帝国内乱
第184話 親善訪問団(前編)
「帝国への親善訪問団ですか? そんな行事があったんですね」
「うむ。某も十年前に参加したのだが、今回はバウマイスター伯爵もメンバーに指名されているのである」
「俺がですか?」
「こういうものは、その時期に活躍して有名になった者が選ばれやすいのである! アーカート神聖帝国は王国にとって唯一の隣国にして仮想敵国。向こうに舐められないよう、バウマイスター伯爵を連れて行く……と、陛下はお考えになったのである!」
「なるほど」
結婚式を挙げてから約二ヵ月が経った。
バウルブルクにある屋敷において、導師から隣国アーカート神聖帝国に送られる親善訪問団の話を聞いた。
そしてそのメンバーに俺が選ばれたことも。
「それは命令でしょうか?」
「バウマイスター伯爵は有名人だから、陛下から必ず参加せよとの命令があったのである! カタリーナ嬢もそうである」
「私もですか? ご期待に沿えるように頑張りますわ」
親善訪問団は十年に一度、二百名規模で双方から派遣されるそうだ。
ヘルムート王国側は前回が十年前で、アーカート神聖帝国側は五年前。
共に十年ごとだが、夏と冬のオリンピックのように五年ごとに、どちらかがどちらかを訪問するシステムになっている。
そういう行事があるなんて知らなかったけど、昔のうちの実家で話題になるわけがないか。
どうせ呼ばれないし、その前に父たちも知らない可能性が高いな。
どうせ指名されるわけがないから、知らなくても問題ないというのもあったか。
「もう戦争はしないから、共に仲良くしましょう的なものですか?」
「それもあるが、ある意味戦争とも言えるのでもある!」
互いに優れた産品や新技術などを持ち込んで、『うちの方が発展しているだろう。羨ましいか? ほら』という展開を双方が狙っているそうだ。
ある種の、国威発揚行事でもあるらしい。
交易交渉の改定などもあるそうで、これも政治交渉という名の戦争と呼べなくもないか。
役人じゃない俺は交渉なんて参加しないので関係ないけど。
「当然、優れた魔法使いの披露目もあるのである!」
ブロワ辺境伯家との紛争を見てもわかるとおり、上級魔法が使える魔法使いは時に戦況をひっくり返す。
実際に王国と帝国が戦争になると、双方にほぼ同数、同質の魔法使いがいるのでそう簡単に片方が勝利するなんてことはないと思うが、優秀な魔法使いが多ければ強力な抑止力になる。
核兵器みたいな……導師なんて特にそんな感じだよな。
そんなわけで、親善訪問団に参加した魔法使いたちがその実力を披露し、両国の首脳部や軍部が、簡単に戦争を決断することを防ぐ狙いもあるそうだ。
「前回は、某が魔法使いたちを率いたのである!」
導師の実力を考えれば当たり前というか、彼の実力を見れば帝国も戦争を躊躇うと考えたからであろう。
なにしろ、この大陸では最高の抑止力なのだから。
「ブランタークさんは、親善訪問団に参加したことがあるのですか?」
「勿論呼ばれたさ。アルが生きていれば、奴が呼ばれただろうがな」
導師と一緒に屋敷に来ていたブランタークさんが、俺の質問に答えた。
基本的に魔法使いは、貴族自身か貴族のお抱えになっていないと呼ばれない。
ブランタークさんは師匠の代わりにブライヒレーダー辺境伯家に雇われていたので、それで呼ばれて導師と三週間ほど一緒だったそうだ。
「思えば、ブランターク殿とはその頃からの知己であるな」
「(その前から顔くらいは知っていたんだ。導師の場合、色々と逸話があり過ぎて、最初から知らない関係でもないような気も……。アルは友達だったみたいだからな……)」
意外にも、十年前の親善訪問団で初顔合わせとなり、当時は導師のキャラの濃さに絶句したものだと、ブランタークさんは小声で俺に事情を説明した。
確かに、初見の人は導師を見るとビビるよなぁ。
「今回も、お抱えの俺は呼ばれたわけだ」
「そんなに魔法使いが参加して大丈夫なんですかね?」
「今までは大丈夫だったな。それに、こういうのは国家の意地があるから。十年に一度だからってのもある」
簡単な魔法合戦や特殊魔法の披露も、歓迎会の席で行われるらしい。
