閑話2 とある貴族の慣習について(その1)
「どうも初めまして。アルトゥル・フォン・ベンノ・バウマイスターです」
「こちらこそ初めまして。アマデウス・フライターク・フォン・ブライヒレーダーです」
思えば、奇妙な挨拶である。
今の私は隠居の身だが、バウマイスター騎士爵家の当主を三十年以上も務めたのに、寄親であるブライヒレーダー辺境伯との初めて顔を合わせ、初めましてなどと挨拶をしているのだから。
普通ならあり得ないが、バウマイスター騎士爵領とブライヒレーダー辺境伯領との間にあるリーグ大山脈が、それを現実のものとしていた。
思い起こせば父の急死後。
襲爵の儀に参加するため王都に向かう途中、挨拶をしたブライヒレーダー辺境伯は先代であった。
ブライヒブルクに戻る商隊に同行し、当時はまだ同じく若く山越えに慣れたクラウスと共に先代に挨拶をし、王都行きの魔導飛行船の便が出るまで屋敷に泊めてもらったのだ。
おかげで少しは費用が浮いたが、往復の魔導飛行船の料金が二人分に、王都での滞在費と。
本当は一人で行きたかったのだが、いくら貧乏騎士でも従者ナシで一人での王都行きは躊躇われ、その分費用は高くついてしまった。
父が急病死するとは思わなかったので思わぬ出費に頭を抱えたが、一刻も早く襲爵の儀を受けなければならなかったからだ。
鎧や剣が入った箱を重そうに担ぐクラウスは、私が彼の分の経費を負担するのを知っていたので、申し訳なさそうにしていた。
普通、従者がそんなことを気にするはずがない。
徴税業務のすべてを取り仕切り、我が家の財政状況を誰よりも理解しているクラウスだからこそであろう。
ただ、私が生理的に合わないと思っているクラウスのそういう視線を見てしまうと、バカにされたような気がして腹が立ってしまったのも事実であった。
クラウスは優秀ではあるが、私とは反りが合わない。
最初に強く認識したのは、この時であろう。
ブライヒレーダー辺境伯家の重臣たちも、私とクラウスを見てバカにしたような視線を向けていた。
向こうは大貴族の重臣で、私は貧乏騎士だ。
仕方がないと言えばそれまでだが、やはり頭にはくるものである。
だがそんな気に食わない連中の多くが、先代ごと魔の森で戦死してしまった。
我が家も大打撃であったが、ただ一つそれだけが溜飲を下げてくれたのも事実であった。
そんな私が、当代のブライヒレーダー辺境伯と会う。
すでに当時のような気持ちは欠片もないがね。
「バカな跡取りの暴走を抑えられず、無能な先代ですよ」
「ええとまぁ……。あの立地では、私でも似たような結果になったかなと……。ヴェンデリン君でもないと」
「ヴェンデリンですか……」
「彼は特別です。そうお思いになりませんか?」
「そうですね……」
当代のブライヒレーダー辺境伯は、若いながらも先代ほど傲慢な人物ではないようだ。
こんな、無能な隠居ジジイに気を使うくらいなのだから。
「お気遣いは無用です。私は、ヴェンデリンに継がせるという決断ができなかった。そのおかげで、息子を死なせることになった無能な元当主なのですから」
「それを強行した場合、それはそれで反発と犠牲が出る可能性もあったでしょうからねぇ……」
「他の兄たち。できればエーリッヒですか。あいつに継がせていれば、ヴェンデリンを上手く使ったでしょうね。愚痴は止めましょう」
「そうですね」
すでに実現不可能な仮定の話はやめて、実は私がブライヒレーダー辺境伯に呼び出されたのは、ヴェンデリンの父親として大切なことを決めなければいけないからであった。
これまでなら、いきなりブライヒレーダー辺境伯に呼び出されてもわずか一日でブライヒブルクに辿り着くことなど不可能であった。
それが今では、私が移り住んだパウルの新領地も合わせて定期的に巡回する魔導飛行船に乗ればすぐに到着するのだから。
