第168話 お前ら、やっと来たのか……(その2)

「さすがに軍勢は連れて来ませんでしたか」


「集めるにも、お金がかかりますしね」


「今のブロワ辺境伯家のお財布事情は、私なら容易に想像つきますから……向こうも同じような規模の家なので、想像は簡単にできます」




 翌日の朝。

 ブランタークさんの報告どおりブロワ辺境伯家は裁定交渉を行う使節団を送り込んできた。

 占領地が増えたので、味方が駐留している最前線の草原に交渉用の大型テントを建てて待っていると、そこに百名ほどの護衛と共に使節団が到着する。

 だが、再開された交渉はいきなり大きく躓くこととなった。

 躓くというか、その入り口にも入れなかったのだ。


「フィリップ・フォン・ブロワである!」


「クリストフ・フォン・ブロワです」


 ある程度予想はしていたのだが、ブロワ辺境伯家のトップが二名存在しているせいで、ブライヒレーダー辺境伯がどちらと交渉すればいいのか聞いたところ、双方が自分だと言い張り、そのまま言い争いを始めてしまったのだ。

 そういうのは先に決めてから来てくれよと、俺たちは思ってしまった。

 だが、それを口に出すと余計に騒ぎが大きくなるので、みんな静かにしているけど。


「長男である俺が交渉する!」


「なにを言っているのですか! あなたの大失態がこの散々な状況を招いたのでしょうに。私が交渉します!」


 二人だけでなく、双方が連れて来た家臣たちも言い争いを始めてしまう。

 

「バカな戦争など企てたお前らに、交渉に出る資格などないわ! その前に、みんな捕虜になって随伴が小物ばかり。そんな面子では、ブライヒレーダー辺境伯様に失礼であろうが!」


「お前たちこそ、最初は反対もせずに予算や物資の準備をしたではないか! それが、戦況が不利になった途端に掌を返しやがって! 文弱の徒は黙っていろ!」


「剣を振るうしか脳のないアホに交渉? 寝言は寝てから言え!」


「インテリぶるだけの低脳が! お前たちの頭の良さは、見せかけだけだろうが!」


 以前から続く問題とはいえ、ブロワ辺境伯が健在ならば、こんな醜態は見せなかったのかもしれない。

 もう一つ問題もあって、交渉に参加できるのはどちらも二十名までである。

 ところが、フィリップもクリストフも両方が二十名の随伴を連れて来たので、互いに譲らずに大型テントの前で言い争いになってしまった。


「半々にしたらいかがです?」


 さすがに見かねたブライヒレーダー辺境伯が助け船を出したのだが、それすら新たな争いの原因にしかならなかった。


「諸侯軍幹部の多くが捕虜になっているフィリップ様には、十名も使節団はいらないでしょう」


「事は軍事行動に関する裁定なんだぞ! 諸侯軍を纏めるフィリップ様の随伴を減らしてどうする! お前たちこそ、書類にサインするしか能がないんだ! 十名も随伴はいらないだろうが!」


