第231話 帰りたいのに帰れない

「この手でくるとは予想外だったのである!」


「さあてと。身動きが取れなくなってしまったな」





 導師とブランタークさんは、困惑気味のようだ。

 六日間にも及ぶニュルンベルク公爵率いる反乱軍本隊との死闘は、結局引き分けに終わった。

 兵数、魔法使いの質と数、魔銃という新兵器、精強なミズホ伯国軍。

 これだけ有利な条件を揃えていたにも関わらず、解放軍は多くの犠牲だけを出してニュルンベルク公爵を討てなかった。

 反乱軍にもかなりの損害は与えているが、致命傷にはほど遠い。

 逆に、練度の低い解放軍は、夜は反乱軍の夜襲に怯えて動けない状態にあった。

 そして反乱軍は、帝都近郊まで下がると呆気ないほど簡単に帝都を放棄している。

 最初、その報告を聞いたテレーゼたちは唖然としてしまったようだが、それでも帝都を奪還しないわけにはいかない。

 解放軍を再編して帝都に入り、外様である俺たちとミズホ伯国軍は郊外に留め置かれた。

 テレーゼ自身がどう考えているのは不明だが、戦争にはつきものの略奪、婦女子への暴行などを防ぐためと、そろそろ内戦勝利後の政治勢力図が気になる貴族たちに説得されたのであろう。

 

「我らが、帝都の住民たちに注目されると困る貴族が多いのであろう。まったく、ミズホ人たちは帝都の政治に興味などないというのに……」


 俺たちの隣に陣を敷くミズホ上級伯爵が、こちらの本陣でエリーゼの淹れたお茶を飲みながら愚痴を溢す。

 別に、無理に帝国の政治に参加させてもらう必要はなく、他にいくらでも仕事があるので、いらぬ勘繰りだと思っているようだ。

 

「帝都はお荷物というわけだな。ニュルンベルク公爵は」


「むしろ、そちらの方が深刻だろうな」


 テレーゼたちが帝都に入ってから三日経つが、いまだに混乱は続いているようだ。

 なんでも、選帝侯や大物貴族たちはかなり殺害されていたが、肝心の皇帝と皇族は全員生きていたらしい。

 クーデターを起こされた間抜けな皇帝なので退位を願いたいところではあるが、本人は『自分は皇帝選挙に勝って正式に即位した皇帝であるし、退位するかどうかは慎重に判断する』と言っているそうだ。

 困ったことに、皇帝の言っていることは間違っていなかった。

 むしろ強引に退位させてしまうと、それこそが違法行為になってしまう。

 ニュルンベルク公爵がやったことと、大差がなくなってしまうのだ。

 結果、テレーゼは皇帝に手が出せない。

 皇帝自身も、解放軍のトップが女性であるテレーゼなので、自分が退位する必要はないと思っているようだ。

 勝手に帝都回復を布告してしまい、テレーゼたちとの対立が深刻化している。

 ニュルンベルク公爵は、自分に組する人たちとその家族はすべて自分の領地に連れて行ってしまった。

 残されたのは、ニュルンベルク公爵がいた時には顔色を窺って従っていた連中と、軟禁されていた連中だけである。

 彼らと皇帝には、反乱を起こしたニュルンベルク公爵に対して無力であったという危機感と罪悪感があった。

 同時に、テレーゼ政権下では確実に冷や飯食いになることも理解している。

 さらに、せっかく解放軍に参加したのに、地位や利権の分配であてが外れたと思っている解放軍貴族たちからも裏切り者が出て、双方の対立が先鋭化するのに二日とかからなかったわけだ。

