第178話 貴族は、結婚式も初夜も面倒だ!(前編)
ブロワ辺境伯家との紛争が終わり、エルが失恋したり、大お見合い会が開かれて、それから更に一ヵ月後。
ついに俺は十六歳となり、ようやく完成したバウマイスター伯爵家本邸において結婚式が行われる。
勿論、前世も含めて俺に結婚の経験はない。
現代日本において二十五歳で独身の人など珍しくなく、決して俺だけがモテなかったわけではないことだけは言っておく。
社会人になって彼女がいたことはないけど、それは仕事が忙しかったからだ。
ゆえに結婚式は、友人や親戚の結婚式に出たくらいである。
その時には当事者でない気楽さからか、新婦の友人席に座っていた女性に連絡先を聞いてみたり、キャンドルサービスの時に自分のテーブルのロウソクの芯を水で濡らすなんていうイタズラを同じ席に友人たちとしてみたり。
小市民的な結婚式の楽しみ方を実演したものだけど、今の俺は貴族である。
しかも伯爵様で、王国の肝入りで未開地の開発を進めている。
当然結婚式には、沢山のお客さんを招待しなければいけない。
各地の大物貴族たちや、未開地開発でお世話になっている中央の大物法衣貴族たち。
そして、縁ができた普通の貴族たちと。
バウマイスター伯爵領は遠いので、人によっては跡取りが代理として出席するパターンも多いはずだと予想していたが……今回は全員当主が出席すると返答したそうだ。
みんな、未開地開発に興味津々なのであろう。
早めに到着して、建設中のバウルブルクを興味深そうに視察している貴族たちが多いと、ローデリヒが報告してきた。
そのローデリヒは、招待客の選別と確実に招待状を出したのかの確認で大忙しだった。
もし一人でも漏れがあると大変だそうで、この時ばかりは胃が痛そうだったのを覚えている。
エリーゼが薬草を煎じた胃薬を彼に渡し、随分と感動していたみたいだけど。
すでに多くの招待客が集まっているそうだが、閣僚たちはまだ見慣れているだけマシってのも凄いな。
それよりも、今日初めて顔を合わせるような招待客たちにこれから挨拶していくのを考えると、非常に憂鬱であった。
あとは、一人も漏れなく招待したよな?
何度も確認したから大丈夫だと思うけど……。
『これで大丈夫なはず……』
エリーゼ特製の胃薬を多用しながら、ローデリヒはリストの確認に余念がなかった。
貴族とはプライドが高い生き物なので、自分が結婚式に呼ばれなかったというだけで激怒し、以後、感情的にこちらの邪魔をしてくる可能性があったからだ。
ローデリヒからして、第二のルックナー男爵はゴメンなのであろう。
ただ、貴族が結婚式に参加するとなると、手ぶらというわけにもいかない。
魔導飛行船の代金は、王国がチャーター便を出してくれたので無料だったが、王都までの交通費、バウルブルクでの滞在費、ご祝儀とお金がかかるので、中には招待されない方がありがたいなんて貴族も……もし本当にそう思っていても、それを言えるわけないのが貴族なのだけど。
『来る、来ないのは本人の自由ですので、なるべく招待はしたいと思います』
『面倒くせぇ……』
『実は大半の貴族たちが、内心では思っていますよ。お祝いも多く包まないと駄目ですし、お返しとかも面倒ですから……』
『お返しが面倒なのはうちじゃないか』
『将来、向こうの冠婚葬祭への出席もありますからね』
『もう今から行きたくない』
『いや、絶対に招待されますから。出席するしないは自由ですけど』
『本当?』
『とはいえ、最低でも代理人を出席させるのが常識です。招待者によっては、お館様自身が出席しないと失礼にあたるケースもあります』
『結局、面倒じゃないか!』
ローデリヒからそう聞いた俺は、貴族のつき合いの面倒臭さをあらためて実感することになる。
すでに多くの招待客たちと、その付き人や護衛たち御一行でバウルブルクの町は人で溢れており、宿泊する人もいてヴァイゲル準男爵領やバウルブルクの宿屋は大忙しだそうだ。
カタリーナ……は花嫁だし、その手の仕事に向いていないので、今はうちで相談役をしているハインツも急遽仕事を手伝っていた。
街中に人が多いので、警備隊のみんなも警備で大忙しだ。
言うまでもなく、ローデリヒはもっと忙しい。
結婚式に関わる雑務のすべてを取り仕切っているので、新婚なのにまったく休みが取れていない状態が続いていた。
結局彼は、八歳のルックナー財務卿の孫娘を正妻とし、他に商務族のレッチェ伯爵の長女レティスを妻に迎えている。
