第194話 ミズホ上級伯爵(その2)

「お館様、クーデターは成功しましたな」


「完璧とは言えないが、概ね成功と見ていいだろう」




 ついに我らのお館様が、帝都バルデッシュの皇宮内にある至尊の玉座に座った。

 皇帝選挙に落選した時には随分と落ち込んだものだが、今こうして若様……いや、幼き頃より仕えていたお館様が実際に玉座に座る姿を見ると、感動も一入というもの。

 我らの主君マックス・エアハルト・アルミン・フォン・ニュルンベルク様は、アーカート神聖帝国の選帝侯から、ついに皇帝へと駆け上がったのだ。


「これも君のおかげだよ」


 クーデターは、精鋭たるニュルンベルク公爵家諸侯軍により決行されたが、当然それだけでは成功の目がない。

 そこで、帝国軍で同じ考えを持つ将校たちとも密かに連絡を取り合ってクーデターへの参加を呼びかけ、彼らも拠点の制圧などに協力していた。

 思っていた以上の帝国軍将校や兵たちがクーデターに参加し、これはお館様の考えが正しかった証拠であろう。

 なかなか変わらぬ、怠惰な帝国の政治を嫌がっていた者が多い証拠なのだから。

 そんな政治に加担した貴族の捕縛や、抵抗すれば殺害も厭わなかった。

 これも、新しい帝国のためだ。


「小物を殺す必要などない。適当に餌を与えて軟禁しておけ」


「すぐにこちらにつくでしょうからな」


 こちらが領主とその家族を押さえた以上、その領地はなにもできない。

 通信を妨害してるので、当主から命令がなければ誰も動けず、完全に機能不全に陥っているはずだからだ。

 じきに、そういう領地の占領も行わなければな。


「その代わりに、すべての選帝侯には死んでいただきましたが……」


「選帝侯は、新しい一つの帝国のために邪魔だ」


 捕らえた選帝侯の方々には死んでいただいたが、この事実はまだ世間には隠している。

 お館様は、中央集権で皇帝の力が強いアーカート神聖帝国を望んでいる。

 そこに選帝侯など不要だが、今すぐ彼らの領地を占領できない以上、当主を人質に取っている形にしてその動きを封じていた方が楽だ。


「まずは第一段階として、バルデッシュ周辺領域の平定が最優先だ」


 南部の貴族たちは、ほぼ全員がニュルンベルク公爵家に靡いている。

 元々寄親であるし、お館様が新皇帝になれば、領地や役職等で優遇してもらえると思っているからだ。

 欲のある人間は利用しやすいというわけだ。


「捕らえた貴族たちの中にも、すでにこちらに靡いている者たちがいる。連中は領地に戻し、兵を整えるように命令しておけ」


「畏まりました」


 南部と中央直轄地を制圧する第一段階が終わったら、急ぎ倒さなければいけない相手がいる。

 お館様の視線は、掲げられた地図の北方に向いていた。


「テレーゼ、上手く逃げられたか」


 唯一選帝侯で逃してしまった、フィリップ公爵その人であった。

 お館様が幼少の頃より仲良くしていたお方だが、そんな理由で新しい帝国の邪魔になる彼女を生かすはずもない。

 さすがは、お館様といったところであろう。


「あの女のことだ。北方諸侯を纏めて逆に攻めてこようぞ」


「ミズホ伯国もですか?」


「あの国は、俺の考えをよく知っている。俺が兵を出すことなど百も承知だ。ならば、テレーゼと組んで俺を倒そうとするはずだ」


「強敵ですな」


「纏めて潰せば手間が省けるし、後々も都合がいい」


 お館様からすれば、今までの皇帝がミズホ伯国に甘かったのだ。

