第232話 軍資金を稼ぐ
結局、俺たち王国軍組とミズホ伯国軍は、帝都周辺から追い出されるようにサーカットの町に向かうこととなった。
皇帝陛下の家臣の、そのまたさらに下の小役人風な男が、随分と偉そうに事情を説明しに来た。
収穫後に行われるニュルンベルク公爵討伐に備え、統治体制の強化と戦の準備が必要なので、帝都周辺に怪しげな外国人がいては困るのだという。
俺たちはそう言われても我慢できるが、ミズホ上級伯爵にそれを言うとはバカの極みだ。
その使者が帰った後、彼は先に真っ二つにしてから御用職人に修復させた、昔の皇帝陛下御愛用の兜を、再びミズホ刀で真っ二つに斬り裂いた。
相変わらず、惚れ惚れするほどの刀の腕前である。
『その兜、直していたんですね……』
『イーナ殿よ。直さねば、また真っ二つにできぬではないか』
『それはそうですね……』
『さすがに、四つに割ると修復が困難なのでな。一旦直してからにしている』
『はあ……』
イーナが再び真っ二つになった兜を見て顔を引き攣らせ、ミズホ上級伯爵は彼女に満面の笑みで自分の心情を語った。
由来だけは偉そうな兜を斬って、大分ストレスが緩和したと思われる。
しかし、ミズホ上級伯爵家お抱えの職人たちは優秀だな。
短期間で、真っ二つになった兜を完璧に修復してしまうのだから。
皇帝から下賜されたものを壊すのは風聞が悪いのでいちいち直させているのが、真っ二つになったものを修理したようには見えない。
ミズホの職人たちの腕のよさを確認しつつ、帝国人たちに気がつかれないように嫌がらせをするとは、思わず俺も笑ってしまった。
それに、その意趣返しを俺たちの前で見せてくれたってことは、仲間扱いしてくれているようだ。
『でも、いくら真っ二つにしても安心だね。優秀な職人さんたちが直してくれるから』
『確かに継ぎ目がわからないほど完璧に直してありますが、そういう問題ではないでしょうに……』
ルイーゼからすると、直せるのであればミズホ上級伯爵がストレス発散で兜を真っ二つに切り裂いても問題ないと思っているわけだ。
カタリーナからすれば、『皇帝から下賜された品になんてことを!』という考えなのであろうが。
『私たちには優秀な職人がいないから、その上着を真っ二つにできない』
『そうか。それは残念である!』
ヴィルマと導師が、とんでもないことを口にしていた。
ちなみに俺へ下賜品は、少しボロい上着一着である。
確かに素材はいいのだが、もう古いし、デザインも今風ではない。
着ることもできないので、昔エーリッヒ兄さんが誕生日にプレゼントしてくれた服の方がよっぽど気が利いているくらいだ。
俺も、煮炊きの際の火種として燃やしてやりたい心境になったが、そういえばうちは魔導コンロしか使っていない事実を思い出してやめておいた。
それにもし、あとで見せてくれと言われても困る。
下賜されたものがなかったら、皇帝に無礼を働いたという攻撃材料にされかねないってのも、あの小役人を見たらあり得ると思った。
仕方がないので、半永久的に魔法の袋の肥やしにすることを決意する。
『ヴィルマさんも、伯父様も。こういう品はちゃんと保存しないといけませんよ』
昔から、金のない大貴族や王様が、名誉だからと言って愛用の品を渡し、褒美を誤魔化すケースは多かった。
江戸時代、商人から借りた金を返せない大名がそれを帳消しにするため、殿様が着ていた服や愛用品を渡すのと同じようなものだ。
『今は価値がありませんが、後世では名誉になるかと』
貰った方も、まさかくれた相手の前でガッカリするわけにもいかない。
ここは喜んで貰っておいて、今は大損でも、何世代かのちに屋敷に飾って名誉だと言って自慢したりするのだと、エリーゼは説明してくれた。
まだ見ぬ子孫たちのためってことか。
『長期的には、少しは取り戻せるのか?』
『あなた、その考え方は商人のものです……』
『現実問題として、食料と金の問題があるんだよなぁ。こんな上着一着じゃあ、どうにもならない』
『ええ……』
皇帝は秋の収穫後、ニュルンベルク公爵討伐軍を起こし、その戦利品で俺たちに褒美を支払うという考えを持っている。
今は褒美を出せないので、こんなボロい兜なり上着で誤魔化しているのであろう。
『テレーゼから食料の補給は来ているが、これもギリギリの量だし、フィリップ公爵家の財政も相当厳しいはずだ』