 皇帝派は皇宮で、テレーゼたちは帝国軍本部に居を置き、帝国を二分する争いになりそうだと、アルフォンスが深刻な顔で報告に来た。


「ニュルンベルク公爵は、今はテレーゼと直接対峙するのを避けたみたいだね」


「死に体の皇帝を利用して、テレーゼとの政治的な対立を画策するか」


「そういうこと。あーーーあ。これで今までの苦労がすべておじゃんだ」


 アルフォンスが帝都に戻ってから、いつもの面子で鍋を囲んでいた。

 俺たちと、ハルカ、タケオミさん、導師、ブランタークさん、ミズホ上級伯爵、フィリップ、クリストフ。

 そして、シュルツェ伯爵一行もであった。

 俺は最悪殺されている可能性も考慮していたのだが、彼らは魔法使い以外は全員無事であった。

 帝都が解放され俺たちが郊外に陣を張っていることを知ると、こちらを頼って移動してきたのだ。


『申し訳ない。軍を率いていて大変なのに……』


『いえ、同じ王国貴族ではありませんか』


 長期間軟禁されていたシュルツェ伯爵たちは、疲れ切った表情で俺にお礼を述べた。

 そんなシュルツェ伯爵は、物珍しそうに鍋を食べている。

 そろそろ春になるが、北部にある帝都近郊はまだ朝晩と冷え込むことも多い。

 ミズホ上級伯爵が材料を用意した『フグチリ』は、身に沁み渡る美味さだ。


「あっさりしていて美味しいですね」


「いい出汁が出ているわね」


「高価そうなのもまた」


「一杯食べられる」


「珍しいものが食べられて、得をした気分ですわ」


 フグチリは、女性陣には好評であった。


「エルさん、はいどうぞ」


「ありがとう、ハルカさん」


 エルは、ハルカから鍋をよそってもらって嬉しそうだ。

 『そろそろ、タケオミさんがイライラし始めるのでは?』などと考えてしまうのは、俺がひねくれているからなのであろうか?


「ところで、この魚の内臓などはないのであるか?」


「導師、食べると昇天してしまうそうだぞ」


「天にも昇る味なのであるか?」


「いいや。文字どおり昇天するんだよ。毒があるから」


「えーーーっ! 大丈夫なの?」


 導師とブランタークさんの会話を聞いていたルイーゼが、毒と聞いて大声をあげた。

 フグはなぁ……。

 日本人とミズホ人以外には誤解されそうな食材だから。


「心配は無用だ。我が家の調理人は、みなフグの調理免許を持っているからの」


「フグを捌くのに免許がいるんだ」


「毒の部分を提供すると死人が出るからな。過去のフィリップ公爵領では、美味しいがよく死人が出ることが多いので、運試しで食べるものとされていた。それを、我がミズホ伯国で完璧な調理体系を確立したわけだ」


 昔から多くの犠牲者を出しながら、食べられる部位の研究や調理技術の研鑽を怠らなかったからこそ、今こうして美味しいフグが食べられるのだとミズホ上級伯爵は説明する。


「(フグなんて一回しか食べたことないけど、美味しいなぁ)」


 俺のフグ経験は、会社の接待の席で食べたのみである。

 前世の給料だと、自前ではなぁ……。

 久々のフグを、俺は堪能していた。


「ミズホ伯国には、すべての分野において独特の文化があるのですね」


 フグチリ、焼きフグ、から揚げ、白子、雑炊と、すべてを食べたシュルツェ伯爵は初めてのミズホ料理に大満足のようだ。

 食後の饅頭とお茶を楽しみつつ、早速帝都の様子を話し始める。


「現在の帝都は、一言で言えば混乱しています」


「想像はつきますけどね」


 シュルツェ伯爵の話によると、テレーゼ派と皇帝派がそれぞれに帝都の統治を行おうとし、一部で睨み合いも発生しているらしい。


「末端の小貴族から、大物まで。『誰が皇帝についた。誰がテレーゼ殿を裏切った』とか噂が流れています。人によって言ってることが違ったりするので、真偽のほどは不明ですけどね」

 

