三の勢力になった?
正しくはあるけど、みんなは彼が願っていることを正確に把握していない。
「テレーゼ殿は、バウマイスター伯爵にえらく執心だったとか?」
「女帝夫君ですか?」
「そんなことは、バウマイスター伯爵自身が望んでいないよ」
広大な、まだ開発しないといけない領地がある。
資金は豊富だけど、開発には時間がかかるよね。
それなのに、帝国に足を縛られるのをよしとするはずがないじゃないか。
帝国の領地なんて、欲しがらないだろう。
「ほぼ無人だった大陸南部最南端、すべてのリソースはそこに注ぎ込みたいよね」
集中すれば、バウマイスター伯爵が死ぬまでには小国にも匹敵する豊かな領地になるはずだ。
「帝国にある飛び地なんて、邪魔だろう」
貰った以上、統治しないといけないからね。
しかも、千年以上も帝国の統治下にあった土地で王国貴族が領主となるんだ。
混乱は大きいだろうし、そもそもそんな面倒な土地はいらないでしょう。
「だから、解放軍では当初傭兵扱いであったと?」
マルクの考えているとおりさ。
報酬を金や財宝に限定したのは、それを持ち帰って領地開発に使えばもっとはかどるからだ。
「貴族ならば、領地が増えて喜ぶと思っていましたが」
「バウマイスター伯爵は、ちょっと帝国の古い貴族とは違うようだね」
普通の貴族なら、領地が増えるのを喜ぶからね。
領地の広さイコール、自分の富と権威に繋がると考えているから。
元々家を出て魔法使いで身を立てる予定だったみたいだから、土地よりもお金の方が使い勝手がいいと思っているのかも。
「バウマイスター伯爵は、領地の質に拘っているんでしょう」
飛び地を得て、そこに開発のリソースを割きたくない。
それをすると、どっちも中途半端になってしまう。
そういう風に考えているのだと思う。
「だから、鉱山利権とか港湾利権しか受け取らないかも」
これならば、適当に代官を置いて利益だけ得ればいいのだから。
「欲のない方ですな」
「それは正しい認識だけど、だから逆に怖いんだよ」
なんの拘りもない帝国に対し、彼は確実にその痕跡を残しつつある。
ミズホ伯国とはえらく懇意なようだし、サーカットの町の住民たちは完全にバウマイスター伯爵派だ。
彼は帝国の領地を一寸も得ていないけど、そのシンパは増やしている。
「このままだと、彼に支払う報酬は莫大なものとなるだろう。それを絞り取られた帝国は痩せ衰え、逆に得たバウマイスター伯爵はそれで自分の領地を肥えさせる。戦後には、ミズホ伯国とも直接交易をするだろうね。他にも、彼と交易を望む貴族たちは多いはずだ」
「殿下、それって……」
「経済的な侵略とも言えるね、エメラ」
大体クソ親父は、ヘルムート王国がニュルンベルク公爵に壊滅させられた先遣隊の派遣しか行っていない理由を理解しているのかな?
どうせ、現地の混乱に巻き込まれたくない、先遣隊の潰滅で臆病風を吹かせているくらいにしか考えていないのだろうけど。
「ヘルムート王国は、待てばどんどん国力が増すからね」
バウマイスター伯爵がいるからだ。
最南端開発で金をジャブジャブ回しているから、その影響で王国経済も右肩上がりが続いている。
他にも、王国は不要な魔物の領域を積極的に開放させるだろう。
可住領域と人口の増加もある。
戦争で柵のある帝国領地を奪うよりも、新規に開発した方が統治は楽なのだから。
「このままにしておくと、二十年、三十年後には、両国の差は絶望的なものになるだろうね」
だから、それに気がついたニュルンベルク公爵は焦ったのかもしれないけど。
「内乱の隙を突いて攻めるよりも、あとで攻めた方が楽じゃない」
国力比が圧倒的なんだから。
それに、バウマイスター伯爵が帝国侵攻軍に参加すれば……。
「ミズホ伯国は呼応するんじゃないのかな?」
それは、彼らが不義理だからじゃない。
彼らとて、生き残るためにそういう選択肢をしなければいけないということだ。
その前に、彼らは一応独立国でもあるんだよね。
「サーカットの町の住民たちは喜ぶだろうね」
昔のよき時代が戻ってくると思うだろうからね。
歓喜の声で、バウマイスター伯爵を迎えるかも。
「思っていた以上に帝国は大変なことになっているのですね。ならば、バウマイスター伯爵の暗殺も視野に入れるべきでは?」