 このまま放置しているといつまで経っても交渉が始まらないので、見かねたクナップシュタイン子爵が、半分ずつ随伴を連れてテントに入るように勧告した。

 彼はどちらの人数にもカウントされない、王国から送られた中立の立場に立つ人物である。 

 彼を怒らせると交渉が不利になると感じた二人は、素直に十名ずつの随伴を連れて大型テントの中に入った。


「交渉の前に、調停書のサインですが……」


「父は、五日前に亡くなりました。両者で連署すれば有効かと」


「そうですね」


 クリストフの返答に、クナップシュタイン子爵は納得したような表情を浮かべていた。

 しかし、ようやくここに顔を出した理由が、父親であるブロワ辺境伯が死んだからとは……。

 ろくに話をしたこともない人物であったが、どこか可哀想な人ではあったと思う。


「それで、交渉の続きですが……」


 当然、前に出した裁定案などすべて無効である。

 なにしろ、前提条件がまるで変わってしまったのだから。


「実は、今回ブロワ辺境伯家側で参軍した貴族たちですが……」


 ブロワ辺境伯家のあまりの無責任ぶりに、寄親をブライヒレーダー辺境伯に変える旨を宣言していた。

 紛争案件の和解金や身代金の交渉は終わっていないが、このまま紛争が長引くと領内の経済が破綻するので、先に解放してもらって領地に戻っていたのだ。

 紛争案件の状態も戦前に戻しており、その代わり占領扱いなのでブロワ辺境伯家側からの商人を入れるわけにもいかず、通商は南部のみと行っている状態だ。

 紛争が終われば、人と物の出入りは自由になるのだけど……あくまでも終わればの話だ。


「もはや、条件が大きく変わっているのです。そこのところはご理解ください」


 戦前ブロワ辺境伯家の寄子であった彼らは、今ではブライヒレーダー辺境伯家の寄子になっている。

 紛争案件もすべて戦前に戻しており、捕虜になっていた貴族や兵士たちは先に解放されることでブライヒレーダー辺境伯家に借りを作ってしまった。

 つまり、東部の統括領域が大分北上してしまった、狭まったことを意味する。

 ブロワ辺境伯家の威信が落ちたなんてものではなく、さらに残酷な現実を突きつけられた。


「とはいえ、侵略されたうちの寄子たちは、和解金の権利を放棄したわけではありません。うちが一括して請求を行う形にしたのです」


「一括してですか?」


「だってそうでしょう。この書類があるのですから」


 ブライヒレーダー辺境伯の手には、元ブロワ辺境伯家側の貴族たちに渡していた、紛争で発生した損害はすべてブロワ辺境伯家が負担する、という契約書が四十枚以上も握られていたのだから。


「彼らは紛争相手に対し、利権を戦前の状態に戻す条件として和解金を支払わないといけない。ですが、それはこの契約書によるとブロワ辺境伯家が負担してくれることになっていると書かれています。交渉の効率上、私が纏めて請求する方がよろしいでしょう」


 さらにブライヒレーダー辺境伯は、寄子たちに和解金を前払いして財政を助けた。

 前払いしている以上、必ずブロワ辺境伯家から金を取り立てなければ大赤字になってしまうのだ。


「うちの寄子たちが……」


 ブロワ辺境伯家が救われない部分は、この和解金を支払っても四十家を超える貴族家が寄子として戻って来てくれないことにある。

 大金を失い、自らの支配領域を減らしてしまった。

 ブロワ辺境伯家は、ブライヒレーダー辺境伯との紛争に大敗北したと、世間に周知されるわけだ。

 

「他にも、主にバウマイスター伯爵が得た大量の捕虜に対する身代金もです」

 

 こちらもすでに解放しており、預かっていた味方の貴族たちには、前払いで捕虜の管理費用を支払っている。

 当然この分も合わせて、俺はブロワ辺境伯家に請求することになっていた。


「このうえ、ブロワ辺境伯家諸侯軍の捕虜が一万とんで五百六十七名。一部東部領域にある村や町が占領状態にあります。これの返還にも和解金が必要ですね」


 最初の裁定交渉時には、クナップシュタイン子爵が四億セントと算定していた。

 だが、今の状態で同じ金額のはずがない。

 大幅な金額増となっているはずであった。


「いくらなのだ?」


 ようやく口を開いたフィリップが、ブライヒレーダー辺境伯に尋ねた。


「計算によりますと、十億セントですね」


「「そんな、バカな!」」


 あまりの金額の多さに、仲が悪いはずの二人の後継者候補たちの声が一致してしまうほどであった。

 だが、あの無謀な夜襲の前でも五億セントだったのだ。

 この程度の増額は仕方がないどころか、これでもかなり温情の入った金額であった。

 あまりに高額にすると、払えないからと言って開き直ったり、意地でも払わないと言って領内に籠ってしまう可能性もある。

 『払える高額』の設定ほど、難しいものはなかった。


「いくらなんでも高すぎる!」


「ですが、あれだけの大失態です。増額はやむを得ないでしょう」


「特使殿は、ブライヒレーダー辺境伯の肩を持つのか!」


 クナップシュタイン子爵の発言にフィリップが噛みついてきたが、彼は顔色一つ変えず静かに反論した。


「肩を持つですか? あなたの仰っていることの意味がわかりません。王国が黙認している『紛争』を無意味に長引かせ、最初の裁定が不利になると、実戦用の武器を装備して夜襲を目論む。ハッキリと言わせてもらえば、王国はブロワ辺境伯家への不信感を募らせています。後継者争いも結構ですが、せめて他の貴族たちの迷惑にならないようにしてください。それと、もしここで和解金なしで戦前の状態に戻せとか言うつもりなら、それはブロワ辺境伯家への一方的な肩入れになるので承知しかねます」


 淡々とした口調であったが、クナップシュタイン子爵の容赦ない反論に二人の後継者候補たちはなにも言い返せなかった。

 彼は、俺たちが夜襲を防げなければ戦死していた可能性もあったので、余計頭にきているのであろう。


「多少の値引きは可能かと思いますが、他の案件では交渉しても無駄だと思います。寄子たちの離脱も同じです。ブロワ辺境伯家はあの契約書に従って彼らの損失を支払う義務がありますが、彼らがブロワ辺境伯家の寄子に戻ることはありません」