 行政、司法、軍事と。

 すべてでテレーゼ派と皇帝派に分かれてしまい、当然統治の効率は落ちて帝都の住民たちの反発は大きかった。


「クーデター時には混乱を起こしましたが、その後の帝都統治でニュルンベルク公爵は隙を見せていません」


 自分に従わない貴族たちには厳しかったし、ラン族やミズホ人を収容所送りにしている。

 だが、普通に生活している住民たちは、ニュルンベルク公爵にあまり不満を覚えていなかったそうだ。


「例の装置のせいで流通に多少影響は出ましたけどね。物価の上昇は、強引な方法とはいえ抑えていましたから」


 少し悪化した状態が数ヵ月続いたが、人間とは意外と慣れてしまう生き物だ。

 それから帝都を放棄するまでは、物価の上昇を抑えつつ、ちゃんと帝都を統治していた。 

 ところがニュルンベルク公爵が帝都から撤退し、テレーゼが率いる解放軍が入った途端、これまでその動静すら不明だった皇帝が帝都の回復を宣言。

 統治を始めると言ったが、テレーゼたちと仲間割れを起こして、早速帝都の物価が急上昇してしまった。

 ニュルンベルク公爵という枷が外れた商人たちが、食料と生活物資の売り惜しみを始めたのだ。

 このままだと、帝都の住民たちからすれば、ニュルンベルク公爵の方がマシだったという結論になりかねない。


「フィリップ公爵閣下と共闘していたみなさんには悪いのですが、帝都の住民たちに評判が悪いのは解放軍の方です」


「末端にいる諸侯軍兵士たちの悪行を抑え切れないのであろう?」


「導師の仰るとおりです」


 勝者として帝都の入った解放軍の一部が、帝都内で略奪や婦女子への暴行を行っているらしい。

 テレーゼは厳しく取り締まっているが、皇帝派との対立が原因でそれに割ける労力が減っていた。

 ついでに言えば、そんな悪徳兵士と貴族でも政治的にはテレーゼの味方である。

 裁けば裁くほど、テレーゼの力を落とす結果になっていた。


「皇帝派からの糾弾の原因にもなっています。私たちが逃げて来たのも、その被害を恐れてのことですよ」


 テレーゼがすぐに保護してくれたそうだが、同じく内戦中に軟禁されていた大使館に解放軍の一部が侵入しようとして騒ぎとなり、そこの職員たちと在留王国人も連れてここに逃げてきたそうだ。


「明らかに略奪目的だったと思います。同じ理由で、収容所に入れられていたミズホ人もすぐに保護を受けましたよね?」


「ああ。すぐに保護したな」

 

 ミズホ上級伯爵は、シュルツェ伯爵の問いにすぐに答えた。


「在留ミズホ人には女子供もいるのでな。テレーゼ殿やバーデン公爵公子の息のかかった連中は大丈夫だが……」


 急速に勢力が拡大した解放軍の末端には、ろくに顔も知らない信用ならない貴族とその諸侯軍がいる。

 現在帝都で、味方であるはずのテレーゼの足を引っ張っている連中だ。


「他国との戦争ならともかく、同じ帝国人にですか?」


「その認識は甘いですよ。バウマイスター伯爵」


「どういうことです? クリストフ殿」


「同じ帝国人でも、ニュルンベルク公爵のミズホ人やラン族への対応を見ればわかるでしょう?」 


 確かに、同じ帝国人なのに扱いが酷いと感じてしまう。


「それに、同じ帝国人と言いますが、大半の田舎領地の領民たちは、買い物で隣の領地に行くだけとか、普段はそんな感じなのですよ。領主から『お前は帝国の臣民だ』などと絶対に言われません。『~領の領民だ』と言われてそこで一生を過ごすのです」


 そういえば、うちの実家でも王国の臣民だと自覚している者は少なかった。

 バウマイスター騎士爵領の領民であるという感覚だけだ。


「彼らは、その狭い領地の景気や自分の懐具合だけが気になるわけです。そして、反乱とはいえ戦争になって出兵しました。彼らは、こう考えるわけです……」


「命を張って戦ったのだから、略奪や暴行は褒美であると?」


「そういうことです。彼らからすれば帝都は敵の牙城で、そこで家族のために金銭や物資を奪ってなにが悪い。女を襲うのは、買って無駄遣いをしたくない。勿論全員ではありませんよ。そう考える者たちもいるのです」


 さすがは、元大貴族家の跡取りとでも言うべきか?