これからバウマイスター伯爵領の開発が進むと商業関連の話が出てくるので、そういう形になったわけだ。
八歳の子の方はまだ結婚できないので、今は王都で嫁入り修行中という扱いだが、将来彼女が産んだ子供があのお騒がせ男ルックナー男爵家を継ぎ、レティスの子が陪臣家を継ぐことで話が纏まった。
結婚前から面倒臭いことだ。
しかもその話し合いに、ローデリヒ本人がほとんど加われていない時点で、貴族という生き物の悲哀を感じてしまう。
こういう風に決めても子供が生まれないケースもあるので、またそれはそれで面倒になるらしい。
できれば、ちゃんと子供が生まれてほしいところである。
『お館様も、他人のことは言えないのですが……』
もしエリーゼに男子が生まれないと、同じく面倒なことになるそうだ。
と言われても、こればかりはその時になってみないとわからない。
平成日本では、よほどの田舎でもなければ、子供が男でも女でもそれほど問題にもならないので、俺にはその辺の感覚が理解できないのだ。
『それにしても、結婚ラッシュで疲れましたな』
ローデリヒの言うとおりで、この一ヵ月ほどは結婚式に出てばかりだったのを思い出す。
あの大お見合い会ですぐに結婚を決めてしまったカップルの結婚式に、みんなで毎日駆け回る羽目になっていたのだ。
『エーリッヒ兄さん。二次会には出られません、ごめんなさい』
『やはり忙しいのかい?』
『今日は、これから家臣の結婚式が二つ行われますので……』
『ご愁傷さま』
その間、王都で側室を迎え入れたエーリッヒ兄さんの結婚式に出たのだけど、あまりゆっくりできなかった。
俺が『瞬間移動』が使えるものだから、鬼のローデリヒによってガッチリとスケジュールが組まれてしまったのだ。
『一日に三件の結婚式に出る貴族って、初めて聞いたな』
『ヘルムート兄さん、代理で出てくれませんか?』
『いやいや、ヴェルの家臣の式だから無理だろう! 俺が出たらおかしいじゃないか』
『ですよねぇ……』
同じく昨日に結婚式を行ったヘルムート兄さんが、同情の視線で俺に向けた。
側室を迎えるだけの結婚式は、正妻のものよりも質素にするケースが多い。
ところが俺絡みなので規模が大きくなってしまい、スケジュールにも無理があったので父、母、ヘルマン兄さん、パウル兄さんたちを『瞬間移動』で王都まで送り届ける羽目になっていた。
特に両親は、すでに隠居したとは言っても、残念ながら俺のせいでこの手のつき合いからは逃げられない。
五十歳を過ぎて初めて大物貴族たちに挨拶をしたり、話をしたりで、色々と大変そうである。
ましてや俺なんて、家族を送迎するタクシー扱いで十分なのに、結婚式の会場にいれば出席者の貴族たちに話しかけられ、歯の浮くようなお世辞や未婚の妹、娘を紹介されたりする。
ようやくそれが終わって席に座ると、ただ溜息しか出なかった。
『ヴェル様、これ美味しい』
『ヴィルマは変わらずに可愛いなぁ……』
『いい気持ち……』
こういう時には、いつもと同じ行動を取るヴィルマが可愛く思えて、思わず頭を撫でてしまった。
彼女がパーティーに出ると、ひたすら美味しい物を探して食べていたからだ。
どうにか俺からなにか利益を引っ張ろうとする連中ばかり相手にしているので、ヴィルマを見ていると癒されるなぁ……。
連れている婚約者が彼女一人なのは、あまりにクソ忙しいので一人ずつ順番にと決めていたからだ。
出席していないエリーゼたちも自分たちの結婚式の準備で忙しいので、別にサボっているわけではない。
『バウマイスター伯爵は、もっと食べた方がいいぞ』
ヴィルマの義父であるエドガー軍務卿も、ヴィルマと同じようなタイプであった。
ヴィルマの隣で、義娘の勧める肉料理をまるで導師のように頬張っていた。
『エドガー軍務卿はよく食べますね』
『食うくらいしか趣味がないからな』
とはいえ、普段は太らないように体を鍛えて粗食に耐えているらしい。
これは、息子であるトリスタンから聞いている。
他の貴族から招待されたパーティーで食べることで、己の欲望を発散させているそうだ。
『食っていれば、面倒なダンスの誘いとかをかわせるからな!』
『お義父様、これ美味しい。食べる?』
『おお我が義娘よ! 皿にいっぱい盛ってくれ』
『わかった』
多分、軍系の貴族だからそれが許されているのだと思う。
