第200話 ついに出陣(その2)

「大きな馬ですね」


「フィリップ公爵領特産の『ドサンコ馬』と言います。あまりスピードは出ませんけど、パワーと持久力は素晴らしいですし、粗食にも耐えます」


「(ドサンコ馬ねぇ……この世界のネーミングは、たまに意味不明だよな)」




 フィリップ公爵領に到着した翌朝。

 俺たちを含む軍勢は、ソビット大荒地を目指して北方街道を南下していた。

 兵力構成は、フィリップ公爵家諸侯軍と、帝都の異変を察知して事前に兵力を整えていた貴族数家の諸侯軍で合計五千名ほど。

 軍を動かすのに必要な軍需物資は、すべて俺と、フィリップ公爵家や他の貴族家がお抱えにしている魔法使いたちが魔法の袋で運んでいる。

 馬や馬車も大量に動員して移動速度を早める工夫はしているが、どうしても徒歩の兵が半数以上も出るので、彼らは武器と防寒着だけ着せて消耗しないように工夫していた。

 重たい防具は、すべて馬車か魔法の袋の中である。

 もし敵軍が前に塞がれば、俺たちが魔法で排除する予定になっている。

 多分、敵襲はないと思うけど。


「なるべく急いでも二日……。いや三日か?」


 俺たちは馬を与えられているが、その馬は普通の馬よりも二周り以上は大きかった。

 ここまで大きいとなにか別の動物にも見えるが、この馬は『ドサンコ馬』といって北方固有の馬なのだそうだ。


「馬で移動とは言っても全力では駆け抜けられませんし、それならスピードの遅いこの馬でも問題ありませんから」


 重い荷駄を引いたり、農耕に使う馬らしいが、それでも人が歩くよりは早い。

 物資の輸送を行う馬車を引くために、テレーゼの兄たちが事前に準備していたのだ。


「テレーゼの兄たちはちゃんと仕事をしているのか。裏切りとかを模索すると思ったけど」


「あなた、さすがにそれは言いすぎかと……」


 テレーゼはあり得ないと言っていたが、俺は彼女の兄二人を疑っていた。

 ニュルンベルク公爵の調略で、『新しいフィリップ公爵は肌が白い方が望ましい。もしそうなれば、新しい帝国で重用しよう』などと誘って、裏切りを唆す可能性があったからだ。

 疑り深くなってしまうのは困りものだな。


「従兄たちはそこまでバカではないですよ。もし裏切りに成功しても、次にニュルンベルク公爵に粛清されるのは自分たちだと理解していますから」


 馬には俺とエリーゼで乗っており、併走する普通の馬には、一人で褐色の肌を持つ青年が乗っていた。

 この人物はテレーゼの従兄で分家の当主でもあり、この先遣隊の大将でもあるアルフォンスだ。

 まだ二十歳と若いのに大将に任じられたのは、もしテレーゼになにかあった場合、彼が次のフィリップ公爵家の当主に一番近いからであった。


「肌の色は重要なのですね」


「ええ、他の人たちから見れば下らないことなのかもしれませんがね。ラン族はそこに強く拘るので」


 帝国には屈したが、フィリップ公爵家の当主にはラン族の血が濃い者を。

 これは絶対であり、過去には強引に白い肌の者が当主になったこともあったが、決して上手くはいかなかったそうだ。


「それに、従兄たちのお子は共に褐色の肌ですしね」


 ニュルンベルク公爵を打倒すれば、確実に次の皇帝はテレーゼに回ってくるはず。

 皇位とフィリップ公爵位の兼任はできないルールなので、自然と自分の子供たちに公爵位が回ってくるという寸法だ。

 確かに、今裏切る理由はほぼないかな。


「なるほど、なら安心だ」


「でしょう?」


 決して崩れない信念や狂信的な忠誠心よりも、よっぽど信用できるというものだ。

 

「それにしても意外なのは、バウマイスター伯爵が馬に乗れないことですかね」


「貧乏騎士の八男に、乗馬訓練の時間なんてありませんよ」


 昔のバウマイスター騎士爵家には、軍馬が数頭しかいかなった。 

 それも、他の貴族みたいに専用の軍馬を購入して維持しているわけではない。

 農耕馬の中から程度のいい個体を選んで、それに馬具を載せて軍馬らしく見せているだけであった。

 外を知らない領民たちには、その程度でも綺麗な軍馬に見えてしまうのだ。

 実際にブライヒレーダー辺境伯家が所持している軍馬と比べると、物悲しくなるほどの駄馬に見えてしまう。

 ところがそんな一見駄馬でも、過去の魔の森遠征では役に立ったらしい。

 農耕馬ゆえに粗食に耐え、スピードは遅くても持久力は上回っていたからだ。

 遠征軍に生存者がいたのも、怪我人をこの馬に乗せてバウマイスター騎士爵領を目指し、途中で食料が尽きた時も、この馬を潰して食料にしていたから。

 ただ、人間と同じく馬もほとんど魔の森遠征から戻って来れず、バウマイスター騎士爵領は、馬不足にも大いに悩むことになった。

 俺の子供時代、馬不足のせいで乗馬訓練など一秒もしたことがないというのが実情だったのだ。

 ただ俺の場合、『飛翔』と『瞬間移動』があれば馬など必要もないという現実もある。

 前世でも、学校の遠足で行った遊園地と牧場がくっ付いたようなレジャー施設で乗馬体験をしたくらい。

 よくある、馬に乗って決められたコースを係りの人に引いてもらい、一周するアレである。

 その程度の経験で、いきなりこんな大きな馬に乗れるはずがない。

 そんなわけで、今はエリーゼが馬を操っており、俺は彼女の後ろでしがみ付いているだけだ。

 馬にも乗れない貴族。

 これが、俺バウマイスター伯爵なのだ。


「奥方殿は、馬の扱いが上手ですね」


「この馬は大人しいですから。少し教わっただけの私でも大丈夫です」


 謙遜でそう言っているが、エリーゼは乗馬も上手であった。

 教会の奉仕活動で王都近辺に出かけることが多く、必要なので覚えたそうだ。

 それで覚えられるのだから、やはりエリーゼは完璧超人なのであろう。

 あと心なしか、他のドサンコ馬に比べると大人しいような……。

 馬も、美少女が乗ると大人しくなるようだ。


「ちょうどいい機会だから、エリーゼに乗馬を教えてもらいますよ」


「そうですね。上級貴族に乗馬は必須ですから」


 移動魔法や魔導飛行船はそう簡単に使えるものでもなく、普段の移動では馬を使うのが一番便利だ。

 ただ、馬は維持と調教でお金がかかる。

 特に軍馬になるような馬ではその費用が跳ね上がり、いい馬に乗れるというのは上級貴族の証でもあった。

 あの自他共に認める運動神経がマイナスのブライヒレーダー辺境伯でさえ、ちゃんと訓練をして馬に乗れるのだから。


「男的には、エリーゼに引っ付いて馬に乗っていると素晴らしい」


 言うまでもなく、主にお尻の感触がである。


「その気持ちはよくわかりますが、バウマイスター伯爵が乗馬を覚えて奥方殿を後ろに乗せれば、もっと素晴らしいと思いますよ」


 なるほど、確かにアルフォンスの言うとおりである。

 俺が前に乗れば、エリーゼの胸の感触を味わえるのだから。

 国と民族は違えど、彼は男のロマンを理解する素晴らしい男であった。


「アルフォンス、君は素晴らしい男だな」


「バウマイスター伯爵……いやヴェンデリンよ。君もそれを理解する男であったか」


 俺とアルフォンスは、馬上から熱い握手をする。

 まさに終生の友を得た思いであった。

 

「あなたは、そういうことも嬉しいのですか? 私たちは夫婦なのに……」


 エリーゼが恥ずかしそうに俺に聞いてくる。

 すでにお互いの裸を見合っている夫婦なのに、服の上からのお尻や胸の感触のなにが嬉しいのだろうかと。


「エリーゼ。それはそれ、これはこれなんだ」


「はあ……」


 残念ながら、男と女の間にある永遠の壁なのかもしれないな。

 エリーゼには理解できなかったようで首を傾げていたが、その様子もかなり可愛かった。


「実は、私の奥さんたちも理解できていないからなぁ」


 アルフォンスはテレーゼの従兄で分家の当主なので、すでに奥さんが三人もいるそうだ。

 先遣隊の総大将に任命されるほどなので、奥さんが三人いても不思議ではないな。


「この前の休日に、俺は夢を叶えた」


「夢とな?」


「そうだ。『夢の三人裸エプロン作戦』をな……」


 大身である分家の奥さんなのに、奥さんたちに裸エプロンで料理をさせてそれを後ろからニヤニヤと見ていたそうだ。

 恐ろしいまでの俗物ぶりであったが、同時に俺は大切なことを忘れていたのに気がついた。


「しまった! 俺はまだやっていない!」


「五人の奥さんでやれば、もっと絶景なのに勿体ないぞ」


「確かにそうだ! 今度やってみよう」


「必ずやった方がいい」


 アルフォンスも後押ししてくれたので、俺は絶対にやろうと心に決める。


「それでこそ、我が心の友だ!」


「あなた、裸でエプロンを着けるとなにかいいことでもあるのですか?」


 よくわからないといった表情で、エリーゼが俺に聞いてくる。

 彼女は教育で基本的な男女のことは知っているが、ブライヒレーダー辺境伯から妙な本を借りて耳年増なイーナに比べると、その手の知識は皆無であった。


「子供が生まれやすくなる」


「知りませんでした。そんな方法で子供が生まれやすくなるとは」


 別に、俺は嘘はついていない。

 真面目なエリーゼは、それならば協力しないとと心に決めたようだ。


「ヴェル、あんたねぇ……」


 その耳年増なイーナはなにか言いたそうであったが、今は乗馬を覚えようと懸命でその余裕がないようだ。 

 なにしろ、うちのパーティーには上級貴族出身者が少ないので、乗馬ができるメンバーが少ない。

 エリーゼに、エドガー軍務卿の援助で乗馬を覚えたヴィルマに、あとは意外なところでカタリーナも馬に乗れる。

 彼女の場合は、貴族は馬に乗れて当たり前だと思っていて、密かに練習をしていたようだが。

 乗馬の練習でもボッチ。

 彼女は、実は俺を上回るボッチの達人なのかもしれない。


「ヴェンデリンさん、今なにか失礼なことを考えていませんでしたか?」


「そんなわけないじゃないか。俺はただ、カタリーナの華麗な乗馬姿に見惚れていただけだよ」


「最低限の嗜みですし……。恥ずかしいではないですか、ヴェンデリンさん」


 どうやら、上手く誤魔化せたようだ。

 カタリーナは、俺の御世辞に顔を赤く染めている。

 実際に、馬に乗っている姿はとても似合っているので問題はないだろう。

 俺は嘘はついていない。


「ヴィルマ、イーナはどう?」


「運動神経がいいから、すぐに覚えると思う」


 間違いなく、俺が一番乗馬を覚えるのに時間がかかるはずだ。

 俺の運動神経は、どう贔屓目に評価しても普通であった。

 

「おおっ! カタリーナの胸が背中に当たる! ヴェル、交代すると天国だよ」


「ルイーゼさん! 恥ずかしいではないですか!」


 ルイーゼに乗馬を教えているカタリーナは、彼女のオヤジ発言に対し顔を真っ赤にして文句を言った。

 しかし、彼女に先を越されるとはなぁ……。

 

「ヴェンデリンの奥方にも、男のロマンが理解できる者がいたのか」


「アルフォンスさんは、余計なことを言わないでください!」


 カタリーナは、ルイーゼを同志認定したアルフォンスにも文句を言う。

 

「まったく……。心配になる大将ですわね……」


 カタリーナはそう言うが、俺はアルフォンスの大将の資質にまったく疑問を抱いていない。 

 常にバカみたいなことを言っているが、先遣隊はよく纏まっているからだ。


『アルフォンスはの。普段はバカみたいなことばかり言っておるが、なぜかみながよく纏まるのじゃ』


 妙なカリスマがあって、部下が喜んで働く。

 実際に、先遣隊はそういう状態になっている。

 だからこそテレーゼも、彼を先遣隊の総大将に任命したのであろう。


「しかし、あそこは見苦しいね……」


 アルフォンスの視線は、一頭のドサンコ馬に乗ったブランタークさんと導師に向いていた。


「確かに……ムサいな……」


 前でブランタークさんが手綱を握り、その後ろに導師が乗っているのだが、見ていて心に響くなにかはない。

 この組み合わせなのは、一応年の功で馬には乗れるが通常の軍馬は厳しいブランタークさんと、体が大き過ぎて普通の馬だと潰れてしまう導師だからだ。


「ドサンコ馬でも、導師だと辛いのかな?」

 

 実質三人分の重さなので、二人の乗る馬のスピードは少し遅めであった。

 彼らを担当している馬も、運が悪いと思っているかも。


「お前ら、言いたい放題だな……」


「ブランターク殿の背中には、アームストロング導師のただ硬い胸板が。私には無理です。あり得ません。交代を強く要求するでしょう」


「噂通りだな。アルフォンス殿はよ」


 ただ、アルフォンスの言うことはもっともである。

 導師の100パーセント筋肉な胸板の感触など、特殊な趣味でもなければ嬉しくないのだから。


「某とて、我慢しているのである」


「言ってくれるな、導師よ」


 しかも、何気に導師も酷いことを言う。

 自分は普通の馬に乗れなくて、ブランタークさんに運んでもらっているのに……。


「でも、導師が馬に乗れないのは意外でした」


 アームストロング伯爵家は代々軍人の家系なので、乗馬の訓練くらいは普通にすると思っていた。


「アームストロング伯爵家の者は代々体が大きいのである! 馬体の大きな馬を独自に育成、調教してはいるのだが……」


 実家にいた頃は乗馬の訓練ができたが、家を出ると大きな馬を手に入れて維持するのが難しくなった。

 導師ならそれが可能な資金力があると思うが、彼は魔法使いである。

 無理に馬に乗る必要もなく、乗れないというよりは久しぶりなので無理をしてない、といった方が正解なのかもしれない。

 前世的にいうと、ペーパードライバーの感覚なのであろう。


「この馬ならば、あとで購入してもよさそうである」


「ヒヒン……」


「うむ? 馬が鳴いたのである!」


 導師は、自分が普通に乗れる馬を見つけて嬉しそうであった。

 ただし馬の方は、心なしか嫌そうな表情をしているような……。

 エリーゼを乗せるか、導師を乗せるか。 

 馬も、前者を選びそうな気配だ。

 

「ドサンコ馬は、輸出禁止品目ですけどね」


 荷駄や馬車を引くのにこれほどいい馬はないので、フィリップ公爵領から外に出すのを禁止されているらしい。

 唯一の例外として、去勢された雄馬は帝国内で使われているそうであったが。


「実際に、私たちが乗っているドサンコ馬も去勢された雄馬ですしね」


 アルフォンスの言うとおりで、確かにすべてのドサンコ馬には去勢された跡があった。

 軍馬として徴用する個体は、戦場での鹵獲を考慮してすべて去勢馬にするのが決まりだそうだ。


「その前に、ドサンコ馬は暑い場所では生きていけないのですよ」


 体が大きくて熱が篭もりやすいので、せいぜいで王国北部が生存限界点であろうとアルフォンスが説明した。


「残念である。しかし……」


 導師は一つ気になっていることがあるようだ。

 不意に視線を他に向けると、その先には同じドサンコ馬に乗るエルとハルカの姿があった。


「うちも貧乏貴族だったからなぁ……」


「あまり無理に手綱は引かないでくださいね」


「馬に任せる感じで?」


「そうですね」


 俺と同じくエルも貧乏貴族の五男なので、彼にも乗馬の経験がほとんどなかった。

 ハルカも条件は同じなのだが、彼女は抜刀隊に抜擢される腕前なのでそこで訓練を受けている。

 そこでエルは、彼女と一緒の馬に乗って乗馬の訓練を受けていた。


「お上手ですね」


「いや、まだ一抹の不安があるなぁ……」


「そこは慣れですから」


 真面目なハルカはエルに丁寧に乗馬を教えており、彼も彼女の指導を真面目に受けていた。

 だが、俺は気がついている。

 それは導師もブランタークさんもアルフォンスも同様で、指導が熱心なあまりに後ろからエルの背中に体を押し付けているハルカに、エルが心の中で歓喜している事実をだ。


「(主に胸だな……)」


「(であろうな)」


「(他にあるか)」


「(押し付け設定だね。ハルカ君はポイント高いなぁ……)」


 男の考えることにさほどの違いなどなく、俺たちは同時にバカみたいなことを小声で呟いた。

 そんなバカ話ができるくらい行軍は順調で、それから二日間、俺たちは乗馬の訓練を続けながら、無事にソビット大荒地へと到着するのであった。

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