 彼らが断れないのを利用して卑怯な奇襲とどさくさ紛れの占領を行わせ、自分たちは後継者争いに夢中で前線に顔すら出さなかったのだ。

 これでは信用なんてされないので、まさに自業自得としか言いようがない。


「今日は顔見せと条件の提示が目的でしたので、これで終わりにしましょうか?」


 和解金の減額交渉にしても、ブロワ辺境伯家内での話し合いが必要であろう。

 ブライヒレーダー辺境伯が今日の交渉の打ち切りを宣言し、そのまま両者は解散するのであった。





「実は、バウマイスター伯爵様を夕食に招待いたしたいと、お館様からの伝言です」


「はあ……招待ですか……(お館様って、どっちだよ!)」




 初日の裁定交渉は一時間ほどで終了して俺たちも自分の陣地へ戻ったのだが、その帰りにブライヒレーダー辺境伯から一つ忠告されていた。


『バウマイスター伯爵は、気をつけた方がいいですよ』


『若造なので、搦め手でいけると?』


『そんなところです』


 交渉でブロワ辺境伯家が支払う和解金のかなりの部分は、俺が捕らえた貴族や兵士たちの身代金である。

 あの無謀な夜襲によって、ブロワ辺境伯家諸侯軍の精鋭と多くの重臣たちが捕らえられている。

 これも合わせるとその金額は莫大であり、二人の後継者候補たちはまだ若い俺を単独で狙って、和解金の額を減らそうとするはずだと。


『うちに支払う和解金の減額はかなり難しい。あなたなら、上手く誑かせば可能だと思っているかもしれません』


『成人直後の若造ですからね。ですが、あの後方かく乱の件を忘れていませんか?』


『だからですよ。それを非公式ながら謝罪して、代わりにある条件を出すのです』


『カルラさんか……』


 年齢も近い、ブロワ辺境伯家の末の娘を俺の妻に差し出す。

 ブロワ辺境伯家内には『例の工作への謝罪を込めて』と言えば済むし、もしカルラ嬢が俺の妻になれば、それは大きな利益をもたらす。


『未開地開発利権に加われます。妻の実家に融通しないのは変でしょう?』


『俺は、彼女を妻にするつもりなんてありませんよ』


 悪い娘ではないのだが、その親族が悪すぎた。

 恋愛ならともかく、結婚なら配偶者の親族にも気をつけないと。

 そうでなくとも成立したばかりの領地なので、そういう輩の介入は防ぎたいのが本音であった。


『彼女も、困惑するでしょうね』


 弓を教えてくれるし、エリーゼたちと一緒に食事の準備なども手伝ってくれていてカルラ嬢自身はいい娘だと思うのだが、それと結婚することとはまるで別であった。

 彼女がとてもいい娘なばかりにエルは一目惚れしてしまって、こちらも色々と大変なのに、ブロワ辺境伯家は面倒事を増やしやがって!

 エルはカルラ嬢に対しさらに熱を上げており、でも彼女自身は彼に惚れているようには見えず、大人の対応をしてくれているけど、これがブロワ辺境伯家にバレるとさらに面倒になるので、絶対に隠さないとな。

 だがもしかすると、カルラ嬢がエルに対し好意を抱いている可能性もあり、その辺の判断は恋愛偏差値の低い俺には難しい話である。

 でも、ないかなぁ?


『わかりやすい罠に、引っかからないでくださいね』


『勿論です』


 ブライヒレーダー辺境伯と別れて、俺は自軍の陣地へと戻る。

 合計で百五十名ほどのブロワ辺境伯家交渉団は、ブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍本陣近くに陣を張っていた。

 これから毎日交渉なので近場を選んだのと、ここまで状況が悪化すると、逆に自分たちを襲撃や暗殺などしないであろうと読んでいるはず。

 いい度胸だとは思うが、その判断力をもっと早く発揮してほしかった。

 そんなことを考えているとモーリッツが姿を見せ、ブロワ辺境伯家から晩餐に招待したい旨の使者がやって来たと、報告を持ってきたのだ。

 しばらく待つとブロワ辺境伯家から正式に使者が訪れて、招待状を俺に手渡してきた。


「わかりました。喜んでお伺いさせていただこう」


「ありがとうございます」


 使者である初老の男性は、ホっとした表情を浮かべながらブロワ辺境伯家の陣地へと戻って行く。


「危険ではありませんか?」


「まさかな」


 ここで俺を殺せば、確実にブロワ辺境伯家は改易されるであろう。

 まさか、そこまで頭が回らないとは思いたくなかった。


「護衛は連れていくさ」


「エルヴィン、わかっているな?」


「はい」


 モーリッツは、エルに確実に護衛を行うようにと念を押していた。

 今はカルラ嬢にお熱で普段はボケボケのエルであったが、仕事を忘れるほどまでにはなっていないようだ。


「ところで、この招待状なのですが……」


 俺から受け取った招待状を眺めていたモーリッツは、ある重要な点に気がついた。


「差出人が、フィリップ殿になっています」


「えーーーと、それはつまり……」


「明日には、クリストフ殿からも招待状が来るのでは?」


「だよなぁ……。でも二日連続はキツいわ……」


 せめて一緒に招待してくれよと、俺は心の中で二人の後継者候補を呪うのであった。

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