第185話 親善訪問団(後編)
「あの時の下着ねぇ……」
「さすがは公爵閣下の下着。いい仕事してあったからね」
「ルイーゼは、よく覚えていたな」
「ボクもいつか、ああいう下着を作ってもらおうかと。それでヴェルを誘惑して」
「ルイ-ゼはのん気でいいわねぇ」
「だって、悩んでも仕方がないじゃん」
「それはそうだけど……」
部屋に戻ると、そこには端の席で話を聞いていた事情を知るイーナとルイーゼが待っていた。
前に俺の召喚魔法のせいで、ウサギ刺繍のバックプリントパンツを履いていたのがバレたイーナが苦い表情を浮かべていたのだ。
「ちなみにコレです」
「ヴェル、実際に出さなくてもいいから」
同じく、ない乳なのに黒いアダルティーなブラジャーをしているのがバレたルイーゼが、魔法の袋から下着を取り出した俺を非難する。
「伯爵様、その危険なブツは仕舞え」
「了解」
ブランタークさんの命令で再び魔法の袋に紫色の下着を仕舞ってから、四人で顔を近づけて密談を始める。
もしこれから、テレーゼ様による追求があったらどうするかを決めるために。
「とにかくだ。シラを切りとおすしかない。証拠の下着とて、魔法の袋から取り出せるのは伯爵様のみ。帰るまでに見つからなければ問題ないのだから」
「ブランタークさん、あの時点で気がつかなかったんですか?」
「あのようぉ。いくらフィリップ公爵家の家紋入りとはいえ、あの家に女性が何人いると思っているんだよ」
「それもそうか……」
もの凄い年寄りでも貴族ならああいう下着を着けたりするわけで、実はテレーゼ様のものでよかったと、俺は無意味な安堵感に浸っていた。
「というか、俺の記憶の中のテレーゼ様は子供だったんだ。あんな下着を見てもイメージが湧かない」
「確かに……」
十歳の子供が、紫色の下着はどうかと思う。
だが、テレーゼ様とていつまでも子供ではないので、その辺はブランタークさんの想像力の欠如なのであろうが。
「魔導ギルドのバカたちのせいで怪しまれているが、どうせ証拠なんてないんだ。シラを切るぞ」
「真面目に密談しているけど、内容はしょうもないなぁ……」
「ルイーゼの嬢ちゃんよ。そんなことはみんなわかっているって」
あまり長く密談していると怪しまれる可能性もあるので、これで終わりとする。
魔法のお披露目は明日の午前であり、皇宮主宰の歓迎晩餐会も明日の予定で、今日は寝るまで自由時間となっていた。
そこで、エリーゼたちを連れてバルデッシュ観光と洒落こもうと決めていたのだ。
「なにを集まって話されていましたの?」
「ちょっとした観光スポットの話」
カタリーナには悪かったが、秘密は知る人が少ないほど漏れにくい。
そこで、魔導ギルドでの事件を知る四人だけの秘密にしていたのだ。
「観光に行こうぜ」
「そうですわね、楽しみですわ」
「ヴェル様、お腹が空いた」
「ヴィルマさん、先ほどあれだけ召し上がったじゃないですか」
「魔力量が上がったら、少し食べる量が増えた。食べないとすぐに痩せてしまうから」
「羨ましいですわね……」
増えた魔力の行使により、ヴィルマは以前よりもカロリーを必要とする体質になってしまったようだ。
その代わり、地上戦闘ではルイーゼにも対抗可能な戦闘能力を保持するようになっていたが。
「カタリーナは、別に太っていないだろう?」
「そのわずかな油断が、あとで必ず後悔を生むのです」
カタリーナは常にそう言ってプチダイエットに励んでいるのだが、あまり効果があるようには見えなかった。
多分、間食でチョコレートばかり摘んでいるからであろう。
「魔力を使うとカロリーを使うじゃないか」
一部の例外を除き、魔法使いに太った人がいない最大の原因であった。
「もう少し、腰にクビレが欲しいのです」
「そうか?」
「ヴェンデリンさん!」
実際にカタリーナのウエストを両手で触るが、俺には十分に細いように見える。
いきなりウエストを触られたカタリーナは、驚きと抗議の混じった声をあげていた。
「いいじゃん、俺が触りたかったからだし」
「別に触るのは構いませんが、事前に相談をですね……」
あと、やはり咄嗟のこういう行為には弱いようであった。