高山病の危険と、野生動物や飛竜、ワイバーンの襲撃に備えながらリーグ大山脈を越える必要がなくなったのだ。
領地の開発も、ヴェンデリンの魔法のおかげで順調に進んでいる。
パウルは元警備隊の同僚たちやその知己を呼び寄せて家臣団を形成し、クルトの事件に連座してバウマイスター騎士爵領にいられなくなった領民たちも受け入れ、今では人口が二百人を超えている。
クルトの死からわずか二ヵ月ほどで、驚異的な発展スピードと言えよう。
「問題は、『あてがい女』の件ですよね?」
「まあ、そういうわけです」
あまりいい風習とはいえないが、『あてがい女』とは貴族の跡取りなどが結婚をする前に、そういうことを教える女性のことだ。
もし教えないで子作りに失敗してしまい、その結果子供が生まれないと大変なので、王族、貴族、商人、大豪農などの跡取りにそういう女性をあてがうのだ。
大抵は跡取り長男だけにあてがうが、経済的に余裕があると次男や三男にもあてがう家もあった。
この辺はケースバイケースであろう。
以前の我が家は……まあ、うちは貧しかったし、閉鎖的な領内でそういう女性をあてがうと人間関係が……。
だが今は、こうしてヴェンデリンに宛がう女性のことを考えている。
それだけ我が家が発展したということか……。
ただ、その選定条件は厳しい。
目の前にいるブライヒレーダー辺境伯に相談しても、彼も思案に耽るくらいの問題なのだ。
まず、商売女は駄目である。
病気の問題があるからだ。
性根に問題がある女性もいるので、その関係を大々的に世間に吹聴したり、最悪それをネタに強請る可能性もあった。
次に、素人でも欲の深い女や口が軽い女も駄目だ。
どうせ領内で噂になって知られてしまうが、公式には妾でもないので、あとで結婚した妻たちと対立などされたら目も当てられない。
男の方が初めての女性なので妙に気に入ってしまい、強引に妾にしようとすると、奥の序列が乱れて争いの原因になることもあった。
なにしろ初めての女性なので、妙にハマってしまうケースもあると聞く。
女性自身が野心を抱いて、男を誑かす案件も決して少なくはなかった。
ゆえにこうして、ブライヒレーダー辺境伯に相談をしているわけだ。
紛争が終わったばかりなのに、大変申し訳ない話ではあるが。
「領民で未亡人とかいませんか?」
「いるにはいますが、あの事件の係累の妻や娘たちですよ」
ヴェンデリンを暗殺しようとしたクルトの共犯の元妻たちなので、さすがにあてがうわけにもいかなかった。
「私は男なので相談には乗りますが、うちで紹介するのは厳しいですね」
昔のバウマイスター騎士領の跡取りなら、ブライヒレーダー辺境伯もすぐに推薦してくれたはずだ。
だが、今のヴェンデリンの影響力を考えると、下手な『あてがい女』を紹介してその女性が余計なことをすれば、非難を受けるのはブライヒレーダー辺境伯になってしまう。
彼も、余計なリスクは取りたくないであろう。
かと言って、私にもそうあてがあるわけでもないのだ。
なにしろ今の私は、ただの隠居ジジイなのだから。
「本とかを渡してお茶を濁しません?」
子供全員に『あてがい女』を用意するなどまず不可能なので、大抵次男以降はそういう本を見て予習する。
妻になる女性側も、嫁入り前にそういう本を母親から見させられて学習するのだ。
「大変に個人的なお話で恐縮ですけど、アルトゥルさんはどうでした?」
「特定の『あてがい女』はいませんでしたよ」
私が若い頃には、領内の南部出身の女性たちは性に奔放だった。
人妻なのに、平気で浮気をするのだ。
しかも、女性からの誘いを断ると失礼に当たるとかで、私も随分と相手をしたものだ。
もっとも、司祭であるマイスター殿に知られて、その風習は一気に廃れてしまったのだが。
あの頃の私は……まあ若気の至りというやつであろうか?
