第199話 ついに出陣(その1)
ミズホ伯国を出た馬車は、無事にフィリップ公爵領内へと入る。
大陸の最北にあるフィリップ公爵領は現在真冬で寒く、広大な畑には雪も積もっていたが、馬車の通行を妨げるほどではないのが救いであろうか。
順調に、領主館がある中心都市フィーリン近郊へと馬車は進んでいた。
「広い畑ですね」
「北方にあっても、フィリップ公爵領は大農業地帯じゃからの」
小麦、大麦、ライ麦、ジャガイモが主要栽培作物で、砂糖もテンサイから精製しているそうだ。
二毛作なのであろう。
畑には真冬なのにも関わらず、作物が植わっている。
「もっとも、南方のサトウキビに比べると効率が落ちるのでな。広大な畑で大規模に栽培しておる」
地球ほど品種改良が進んでいないだろうから、糖分の含有量が低く、沢山栽培しないと大量の砂糖を得られないのであろう。
それでも、輸送距離の関係で輸入するよりも安くつくので、テンサイからの製糖はフィリップ公爵領の重要産業になっているそうだ。
「あとは、漁業と牧畜なども盛んじゃ」
「牧畜をしているのですか?」
「土地は大量にあるのじゃが、寒いのでな」
古から、ラン族たちによる弛まぬ努力によって、フィリップ公爵領にはあまり魔物の領域が存在しない。
だから、農業や畜産が盛んに行えるわけだ。
フィリップ公爵領以外では、牧畜で得た牛、豚、鳥の肉は高級品であった。
ここには魔物がいない土地が大量にあるために農業が盛んで、農業にも向かいない極寒の北部では、『毛豚』という大型の豚を放牧しているそうだ。
「イノシシが、少し豚に近づいたような家畜じゃの。テンサイの絞りカスも食べさせて育てる」
大型で寒さに強く、繁殖力も旺盛で、なんでも食べるので盛んに放牧されているそうだ。
フィリップ公爵領では、『毛豚』の肉が庶民にも盛んに食べられているとテレーゼは説明した。
これを原料にベーコンやソーセージを加工して保存性を高め、これも重要な輸出品になっているそうだ。
「あとは、荷馬車用や軍馬の繁殖も盛んじゃの」
「軍事も経済も精強であると?」
「一応、選帝侯の中では一番力を持っていると言われておる」
他にも領内には鉱山が多く、工業も発展しているらしい。
確かに、次第に見えてくるフィーリンは、ブライヒブルクにも負けない大都市であった。
「経済規模と兵力でいえば、ニュルンベルク公爵領よりも上であるからの。そこまで差があるわけでもないが」
帝国に臣従して支配層の混血は進んでいるが、北方の覇者であったラン族の独立心は強い。
支配者であるはずのフィリップ公爵家の当主に褐色の肌色が求められることから見ても、帝国北部はかなり特殊な地域のようだ。
「ミズホ伯国もあるからの」
テレーゼが笑いながら説明している間に馬車はフィーリンの町に入り、領主館へと向かう。
城塞のような館へと到着すると、中から二十代後半と二十代半ばくらいの若い男性二人が飛び出してくる。
彼らの肌の色は白かった。
「ご無事でしたか、お館様」
「無事のご帰還で、我らは安堵いたしましたぞ」
「悪運の賜物じゃの。それよりも、客人がおるのでな」
若い男性二人の差配で俺たちは部屋を宛がわれて落ち着くが、一緒にいるテレーゼがそっと教えてくれた。
「我が兄君たちじゃよ」
「それは複雑ですね」
「そうさな、腹の中ではなにを考えておるのか? 妾が無事に帰還して、内心ではガッカリしているやもしれぬ。そうは思わぬか? ヴェンデリン」
「……テレーゼ様のご帰還を、100パーセント喜んでいるとは思いませんけど……」
「こんな関係が十年も続けば、さすがに慣れるというものよ」
彼らは見た感じ能力不足に見えないのに、肌の色が白いという理由だけで、フィリップ公爵位を継げなかった。
テレーゼに対し、色々と胸に仕舞っている感情もあるのであろう。
「某が考えたのは、ここに到着した直後、テレーゼ様が兄たちの反乱によって捕らわれるか殺される可能性である」
体を暖めるために貰ったアクアビットのお湯割りをチビチビと飲みながら、導師が物騒なことを言い始めた。
ただ、今もしそんなことを企んでも、すぐに導師によって防がれてしまうのであろうが。
「あの兄たちも、そこまでバカじゃないだろう。もし無謀な野心に逆らえなかったとしても、すぐに導師や伯爵様に殺されて終わりだろうな」
