第167話 お前ら、やっと来たのか……(その1)

「基本はしっかりできていますね。番えた矢から手を離す時に、僅かに体を揺らしているから、狙いがブレる時があるのです」


「なるほど」


「体が揺れないように意識しながら何度か矢を放ち、それが自然にできるようになるまで、何度も繰り返し練習してください」


「必ずそうするよ」




 これだけの騒ぎを起こしておいて、いまだにブロワ辺境伯家からの使者は来ていなかった。

 仕方がないので、一部東部領域の保障占領を続けながら、俺たちはバウマイスター伯爵家諸侯軍本陣で暇潰しに没頭していた。

 トーマスたちは、占領を宣言した村や町と、条件付きで開放した貴族たちの領地に軍政官として出向いて忙しい日々を送っており、モーリッツは陣地の守りとブライヒレーダー辺境伯の手伝いが忙しい。

 だが、戦っていた俺たちはかなり暇だ。

 たまに領地から補給物資と共に書類などが回ってくるが、ローデリヒは今の俺に過度な負担はかけない方針らしい。

 状況報告と特に急ぐ案件でもなく、ただサインするだけで済む書類しかなかった。

 バウマイスター辺境伯領は、いまだに人手不足ながら順調に開発が進んでいるようだ。

 届いた書類を確認してからサインすると、あとは魔法の鍛錬か、すでに客人扱いのカルラ嬢から弓を習う日々になっている。

 本当は魔の森で狩りでもしたいのだけど、さすがに戦時に本陣を抜けるのは駄目なので、暇な時間はすべてこれに当てていた。

 俺たちの中で一番忙がしいのは、臨時司祭になっているエリーゼであろう。

 戦闘はないが、作業や食料調達のための狩りでたまに怪我人は出るし、病人は言うまでもない。

 イーナは、食事の準備などの間に槍の訓練を。

 ルイーゼは暇になったのか?

 ヴィルマに、初歩的な魔闘流の型などを教えているようだ。


『うわぁ。才能あるなぁ……』


 英雄症候群のせいでパワーファイターに見られやすいヴィルマであったが、実は器用なタイプだったりする。

 魔闘流の覚えもいいし、カルラからナイフの投擲術や弓なども教わっており、彼女から才能があるとも言われていた。


『その代わり、兵を指揮する才能はありませんけど』


 実の兄であるモーリッツの評価によると、ヴィルマに兵を指揮する才能は皆無らしい。

 とにかくパワーと武芸に優れていて、今の俺やエリーゼの傍で護衛をする状態が一番上手な使い方なのだそうだ。


「そこで一気に魔力を放出するなよ。糸のように細く、なるべく長い時間、魔力を流すイメージで」


「はい……こうですか?」


「悪くはないが、まだまだ練習しないとな。砂時計の砂が落ちるイメージさ」


「なるほど……」


 そしてカタリーナは、ブランタークさんから魔法の特訓を受けていた。

 俺と同じく経験が浅いせいか、苦手な魔力コントロールを毎日長時間習っている。

 彼女は『暴風』の二つ名に相応しく、派手な魔法をぶっ放す方が得意だ。

 足りていない精密さをブランタークさんから学んでいた。


「こうですか?」


「段々よくなってきたな」


 カタリーナは目に見えて効果が上がっている実感があるらしく、ブランタークさんからの指導を真面目に受けている。

 そんな彼女を見ながら、俺は矢を放ち続けた。


「大分、的の中心部に纏まるようになってきた」


「いい調子ですね」


 俺の方もわずか二~三日の指導で、自分でもわかるほどに弓の腕前が上達していた。

 カルラ嬢は、教えるのも上手だな。


「ですが意外でした。魔法の他にも、弓がお上手だとは」


「俺の実家は、有名な田舎領地だからね。弓は必ず習うのさ」


 子供の頃はできる限り魔法を隠していたし、魔力が尽きた時のことを考えて懸命に弓を習っていたのだ。

 あとは、実家の空気的に『弓くらいは上手く使えないと』というものもあったと思う。


「獲物が獲れないと、肉が食えなかったのさ」


「私も同じでした」


 カルラも王都にある母の実家が貧しく、弓で獲物を獲ってこないと肉は食べられなかったそうだ。

 