「ヴェンデリン様。いきなりではカタリーナさんも驚いてしまいますよ。それよりも早く出かけましょう」
「それもそうだな。さてと、どこから行こうかな?」
珍しく積極的にエリーゼが俺の手を引き、迎賓館を出て町中へと移動していく。
どうやら、先ほどのテレーゼ様の積極的な行動に少しヤキモチを焼いたらしい。
「まずは、この近くで評判のジェラート屋に行こうか」
「はい」
二人で手を繋ぎながら本に記載されていた店へと向かうのだが、突然二人の人物によって進路を塞がれてしまう。
改めて確認すると、それは導師と商家の娘が着るようなワンピース姿のテレーゼ様であった。
「伯父様?」
「テレーゼ様が、久しぶりの町での散策を希望なされておってな……」
導師は普段と違って言葉が弱々しく、その視線も泳いでいるようだ。
姪の新婚旅行を邪魔したくはないのだが、テレーゼ様の願いを断ることもできない。
導師なら余裕で断りそうな気もするが、若い頃は陛下のお忍びに同行するのが常であった彼からすると、同じレベルで普段は籠の鳥であるテレーゼ様の願いを断れないのであろう。
導師は見た目に反して、実は女性と子供に優しかったりするのだ。
「(まだ時間は一杯あるから)」
「(わかりました)」
どうせ遊びの時間の方が長い親善訪問団の旅なので、今日くらいは仕方がないとエリーゼを説得して、二人も観光に同行することになった。
「新婚なのにすまぬの。妾はこういう時でもないと、自由に町に遊びに出ることも叶わぬからの」
テレーゼ様がすまなそうに言うが、言われた側のエリーゼは沸き上がる怒りで顔を半分引き攣らせていた。
なぜなら、テレーゼ様が反対側の空いている俺の手に腕を絡ませていたからだ。
「(この公爵様、なんで俺に興味津々なの?)」
俺の腕にテレーゼ様の豊満な胸の感触が伝わって嬉しいのと、反対側のエリーゼも対抗して腕を組んできたので同じく豊満な胸の感触が嬉しかったりするが、同時に二人の視線が激しく激突して火花を散らしていたので、逃げ出したい気分になってくる。
「さあ。参りましょうか? ヴェンデリン様」
「夫婦なのに、他人行儀な呼び方よのう。そうは思わぬか? ヴェンデリンよ」
「(えーーーっ!)」
なぜか、テレーゼ様の俺への呼び方が『バウマイスター伯爵』から『ヴェンデリン』へと変化していた。
突然の事態に俺はうろたえるばかりであったが、エリーゼの方も反撃の狼煙をあげていた。
「テレーゼ様、格下の伯爵とはいえ、他国の貴族を軽々しく名前などで呼ぶべきではないと思います。そうは思いませんか? あなた」
この瞬間から、エリーゼは俺を『あなた』と呼ぶことにしたようだ。
俺に決定権などはないらしいが、前の堅苦しい『ヴェンデリン様』よりはいいと思う。
「では、参るとするか」
「(導師! この責任の一端は導師にも!)」
「(すまぬ! 今日だけ我慢して欲しいのである!)」
俺は、導師の懇願に根負けしてしまう。
こうして始まったバルデッシュ観光であったが、グループはすでに二つに割れていた。
俺と腕を組んでいるテレーゼ様とエリーゼと、そのフォローに入る導師。
あとは……。
「イーナちゃん、このオレンジのジェラートは美味しいよ」
「キャラメルのも美味しい」
「もう一つ欲しい」
「食べても太らないなんて羨ましいですわ」
「ジェラートか、魔法の袋に入れれば嫁さんの土産にできるかな?」
「ブランタークさん、もう尻に敷かれているんですか?」
「結婚もしてないエルの坊主には言われたくねえ」
「俺には運命に人が現れるんですよ。綺麗なお姉さん。俺にはリンゴ味のジェラートを」
巻き込まれるのはゴメンだと感じた他の四人の妻たちとエルとブランタークさんは、俺たちを視界から外し、ただの観光に切り替えていた。
その素晴らしいまでの保身能力は、さすがは一流の冒険者というわけだ。
見捨てられた形となった俺は不幸だけど。
「ヴェンデリン、妾のイチゴ味のも美味しいぞ。食べるか? ほれ、あーーーん」
「あなた、メロン味も美味しいですよ。はい。あーーーんして」
俺は双方から、ジェラートを食べさせてもらっていた。
いや、この場合は食べさせられていた、であろうか?