 クリストフは、末端の兵士たちの心情がよくわかっているようだ。


「ですが、普通に軍規違反ですよね?」


「だから、帝都に入るまでは軍規が機能していた」


 その手の犯罪が起こると、テレーゼは厳格に裁いて処分していた。

 

「帝都に入ったので箍が外れたのだろうな。フィリップ公爵殿の把握可能な範囲を越えてしまったのであろう。皇帝派との対立で罰する能力が落ちたとも言う。下手に処罰して皇帝派につかれてしまったらと言って、罪を犯した兵たちを弁護する貴族がいたのかもしれない」


「グダグダだな」


「こういう時には、可哀想だが違反者全員を公開で首を刎ねるくらいしないと軍規が機能しなくなる。戦争で兵士のモラルを保持するのは本当に大変なんだ」


 フィリップは、暗にテレーゼのことを批判した。


「しかし、上手い手ですね」


「そうだな」


 こうなってしまうと、帝都に住む人たちの批判はクーデターを起こしたニュルンベルク公爵よりも、今帝都の治安を悪化させている皇帝とテレーゼに向かってしまう。

 ニュルンベルク公爵は、自分が撃破すべき敵に仲間割れを起こさせて弱体化させ、時間差をつけて撃破しようとしているのであろう。


「もう一つ問題があります。現在の帝都にはお金がありません」


 シュルツェ伯爵たちは、ニュルンベルク公爵の手の者たちが急いで荷を南方に向けて運ぶのを目撃している。

 間違いなく、皇家と帝国政府が有する移動可能な資産をすべて、ニュルンベルク公爵領に持ち去ってしまったのであろう。


「だから、弱い軍勢を解放軍にぶつけて時間を稼いでいたのか……」


 その間に、金、財宝、物資などをすべて運び去ってしまった。

 だから帝国は、これまで苦労してきた解放軍の貴族たちに褒賞が渡せない。

 ない袖は振れないわけで、これも末端諸侯軍兵士たちの略奪を助長しているのであろう。

 命をかけて無報酬では、彼らもやっていられなくて当然だ。


「もっと悪いことがあります」


「帝国中央部北部地域と同じだろう。余剰の食料がない」


「はい」


 フィリップの予想どおりであった。

 帝国保有の余剰食糧は麦一粒残っていなかった。

 凶作に備えて備蓄していた分まで、すべてなくなっていたそうだ。


「住民からは一切徴発していないが、ニュルンベルク公爵は商人たちに余剰分を一定価格で放出させたそうだ」


 つまり、しばらくは帝都の住民たちが飢える心配がない。

 その代わり、あとひと月もすれば帝都の食料不足は深刻なものとなる。

 他の地域から上手く輸送できれば問題ないが、今はそれを行える政治環境にない。

 皇帝派とテレーゼ派が、無用な争いを続けているからだ。


「解放軍は、多少の資金や食料を持っていたよな?」


 原資は、フィリップ公爵家とバーデン公爵家や他の貴族たちの持ち寄りである。

 決して余裕はないが、現在の皇帝と帝都よりは遥かにマシな財政状態ではあった。

 

「皇帝派が、それを供出しろと言って大問題になっているんだ」


「えーーーっ!」


 金も食料も後ろ盾もない皇帝なので、どうにか帝都から立て直したいのであろう。

 その気持ちはわかるが、帝都解放の功労者たちに銅貨一枚褒美を渡さず、逆に手弁当で準備してきた金と食料を差し出せと言うのだから恐れ入る。

 テレーゼたちからすれば、『皇帝が、そのくらい自分でなんとかできないでどうする』という考えになるわけだ。

 

「もしかして、俺たちへの報酬もゼロ?」


「さっき言った。ない袖は振れないと」


 フィリップの冷たい言葉が、俺の心に突き刺さる。


「これは困った……」


 廃坑漁りで、ある程度の金、銀などはある。

 食料も、今のところは魔法の袋の中に入れてある分でなんとかなるはずだ。

 だが、このまま放置しておくと食料不足で詰んでしまう。


「人数的には、前と変わらないんだよなぁ……」


 千五百名ほどいた王国軍組も、これまでの戦闘で二百名ほどを失っている。

 だがここに、シュルツェ伯爵たちが入って人数的にさほど変化がない。

 食料は念には念を入れて在庫を増やしていたが、それでも千五百名なら二ヵ月ほどで空になってしまう。

 そのあと、帝都で仕入れられるかどうか……。


「テレーゼに、食料の補給を頼まないとな」


「そうですね。人数も増えていますし」


「まあ、前とそんなに変わらないですが……」


「いいえ、約三倍に増えますよ」


「えっ?」


 俺は、シュルツェ伯爵の言葉に耳を疑ってしまう。

 一体どこにそんな謎の王国人の集団がいるというのであろうか?