ブランタークさんも、俺と同じ考えであった。
この館に、大人数は入れない。
魔法使いでもないのに少人数で導師に戦いを挑むなど、ただの無謀の極みだし、それは彼らも理解しているはず。
「とはいえ、現実のところは妾に対する謀反は難しいのが現状でな。妾を軟禁して傀儡にする……。それができると思えばわからぬが」
「テレーゼ様の兄たちの肌が白いからですか?」
「そういうことじゃ」
帝国に支配されてしまったラン族にとって、肌が褐色の当主は絶対に譲れない条件らしい。
そのため、もしテレーゼの兄たちがクーデターを起こしても、誰も付いてこないのだそうだ。
「兄たちの子供たちは、肌が褐色であるがの。妾を殺し、甥たちをお飾りの当主に仕立てる。それが傀儡なのは、誰の目から見てもあきらかなので厳しいかの」
さらにフィリップ公爵家の当主は、反クーデター軍の総大将としてニュルンベルク公爵に対抗していかなければならない。
いくらテレーゼの兄たちが実務を握るとはいえ、子供が総大将では誰もついてこないはずだと、テレーゼは俺たちに説明した。
「でも、ニュルンベルク公爵が調略を仕掛けてくる可能性はありますよね?」
「すべてを防げぬだろうが、そこはお互い様であろう?」
テレーゼはこの部屋に来る前に、兄たちにニュンベルク公爵を倒し帝都を奪還するための諸侯軍の召集と、北部やその他地域の諸侯たちへの通告を命令している。
『ニュルンベルク公爵に組して反乱に参加するか、それを打倒せんとする我らフィリップ公爵家に付くか』と。
かなり過激な檄文を添えて送ったらしい。
「『ミズホ伯国はこちらに付いた』という情報と共にの」
帝国の統一過程で、多くの民族が家臣化してその下に付いている。
その中で唯一、半独立国の形態を維持しているミズホ伯国は他民族である貴族やその領民たちから畏怖の目で見られていた。
しかも、彼らが防衛以外で軍を出すのは初めてであり、その伝説的な強さと相まって、多くの味方が得られるであろうとテレーゼは考えているようだ。
「他民族を抱える貴族たちは、ニュルンベルク公爵の動きに戦々恐々であろうからの。ほとんど参加すると見てよいはずじゃ」
「そんなに異民族がいるのですか?」
バルデッシュにはどう見てもアラブ系や中華系の建物などもあったが、見てすぐにわかるのは肌が褐色のラン族くらいであった。
ミズホ人は、ミズホ服を着て髪と瞳が黒いからわかるのであって、外見は西洋人と日本人のダブルみたいなので、実はそこまで日本人らしくないという。
「ここ千年ほどで混血と混在が進んでの。大半の民族はそこまで外見に差があるわけでもない。言語も、古代魔法文明時代から大陸で統一が進んでおる」
一応、帝国がまだアーカート王国を名乗っていた頃から中央地域で生活している民族をアーカート族と呼び、これを主要民族としていると聞いた。
ニュルンベルク公爵は、彼らを中心に帝国の中央集権を進めようとクーデターを起こしたのだと。
「ところが、このアーカート族の定義も曖昧での」
ただ中央地域にいる人たちといった感じで、この辺は中国の漢民族に扱いが似ているのかもしれない。
生物学的に、アーカート族が存在するわけでもないのだ。
「要するに中央集権を進めるけど、見てすぐにわかる邪魔なラン族とミズホ族を先に屈服させるぞと?」
「潰して隷属化に置けば、東、西部の連中も恐れて言うことを聞くであろうからの。脅しのための見せしめじゃな」
ラン族とミズホ族は、わかりやすい敵だから潰す。
強い彼らを屈服させてしまえば、他の民族も簡単に靡くであろうとニュルンベルク公爵は考えているようだ。
「それで、これからのスケジュールはどうなるのですか?」
「明日にでも先遣隊を出す予定じゃ」
兵力数では不利になるはずなので迎撃戦を行うが、敵を領内に入れて領地が荒れるのを防ぎたいとテレーゼは語る。
「北方諸侯の離反を防ぐためにも、彼らの所領内での戦闘もご法度じゃの。そこでじゃ……」
テレーゼは、一枚の地図をテーブルの上に広げる。
帝国の詳細な地図で、ちょうど中央直轄地と北部領域の中間点に赤い丸が描かれていた。
「『ソビット大荒地』ですか……」
