第174話 結局、後始末をする羽目になる(その2)
ブロワ辺境伯領の中心都市ブロートリッヒには、丸一日で到着した。
ブライヒブルクとほぼ同規模のブロートリッヒの郊外には、魔導飛行船用の港も存在している。
そこに船を置き、ヘンリックも加えた八名でまずは冒険者ギルドブロートリッヒ支部へと向かった。
「まさか親父が一緒とは……」
「血縁など関係ないのである! そなたも商人ならば、アルテリオ殿を抜くくらいの気概を持ち、今回のチャンスを生かすのである!」
ヘンリックは、俺と一緒にいる導師を見て少し嫌そうな顔をしていた。
気持ちはわかる。
仕事をするのに肉親が傍にいると、気持ち的に少しやり難いのであろう。
導師も、父親としてはなかなか厳しいことを言っていた。
起業したばかりの若い商人に対し、アルテリオを抜けだなんて……。
数十年後ならいざ知らず、現時点ではまず不可能なのだから。
「しょうがねえさ。俺がいるのは、お館様への報告のため。導師がいるのは陛下への報告のためだからな。父親がいるとやりにくいにはわかるぜ」
導師が厳しいので、バランスを取ってブランタークさんがヘンリックを慰めていた。
この二人が同行しているのは、王家もブライヒレーダー辺境伯家もブロワ辺境伯家が起こした紛争に辟易しており、俺が堂々と行なう工作に期待してのことであろう。
俺としても、二人がついて来てくれる方が都合がいいのだ。
痛くない腹を探られずに済むのだから。
「バウマイスター伯爵様!」
冒険者ギルドの受付で、数日近隣で活動する旨を報告すると、応対した若い女性職員が驚き慌て、偉い人を呼びに行ってしまった。
「迷惑な……」
「あの……バウマイスター伯爵様は、本日はどのようなご用件で?」
「冒険者として狩りをしている間は、貴族扱いしない。そういう話ではなかったのかな?」
この話は、冒険者ギルド本部から通達されているはず。
前の地下遺跡での件もあり、ブライヒブルクや魔の森の支部ではちゃんと守られていたルールなのだから、これは遵守してもらわないと。
「失礼しました」
「狩りに行ってくる」
いきなり工作を始めるのもアレなので、まずは地図を貰って近くの魔物の領域へと出かけた。
「私もよろしいでしょうか?」
「万が一のことがあっても、文句がなければですね」
「それは当然です。猟師や冒険者とはそういうものだと理解しておりますので」
カルラ嬢も、自分の弓を持って狩りに参加した。
成人した時に冒険者ギルドにも登録してカードを持っていたそうで、参加を断れないという理由もあったのだけど。
「この面子では、よほど油断するか、なにかアクシデントでもなければ怪我人すら出ない」
ヴィルマの言うことは正しく、カルラ嬢の参加に文句は一切出なかった。
「カルラさん、俺があなたを守ります」
エルは、カルラ嬢と狩りができて大喜びだ。
守るという言葉も、エルは前衛で、カルラは後衛なんだから間違ってはいない。
今のエルは、カルラ嬢を守る騎士のような気分なんだろうなぁ……。
「親父、どうして俺まで!」
「アームストロング家の男子たる者! 都市近郊の魔物の領域入りくらいで慌てるとは笑止なのである! 御用商人が、領主のお供をしないでどうするのである!」
ヘンリックは、父親である導師によって強引に冒険者として登録させられ、武器である槍と防具まで与えられて、強引に参加させられていた。
「俺、商人なのに……」
「アームストロング家の男子たる者! 武芸の鍛錬は必須なのである! 商人とて、それに手を抜くことは!」
「毎日、鍛錬はしているから!」
導師に詰め寄られ、ヘンリックは半分涙目であった。
この人が父親って、結構難義なことなんだな。
「あのぅ……。私の腕っ節には期待しないでくださいね。案内はしますけど」
この中で一番戦闘力がないニコラウスが、俺たちに釘を刺した。
「案内だけしたら、あとは魔物に襲われないようにな」
「わかりました」