「バニラを十個」
「十個ですか?」
「うむ。ジェラートは、オーソドックスなのが一番美味しいのである」
そして導師は、次第に加熱する二人の争いから現実逃避するかのように大量のジェラートを購入して食べ始めた。
観光は続き、ケルン大聖堂やポトマック運河などの見物をするが、やはり二人は俺の腕を組んだままで激しく火花を散らしている。
エリーゼは、最近増えた魔力が体内で激しく蠢いている。
攻撃魔法が使えないのでテレーゼ様になにかするはずはないが、感情が高ぶっている証拠であった。
「(こんなエリーゼは初めてだな)」
もう一方のテレーゼ様も、エリーゼに対抗して形容し難いオーラで対応している。
もしかすると、名前の最後に『ゼ』が付く人は情熱的な人が多いのかもしれない。
皇帝になるかもしれない公爵家の娘なので、下々を従えるオーラが半端ではないのだ。
王者の品格というか、元が庶民の俺では到底纏えない雰囲気であった。
「そうそう、買い物に行こうではないか」
「買い物ですか?」
「左様じゃ。行きつけのランジェリーショップが近くにあっての。いきなり消えた下着もあって、少し数が心許なくての」
「そうですか……」
どうやらテレーゼ様は、俺に疑いを持っているらしい。
下着を買いに行くのにつき合えとは、露骨な探りとも言える。
「(あくまでも冷静に……)エリーゼもなにか買う?」
「そうですね。なにかいい物があれば」
未婚で恋人関係でもないテレーゼ様の下着を買いに行くのは厳しいが、妻の下着を選びに行くのはセーフである。
俺は動揺を隠しながら、テレーゼ様行きつけのランジェリーショップへと向かった。
高級なお店が立ち並ぶ一角にあるランジェリーショップは、大物貴族、皇族御用達らしく豪華な造りになっていた。
「いらっしゃいませ」
「今日は休養での」
出迎えたオーナーらしき人物にテレーゼ様が告げると、店内から人の気配が消える。
恐ろしいまでに店員の教育が行き届いているようだ。
「さて。どれがいいかの……」
と言いながら、テレーゼ様が見せた下着は紫色であった。
前に俺が召喚した下着によく似ているので、俺の反応を伺っているのかもしれない。
「似合うと思いますよ」
俺は、努めて冷静に返事をする。
ここで下手に動揺すれば、テレーゼ様に確信を持たせるだけだからだ。
「あなた、試着するので見ていただけますか?」
「奥方殿よ、妾が先に聞いているのじゃが……」
「テレーゼ様はまだ未婚。婚約者でも夫でもない男性に肌を曝してはいけません」
間違いではないのだが、あきらかにテレーゼ様を挑発しているようにも見える。
二人の間に火花が飛び散り、俺が助けを求めて周囲を見回すと、エルとブランタークさんは店の外で無難に護衛役に徹していた。
「(確かに、男性がランジェリーショップには入り難いけどさ!)そういえば、導師は?」
導師に至っては、いつの間にか姿を消していた。
自己防衛本能が働いて、ランジェリーショップに入る前に逃走したのであろう。
「(導師、この人を連れて来たのはあんたでしょうが……)なあ……」
最後に、一縷の望みを託してイーナ達に視線を送ったのだが……。
「イーナちゃん、もっとセクシーなのにしたら?」
「ルイーゼこそ、どうしてそんなに黒が好きなのよ?」
「だって、ちょっと見た目がお子様なボクは、黒でお色気を加算しておかないと。ヴィルマは、シンプルすぎない?」
「動きが阻害されないのがいい。でも、最近胸がキツイ」
「ヴィルマは成長しているからだよ、ボクとは違って。うん……こんな予感はしてた……」
「カタリーナは、こういうのがいいと思うわ」
「イーナさん、赤はさすがに……」
「そうかしら? 似合うと思うわよ」
「貴族たる者、貞淑さも必要ですわ」