こういう時に備えて普段から節約に励む貴族だが、数ヵ月も帝国北部の諸侯たちを率いて内乱を戦ってきたので、内情は火の車のはずだ。
『秋の収穫まで兵を動かさないのであれば、我がミズホ伯国軍も一時兵数の削減をしないと財政が厳しいな』
一万五千人ほどを連れていて、その内千二百四十七人を戦死させたそうだ。
ニュルンベルク公爵に新兵器や戦法を対策されたとはいえ、その精強さのおかげで犠牲は少ない諸侯に数えられる。
ミズホ上級伯爵は、なにかあった時のためにこのサーカットの町に五千人ほどを残し、一時領地に戻ると宣言した。
『職人たちに発破をかけないとな。鹵獲したゴーレムの残骸の解析もある。魔銃もできる限り改良して数も増やさなければ』
ミズホ上級伯爵は、戦場でニュルンベルク公爵を討てなかったことが相当に悔しかったようだ。
秋までに、ミズホ伯国軍の戦力をさらに強化すると宣言した。
『テレーゼ殿も、一度フィリップ公爵領に戻ると聞いている』
ミズホ上級伯爵からの情報によると、テレーゼと皇帝は対立はしたものの、さすがに内紛ともなればニュルンベルク公爵を利するだけだと、互いに妥協点を見い出したそうだ。
『帝都を押さえたとはいえ、皇帝の権威と統治能力は地に落ちているからな』
今は、帝国中央部の統治すら満足に行えていない。
そこで、ソビット大荒地以北の統治をテレーゼに一時委託するそうだ。
『一応、領地の加増転封などの布告は出ていると聞く。実際に行うのは、ニュルンベルク公爵討伐後だそうだが……』
今でも混乱しているのに、領地の変更など行ったらそれを助長するだけなので当然だ。
ただし、それは褒美の凍結でもあるので、解放軍に参加していた貴族たちの不満は溜まっている。
『今でも持ち出しばかりで、借金で首が回らない貴族もいるというのに……』
『だから、ソビット大荒地以北はテレーゼ殿に任せるのだ。解放軍に参加していた者たちも多いからな』
皇帝が、その不満をテレーゼに向けさせようとしている意図は明白であった。
『それって、東部と西部もですか?』
『当然そうなる。なにしろ、選帝侯家がろくに機能しておらぬのでな』
当主を人質にされていたと思ったら殺されており、家と領地を支える優秀な家臣や兵たちは、解放軍との戦いで擦り減らされている。
嵩んだ戦費で財政も悪化し、フィリップ公爵家とバーデン公爵家以外は、ほぼ死に体の状態らしい。
『バーデン公爵家は公子殿が正式に家督を継いだが、あそこも損害を出しているからの』
反乱軍との戦闘による兵員の消耗に、彼は帝都にいる父親を非情の決断で切って解放軍に参加した。
やはり、帝都にいたバーデン公爵家の関係者は全員処刑されていたそうだ。
『それでも他の選帝侯家よりはマシだと思うが、彼はテレーゼ派と見られて皇帝に嫌われたからな』
テレーゼと同じく、東部の領地に戻って諸侯の取り纏めをするそうだが、南部寄りの東部諸侯たちの中には、ニュルンベルク公爵に付くことを表明している貴族たちもいる。
すでに、反ニュルンベルク公爵派の貴族との小競り合いが始まっているそうだ。
『大丈夫かな? 新バーデン公爵殿は?』
『前は無謀な侵攻作戦のせいで小僧扱いしたが、少し可哀想になってきたな』
一度失敗してからのバーデン公爵公子は、真面目に堅実に解放軍の一翼を指揮して戦果を挙げている。
大分苦労もしているので、もうミズホ上級伯爵もわだかまりを抱いていないようだ。
なにしろ、彼を本気で心配しているのだから。
『東部はまだなんとかなるな。問題は西部であろうな』
西部地域には、選帝侯家が三つも存在している。
大ダメージを受けた彼らに西部地域の安定した統治など不可能で、東部と同じく南部寄りの諸侯たちにはニュルンベルク公爵に味方している者も多い。
当然小競り合いは始まっており、現在一番混乱している地域だそうだ。
『その前に、当主争いで揉めに揉めている家もあるからな』
亡くなった当主が次期後継者を指名しないまま、ニュルンベルク公爵に殺されてしまった選帝侯家もあるそうだ。
複数の候補者たちが『自分に継がせろ!』皇帝に直訴し、他の貴族たちと組んで醜い家督争いを始めてしまった。
言うまでもないが、自分の領地ですら混乱しているのに、西部地域の統括など不可能である。
『皇帝があてにならないから、テレーゼ殿に後ろ盾を頼む後継者候補たちもいてな。それを知った皇帝がお冠なのだよ』