「フィリップ殿とクリストフ殿には申し上げ難いのですが……」


「捕虜を取っていたのか!」


 二人が俺たちに合流する羽目になった、王国軍先遣隊の潰滅。

 兵員八千人の中から、三千五百名ほどが捕虜になって収容されているそうだ。


「捕虜として認められたようで、郊外の粗末な施設に置かれていると聞きました。食料事情などもあまりよくないそうで……」


 シュルツェ伯爵からすると、同朋なのでなんとか保護してほしいという気持ちなのであろう。


「それも含めて、明日テレーゼに直訴しに行きます」


 翌日、俺は導師とエルを護衛に久しぶりに帝都に入る。

 住民に人的被害はほとんど出ていなかったが、食料備蓄に不安があるのでクーデター前ほどの活気はない。

 解放軍兵士の悪行に怯えて、家を閉ざしている住民も多かった。

 先に皇宮前に行ってアポイントを取ってみるが、帝都の安定化に忙しいようで会ってはくれないそうだ。


「あからさまに、『他国の人間がなにをしに来た?』という感じだな」


「会えば、これまでの報酬の話になるからである」


「ケチくさいですね」


「ケツの穴の小さい皇帝である!」


 導師の皇帝批判は容赦ない。

 俺たちを雇用しているのはテレーゼなので、そちらでなんとかしろという考えが透けて見えるほどだ。

 すぐにテレーゼが本陣を置く帝国軍本部の建物に入ると、こちらはすぐに彼女と会うことができた。


「ヴェンデリンよ。今生陛下に褒美を強請りに行ったのか?」


「もしもの希望に賭けて。無駄だったけど」


「であろうな。今、帝国で一番財政に余裕があるのは、ニュルルンベルク公爵なのだから」


 テレーゼの『今生陛下』という言い方で、彼への思いが良くわかるというものだ。

 褒美の件は、皇帝が生きているために大半の権限が彼に移ってしまっている。

 勿論彼女も出さないと駄目だが、今の財政状況で俺に褒美など出せばフィリップ公爵家の財政が破綻する。

 さらに、他の貴族たちから不公平だという不満が出れば、今度は解放軍勢力が崩壊するであろう。

 だから、今の彼女は俺に褒美を出すとは決して言わなかった。


「さすがに、会わないのはどうかと思う」


 俺はテレーゼに、皇宮の入り口で門前払いを食らった件を教えた。


「陛下は、妾が勝手にヘルムート王国の魔法使いや軍人たちを雇用した件を、それはお怒りになっておってな。ヴェンデリンへの報酬など、舌を出すのも嫌であろうな」


「予想どおりとはいえ……」


 俺は一瞬だけ導師に視線を向けるが、その表情はかなり渋かったと思う。

 皇帝がニュルンベルク公爵に嵌められ、金や食料がない帝都を押しつけられたのと、働いた俺たちに報酬を出す話はまるで別だからだ。

 しかし、テレーゼもいい根性をしている。

 自分たちも苦しいのはわかるが、これまで俺たちは散々苦労してきたのだ。

 その報酬を出さないのでは、皇帝のことなど言えないのではないかと。


「領地ならば、妾は考慮可能なのじゃが……」


「他国の飛び地などいりませんが……」


 俺には、すでにバウマイスター伯爵領がある。

 他国の飛び地など、管理する手間が面倒臭かった。


「我らが皇帝陛下は、ヴェンデリンと同じ考えのようじゃな。他国の者や、ましてや仮想敵国であるミズホ伯国に領地などやれぬと仰せだ」


「じゃあ、なにをくれるのですか?」


「原資がないからのぉ……」


 その原資は、すべてニュルンベルク公爵が持ち去っている。

 おかげで、反ニュルンベルク公爵派は皇帝派、テレーゼ派、外様派に三つに割れている。

 外様派というのは、数は少ないが両方について行けないと考えている俺たちのことだ。

 勢力としては、一番ショボイけど。

 現状で、俺たち外様派はテレーゼの下に素直につけるはずがない。

 完全な第三勢力だと考えてもらって結構なほどだ。

 