「ヴェル以外見ないじゃないの」
「だからですわ」
「よくわからないけど、拘るわねぇ……」
こちらを無視して、四人で下着談義に花を咲かせていた。
普段はエリーゼにベッタリのヴィルマですらそうなのだから、今の彼女に近付くのは危険だと、本能で察知しているのであろう。
「ヴェンデリンよ。これはどうかな?」
「あなた、今度はこれを試着しますね」
結局、ランジェリーショップを出てからも二人の鞘当ては続き、初の海外旅行初日はただ俺の精神が摩耗しただけという、散々な結果に終わるのであった。
「酷いですよ、二人とも」
夕食後に導師とブランタークさんに苦情を言うが、二人は『すまん』とは言いつつも上手くはぐらかされてしまった。
「テレーゼ様は、普段は選帝侯として苦労しているのである! せめて今日くらいはと……」
十年前に遊んであげた可愛い少女に保護欲でもあるのか?
二人は、テレーゼ様に甘いような気がするのだ。
「十年前は可愛い少女でも、今は大人の女性で、露骨に誘惑されている節がありますが……」
「さすがにあり得ないだろう。テレーゼ様は、からかっているだけだと思うぜ」
血統の保持のために公爵家当主に就任した彼女に、普通の恋愛など許されない。
子供を産むために婿を入れる必要があるのだが、その選定作業は膨大な手間と時間がかかるそうだ。
「下手な婿を入れると、旦那の実家絡みで混乱するからな。だから二十歳でも独身なんだよ」
外戚の専横の可能性というやつであろう。
そのせいで些か不自由な思いをしているから、少しくらいは大目に見てやれとブランタークさんは言った。
「それ、エリーゼにも言えます?」
「努力する」
努力するということは、努力した結果駄目でも仕方がないとも取れる。
溜息をつきながら自分の部屋に戻るが、今日は初日で疲れているからエリーゼたちとは、そういうことはなしという風に決めていた。
それに、ここがよそ様の家という事情もある。
気にしないで奥さんや愛人と楽しんでいる親善訪問団員も多いそうだが、俺は根が小市民なので、翌日ベッドメーキングをするメイドのことなどを考えて遠慮していたのだ。
家に戻れば、いつでもできるのだからという考えもあった。
「(明日から、テレーゼ様は自重するのかな?)はい」
などと考えていると、部屋のドアがノックされる。
返事をするとドアが開き、すぐに誰かが部屋の中に入り込んできた。
「ヴェンデリンよ、酒でも飲もうではないか」
「(出たぁーーー!)」
部屋に入って来たのは、やはり自重していなかったテレーゼ様であった。
白い絹製のナイトガウンを纏った彼女は、酒瓶を手に部屋のベッドの上に座る。
風呂上りのようで、ナイトガウンの襟から見える褐色の肌が色っぽい。
「(誘惑されているのかも……)テレーゼ様。嫁入り前の女性が、あまり感心できる行動ではありませんよ」
「世間的に言えばそうなのであろうが、今この迎賓館はフィリップ公爵家の支配下にある。余計な噂を流す輩はいないので安心せい」
「はあ……(そういう問題じゃないし!)」
とは思っても、相手は選帝侯で公爵様なのでなにも言えない。
どうにか上手く切り抜ける必要があった。
「我がフィリップ公爵領特産のアクアビットじゃ。毒など入っておらぬから安心して飲むがいい」
「いただきます」
フィリップ公爵領は、アーカート神聖帝国の最北端にある帝国直轄領に次ぐ広さを持つ領地で、主な産業は麦とジャガイモと魚貝類、鉱山なども多く金属加工業も盛んだそうだ。
勿論この知識は、『ブライヒレーダー辺境伯バルデッシュ紀行』から得たものであったが。
地球で言うと、ドイツ北部や北海道に似ているのかもしれない。
実際に、ジャガイモで作る焼酎アクアビットが存在しているのだから。