 中途半端に兵を出して何度も負けたからといって、あの国の事実上の独立を認めているのだから。

 おかげで帝国では、彼らの経済力と技術力によって生粋の臣民たちが貧困に喘いでいる。

 ミズホ人を討ち、その技術や資産を奪って彼らに報いてこそ、真の一つの纏まった帝国が誕生する。

 いや、生まれ変わるのだと。


「しかしながら、今の兵力ですと討伐に不安が……。西部と東部の鎮圧を進めて、その兵力も活用すべきでは?」


「勿論それは試みるが、武力での平定はしない」


 当主を人質に取っている家には、兵を出してフィリップ公爵とミズホ伯国を討つのを助ければ解放すると伝える。

 これで兵を出す貴族だけで十分であると。


「下手に平定を行うと、一番信頼できるニュルンベルク公爵家諸侯軍と帝国軍に犠牲が出るからな。精鋭の数が一番数が多いうちに、テレーゼとミズホ伯国を討つ!」


 現状で我らに挑んでくるであろう人物は、フィリップ公爵一人だけ。

 すでに皇帝は捕らえているから、こいつはもう力などないに等しいのだから。

 逆に言えば、彼女さえ討ってしまえば、事実上の帝国掌握は成ったに等しいとも言える。


「無理に西部と東部を平定して大量の兵を抱えても、テレーゼが健在ならば裏切ってしまう可能性もある。なあに、我が軍は精鋭揃いである。確実に討てるはずだ」


「ですが、一つ気になることが……」


「バウマイスター伯爵か……」


 お館様は、バウマイスター伯爵をとても警戒していた。

 将来、アーカート神聖帝国に対して確実に害を成す存在であろうと。

 現に今も、両国間の空軍戦力比や経済格差をつけた元凶として知られている。

 もしヘルムート王国を裏切って自分のために働くのであれば受け入れ、駄目なら殺せと命じたのだが、現場で齟齬が発生したかもしれない。


「あの四兄弟は、本当にバウマイスター伯爵を説得したのか?」


「それがわからないのです」


 現実問題として、迎賓館を担当した部隊は全滅であった。

 すべての兵士と騎士たちは、首を圧し折られ、体を斬り割かれ、頭が吹き飛び、腹に穴が開きと、現場は凄惨な状態になっていたと報告されている。

 単純に考えれば、こちらの説得を聞かないばかりか、王国を裏切れと言われたことに腹を立てた……と考えるのが一番正しいのか。


「あの四兄弟は、駅馬車の待機場で殺されていたそうだな。本当に迎賓館でバウマイスター伯爵たちを説得したのか?」


「わかりません」


 なぜか四兄弟は迎賓館から彼らを逃がしてしまい、テレーゼを連れたバウマイスター伯爵たちにより、駅馬車の待機場で殺されていた。

 一緒にいた兵士たちと共に死体はほぼ残っておらず、焼け焦げて炭化したローブの切れ端のみが、唯一彼らの死の証拠というわけだ。


「期待の若手魔法使いたちではなかったのか?」


 魔法使いではないお館様に、魔法使いの強さを正確に判別する方法はない。

 ゆえに、これまでの評判や、魔法使いによる披露会において実演された魔法で判別するしかないのだ。

 そもそも、四兄弟は魔力量でいえば帝国一と評判であったはず。

 確かにバウマイスター伯爵には竜殺しの功績があるが、それは機会の問題で、四兄弟にも竜退治を命じればそれが可能であったと貴族たちは思っていた。

 お館様も、そのように考えていたはず。


「アームストロング子爵の強さは昔からだ。リングスタットも高名な魔法使いであるし、竜殺しのバウマイスター伯爵と『暴風』もいたな。だが、その四人とあの四兄弟にそこまで差があるのか?」