しかし、血が繋がらないのによく似た親子である。
『パウル兄さんは、どんな感じですか?』
『奥さんが二人いると面倒だな。ヴェルは良く五人も貰うなって感心するよ』
俺は、エドガー軍務卿と一緒にいたパウル兄さんにも声をかける。
彼は警備隊時代のツテで寄親がエドガー軍務卿であり、側室もその縁で、今日のつき添いも大切なお仕事というわけだ。
『この前、六人になりかけましたけどね』
『ブロワ辺境伯家の末娘だっけか?』
『今は、元ですけど……』
『よくぞ突っぱねた! 褒めてやるぞ!』
エドガー軍務卿に思いきり背中を叩かれて、俺は一瞬息が詰まってしまった。
彼からすると褒めているのであろうが、力が強すぎて俺の体へのダメージが大き過ぎるのだ。
『ヴェルの友達のエルヴィンが失恋した話も聞いた。大丈夫なのか?』
生粋の貴族ならばエルを批判するのであろうが、パウル兄さんもあまり貴族らしくないので、同じ男として純粋に失恋したエルに同情しているようだ。
『俺も、警備隊時代にあったからなぁ……。声をかけようにも、身分違いでそれすら叶わないとか。それを思うと、今は隔世の感があるけどな』
『そうだったんですか』
普通に考えると、パウル兄さんが貴族になれる可能性はゼロに近かった。
だから、気になる女性が貴族の娘だとどうにもならなかったのであろう。
『エルは大丈夫だと思いますよ』
『彼は逞しそうだからな』
『こんにちは。お嬢さん。私はバウマイスター伯爵家に仕えるエルヴィン・フォン・アルニムと申しまして』
俺の護衛として結婚式に参加していたエルは、綺麗な未婚に見える女性たちに声をかけ、理想の嫁探しに奔走していた。
ついこの前に失恋したとは思えないタフさである。
大お見合い会を呆けて逃したので、挽回を狙っているのだろうけど。
『そのくらい逞しくないと冒険者はできない』
『なるほど……』
パウル兄さんは、ヴィルマの意見に深く頷いていた。
『ところで、ヘルマン兄さんのところはどうなったんだ?』
元バウマイスター本家なので、ルックナー財務卿などが気を使ってヘルマン兄さんの側室探しをしたのだが、実は一つ問題があった。
ヘルマン兄さんの正妻であるマルレーネ義姉さんは、親族とはいえ陪臣の娘なので身分が低い。
次男であるヘルマン兄さんは元々陪臣家の跡継ぎとして期待されていたので、外から嫁を迎え入れなかったのだ。
『下手に外から側室を迎え入れると、側室の方が身分が高くなってしまうんですよ』
どんな貧乏騎士の娘でも、さすがに陪臣の娘よりは身分が高いからだ。
『うわっ! その手の面倒な話かよ!』
パウル兄さんもその手の話はお腹一杯のようで、露骨に嫌な顔をしていた。
『それでも、ルックナー財務卿たちは懸命に探したそうですよ』
『俺も探したぞ! 骨折りだったがな! あははっ!』
肉料理のお代わりをヴィルマに頼みながら、エドガー軍務卿も話に加わってくる。
『例は少ないが、こういう状況だと普通は妻の序列の変更を要求するんだがな。バウマイスター伯爵の兄貴に断固拒否されてしまった。あいつ、意外と男気があるな』
大物貴族の陪臣の娘でもまだマルレーネ義姉さんの方が格が低いという現実もあり、ルックナー財務卿たちは側室探しに思わぬ苦戦をしたそうだ。
名乗り出た家は多かったのだが、みんな口を揃えて『では、うちの娘が正室になるのですな』と言い始めたらしい。
『ルックナーのバカが一度折れて、バウマイスター伯爵の兄貴に一度奥の序列の交換を頼んでな』
『そんなことをヘルマン兄さんに言えば……』
ヘルマン兄さんは、次期当主であったクルトにも平気で逆らった人なのだ。
そんな要求を呑むはずがない。
『案の定、では側室はいりませんとキッパリと言われてな』
『ヘルマンの兄貴なら、そう言うよな』
現在、マルレーネ義姉さんは三人目を妊娠しており、領地の開発が進んで名主や陪臣が足らなくなれば領内で側室を探せばいいのだから。
『それでどうなったんです?』
『ルックナーが、涙目で寄子たちを探してだな……』
『あの人、たまにチョンボするなぁ……』
『フォローの才能は凄いんだけどな』
とある男爵家の四女にあたる、義娘を嫁がせることに決めたそうだ。
『義娘?』
『当主が、他所で平民の娘とだなぁ……』
外で作った娘なので本家には入れられず、実の娘なのに養女としてヘルマン兄さんに嫁がせる。
養女だから側室でも構わないです、ということのようだ。
『嫌な話ですね……』
『そいつは知っているけど、本妻がえらくキツイ女でな。外に安らぎが欲しかったとか言ってたな。その娘も家に入れようにも本妻が虐めるのは目に見えていたし、渡りに船だったようだ』
援助はしていたが平民として暮らしていたので、うちのような田舎貴族領ならば、さほど苦労しないで済むはずだという理由もあるらしい。
『本人は喜んでいたよ。子供が名主や陪臣になれるからな』
『となると、あとはマルレーネ義姉さんの機嫌か……』
『ヘルマンの兄貴ならなんとかするよ』
俺とパウル兄さんは、あとは本人同士の問題であると、その話題について考えるのをやめた。
決して、マルレーネ義姉さんが怖かったからではない。
『バウマイスター伯爵も気をつけろよ』
『俺は、エリーゼたちの子供に不自由させないようにする義務がありますので』
全員に伯爵位はやれないが、それなりの生活を確保してやらなければいけない。
当主というのも、なかなかに大変なのだ。
『バウマイスター伯爵は、自分を殺そうとした兄の子供たちにも爵位と領地を渡す剛毅な男だからな。心配はしていないぞ』
なにか引っかかるエドガー軍務卿の物言いであった。
もしかすると、アマーリエ義姉さんとの件がバレているのであろうか?
『(バレてはいないはず……)』
心の中で必死に考えていると、不意に肩を叩かれる。
叩いていたのは、肉料理を大量に盛った皿を持ったヴィルマであった。
『エリーゼ様は、黙認するって』
『(バレてるぅーーー!)』
俺は冷や汗を流しながら、心の中で叫び声をあげていた。
しかしそれを声にしてしまえば、その事実を認めることになってしまう。
もうバレているが、あえて認める必要などない。
嘘はつき続けることに価値があるのだと、バウマイスター伯爵っぽく格好つけてみた。
大貴族に、秘密の一つや二つあって当然なのだから。
『なんのことかよくわからないなぁ』
『(あのさ、ヴェル。週に五日も通ってバレないはずがないだろうが……)』
『(いや、アレは仕事で……)』
『(うちの領地の開発が早すぎるんだよ)』
どうやら、領地開発にかこつけて密会を行う方式がよくなかったらしい。
パウル兄さんに指摘されて、俺はようやく己の失態に気がついた。
密会の回数は、意地でも減らさないと決めて。
とにかくそんな感じで、このところ忙しかったわけだ。
そして今日、ついに俺の結婚式当日を迎えることになった。
「なんだ、伯爵様。随分とガチガチじゃねえか。結婚式なんて、紛争よりも楽だろう?」
「いやいやいや、結婚は人生の重大事ですよ。それは緊張しますって。緊張を解すのと、ストレス解消も兼ねて狩りに行きたい。この一ヵ月ほどまったく狩りをしていないなぁ……」
「そりゃあ、スケジュール的に不可能だからな」
土木工事か結婚式への出席で、俺のスケジュールは99パーセント埋まっていたのだから。
結婚式が始まる前、この日のために誂えた貴族専用の高価な礼服に着替え、控え室で待機していた俺は、様子を見に来たブランタークさんからガチガチに緊張しているのを指摘されてしまった。
「招待客の面々を知ったら、誰でも緊張しますって」
「確かに、うちのお館様でもあそこまでの面子にはならなかったそうだからな。人気者は辛いな」
「そういう人気者とは違うと思うなぁ……」
貴族が沢山いるのは、いいというか仕方がない。
家族も別に構わない。
どうせうちの家族は、エーリッヒ兄さん以外貴族のオーラに乏しいのだから。
閣僚たち、導師、ブライヒレーダー辺境伯、新ブロワ辺境伯と、すでに知己なので問題は……ない。
ところが、彼らよりも上位の招待客がいて、俺の緊張を増幅させていた。
「王太子殿下って、あまり顔を合わせた記憶がないんですよね」
「俺なんて、顔すら見たことがないけどな」
「えっ! そうなんですか?」
「陛下はあるけど、ヴァルド殿下はないなぁ……」
将来、南部を統括する二大貴族家の一つになるバウマイスター伯爵家当主の結婚式に、王太子殿下が出席をする。
まだ未開地開発には時間がかかるので、将来の陛下が出席することに意味はあるのであろう。
だが、あまり顔を合わせた記憶がないので、陛下と会うよりも緊張してしまうのだ。
「ヴァルド殿下は、あまり目立たないと評判だからな」
文武共に優れた人らしいのだが、どういうわけかあまり目立たない人らしい。
現代風に言うと、ステルス殿下とでも言うべきであろうか?
「殿下はまだいいんですよ」
なにしろステルス殿下なので、結婚式が始まれば気にならないはずだからだ。
「なぜ総司祭が?」
この世界の結婚式は、限られた親族と厳選された出席者しか参加できない教会内での式と、屋敷などで行われる披露宴とに別れている。
この辺は、地球の結婚式と大差ない。
それは前世と同じだからいいとして、なぜか俺たちの結婚式を取り仕切るのが、カソリック教会で一番偉い総司祭様であった。
地球で言うと、ローマ法王が結婚式で神父様をしてくれるわけだ。
これで緊張しない方がおかしいと思う。
「ホーエンハイム枢機卿は、孫娘の結婚式だから神父役はできないのさ」
身内の神父役はできないという、教会独特の決まりがあるのだそうだ。
本当なら、ホーエンハイム枢機卿は次期総司祭に一番近いと言われているので、神父役をしても不思議はないそうだが、今日は親族側の上座で大人しく座っていた。
結婚式の時に新婦を誘導する役は、エリーゼは父親であるホーエンハイム子爵公子が……公子とは言ってもおじさんだけど……。
ヴィルマはエドガー軍務卿が、カタリーナはハインツが、ルイーゼとイーナはそれぞれの父親たちがその役に決まっている。
そういえば、初めてルイーゼとイーナの父親に会ったのだが、彼らはあの出席者の中で娘とバージンロードを歩く大役のために緊張して顔が強張っていた。
気持ちはよくわかる。
俺だって、本来はそちら側の小市民的な人間なのだから。
『ヴェンデリンが娘でなくてよかった……』
うちの父は、自分がエスコート役をやらずに済んで、心から安堵の表情を浮かべていた。
「人生の墓場へようこそ」
「それを、新婚のブランタークさんが言うのですか?」
「へん。一応、俺は既婚者の先輩だからな」
「わずか数週間でしょう?」
「それでも、先輩は先輩さ」
死後の遺産相続で迷惑をかけるなという理由により、主君であるブライヒレーダー辺境伯の命令で強制的に結婚させられたブランタークさんは、心なしか前よりもローブが綺麗だったり、身なりに気を使っているように見える。
仄かに香水の香りもして、やはり結婚すると男性には変化が訪れるようだ。
以前に、エリーゼたちから加齢臭を指摘されて気にしているのかもしれない。
「それよりも、奥さんが多くて大変だな」
一度に五人というのは、大物貴族でも多い方らしい。
その代わり、最初は人数は少ないがあとで増やす人も多いので、それほど多いというわけでもないのだが。
成功した大商人の中には数十人の愛妾を抱える人もいるそうで、その数の多さも自分がどれだけ商売に成功しているのかを世間にアピールする狙いがあった。
せっかく商売に成功しても奥さんの数が少ないと、『実はあの商会は内情が火の車なんだ』などと疑われ、商売に影響することもあるそうだ。
大商人も、貴族も、奥さんを複数持たないと仕事が上手く行かないなんてこともあったりする。
もしその話を現代日本の人たちが聞いたら驚くだろうなとは思う。
「アルテリオさんとか、実は数十人もいたりして」
「そんなにいませんがね。バウマイスター伯爵様」
「よう、大商人」
「よう、ようやく結婚した我が友よ」
結婚式の前に控え室で話をしていると、そこにうちの筆頭御用商人になったアルテリオさんが挨拶にやって来た。
彼は、まだ人手が足りないバウマイスター伯爵家のために、自分の商会から手伝いの人手を出しており、非常にありがたい存在だ。
「うちは最近膨張が激しいから、そういう話も多いけどね。ですが忙しいんですぜ、伯爵様」
それでも、アルテリオさんレベルの財力を持つ人の奥さんが一人だと周囲がうるさいそうで、彼も奥さんは三人いるそうだ。
「別に興味がないわけじゃないけど、仕事の方が面白いという現実もありますからな」
「俺はどっちなのかな?」
「若いのですから、新婚時代くらいは色に溺れていてください。子孫繁栄的な意味も含めて必要なことですぞ」
御用商人になったアルテリオさんは、その口調を丁寧なものに変えていた。