「成人したばかりなのに、普通に飲めるようじゃの」
「それなりにですね」
部屋に置いてあるグラスに水を注ぎ、魔法でお湯にしてからアクアビットを適量注いで飲む。
味は、商社員時代に試飲した輸入サンプルや、国内でもジャガイモ焼酎は存在するのでその味とよく似ている。
「スッキリとした味わいで美味しいですね」
「最近では、輸出もしておるぞ」
なんとか貴族らしい話題に転換できたが、それもいつまで続くかわからない。
ここは、気を引き締めなければいけないところだ。
「しかし、魔法とは凄いのぉ」
俺が作ったお湯割りのジャガイモ焼酎を飲みながら、テレーゼ様は感心していた。
部屋には水しかなかったので魔法で暖めてお湯にしたのだが、俺はそれほど凄いとは思わない。
このくらいなら、フィリップ公爵家で雇っている魔法使いなら誰にでもできるであろう。
「確かに、我が家のお抱え魔法使いならば誰でもできる。じゃが、みんなお湯を沸騰させてしまうのじゃ」
焼酎をお湯割りで飲む時に、一番してはいけないのが沸騰したお湯を注ぐことだ。
適温は七十五度とか言われており、水をお湯にする時には温度を調節していた。
このくらいのコントロールができないと、ブランタークさんから怒られてしまうのだから当然だ。
「次に、先にお湯をグラスに注いだの」
これも、商社員時代に焼酎の蔵元を尋ねた時にそこの人から口を酸っぱくするほど言われたことだ。
大した違いには見えないが、これだけでも味と香りがまったく違ってしまうのだから不思議だ。
「細かいようじゃが、意外とそれを知っている者はおらぬぞ」
「ブランタークさんから教わったんですよ」
勿論嘘だが、まさか前世で教わったとも言えないのでそれで誤魔化すことにする。
「あの男は酒好きじゃが、飲めればいいみたいな部分もあっての。十年前はお湯の方を後に注いでいたが、進歩を遂げたというわけじゃの」
「(まずい……)」
生まれながらにしての大貴族とは、こうも油断ならない存在らしい。
十歳の頃の、ブランタークさんの細かな行動を覚えているのだから。
「ヴェンデリンは、ただ魔法だけの男というわけでもないようじゃの」
「いやあ、魔法だけですから」
「その割には、領地は順調に開発が進んでいるようじゃが」
「家臣が優れているからです」
「それも含めてそなたの功績じゃ。それが貴族というものでな。結果がすべてとも言う」
本人が大バカでも、任せている家臣が上手くやれば評価される。
その代わり、家臣がバカなことをすれば自分が優秀でも一緒に非難されることもある。
それが貴族という生き物だと、テレーゼ様は語っていた。
「とは申せ、ヴェンデリンはすべて己の力で貴族にまでなったのじゃ。生まれた頃から将来が決まっていた妾とは違う。妾はただ小賢しいだけにしか過ぎぬ」
「テレーゼ様」
「妾は一人娘だと言われておるが、実は妾腹ながら兄たちがいたのを知っておるか?」
「いえ、初めて聞きました」
「なのに妾が選ばれたのは、この肌の色のせいじゃからの」
フィリップ公爵家の起こりは、北方の異民族国家を中央から派遣されたフィリップ伯爵率いる軍勢が討伐したことから始まるのだそうだ。
「北方の主要な民族であるラン族は、妾のように肌が褐色なのが特徴でな」
征服者であるフィリップ家が、地元の有力者から婿や妻を受け入れながら、千年以上もかけて同化を進めて今がある。
だからこそ、後継者の条件に肌の色というものも存在しているのだと。
「兄たちは母親が中央の貴族の出での。妾とは違って肌の色が白い。兄たちでは、領地に視察に出ても領民たちから無視されるであろう」
だから、テレーゼ様がフィリップ公爵となった。
その子供が跡を継げるのかは、その子の肌の色も関係する。