ニコラウスの案内でブロートリッヒ郊外にある魔物の領域に移動し、早速ヘンリックはヴィルマをサポートに熊型の魔物と戦わされていた。
いきなり中級編以上の課題を父親から与えられてしまい、ヘンリックには不幸属性があるのかもしれない。
「親父、普通はもっと小さなのから……」
「その程度の魔物。某なら、拳の一撃で倒せるのである!」
「そんなの、親父だけだぁーーー!」
「あっ、ボクも倒せる」
「ルイーゼ様、私は普通の人間のカテゴリーの中で話をしています」
「さすがは、導師の息子さんだねぇ」
ルイーゼの揚げ足に、ヘンリックは丁寧な口調ながらもは毒の篭った返答をした。
それになんだかんだ言いつつも、さすがは導師の息子。
最初は苦戦していたが、すぐに慣れて続けて数頭の魔物を槍で仕留めた。
血筋ってやつだな。
「凄いな、ヘンリック。今度うちのパーティに加わらない?」
「お館様、私は商人なんですけど……」
やはり嫌か……。
他のメンバーも危なげなく、次々と魔物を狩っていた。
「みなさん、凄いですね」
ニコラウスだけは、安全な場所で静かに見学をしていた。
獲物の回収などではよく働いているので、サボっているイメージはないのだけど。
「カルラ様!」
「はいっ!」
その中でも、エルとカルラ嬢は二人で効率よく魔物を狩っていた。
エルが一撃加えてから、カルラ嬢が止めの矢を射る。
またはその逆のパターンと。
傍から見ると、なかなかに素晴らしいコンビネーションである。
「カルラ様ならいい冒険者になれますよ。他の人と合わせるのもお上手だし」
「いえ、それはエルさんが優れた冒険者だからですよ」
仲がよさげでいいと思うが、同時にエルはもう一つ思っていることがあるはずだ。
それは……。
「(エルは、自分とカルラ様がお似合いだから上手く合わせられるのだと思っている)」
ヴィルマがボソっと、俺に漏らしていた。
今のエルの状態ならば、そういう結論に至る可能性は高いであろう。
「(答えは、カルラ様が才能があるからだけど)」
「ははは……」
ヴィルマのクールな分析に、俺は乾いた笑いしか浮かばない。
親友としては頑張ってほしいが、俺が公に応援できるのは工作が上手くいってカルラ嬢がベンカー騎士爵家の娘扱いされるようになってからである。
もしそうなり、彼女にその気があるのなら、俺は心から二人を祝福するつもりであった。
ただ今は、バウマイスター伯爵として応援するわけにはいかないのだ。
エルもそれはわかっているのであろう。
だから自分でなんとかしようとしており、まずはお互いが相思相愛になるために距離を縮めるのが最大の目的であろうと。
「冒険者って、危険ではあるけど気楽でもあるよなぁ……」
そんなことをボソっと呟きながら魔法で狩りをしているブランタークさんも、このところの騒動のせいで色々とストレスが溜まっているのかもしれない。
魔法を連発して、魔物をたて続けに狩っていた。
「今日は、こんなところでいいか……」
夕方になり、結構な量の魔物も狩れたので今日はこれで終わりとする。
宿の手配をしないといけないのだが、カルラ嬢にあてがあると言う。
「その新しい後継者候補の屋敷とか?」
「はい、そうです」
「手間は省けるかぁ……」
紛争が長引いているし、どうせ会いに行かなければいけない人だ。
なにより、なにが悲しくてブロワ辺境伯家の連中に色々と配慮しなければいけないのだ。
カルラ嬢が言う後継者候補が本当に優秀なら、笑顔で俺たちにいい食事でも出せと思っていた。
「フィリップとクリストフを支持する家臣たちが、暗殺に来たりして」
「可能性はゼロではありません」
「今度は魔力が勿体無いから、麻痺じゃなくて黒焦げか冷凍か切り刻みだけどね」
『エリアスタン』は非殺傷も可能な魔法であったが、威力の調節が難しくて魔力を食ってしまう。
紛争だからこそ無理して使用したが、暗殺者相手なら普通の魔法の方が早くて魔力も使わないのだから。
「その前に、みんな導師に殴り殺されるさ」
「正当防衛である!」