自分に調整能力が不足しているからなのに、テレーゼが差し出口を出していると、彼女に対し激怒しているそうだ。
『頭が痛くなってきた。ニュルンベルク公爵は恐ろしい人だな』
『ああ、目的のために手段を選ばぬ』
帝都を放棄した時点で、普通なら不利になるはずなのに逆に有利になっている。
なぜ選帝侯とは違って皇帝を生かしていたのか、彼の策士ぶりが今になって理解できてしまった。
『バウマイスター伯爵、これはもうひと波乱あるぞ』
『ですね』
皇帝は、じきにニュルンベルク公爵に叩き潰される。
帝都、帝国中央部、西部の大半も再び彼の手に落ちるであろう。
『魔法使いの不備を、古代魔法文明時代の遺品で補い、強化された軍勢をもってしてな』
それは、俺も、テレーゼも ミズホ上級伯爵もわかっている。
だが、帝都に皇帝がいる以上、効率的な対策が取れない。
それこそ、クーデターでも起こして彼を皇帝の椅子から引きずり降ろすしかないだろう。
それをすれば、ニュルンベルク公爵と同じく反逆者の汚名を背負うことになってしまうが。
『よって、ワシは領地で準備を整える』
色々と準備が必要であるし、全軍をここに駐屯させるとサーカットの町への負担が大きいからだ。
さすがになにも支援がないのは問題なので、皇帝はサーカットの町から中央に納める税を秋まで免除すると言ってきた。
その資金を用いて、なんとか秋まで凌いでほしいという意図のようだ。
ただ、元から五万人しかいない町と砦に二万人の軍が駐屯すれば問題になる。
うちは減らせないので合計で一万人、半数にして、あとはテレーゼと共同で補給を送るそうだ。
『食料と交易品を持ってくるから、その販売益で一万人を秋まで養ってほしい』
『なんとかします……するしかないですけどね』
『バウマイスター伯爵殿は、我らの文化や気質に理解が深い。家臣や兵たちにも人気があるので、安心して任せられる。こうなれば秋以降に暴れてやるわ』
『そうですね。もう少しこちらに行動の自由があれば』
どうせ命がけなのだから、もう少し自由に動きたいものだ。
そのためにも、可哀想だが邪魔な皇帝はニュルンベルク公爵に消してもらうにしよう。
しかし、本当にいるとマイナスになる皇帝が存在するとは……。
せめて、お飾り程度の価値はあってほしいものだと思う。
「ふーーーん、ミズホ上級伯爵がここを発つ前にそんなことをねぇ」
「不敬極まる発言ってか?」
「別に。そんなことを本気で思っている帝国貴族って、皇帝の周辺以外でいるかな?」
「それも酷い話だな」
「彼は現状なにもできていない。腰巾着たち以外に評価されなくて当然さ」
ミズホ上級伯爵たちがサーカットの町を発ってから一週間後。
いきなり訪ねてきたアルフォンスは、俺の話に納得した表情を浮かべていた。
彼は、テレーゼが軍と共にフィリップ公爵領に戻るので、途中彼だけが挨拶に来てくれたのだ。
間違いなく、彼女の命令もあったのだろうけど。
「テレーゼはヴェンデリンに会いたがっていたけど、さすがに今はまずい」
「皇帝がうるさいだろうからな」
テレーゼが自分を追い落とすために、俺と密会している。
そんな噂が出ないために、彼女は帝都に入ってからは俺と一回しか会っていなかった。
「帝都での混乱はまだ続いているからね。なにが起こるか想像もつかない。行動は慎重にってことで」
「それで、食料くらいは十分に送ってくれるのか?」
「量は大分減る」
「ミズホ上級伯爵の分も合わせて、あとは自力かぁ……」
現在、一万人の軍勢は手分けして働いている。
幸いにして、サーカットの町にいる代官以下の役人たちは俺に好意的であった。
短い軍政時代、開発に魔法で協力をしたからだ。
中央に税を納めないで、こちらを養う案も理解してくれた。
帝都から、その件を記した指令書もきたので法的な根拠もある。
代官たちへの給金が出ていれば、彼らも反対する理由はないというわけだ。
「王国軍組で、書類仕事などが得意なのはクリストフとシュルツェ伯爵に預け、代官たちの統治に協力させている」
俺が土地を切り開いたので、そこに移住をしてくる人たちが増えたそうだ。
その分行政の仕事が増えたのに、中央は応援の役人を寄越さず、サーカツトの代官たちは困っていた。
俺たちへの嫌がらせか、お役人特有の仕事が遅いせいか、いまだに帝都が混乱しているのでそれができないのか?
どれもありそうな気がするが、そこでこの手の仕事が得意なクリストフたちに任せることにしたのだ。
あとは、兵士たちに俺が切り開いた土地に家屋を建てさせている。
材料は俺が切り出した石材で、戦時以外、砦の守備兵以外はなるべく普通の生活をさせるためだ。
当然訓練もちゃんとするし、建築した家は、俺たちがいなくなった後は移住者に提供する。
自分たち以外が住む住居も、できる限り建設させる予定だ。
名目は、陣地構築訓練とでもするか。
「周辺の土地の開墾もさせている」
いきなり小麦は不可能だが、馬の餌用にバカ大根と、蕎麦、稗、粟などを作らせる。
秋までに一回は収穫できるであろう。
他にも、交代で近隣の魔物の領域に狩りにも行かせている。
肉を確保して、毛皮や採集物なども販売して利益を得るためだ。
これの統率は、導師、ブランタークさん、カタリーナ、ヴィルマが担当していた。
エルとハルカは、フィリップの元で指揮官としての訓練を受けている。
帝都の大使館にいた王国軍人たちもいるので、彼らも手を貸してくれた。
『王国軍組が増えた。最低でも千人は任せる。秋までに覚えろ』
最初の紛争での対応でケチがついたが、フィリップは優秀な指揮官として俺たちからの評価を上げた。
エルの教官として最適と判断したわけだ。
「ヴェンデリンはなにをしているのかな?」
「廃坑漁りをね」
この近辺の廃坑に行って、また金属収集に精を出していた。
許可は、サーカットの町の代官が帝都に書類を送るそうだ。
「あとは、鉱毒の受け入れかな」
廃坑漁りと、鉱毒から使える金属を抽出する魔法使いは多いので、許可は簡単に出るそうだ。
それほど儲かるものでもないのが常識なので、テレーゼも簡単に許可を出している。
俺が担当すれば予想以上の副収入になるのだが、それをわざわざあの皇帝に教えてやる義理もない。
「ヴェンデリン、君は逞しいね」
「そうかな?」
「ああ、テレーゼが君を気に入るわけだ」
「テレーゼねぇ……」
最近は疎遠ではあるが、元気なのであろうか?
「彼女も相当参っているね」
「そうなのか?」
「わずか十五歳でフィリップ公爵家の独裁権を確立した傑物だけど、私はつき合いが長い従兄だからわかるんだ。彼女は本当はそんな生活を望んでいない。可能ならば、公爵位も次期皇帝候補も投げ出して、ヴェンデリンの奥さんにでもなりたいんだよ」
だが、他に候補がいないからそれができなかった。
それが彼女の不幸の始まりというわけか。
「ああ見えて責任感があるからね。嫌なら放棄すればいいのに、フィリップ公爵領の領民たちと、今は帝国の臣民たちが見捨てられない。以前からヴェンデリンに無理に迫って細君たちに派手に妨害されているけど、実はああいうやり取りですらテレーゼは結構楽しんでいてね……」
「そうなのか?」
かなり手酷く拒否しているように見えるのだが、テレーゼはマゾなのであろうか?
「彼女はフィリップ公爵で、領内で彼女の意向に逆らう人なんていない。それが独裁権のある領主なのだけど、彼女は心の中でそれを疑問に感じている。無理にヴェンデリンに迫って拒否されるのは、彼女が人間としてバランスを取ろうとしているからなんだ」
「それは知らなかった」
「それだけの重責だからね。そして、今回の件で打ちひしがれていると思う」
「皇帝の件か?」
「そうだね。これはヴェンデリンにしか言わないけど、テレーゼは皇帝の器じゃない」
「おい……」
あまりに不謹慎な発言なので、導師ですら目を見開いて驚いていた。
「彼女はフィリップ公爵までが限界だと思う。北部諸侯たちを纏めてここまで頑張ってきたけど、自分が女だからと遠慮して、ニュルンベルク公爵みたいに非情の決断ができなかった。まずは、バーデン公爵公子の暴走を防げなかったよね?」
「あれは、他の人が総大将でも同じ結果なのでは?」
「かもしれないけど、ニュルンベルク公爵が同じ立場なら許すと思うかい?」
「いや……。許さないはずだ……」
確かに、アルフォンスの言うとおりだ。
あのニュルンベルク公爵が、自身の戦略構想を妨害する軍事行動など許すはずがない。
強権を発動してでも、作戦を中止させたはずだ。
「皇帝が引退しなかった件もだ。もしテレーゼが男なら、多分皇帝は諦めていた」
テレーゼが女性だから、皇帝は自分の復権を夢見て引退しなかった。
そのせいで、今の帝国は混乱しているとも言える。
元が日本人の俺からすると女性差別的な発想ではあったが、これがこの世界の現実なのだ。
「テレーゼは強引にでも皇帝を押し込めるべきだった。実は、私もバーデン公爵公子……、今は新バーデン公爵か。それを勧めたけど、彼女は法秩序は乱せないと言ってその策を実行しなかった。彼女は甘いんだ。ここ一番の時に。平時の皇帝ならそれでも構わないけど、今は緊急事態だ」
顔に苦悩を浮かべるアルフォンスの話に、俺は相槌を打つのが精一杯であった。
「そうか……」
「あの……。どうぞ」
「すまない。エリーゼ殿」
珍しく真面目に語り続けるアルフォンスに、エリーゼが気を利かせて濃い目のマテ茶を出し、彼はそれを一気に飲み干す。
「皇帝は、秋までにニュルンベルク公爵討伐の準備を進める。食料も、収穫があれば不足はしないからね」
「それで、どの程度の兵数で攻めるつもりなのであるか?」
「動員予定は三十万人だそうだ」
「多いな……」
導師は、その動員数の多さに驚いていた。
確かに、ちょっと集めすぎのような気が……。
「兵数自体は、それほど問題なく集められる。帝国の統治機構は麻痺しているのであって、崩壊したわけではないからだ。遠征軍を食べさせられる食料を確保すればいい。褒美は、南部諸侯たちが消えるので土地があるし、ニュルンベルク公爵が持ち去った金銭と財宝に、ニュルンベルク公爵家が保持している分もある。あの家は金持ちだから」
「人の財布で戦争とは恐れ入る」
「皇帝としては、そう言うしかないでしょう。現実問題として、皇宮の金庫は空なのだから。それよりも、相手はあのニュルンベルク公爵だ。しかも防衛戦なので、地の利もある。五倍揃えても負けるだろうな。ついでに言うと、我々は不参加だ」
俺たちとミズホ伯国軍は論外だし、テレーゼとバーデン公爵は留守中の帝国の治安維持のためだそうだ。
勿論それは表向きの理由で、実際にはこれ以上ライバルに戦果を挙げられては困るのであろう。
「器の小さい男だな」
「残念ながら、皇帝はテレーゼよりもはるかに皇帝としての器ではない。特に非常時には」
なにがなんでも勝利したいのであれば、俺たちだろうが、ミズホ伯国だろうが、テレーゼだろうが、利用しなければならないのに……。
兵数が多いのは、自分でも軍の質に疑念を抱いているからなのか?