継げなかった兄たちの妻は地元有力者の娘で、子供たちも肌が黒い。
もしかすると、その子たちの誰かが次期フィリップ公爵になるかもしれないのだと説明する。
「肌の色のみで選ばれた妾からすれば、次が誰でも別に構わないのじゃ。選帝侯にして公爵など、言うほど素晴らしいものでもないからの」
「それはわかります」
生活の苦労もない癖に贅沢だと言われるかもしれないが、貴族なんてそれほど素晴らしいものでないのも確かであった。
「妾の婿選びも難航しておってな。主に兄たちの妨害じゃが……」
テレーゼ様が地元の有力者から婿を取ると、子供の肌の色は間違いなく褐色である。
次は自分の子供をと考えている兄たちが、色々と妨害しているのだそうだ。
「妾も結婚して子供くらいは産みたいのでの。別に地元の者でなくても構わぬわ」
加えて、自分の子供にこんな苦労を背負わせたくないのだそうだ。
「ええと……大変なのですね」
「ああ。大変じゃ」
二杯目のお湯割を飲み干しながら、若干顔を火照らせたテレーゼ様が話を続ける。
状況はいつの間にか、年上の女上司の愚痴を聞く年下の男性の部下という感じになっていた。
「それで、今回の歓待役のついでに婿探しをさせているのじゃが、ろくなのがおらぬ」
フィリップ公爵家の権力と金目当ての、ひ弱な貴族のボンボンばかりであると、テレーゼ様は溜息をつきながら愚痴を溢す。
「政略結婚なので、ある程度は仕方がないのでは?」
「それなりに妥協できる者すらおらんのじゃ。見つけても条件が合わぬとか、先約がいたりとかな。こうなると、もうあの手しかないの」
「あの手ですか?」
「結婚せずに子を産むのじゃ」
実は、アーカート神聖帝国の女性貴族当主にはよくある手なのだそうだ。
父親の名と存在を隠すか、子種だけ貰って子供を生む。
なぜそうするのかと言えば、やはり外戚の専横を防ぐのが目的らしい。
「(子種だけ提供して殺された奴がいそう……)」
ゾっとする話ではあるが、俺には関係ないので気にしないことにする。
伯爵である俺が、無理に種馬などする必要はないのだから。
「子種だけ提供して殺される者もかなりおるの。父親不明で、ただ女領主の子供という扱いにするのだから、当たり前と言えば当たり前じゃ」
「(怖っ!)」
だが、それなら俺は関係ないという安堵の気持ちも浮かんでくる。
「あとは、優れた男に秘密と引き換えに金銭やそれなりの地位などを条件に子種の提供を頼むこともあるの」
「えっ」
まさかと思うのと同時に、テレーゼ様が目を潤ませながら俺の肩に手を回していた。
「魔法の才能は遺伝しないとはいえ、貧乏騎士の八男から成り上がった度胸のあるそなたの子種ならば、妾の子の父親に相応しいと思うての。許可するので、妾に欲情したならば遠慮なく種付けをする権利を与えるぞえ。妾はこういう家の娘なので処女で病気の心配などない。いつでも好きに抱くがいい」
「……」
わずか二十歳の娘とは思えない発言に、俺はその場で絶句してしまう。
「その子を盾に、バウマイスター伯爵家の相続権なども要求せぬ。そなたの正妻殿はなかなかにおっかないが、上手く間男を演じてくれよ。さてと、今日は帰るとするかの。いきなり抱かれるのもいいと思うが、こういうことは徐々に進めた方が男は燃えると聞いておる。まあ、あまり時間はないのじゃが」
三杯目のお湯割を飲み干したテレーゼ様は、静かに部屋を出て行った。
そして残された俺は、この国から帰るまでの苦労を想像し、酒の影響もありそのまま気絶するように就寝するのであった。
まるで現逃避するかのように……。
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