俺、ブランタークさん、導師の脅しにを聞いても、カルラ嬢の表情に変化はなかった。
さすがというか……。
「(カルラ様が男なら、簡単な話なのに)」
ヴィルマの言うとおりで、それならカルラ嬢に継がせてしまえば済む話なのだから。
「このお屋敷です」
カルラ嬢の案内で、俺たちはその人の屋敷に向かった。
ブロートリッヒの中心部にある巨大な領主館の近くに、その屋敷は建っていた。
規模は小さかったが綺麗に維持されており、持ち主にいいイメージが持てる。
「カルラ様!」
「冒険者のカルラです。このお屋敷のご主人に用事があって参りました」
門を警備していた兵士は、カルラ嬢の顔を知っていた。
慌てて屋敷の中に戻ってから、初老の執事らしき男性を連れて来る。
「カルラ様、戦地からお戻りですか」
「色々とありまして。叔父様はいらっしゃいますか」
「はい。ご主人様は、現在退屈しておられます。なにしろ、領主館があの有様ですから」
フィリップとクリストフが不在で、双方に組した家臣たちが葬儀日程が不明のため、冷蔵されているブロワ辺境伯の遺体を挟んで対峙しているからだそうだ。
「領主館内に入れない者たちも多く、政務も一部滞っておりまして……」
「大変でしたね、ベッケナー」
「私はご主人様の執事なのでさほどのことは。ご主人様も、今は大人しくしているしかありませんから。ところで、後ろの方々は……。失礼しました。ご案内いたします」
どうやら老執事は、俺たちの正体に気がついたようだ。
ベッケナーという執事は、俺たちを屋敷の中に案内する。
応接室で出された紅茶を飲んでいると、そこに四十歳ほどの上品な顔をした男性と、その息子らしき二十歳ほどの若者が現れた。
二人は、少しフィリップとクリストフに似ていた。
「ゲルト・オスカー・フォン・ブロワです。そして、こっちが息子の……」
「リーンハイトです。しかし、豪勢なメンバーですね」
二人は、俺や導師の顔を知っていたようだ。
「ゲルトさんは、亡くなられたブロワ辺境伯の弟なのですか?」
「年齢は三十歳近く離れていますけどね。バウマイスター伯爵様と同じですよ。晩年に、先代が若いメイドに産ませたのが私です」
年齢は離れていたが一応認知はされており、成長と共に甥たちを脅かさない程度の地位と給金を貰って生きている。
その跡は息子のリーンハイトが継ぐし、特に不満はないのだとゲルトさんは説明した。
「情報は流れてきましたが、とにかくメチャメチャですね。人間の欲とは恐ろしい」
ゲルトさんは自分の甥たちの不始末に、ただため息をつくばかりであった。
「屋敷の方もえらいあり様なので、紛争のゴタゴタも容易に想像できましたがね」
だが、ゲルトさんがそこに口を挟むわけにいかなかった。
なぜなら、彼が家督を狙っていると彼らに思われたら、家族にまで危険が及ぶからだ。
特に、今の屋敷には甥たちがいない。
功績を稼ごうとして、暴走する家臣がいないとは言いきれなかった。
「だからこそ我らは、ここまでやって来たとも言えます」
「……あの二人は、なにをしているのですか?」
「簡単に言うと、ただ裁定交渉を長引かせて和解金の値引きを狙っています」
ブライヒレーダー辺境伯が、折れるのを待っているのであろう。
和解金を値切っても、早く戦時体制を解いて未開地の開発に邁進した方がいいと彼が思うその時まで。
「あの二人は頭のどこかに、王家は絶対にブロワ辺境伯家を潰さないだろうという、確信のようなものを持っているのでしょうね……」
今のところはそうかもしれないが、あまりやり過ぎると王国側がキレてしまう可能性もゼロではない。
俺から言わせると、遅延戦術はよくないと思うんだが……。
「カルラは、だから私が継げと?」
「他に手がありません」
「他の甥たちは?」
「叔父様にはわかっているはずです。一旦降家して継承権を放棄した彼らを、再び継承者にするのは難しいと……」
継承権で揉めないように分家や陪臣家に降ろしてしまうのだから、それを簡単に戻してしまうと反発が大きくなってしまう。