「さすがのバウマイスター伯爵たちも、あの四兄弟を相手に全員が無事とは思えませんが……」


 もしバウマイスター伯爵たちの誰かが死んでいたとしても、それを知る術は今のところなかった。

 私もかなり前から、ヘルムート王国で有名な魔法使いたちを調べてはいたが、平均すれば魔法使いの数と質に帝国とそこまでの差はないはず。

 確かにバウマイスター伯爵たちは優れているが、帝国にもそれに負けない優秀な魔法使いが複数存在しており、一方的に負けることなどあり得ないのだから。


「確かに、お前の言うとおりだな」


 それに、いくら魔法使いが多いからとはいえ、たかが十人以下のグループにそこまでの力があるわけではない。

 魔法使いの無双は魔法使いで止めればいいし、もしそれに成功すれば、あとは軍の数と質でケリがつく。


「上級以上の魔力を持つ魔法使いは民間にもそれなりの数おりますし、中級や初級の魔法使いを集めれば数で圧倒可能でしょう」


「ヘルムート王国の『最終兵器』と『竜殺し』は、多くの魔法使いたちに袋叩きにされ、この帝国で屍を晒すか」


 生粋の軍人であるお館様からすれば、個が集団に勝てるわけがないと理解している。 

 お館様がバウマイスター伯爵に危機感を抱くのは理解できるが、決して対処できいない敵ではないのだ。

 バウマイスター伯爵に対する、必要以上の警戒感を軽減させなければ。

 今一番の脅威は、テレーゼが率いるフィリップ公爵家諸侯軍と北方諸侯たちなのだから。 


「フィリップ公爵家諸侯軍は精強なれど、うちはそれを上回る。帝国軍の半数もこちらに付いており、南部諸侯たちや、早速こちらに付くと表明している貴族たちもいる」


 やはり、首都を押さえたのが強みになっている。

 東部や西部の大半の諸侯は迷っていたが、一部は積極的にお館様への支持を表明してくれたのだから。


「正統に選ばれただけの皇帝になど意味などない。皇帝とは、揺るがない意志と力によって臣民たちを導く存在なのだから」


 お館様は強者であり、だからクーデターに成功した。

 これからすぐに新皇帝『聖アーカート一世』を名乗り、自分の在位中にこの大陸を統べるという目標に向かって邁進する。

 私も頑張って補佐しなければ。


「今は帝国中央部の平定と、引き込めそうな貴族のリストアップが優先だ。それが終われば、いよいよフィリップ公爵とミズホ伯国の討伐である」


 それに成功すれば、あとは果実が木から落ちるのを待てばいい。

 どうせ、自分とフィリップ公爵以外の選帝侯はもうこの世にはいないのだから。


「テレーゼは女ではあるが侮れない。他のボンクラ選帝侯たちとはまるで違うのだ。気を引き締めて兵の準備を行うぞ」


「畏まりました」


 とはいえ、お館様の勝ちは揺るがないはず。

 一日でも早く統一された新アーカート神聖帝国を見てみたいものだ。


「ところで、例の装置ですが……」


「例の装置がなにか?」


 お館様もお気分が悪いと思うが、これも新しい帝国のためだ。

 これから帝都の統治もしなければいけないので、クーデターを成功させた通信と移動を制限する装置について聞いておかなければ。

 幸いお館様は、笑顔を浮かべながら私の質問に答えてくれた。


「アレは、しばらく作動させ続ける」


「しかしながら、商人たちから経済行動への支障が大きすぎると……」


「であろうな」


 だがそれ以上に、お館様のメリットの方が大きいわけか。

 貴族たちの通信手段を奪って孤立させ、迷わすことができ、装置を動かしている我らが圧倒的に優位に立てる。

 こちらはクーデターに備えて早馬や密偵による偵察、連絡手段を強化していたので、その分有利であった。

 経済活動においても、大商人たちの首根っこを抑えるのに有効であった。

 それに彼らはすぐに気がつくはずだ。

 魔導飛行船が動かないと荷の輸送費は上がるが、それは大商人たちを価格競争で優位に立たせることができる。

 欲深い彼らは、表面上は文句を言いながらお館様に従うはずだ。


「しかしながら、中小の商人たちからは苦情が出ましょう」


「帝国は大陸の統一を目指す。そのためには、大商人たちの協力が必要不可欠だ。中小の商人などは、潰れてもすぐに別の挑戦者が出る。浮かび上がった優秀な者だけを優遇すればいい。商売も競争なのだからな」


「確かに、仰せのとおりです」


「少なくとも、テレーゼとケリがつくまでは、あの装置は止めない。それに、あの装置が動いていた方がこちらが有利なのだから」


 お館様は、どうして例の装置を止めないのか?

 最大の理由は、やはり魔法使いの力を制限するためか。

 ニュルンベルク公爵領内にある巨大地下遺跡から発掘された、古代魔法文明時代の技術を用いた『魔法阻害装置』を使用し続ける最大のメリットは、戦場において魔法使いの力を落とすためであった。


「竜はなぜ強いか知っているか?」


「強力なブレスを吐くからですか?」


「それもあるが、空を飛べるからだ。人間は飛べないから、上からの攻撃に弱い」


 魔導飛行船の数が、軍事力として計算される要因でもあった。

 軍人であるお館様は、三次元で動く敵の脅威を十分に考慮していた。

 