「砂上の楼閣に居座っている皇帝陛下の、これからの戦略に興味があるのである」


「導師も辛辣じゃの」

 

 導師の言うとおりで、皇帝アーカート十七世の権力基盤は弱い。

 解放軍に参加している貴族たちは全員、彼がクーデターを起こされた責任を取って引退すると考えていた。

 それがいざ自由になると、平然と皇帝として振る舞おうとする。

 そのせいでテレーゼは足を引っ張られ、帝都の統治にすら支障をきたし、いまだに混乱から脱せないでいた。


「金銭は、ニュルンベルク公爵領を落として取り戻すしかないの。ただ、焦りは禁物じゃ……」


 ニュルンベルク公爵は帝都を放棄する過程で多数の精鋭を失ったが、致命的な人数ではない。

 むしろ、帝都から自分に組みする人たちを連れて行っているので、戦力的には増している可能性があった。

 金銭も物資も食料も豊富なので、数年は余裕で戦えるはずだ。

 

「そこに無策で攻め込めば、南部はニュルンベルク公爵の庭じゃ。いいようにやられるであろうな」


 あの六日間の戦闘で、ニュルンベルク公爵の軍人としての能力は世間に知れ渡った。

 それと、南部にはやはり巨大な地下遺跡などがあるのであろう。

 古代魔法文明時代の遺産を利用して、ミズホ伯国の戦闘力まで封じてしまったのだから。


「爆発するゴーレムか……。厄介じゃの……」

 

 加えて、例の移動と通信魔法を封印する装置は帝都には残っていなかった。

 元からなかったか、南部に持ち去ってしまったのであろう。


「(あの装置の件がなければ、とっくに損切りをして王国に戻るのに……)」


 それにもし将来、古代魔法文明時代のゴーレムを駆使した戦術で王国に攻め込まれでもすると、俺の後半生が詰んでしまう可能性がある。

 なにしろニュルンベルク公爵は、俺を敵視しているのだから。


「(討たねばならないが……)」


 王国に戻って対策を考えるという手もあったが、やはり現地に残って対策を立てた方がいいだろう。

 フィリップ、クリストフ、シュルツェ伯爵も、まだ王国に戻るつもりはないらしい。

 あまりに状況が流動的なので、このまま放置はできないそうだ。

 俺は自分本位の考え方だが、三人は王国の臣として隣国の混乱をどうにかしようとしているわけだ。


『通信が阻害されたままです。これでは、現地協力者や密偵を使った情報収集すら難しい』


 シュルツェ伯爵の意見により、総勢五千名弱にまで増えた王国軍組は郊外に陣を張って状況を見守ることになった。

 魔導飛行船も動かないので、彼らを王国に戻すには、船か徒歩か馬車しか手段がないという理由もあるのだが。

 そして現状、その手配はかなり難しかった。

 一大消費地である帝都への食料、生活物資輸送で馬車と船に余裕がないからだ。


「その前に、魔導飛行船はすべて魔晶石が抜かれておったの」


「どうせ、ろくなことに使わないでしょうね」


 動かないから一緒という意見もあったが、ニュルンベルク公爵は、帝都にあった魔導飛行船すべての魔晶石まで抜いて持ち去っている。

 あの大きさの魔晶石を兵器に転用でもされたら、今の分裂状態にある帝国軍は簡単に負けてしまうかもしれない。

 帝都解放で兵数自体は増えた。

 ニュルンベルク公爵に当主が軟禁されていたり、面従腹背であった貴族たちの兵が合流しているからだ。

 帝国軍も同様で、ニュルンベルク公爵に付いていかなかった連中が再び皇帝陛下に忠誠を誓っている。


「皇帝派のは数は増えたが、軍の質は当てにならぬ。うちから裏切った微妙な者たちも多いからの。ニュルンベルク公爵に従わなかった者たちの大半は、ニュルンベルク公爵からいらない奴扱いされた者も多い、という事実もある」