それなら、最初から降家させるなよって話になるからだ。
娘の婿……も、フィリップとクリストフがいるから、継承者としては弱いよなぁ。
「その点、叔父様には継承権があります」
実は、あの二人に次ぐ継承権を持っている。
普段の行動からまるで警戒されていないのと、彼を支持している家臣がほとんどいないので、継承争いに参加していると思われていなかったのだ。
「私は、ちょっと帳簿を見るだけで生活費を貰っている普通の男なのだが……」
「私には、とてもそうは思えません」
カルラ嬢は、ゲルトさんが有能な人物だと思っているようだ。
確かにそんな気はする。
ほどほどの地位で、ほどほどの金を貰って生きているのだって、それが彼の処世術である可能性が高い。
亡くなったブロワ辺境伯からすれば、年が離れた優秀な弟など、子供たちの将来を考えると邪魔者でしかない。
最悪暗殺の危険もあるので、能力など発揮しない方が安全と考えても不思議ではないのだから。
「印綬官のハイモを匿ったのは叔父様ですよね?」
「カルラは、なぜそうだと思うのかね?」
前にそんな話を聞いたような気もするが、まさかここでカルラ嬢の口からそれが出るとは思わなかった。
「私の勘です。兄様たちが人を使って必死に探させていましたが、消え方があまりにも手際がいいですし、彼がブロートリッヒを出たという情報を兄様たちは掴んでいませんでした」
二人は、集めた情報に粗があったと思って捜索範囲を広げている。
だがカルラ嬢は、実は館から近い場所に住んでいるゲルトさんが匿ったと思った。
「やはり油断ならないな。我が姪は」
確かに油断ならない。
俺も、導師も、ブランタークさんも渋い顔をしている。
カルラ嬢は俺やブライヒレーダー辺境伯にすべてを話しているように見せて、実は最も重要度の高い情報を隠していたのだから。
「確かにハイモは匿っている。あのままだと、殺されて印綬を奪われていたかもしれないからな」
ゲルトさんが執事のベッケナーに目配せをすると、彼は一旦部屋を出てから一人の男性を連れてくる。
ほぼブロワ辺境伯と同年齢の彼こそが、印綬官のハイモなのであろう。
「やはり、叔父様が匿っていたのですね」
「すみません。お二人は、嘘でもいいからお館様が自分を後継者に指名したと言えと迫ってきまして。印綬も、寄越さないなら印綬官を交代させると……」
印綬官を交代させるということは、自然死でもなければ殺すという意味になる。
印綬官は特殊な役職なので、領主本人でないと絶対に代えられないからだ。
「困っていたところに、ゲルト様が手を差し伸べてくれまして……」
それからずっと、この屋敷の中で匿われていたそうだ。
「それは大変だったと思うけど、肝心のブロワ辺境伯の遺言はあるのか? あれば、色々と捗るんだが……」
ブライヒレーダー辺境伯の意を受けてついて来たブランタークさんからすれば、誰が継いでも早く裁定交渉が終わってくれればいいのだから。
「それが、お館様は……」
『あの二人には、領主として大切なものが欠けている』とだけ漏らして、それ以上はなにも言わなかったそうだ。
「領主が判断しなかったのか……」
どちらかを指名すると、双方の支持者たちが激しく争う可能性を否定できなかったのだろうが、無責任以外の何物でもない。
「それじゃあ、ゲルトさんが継いでも文句はないわけだ」
「私が継いでも、誰もついてこないのでは?」
「逆に考えれば、今ついていくことを表明すれば、いい地位を得られると家臣たちも考えるかも」
紛争に勝っていればよかったのだが、実際には二人は負けて、王国からもブライヒレーダー辺境伯からも俺からも、後継者としての資質を疑われている。
娘を嫁に差し出した陪臣家は手遅れだが、他の家は今までの待遇を保障してやればゲルト派に転ぶ可能性が高かった。
「そんなに簡単に転ぶような連中で大丈夫か?」
ブランタークさんが、そんな連中をあてにして大丈夫かと心配そうに言う。