「それは一番の悪手だよ、エメラ」
王国発展の希望を帝国人が殺してしまう。
もしそうなったら、今は冷静な王国政府もぶち切れるだろうね。
「失った未来の収入を取り戻すため、帝国侵略を躊躇わないだろう。バウマイスター伯爵を殺害した時点で、大義名分は立つ」
「ううっ……」
エメラは、悩むとちょっと視野が狭くなるのが短所かな。
「エメラ殿、その前にどうやって暗殺するのだ。バウマイスター伯爵の周囲は手練れだらけだぞ」
王国の最終兵器に、ブランタークもいるからね。
バウマイスター伯爵の奥さんたちも現役の冒険者で、腕が立つという話だ。
マルクは、彼の暗殺など容易なことではないと理解しているのだろう。
「そう言われるとそうですね。殿下が揃えられるくらいの戦力では、暗殺も難しいですか」
「エメラ、それは微妙に傷つく!」
エメラ自身は帝国でも三本の指に入る魔法使いで……この内乱で魔法使いがいっぱい死んでいるから、もうトップかもしれないね。
マルクは凄腕の剣士だし、駒の質は揃っていると思うけど、問題は資金と人数か……。
「どうなさるおつもりで?」
「クソ親父は失敗すると思うから、そのあとだね」
僕の忠告にも関わらず、クソ親父は集められる軍勢の数に安心してしまった。
このままではほぼ間違いなく敗北するとして、まずは僕と同じ考えを持っている軍人、官僚、貴族たちに声をかけて勢力を作るのが最優先だ。
さらに僕は、バウマイスター伯爵が欲しがっているものを知っている。
だから、それを恩賞に彼を引き入れる。
幸いなことに、バウマイスター伯爵はテレーゼ殿を鬱陶しいと思っているからね。
いい女ではあるのだけど、彼女は立場と身分が面倒臭い。
僕だって、彼女はゴメンだね。
「バウマイスター伯爵にも、一つだけ弱みがあるからね」
「弱みですか?」
「この帝国の大半を覆う奇妙な装置さ」
『移動』と『通信』を阻害する謎の魔道具。
クーデターなんて違法行為を企むニュルンベルク公爵にはいい魔道具なんだろうけど、これをそのままにするなんて、頭がおかしいと思ってしまった。
もう少し、帝国経済について考えてほしいよね。
「まあ、バウマイスター伯爵たちが怖いのはわかるけどね」
精鋭魔法使いだけで帝都上空に飛来、魔法で奇襲攻撃なんて手を恐れているんだろうね。
ニュルンベルク公爵は軍人だから、思考が軍人の方に偏ってしまう。
もしそれを指摘しても、本人は意地でもそれを認めないとは思うけど。
「あの装置は僕たちも欲しくはない。彼らに破壊の自由を与えればいいさ」
「よろしいのですか?」
「構わないというか、アレが王国に渡ってもねぇ……」
将来帝国に侵攻するとして、例の魔道具を復元して使ったとしても、今度は王国軍が足を縛られてしまうからね。
ギガントの断裂を、魔導飛行船で超えられなくなってしまうのだから。
「古代魔法文明時代の遺産なんでしょう? あきらかに欠陥兵器だと思うけどなぁ」
「その技術を元に、なにか他の兵器を開発される可能性もあるのでは?」
「それはさ。うちも同じでしょう?」
ニュルンベルク公爵領を抑えれば、その地下遺跡から見つかったロストテクノロジーの現物が手に入る。
これを研究して配備、王国への抑止力にすればいい。
「案山子の代わりにはなるさ」
今の帝国は滅茶滅茶だけど、逆にチャンスとも言える。
破壊の中からの再生というやつだね。
そのためにも、上手くバウマイスター伯爵を引き込んで政権を取らないと。
「ですが、バウマイスター伯爵様と会えるツテがありません」
「どうせクソ親父が偉そうに呼び出すだろうし、それが駄目でもマイヤー商会があるから」
高級な磁器を販売している以上、マイヤー商会に卸した方がいいからね。
あの当主ならば、上手く渡りをつけてくれるでしょう。
「どうせ僕たちはなにも持っていないんだ。ここで賭けに出てもいいでしょう」
「私は殿下の護衛ですから」
「同じく、魔法で護衛しているだけですので、ただ殿下についていくのみです」
ならば、行こう。
『皇家の恥さらし』が、皇帝に成り上がるか、それとも失敗して無残に死ぬか。
その結果は、まさしく神のみぞ知るのであろうから。
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