第216話 長対陣で暇だからウナギを焼いてみる(その3)
翌日の早朝。
軽く朝食を取ると、休業中のお店の前庭に特設の調理スペースを作り始めた。
エルが主役となり、ウナギを捌くための調理台と、炭火で焼くための焼き台が徐々に完成していく。
店内の設備を利用しているせいもあるが、エルの大工仕事はかなり板についていた。
「領内の大工仕事なんて、よく俺みたいなのに回ってくるからな」
「納得」
俺は、そんなことしたことないけど。
「炭は焼き魚用のがあるから、強火の遠火で焼ける焼き台を作るんだ」
「了解」
ウナギを焼くには、強火の遠火がいい。
某グルメ漫画でもそう言っていた。
「それはいいけど、ヴェルの設計図が下手だな」
「大体わかるから問題ないだろう」
「そんなに難しいものじゃないからな。でも、絵が下手」
大きなお世話だと思いつつ、エルは順調にウナギ焼き台を仕上げているので不問にしておこう。
俺は貴族だからな。
「イーナ、ルイーゼ、ご飯はどうだ?」
「順調だけど、こんなに炊いて大丈夫なの?」
「同感だね。ちょっと量が多くない?」
「みんな、お替りをするかもしれないから」
「自信満々ね」
しばらくすると臨時調理スペースが完成し、そこにヴィルマが湧水で締めたウナギを大きな桶に入れて持って来た。
「店主! 背開きで!」
「任せてください」
店主は、ウナギをまな板の上に乗せてからナマズと同じように目打ちをし、背中から内臓を傷つけないように開いていく。
俺だけなら完全にお手あげであったが、さすがは長年ナマズ他、様々な川魚を捌いてきたプロ。
実に手際よくウナギを捌いていく。
開いたウナギの内臓を取り出してから、背骨と頭を切り離し、木製の串を刺せば、あとは白焼きにするだけだ。
串が木製なのは、竹がヘルムート王国に存在しなかったからだ。
竹を見つけて輸入するか、金属製の串を使うか。
ただ、金属製の串はすぐに熱くなってしまうからなぁ。
木製の串は焦げるけど手に入りやすいので、今はこれでいいのかも。
「エリーゼは、タレを作ってくれ」
「はい」
エリーゼが、醤油、ミリン、酒を材料に鍋でタレを煮込んでいく。
続けて、その中によく焼いたウナギの骨と頭を入れ、しばらく煮込むとタレの完成だ。
「ウナギの骨と頭で出汁を取るのですね」
「このタレは重要なんだ」
店主は丁寧に時間をかけてウナギの白焼きを作り、その間にエルはウナギを蒸すための蒸篭を作製していた。
「エル、しっかり作るんだぞ」
「冒険者の仕事じゃないような気もするけど、美味そうなウナギ料理もできているから頑張るか」
エル手作りの、大鍋の上に載せる蒸篭が無事に完成し、それを使って白焼きにしたウナギを蒸していく。
これで余分な脂を落として、スッキリさせるのだ。
いわゆる関東風であるが、天然物のウナギは養殖物より身が固いそうで、関東風の方がいいと聞いたことがあったのでそうしている。
「そして最後に、蒸したウナギにタレを付けて焼く」
「おおっ! こんな料理があるとは。焦がさないように慎重にいきます」
店主が最後の焼きを行い、ウナギの蒲焼は無事に完成した。
あとは、炊いたご飯にもタレをまぶし、最後に木串を抜いたウナギを載せて完成だ。
「カタリーナ、あとは山椒なんだけど」
「はいはい。ちゃんと摩り下ろしましたわよ」
蒲焼には必須の山椒もこの世界には存在していたので、カタリーナに摩り下ろさせていた山椒粉をウナギに添え、あとは食べるだけである。
「まずは俺が試食を……」
早速一口分だけ口に入れるが、久しぶりに食べるウナギの蒲焼は天にも昇るような味であった。
店主はプロの料理人とはいえ、ウナギの蒲焼を調理した経験がない。
ゆえに日本のお店のウナギの蒲焼には劣るかもしれないが、これは店主が腕を上げていけばいいのだ。
数さえこなしていれば、次第に日本のウナギと大差はなくなる。
そうすれば俺は、いつでも美味しいウナギの蒲焼を食べることができるのだから。
「こういう食べ方があるのですか……」
続けて店主も、自分が作ったウナギの蒲焼を試食しながらその味に感動していた。
「普段は、どんな感じでウナギの調理を?」
「腹から割いて内臓を抜き、塩でヌメリを取って輪切りにして煮込みます。煮凝りが美味しいと言われていますね」
イギリス名物の、ウナギのゼリー寄せみたいな料理なのであろうか?