「そうでなくても居候状態で、とても肩身は狭いので……」


 ブロワ辺境伯からくるわずかな仕送りを期待しているくせに、祖父母、次期当主である伯父、伯母、従兄たちと。

 万遍なく、邪魔者扱いされていたそうだ。


「かと言って、ブロワ辺境伯家でもいない人扱いだったので……」


 急に呼び出されて、好きでもない父親の世話に、お飾りの総大将まで押しつけられてしまった。

 正直なところ、早く王都に戻って母と二人だけで生活をする算段をつけたいそうだ。


「ええと。なんと言いますか……。相談には乗りますので……」


 一部関係者から出ている、俺がカルラ嬢を妻にするなんて話はないが、美人が憂いているのを見ていたら、つい助けたくなってしまった。

 やはり世間的に、美人は得なのだと思う。

 

「ありがとうございます。大変に心強いです」


 しばらく練習をするとお昼の時間になり、エリーゼが呼びに来たので昼食をとることにした。

 戦場とは思えないのどかなお昼であったが、これも頑張って『エリアスタン』の広域化に成功したおかげであろう。


「狩りに行きたいわね」


「そうだなぁ……」


 イーナの呟きに、俺だけでなく、エリーゼやカタリーナやカルラ嬢ですら反応していた。

 彼女に言わせると、こういう時は一刻でも早く狩りに出て獲物を獲りたいのだそうだ。

 とても大貴族の娘とは思えないが、今までの生活が俺たちと大差なかったから、メンタルが俺たちに近いのであろう。

 総大将代理の職なんて、苦痛でしかなかったはず。


「今回の紛争が終わったら、カルラ様も冒険者になって魔の森に狩りに行くつもりなのですか?」


「そうなったらいいと思います」


「だったら、俺たちとパーティを組んだりして」


「私を入れてくださいますか?」


「大歓迎ですよ」


 エルの、本気なのか冗談なのかよくわからない誘いに、カルラ嬢も同様の返し方をした。


「俺たちと魔の森に行けば、かなりのリスクは避けられます。あっそうだ。実は俺も弓を教えて欲しいんですよ」


「魔の森に入るとなると、しっかりと仲間を探さないといけないでしょうから、エルヴィンさんたちと組むと上手く行きそうですね。弓の訓練ですか? 大丈夫ですよ、お教えします」