「逆に言うと、そういう連中の方が御しやすいです」
おかしな信念や、二人に狂信的な忠誠心を持っている家臣たちの方が危険なのだから。
陪臣とて世襲可能な家を守らなければいけないので、ここまでの失態を犯した二人を見捨てても仕方がない。
今ゲルトさんがすることは、彼らの背中を押してやることであろう。
「明日、お茶会でも開いたらいかがですか?」
まずは、支持者を集めることである。
そしてその席で、彼らの前である儀式を行なうのだ。
「ハイモさんが、印綬をゲルトさんに預けるのです」
印綬官が、領主以外の人物に印綬を預ける。
それはすなわち、その人が次の領主だと明言しているに等しかった。
「ハイモはどう考えているのだ?」
「亡くなったお館様は、あの二人の争いを危険視していました。なにも手が打てなかったので非難の謗りもあるかと思いますが、お館様から任命された印綬官である以上、お館様の判断に従います。個人的にも私の命まで狙ってきましたので、お二人を後継者にはしたくありません。これが終わったら、私も印綬官をやめますよ」
ハイモさんは、ゲルトさんの質問にそう答えた。
そして、印綬をゲルトさんに渡して引退すると。
家の跡は息子が継ぐが、彼は普通の中堅クラスの農政担当の文官だそうだ。
「私が印綬官に任じられたのは、幼少の頃からお館様の遊び相手であったからです。ゲルト様は、他の誰か縁のある方を印綬官にする。そんなものです」
「私は、印綬官は任命しないかもしれないな」
兄と甥たちに遠慮して生きていたので、あまり知己を作らないようにしていたらしく、年齢的に考えても信用できる印綬官を探すのが面倒なようだ。
「話を続けますが、支持を表明した家臣たちを中心に新しい人事を行なえばいい」
諸侯軍幹部は、当主処刑でお家取り潰しの処置をしなければいけない奴らがいる。
主に、あの夜襲を企てた連中だ。
財務系の文官たちの中でも、予算を出したクリストフに近い連中は役職剥奪や家禄の減少くらいは覚悟してもらわないと。
領内に残すと危険であろう、亡くなったブロワ辺境伯の血筋の者たちも、ある程度は領地から追放する必要があるかな。
「今は二人のどちらかを支持しているとはいえ、一連托生な者は少ないでしょうから、少し距離があるのを引き抜けばいい」
特にフィリップを熱烈に支持している諸侯軍幹部たちの大半は、まだ兵士ごと捕虜になっている。
彼らは、ここで俺たちがなにかをしても止める手立てがないのだ。
「屋敷に残っている諸侯軍幹部の中で、脈がありそうなのには全部招待状を送りましょう」
運がよければ、娘をフィリップの奥さんに出せなかったばかりに低い地位で甘んじている自分が上に上がれる可能性がある。
しかも、同じフィリップ支持で出兵している連中は大失態を犯した。
そういう立ち位置の人たちなら、裏切るのに躊躇いも少ないはずだ。
「ヴェル様、極悪」
「派閥闘争って、そんなものよ」
前世でも、俺が新入社員時代にブイブイ言わせていた部長がいたのだが、彼がつまらない理由で失脚すると、彼にコバンザメのようにくっついていた連中の変節ぶりには笑うしかなかった。
栄枯盛衰は世の常なので、失敗した以上、あの二人には退場してもらうことにしよう。
俺の仕事を減らすために。
「狂信的な支持者以外には、招待状を贈ればよろしい」
「そういうのは、粗方捕虜になっていますけどね」
「なら話は早いですね」
その日は、そのままゲルトさんの屋敷に泊まらせてもらう。
翌日に備えて、ベッケナーさんが他の使用人たちと共に招待状を届けるのに奔走していた。
手ごたえを聞くと、すでに俺たちがウロウロしているのは冒険者ギルド経由で伝わっているらしく、全員すんなりと招待状を受け取ったようだ。
「刺客とか送ってきますかね?」
「それはさすがにしないでしょう」
俺は冒険者名義でここにいるのだし、別にコソコソと隠れているわけでもない。
紛争自体も、バウマイスター伯爵家とはすで終了している形になっていた。