ただ、いきなり謙り過ぎると俺が引くと思ったのであろう。
少し中途半端にしているようだ。
ブランタークさんは俺の師匠なので、公式の場でもなければ今までのままである。
その方が気楽で、俺はいいと思っているのだが。
「ブランタークは、よく奥さんが一人だけで済ませているよな」
「この年で複数は辛い。アガーテは若いから、普通に子供は産めるだろう」
アガーテとは、ブランタークさんの奥さんの名前である。
ブライヒレーダー辺境伯領に接した、小領主混合領域にある小さな騎士爵家の長女で年齢は二十歳。
ブランタークさんが冒険者時代に仕事でそこを訪れた経験があり、その顔を知っていたそうだ。
「もっとも、もう十五年も前の話だ。『魔法使い様だぁーーー』と言いながらちょこまかついて来た子供が女になっていて、さらに俺の嫁になるとはなぁ。世の中は不思議なものさ」
年齢差は三十歳以上であるが、この世界では別にロリコンだとかは言われない。
別に珍しい話でもないからだ。
「ついにバウマイスター伯爵も結婚か。感慨深いのである!」
最後に導師が、女性陣の着付けなどが終わったようで俺を呼びに来た。
彼の案内で領主館の隣に建設された教会正面の入り口に立ち、大きなドアが開くと、事前の打ち合わせどおり神父役の総司祭が待ち構えている。
教会の造りは、キリスト教のものとそう差はなかった。
聖餐台があって、中央の通路がバージンロードになっており、招待客が座る長椅子なども設置されている。
まだ細かな装飾などは完成していないらしいが、教会の隣にバウマイスター伯爵領内に建設される教会の統括を行なう管区本部もあるので、天井や壁にあるステンドグラスなどと合わせて非常に豪華な造りになっていた。
「(さすがは教会。金があるなぁ)」
その辺は、地球とそう差はないようであった。
人と信者で、儲ける。
一人で歩いて聖餐台の前に立つ総司祭の前に立つと、今度は新婦たちが父親などのエスコートを受けて入場してくる。
最初はエリーゼであり、彼女は正妻なので一番豪華なウェディングドレスを着ていた。
父親であるホーエンハイム子爵公子に手を引かれながら俺の隣まで歩いて来て、俺は彼からエリーゼの手を引く役割を引き継ぐ。
「(この辺も、親戚の結婚式が教会式だったけど同じだな)」
まったく違う段取りなら緊張しまくりだったかもしれないが、その点では助かっていた。
続いて、ヴィルマ、カタリーナ、ルイーゼ、イーナと入場してきて、聖餐台の前がかなり混んでしまう。
普通は多くても三人くらいらしいので、仕方がないとも言えた。
「さて。これより、ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスターの結婚を神に報告する旨をここに宣言する」
八十歳近い総司祭が、結婚式の始まりを告げる。
俺の名前しか言われないのは、それが風習だからとしか言いようがない。
男性の伯爵が結婚する。
この事実だけで十分というわけだ。
地球のフェミニストの人たちが聞けば、それだけで憤慨物なのであろが。
「汝ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスターは、エリーゼ・カタリーナ・フォン・ホーエンハイム、ヴィルマ・エトル・フォン・アスガハン、カタリーナ・リンダ・フォン・ヴァイゲル、ルイーゼ・ヨランデ・アウレリア・オーフェルヴェーク、イーナ・ズザネ・ヒレンブラントを妻とし、これを終生愛することを誓いますか?」
「(凄い、言いきったな……)誓います」
長い五人のフルネームを、まるで呪文のように総司祭はひと呼吸で言いきっていた。
これが仕事なので、慣れているんだろうな。
なぜなら、俺だってたまにルイーゼとかカタリーナのフルネームが言える自信がないからだ。
その時はなんとなく覚えるのだけど、一週間もすると怪しくなる。
エリーゼたちのフルネームなんて呼ぶ機会がないので、すぐに脳が忘れてしまうのであろう。