「ありがとうございます」


 続けてエルは、カルラ嬢に弓を教えて欲しいとお願いし、それは特に問題もなく受け入れられる。

 昼食終了後、エルはカルラ嬢から指導を受けながら矢を的に放っていた。


「エルヴィンさんもお上手ですね」


「カルラ様には勝てませんから。しかし、指導もお上手とは素晴らしい」


 カルラ嬢に弓の腕前を褒められたエルは、締まらない笑みを浮かべながら彼女と楽しそうに話を続ける。

 まあ、わかりやすいというか……。


「あのバカ……」


「本当にわかりやすいわね……」


 俺と一緒に遠方からその様子を探っていたイーナは、やはり気がついたようだ。

 エルが、カルラ嬢に惚れているという事実を。


「どれどれ……」


 追加でルイーゼも二人の様子を探るが、それなりにつき合いも長くなってきたのでこちらもすぐに気がついたようだ。


「エル、完全に彼女にお熱だね」


 ルイーゼは、カルラ嬢に夢中なエルを見て呆れながら駄目出しをしていた。

 まず、エルには俺の護衛という仕事があるからだ。

 別にしなくても、陣地内ではモーリッツが部下を配置しているのでなんの問題もないのだけど、他の家臣たちの手前サボるのはよくないだろう。

 そう思っていたら、エルはカルラ嬢との話を続けていた。


「教えるのもお上手とは。ルイーゼとは大違いだ」


「そうなのですか?」


「はい。カルラさんとあいつを比べると、まさに『月とポンカメ』」


「あの野郎……」


 確かに、カルラは自分が上手なだけでなく、人に教えるのも上手い弓の天才であった。

 エルから教えるのは下手だとディスられたルイーゼは、声を低くして彼に鋭い視線を送り始める。

 だが、色恋でボケているエルにはまったく届いていなかった。


「まあまあ。ルイーゼは、強くて可愛いから(エルのドアホが!)」


 このままだとルイーゼがエルに一撃加えかねなかったので、俺は慌てて彼女を後ろからそっと抱き締めて宥め始める。


「魔闘流と弓術は違うしさ。俺は、ルイーゼが可愛いと思うから奥さんにするんだ。外野の意見なんて無視無視」


「そうかな?」


 歯の浮くような褒め言葉で背中がかゆくなってきたが、ルイーゼのご機嫌が直ってくれたので、俺は心の中で安堵した。


「おバカさんにも程がありますわ」


「そうよね、まずあり得ないし」


 カタリーナとイーナも、エルに対し辛辣であった。

 形式上は捕虜にしている大貴族の令嬢に、彼女を捕えた貴族の家臣が恋に落ちてしまう。

 物語なら許せるが、現実ではただの迷惑でしかないからだ。


「脈はあるのかね?」


 傍から見ると誰にでもわかるくらい、エルはカルラへの気持ちで顔がにやけていた。

 可哀想に。

 俺よりも背も高くてモテそうなのに、あまりに締まらない顔なので、これではカルラ嬢も一目惚れなどしないはずだ。

 元からエルとは距離を置いているカタリーナは、不気味な物でも見ているかのようであったし、イーナは身分違いの恋をしているエルを冷静に批判している。

 そして俺であったが、なによりも気になったのはカルラ嬢本人がどのように思っているかであった。

 いくら恋で見境がつかなくなったエルでも、この状態でカルラ嬢に愛を告白をするなんてことはあり得ないはず……大丈夫だよな?


「カルラ様は大人だと思う。特にエルを意識してはいないはず」


 極めて冷静に答えたのは、俺たちの中で最年少であるヴィルマであった。

 彼女は、恋仲になった男女の行為の知識には疎いようだが、男女の機微には意外と敏感なようだ。


「カルラ様は、今の自分の待遇が恵まれていると理解している。だから、エルのスケベ顔にも笑顔で答えている」


 珍しく言葉が長かったヴィルマであったが、その内容は辛辣の一言であった。

 要するに、カルラは社交辞令的な態度でエルと接しているのだと。


「そうかな? 彼女も満更でもないような?」


「ヴェル様は、まだ女性を見る目が甘いと思う」


「厳しいっすね。ヴィルマさん」


 ヴィルマの鋭い指摘に、俺は若干心の中でへこんでしまった。


「ヴィルマさんの辛辣ぶりは相変わらずとして、どうせ実らない恋ですわ」


 カタリーナの言うとおりであろう。

 いくらいらない娘扱いされていたとはいえ、カルラはブロワ辺境伯の娘である。

 陪臣であるエルの妻になど、なれるはずはなかった。


「ヴェンデリンさん、少し目を醒まさせたらいかがです?」


「どうせすぐに醒めることになるだろうしなぁ。個人的には、応援したいんだけど……」


 こうなると、貴族としての立場が重荷になってしまう。

 身分違いの恋ってのは、現実だと難しいなぁ。


「ちなみに、エリーゼはどう思う?」


「私ですか?」


 まさか、真面目なエリーゼが覗きなどしていないと思っていたようで、俺を除く全員が彼女の気配に気がついていなかったようだ。

 俺が別の場所からコッソリとエルたちを覗いているエリーゼに声をかけると、彼女は自分が俺に見つかるとは思っていなかったらしい。

 声を上ずらせながら答えた。


「エリーゼも、結構こういうのが好き?」


「ルイーゼさん。私だって多少は興味がありますから」


 ルイーゼの質問に、顔を赤らめながら答えるエリーゼはかなり可愛かった。

 