それなのに。ここで俺になにかがあれば大問題になってしまう。
王家は言うまでもなく、冒険者ギルドにも睨まれてしまうであろう。
「冒険者ギルドは、そういう短慮を防ぐためにブロワ辺境伯家側に情報を流したのですから」
ただベッケナーさんの報告によると、この屋敷を探っている妙な連中は複数いるようだ。
俺とゲルトさんがなにを話しているのか、気になって仕方がないのであろう。
「勝負は明日ですね」
「ええ」
ゲルトさんも覚悟を決めたか。
そして、運命の翌日。
ゲルトさんの屋敷において、不思議なお茶会が開かれていた。
お昼前に、屋敷の庭にベッケナーさんや使用人、メイドたちがテーブルや椅子を並べ、そこでお茶とお菓子が振舞われる。
招待された家臣たち大半が、フィリップとクリストフのどちらかを支持している者たちであったが、表面上はにこやかにゲルトさんと話をしていた。
「みんな、笑顔……が張りついている」
ヴィルマの感想は的確だな。
「こんな状況になったから、一刻も早く足抜けしたくて堪らないのが本音なのさ。案外、この招待を本心から喜んでいるのかもしれないな。それにしても、ヴィルマは似合っているな。その服装」
お茶会なので、ヴィルマはカルラ嬢が選んだ服を着ていた。
前に、今は嫁いだゲルトさんの娘さんが着ていたドレスだそうだ。
「もう少し背が高くなりたい。そうすれば、大人の女なのに……」
背が足りないと言って拗ねるヴィルマは正直可愛かった。
「俺は、可愛いからいいと思うけど」
そんな話をする俺たちにも、参加者たちは意識と視線を集中させていた。
もうこれ以上、二人の争いに手を貸してもなんの利益もない。
彼らは、表面上はどちらかを支持しつつも、どうにか抜け出すタイミングを狙っているはず。
「そうそう。本日のお茶会には、外部から招待したお客様がいまして」
ゲルトさんは、あらためて俺、導師、ブランタークさんを順に紹介していった。
すでにお茶会に参加して姿を見せているし、俺たちの動向なんて昨日から知っているはずだ。
それなのに、彼らはまるで予想外の出来事かのように挨拶などをしていた。
「今回のブロートリッヒ来訪は、この地の魔物の素材などを求めてでしょうか?」
「ええ、調査のようなものです。今の私は一冒険者なので、そこまでお気を使わずとも」
「そういえば、バウマイスター伯爵様は此度の紛争で大活躍をされたとか?」
「それなりにですかね」
「ヘルタニア渓谷の解放は見事でしたな」
「私の力など微力でしかありません。婚約者たちや家臣たち、ブライヒレーダー辺境伯や王国軍の協力あっての成果ですから」
「バウマイスター伯爵様は、非常に奥ゆかしい方なのですね」
なんとも白々しい会話が続くが、向こうはどうにかしてなにか取っ掛かりを掴もうと懸命なのであろう。
俺の武勲は非常に大きいが、わざと自慢せず謙遜を続けるのは、彼らのさらなる動揺を誘うためであった。
ヘルタニア渓谷の解放も、俺なんてそれほど大したことはしていない。
婚約者たちや家臣たち、ブライヒレーダー辺境伯家と王国軍の助けが大きかったと言って、バウマイスター伯爵家の存在を大きく見せつつ、その俺がゲルトさんが主催したお茶会に参加している。
その意味が、徐々にこのお茶会に招待された家臣たちの身に重く圧し掛かってくるのだ。
特に、まだあまり情報が入っていないヘルタニア渓谷開放の話では『その情報は聞いていない!』と耳を傾ける者たちも多かった。
「そんなわけでして、私はこのお茶会に招待される余裕ができましたが、ブロワ辺境伯家は裁定交渉で色々と大変なようですね」
揉めているのは、ブロワ辺境伯家が和解金の支払いを拒んでいるからだ。
負けた以上は素直に支払わないと、負けた以上にみっともないのはこの世界でも同じであった。
交渉の先延ばしも、その時はいいかもしれないが、将来には大きな負担となる。
だから一秒でも早く終わらせないといけないのに、あの二人は身の破滅を避けようと時間つぶしを続けている。
それに意味があるのか?