「役に立つ人なら、ニュルンベルク公爵も勧誘くらいはしますよね?」


「厚遇も約束するであろうからの。それに皇帝派は、妾たちと分裂状態なので数が揃わぬ。軍資金も食料もないので、すぐにニュルンベルク公爵領へ攻め入るわけにもいかぬしの」


 現状では、まったく身動きが取れない状態のようだ。

 

「それよりも、解放軍の悪評を聞いていますが」


「略奪に、婦女子への暴行であろう。少し処罰するのに手間がかかっての。これも妾の不徳の致すところであるな」


 軍規に照らし合わせて、数百名を処刑したそうだ。

 ところが、その兵を抱えている貴族たちとは決定的に揉めてしまったらしい。


「領地に帰れば、いい父で夫なのだそうじゃ。刑の軽減を求めてきたが、それはできぬと突っぱねた」


 当然双方にシコリは残り、彼らは皇帝派に付いてしまった。

 味方を増やしたい皇帝派は、喜んで彼らを受け入れたそうだ。


「終わってるな」


「エルヴィンのように考えるのが普通であろうな。じゃが、皇帝陛下は支持基盤が弱いのでな」


 他にも佞臣のような連中が集い、段々と帝都の政治が駄目になっていくのをテレーゼは実感しているそうだ。

 皇帝を抑える役目をする議会も、今は議員たちの死亡と皇帝派とテレーゼ派への分裂で機能していない。


「ニュルンベルク公爵は悪辣ですね」


「ここまで読んでの、帝都放棄であろうからの」


 このまま推移すれば、帝都のどころか帝国の臣民の多数が皇帝に失望してしまう。

 そして、ニュルンベルク公爵に期待してしまう未来すらあり得るのだ。


「それで、テレーゼ殿はどうするのですか?」


「一度領地に戻るであろうな」


 今の皇帝が退位しない以上、テレーゼにはなにもできない。

 周囲が自分と皇帝との確執を囃し立てるが、それは迷惑なのだという。


「いまだ、時の利来たらずじゃの。そういえば、ついに皇帝陛下が褒美を出すそうじゃ。もっとも金銭はないので、勲章、役職、あとは領地で済ますであろう。ヴェンデリンたちについては妾も読めぬ」


 それからすぐ、俺たちはテレーゼの元を辞した。

 