『なんたるふしだらな風習! その行為を神に向かって堂々と口にできるのですか?』
当時から老人であったマイスター殿は普段は温和だったが、この時ばかりは烈火のごとく怒り、村人たちも怯えてしまった。
クラウスの奴は、そんな私を非難めいた目で見ていたようだが、なら代わってほしかったとも当時は思ったものだ。
人が領内の融和のためにどれだけ苦労しているのか知ってる癖に、本当に嫌な男……おっと、話が反れたな。
「私には普通にいましたね」
跡取りであった兄が病弱だったせいもあり、予備扱いの自分にもそういう女性があてがわれたそうだ。
「とある小身の陪臣の娘でして。若くして夫を亡くして未亡人だったのです」
そういうことを教えるので、当然経験がある女性が選ばれる。
さらに夫がいると話がややこしくなるので、必ず未亡人が選ばれるのだ。
「私の結婚と同時に関係は終わって、迷惑料的なものを支払って終わりですね」
その女性は、今はとある老齢な陪臣の後妻になっているそうだ。
言うまでもなく、その陪臣共々言い含められているので大人しくしているらしい。
大人しくさせられるという点で、私はブライヒレーダー辺境伯家が羨ましかった。
それだけ力があるってことだからだ。
「クルトさんは?」
「そういう余裕がなく……」
狭い孤立した領地なので、そういう女性をあてがうと問題が表面化しやすい。
そのため、本を渡してお茶を濁していたのだ。
その本も商隊から苦労して入手したのだけど。
思えば、そういう部分も含めてクルトがおかしくなった原因なのかもしれない。
自分は貴族家の跡取りなのに、なぜ他家の跡取りと待遇が違うのかと。
まさかとは思うが、それが原因ではないと百パーセント断言できない辛さがあった。
「アルトゥルさん自身に準備してほしいところですね。ただ……」
「バウマイスター伯爵家周りは避けたい……」
新興伯爵家で新しい家臣たちばかりなので、そこの縁から決めるとトラブルが発生する可能性があるからだ。
下手にどこかの貴族家と縁がある女だと、新興のバウマイスター伯爵家相手なのでそれをネタに出しゃばる可能性が高い。
まだ家臣団の形成が終わっていないので、その縁で重臣に成り上がる可能性があるのだ。
お気に入りの妾になって子を産み、その子を強引に跡取りにして外戚として力を振るう。
よく聞く話だが、その手の危険は避けるべきであろう。
「困りましたね……」
「ええ……」
懲罰的な意味を込めて、先日の共犯者の妻たちでもいいかなと思ったのだが、よくよく考えると年齢がまったく釣り合わなかった。
あの連中は若くてもクルトと同年代だったので、その妻たちはみんな三十歳超え。
こう言うと失礼だが、三十歳超えの大年増を押し付けて、ヴェンデリンが女に興味をなくしてしまっいたら本末転倒なのだから。
「ヴェンデリンさんは、まだ十五歳ですしね」
どんなに年齢が高くても二十代までが限度で、それなりに器量もないと『あてがい女』などつける意味がないのだ。
本当に、面倒な慣習だと思ってしまう。
「うちのブランタークのツテで……やめときましょう……」
「あのお抱え魔法使い殿ですか?」
「彼は究極の独身主義者なので、商売女しか紹介できない可能性が……」
確かに、それはやめた方がいいと私も思う。
「領民の中でか……」
とはいえ、すでにヘルマンが当主になっているバウマイスター騎士爵領内のツテは使えない。
あの領地は、もうヘルマンのものなのだから。
「今、ふと思ったのですが、あの方はどうなのです?」
ブライヒレーダー辺境伯殿は、とっさにある人物の名をあげた。
確かに、あの人物ならば条件に合致する。
ただ、本人がそれを受け入れるかという問題があった。
なにしろ、あんな事件があったばかりなのだから。
「本人に聞いてみたらいかがです? 『案ずるよりも、産むがやすし』と言うでしょう?」
「そうですな」
結局、それが駄目なら王都で仕入れた本でも渡すかという結論に至り、私はブライヒブルクで家族にお土産などを購入してからパウルの領地に戻るのであった。
「私がですか?」
「この時期に、こういうことを頼むのは、悪いとは思うのだが……」
パウルの領地へと戻った私は、妻や孫たちにお土産を渡してから、その人物を密かに人気のない場所に呼び出した。
その時に、妻は嫌な顔をした。
私が隠居をしてここに引っ越す時にレイラを連れて来なかったので、今度は彼女に手を出すのではと思っているようなのだ。
確かに女は嫌いではないが、さすがにその辺の部分は弁えているつもりだ。
レイラの件だって役得ではあったと思うが、バウマイスター騎士爵領の安定した統治のために冷静な判断をして決定したのだから。
間違いなく、レイラの方もそういう風に思っていたと思う。
彼女はちゃんとクラウスの跡取りとなる息子たちを産んでくれたが、それは彼女の中では仕事であった。
ゆえに当時から、本屋敷に住めなくてもなんの不満も漏らさなかったのだから。
子作りのためにだけ顔を合わせるくらいで、ちょうどよかったのであろう。
それでも、彼女はちゃんと仕事をしたのだ。
隠居した私について来なくても、特に不満はなかった。
レイラのことはそれでいいのだ。
問題は妻だ!
五十歳の半ばを超えたジジイに、余計な心配をしてほしくない。
今の私は孫たちに弓や剣などを教え、空いている時間に開発の手伝いや、狩猟や採集による食料の確保などを行っている。
あとは、五十の手習いで漢字や計算なども習っていた。
教師役は妻であったが、今にして思えば彼女にこういう仕事をやらせておけばよかったようにも思える。
領主の時はいつも精一杯で気がつかなかったのと、当時のバウマイスター騎士爵領では、保守的な領民たちの反発も怖かった。
今では、その手の連中はヘルマンによって意図的に隠居させられて力を失っているが。
パウルの領地は、まだ開発が始まったばかりで常に人手が不足している。
それもあって、妻たち女性が書類仕事を手伝ってもあまり問題視されていなかった。
これも、時代の流れなのであろう。
話を戻すが、父親としてバウマイスター伯爵になったヴェンデリンに『あてがい女』を用意しなければならない。
しかも、妻や他の女性たちにあまり知られないようにコッソリと行う必要があるのだ。
どうせ隠し切れないが、あまり堂々と頼むのもおかしいので、こういう風に密かに候補者を呼び出す羽目になっている。
大貴族だと、信頼できる家臣などが勝手にやってくれるのであろうが、生憎と今の我が家では不可能であった。
「夫を亡くしたばかりなのに、こういうことを頼むのはすまないと思う……」
私がヴェンデリンの『あてがい女』になるように頼んでいたのは、自爆したクルトの妻であったアマーリエであった。
彼女は、かなり条件に合致するのだ。
まず、クルトの元妻で子供も二人いるので経験者である。
未亡人なので騒ぐ旦那もいないし、暗殺未遂事件の主犯であるクルトの妻であるが、他の共犯たちの妻と違って彼女は貴族である。
もし周囲に知られても、亡くなった夫の代わりにヴェンデリンへの罪滅ぼしをしているという風に受け取られるので得であった。
貴族というのは体面を気にする生き物だからな。
年齢も二十七歳で、しかも彼女は童顔で若く見えるので大年増には見えない。
それほど美人ではないが、可愛らしいタイプでヴェンデリンとも仲がよかった。
彼女も本をよく読むので、ヴェンデリンと趣味も合っている。
彼女なら、最適だと思うのだ。
「はい。お引き受けします」
意外にも、彼女はすんなりと私の要請を受け入れた。
安堵していると、彼女はその理由を話し始める。
「お義父様には申し訳ないのですが、私にも打算はあります」
「当然だな」
彼女には、クルトとの間に残された二人の息子たちがいる。
ヴェンデリンの甥にあたり、成人後には彼女の実家であるマインバッハの姓を継いで領地を分与される予定であった。
ただ、その約束が確実に履行されるかと聞かれると、私も首を縦に振れなかった。
ヴェンデリンには、これからも妻が増えていくと思う。
あいつがどんなに断っても、ゼロになどできない。
なぜなら、それが貴族社会というものだからだ。
当然、子供が沢山生まれるであろう。
そして彼らは妻の身分によって分家を立てたり、まだ未開発の土地が多い領地を分与されたりするはずだ。
もし自分の子供たちを優先した結果、甥たちに領地を分与するのが惜しくなったとしたら?
酷い話だが、その時点で大貴族になっているヴェンデリンに苦情を言っても無駄であろう。
だからこそ彼女は、自分の身を差し出して孫たちの未来を確実なものにするつもりなのか。
ヴェンデンにも立場がある以上、そういう関係になった女性の願いを無下にする可能性は低くなる。
打算と言えば打算だが、そこには母親としての愛、優しさもあった。
「すまない、苦労をかける」
うちに嫁いだばかりに、彼女には苦労のかけっ放しだ。
まさか、貴族の娘が藁で縄を編むなど思いもしなかったであろうし、食生活は貧しいし、我が息子ながら夫のクルトは駄目な男であった。
もう手に入れたも同然の爵位と領地を失い、弟への暗殺を企んで逆に始末されるなど、私としても庇いようがなかったからだ。
さらに、あいつの死後に私が密かに後始末をした問題もある。
普通なら問題にもならないのだが、あいつがバカなことをしたせいで、余計に評価を落とす結果となってしまった。
「ヴェンデリン様が、いつお渡りになられるかはわかりませんが……」
それは、私の方でスケジュールを調整しないと駄目であろう。
あまり妻にも大っぴらに言えないし、パウルには伝えておく必要があるが、彼の妻にもなるべく最初は伝えたくない。
どうせ暫くすればバレるが、最初は騒動は少ない方がいいだろう。
「心の準備だけはしておいてくれ」
「わかりました」
私は義娘であるアマーリエにそれを伝えると、急ぎ準備を始めるのであった。
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