彼はもそれに気がついているからこそ、このお茶会に参加しているはずなのだから。
「ブライヒレーダー辺境伯も困っているようですね」
「そうですか……」
「王家も、そろそろ我慢の限界でしょう」
どんよりとした空気が広がる中、ついにお茶会の主役が姿を見せた。
行方不明であったはずの印綬官ハイモさんが姿を現し、その場で二人の後継者たちを批判し始めたのだ。
「お館様の言うとおりであった。どちらを後継者にしても揉める元であると。実際に、二人は後継者争いの一環でブロワ辺境伯家に損害を与え続けている。今なら、まだなんとかブロワ辺境伯家は立て直せるのに……」
「ハイモ殿、お館様の遺言は?」
「ない」
恐る恐る聞いてきた家臣の一人に、ハイモさんはキッパリと答えた。
と同時に、一部の家臣たちを睨みつけた。
彼らがハイモさんに、印綬の授与を強要したのであろう。
「遺言がない以上、お館様が危惧していたお二人に次ぐ継承権のあるゲルト様に継いでいただくのが正統であると思う」
「それは強引すぎる!」
「交渉に出ているお二人や、同伴している者たちにも意見を聞かないと」
「紛争で捕虜になっている者も多いのだ! 彼らにも意見を!」
「それをすると、また堂々巡りですね」
ゲルトさんの継承にケチを付けてきた家臣たちの多くは、昨日まで冷蔵されたブロワ辺境伯の遺体の前で睨み合っていた連中であった。
フィリップ派とクリストフ派の中ではかなり有力な支持者ではあるが、その地位は中途半端である。
出陣できず、交渉団にも加われず、留守を任されるような重臣中の重臣は、このお茶会に招待していない。
騒ぐのは、半分自派閥のボスや上司に対するアピールでもあるのだ。
「捕虜になった人たちは、裁定交渉が終わらないと解放されません。果たして、いつ戻って来るのでしょうかね?」
「……」
しかも、その交渉を長引かせているのはフィリップとクリストフである。
俺の問いに、騒いでいた連中は黙り込んでしまう。
「それに、ゲルト殿ならすぐに王国も継承を許可するでしょうね」
少なくとも、二人とは違って騒ぎを起こしていない。
統治者としての能力も、実は王国はあまり高いものを求めていない。
大領とは家臣団を含めたシステムで統治するものなので、普通の領主でも正式に上に立つことこそが重要であったからだ。
「バウマイスター伯爵様。さすがに、王国がすぐに許可を出すなどという根拠もない話は……」
「根拠ならありますよ。そうですよね? 導師」
「陛下なら、すぐに襲爵の儀を行なうと仰っていたのである!」
テーブルの上にあるお菓子をドカ食いしていた導師は、一旦食べるのを止めてキッパリとそう答えた。
昨晩の内に、魔導携帯通信機で陛下に連絡してちゃんと許可を取っていたのだ。
「今から行っても、なんの問題もなく襲爵の儀は行なわれるであろう」
「まさか……」
「では、一緒に行きましょうか?」
「いや、今の状況でここを離れるわけには……」
「一時間もあれば終わりますけどね。魔法で移動するから」
渋る家臣たち対して、俺は『瞬間移動』で王城に向かえば済む話だと言い放ち、そのまま有無を言わさずにゲルトさんと陪臣の中から九名を選抜して王城へと飛んで行った。
王城の門を警備する兵士たちは俺の顔を知っており、来訪目的を告げるとそのまま通される。
「バウマイスター伯爵様、陛下とお会いするのに服装が……」
「構わないです。今のブロワ辺境伯領は非常時ですし、お茶会のための略装ではありますが、失礼には当たりませんから」
「……」
家臣たちは、どうして自分たちがお茶会に招待されたのか、今になって気がついたようだ。
「バウマイスター伯爵か。他の領地の件でご苦労なことよな」