「テレーゼ様は苦悩しておられるのである」


「現状ではどうにもなりませんしね」


 まさか、皇帝が退位しないという予想はしていなかったのであろう。

 俺が最初に感じたアーカート十七世像は、育ちがよく、調整型で、無難な皇帝としての資質アリであった。

 平和な世なら、特にトラブルもなく普通に統治をしていたはずだ。

 それが、ニュルンベルク公爵のせいで無理をして壊れつつあるのだから、ある意味あの人も反乱の犠牲者なのであろう。


「ヴェルはそう言うけど、巻き込まれる身としては堪らないぜ」


「エルヴィン少年の言うとおりである! 末端ほど、死が現実のものとなっていくのである!」


 間違いなく、褒美と言う名の領地代えで皇家の力を増し、秋の収穫後、ニュルンベルク公爵領に大軍を派遣して勝利を収めるつもりだと思われる。


「俺が気がつくくらいだから、ニュルンベルク公爵が気がつかないわけがないよな」


「またゴーレム集団であるか……」


 例の装置のせいで飛べない導師は、大量のゴーレムに囲まれて難儀していた。

 壊すと自爆するので自然と『魔法障壁』を使ってしまい、予想以上に魔力を消費して早くに消耗してしまったそうだ。


「最終兵器と呼ばれた某が、面目次第もないのである」


 大量の自爆型ゴーレムばかり倒して戦闘が終わった導師が、すまなそうな表情を浮かべた。


「それはこちらでも対策を考えるとして、今は褒美がどうなるかですね」


 そんな話をしながら帝都郊外の陣地に戻ってから一週間後。

 俺たちは突如皇宮に呼ばれた。

 身なりのいいアーカート十七世が座る玉座の前に跪くと、彼は侍従にあるものを持って来させた。


「聞けば、テレーゼが勝手にこの国の名誉伯爵にしたとか? 一代限りなので認めはするが、テレーゼももう少し考えてほしかったものだな」


「左様にございますな。まあ、所詮は女の浅知恵です」


 アーカート十七世は、いきなりテレーゼの批判を始めた。

 こういう公式の席では『フィリップ公爵』と呼ぶのが普通なのだが、それすら無視してテレーゼと呼び捨てにしている。

 対立しているし、彼女が女性なので侮っている部分もあるのであろう。

 隣にいる金キラに着飾った貴族が追従するが、いかにも腰巾着といった感じだな。


「正式な褒美は、反逆者ニュルンベルク公爵を退治して後に支払ってやろう。それまでは……そうだの、サーカットの町にでも駐留して待っておれ」


 そう言うと、皇帝は俺にボロい上着を渡した。

 侍従の一人が、恭しくお盆の上に載せて持ってきたものだ。


「七代前の皇帝が愛用していた上着だ。これを賜ることは大変に名誉なので、心して受け取るように」


「ははっ」


 それだけで、俺たちの謁見は終了した。

 予定が詰まっているらしく、とっとと終わらせたみたいだ。


「伯爵様、その上着になにかあるのか?」


 俺が上着の質を確認していると、ブランタークさんはその意図を尋ねてきた。


「ええと……。皇帝から下賜されたものだから、実は高価な魔道具とか?」


「そうではないのは、伯爵様ならわかると思うがな……」


「それはそうなのですが、実は過去の高名な職人が作って希少価値があるとか? 材料に高価な材料が使われているとか?」


「作りはいいと思いますが、普通の古い上着です」


「やっぱり……」


 自分も服を作るので、エリーゼはその分野には詳しい。

 すぐに、普通のオーダーメイド服だと教えてくれた。


「昔からよくあるのである! 金がない王様や皇帝が、自分や先祖の日用品を名誉だといって下賜するのが」


「やっぱりそういうことか……」


 導師の発言にガッカリしながら、俺たちは野戦陣地に戻って来た。

 するとミズホ上級伯爵が、薪割りの台の上でなにかを真っ二つに斬っていた。


「ミズホ上級伯爵?」


「バウマイスター伯爵は、そのボロい上着か。ワシは粗悪な兜であったぞ」


 俺たちの前に、ミズホ上級伯爵も皇帝に呼ばれていたようだ。


「ありがたくも、ミズホ上級伯爵の爵位と、ミズホ伯国の臣従を認めるだそうだ。褒美は、ニュルンベルク公爵討伐後に。今は五代前の皇帝が愛用していた兜を下賜するだとよ!」


 一万五千人からの兵を出してかなりの犠牲も出しているのに、ミズホ上級伯爵への恩賞も俺たちと似たようなものであった。

 激怒して当然かもしれない。


「あとは、バウマイスター伯爵と共に同じくサーカットの町で待てだそうだ。帝都近郊にワシらが陣を張っていると臣民たちが不安になるとな。自分の無能さを棚に上げてよく言うわ!」


「まあまあ。こんな景気の悪い場所はとっとと引き揚げましょう」


「それもそうだな。これ以上あのバカの顔を拝んでも意味がない」


 俺たち王国軍組とミズホ伯国軍は、帝都近郊から急ぎ指定された駐屯地であるサーカットの町へと向かう。

 ようやく帝都は解放されたのに、それはニュルンベルク公爵の罠で戦況が不利になってしまった。

 テレーゼにも隔意を感じた俺たちは、今は臥薪嘗胆の時期であると、怒りを心の奥底に仕舞い、サーカットの町へと向かうのであった。

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