「カルラさんは、王都にいた頃は男性神官たちに人気がありましたから」


 エリーゼやカタリーナとは違って、一言で言うと透明感のある美人であるカルラ嬢は、俺から見てもかなり好みのタイプではある。

 顔の系統が少しあっさりしているので、元日本人である俺からすると少し懐かしい感じのする美人なのだ。


「美人で、スタイルがよくて、料理も上手だしな」


「カルラさんの場合、ブロワ辺境伯家に戻るまでは真面目に教会で家事なども習っていましたから」


 居候をしている母親の実家が、経済的な理由でお手伝いさんなど雇えないという事情もあり、エリーゼたちに混じって食事の支度などもテキパキとこなしていたそうだ。

 当然、多くの男性神官たちの目に留まるわけだが、彼女の素性を知るとみんな尻込みしてしまう。

 そんなことが続いたせいで、彼女の傍に男性の影はあまりなかったそうだ。


「身分違いの恋が理由で、辺境伯を敵には回したくないか……」


「はい。物語ではありませんので……」


 だろうな。

 なかなか実現しないからこそ、恋愛物語は人気があるのだから。


「それはわかったけど、エルに芽はあるのかな?」


「ええと……どうでしょうか……エルさんですか……」


 エリーゼは、ここ数日カルラ嬢と料理などしながらよく話をしたそうだが、彼女が男性に求めるものは誠実さであると言っていたそうだ。

 エルが誠実かどうか……エリーゼが口籠るわけだ。


「お父様であるブロワ辺境伯様のような方が、男性としては一番嫌だそうです」


 自分の母親への態度を見ていれば、ブロワ辺境伯に好意を抱くとのは難しいか。


「エル……誠実……うーーーん」


 ブランタークさんに女遊びを教わってしまったエルは、少し誠実さが足りないと思われているのかもしれない。

 うちの陣地には女性が多いのでモーリッツたちもそういう話は控えているようだが、まったくしないわけないのは、俺も男だから理解できる。

 だが女性は、そういうコソコソ話には敏感である。

 エルは少し立場が特殊なので、早く他の家臣たちに馴染もうと一緒に酒を飲んだり下世話な話にも興じたりするので、カルラ嬢にも勘づかれているかもしれないな。


『モーリッツ兄さんは、俗物』


『男は多かれ少なかれ、みんなそうなんだよ!』


 少し前に、とある兄妹の悲しい会話を聞いてしまったので、エルも同類だと思われてしまったかもしれない。

 とある兄は妹に汚物扱いされて、半泣きの状態であったのを思い出す。


「なんだあいつ? 締まらない顔をしているな」


 さらにブランタークさんも姿を見せ、エルの駄目っぷりを呆れながら監察していた。


「彼は、恋に悩んでいるのですよ」


「可哀想に。エルの坊主はお熱でも、カルラ様は軽く受け流してるな」


 人生経験が豊富なブランタークさんが見れば、エルの失恋は秒読み段階にしか見えないようだ。


「さすがに、弁えるとは思うが……。ああ、そうだ」


「なにかあったのですか?」


「明日、いよいよブロワ辺境伯家から交渉団が来るそうだから」


「えっ? それって大事件じゃないですか」


 一度始めた交渉を駄目にした挙句、あれだけの事件を起こしたのだ。

 どんな顔をしてやって来るのか不明だが、これでようやくこの長い紛争にも終わりの糸口が見えたというわけだ。


「そんなに上手く行くかね? 一度あることは二度あると言うじゃねえか」


「いやいやいや、あんな大戦はもうゴメンですよ。とにかくようやく交渉が再開するんです。状況がよくなったのだと喜びましょう」


「それはそうなんだがな……しかし、交渉は纏まるのかね?」


 ブランタークさんの懸念は、翌日に現実のものとなって俺たちに強く圧し掛かってくるとは……。

 本当、駄目な貴族ってのはしょうがないな。

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