「空を飛びながら魔法を放つ。好きな場所に一瞬で移動する。遠くの相手と一瞬で通信してしまう。これらを防いでしまえば、いくら強力な魔法を放つ魔法使いでも、ある程度対処が可能になる。戦場において機動力がない大魔法に対しては、味方の『魔法障壁』で十分に対処可能だ。飛べない魔法使いによる暗殺のリスクも低くなる。なにより、あの四兄弟が思った以上に使えなかった。こちらが有利である兵の質を生かして戦うためにも、あの装置は稼働させ続けるさ」


 そのために『魔法妨害装置』の修理と稼働に手間をかけ、帝国政府に隠れてあの男を匿い、装置が停止しないよう十分に配慮したのだから。

 

「今頃は、ヘルムート王国北部でも大騒ぎであろうよ。北方で魔導飛行船が動かなければ、王国の介入など簡単に排除可能だ。ギガントの断裂が我らの盾となるのだから。多少時間はかかろうが、俺の改革は必ずなる」


 お館様は、自分の計画に絶対の自信を持っているようだ。

 ならば我らは、それを全力で補佐しなければならない。

 すでに賽は投げられた。

 新しい帝国のため、我らニュルンベルク公爵家家臣団は労力を惜しまず働かなければ。




「それで状況は?」


「北部の国境寄りの地域で、魔導通信機及び、魔導飛行船が使えません」


「なんとも不思議な現象よの」




 どうやら、嵐が起こるようだ。

 余が王城で執務をしていると、次々とよくない知らせが舞い込んできた。

 そのよくない知らせのほとんどが北部からで、一昨日の晩から魔導通信機や『通信』の魔法が通じなくなり、魔力を充填したはずの魔導飛行船が動かなくなってしまったそうだ。

 ただ、中央、西部、東部、南部ではまったく異常がなかった。

 北部の帝国に近い地域のみで、そのような現象が発生しているという。 

 運よく、王国で管理している大型魔導飛行船は北部で稼働しておらず無事だったが、貴族たちが運用している小型魔導飛行船は突如浮力を失って墜落してしまったと報告が入った。

 集まった被害報告によると、合計で七隻が墜落しており、多くの積み荷を失い八十九名もの死者が出てしまったそうだ。

 あれだけの重量物が、上空数十メートルから数百メートルで突然制御を失って地面へと落下するのだ。

 普通の人間が生き残れるわけがない。

 加えて痛かったのは、二名の魔法使いの死亡報告である。

 彼らは『飛翔』の魔法で墜落する船からの脱出を試みたが、それが発動しないで墜落死してしまった。

 貴重な魔法使いが……しかも北部では、魔法使いも飛べなくなっていることが確認できた。


「通信系と移動系の魔法が妨害される範囲の特定は終わっています」


「原因はアーカート神聖帝国であろう?」


「その通りにございます」


 帝都バルデッシュを中心に、半径二千キロメートルほどが同様の障害を受けている可能性が高い。

 魔導ギルドからの報告だ。

 確かベッケンバウアーと名乗っておったが、少し変わり者である代わりに優秀な研究者のようだな。

 それにしても、こういう時に魔道具ギルドが役に立たぬとは……。

 不思議な現象の効果範囲の多くは帝国領と推定されるが、王国北部領域にもその影響が及んでおり、正直なところいい迷惑であった。


「被害を受けている地域へのフォローは確実に行うように」


「畏まりました」


 不幸にも墜落してしまった魔導飛行船以外には直接的な損害はないが、通信と魔導飛行船による交通と流通が潰されたのが痛い。

 これをこのまま放置すると、効果範囲内で経済の停滞が起こる可能性があった。

 なによりこの現象が、帝国による王国北部地域侵攻の前哨戦である可能性もあったのだから。


「馬車便を増やす必要があるの。あとは、書簡や馬による伝令の増員か……北部の王国軍に臨戦態勢を命じる必要もあるな」


 とはいえ、急に増やせるわけがないので、他の地域では魔導飛行船での輸送を増やして、余った馬車などを北部に割り振るしかない。

 ところがそれをすると、今度は現状でも高稼働率を誇る南部方面への交通と輸送に影響が出かねなかった。

 帝国が北部に手を出さないことが確認できるまで、王国軍の輸送、補給体制の用意も必要だろう。


「思うに、間接的な被害の方が多いの」


「アーカート神聖帝国の謀略でしょうか?」


「その可能性は高いが、妙ではあるな」

 