俺は試食したいとは思わなかった。
「これ、もの凄く美味しい!」
「もっと食べたい!」
「ルイーゼ、ずるい。食べすぎ」
「タレを付けて焼いている時の匂いが堪りませんわね。ヴェンデリンさん、量が少ないようですが……」
最初に作られたウナギの蒲焼丼は、イーナたちによって一分と保たず、すべて食べられてしまった。
よほど美味しかったようだ。
「俺、一口も食ってないぞ!」
出遅れて、ウナギの蒲焼を一口も食べられなかったエルが文句を言った。
もう一人、エリーゼも食べられなかったが、さすがに食べられないで文句を言うようなことはない。
「店主。今日は、とにかくウナギを捌いて蒲焼を作りまくるんだ」
「練習のためですね」
「それもあるけど、最大の理由はタレだ!」
俺は、エリーゼが作ったタレの入った大きな壺を指さす。
「焼いて蒸したウナギに、タレを付けてまた焼くだろう。その時にウナギの脂や旨みがタレに溶け込むんだ」
「つまり、段々とタレにウナギの旨みが凝縮すると?」
「減ったら新しいタレを注ぎ足す。さすれば、このタレは徐々に旨みを増していく」
「とんでもない財産になりますね」
「火事になっても、戦争になっても、このタレさえ持っていれば店の再建は簡単に行える」
「なるほど。タレがお宝なんですね。よーーーし! 沢山ウナギを焼いて腕を上げるぞ!」
店主は、急ぎ奥さんと子供たちを呼び寄せ、ウナギを大量に焼き始めた。
彼にはすでに成人した息子が三人もいたので、四人で交替しながら捌き、串刺し、焼き、蒸しを行い、奥さんは米を大量に炊いて丼によそい始める。
そして、三十分ほどで追加のうな丼が完成した。
「エル、遠慮なく食うぞ」
「いい匂いだなぁ。タレで焼いたウナギと、ご飯の組み合わせか」
ウナギ焼き台と蒸し機をもう一組作り終えたエルは、ウナギの蒲焼丼を美味しそうに食べ始めた。
「ウナギはしっとり柔らかで美味しいし、タレの染みた米が最高だな」
「骨を揚げたものと、肝焼きも美味いぞ」
俺は店主の息子たちに指示を出し、骨煎餅と肝焼き、肝吸いなども作らせたので、これも一緒に食べながら、俺は久々のウナギを心行くまで楽しんでいた。
「お代わり!」
「俺もお代わり!」
美味しいのでついお替りをしてしまったが、それでも二杯が限界であった。
あとは、肝吸いを啜り、肝焼きや骨煎餅を食べながら店主たちを見ていると、徐々に蒲焼を作る手際がよくなってくる。
「お代わり」
ただし、すべて出した途端にヴィルマに食べられてしまったけど。
「ヴィルマ、美味しいか?」
「美味しい。これでこのお店は大丈夫だと思う」
「そうだな。俺が助言するのはここまでだ。あとの商売のやり方は店主たちが考えることだ」
「お代わり」
結構格好よく締めたつもりなのに、ヴィルマはいつものように空の丼を店主の奥さんに差し出していた。
少し空ぶった気分だ。
「ヴィルマ、それ何杯目?」
「六十杯目。でもそろそろ止める。腹八分目くらいが健康にいいって聞くから」
「うん、そうだね……」
店主たちはまだウナギを焼き続けていたが、これは俺の計算の内だ。
外に設置した焼き台でウナギにタレを付けて焼いていると、次第にいい匂いが周囲に広がっていく。
ここは郊外であったが、帝都中心部に続く街道の脇なので多くの人の出入りがあり、匂いに釣られて徐々に人たちが集まってきたのだ。
「『リバー』さん、それは新しいメニューか? もの凄くいい匂いだな」
「はい、新しいウナギ料理ですよ」
「昼飯がまだなんだ。それはいくらだ?」
「ええと、今日は……」
「はい。ウナギの蒲焼丼は十五セントです。半分のやつは八セント。肝吸い、肝焼き、骨煎餅も五セントです」
「じゃあ、ウナギの蒲焼丼に肝吸いと骨煎餅も付けて」
「まいどあり。お客様のご案内です」
俺は強引に値段を決めて、客を店内の席に案内してしまう。
「バウマイスター伯爵様?」
「俺が外でウナギを焼かせた理由がわかるでしょう?」
「匂いですね」
「せっかく大量に焼いて練習するんだから、ついでに販売してしまいましょう。店主、急いで焼かないと」
ウナギは匂いで食わせる。
外でウナギを焼き続けていたので、街道を通る人たちの中から一定の割合で様子を見に来る人たちが現れ、彼らはそのまま吸い寄せられるようにウナギの蒲焼丼を食べていく。
王都に戻った彼らがその美味しさを宣伝してくれれば、明日からもお客が沢山詰めかけるという寸法だ。
せっかくの材料を無駄にしないための配慮でもある。
「ウナギの新しい料理か。初めて食べるけど美味しいな」
「俺はウナギの煮凝りは嫌いだけど、これは本当に美味いよな」
「匂いに釣られて来て大正解だったな」
お昼を大分すぎても客足は途絶えず、いつの間にかお店は満席になり、俺たちも注文を取ったり、食器を洗ったりして手伝った。
「たまにはこういうのも面白いな」
「そうですね、ヴェンデリン様」
学生時代に、ラーメン屋やファミレスでアルバイトをしていたのを思い出す。
エリーゼも楽しそうに注文を取りに行っていた。
「しかし、もの凄い客の数だな」
「ヴェンデリンさんは、妙な才能がありますわね」
エルとカタリーナは食器を洗いながら、客の多さに感心している。
俺に商売の才能があるというのは間違いで、本当は後出しジャンケンの類なのだけど。
この世界にウナギの蒲焼が存在せず、たまたま俺が知っていただけ。
商売で一番稼げるのは先駆者、というのは間違いではなかったな。
「いい匂いだなぁ。俺はご飯は抜きで、肝焼きと骨煎餅と酒もね」
「ブランタークさん?」
「伯爵様、こんな場所でなにをしているんだ?」
ここのところ、ブライヒレーダー辺境伯の命令で別行動をしていたブランタークさんが、なに食わぬ顔で来店し、ウナギの蒲焼を注文していた。
「ちょっとした、アドバイザー的な仕事です」
「それは、冒険者の仕事なのか?」
「たまにはこういう仕事も面白いでしょう? ブランタークさんは郊外で仕事だったのですか?」
「お館様のお使いさ。しかし、また新しい料理か。どれどれ……。酒が進むな」
ブランタークさんは、冷やした麦蒸留酒を飲みながら、ウナギの蒲焼や骨煎餅の味に満足そうだ。
「肝焼きも上手いな。ここは、酒といいツマミが楽しめる大人の店だな。今度、アルテリオを誘って……。あいつを噛ませていないんだな」
「材料が特殊ですし、あまりアルテリオさんばかりに任せても健全な競争が起こらないでしょうから」
「それもそうか。そういえば、ここは古い川魚料理店だったよな。漁師たちとも繋がりは深いわけだ」
「アルテリオさんだと、ウナギの仕入れで交渉が面倒でしょうし」
「そうだな、値段はここよりも高くなるよな。確実に」
漁師たちは正式にギルドを結成していないが、結束が強くて、内情はほぼギルドと変わらない。
もし老舗であるリバーでウナギや他の川魚料理がヒットすれば、それは彼らの生活の向上にも寄与する。
新規のアルテリオさんよりも、古い付き合いがあるリバーを優先して、いい材料を安めで納品してくるはずだ。
「ウナギは、アルテリオは除外した方がいいか」
「新しい商売の匂いが! って! バウマイスター伯爵様! 俺は伯爵様の御用商人なのに!」
どうやら今日は王都にいて、しかも素早くウナギの匂いを嗅ぎつけて来たらしい。
話題の主のアルテリオさんは、美味しそうなウナギの蒲焼と手伝う俺の姿を見て絶句していた。
「俺にも噛ませてくれぇーーー」
「ウナギの仕入れ。大丈夫ですか?」
「ううっ……。この店ほど安く出せない……」
面倒な漁師たちとの交渉を予想し、アルテリオさんは尻込みを始めていた。
「タレの材料である醤油と味醂は、アルテリオさんはほぼ独占しているじゃないですか。ここは、顧客の商売繁盛を祝わないと」
それに、バウマイスター伯爵領でウナギ屋を開く時に、店主は骨惜しみをしないで助けてくれるはずだ。
まさに、『情けは人のためならず』である。
「この香ばしい匂いは、醤油原料のタレなのか」
「他にも、陳腐化した川魚料理で大量に味噌を使う料理法を勧めたので注文が増えますよ」
「味噌もか!」
「このタレは他の食材でも応用可能です。蒸した鶏肉にタレを付けて焼いたものとか。ナスや豆腐などをタレで焼くと、肉や魚が駄目な人でも食べられますから」
「なるほど。それはいい手だな。初めまして、アルテリオ商会の者ですが」