「……俺たちに損害が出ないと思えば、ラッキーだろう?」
「ヴェンデリンの言うとおりだな。とにかく、ほぼ百パーセント皇帝は負ける。周囲にはイエスマンの無能しかいないからな。負けてから、我々が再び動くしかない。ただ……」
「また女性のテレーゼだと、同じことの繰り返しか……」
「こんなことはフィリップ公爵家内では言えないが、この国で女帝は数百年早い。せめて平和な時代の継承なら……」
「だが、他に候補者もいないよな。バーデン公爵はどうだ?」
「彼は最初の敗戦で自覚している。自分の皇帝としての資質はテレーゼに劣ると。とてもこの重責を受ける余裕はないそうだ」
父親の死で受け継いだバーデン公爵領の経営だけで精一杯という認識のようだ。
となると、今は暫定でもテレーゼをトップに頂いて動くしかないわけだ。
「秋までは兵の訓練と、サーカットの強化に奮戦するしかないな」
「ヴェンデリンが防衛している拠点にいきなり攻め込むほど、ニュルンベルク公爵もバカだとは思わないけどね。とにかく頼むよ」
アルフォンスは自分が言いたかったことを全部話すと、フィリップ公爵領に向けて出発した。
「帝国の前途は多難だなぁ」
「俺たちの前途もですよ。ブランタークさん」
「まさか、一年以上も帝国に残る羽目になるとは思わなかった」
みんな、それぞれ自分の仕事に戻っていく。
俺も、今日は空いている土地を開墾する仕事が忙しい。
今ならば、秋に収穫可能なように種を植えることも可能だからだ。
今のところ食料は足りているが、この先なにがあるかわからない。
救荒作物でも、ないよりはマシだと考えて、兵士たちに栽培するように命令した。
いわゆる屯田兵だな。
「バウマイスター伯爵様、肥料ができましたよ」
ミズホ伯国軍の魔法使いたちが、大量に肥料を作っていた。
開墾で発生した草木、糞尿、生ごみ、狩猟で得た動物や魔物の使わない部分。
これらを混ぜながら発酵させ、混ぜてからまた発酵という作業を繰り返し、数時間で使える肥料を生成するのだ。
「手馴れているな」
「ええ。攻撃魔法の練習ばかりしても生産力は上がりませんからね」
ミズホ伯国の魔法使いたちは、食料の増産と品質向上のためなら、魔法の行使を躊躇わないのが伝統だそうだ。
開墾をしている魔法使いの仕事ぶりも手馴れていた。
「二年あれば、米が作れるんですけどね」
「そうだな」
「米は、お館様が優先的に送ってくれるそうです」
「それはよかった」
戦場でも、ミズホ人は米を食べることに拘っていた。
パンだと力が出ないと常々言っており、俺もその意見に賛成だ。
今では俺も、ほぼ米を食べる生活になっているのだから。
「食料はなんとかなるとして、問題は金ですかね……」
一万人が、無給というわけにもいかない。
いや、ミズホ伯国軍人はミズホ伯国が面倒を見るので、実質は五千人か……。
兵たちに、貧しさから犯罪に走られると、サーカットの住民たちに恨まれてしまうからだ。
ミズホ伯国軍には給金が出ているが、うちにはミズホ伯国のような金の供給先はない。
「捕虜になっていた連中は、ようやく虚脱から脱して真面目に訓練や仕事をしているからなぁ……。小遣い程度でも与えないと」
シュルツェ伯爵がわずかに生き残っていた密偵に、今までの状況を記した手紙を託して王国へと送り出していた。
生存者名簿もあるので、王都にいる陛下に届けば対応してくれるであろうが、彼らの給金は王国にいる家族にでも渡すしかない。
本人が金を使おうと考えても、銀行のATMがあるわけでもないので、すぐに引き出すことも不可能だ。
「衣食住はできる限りこちらで負担して、あとはお小遣いくらい渡して誤魔化すか……」
住居は自分たちで作っている。
衣服は最低限のものを一括購入して支給し、食事は三食出す。
あとは、週に一度二百セントくらいを渡すことにした。
これは一般の兵士たちで、指揮官や貴族もいるので、金額は考慮しないといけない。
全部手弁当で出している俺も大概だが、幸いにして王国軍組の纏まりはよかった。
『そりゃあ、ヴェルに逆らうとお小遣いが出ないからな』
フィリップ、クリストフ、捕虜になっていた連中はほぼ無一文なので、金をくれる俺に逆らわないで当然だと、エルが言っていた。
「なにか、金を稼ぐ手段はないかなぁ」
ミズホ伯国産の物産販売益の一部、魔物の素材、採集物、町から依頼を受けた建設、整地工事、道路建設の依頼料、廃坑からの採集物。
収入が支出を超えず、俺の資産は減る一方である。
なんとかして、金を稼ぐ手段を考えないといけない。
「うーーーん」
考えながら歩いていると、ミズホ人の職人たちが輸送されてきた品を確認している最中であった。
よく見ると、伊万里焼に似た磁器のようだ。
「バウマイスター伯爵様、なにかご用件でも?」
「ただの散歩さ。ところで、その焼き物は前にミズホ伯国の店で見たような……」
「はい。ミズホ磁器ですね。高級品として輸出もされています。貴族や商人などの富裕層に人気なのですよ」
現金を稼ぐために、ここまで輸送してきたのだそうだ。
行商人たちの動きも鈍い以上、自分たちで輸送して販売するしかないのか。
「ただ、この情勢下で買ってくれるお客さんがいるかどうか……」
財政状態が厳しい貴族も多いし、すでに持っている貴族も多いので売れない可能性もあると、職人たちは心配していた。
「デザインが、帝国人に合っていないのでは?」
伊万里焼に似ているので、和風な皿や壺や徳利などが多い。
使用するためではなく、観賞用に購入されているようだ。
「ポットとか、ティーカップを作ればいいのに」
王国も帝国も、お茶を飲む時には洋風のティーセットを用いる。
共に磁器ではあるが、質は日本のお店に売っていた量産品にも劣っていた。
磁器は、いかに薄く乳白色に製造するかがポイントである。
エリーゼがいつも使っているティーセットは嫁入り道具なので、かなりの高級品だと聞いているが、肉厚で色も少し薄暗い。
全体的に野暮ったく、材料の白色粘土の質が悪いのかもしれない。
絵柄を入れる技術も低いようで、だから飾りでも絵が描いてあるミズホ磁器が売れるのであろう。
ただし、こちらはデザインの関係で実用性がなかったが。
「作る技術はありますけど、あまり売れないんですよねぇ」
確かに絵は入っているが、元地の色は帝国産と王国産の磁器とあまり変わらない。
これでは、ティーセットを作っても売れないのであろう。
「ティーカップに絵を付けてみたのですが、あまり売れなかったですね」
「そりゃあ、ミズホ磁器と同じような絵を付けるからだろうに」
和風や中華風の花や鳥、唐草模様などを付けたティーカップが売れるはずもない。
一部の金満コレクターたちが、興味本位で購入していったのみだそうだ。
「ならば、改良の余地はあるか」
「バウマイスター伯爵様は、焼き物を焼かれた経験が」
「ええと。魔法で作った」
俺は、未開地時代に作った塩を入れる壺を職人たちに見せた。
「ええと……。造形は駄目ですね……」
素人の作なので、塩が漏れずに入ればよかったから……。
職人たちに壺の造形を否定されても、俺は心の中だけで泣いて誤魔化した。
向こうはプロだから仕方がない。
「粘土の質も、まあまあですかね」
色も別に乳白色である理由はないので、量産品とさほど違うわけでもなかった。
「この壺を売るのですか?」
「芸術品としては微妙ですけど……」
「俺、芸術家の素養ゼロだなぁ……」
などと、悲しんでいる暇はない。
俺は窯がなくても焼き物が作れる。
造形には問題があるし絵心もないが、目の前にいる職人たちはその道のプロなのだ。
彼らに粘土を渡して、造形と彩色を任せてしまえばいい。
「ですが、帝国産と差異が出ませんので値段が……」
「そこで、俺が独自に開発した粘土を使います」
勿論、俺に磁器製造の技術などあるはずがない。
ただ、地球で十八世紀にイギリスで発明された技術を用いるだけだ。
『ボーンチャイナ』という、白色粘土が入手困難なので代用品として牛の骨灰を陶土に混ぜて製作した磁器を。
粘土は従来のものを使い、これに骨灰を混ぜ、成形して焼けば、乳白色の綺麗な磁器ができるはず。
「早速、実験だな」
骨灰は、導師たちが毎日狩ってくる魔物の骨から拝借した。
肥料に使えるので、肥料作りを担当している魔法使いが魔法で骨灰を製造していたのだ。
「(確かボーンチャイナは、リン酸三カルシウムが三十パーセント以上含む磁器であったはず。牛の骨はないから適当だな)」
配合比率を変えて骨灰入り粘土を沢山製造して板状にし、壺の時のように魔法で焼成反応を再現して磁器を製造する。
技術がないので形は歪であったが、従来のミズホ磁器よりも乳白色の磁器の製造に成功した。
「(これが一番いいな。細かな配合比率は覚えたぞ)」
続けて、その配合比率で大量の粘土を作り、それをミズホの職人たちに渡し、ティーカップ、ソーサー、ティーポット、皿、花瓶などを作らせる。
さすがはプロの職人だ。
製造経験があったこともあり、素晴らしい磁器を作ってくれた。
「そして、これを魔法で焼成すると」
数分で、日本で見た乳白色で透明感のある磁器が完成した。
「おおっ! 白い!」
「これなら売れますよ!」
従来の帝国製の磁器や、ミズホ磁器よりも乳白色で透明感のある磁器。
『なんちゃってボーンチャイナ』は、無事に完成した。
まだ改良点はあるが、その辺はプロである職人たちに任せてしまえばいい。
俺が粘土と骨灰を魔法で配合し、職人たちが成形と絵付けをする。
数日は、朝に粘土を作って職人たちに渡し、昼は町周辺の開墾や工事に没頭し、夜に余った魔力で磁器を焼成する日々が続く。
「ティーカップに梅の絵か……。悪くないけど、帝国風の草木とかも描けないかな」
やはり、洋風なティーカップに、伊万里焼や有田焼のような絵柄は奇妙である。
この大陸で普通に繁茂している、草花などを描いた方がいいだろう。
「やっぱり、そちらの方がいいですかね?」
「お客さんは帝国の人だから。珍しいからミズホ風の絵の品も少し混ぜよう。あとは、帝国風の絵柄にしてほしいけど、大丈夫か?」
「大丈夫ですよ、輸出品研究のために勉強していますから」
一週間ほど職人たちと奮闘した結果、かなりの数の無地の白磁に、ミズホ磁器の絵師たちが奮闘して絵付けされた磁器も完成した。
「伯爵様も変わったことをするよな」
「見てくださいよ。この乳白色の磁器を」
「確かに、王宮にあるものよりも白い……」
「こんなに複雑で、色取り取りの絵が描かれているなんて凄いですね」
早速エリーゼが、完成した試作品のティーポットで、マテ茶をティーカップに注いでみんなに配った。
綺麗な乳白色のティーカップにマテ茶の黄緑色がよく映え、ブランタークさんとエリーゼは磁器の白さに驚いている。
粘土の成分調整にも慣れ、帝国産と王国産の厚ぼったいマグカップのようなティーカップとも違うので、これは売れるはずだ。
高級品として売れれば、戦費の足しにはなるだろう。
「窯なしで磁器を作れるのか。前に壺とか作っていたからな」
「この白は、魔物の骨ですか」
ボーンチャイナの原料である牛の骨がないので半分賭けであったが、実に上手くいった。
もしかすると、魔物の骨が幸いしたのかもしれない。
日本で見た磁器よりも、白さが上のような気がするのだ。
「魔物の骨には少量の魔力が残留している。だから薬剤や魔道具の材料としても使われるんだな。ここではそんなに需要がないから肥料にしていたけど」
少量の需要分だけ販売して、あとは肥料にしていた。
それをこれからは、普通の動物の骨は今までどおり肥料に、魔物の骨は磁器の材料にするわけだ。
「これをミズホ磁器の職人たちと協力として、秋までに大量に売り捌いて軍資金を稼ぐ作戦です」
骨灰と粘土の調合比率に、焼成の条件はミズホ側にも秘匿する。
だが、向こうにもプロはいるので、研究すればじきに同じものが作れるようになるはずだ。
秋までに作れるだけ作って売り捌けば、一番最初に真っ白な磁器を作った者として多額の利益が得られるはず。
「他にここまで白い磁器が作れる者が出る前に、高額で売り捌いて金を儲けるのか」
「これ以上、手持ちの資金を減らすのはまずいですからね。まだなにがあるのかわかりませんし」
「確かにな……」
俺がこんなことをしているのは、バカな皇帝が一セントすら報酬を寄越さないからだ。
あの装置を破壊するまで帰るわけにもいかないし、報酬が当てにならない以上、自分で稼ぐしかなかった。
「伯爵様の言うとおりか。よし、魔物の骨だな」
「食用に大量に狩っておるが、こんな使い方があるとは知らなんだ。驚きである!」
導師は性格的に、軍の訓練や、町の工事などはなるべくやりたくない。
そこで、毎日魔物の領域に籠って狩りを続けていた。
その成果たるや、その領域の魔物が絶滅するかのような勢いである。
食肉の確保に貢献しているので、俺たちからすれば大歓迎なのだが。
「ミズホ上級伯爵に頼んで、もっと職人を借りようかな」
秋までの限定で、磁器を大量に製造して高値で売り捌く。
こうして俺は新しい商売を考えつき、軍資金を稼ぐべく奮闘を開始するのであった。
戦争って、本当に金がかかるよな。
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