 国家に真の友人は存在しないが、アーカート神聖帝国も今はヘルムート王国との戦争など望んでいないはず。

 だからこそ、今回の親善訪問団には交易拡大交渉を担当する役人や貴族を送り込んだのだから。


「もっとも、交易担当者の大半はすでに帰国しておるがの」


 帝国の皇帝が亡くなり、新皇帝を決める選挙が始まるので、一部情報収集を担当する人員と、新皇帝の即位式典に参加する人員数十名を残し帰国させていた。


「残留組とも通信が途絶しました」


「通信が不可能だからの」


 通信が妨害されているエリアからされていないエリアへの通信も、またその逆も不可能になっておる。 

 おかげで、帝国でなにが起こっているのか詳細を掴めずに苦戦していた。

 

「大使館との通信も途絶しています」


 そこにも据え置き式の大型魔導通信機に、『通信』が使える魔法使いを置いていたが、これも連絡が取れていない。

 これは騒ぎが大きくなりそうだ。


「現地の連絡員とも通信は取れぬか?」


「これも駄目なようです」


 お互いに外国人は首都から外に出ることを禁止されているが、非合法なスパイや、彼らに組織された現地人によるスパイ網は当然存在している。

 彼らとの連絡も不可能となると、楽観はできないであろう。


「陛下は、導師やバウマイスター伯爵と連絡可能かと思いますが……」


「これであろう」


 余は家臣たちに、バウマイスター伯爵から献上された魔導携帯通信機を懐から取り出す。 

 高性能で重宝していたが、やはり彼らとは連絡がつかない。

 向こうが通信に出ないのではなくて、あきらかに通信自体が妨害されているのだ。


「彼らは大丈夫なのでしょうか?」


 王宮筆頭魔導師に、南部の経済発展の要であるバウマイスター伯爵との通信途絶。

 もし彼らになにかがあれば、王国南部は混乱状態に陥ってしまう。


「生きているかどうかと問われれば、ほぼ大丈夫であろう。それよりも、王国軍の警戒体制を戦時レベルに上げておく必要がある」


 余は、二人の安否をまるで心配していなかった。

 ブランタークもおるからの。

 彼らを殺せる者の存在が、どうしても想像できなかったのだ。


「戦時レベルですか?」


 いつ戦争になっても大丈夫なように、王国軍に準備をさせる。

 このレベルが発動されるのは、実に二百年ぶりであった。


「この状況を見るに、通信の阻害は人為的なものであろうな」


 ただ、いくら優れた魔法使いでも、これだけの範囲の移動と通信を阻害する魔法をずっとかけ続けるのは難しい。

 帝国の地下に古代魔法文明時代の遺産がないわけがなく、誰かが……今回の騒動の首謀者が、そういうものを発掘して修理し、使用した可能性がある。


「なんのためにです?」


「決まっておろう。反乱を成功させるためとしか思えん」


 新皇帝の即位直後だ。

 誰かが、新皇帝を不満に思って兵を挙げた。

 反乱者と帝国軍との兵力差などを考慮すると、味方同士の連携を絶つため、他者との通信や、速やかに援軍を送られないよう移動を制限し、帝都を一気に抑えようとしている。

 そんなところであろうが、詳細な情報が入ってこない以上、今はなにがあっても対応可能なように、いつでも王国軍を動かせるようにした方がいい。


「なるほど……今がチャンスなのですね」


「お主は、なにを言っておるのだ?」


「帝国の中枢が麻痺しているので、敵はろくな手も打てずに勝利が可能です」


 余は、おかしなことを言い始めた貴族にただ呆れるばかりであった。

 なにをどう考えると、帝国との全面戦争になると言うのだ。

 まがりなりにも貴族が、子供が喜んで読むような戦記物語と同じレベルとは……。


「どうしてわざわざ、火中の栗に手を出さねばならぬのだ?」


 これから、王国北部と帝国の様子が世間に知られれば、この手の戦争バカは増えるだろうと。

 およそ千年前から、二百年前の停戦時まで。

 実はヘルムート王国は、アーカート神聖帝国に劣勢であると言われていた。

 成立と統一が早かった帝国は、ギガントの断裂南部、今の王国北方領域を占領支配していたからだ。

 停戦直前、王国は苦労の末に帝国に対し優勢となり、ギガントの断裂南部はすべて王国の占領下となった。

 だが、人間とは欲望にキリがない生き物だ。

 帝国によるギガントの断裂南部占領時代を不名誉なこと考え、その報復として今度はギガントの断裂の北部領域を占領しようと言い始める貴族たちが増え、彼らは停戦交渉の時に大いに邪魔をしたと聞く。