アルテリオさんはすぐに機嫌を直し、店主に挨拶をしてから、ウナギの蒲焼丼や肝焼きを頼んで美味しそうに食べ始めた。
この辺の切り替えの早さは、さすがというべきであろう。
「これならば、醤油が大量に売れる!」
店内は相変わらず満員のままで、前庭に臨時でテーブルと席を置いてそこに客を誘導する有様だ。
そして、ついにあの人物が姿を見せる。
「某の鼻に、美味しい匂いが入って来たのである! とう!」
突然店先に高速で着陸をした物体は、王都中心部から飛んできた導師であった。
着陸と同時に轟音がしたので、客たちの中には何事かと、丼を持ったまま店の外に出て来た人もいたほどだ。
「バウマイスター伯爵、なぜこういう面白い行事に某を誘わないのである?」
「いや……。さすがに導師にこういう仕事は……」
王宮筆頭魔導師である導師に、こんな仕事をさせるわけにいかない。
表面上の理由はそれであったが、本音は導師が役に立つとは思えなかったからだ。
「試食で貢献できるではないか!」
「(それは、ヴィルマがいるから……)今度は誘いますから」
「必ず次は某を誘うのである! さて、早速新しいウナギ料理を食べてみるのである!。ウナギの蒲焼丼二十杯ご飯大盛り、肝吸い十杯、骨煎餅二十、肝焼きを三十本」
「本当にそんなに食べるんですか?」
「当然である!」
導師は迷うことなく大量注文を行い、運ばれてきたウナギ料理を貪るように食べ始めた。
「大変に美味しいのである! タレが食欲を誘うのである!」
「見ているだけで胸焼けしそう……」
「導師様は小食な方」
「それは、ヴィルマに比べての話じゃないか……」
導師の食べっぷりにエルがゲンナリとした表情を浮かべ、ヴィルマ以外はそれに賛同の視線を向けていた。
「バウマイスター伯爵様のお知り合いには、もの凄い方々が多いのですね」
「もの凄いですけど、普通に美味しい料理を出していれば暴れたりしませんので」
「そうですか……」
ブランタークさん、アルテリオさん、導師と。
続けて三人も、王都では名が通った人たちが来店したので、店主は緊張しているようだ。
それでも、スピードを落とさずにウナギを焼き続ける。
なぜなら、そうしないといつまで経っても客が減らないからだ。
「明日から大丈夫ですか?」
「仕入れや人手の方は大丈夫ですよ」
老舗というだけはあって、店の規模以上に色々と融通が効くようだ。
店主は、俺たちがいなくても問題ない経営体制を、なるべく早くに構築すると断言した。
「教えていただいた川魚料理とウナギ料理を中心に、リバーがもう千年続くように頑張ります」
結局、夕方までにすべてのウナギが売り切れ、その日の夜は二階の座敷で俺たちに色々な料理を出してくれた。
俺が教えたものが多かったが、この一週間で練習を重ねたようで、味はさらに洗練されて美味しくなっていた。
「美味いな、酒が進むぜ」
「醤油や味噌の他にも、フライ料理用のソースや甘酢餡用のケチャップなどでもこのアルテリオ商会をお願いします」
「バウマイスター伯爵、ここに出ている料理はすべて美味しいのである! 某も次からは必ず呼ぶのである!」
「わかりましたよ……」
三人ほど無関係な人たちも無料飯にありついていたが、これ以降リバーは川魚料理の旗手として支店を増やし、特にウナギの蒲焼では他者の追随を許さず、後に店主は『ウナギ王』と呼ばれるようになるのであった。
「なるほど。これが話に出たタレか……」
「ミズホ伯国ならあると思っていましたが」
「我が領では、ウナギは白焼きにしてワサビ醤油が定番でな」
両軍による戦いは今日もなく、あまりやることもなかった俺は、久々にウナギの蒲焼を作っていた。
俺は素人ではあるが、少人数分を作るのであればさほど難しいものでもない。
お店に出すわけでもないので、多少見た目が悪くても問題がないからだ。
ところがそこにミズホ上級伯爵が姿を見せ、俺から蒲焼の話を聞くと調理人を連れてきた。
ウナギ料理を作れるそうなので任せると、彼は丁寧にウナギを白焼きにして俺の前に差し出す。
「一旦蒸してからタレを付けて焼くのと、蒸さないでタレを付けて焼く方法があります」
関東風と関西風の差であったが、前者は柔らかくふっくらとしたウナギが、後者は皮がパリっと焼けてウナギのしっかりとした身が楽しめる。
それにしても、ミズホ伯国に蒲焼がないのは驚きであった。
確か日本でも、蒲焼は江戸時代中期にならないと出てこないのでおかしな話ではないのか。
「両方作って、食べ比べようではないか」
「そんなに沢山ウナギがあるのですか?」
「今は時期ではないが、ウナギは力がつく食材だからな。魔法の袋に保存してあるのだよ」
捌いて串を刺した状態で保存してあるそうで、それを取り出すと俺の指示どおりタレをつけて焼いてくれ、ご飯をよそった丼に載せてくれた。
片方は関東風で、もう片方は関西風だ。
タレは、リバーの店主から分けてもらっていたので、それを提供している。
減ったら、新しいタレを作って補充した。
「暴力的に美味しそうな匂いだな。味も最高じゃないか! 今日は蒲焼を大量に作るのだ!」
ミズホ上級伯爵の指示でウナギの在庫が大量に放出され、それを材料にウナギの蒲焼丼が作られ、多くのミズホ人たちに配られていく。
「もの凄くいい匂いですね。これはバウマイスター伯爵様が?」
「そうなんだよ、ハルカさん」
「誘われる匂いです」
匂いに釣られてハルカも姿を見せ、作業を手伝っていたエルが彼女に駆け寄って説明をしていた。
「バウマイスター伯爵様は、なぜこうも新しい料理を思いつけるのでしょうか?」
「さあ? 前世が料理人だったとか? ハルカさんも食べようよ」
「はい」
エルとハルカに、エリーゼたちや導師も集まってウナギの蒲焼丼を食べ始めるが、そこに匂いに釣られてアルフォンスが姿を見せた。
「ウナギだね。帝国だと炒め物にするんだよ」
輪切りにして茹でたウナギを、野菜と一緒に炒めるらしい。
美味しいのかは不明である。
「対陣が長いから、こういう料理はスタミナがついていいかも」
「そうじゃな。これを食べたヴェンデリンが妾に手を出してくれる可能性に期待じゃの」
「いえ、それはありません」
「そこで急に素に戻るでないわ」
テレーゼも姿を見せて、美味しそうにウナギの蒲焼丼を食べていた。
今日は他になにもなかった日だったが、ソビット大荒地の野戦陣地の広範囲に蒲焼の匂いが広がったことだけは確かであった。
そして内乱終了後、ミズホ伯国でウナギの蒲焼が帰還兵たちによって爆発的に広がっていくことになる。
ただ、その前にひと悶着あったのだが……。
「バウマイスター伯爵、そのタレを千リョウで売ってくれ!」
「そんな値段では売れません。これは大繁盛店リバーで大量にウナギを浸したタレなのですから」
「それを聞くと余計に欲しい! 今日は、うちもウナギを提供したではないか!」
「みんなに食べさせたいと言ったのは、ミズホ上級伯爵ではないですか。俺はタレを提供して貢献しましたよ」
「こうは考えられないか? バウマイスター伯爵のタレは、ワシが提供したウナギの旨みを吸収してさらに味がよくなった。今のタレの美味さに貢献していると。ならば、せめて半分は売ってくれても構わないのでは?」
「いやいや、この系統のタレの作り方はミズホ伯国では珍しくもないでしょう。自分で作って新しいタレから始めれば」
「それでは、我らのタレがバウマイスター伯爵のタレに後れを取ってしまうではないか」
「大丈夫ですよ。ミズホ伯国はウナギが名物なのですから、すぐにタレが追い付きますって」
「売ってくれ! そのタレが欲しいんだ! 半分でいいから!」
「半分もなくなったら、旨みが薄まるし」
「私が今日提供したウナギの旨みが半分を占めているから、結局は同じではないか!」
「半分なわけないでしょう! ウナギの有名店が毎日ウナギを焼いて漬けた貴重なタレを、俺だから譲ってもらえたのに!」
「四分の一でいいから!」
ウナギの蒲焼の試食は大好評のうちに終わったが、そのあと俺とミズホ上級伯爵との間で、タレを巡って壮絶な駆け引きが展開された。
結局彼の熱意に負けてタレの四分の一を譲ることになり、このタレがミズホ伯国中に生まれるウナギ屋のタレの基本となるのであった。
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