その席でお互いの軍部が、現在仮想敵国に所属している魔法使いの数と実力を測る。
民間で稼いでいる魔法使いたちは面倒臭がって来ないので、王国や貴族に雇われている魔法使いたちはほぼ強制参加らしい。
宮仕えは安定しているが、こういう命令に逆らえないのが弱点かもしれないな。
「一種の戦争とも言えるわけだな」
「大変なんですね」
「とはいえ、今までは特にトラブルとかなかったからな。なあ、導師?」
「そうであるな。適当に魔法を披露して、あとは観光がメインである!」
魔法使いは、他の商工業関係の役人や貴族たちよりも、フリーの時間が多くて暇なのだそうだ。
役人には、技術交流や輸出入に関する協定の更新などがあるが、魔法使いは魔法だけを披露すればいい。
あとは帝都観光でもして、ほとんど遊びがメインだと導師が説明した。
「一種の観光旅行とも言えるのである。バウマイスター伯爵も、奥方たちを連れて遊びに行くくらいの感覚でいいのである」
「家族連れでいいのですか?」
「貴族ならば、まったく問題ないのである!」
約二百名の随員とはいえ、みんな家臣やら秘書やら護衛やら、家族、時には愛人を連れて行くので参加人数が増える。
特に大物貴族ほど、随員が増える傾向にあった。
ある種の大名行列みたいなものだな。
「それを見越して、大型魔導飛行船を二隻チャーターするので問題ないのである!」
国家的な行事なので、その辺には抜かりはないようだ。
予備の魔導飛行船を動員して、親善訪問団の参加者を運ぶことになっていた。
「新婚旅行にちょうどいいか。みんなもそう思うだろう?」
「そうですね。アーカート神聖帝国行きは貴重なキップですから」
みんなの空になったティーカップにマテ茶を注いでいたエリーゼが、俺の問いに答えた。
いまだ停戦中ということもあり、双方の人員は首都からは出られないが、唯一存在する外国への旅行なので、親善訪問団は密かな人気を誇っているらしい。
民間ベースの交流は国家が一本化している交易だけなので、貴族や商人で行きたがる人が多いそうだ。
すでに二十回以上も行なわれているが、特にトラブルなども発生していないと聞く。
実質、海外旅行のようなものなのか。
「ですが、随員には制限がかかるのでは?」
「それは事前に書類を出すのである! あとは外務卿というか、外務の連中が判断するのである! 連中は普段仕事がないので、返事は早いはずなのである!」
「ぶっちゃけるなぁ……」
誰もが数十人も随伴を連れて行けないので、まずは申請を出し、外務卿が随伴人数を決めるそうだ。
大貴族ほど多くの人を連れて行けるらしいが、あまり自分ばかりが多く連れて行くと周囲から白い目で見られる。
その辺の匙加減が面倒なので、俺はローデリヒに丸投げしておくことにした。
「某など、それが面倒なので前回は一人で行ったのである!」
「(それは、導師が一人旅を楽しみたいからでしょうが)」
外国に行くので、解放感を求めてなのかもしれない。
その前に、『究極単体戦闘兵器である導師に護衛が必要か?』という根本的な疑問が出てくるのだが。
「うちは、いつものメンバーでいいと思うけどね」
順調に進んでいるが、未開地とヘルタニア渓谷の同時開発なので護衛目的とはいえあまり人を連れて行くと、留守を任せているローデリヒに負担がかかる。
新興貴族の悲哀だな。
俺とエルとエリーゼたちで十分であろう。
「そうですね、簡単な家事くらいなら私たちでできますから」
「メイドも不要よね」
冒険者として時には野宿までする俺たちなので、無理にメイドを連れて行く必要はない。
エリーゼとイーナの考えに俺は賛同した。
ドミニクも新婚なので、今は暇な時間を増やしてあげた方がいいであろう。
ここのところ、大分迷惑をかけているから。
新人メイドであるレーアが行きたそうな表情を浮かべていたが、いきなり新人を外国に連れていけば、他のメイドたちとの間に軋轢が起こるかもしれない。
それに、今回は特にメイドなど必要ないであろう。
「ヴィルマは、どう思う?」
「食事が楽しみ」
「それはあるな」
少し寒い北国なので、この国とは違う料理や食材に出会える可能性が高かった。
「海の魚介類は、アーカート神聖帝国産が圧倒的に優れているからな」
他にも、なにかいい食材や料理があるかもしれない。
実際に食べて気に入れば、輸入交渉をしてもいいだろう。
「ルイーゼは?」
「おっ、新婚旅行だね。護衛はボクたちがいるから問題ないよ」
最近、強さが導師に類似してきたルイーゼがあまりない胸を張りながら答える。
それでも、結婚してから少しは大きくなっているのだが、親しい人でも気がついていない人が多かった。
「カタリーナは?」
「親善訪問団に選ばれるとは栄誉ですわ。私の魔法を存分に披露しましょう」
カタリーナなら、間違いなくそう言うと思った。
一度は没落したヴァイゲル家の当主が、普通の貴族ではなかなか指名されない親善訪問団の一員に選ばれたのだから。
「イーナ、なにかいい観光スポットとかある?」
「ケルン大聖堂とか、下町の大朝市とか、他にも細かい観光スポットがあるわね。もっと調べておかないと」
イーナは、ブランタークさんが持参した『ブライヒレーダー辺境伯バルデッシュ紀行』という本を見ていた。
前回の親善訪問団のメンバーにはブライヒレーダー辺境伯も選ばれており、彼が見聞きした情報を独自に本に纏めたものらしい。
中身は、かなり出来のいい観光ガイドになっている。
ブライヒレーダー辺境伯は、やはり文系の人間って感じだな。
「楽しみだなぁ」
「そうね」
「あのよぉ、一応これって仕事なんだと、老婆心ながら注意しておくぜ」
珍しく唯一真面目なことを言っているブランタークさんであったが、言われるまでもなく留守の間も領内開発は進むので、ローデリヒと事前の打ち合わせは怠らず、かなり前倒しで必要な土木工事なども行なった。
特に、ヘルタニア渓谷の道路整備や採掘の手助けなどでは奮闘している。
これも、楽しい海外への新婚旅行のためだ。
参加者は、いつものメンバーだけにした。
自分たちの身の周りのことは自分たちでできるし、王国が出す魔導飛行船に乗れる人数も決まっているので、あまり増やすわけにもいかなかったからだ。
たとえ護衛一人でも、うちは人手不足なのでできれば避けたかったし、新興伯爵家がゾロゾロと大勢の随員を連れて歩くと、『生意気な!』と怒り出す大貴族もいるそうだ。
そんなどうでもいいことを……と思わなくもなかったが、避けられる軋轢は避けた方がいいだろう。
それに、旅費と宿泊費以外は参加者の個人負担という現実もあった。
随伴が多い大貴族だと、彼らが帝都で観光をしたり、お土産を購入したら結構な金額になるらしい。
王国政府としても、親善訪問団に選んだ貴族本人だけならともかく、随伴者たちの経費まで負担できないから当然か。
それでも、旅費と宿泊費は王国政府負担だから優しいとは思うけど。
「エルとルイーゼとヴィルマがいれば、ただの警備兵なんて不要だろう」
「だよねぇ」
「いない方が、新婚旅行っぽくていい」
あとは、うちの随員を増やすと他の貴族たちが割りを食うというものもある。
ヘルタニア渓谷から出るミスリルをメインとした鉱石でまた潤ったうちが、新参者なのに随員を増やせば、『成り上がり者が分も弁えずに!』などと言われかねないという事情もあった。
本当に、貴族とは面倒な生き物なのだ。
そんな事情もあって護衛なしの提案をすると、ローデリヒも渋々ながら認めていた。
エルやイーナ、ルイーゼがいるし、魔法使いも多いから問題ないと言えば問題ないのだけど。
「もしなにかがあったら、他の貴族など無視して魔法で逃げて来てください」
「それはありなの?」
「ありです。だからこそ、他人の随員枠まで使って護衛を増やす貴族もいるのですから。自分の身も守れない貴族なんて本末転倒ではないですか」
貴族の生死は自己責任で、自分の主君が死んで他の貴族が生き残った時、それに対し公には文句を言えないそうだ。
『自分の身を守ることを怠った、死んだ貴族が悪い』と言い返されて終わってしまうらしい。
「多少護衛を増やしても、アーカート神聖帝国側がその気なら全滅は必至だけどな」
敵中に孤立しているので、護衛を数十名に増やしてもゼロとそう変わらないというのもある。
それに、今までトラブルなどは一切発生していないそうだ。
「それでも、歴史のある大貴族はプライドがあるので随伴を増やそうとするものです。まあ、お館様とカタリーナ様は必要ないのですが……」
最悪、『瞬間移動』か『飛翔』で逃げればいいのだから。
まさかアーカート神聖帝国も、ろくに護衛も連れて来ていない俺たちをどうこうするわけがない。
戦争になってしまうからだ。
他の大物貴族たちからすれば、大勢の随員と護衛は、自分の力を同じ王国貴族たちに見せつけるためでもあった。
つまり見栄であり、俺とカタリーナには大きな功績があるので、別にそんなことをする必要もないという。
「なにか不測の事態が起こるかも、というのは万が一だろう?」
「あくまでも万が一ですね。両国とも極一部の勢力を除いては、停戦していた方が得ですから」
いつの世でも、戦争で利益を得ようとする人たちは存在するそうで、そういう連中を除けば、両国にとって今の停戦状態は好ましい。
戦争をした結果、下手にギガントの断裂を超えて占領地を持つと、防衛コストがかかり過ぎる。
なにかあった際に緊急で兵や物資を輸送しないといけないので、常に大型魔導飛行船を動かせるようにしないといけないからだ。
そのコストを考えると、今の国境線が最善なのは理解できた。
「アーカート神聖帝国としても、ギガントの断裂を超えた南部の領地を失ったのは採算的には都合がよかったのです。ただ敗戦なので、軍部の一部には感情的な出兵論者が一定数いるみたいですな」
「どうせ王国にもいるんだろう?」
「そういう輩はどの国もいます。北方に領地を持つ貴族にもいますし、軍中央にもです。出兵を王国が判断するほどの勢力ではありませんが……」
いつの世でも、そういう極端な意見を持つ人たちなど珍しくない。
気にしても仕方があるまいと考えた俺たちは、急ぎ出発の準備を始めるのであった。
「おおっ! スタッドブルクにも劣らない大きさだな。帝都バルデッシュは」
それから一週間後。
俺たちは、王国政府が用意した大型魔導飛行船の甲板上でアーカート神聖帝国の首都バルデッシュを一望していた。
資料によると、バルデッシュはスタッドブルクよりも広さも人口も少しだけ上であった。
視認できて建造物はヘルムート王国風のものが大半で差異は少なかったが、一部に地球で言うところのイスラム風の建造物や、インド風、中華風、そして和風に見える建物などもある。
どうやら、アーカート神聖帝国は色々な文化がごっちゃになっているようだ。
「多民族文化なのかな?」
「みたいね。アーカート神聖帝国は、沢山の小国が統合して成立したと本に書いているわ」
隣にいたイーナが、『ブライヒレーダー辺境伯バルデッシュ紀行』に書いてある内容を教えてくれた。
「選帝侯の称号を持つ七公爵家からも皇帝が選出されるのは、その名残りみたい」
中央にも皇家が存在しているが、皇家出身の皇帝が生まれるのは三~四回に一回くらいだそうだ。
残りは、貴族議会に所属する議員たちによる投票で、立候補した選帝侯の中から皇帝が選ばれる。
一部に選挙制度が存在しているわけだが、これはヘルムート王国ほど中央の力が強くないことの証明でもあった。
「国によって色々と事情があるってか。まあ、俺は自分の領地のことで精一杯だから気にしないけどね」
それからすぐに、大型魔導飛行船はバルデッシュ郊外にある港に到着した。
船を降りると、アーカート神聖帝国からの出迎えを受ける。
軍楽隊がヘルムート王国の国歌を演奏し、多くの貴族たちが次々と歓迎の言葉を述べる。
こういう部分は、地球の国家とあまり変わりはないようだ。
「今回は、魔法使いが強化されているようですね。アームストロング導師殿」
「若い才能が芽吹き始めたというところであろうか。ブラットソン殿」
「竜殺しの英雄殿ですか。お若いですな。おっと失礼。アーレイ・ブラットソンと申します。この国の筆頭魔導師をしております」
俺を含めた魔法使い二十名ほどのグループに、アーカート神聖帝国側の魔法使いが声をかけてくる。
灰色のローブを着て、ロマンスグレーの髪をオールバックにした六十歳くらいの痩せ型の老人で、自分を帝国の筆頭魔導師であると自己紹介していた。
魔力の量は、ブランタークさんよりも少し多いくらいであろうか?
見た感じでは、かなりの実力を持っているように見える。
彼もブランタークさんと同じく、『器用で上手い』魔法使いなのであろう。
「しかし、魔法使いの数が多くないか?」
ブラットソンの視線は、俺と一緒にいる妻たちに向いていた。
俺からしたら妻たちの魔力が増えたせいで、実は魔道飛行船の中でも一部の魔法使いたちがうるさかったのだ。
『さあ? なぜなんでしょうかね? 俺が知りたいくらいですよ。普通に器合わせはしましたけど』
こう言って誤魔化したが、やはりエリーゼが上級の中、カタリーナが少し前の導師にも迫る魔力量、ルイーゼですらブランタークさんとほぼ同等に、イーナとヴィルマですら中級にまで魔力量が増えている。
その謎に魔法使いたちは興味津々なようであったが、まさか真実を話すわけにいかない。
嘘をつくしかなかったわけだ。
『(絶対に墓場に持って行ってやる)』
なぜなら、随伴の魔法使いの大半が男性である。
俺は彼らの尻など掘りたくもないし、我慢してそれをした結果、効果がなかったら道化もいいところだからだ。
それに、教会から異端扱いされるのも問題だ。
この件をそっとホーエンハイム枢機卿に相談したら、『適当にはぐらかしておけ。あと、女には注意するように』とありがたい忠告をいただいた。
エリーゼの祖父としても、俺が手当たり次第に女性に手を出す、出さざるを得ない状況は好ましくないのであろう。
彼も、『墓場まで持っていく』と断言していた。
「実は妻たちも混ざっておりまして、正式な団員ではないのですよ」
「そういえば、奥方に『聖女』殿と『暴風』殿がいましたか」
やはり他国とはいえ、有名な魔法使いの情報くらいは事前に調べているようだ。
「魔法使いの方々への出迎えや滞在中のフォローなどは、私が実務責任者になっておりまして」
忙しい文化、技術交流や通商関連の団員たちは、専門の役人や貴族たちが行なうようだ。
彼らは時間が惜しいらしく、すぐに移動を開始した。
役人が忙しいのは、世界が違えど同じなのか。
「我らは、明日の魔法のお披露目以外は暇ですからな。それほど急ぐ必要もありません」
「ブラットソンよ、そろそろ妾も紹介してくれぬか」
「これは失礼しました、テレーゼ様」
「妾は魔法は使えぬが、お飾りでも最高責任者なのでな。そなたたちの来訪を心より歓迎するぞ」
ブラットソンさんの後ろから姿を見せた女性は、誰が見ても高貴な身分であることがわかる人物であった。
喋り方がそのものであったし、服装や見た目もそうだ。
身長は百七十センチほどか。
多民族国家であるアーカート神聖帝国らしく、ヘルムート王国では見たことがない褐色の滑らかな肌が特徴の肉感的な美女である。
くすんだ金髪を肩まで伸ばしている彼女は胸はエリーゼに負けておらず、つい視線がそちらに……おっと、これは不敬だな。
結婚して久しぶりに色欲に塗れた俺からすると、『是非一度お相手願いたい』などと不謹慎なことを考えてしまいそうな魅力的な美女であった。
「妾は、テレーゼ・ジークリット・フォン・フィリップ公爵と申す。一応選帝侯ではあるが、皇帝には興味がないの」
「女性当主なのですか?」
「然り、我が国では認められておるからの」
アーカート神聖帝国では、女性の皇帝や貴族家の当主が認められていた。
これは、イーナが持参した『ブライヒレーダー辺境伯バルデッシュ紀行』にも書かれている事実だ。
「そういう文化の違いを楽しんでこその親善訪問であろう? もしかすると、バウマイスター伯爵殿はそういう風習が許せない口かな?」
「いえ、そういうことはないですね」
前世で勤めていた商社にも、女性社員など沢山いたのだから。
というか、性別など関係ない。
要は、当主として務まっていれば問題ないのだから。
「簡単な考えとして、魔法使いは魔法が使えればいいわけでして」
「領主は、領地の統治ができればいいと?」
「性別や年齢は関係ないでしょう」
「それもそうじゃの。じゃが、それ故に妾はここの担当になったわけじゃが……」
選帝侯の中では女性当主はフィリップ公爵だけらしく、男性主体の我が国の団員たちの担当にすると、予想外の軋轢が起こるかもしれない。
そう考えられて、こちらの担当に回されたそうだ。
「魔法使いは、魔法が使えないと意味がないですから。そこに、男も女もありません」
「そうじゃの」
魔法使いは、本能的な部分で性差別をする人が少ないと言われている。
ただ、生まれた家柄が高いとそうでもないし、実際に王国で雇われている魔法使いには男性が多い。
今回の親善訪問団の魔法使いの大半は男性であった。
実は在野で活躍している魔法使いも合わせると、男女比はほぼ半々だ。
もう一つ、女性の方が実利に聡いので、給料や社会的な身分が安定しているだけのお抱えよりも、稼げる冒険者稼業に進む人が多いという理由も存在しているのだが。
女性魔法使いの多くが、結婚するまでなるべく稼いでから、あとは子育てをしながらできる範囲で仕事をするという選択肢を取ることが多かった。
「ここで話ばかりをしていても時間の無駄じゃの。宿舎に案内するから、しばらく休んでから昼食会に招待したいと思う」
彼女の案内でバルデッシュの中央部にある皇宮近くの迎賓館へと馬車で移動するのだが、なぜか彼女は俺たちと同じ馬車に乗り込んだ。
「あの……導師やブランタークさんの馬車でなくて問題ないのですか?」
「年寄り連中は、詮無い腹の探り合いや募る思い出話もあろうからの。若い者は、若い者同士の方がよかろうて」
「(ぶっちゃけてるなぁ……)」
フィリップ公爵のあまりの言いように、ルイーゼがボソっと本音を漏らしていた。
「あの二人は、前回も参加していたからの。ブラットソンは前回も筆頭魔導師であったし、色々とあるのであろう。そこに、まだ若い妾が入るのもなんじゃしの」
「(まだ若いか……)」
女性に年を聞くのはどうかと思うので聞かないが、彼女はいくつくらいなのであろうか?
二十歳くらいに見えるのだが、それだと前回の親善訪問団の様子を知っているのはおかしいということになってしまう。
「妾も、当時はわずか十歳でフィリップ公爵家を継いだばかりでの。子供なので飾りではあったが、前回もこの役目を果たしておる」
父親の急死で、急遽フィリップ公爵家を継いだばかりの頃であったそうだ。
「そうですか」
「でなければ、いくら女性当主が認められているとはいえそう簡単には公爵にはなれぬよ」
結局のところ、アーカート神聖帝国でも男性の相続が優先されるそうだ。
女性の相続が認められるのは、養子や婿入りした者に任せると血が薄れるという考え方に基づくかららしい。
他にもいくつか家に特例があるそうだが、その辺の詳しい事情はテレーゼ様は語らなかった。
俺も、初対面の人に聞くのはどうかと思ったので聞かないでおく。
「しかし、導師は相変わらずじゃの」
「まあ、ああいう人なので……」
この話題に関しては、全員の気持ちが初めて完全に一致した。
「十年前と、まるで変わっておらぬ」
なんと、見た目もあまり変わっていないそうだ。
昔から筋肉達磨で、ヤクザも逃げ出すような容姿をしていたのだろうと容易に予想できる。
「そろそろ到着じゃの」
馬車が迎賓館に到着し、出迎えの使用人や執事たちによってそれぞれの部屋に案内される。
俺は伯爵であったので、かなり広くて豪勢な部屋に案内されていた。
ただ一つ気になることは、全員隣同士ではあるがエリーゼたちにも個室が与えられた点である。
「夫婦なら同室じゃないのかな?」
「そこは、歓迎の表れだと思ってくれて構わないぞえ」
部屋に荷物を置いて暫く休んでいると、フィリップ公爵自身が昼食会が始まると言って迎えに来てくれた。
「大変に光栄とは思いますが、フィリップ公爵様じきじきにですか?」
「妾は、そなたに大いに興味があっての。多少嫁き遅れではあるが、そう邪険にしないで相手をしてくれると嬉しいかの」
「嫁き遅れ? フィリップ公爵様は、若くてお美しいではないですか」
「お世辞でも、そう言ってくれると嬉しいの。では参るとするか」
「えっ!」
そう言うや否や、突然彼女は俺の手を引いて食堂へと移動し始める。
当然、公爵が公にやるような行動ではないので、それを目撃したエリーゼたちも絶句していた。
「そうそう。妾のことはテレーゼと呼ぶがよい」
「それはさすがに……」
「構わぬ。選帝侯で、皇帝陛下に継ぐ力を持つ妾の願いである。表だって非難をする人間などこの国にはおらぬ。陰口などは気にするに値せぬの」
普段はその身分に比べると気さくである彼女が、こういう時に限って選帝侯である事実を口にし、名前で呼ぶことを強要する。
間違いなく、俺など比べ物にならないほど貴族や皇族としては有能な人物のはずだ。
「わかりました、テレーゼ様」
「別に様もいらぬがの。まあ、周囲の目もあるので仕方ないかの」
どうやら俺は、この女性公爵様にもの凄く気に入られているらしい。
昼食会での席順も、主催者で所謂お誕生日席に座っているテレーゼ様の隣であった。
反対側の隣席には導師が座り、その隣はブランタークさん。
俺は、賓客という扱いか。
「(いいの? この席で俺はいいの?)」
生来の庶民癖を発動し、俺は少し落ち着かなかった。
「(おかしくはないです。ヴェンデリン様の序列を考えますと)」
テレーゼ様とは反対側の隣席に座るエリーゼが、そっと俺に教えてくれる。
魔法使いの中では、伯爵である俺は導師に次ぐ身分を持っている。
なので、導師と同じくテレーゼ様の隣でもなんの問題もない。
導師は子爵だが、こういう席では王宮筆頭魔導師の身分は公爵にも匹敵するそうだ。
「(私も、教会では有数の治癒魔法使いという扱いですから)」
それもあって、正式なメンバーではないのに俺の隣席なわけだ。
続けてカタリーナが座っているのも、彼女が名誉付きとはいえ爵位持ちであるからであった。
「それでは、乾杯するとしようかの。両国の永遠の友好を願って。乾杯」
「乾杯!」
テレーゼ様の指揮で乾杯が取られ、あとは話をしながらの食事なっていた。
メニューは魚を使ったフルコースで、これは海の幸が豊富な北方の料理であったはずだ。
「妾のフィリップ公爵領は、北方に存在しておる。ゆえに、北の海の魚を使った料理が有名じゃの」
魚を食べ慣れているだけあって輸送や処理も完璧であり、まったく生臭くなくて美味しかった。
「気に入ってもらえたかな? バウマイスター伯爵」
「はい、私は魚が好きですから」
わざわざ高い金を払って輸入しているくらいなのだから、そこは元日本人の業という他はなかった。
「それはよかった。しかし導師は変わらぬのぉ」
「某はまだ未熟な身故に、年など取っておれませんからな」
普段はアレであったが、さすがは法衣子爵家の当主。
完璧なテーブルマナーで料理を食べながら、テレーゼ様と話をしていた。
「テレーゼ様は、お美しくなられましたな」
「ブランタークは、よもや妾を口説くつもりかえ? 新婚の身で相変わらずよのぉ」
「いえいえ、そんな大それたことは」
「ブランタークが結婚するという驚愕の変化に比べれば、妾の成長など自然の摂理であろうよ」
「テレーゼ様は相変わらずですな」
十年ぶりだと言うのに、この三人はかなり親しく話をしている。
なにか思い出深い出来事でもあったのであろうか?
「十年前は妾も子供での。公式の歓迎行事以外は暇なので、この二人に遊んでもらったのじゃよ」
二人が護衛役を務め、普段テレーゼ様が行けないような観光地などに連れて行ってもらったそうだ。
導師ならいかにもやりそうなことだけど、ブランタークさんもかぁ。
「随分と無茶をしましたね」
「言っておくが、俺は最初止めたんだからな」
「なんとなく想像はつきます」
こういう遊びでノリノリになるのは、間違いなく導師の方であろう。
ブランタークさんは止めきれず、ならばテレーゼ様の安全だけは確保しようと、渋々護衛に付いたのが真相だと思う。
「おかげで、妾は安全に遊びに出かけられたというわけじゃ。本当に、魔法使い様々じゃの。ところで一つ尋ねてもいいかの?」
「なんでしょうか?」
「この中で一番魔法に詳しいであろうブランタークに聞くのじゃが。前に不思議な出来事があっての……」
それは、テレーゼ様がいつものように領内の視察に出かけた時のことであったという。
「ここ数年、北方の海の幸が帝国全土で大人気での」
鮮度を保つ保存方法の普及に、輸送効率のアップもあって、バルデッシュも含めて魚介類の取引量が増えているそうだ。
「輸出も好調での。じゃが、ただ獲ってばかりいれば漁獲量が減ってしまう」
獲っていい魚の大きさの制限や、禁漁期間の設定、魚礁の設置や簡単な養殖技術の開発に、密漁者の摘発など。
力を入れて行なっているので、現場の視察をよく行なっているそうだ。
「あれは、船に乗って沿岸の漁場の視察を行なっている時であった」
突然、テレーゼ様の下着が忽然と姿を消してしまったそうだ。
「(ヤバい……)」
「妾が脱いだのを忘れたのなら問題ないのじゃが、生憎と、妾はまだボケが始まる年でもないからの」
「不思議なこともあったものですね……」
完全に、あの魔導ギルドが試作した召喚魔法陣で呼び出された謎の下着の件であった。
確か、ベッケンバウアー氏もその下着が特注された高級品で、付いていた家紋がフィリップ公爵家の物だと証言していたはずだ。
「……」
ブランタークさんの方に視線を送ると、彼は一瞬だけ『やっぱり』という風な表情を浮かべ、すぐに慌てて表情を元に戻した。
ところが、他の随員には魔導ギルドの所属者も存在している。
ブランタークさんほど場慣れしていない彼らは、その件を思い出して表情を目まぐるしく変えていた。
「(動揺するな! バレるだろうが!)」
まさか彼らに文句を言うわけにもいかず、俺は自身の平静さを保つのに必死であった。
「まさか船の上で換えの下着も持っておらぬでの。帰りはスースーして堪らなかったわ。どう思う? ブランターク」
「なにか転移か召喚系の魔法ですかね?」
『まったく知りません』と言うと疑問を持たれる可能性があるので、ブランタークさんは本当の答えをわざとボカして答えていた。
「やっぱりの。ブラットソンもそう言っておったわ。しかし、不思議なこともあるものじゃの」
「本当に不思議ですね」
「そうだな、伯爵様の言うとおりだ」
俺とブランタークさんでわざとらしい会話を交わす。
なんとかこれ以上は追求されないままに昼食会は終了したが、あの動揺した魔導ギルド職員たちのせいでバレてしまったかもしれない。
そう思うと、これからどうなるのか不安を感じてしまうのであった。
しかし、あの下着の件が今になって祟るとは……。
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