第173話 結局、後始末をする羽目になる(その1)
「ルイーゼは、もう大丈夫なのか?」
「今は大丈夫だけど、やっぱり秘奥義は体に負担がくるねぇ……」
「凄い技だったな」
「威力はあるけど、高位の魔法使いが使う上級魔法ほどじゃないよ。威力も範囲も負けちゃうから」
「それでもあのロックギガントゴーレムを倒せたから、結果オーライってことで」
「おかげでこの三日間、あまり動けなかったけどね」
防衛用の岩でできたゴーレムの巣であったヘルタニア渓谷は、俺たちの作戦によって無事に開放された。
十に分けた陽動の王国軍と貴族の諸侯軍が、境界線上を出たり入ったりして地上のゴーレムたちの大半を引きつけ、その間に俺、導師、ブランタークさん、カタリーナ、ルイーゼが空から中心部にいる主、ロックギガントゴーレムを討つ。
このヘルタニア渓谷を守るゴーレムたちは、すべて古代魔法文明時代の天才魔道具職人イシュルバーグ伯爵が作成したヘルタニア渓谷を守るための防衛システムであり、それを統括するのがロックギガントゴーレムであった。
多数の空を飛ぶワイバーン型や大鷹型のゴーレムに、破壊してもすぐに再生するロックギガントゴーレムの頭部、さらに攻勢を強めると再生速度が増すゴーレムたち。
かなり苦戦させられたが、最後はルイーゼによる魔闘流秘奥義が炸裂してロックギガントゴーレムの活動が停止し、それと同時に十万体のゴーレムたちもただの岩に戻ってしまった。
無事に、ヘルタニア渓谷の開放がなったわけだ。
「ヴェルは、この三日間なにをしていたの?」
「お仕事」
ルイーゼは功労者だったが、秘奥義の後遺症で三日間寝ていた。
自分の魔力量以上の魔力を用いたので、やはり体への負担が大きかったようだ。
完全に動けなかったわけではないので一般生活に不自由があったわけではないが、功労者らしくエリーゼたちに世話されていたな。
「魔闘流って、奥が深いのね」
「秘儀、秘奥義の類は沢山伝わっているんだよ。魔闘流は歴史が長いし、過去には上級魔法使い並の魔力量を誇る人もいたから、そういう人の技が伝わっているんだね。大半の人が使えないという現実もあるけど」
「ああ、魔力量の関係かぁ……」
元々魔闘流は、魔力量が少ない人が効率よく戦うための武術であった。
つまり大半の人の魔力量は少ないわけで、そうそう過去の偉人やルイーゼみたいなことはできないわけだ。
それに実は、魔力量が多い魔闘流の使い手というのは、本来の趣旨から考えれば邪道だ。
魔力を身体能力や攻撃力、防御力に変換可能な魔法使いという扱いに……要するに導師がこれにあたるのか。
「今回の『ビックバンアタック』は、使う本人にある程度の魔力量がないと使えないもの。通常の魔力しか持たない人が使っても、ちょっと大きな岩を割る程度じゃないかな?」
魔闘流というだけはあって、魔力量が多くてそれを扱う能力があれば、上級魔法にも劣らない威力の技が放てるというわけか。
「魔闘流の使い手の大半は魔力量が少ないからこそ、武芸大会でも、通常の稽古でも技の型が重視されるわけだね。ただ魔力を込めて戦うという点のみだと、導師やヴェルの方が強いでしょう?」
「それは確かに……」
導師は、今回の戦いで数千体のゴーレム相手に無双していた。
すべて倒したわけではないが、まったくダメージを受けずに千体以上を破壊したそうで、彼の最強伝説にさらなる一節が加わったというわけだ。
一方の俺であるが、ああいう戦い方は性格的に合わないので、どうしても魔法を放ってしまう。
導師は逆に魔法を放出するのが苦手なので、導師を強化型、俺を放出型とでも言うのかもしれない。
昔読んだ漫画で、そんなタイプ分けがあったと思う。
「バウマイスター伯爵殿、王都から魔道具ギルドの調査隊が来ました」
「彼らは、ここで分析を始めるのですかね?」
「いや、持ち帰ると思いますよ。王都の本部の方が設備もいいですからね」
「今回は、なにか成果があるといいですね」
ヘルタニア渓谷解放後、俺たちの本陣はその中心部近くにあるミスリル鉱床の傍に移転していた。
俺が魔法で埋蔵量などを調べるためなのと、開放されたヘルタニア渓谷内に人が入り込んで鉱石泥棒などをするのを防ぐためである。
今回の作戦に参加した兵士たちの多くが外縁部に陣を敷いており、そういう連中の侵入を警戒している最中だ。
実際、すでに何人かの侵入者を捕らえたという報告もあった。
全員が近隣の住民たちで、『今なら鉱石を簡単に取れて、いい収入になるかも』と思い、侵入を試みたそうだ。
今は個人レベルであるが、一番ありそうなのは、ブロワ辺境伯家が未練がましくなにかをしでかそうとする可能性であろう。
無事にヘルタニア渓谷の解放はなったが、これを収益化するには、これからも必要な努力を重ねななければ。
「魔道具ギルドの連中はプライドが高いですからね。頑張るのでは?」
本陣の警戒に当たっているアヒレス子爵だが、魔道具ギルドの調査隊に対し結構辛辣というか……過去になにかあったのかな?
魔導ギルドのベッケンバウアー氏も、魔道具ギルドと仲が悪いからなぁ。
彼らは、俺たちが破壊したロックギガントゴーレムの残骸を引き取りに、大型魔導飛行船をチャーターしてやって来たというわけだ。
「人工人格の結晶も、魔石生成装置も、他のわけわからん装置も、全部壊れて使えないですけどね」
「残骸でも破片でもいいから、なんとか解析して、少しでも技術向上に繋げたいのでしょう」
「それが彼らの仕事なので、頑張ってほしいとしか」
魔道具ギルドとしては壊さず鹵獲してほしかったのであろうが、あの状況でそんな手抜きをしたら、作戦が失敗するどころか、犠牲者が出かねなかったので仕方がない。
ルイーゼの秘奥義で、ロックギガントゴーレムの胴体最深部まですべて壊れてしまったが、残骸はすべて残っている。
古代の魔導技術の再現は、魔道具ギルドに任せるのが一番であろう。
とは言いつつも、最近の魔道具ギルドはあまり目立った功績もないのだそうだ。
アヒレス子爵が魔道具ギルドに対してあまり好意的でないように見えるのには、そんな事情があるのかもしれない。
「必要なのは理解しているのですが……やめましょう」
「はあ……」
会員が100%独占して魔道具を作っているから羽振りはいいが、ここ数百年間でさほど技術が進歩していない。
それならば、過去の優れた遺物を解析しましょうと、魔の森で見つけた発掘品や、今回はロックギガントゴーレムも買い取った。
それもかなりの高額でだ。
特に魔石生成装置は魔導ギルドも興味を示したとかで、彼らと仲が悪い魔道具ギルドは強引に札ビラを切って、ロックギガントゴーレムを買い取った。
絶対に、魔導ギルドに負けたくなかったのであろう。
ただ、その予算がどこに転嫁されるのかといえば、言うまでもなく販売している魔道具である。
優秀な軍政官であるアヒレス子爵からすれば、色々と思うところがあるのだと思う。
お代は全部で五億セントであり、バウマイスター伯爵である俺からすればいいお客さんなんだけど。
最初は冗談で吹っかけたのに、目の前にドンと白金貨の詰まった袋を出してきた時には驚いたものだ。
魔導ギルドも欲しがってると聞いた時点で、なにがなんでも手に入れなければいけなくなったのだろうけど。
「あれ。どうやって持って帰るのですかね?」
「大型魔導飛行船をチャーターして積み込むそうです。往復する必要があるそうですけど」
ロックギガントゴーレム全部なので普通の岩なども多いはずだが、彼らからすればそのなにもない岩にもなにか未知の仕組みがあるかもしれないと、岩の欠片一つ逃さずに持ち帰るのだそうだ。
積み込みと運搬は自分たちで行なうと断言し、なるほど技術者とは凝り性な人たちが多いのだなと、前世を含めて思い出していた。
「あとは、ゴーレムもでしたか?」
「さすがに、全部ではないですけどね」
ロックギガントゴーレムが操っていた、ゴーレムたちを形成していた岩塊や魔石なども相当数買い取っている。
これも研究材料なのだが、さすがにすべてではない。
人工人格の結晶の破壊によってすべて活動を停止したゴーレムの残骸は、軽く十万体分以上もある。
全部持ち帰るのは難しいので、サンプル分だけ回収して、残りは今は兵士たちが使える魔石と鉱石を拾って本陣の横に積んでいた。
「それで、ここをどう開発なさるおつもりで?」
「普通に委託しますけど」
自分の領地の人手すら足りていないのだから、よその人材で補うのは当然であった。
それに人なら余っている。
貴族は自分の領地に鉱山が見つかった場合、なるべくすべてを自分で補おうとする。
山師や、鉱山技術者、精製に関連する技術者などはよそからの出稼ぎ者も多かったが、掘る人間は余っている農家の次男以下が多い。
農地を継がせられない人たちへのいい就職先なわけだ。
ところが、鉱山はものによっては数十年で鉱物が出なくなるケースが多い。
同じ領内や、最低でも近隣の貴族領に新しい鉱床が見つかればいいが、見つからなければ彼らは失業である。
そんな事情もあり、掘る人間はその気になればいくらでも集められるのだ。
「移住して来てもよし、出稼ぎでもよし。要は、ここが掘られて金属が出ればいいのですから」
なにも、すべて自前に拘る必要もない。
王国直轄地や他の貴族領からほとんどの人材を集め、うちの人間は不正のチェックだけ行えばいいのだ。
「随分と大らかな体制ですね」
「時間がかからなくていいでしょう?」
全部自分たちだけでやっていたら、多分鉱石を搬出できるまでに相当な時間がかかるはずだ。
そのために、外部の人間を活用することにしたのだから。
「(それに、周囲への嫉妬を抑えるためには飴を与えればいい)」
ヘルタニア渓谷はバウマイスター伯爵家の持ち物であるが、ここで働く大半の人は外部の人間だ。
これの意味するところは、直轄地や他の貴族領に籍がある人間の職と収入を保証しているという点にある。
領民たちへの雇用対策にもなるし、収入のアップで経済の活性化にも繋がる。
普段は鉱山で働いている鉱夫たちが帰省で故郷に戻り、稼いだお金を地元で使う。
それだけで、彼らの故郷の経済対策にもなるのだから。
「王国軍も役職が一つ増えますしね」
実は、ヘルタニア渓谷の外縁部にある土地の一部を王国に売却する予定になっている。
その土地にはなんの鉱石も出ないが、彼らはそこに『王国軍ヘルタニア渓谷守備隊』の本陣と千名ほどの兵士を置く。
彼らの仕事は、ヘルタニア渓谷にバウマイスター伯爵家以外の貴族が手を出してこないための処置で、報酬は警備委託料と王国への鉱石の安定した供給だ。
「それもありますが、ここのミスリル鉱床は予想以上に大きい。どうせ王国が介入して来るのなら、先に餌を与えて取り込めですか?」
「あとは、こうなってくると未練が出てくるところもあるでしょう。それに対するお守りです」
「ブロワ辺境伯家ですか……。自分たちが不良物件だと思っていたものを、わずかな和解金の減額であげてしまいましたからね。取り戻したくなるのが心情ですか……」
それを防ぐため、ブロワ辺境伯家以上の用心棒を雇ったというわけだ。
「他にも、これだけ大規模な鉱山地帯と、将来的には精製施設の稼動も必要ですか。人が集まるので町の運営も必要ですし、人手がいりますね」
不正のチェックはこちらでするとして、あとの人員は中央で燻っている法衣貴族の子弟たちを雇う必要がある。
彼らとその親戚と親御さんたちは、子供たちの安定した生活のためにバウマイスター伯爵家のヘルタニア渓谷領有を保障するというわけだ。
「そんなわけで、早速忙しいわけです」
ミスリルはとにかく不足しているので、鉱石の状態でも買うと王都にある多数の工房が言っているらしい。
なるべく早くに船を出すので、それまでに少しでも鉱石を採掘をするのと、魔導飛行船が離発着可能な船着場の整備をしておいてくれと言われており、またも土木工事冒険者として、土地と道の整備に追われるようになっていた。
「確かに、この石畳の道は素晴らしいですね。王国軍の工兵部隊以上のできですよ」
「王国軍の工兵隊はスピード最優先で、比べるのもどうかと思いますが……。それに、こちらは材料は豊富ですからね」
鉱石でもない岩などいくらでもあるので、それを元に岩の板を魔法で作り、掘削した道に押し当てるだけで舗装した道路が完成するからだ。
「名実共に支配を進めますか。私としては、ヘルタニア渓谷守備隊隊長のポストが美味しいので、ブロワ辺境伯家の干渉には気をつけますとも。ただ、早速駆け込んで来るのでは?」
「まだ裁定交渉も終わっていないのに、お忙しいことで……」
「腰が定まっておりませんな。ブロワ辺境伯家は」
「正式な後継者が決まっていませんからね」
ブライヒレーダー辺境伯家とブロワ辺境伯家による裁定交渉は、和解金の値引きで粘るブロワ辺境伯家のせいでまったく進捗していない。
そんな中でのヘルタニア渓谷の開放が、いったいどういう効果をもたらすのかを、俺はまだ知る由もなかった。
「なにか言われても、ここはバウマイスター伯爵家のものですしね。俺がブロワ辺境伯家に譲歩することはあり得ませんから」
「それはそうでしょうね。ブロワ辺境伯家が現時点で残っている事自体が、陛下の温情なのですから」
もしこれが戦乱時であったら、とっくに改易されているとアヒレス子爵が断言した。
戦乱時なら、改易と新領主着任に伴う混乱は力技で排除可能だという結論に至るからだ。
軍人たちも、反抗する不穏分子の排除が武勲になるので躊躇しない。
ブロワ辺境伯家がのん気に兄弟喧嘩を続けられていること自体が、この国が平和である証明でもあったのだ。
「まずは、ミスリル鉱石を運び出せる準備を優先します」
幸いにして、ミスリル鉱床は露天掘りが可能なので、あまり時間をかけずに鉱石の運び出しは可能であろう。
それから一週間ほど、俺は魔法でインフラと積み出し用の魔導飛行船が離発着可能な港の土台を作ってからローデリヒからの応援を受け入れる。
『飛び地ではありますが、土地柄農業も牧畜も不可能。しばらくは鉱石の掘り出しのみ。数年後までに、ある程度まで精製可能な大規模作業場を作って効率化を図る。こんなところでありましょうか……』
魔導携帯通信機から、ローデリヒの声が聞こえる。
彼はこのヘルタニア渓谷をバウマイスター伯爵家が完全に支配するため、追加で人員を送って来た。
警備兵、鉱山技師、新しく作られる町を運営する政務、財務系の人材と。
この他にも、ここで大量に人を雇い入れることになっている。
移住、出稼ぎ希望者も、ここで集めることになっていた。
『食料の自給は不可能ですか』
できなくはないが、そのためには植林などから始めて岩盤質の地盤の上に土を定着させる作業から行わないといけない。
だが、このヘルタニア渓谷には川や沼すらない。
厚い岩盤を掘って地下から井戸で汲まないといけないので、最低でも数十年単位で時間が必要であろう。
鉱床や鉱山から出る鉱毒の問題もある。
俺ならば、魔法で使える金属を『抽出』して終わりだが、次世代以降にそれができる可能性は少ない。
鉱毒への対策を考えつつ、農業などもできる土地に改良をするとなると、これはどうしても後回しになる。
まずは、未開地開発の方が優先だからだ。
『食料の自給はしばらくは無理だ。周辺の貴族から買って彼らを味方にしろ』
これも、ブロワ辺境伯家の横槍を防ぐためである。
せっかくのお得意さんを失わないため、近隣の貴族たちは、喜んでブロワ辺境伯家を警戒してくれるであろう。
『それはよろしいのですが、価格を吊り上げられませんか?』
『可能性はあるが、食料を売るすべての貴族たちが談合しないと難しいだろう』
それにあまりに高ければ、バウマイスター伯爵領やブライヒレーダー辺境伯領から輸入してしまえばいいのだから。
『貴族も一枚岩ではありませんからな』
『そういうこと』
『代官の人選ですが、拙者の選んだ者でよかったのですか?』
『その辺は任せているから』
そんな話の後に、バウマイスター伯爵領から魔導飛行船に乗って代官とその他の一行が到着する。
「一応、代官に任命されましたが不安です」
ローデリヒが代官に任命したのは、アームストロング伯爵の三男フェリクスであった。
内政や財務の経験はないがそれは他の人が補えばいいし、彼を任命した理由は、ヘルタニア渓谷守備隊隊長であるアヒレス子爵を上手くコントロールすることにある。
もし彼がよからぬことを企もうとしても、この地の代官が王国軍の重鎮であるアームストロング伯爵の三男ならば、実行は困難になるというわけだ。
王都のアームストロング伯爵家も、三男がバウマイスター伯爵家の重臣になれるように援助を惜しまないであろう。
その分コストはかかるが、新興伯爵家で全部自前でやろうとすれば、俺もローデリヒも過労死する。
利権で釣って味方を増やした方が、長い目で見れば得というわけだ。
それに、なにより楽である。
「ここの初代が武官なのは、他からのちょっかいを防ぐためでもある。予算も十分にあるから、上手く人を雇って鉱石が順調に運び出されるようにしてほしい」
「畏まりました」
フェリクスが初代代官に任じられ、彼は実家の助けも借りてヘルタニア渓谷の統治を開始する。
俺は土木工事を続けながら、空いた時間で優雅にお茶などを飲む時間を取り戻した。
「兄様たちは、大慌てでしょう」
「慌てても、もうなにもできないけど」
「バウマイスター伯爵様は、兄様たちが思っていた以上に貴族様なのですね」
空いた時間に、俺とカルラ嬢は二人でお茶を飲みながら話をしていた。
本当に二人きりではなく周囲にはエリーゼたちもいるのだが、それは致し方のないことだ。
ブロワ辺境伯家の娘である彼女が今一番家のためになる行動と言えば、俺を誘惑することなのだ。
見張られても仕方がないのだが、カルラ嬢自体にその気がまったくないのがありがたい。
ただ、そのせいでエルは……。
そうなんでも都合よくいかないか。
「そうですね。ヘルタニア渓谷は、すでに正式にバウマイスター伯爵家のもの。兄様たちも最初は、あの不良物件で和解金の減額がなったと喜んでいたのでしょうが……」
ところが、不可能だと言われていたヘルタニア渓谷は見事に開放され、今では有望な鉱山地帯として開発がスタートしている。
今さら返してくれとも言えず、彼らは悶々としているはずだ。
「カルラさんが、俺に押し倒されればいいとか思っているかも」
「思っていますね。兄様たちからすれば、それで私が幸せになるとも思っているのでしょう。日陰者の娘が、竜殺しの英雄の妻になる。大出世とも言えます」
貴族の立場で考えれば、それは間違った認識ではなかった。
「カルラさんは、どう思っているのかな?」
「私は、ブロワの姓など本当はいらないのです。どうしてベンカー騎士爵家の娘扱いにしてくれないのでしょうか……」
可哀想だが、本人がそう望んでもまずあの二人はカルラ嬢を手放さないだろう。
ブロワ辺境伯家が今の裁定案を呑んだとすると、今度は家を建て直すために彼女はどこかに嫁に行かされるからだ。
「幼少の頃からお世話になっていれば、それも貴族の娘として受け入れたのでしょうが……」
これまでは放置されていたのに、今になって呼び出されて利用だけされる。
カルラ嬢がブロワ辺境伯家に対し冷淡なのは、そういう事情があったからだ。
「ベンカー騎士爵家の娘扱いかぁ……」
カルラ嬢はブロワ辺境伯の娘ではあるが、今までの扱いからベンカー騎士爵家の娘とも言える。
自分から扱いを下げてほしいというのも珍しいが、王都の役なし貧乏騎士家の娘ならば政治的に利用されないし、どこに嫁ごうと自由という考え方もある。
母親と二人で自立したいと言っているので、結婚すら眼中にないのかもしれない。
「なんとかならないのか?」
俺の近くにいるエルが珍しく口を挟んでくるが、カルラ嬢がベンカー騎士爵家の娘になってしまえば、自分との結婚になんの障害もなくなるのだから当然か。
「カルラさんの立場を決めるのは、ブロワ辺境伯家の当主なんだよなぁ……」
この世界では、貴族家の当主の立場が強い。
だからブロワ辺境伯の呼び出しにカルラは逆らえなかったし、後継者候補二人が俺の妻に押し込もうとしている件も、自分からは嫌とは言えないのだから。
「そうだなぁ……クラウス」
ここで、俺は人が嫌がる案を考える天才クラウスに意見を求める。
今まで散々に、俺が嫌がることをしてきたクラウスだ。
奴ならば、ブロワ辺境伯家が嫌がる策を考えてくれるはず。
「ヴェンデリン様からかなり期待されているようですが、極めてオーソドックスな策しかございません。というか、策ですらありません」
しかし、クラウスは俺の心の内などとっくに承知で、それを気にする様子もなく自分の考えを述べ始めていた。
「あの二人以外の後継者を押して、そいつに約束させるとか?」
「簡単に言ってしまえば、そういうことにございます。そしてカルラ様には、誰かあてがあるのではないかと……」
新しい後継者のあてがあるから、カルラ嬢は俺に対しベンカー騎士爵家の娘になりたいと願望を述べた。
そう考えないとおかしいのだ。
バウマイスター伯爵家の当主である俺が、ブロワ辺境伯家に対しなにかを強制する権限などないのだから。
「新しい当主に縁切りをしてもらうのか……」
もしフィリップかクリストフがブロワ辺境伯家の新当主になると、カルラ嬢は必ず利用される。
なので彼女は、別の候補者が当主になるように俺に動いてもらいたいのであろう。
「俺に、なにか得でもあるのかな?」
わざと意地悪く聞いてみる。
すでに和解金の支払いは決まっており、減額を条件に貰ったヘルタニア渓谷は無事に開放した。
少なくともバウマイスター伯爵家の中では、すでに紛争は終わっているのだ。
「寄親であるブライヒレーダー辺境伯様の手助けになりますし、紛争が終わらないと未開地開発が遅れます。新しい当主にヘルタニア渓谷に手を出さないように約束させることも可能です。しばらくは、余計な手間が省けると思います」
「(この人、切れるなぁ……)」
この人を女当主にして婿でも入れればいいような気もするが、本人はそれを望んでいないのであろう。
本人の才能と希望が一致していないというわけだ。
「(なんか萎えるというか……)」
前世の恋人に雰囲気は似ているのだが、なぜか恋愛感情が一切浮かんでこない。
エリーゼもなかなかあれで鋭い部分があるが、普段は甲斐甲斐しく食事やお茶の準備などをしてくれて女の子らしい。
イーナも、二人でいる時は本人が言うほど面白味がない女というわけでもない。
少し恥しがり屋さんなのだと思う。
ルイーゼは、普段からあんな感じなのでいいのだ。
ヴィルマは口数が少ないけど、子犬のように俺に付いて来るのが可愛い。
カタリーナは、つき合ってみると外面とのギャップに驚かされる。
ところがカルラ嬢は、一見誰にでも丁寧に接するがそれは社交辞令の域から出ない。
間違いなく、俺との婚姻を望んでいないのであろう。
どうせ状況的に無理だし、俺にも強引に奥さんにしたいまでの願望もない。
そして、それを見透かされているような気がしてならないのだ。
「(ヴェンデリン様、カルラ様の提案を受け入れるべきだと思います)」
クラウスが、小声で俺に助言をしてきた。
「(妻にして、援助を通してブロワ辺境伯家を経済的に乗っ取れとか言うのかと思った)」
「(王国からの警戒に、人手不足もございます。ヘルタニア渓谷だけを維持、運営した方が実入りは大きいでしょう)」
いくら俺でもそのくらいはわかる。
もしかしたら、バウマイスター伯爵家の膨張を利用してクラウスが孫たちの復権でも狙うのかと思って聞いてみたのだ。
「(それに、ブロワ辺境伯家は王国建国初期からある名門です。創設して百年ほどの分家の子弟がたまたま本家になったような、ヴェンデリン様の風下には立てないでしょう)」
「(確かにな……)」
金と手間をかけ、嫌な思いまでして統治する価値もないというわけだ。
しかし、名門というのは本当に面倒くさい存在である。
「(だよなぁ……。とっととあの二人以外の人を当主にして、裁定案を飲ませるか……)わかりました。受け入れましょう」
「ありがとうございます」
そうと決まれば、早速ブロワ辺境伯領入りだ。
案内役が必要なのでその人が来るまでの間、ヘルタニア渓谷で金を得るためミスリル鉱石の搬出を早く進める手伝いをしながら、応援と新規に雇用した人員を呼びつつ、俺は土木魔法を駆使し続ける。
ヘルタニア渓谷開放作戦で、俺以外の突入メンバーへの報酬と陽動作戦に参加した軍勢への報酬で現金は減っていたが、これはミスリル鉱石の販売ですぐに黒字になる予定であった。
他にも、金、銀、銅、鉄鉱石などの鉱床もあるので、これも開発を進めればさらに収益は上がる。
「金と魔法の暴力で強引に開放か。バウマイスター伯爵様も貴族になったよなぁ。それで、ブロワ辺境伯領内に向かうメンバーは?」
「あまり大勢では行きませんよ」
俺、エル、ブランタークさん、導師、ヴィルマ、カルラ嬢の六名に……。
「案内役ですか? 地理にはそれなりに詳しいですけど」
忙しいし、すでにうちとブロワ辺境伯家との裁定は終わったので、呼び戻したトーマスたちのグループの中から、あのニコラウスも同行することが決まった。
「変装でもするのですか?」
「するわけがない。俺たちは、冒険者としてブロワ辺境伯領内に入るのだから」
ブロワ辺境伯家とバウマイスター伯爵家との裁定は、すでに終了している。
俺が冒険者としてブロワ辺境伯領内に入ったところで、それでなにか問題があるわけではない。
むしろ、コソコソしている方が問題であろう。
「なにも、宣伝しながらブロワ辺境伯領内に入るわけでもないし、俺の顔なんて知らない人も多いだろう」
「いや、絶対にそれはないですよ。まさか、堂々と新しい後継者候補にお会いになるつもりで?」
「俺は一応は伯爵だぞ。裏工作とかはしないさ」
変装して新しい後継者候補に会うなど、裏工作を疑われるだけである。
堂々と入り込み、狩りでもしながら空いている時間に、カルラ嬢が見定めている新しい後継者候補とやらに堂々と会えばいいのだ。
「なにかしてきたら、また毟ってやればいいしな」
「お供させていただきますが……大丈夫かな?」
俺は、フェリクス、モーリッツ、トーマス、エリーゼたちにヘルタニア渓谷のことを任せ、ヘンリックの小型魔導飛行船でブロワ辺境伯領の中心都市ブロートリッヒへと向かうのであった。
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