フィリップ公爵領に続く北方街道沿いでしか見ていないが、『ソビット大荒地』とはその名の通りに広大な荒地である。
帝国直轄地になっているが、北方領域との境目にあり、土地は痩せているし、水は井戸を掘らないと確保できず、昔の鉱山や鉱床が廃鉱として点在していたりと、開発が後回しにされている場所であった。
「ここに拠点を築いて、ここでニュルンベルク公爵の北上を防ぐ」
「短期決戦ではないのであるか?」
「然り」
導師の問いに、テレーゼが頷く。
「これは内乱なので、できれば短期決戦が好ましいがの……」
南部を完全に掌握し、今は中央部の平定を行っているニュルンベルク公爵よりも、いまだ北方諸侯すべてを纏めているわけではないテレーゼの方がどう考えても不利であり、そう簡単には帝都に兵を進められないわけだ。
「ソビット大荒地でニュルンベルク公爵の攻勢を防ぎつつ大打撃を与えた方が、彼の地盤に皹を入れられるからの」
忠誠心が強い、クーデターに参加した帝国軍と南部諸侯軍に損害を与えられるし、そうなればやむを得ずニュルンベルク公爵に従っている諸侯に動揺を与えられる。
なにより、兵数が少ない方が攻勢をかけるのは危険であった。
「ニュルンベルク公爵が帝都を抑えているのは強みではあるが、逆に弱みでもあるのである!」
特に、あの通信と移動の魔法と魔道具の稼動を阻害する装置がよくなかった。
交通と流通にダメージを与えるので、むしろ帝都を占領しているニュルンベルク公爵の方がダメージを受けるはず。
帝都の住民たちの支持も落ちていく一方だからだ。
「本当に、ろくなことをしない公爵様だな」
ブランタークさんはそう言うが、実はこの装置のせいで王国は内乱に関与できない。
王国北部にもこの装置の効果が及んでいるはずなので、内乱に乗じて兵を出すなど不可能なのだ。
ギガントの断裂に臨時で渡した橋なりロープウェイで兵を送ったとしても、現地の帝国軍や貴族たちは侵略者に対し徹底的に抵抗するであろう。
たとえ占領できたとしても、今度はその土地の統治が必要である。
しばらくは持ち出しが続くが、それを運ぶのに魔導飛行船が使えない。
補給に重大な欠陥を抱えて勝てるほど、戦争は甘くはないのだから。
「下手に王国が内乱に手を出すと、逆に王国が消耗するでしょうね」
喜ぶのは、とにかく戦功を挙げたい軍人や、軍に物資が売れればいいと考えている一部商人だけであろう。
確かに彼らは得をするのかもしれないが、一気に王国の財政が傾きそうだな。
「内乱の長期化は帝国を疲弊させるが、現状で短期決戦は不可能なのじゃ。無理をして滅亡する気は妾もないからの。もっとも、底意地の悪い妾なので負けたら諦めて亡命でもするであろう」
別に、テレーゼの考えは間違ってはいない。
潔く滅びるなど、歴史物語の記述では感動するかもしれないが、現実ではただのバカだからだ。
他国に亡命してでも次の機会を待つ。
これが至極当たり前の権力者であろう。
「もしそうなると妾は酷く疲れているであろうから、ヴェンデリンの側室にでもなって、あとは子供に任せるかの」
将来王国が北進する際、その子か孫か子孫を利用してくれればフィリップ家は再興されるかもしれない。
あくまでも可能性であるが、その可能性のために貴族は家を繋ぐのである。
「テレーゼ様は相変わらずだねぇ……」
ルイーゼが呆れているが、今はそんな話よりも重要なことがあった。
「それで、俺たちの仕事は?」
「無論ソビット大荒地の確保と、持久戦に備えた恒久野戦陣地の構築よな。土木冒険者と呼ばれているヴェンデリンに相応しい任務じゃ」
「そのあだ名、帝国にまで知られているのかよ」
「有名だぞ。帝国軍の工作部隊がえらく評価しておったぞ」
「そうですか……。まあ頑張りますよ」
今後の方針が決まったので、明日には急ぎ出発しなければいけない。
『飛翔』や『瞬間移動』が使えないので、なにをするにも時間がかかるのだから。
俺たちがフィーリンに到着する前から、事前に知らせを受けていたテレーゼの兄たちが諸侯軍招集を始めていたので、翌日には無事に軍勢を発進させることができた。
さあ、いよいよ内乱のスタートである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます