閑話2 とある貴族の慣習について(その2)
『というわけで、お前に折り入って相談があったな。必ず一人で来てくれ』
「はあ……必ず一人でですか……」
『そうだ。必ず一人でだ』
今日も今日とて、紛争が終わった俺が土木工事に勤しんでいると、突然魔導携帯通信機の呼び出しアラームが鳴った。
急いで出るとなんと父からで、隠密にとても重要な要件があるそうだ。
だが俺には、その重要な要件とやらが思いつかなかった。
父はもう引退しており、パウル兄さんの領地で開発の手伝いをしているくらいだ。
一部にしか渡していない魔導携帯通信機であったが、実は父には渡していない。
パウル兄さんには渡していたので、多分彼のものを借りて連絡をしているはず。
となると、パウル兄さんも承知している案件ということになるのか?
その要件とやらの詳しい内容を聞くと、直接顔を合わせて話をしたいそうだ。
直接ということは、やはり重要な案件なのか……。
「エリーゼ、今日は屋敷に戻らないかも」
『わかりました』
まさか話は聞かないわけにもいかず、土木工事を終えた俺はエリーゼに魔導携帯通信機で連絡を入れてから、パウル兄さんの領地へと『瞬間移動』で飛んだ。
パウル兄さんの領地はまだ開発途上ではあるが、領内は活気に満ち溢れていた。
警備隊で知り合った人たちなどで家臣団を形成し、パトロールや取り締まりで知っていたスラムの住民たちを連れて来て、農地などを耕させていたのだ。
家屋や道の整備も続いており、領内の中心部では屋敷の建設も急ピッチで進んでいる。
今はレンブラント男爵が移築した古い家で政務などを行っているのでそこに顔を出すと、父とパウル兄さんが待っていた。
「よく来たな、ヴェンデリン」
「あの……父上。今日はどのような用件でしょうか? なにかとても重要なことのようですが」
「ええとだなぁ……。パウル」
「はあ……。お茶とかいらないから外に出てろ。ドアの外で盗み聞きする奴がいないように注意してくれ。お前たちは、漏らしたらわかっているな?」
パウル兄さんは書斎から使用人たちを出すとのと同時に、彼らに入り口で盗み聞きがないか見張っていろと命じていた。
盗み聞きされると困るほど重要な話のようだ。
「外部に漏れると大変なのですね?」
「そうだな。知る人は少ない方がいい」
父の表情は神妙なままであり、よほど大切な話らしい。
「それで、その内容とは?」
「ヴェンデリンは大貴族になった。それも、広大な領地を持つ伯爵様だ」
「はあ」
「大貴族になるとだな。特に大切なことがある。わかるか?」
「円滑に領地を治めることですか?」
「それは勿論大切だ。だが、その前に子を成して次代以降も家を存続させる必要があるわけだ。子がいないと家が続かないからな」
「エリーゼたちがいますけど」
父の発言を聞き、俺は彼が側室を押し込むのではないかと思ってしまった。
それに、俺もエリーゼたちもまだ成人したばかりだから、今から焦るような話なのかともだ。
「いや。誤解を与えたようだが、側室とかそういう話ではないのだ。結婚をするにあたり、無事に子を成せるようにだな……」
どうにも父の話が要領を得ないので首を傾げていると、横で見ていたパウル兄さんが助け舟を出した。
「簡単に言うと、ヴェルが童貞のままじゃまずいと。そういうわけだ」
「女でも買いに行けと?」
父や兄から言われて女を買いに行くというのも嫌だし、ブランタークさんやエルでもあるまいし、今の俺には難しいことであった。
それにこの体はいまだ童貞だが、前世では多数とは言わないが経験が皆無というわけでもない。
余計な心配だとは思うが、まさかそれを教えるわけにもいかないので、どう断ろうかと思案に耽ってしまった。
「さすがに、伯爵様に女買いを勧められないのは私にでもわかっているぞ」
「では、本で学習しろってことですか?」
そういえば、実家の書斎にはそういう本も存在していたのを思い出す。
表紙が見えないように本棚の奥に横にして隠してあったのだが、俺からするとイラストが微妙すぎて、見る気が起きなかったのを覚えている。
現代日本がその手の分野では最強だということを、改めて思い知らされた瞬間であった。
「いや、そういう時のための『あてがい女』である」
なんとなくではあるが、言葉面で大体意味が想像できてしまった。
要は、結婚前にそういう女性を相手にして経験値を稼げということなのであろう。
「初めて聞く言葉ですね」
「うちは、貴族でも最下級だったからなぁ」
パウル兄さんが説明してくれるが、『あてがい女』とは貴族など家を残すことが重要な家の嫡男に、未亡人などをあてがう慣習なのだそうだ。
経験のある女性に、経験のない男の相手をしてもらう。
ただし、その嫡男が結婚するまでに極秘裏にだ。
完全に秘密にするのは不可能であったが、なるべくその存在を結婚する妻たちに見せないようにする。
期間限定の、妾のような制度であると思われる。
「はあ、経験のある女性にですか……」
「未亡人などが多いな」
旦那がいると面倒だし、経験のない女性をあてがっても意味がないわけで、自然と未亡人が務めることが多くなったと思われる。
「(しかし……)」
ここは、ブライヒブルクや王都ではない。
経験のある未亡人という括りだと、とんでもないおばさんが現れる可能性を考慮しないといけない。
思えば、前世で新入社員の頃、会社の上司に飲み会の帰りに風俗に連れて行ってもらったことがある。
その某上司氏によると、大変にサービスがいい美熟女が多く在籍していて評判のお店だと言っていた。
別にEDでもないし、どうせ当時気を使うような彼女もいなかったし、普通に興味があったのでワクワクしながら相手の女性を待っていると、そこに俺の母親よりも年上のピグモンが現れた。
なんという、孔明の罠!
俺はこの店に案内した上司氏に、心の中で呪詛の言葉を吐く羽目になる。
どうにかなにもしないで誤魔化そうとしたが、ピグモンはえらく職務に忠実だった。
結局、同期入社した綺麗な女性社員を思い出しながらことを終えたのだが、その時から俺は信用などしなくなった。
熟女とか未亡人が素晴らしいのは、あくまでも創作物の中だけなのだと。
「(父は、親切で言っているんだろうな……)」
多分、『あてがい女』がいないような貴族家の跡取りというのは、一段低く見られてしまうのであろう。
ましてや、今の俺は伯爵である。
父は俺が恥をかかないように、そういう女性を用意したのだと。
その点は感謝しているのだが、かなりの確率でピグモンなのはいただけなかった。
「(俺、勃つのかね?)それで、その女性とはどんな人なのですか?」
「年齢は、ヴェンデリンの一回り上だな」
どうやら、熟女という名のおばあさんは避けられたようだ。
だが、現物を見るまではまったく油断できなかった。
「年齢的に言うと、アマーリエ義姉さんくらいですか」
「そのアマーリエだ」
「えっ?」
「一番条件に適合したのがアマーリエでな。本人も了承した」
俺に女を教える人が、兄の未亡人という現実。
半分冗談で聞いたのに、まさかその人が『あてがい女』であると聞かされ、俺はその場で絶句してしまうのであった。
「パウル兄さん」
「すまん! この件では、俺も手助けできないんだ」
いきなり呼び出されて父の元に行ってみれば、俺に女を教える女性をつけると言われ、その人は俺の義姉だった。
まさか他の人に相談するわけにもいかず、さらにもう結婚まで時間がないので、今日から相手をさせるからという話になっていた。
なんとか阻止したいところだが、エリーゼに相談するのは不可能であり、まずは魔導携帯通信機を渡しているローデリヒに聞いてみた。
だが現実は非常だ。
『その件で、拙者が手を出すわけには……。完全に父親の領分なのです』と見事に見捨てられてしまった。
加えて、『奥様たちには内緒にしておきますので』というフォローがあったが、なぜか一ミリもありがたくなかった。
次に、ブランタークさんに聞いてみると。
『向こうが無料で用意してくれてんだ。ありがたくやっとけ。まあ、無料ほど高いものはないとも言うがな。その未亡人に誑かされるなよ』という、完全に他人事なアドバイスを貰ってしまう。
要するに、あまり気にしないで『やれ!』ということらしい。
ある意味、チョイ悪オヤジなあの人らしくはある。
「まだだ! こういう時には!」
ここ一番で、困った時のエーリッヒ兄さんである。
彼ならば、なんとか上手くかわす手を考えてくれるかもしれない。
そう思い、最後の望みを繋いで連絡を入れてみたのだが……。
『あてがいの女性は、絶対に断っては駄目だよ』
エーリッヒ兄さんからの優しくも強い忠告により、俺はすべての退路を断たれてしまった。
『隠居したとはいえ、父上は元家長としての責任でアマーリエ義姉さんに頭を下げたのだから』
『あてがい女』は、家を残すために父親が跡取り息子に与える一番格式が高いプレゼントとされるそうだ。
その割には秘密にしようとするのだが、家長が仕切って連れて来るのでそういう扱いになるらしい。
さらに言えば、どこの家でもそう簡単に用意できるものではない。
貴族でも下級だと準備しないことも多いし、商人ではよほど大規模でないと用意できない。
財力やコネを使い、時には大失敗しつつも跡取りにそういう女性をあてがう。
それだけ大切にされている慣習というわけか。
『適当に選んで渡しているように見えるけど、父上は人選で苦労をしていると思うし』
それを断るのは、大変失礼に当たるそうだ。
「あの……エーリッヒ兄さんも?」
『実は、義父がね……』
父ではなく、ルートガーさんがそういう女性をあてがってくれたそうだ。
やはり未亡人でモンジェラ子爵のツテらしいが、密かに当主同士でそういうお願を融通し合うということは、双方に信頼関係がある証拠でもあるそうだ。
童貞喪失の相手を知られているのだ。
貴族同士にとって、これほどの信頼関係はないとも言える。
『ミリヤムには内緒だよ』
「同じ男として、それは勿論」
薄々勘付かれてはいるであろうが、それを口にしてはいけない。
そういうルールになってるらしい。
『気持ちはわかるけどね。ヴェルとクルト兄さんの関係を考えると。でも、周囲の貴族たちは別に変だとは思わないから』
「そうなんですか?」
実兄の元奥さんなので倫理的な問題を感じてしまうのだが、この世界では特におかしいと思う人はいないそうだ。
その一族で一番力のある俺が、夫を亡くした兄嫁の面倒を見る。
これは当たり前のことであったし、この世界はそんなに甘くない。
ただ世話になるだけではなく、自分にできることはちゃんとしないと、『もう養いきれない』と言われ、追い出されても文句は言えないのだと。
『アマーリエ義姉さんはパウル兄さんの領地で暮らしているけど、ヴェルが大分援助しているよね?』
「はい」
いくらとは言えないが、パウル兄さんへの援助に混ぜているのは事実だ。
『甥たちは、成人後に領地を分与される。そうだよね?』
「はい」
『アマーリエ義姉さんとしても心配なんじゃないかな? そんなムシのいい話って、まずないもの』
他の大貴族家だと、アマーリエ義姉さんのような立場の人はほぼ不遇な人生になるそうだ。
『長男の不祥事で本家の跡取りが末弟にチェンジしたけど、長男の幼い子供たちが残っている、その末弟からすると、残された長男の子供たちは邪魔だよね?』
自分の子供の相続を邪魔する存在なのだ。
下手をすると、病死や事故死などに見せかけて殺されることもあると聞く。
『うちはその可能性はないけど、甥たちに無事に領地が分与されるかはヴェルにかかっている。でもヴェルが約束を反故にしても、別になんの問題にもならないから』
将来その約束を反故にする頃には、俺の力は圧倒的に大きくなっている。
いくらアマーリエ義姉さんが文句を言っても、誰も聞いてはくれないであろうとエーリッヒ兄さんは断言した。
「俺は……」
『ヴェルはそんなことはしないと思うけど、万が一ということもある。アマーリエ義姉さんとしては保証がほしいよね?』
俺とそういう関係になっておけば、ある種の弱みを握ったことになり、無事に甥たちに領地が分与されるであろうと。
『アマーリエ義姉さんは子供たちのために。ヴェルは、女性を教えてもらって役得だと思う。このくらいの方が、お互いに考え過ぎないでいいと思うんだ』
「なるほど……」
そういう関係になるのだから、せめて少しはアマーリエ義姉さんのことを女性としてなどと考えると、正直気が重かったのだ。
向こうもそうであろうし、ならばお互いに打算があった方が楽でいい。
なるほど、さすがはエーリッヒ兄さん。
イケメンなのは昔からだが、人生相談においてもその才能を発揮するとは。
『あと、ヴェルも嫌いじゃないでしょう?』
「それは勿論」
そこは、全男性共通の事実だと思われる。
『なら、気軽に遊ぶくらいでいいんだよ』
「わかりました。ありがとうございます」
『気楽にね』
さすがはエーリッヒ兄さんだと思いながら通信を切るが、まさか彼にもそういう経験があるとは思わなかった。
『やはり、イケメンは得か?』などと考えていると、隣で通信を聞いていたパウル兄さんがなぜか肩を落としていた。
「パウル兄さん?」
「俺、そういう女性をあてがわれなかったなぁ……」
「パウル兄さんは、いきなり貴族になったから」
「前にさ。ヘルムートが言っていたんだよね。ヴィレムさんからそういう女性を斡旋されたって」
あの家にも世襲可能な職務があるので、子供が生まれないという悪夢を避けるべく、ヘルムート兄さんにそういう女性をあてがったようだ。
「ヴェルも、エーリッヒも、ヘルムートも羨ましいなぁ……」
「代わりましょうか?」
「代わってどうするよ?」
確かに、パウル兄さんの家庭が修羅場になるだけで、代わっても意味がないか。
同時にパウル兄さんがとても羨ましそうな顔を浮かべているが、同じ男としてはもの凄く理解できてしまう。
「などと、羨ましがっている場合ではなかった。この小屋だけどな。新しく建てたけど、まだ使わないんだ」
まだ仮とはいえ、領主の屋敷でそういうことをするわけにもいかない。
そこで、将来夜間に警備を行う者たちの休憩所にすべく領地の端に建てたこの小屋をしばらく貸してくれるそうだ。
「最低限のものしか置いていないけどな。最悪、ベッドがあれば大丈夫だし」
ここを密会の場所に指定するそうだ。
なお、この情報を知っているのは父とパウル兄さんと一部の家臣たちだけ。
どうせじきにバレるが、今は緘口令を敷いているそうだ。
「もう暗くなったし、もう少ししたらアマーリエ義姉さんも来ると思う。では、頑張れというのも変か?」
そう言いながら、パウル兄さんが小屋から出ていく。
一人残された俺は、緊張しながら彼女を待つのであった。
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