「早く平穏な日々に戻るためですよ」
「フィリップは、俺が面倒を見ないと駄目だろうなぁ……」
「エドガー軍務卿、エコヒイキではないですか?」
「あのバカ。素直に継承権を放棄して王国軍に仕えておれば、今頃は将官になれていたのに……。まさか、ブロワ辺境伯領内には残しておけまい。第二の反乱の芽を摘むためだ」
「なるほど、納得できました」
謁見の間へと向かう途中、顔を合わせたルックナー財務卿やエドガー軍務卿と話をするが、家臣たちはその様子を心ここにあらずという感じで眺めていた。
予想外の事態が続いて、思考能力が飛んでいるのであろう。
「襲爵の儀は、すぐに終わりますから」
彼らを連れて謁見の間に入ると、そこにはすでに陛下が玉座に座って待っていた。
「バウマイスター伯爵、此度は大変よの」
「臨時で、運搬業などをしております」
俺の冗談に、陛下は軽く笑みを浮かべていた。
「なるほどの。では、始めるとするか。ゲルト・オスカー・フォン・ブロワよ」
「はっ!」
「我、ヘルムート王国国王ヘルムート三十七世は、汝、ゲルト・オスカー・フォン・ブロワに第三位辺境伯位を授けることとする」
「我が剣は、陛下のため、王国のため、民のために振るわれる」
ゲルトさんが宣誓を行なうと、陛下は侍従に命じて一枚のマントを持って来させる。
「ブロワ辺境伯家には代々王家が渡したものが伝わっていると思うが、今回の件で新ブロワ辺境伯も苦労の連続であろう。そなたの継承にケチをつける輩がいるやもしれぬ。これを着けて東部の安寧に貢献するがよい」
「ははっ!」
侍従からマントを着けられるゲルトさんを見ながら、家臣たちは顔を真っ青にさせていた。
なぜなら、彼らはフィリップ支持、クリストフ支持を明言し、ゲルトさんの継承に一番異議を唱えた連中ばかりであったからだ。
「襲爵の儀に同行するということは、そなたらは新ブロワ辺境伯の忠実なる家臣なのであろうな?」
陛下からの問いに、彼らはさらに顔を真っ青にする。
その質問は、陛下からの踏み絵に等しかったからだ。
「それは勿論です」
「我ら一同、一致団結して新しいお館様にお仕えいたしますとも」
まさか、今さらフィリップやクリストフが相応しいとも言えず、彼らは自分の身を守るため、懸命にゲルトさんに仕えるしか道が残されていなかった。
「それはよかった。襲爵の儀とは、ご覧の通りに味気ないものでな。そこで、同行者には記念品を贈っている」
九人の陪臣たちは、記念の大型銀貨を下賜された。
通常の銀貨十枚分の銀を使った大型銀貨で、デザインも独特だ。
銀の量は日本円で十万円分ほどだが、貴族の襲爵の儀に同行した家臣しか貰えないので、プレミアム的な価値がある。
歴史が古い貴族家の陪臣家ほど枚数を持てるチャンスがあるので、その数を競うような風潮もあるようだ。
確か、クラウスも父に同行して一枚持っているはずだ。
俺は、襲爵の儀の時には家臣がゼロだったので誰も持っていない。
将来、俺の子供が襲爵の儀を受ける時には、誰が行くかでひと悶着あるはず。
「(しかし、重たい銀貨だなぁ……)」
重量的にではなく、もっと別の意味でだ。
今まで支持していた二人を見捨てて、新しい主君への忠誠を誓わないといけない呪いの銀貨にしか俺には見えなかった。
今回の件では、王国もよほど腹を立てていたのであろう。
彼らに対する手厳しい褒美とも言える。
「さて、戻りますか」
いつまでも王城に残っていても仕方がないので、俺はゲルトさんと、大型銀貨が重たそうな家臣たちを連れて、ブロワ辺境伯領へと『瞬間移動』で戻るのであった。
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