 二百年の時を超え、そのバカ者たちが復活する兆しが見えてきたのには、ただ苦笑するしかなかった。

 勇ましいのは大いに結構だが、実は過去の帝国によるギガントの断裂南部占領は帝国自身の国力を奪った。

 ギガントの断裂のせいで、ほぼ魔導飛行船による補給しかできないからだ。

 占領した領地には、すでに大物貴族の子弟や功績のあった者たちを貴族として配置していたので見捨てるわけにもいかず、もし援軍を出さなかったら、議会で皇帝が糾弾される可能性もあった。

 結局、戦争に負けた帝国が完全撤退するまで、占領地の維持で無駄に予算と物資と人員を消耗してしまったわけだ。

 合理的に考えれば損切りするべきだったが、国家の威信などと言って大騒ぎする連中が、もし臆病な皇帝を退位させると言い始めたら……。

 結局、停戦交渉を結んだ時の皇帝も、その後病気を理由に退位してしまった。

 ……多分、ギガントの断裂南部失陥の責任を取らされたのだと思う。

 

 賢者は歴史に学ぶと言うが、その実行は困難であるな。

 もし王国が、ギガントの断裂を越えて帝国南部を占領したとする。

 占領した領域には、大物貴族の子弟や軍で功績があった者を貴族にして任命するであろう。

 そして彼らがピンチになれば、王国軍はその度に援軍として出動するわけだ。


「その予算を考えて言っておるのか? そなたらは、次男以降を在地領主に押し込めると大喜びであろうが、王国の財政が傾く可能性については考慮しないのか?」


「しかしながら、今の空軍の戦力であれば」


「魔導飛行船か? 今そなたが、使えぬと報告してきたでないか」 


 そもそも、今の状況でどうやって兵を送るのかという問題がある。

 ギガントの断裂を越えるのに有効な魔導飛行船は使えない。

 無理やり橋をかけて進むという手もあるが、もし戦況が不利になって撤退をしようとすれば困難を極める。

 通信も妨害されているので、ろくに指揮すら執れない可能性も高かった。

 不慣れな土地で、地の利のある帝国軍に各個撃破されたら勝利など覚束ないであろう。


「なにより補給はどうするのだ?」


「現地調達にて……」


「本当に可能だと思っておるのか?」


 占領して統治しないといけない土地で略奪を行う。

 現地に派遣した軍勢は、帝国の軍勢と地元の抵抗運動によって無意味にすり減らされていくであろう。


「机上の空論であるな」


 余は、この貴族の使えなさに溜息しか出ない。

 やはり、閣僚をしている貴族たちよりも相当劣る。

 こんなバカでも、どうにか使うのが王の仕事……年金だけ貰っている貴族にはもっと酷いのも多いからな。


「戦備体制は、向こうがなにかをしてこないという保証がないからだ。あくまでも、防衛体制の強化が主目的だ」


 通信が阻害されているので、とにかく向こうの様子がわからない。

 いきなり、移動、通信不能な状態から回復し、それと同時に帝国軍が攻め入ってくる可能性もゼロではないのだから。


「それとな。今攻めるのは政治的にもまずい」


「そうなのですか?」

 

 やはり使えないと思いながら、余は目の前の貴族に対して解説を始める。

 その程度のこと、事前に予習してきてほしいものだ。


「これが反乱だったとして、それに便乗したような形で兵を進めたら反乱者を利する可能性がある」


 現在の帝国の状況は不明であったが、まさかすでに反乱者が帝国のすべてを抑えたとは考えにくい。

 しばらく帝国内では混乱が続くであろうが、そこに他国であるヘルムート王国が兵を出したらどうなるのか?