「次に、エリーゼ・カタリーナ・フォン・ホーエンハイムは、ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスターを夫とし、これを永遠に愛することを誓いますか?」
「はい、誓います」
続けて、四人にも同じことを聞く。
妻たちには、一人一人聞くようだ。
みんな『はい。誓います』で、突然某映画のように別の男性が扉を派手に開け、花嫁を連れ出すなんて展開はなかった。
警備的体制的に考えて、なくて当たり前とも言えるのだが。
教会に到着する前に、警備隊に捕らえられてしまうだろうから。
「(ヴェル、なにか変なことを考えてない?)」
勘が鋭いルイーゼに小声で聞かれてしまうが、小市民の俺にはこの空気が重たいので、他のことを考えて気を紛らわせているだけだ。
「次に、誓いの口付けを」
結婚式の前にも結構していたが、ここでみんなの前でキスをすることによって『俺の妻だから手を出すなよ』と周囲に伝える意味があるそうだ。
ただ、神官の前なのであまり派手なキスは禁止である。
少し唇が触れる程度で順番にキスをしていく。
「(カタリーナ、大丈夫か?)」
「(さすがに慣れましたわ)」
見た目とは違ってこの手のことにまるで免疫がないカタリーナを心配したのだが、さすがに慣れてきたようだ。
俺と普通にキスをしていた。
「次に、指輪の交換を」
これも、事前に準備していた五つの家紋入りの白金製の指輪をエリーゼたちの指につけていく。
五人分なので少し時間がかかった。
「以上をもちまして、神への報告が終わりました。新しい夫婦の門出に神もお喜びになるでしょう」
本当に神様がいて、俺たちの結婚を喜んでくれるのかは不明であったが、もしかしたら俺をこの世界に送り込んだ神様がいるかもしれない。
ただ、そんなことを考えても意味がないので、決まっている総司祭の文言を軽く聞き流していた。
「さて、最後にですが……」
教会から出ると、地球の結婚式ではお馴染みのブーケトスが行なわれるのだ。
教会内に入れなかった参加者たちの中で、さらに未婚の娘たちが最前列に並ぶ。
随分と気合が入っいているように見えるが、大貴族の娘は自分がはしたなくブーケを取りに動かない。
その代わり、メイドや使用人たちを動かしていた。
取った人が次に結婚できるというジンクスはこの世界にもあり、無事に取れると褒美が貰えるそうで、彼女たちも真剣だ。
『実際にブーケを取ったメイドが次に結婚できるんじゃないの?』と質問するのはご法度らしい。
貴族令嬢は周囲の目もあって自分で取りに行けないからこそ、メイドを使ってブーケを取らせるのだから。
「では、投げ入れてください」
これが取れたからといって、本当に次に結婚できる保証もないと思うのだけど、彼女たちは真剣に五つのブーケを取り合っていた。
まさしく、肉食系女子たちによる壮絶なブーケ争奪戦である。
ブーケは無事に五人のメイドの手に渡り、それぞれが仕えている令嬢の元に持っていく。
中には早速、褒美の入った袋などを貰っている者もいた。
そしてその中に、一人異色な人物が混じっていた。
「よくぞブーケを取ってくれたの、褒美を与えよう」
どう見てもアラフォー以下には見えない豪華なドレスを来た中年女性が、ブーケを取って来たメイドに褒美を渡していた。
初めて見るが、彼女があの噂のアニータ様のようだ。
ブライヒレーダー辺境伯は、どういう意図で彼女を連れて来たのであろうか?
かなり謎であった。
「(というか、まだ結婚する気あるんだな……)」
口には出せないが、周囲でそう思っている人は多いはずだ。
「結婚式も無事に終わりましたので、披露宴に入りたいと思います」
結婚式自体は一時間も経たずに終わったが、その後は日が暮れるまで披露宴とパーティーに拘束され、俺たちは疲労困憊のまま夜を迎えるのであった。
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