「『外敵には対抗しないといけない』と言って、一つに纏まるのを手助けすることになるやもしれぬ」


 ヘルムート王国によって奪われた土地を奪還するためにという大義の元、反乱者に同調する貴族が増える可能性があるのだ。


「もしそうなると、また戦争の時代になる可能性が高い」


 反乱者は、外敵を利用して国を一つに纏めようとするはず。

 その手の話は昔からあるし、反乱者は帝国を纏めるため、先に攻め込んだ王国を敵視するであろう。


「そして王国は、わずかに抑えた占領地の保持で国力を奪われ、反王国で纏まった帝国とまた戦争を続けることになる。果たしていつ終わるのやら」


 当然、南部の開発も停滞する。

 戦費の捻出が必要だからだ。

 せっかく上向いていた王国の経済も停滞するであろう。

 それがわからぬ者は、やはり引き立てられぬな。


「さて、バルデッシュにいる者たちは無事なのかどうか……」


 使者として滞在している他国の貴族たちに手を出すはずがない。

 という考えは、今までの考察が事実だとすればすべて無意味になる。

 なぜなら……。


「犠牲者がいた方が、我が国の出兵論を補強するからの」


 魔導飛行船の墜落による犠牲者もいる。

 帝国への報復を唱える王国の軍人や貴族が増えれば、余でも出兵を抑えられない可能性もあるのだ。

 ただ、王国北部と帝国では魔導飛行船が使えない。

 王国軍による帝国への全面攻勢は補給の面から考えても不可能で、その軍勢は規模を小さくするしかない。

 小規模な戦なら、地の利がある帝国軍の方が圧倒的に有利なのだから。


「それを狙っているとすれば、反乱者は侮れない人物よ」


 無法をしているように見えて、実はこちらの動きをコントロールしようとしているのだから。


「今はできる限りの情報収集と、順番に対症療法を行うしかない」


 もう何日かすれば出兵論を唱える無責任な貴族たちが増えるであろうが、救いは王国軍の主流派が出兵を望まないという状況であろう。

 エドガー軍務卿、アームストロング伯爵共に、南部とヘルタニア渓谷の開発利権の手伝いで忙しい。

 費用ばかりかかって、勝てるかどうかもわからない戦争に、そう簡単に賛成するとも思えなかった。

 寄子や親族に言われて出兵論になる可能性もあるが、そういう連中も利権のお零れを保持するのに忙しいはず。

 人間とは、満ち足りていればそう簡単に戦争などしない生き物だ。


「(バウマイスター伯爵のおかげか……)」


 すべては結果論であったが、余はあの魔法使いの少年に心の中で感謝した。

 同時に、使えるバウマイスター伯爵は意地でも手放さないとも決意する。

 彼に、野心が薄いというのも好印象だ。

 

「(クリムトも一緒におるし、そう簡単にバウマイスター伯爵が死ぬはずもない)」


 むしろ、彼らが帝国内にいるうちに反乱を起こしてしまった首謀者に同情する。

 その反乱者は、バウマイスター伯爵になにか特別な感情を持っているのかもしれないが、あの男が青臭い理想論を掲げた反乱に手を貸すなどありえない。

 できる限り関わり合いにならないようにするであろうし、もし危害を加えられそうになったら手厳しく反撃するはずだ。

 それは、経済力が以前の四分の三にまで落ちたと報告された、ブロワ辺境伯家の現状を見ればあきらかだ。


「(それでも、ブロワ辺境伯家は自国の貴族だからあの男は配慮している。他国の貴族や人間になど容赦はすまい)」


 バウマイスター伯爵に危害を加えようとした者は、その度合いに比例して手痛いしっぺ返しを食らうはずだ。


「(さて、今後アーカート神聖帝国はどうなるのか……)」


 ほぼそうであろうと余が予想している反乱が成功するか、それとも失敗するか。

 どちらにしても、アーカート神聖帝国の国力は落ちる。

 ならば内乱が続く間に、ヘルムート王国は南部の開発を進めて国力を増せばいい。

 バウマイスター伯爵がいればそれが可能だし、国力に大きく差がつけば、いつかはアーカート神聖帝国の併合も可能であろう。

 少なくとも、数百年後の話であろうが。

 別に、ヘルムート王国は戦争を完全否定する平和主義国家ではない。

 現実的に可能ならば、リンガイア大陸統一に躊躇いを見せたりはしないのだ。


「(とにかく、今は正確な情報をどうやって集めるか。クリムトとバウマイスター伯爵をどうするかも考えぬとな)」


 余はひとしきり考えたあと、為政者の義務としてできる限りの手を打ち始めるのであった。

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